田沢湖

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田沢湖

田沢湖
田沢湖と辰子像(舟越保武作)

田沢湖の位置(秋田県内)
田沢湖
田沢湖
田沢湖の位置(秋田県)
所在地 日本の旗 日本
秋田県仙北市
位置 北緯39度43分30秒 東経140度39分41秒 / 北緯39.72500度 東経140.66139度 / 39.72500; 140.66139座標: 北緯39度43分30秒 東経140度39分41秒 / 北緯39.72500度 東経140.66139度 / 39.72500; 140.66139
面積 25.75[1] km2
周囲長 20 km
最大水深 423.4 m
平均水深 280.0 m
貯水量 7.20 km3
水面の標高 249 m
成因 不明
淡水・汽水 淡水
湖沼型 酸栄養湖
透明度 4.0 m
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田沢湖(たざわこ)は、秋田県仙北市にある淡水湖一級河川雄物川水系に属する。日本で最も深い湖であり、国内で19番目に広い湖沼である[2]。その全域が田沢湖抱返り県立自然公園に指定されており、日本百景にも選ばれている景勝地である。1956年(昭和31年)から2005年(平成17年)まで存在した自治体である田沢湖町の名の由来であり、現在も旧田沢湖町の区域の地名冠称として使われている。

地理[ソースを編集]

秋田県の中東部に位置する。直径は約6kmの円形、最大深度は423.4mで日本第1位(第二位は支笏湖、第三位は十和田湖)、世界では17番目に深い湖である(世界で最も深い湖はバイカル湖)。

湖面標高は249mであるため、最深部の湖底は海面下174.4mということになる。この深さゆえに、真冬でも湖面が凍り付くことはない。そして、深い湖水に差し込んだ太陽光は水深に応じて湖水を明るい翡翠色から濃い藍色にまで彩るといわれており、そのためか日本のバイカル湖と呼ばれている。

流入河川は小規模な沢しかない。流出河川は西部の潟尻川で、桧木内川玉川を経て雄物川に合流する。人工の水路としては、玉川と先達川からの流入路と、生保内発電所を経て玉川への流出路が存在する。

観光[ソースを編集]

湖畔には民間伝承に基づき舟越保武作のたつこ像が建てられ、辰子が竜になるきっかけとなった水を飲んだ場所と言われる湖の北岸には御座石神社が建てられている。湖畔を周回する秋田県道が3路線(秋田県道38号田沢湖西木線秋田県道60号田沢湖畔線秋田県道247号相内潟潟野線)整備され、周辺にはみやげ店、温泉旅館、ホテルなどが数多く営業している。

湖には観光用の湖上遊覧船が運航しているほか、足こぎボートなどが貸しだされ、湖畔の一部箇所では湖水浴場として認められており、海水浴場と同様な利用が可能となっている。

歴史[ソースを編集]

古くから漁業が行われ、正徳5年(1715年)には固有種であるクニマスに関する最古の記述が出ており、クニマスは佐竹家の献上品として利用されてきた。明治期末から、田沢湖でクニマスの孵化(ふか)放流事業も試みられ、1935年には約8万8千匹の漁獲高があったという。

戦時体制下の1940年、食糧増産と電源開発計画のため湖水を発電用水と農業用水として利用しようと、近くにある玉川からpH1.1という国内屈指の強酸性の源泉を含んだ水を湖に導入する水路が作られた。「魚の絶滅を心配する声は当時もあったが、住民は国策に反対できる時代ではなかった」ことから約70人いた漁師はわずかな補償金と引き換えに漁業の職を失い、ほとんどの魚類が数年で姿を消した[3]

その後酸性化が進み玉川下流の農業用水の被害も深刻になったため、県は玉川温泉の水を中和する施設の設置を国に要望し、1989年10月に中和施設が完成した。これによって湖面の水質は中性化していったが、今なお湖全体の水質回復には至っていない。

1995年から1998年にかけて、当時の田沢湖町の観光協会が「深湖魚国鱒を探しています」というキャンペーンを多額の懸賞金を懸けて実施したが、クニマスは発見されなかった。しかし平成22年になって、山梨県西湖での生存と、試験的に卵が放流されていた事実が確認されて、「クニマスの再発見」の一大ニュースとなった[4]。 これがきっかけで、2011年(平成23年)11月に西湖との姉妹湖提携が行なわれた[4]

水深測定[ソースを編集]

田沢湖が深い湖であった事は昔から知られていたが、初めて測定されたのは1909年明治42年)湖沼学者田中阿歌麿が麻縄に重りをつけ沈めて、397mを記録した時だった。翌年秋田県水産試験場が同様に413m、1926年(大正15年)には田中舘愛橘がワイヤーロープで425mを記録した。1937年(昭和12年)から3年間行われた吉村信吉の調査では大まかな地形が明らかになった。湖底には2つの小火山丘があり、湖底平坦部の北西寄りに位置する直径約1kmのものを振興堆、南岸近くの直径約300mのものを辰子堆と命名した。また大沢地区の近くに傾斜50°・深さ300mの断崖があることも発見した。

