水茎岡山城

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水茎岡山城
滋賀県
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 佐々木氏
築城年 南北朝時代
主な城主 九里氏伊庭氏
廃城年 1525年(大永5年)頃
遺構 石垣、堅堀、土塁、切岸、帯曲輪
位置 北緯35度8分18.7秒
東経136度2分43.8秒

水茎岡山城(みずぐきおかやまじょう)は、滋賀県近江八幡市牧町に築かれた日本の城尾山城岡山城とも呼ばれる。

概要[編集]

南北朝時代、近江南部をおさめる佐々木氏琵琶湖の水上警備のために築城した。頭山、岡山(大山)と呼ばれる山に連なるように遺構が確認されているが築城当時の規模ははっきりとしない。

永正5年(1508年)、室町幕府の11代征夷大将軍足利義澄が城主九里信隆六角氏被官)を頼って都落ちをし、水茎岡山城に入った頃から、城の本格的な築城が行われた。

永正7年(1510年)、幕府軍3000に城を包囲されるも信隆はこれを退けている。

永正8年(1511年)、当城で後の12代将軍・足利義晴が誕生した。また、同年に足利義澄は帰洛を果たせぬまま当城で病没した。

永正11年(1514年)、信隆が六角高頼に謀殺される。

永正17年(1520年)、信隆の子浄椿が六角高頼・細川高国の連合軍に敗れ、城が落城した。

大永5年(1525年)、九里氏の残党が城に立て籠もるも敗れ、九里氏は滅亡した。この頃に廃城になったと考えられている。

築城当時は一帯が琵琶湖水面であったため、浮き城とも称されていた。しかし、第二次世界大戦後の干拓事業により一帯は埋め立てられ水田地帯となり山も掘削され湖岸道路となっていることから周辺環境は様変わりしてしまっている。遺構の現況は竹林となっており、絶景を謳われた往時の景観は見る影もない。

文献[編集]

脚注[編集]


関連項目[編集]