雄琴温泉

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Hot springs 001.svg 雄琴温泉
(おごと温泉)
Yumotokan-Ogoto onsen & Ogoto port.jpg
1929年昭和4年) 湯元舘が最初の旅館を創業。
温泉情報
所在地 滋賀県大津市
座標 北緯35度5分49秒
東経135度53分41秒
座標: 北緯35度5分49秒 東経135度53分41秒
交通 鉄道:JR湖西線おごと温泉駅下車
他の交通機関については#交通の項を参照
泉質 単純温泉
泉温(摂氏 30.0 ℃
pH 8.58
液性の分類 アルカリ性
浸透圧の分類 低張性
宿泊施設数 10軒
年間浴客数 489,487
統計年 2011年
外部リンク おごと温泉観光協会 (日本語)
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雄琴温泉の位置
雄琴温泉の位置
雄琴温泉
雄琴温泉の位置

雄琴温泉(おごとおんせん)は、滋賀県大津市(旧国・近江国)の琵琶湖西岸にある温泉最澄によって開かれたと伝えられる約1200年の歴史を持つ由緒ある温泉。滋賀県下最大の温泉地であり、2000年以降、地元観光協会などでは、平仮名表記の「おごと温泉」を標榜している(後述)[1]

近年、各旅館経営者の改善努力によって特に変化著しい温泉地の一つであり、着実に宿泊客が増えている[2][3]2006年10月27日に第1回「地域ブランド」(地域団体商標)として認定されている。

泉質[編集]

適応症[編集]

温泉街[編集]

湯元舘屋上から見る温泉街

1929年昭和4年)創業の老舗湯元舘をはじめとして旅館ホテルが10軒ほどが国道161号線を挟んで点在する。比叡山の山麓(堅田丘陵とも呼ぶ)沿いに建てられているため、琵琶湖など眺望に優れる。周辺には比叡山延暦寺とその門前町坂本日吉大社堅田浮御堂園城寺(三井寺)、紫式部で有名な石山寺など歴史ゆかりの文化財が多く、観光拠点として適している。名物料理として料理や近江牛料理などがあり、特に鴨鍋は冬の琵琶湖を代表する味覚である。

その一方で歓楽温泉としても発展した背景があり、昭和40年代以降に温泉街の南側、苗鹿3丁目の一角に風俗街が進出した(この特殊浴場に雄琴温泉の源泉は引かれておらず、温泉としての関連性は皆無である)。これらは、温泉街とは明確に隔離されている。

最寄り駅の雄琴駅は地元の働きかけにより2008年3月15日、「おごと温泉駅」に改称された。

2011年2月1日、観光施設として大津市立おごと温泉観光公園がオープンした[4][5]

歴史[編集]

雄琴温泉で最初に創業した湯元舘大衆浴場大正13年

今から約1200年前に最澄が開いた湯といわれるが、次のようなエピソードもある。昔はこの近くに八つの頭を持つ大蛇が棲んでいたといわれ、その大蛇の棲む谷には北国街道を少し西に入ったあたりの法光寺境内の北端、字蛇ヶ谷に念仏池という池があった。

この池は病気に効くというので、村人は念仏を唱えながら賽銭を投げ入れていたという。この池が雄琴温泉の由来だという[6]。雄琴という地名は、平安時代の貴族今雄宿禰の荘園があり、その邸からよく琴の音が聞こえたことから、姓の「雄」と「琴」をとって雄琴と呼ばれるようになった。

雄琴の南方の法光寺(天台宗)境内の念仏池(別名:蛇池)には地下水が絶え間なく湧出していたが、村人らが飲用するとたちまちに難病すらも癒え、池底の泥を皮膚に塗ったところ汗疹皮膚病などが完治したとの言い伝えが残り、古来より霊泉として崇められてきた。霊泉がラジウム鉱泉であることが判明したのは、大正期になってからで、温泉開発に一気に弾みがついた。その後、江若鉄道雄琴温泉駅が設けられ鉄道が開通すると、温泉地としての開発は進んだ[7]

第二次世界大戦後、交通アクセスの良さから、関西地方の奥座敷として発展した。特に1970年代前半から、国鉄(当時)湖西線の開通もあって団体旅行客が増加した。1970年昭和45年)には日本万国博覧会の特需に湧き、開催地から近隣の雄琴温泉は連日、満員御礼の盛況となった。

だがその後、1971年(昭和46年)、雄琴温泉から南に500m地帯の苗鹿三丁目に、雄琴初のトルコ風呂(当時の名称。現在の「ソープランド」)「花影」を皮切りに、大規模な性風俗関連特殊営業が形成されていった[8](同業態は1971年3月に京都府で禁止されたことから、生き残りをかけて隣接県の当地に多数流入したと見られる[要出典])。

1980年代から1990年代旅行ガイドブック、温泉ガイドブックには、雄琴温泉の名は記載から外されることもあり、1990年代に発行された、旅行読売出版社による全国の温泉地を網羅した全国温泉大事典にも、「戦後、歓楽温泉として発展」と書かれるのみで、殆ど温泉地の中身を採り上げられないなど、温泉地として専門家からの評価も低下した。

しかも、その後のマイカーブームで、風俗街の利用者が温泉街に立ち寄らなくなると、宿泊客が激減。バブル崩壊後は、主な得意客だった職場団体客が激減し、28軒あった旅館の多くが閉店へと追い込まれ、生き残ったのは10軒であった[1]

そのため、生き残りを図るために旅館組合の8名が『雄琴青経塾』を立ち上げ、これまでの体制や慣習を抜本的に見直し、「雄琴=風俗街」というイメージの払拭に懸命となり、1990年代後半から各温泉旅館が一致団結で改装に乗りだした。各々の旅館が、こぞって全室露天風呂付きの客室の新館や別館を併設したり、趣向を凝らした露天風呂などをしつらえたりしている。

それと並行して、接客やサービスの改善に努めたり、創作料理を提供してみたりと、ハード面・ソフト面双方の改善を旅館同士で切磋琢磨した。地元のブランド牛である「近江牛」を提供する「認定近江牛指定店」に全10軒すべてが登録[1]し、食へのこだわりがある街としてのイメージを印象づけると共に、時代に似つかわしくない旅館名の変更も相次いでおり、「雄琴国際ホテルきくのや」は「暖灯館きくのや」に、「國華荘」は「びわ湖花街道」に、「ロイヤルホテル雄山荘」は「里湯昔話雄山荘」に、「芳月楼」は「びわこ緑水亭」に改称している。

一方、「湯元舘」「琵琶湖グランドホテル」は、個人客需要をにらみ別館を新たに併設するなどしている。こうした旅館組合ぐるみによる旅館同士の競争が相乗効果を生み、着実にリピーターや新規顧客を増加させ、安定した成長を続け、日帰り施設なども作られ、年間60万人超が利用する一大温泉地となった。

また、こうした運動が認められ、京都方面への修学旅行客受け入れ先としても機能を果たすようになるなど、社会信用・信頼も大きく回復を遂げている。

交通[編集]

おごと温泉港(琵琶湖汽船が使用している桟橋)

周辺観光[編集]

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]