水質[ソースを編集]

かつては火山性・ミネラル分の高い水質と流入河川の少なさのため、1931年昭和6年)の調査では摩周湖に迫る31mの透明度があり、水産生物も豊富であった。しかし、発電所の建設と農業振興(玉川河水統制計画)のために、別の水系である玉川温泉からpH1.1(但し、流入時点では pH3.3~3.5程度[5])の強酸性の水(玉川毒水玉川悪水と呼ばれる[6])を1940年(昭和15年)1月20日に導入した結果、導入から約7年後には、pH 5.0~5.5、約8年後には、pH 4.3~5.3 へと酸性化が進行した。

酸性水を導入した結果、水力発電所施設の劣化も促進されたほか、農業用水も酸性化し稲作に適さなくなったため、農業用水(田沢疎水)の取水位置の変更や取水用水の中性化も行われた[7]

1972年(昭和47年)から石灰石を使った酸性水の本格的な湖水の中和対策が始まり、1991年平成3年)には抜本的な解決を目指して玉川酸性水中和処理施設が本運転を開始。湖水表層部は徐々に中性に近づいてきているが、2000年(平成12年)の調査では深度200メートルでpH5.14 - 5.58、400メートルでpH4.91と、湖全体の水質回復には至っていない。

2015年(平成27年)10月6日から8日にかけて海上技術安全研究所により水中カメラ付きロボットにより田沢湖の3か所(湖底最深部の湖心付近、「振興堆」、「辰子堆」)の湖底調査が行われ、水深70メートルまで日光が入り込むほど透明度が高いこと、湖底が白い沈殿物で覆われていること(現時点では成分は不明)、湖底の生物、人工物、温泉などは確認できなかったことなどが明らかにされた[8]

生物相の変化[ソースを編集]

1940年以前に生息していたとされる主な魚類は、クニマスヒメマス十和田湖より移入)、ウグイアメマスギギイワナコイナマズウナギ

1940年の玉川悪水導入は魚類だけでなく、動物性プランクトンの分布相にも変化を与えている[5]。魚類は酸性に強いウグイが残り、酸性に弱いサケ科魚類[9]やコイは確認されなくなった[10][5]。一方、残存したウグイは優占種となったことで大型化した。

1948年の調査では、ウグイ、アメマス、ギギの生息が報告されている。生息が確認できなくなった魚類(サケ科魚類、コイ、ウナギ)の中には田沢湖の固有種であったクニマスも含まれており、開発によって絶滅したと長年のあいだ取り扱われてきた。しかし平成22年になって、山梨県西湖での生存と、試験的に卵が放流されていた事実が確認されて、「クニマスの再発見」の一大ニュースとなった[4][注釈 1]

中和対策実施後の生息魚類は、ウグイ、コイ、ギンブナ[12]

成因[ソースを編集]

田沢湖カルデラの地形図

過去には隕石クレーター説なども検討されたことがあるが、調査の結果、180万年前から140万年前の爆発的噴火によるカルデラとの説が有力である[13][14]。しかし田沢湖の容積分の噴出物がどこに行ったのかが未解決の問題として残されている[15]。湖底には辰子堆(比高100-300 m)と振興堆(比高250 m)の2つの溶岩ドームがあることが分かっている[16]

伝承[ソースを編集]

名称[ソースを編集]

田沢湖という名称は、明治時代に入ってから定着したと考えられている。それまでの資料では、田沢の潟辰子潟などと記録されていた。それぞれの古名の由来は「田沢村の潟」という意味、アイヌ語で「盛り上がった円頂の丘」を意味するタプコプが変化した説などが考えられている。

いわゆる「辰子姫」(「辰子伝説」の節を参照)も以前は「鶴子」などとされており名称には変遷があったと考えられている。それらの変遷や由来は明らかではないが、「鶴子」は熊野神社信仰との関係性、今日広く知られている「辰子」は、田沢湖の古名である辰子潟から転じたとする説がある。

辰子伝説[ソースを編集]

辰子が水を飲んだと伝えられる潟頭の霊泉
辰子が水を飲んだと伝えられる潟頭の霊泉
湖畔に建つ御座石神社
湖畔に建つ御座石神社

田沢湖周辺には、(イワナを食い[17])水をがぶ飲みして龍の体になった辰子と八郎がやがてめぐり合って夫婦になったという伝説がある[17][注釈 2]

田沢湖のほとり神成村に辰子(タッ子、または金釣(カナヅ)子ともいわれる[17])という名の娘が暮らしていた。辰子は類い希な美しい娘であったが、その美貌に自ら気付いた日を境に、いつの日か衰えていくであろうその若さと美しさを何とか保ちたいと願うようになる。辰子はその願いを胸に、村の背後の院内岳は大蔵観音に、百夜の願掛けをした。必死の願いに観音が応え、山深い泉の在処を辰子に示した。そのお告げの通り泉の水を辰子は飲んだが、急に激しい喉の渇きを覚え、しかもいくら水を飲んでも渇きは激しくなるばかりであった。狂奔する辰子の姿は、いつの間にか龍へと変化していった。自分の身に起こった報いを悟った辰子は、田沢湖に身を沈め、そこの主として暮らすようになった。

辰子の母は、山に入ったまま帰らない辰子の身を案じ、やがて湖の畔で辰子と対面を果たした。辰子は変わらぬ姿で母を迎えたが、その実体は既に人ではなかった。悲しむ母が、別れを告げる辰子を想って投げた松明が、水に入ると魚の姿をとった。これが田沢湖のクニマスの始まりという。

北方の海沿いに、八郎潟という湖がある。ここは、やはり人間から龍へと姿を変えられた八郎太郎という龍が、終の棲家と定めた湖であった。しかし八郎は、いつしか山の田沢湖の主・辰子に惹かれ、辰子もその想いを受け容れた。それ以来八郎は辰子と共に田沢湖に暮らすようになり、主のいなくなった八郎潟は年を追うごとに浅くなり、主の増えた田沢湖は逆に冬も凍ることなくますます深くなったのだという。

一部では、タッ子(辰子)には不老不死の願望があったが、のちに夫となる八郎にはその願望はなく、たまたま同じ行為にふけるうち、「唯、岩魚を食ひ、水を鯨飲してゐるうちに龍體となつてしまつた」とも語り継がれていた[17]

なお、湖の北岸にある御座石神社には、辰子が竜になるきっかけとなった水を飲んだと言われる泉がある。

田沢湖の湖畔には辰子伝説にまつわる像が4体あり、漢槎宮近くにある舟越保武作の「たつこ像」の他に、湖の東岸にある「辰子観音」、北岸にある「姫観音像」、御座石神社境内にある「たつこ姫像」がある。

姉妹湖[ソースを編集]

脚注[ソースを編集]

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注釈[ソースを編集]

  1. ^ 2010年また、地元ではヒメマスのことを(アイヌ語の)「カバチェッポ」と称していた[11]
  2. ^ 武藤鉄城『秋田郡邑魚譚』、343頁では、単にタッ子がイワナを食してから、喉の渇きにまかせるままに水を飲みとあり、詳細な事情は記していない。

出典[ソースを編集]

  1. ^ 国土地理院 (2015年3月6日). “平成26年全国都道府県市区町村別面積調 湖沼面積 (PDF)”. 2015年3月11日閲覧。
  2. ^ 国土地理院 (2015年3月6日). “平成26年全国都道府県市区町村別面積調 湖沼面積20傑 (PDF)”. 2015年3月11日閲覧。
  3. ^ 田沢湖の中和化事業8年 死の湖、再生へ” (1997年9月27日). 2015-10-12)閲覧。
  4. ^ a b c d e クニマスの縁…田沢湖と西湖が姉妹湖提携”. 読売新聞社 (2011年11月2日). 2011年11月4日閲覧。
  5. ^ a b c 佐藤 隆平:酸性化された田澤湖の夏季の生物相 陸水学雑誌 Vol.15 (1950-1952) No.3-4 P96-104
  6. ^ 溝口 三郎:田澤湖疏水計畫と玉川毒水問題 (其一) 農業土木研究 Vol.10 (1938) No.1 P64-75
  7. ^ 三浦 彦次郎:玉川毒水地下溶透化学除毒法の研究 (II) 農業土木研究 Vol.24 (1956-1957) No.1 P45-51
  8. ^ 田沢湖底「神秘の雪原」海上技術研調査読売新聞、2015年10月9日、同年10月20日閲覧
  9. ^ サケ科魚類の発眼卵と稚魚の耐酸性評価 (PDF)
  10. ^ 上野 益三:田澤湖生物群聚の昭和14年夏季の状態 陸水学雑誌 Vol.10 (1940-1941) No.1-2 P106-113
  11. ^ 武藤鉄城『秋田郡邑魚譚』、339頁
  12. ^ 玉川・田沢湖における水質改善 (PDF) 国交省 河川整備基本方針検討小委員会 資料
  13. ^ 鹿野和彦、 石塚治、 大口健志、 狐崎長琅:田沢湖カルデラに辰子堆溶岩ドームが噴出した時期(火山の物質科学(1),日本火山学会2008年秋季大会) 日本火山学会講演予稿集 2008, 18, 2008-10-10
  14. ^ 田沢湖カルデラとその噴出物 日本地質学会学術大会講演要旨 114 pp.70 20070901
  15. ^ 狐崎長琅、山脇康平:主として磁気探査からみた田沢湖 物理探査 Vol.61 (2008) No.4 P323-335
  16. ^ 出典: 日本の火山 田沢湖カルデラ - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター
  17. ^ a b c d 武藤鉄城 「秋田郡邑魚譚」、『アチックミユーゼアム彙報』 (鹿角郡) 第45巻343-344頁、1940年http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461537/189 

関連項目[ソースを編集]

田沢湖と秋田駒ヶ岳

外部リンク[ソースを編集]