なまこ池

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
なまこ池
Namako-Ike lagoon Aerial Photograph.jpg
長目の浜の空中写真(1977年撮影の2枚を合成作成、中央から左がなまこ池)
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
所在地 鹿児島県薩摩川内市
面積 0.50 km2
周囲長 6.50 km
最大水深 26.4 m
水面の標高 0 m
成因 海跡湖
淡水・汽水 汽水
Project.svg プロジェクト 地形
テンプレートを表示
なまこ池の位置(鹿児島県内)
なまこ池
なまこ池
なまこ池の位置

なまこ池(なまこいけ、海鼠池)は、上甑島甑島列島)の北東海岸沿いに横たわる潟湖である。なまこ池の南東海岸沿いに並ぶ貝池、鍬崎池、須口池と合わせて甑四湖(こしきよんこ)と呼ばれる。

歴史[編集]

これらの池は数千年前まで海岸線が入り組んだ入江だったが、縄文海進の時期に上甑島北部の断崖が波で侵食され、海流に乗って運ばれてきた礫が砂嘴を形成し、ついには海を区切って海跡湖となった。浜は10cm×5cm×厚さ3-4cm程度の礫が積み重なった礫浜であり[1]、やがて海面が降下して砂州が地上に現れ、現在の長目の浜が形成された。第2代薩摩藩主の島津光久が景観を「眺めの浜」と称えたことが名称の由来である[2][3]

特徴[編集]

丸い小石で形成された長さ約2kmの砂州によって東シナ海から分離されているが、石の隙間を通して海水が出入りしており潮の満ち引きに合わせて湖面が上下する。1934年(昭和9年)の調査ではなまこ池の塩分濃度は25.25%、貝池は17.2%、鍬崎池は淡水、須口池は33.3%だった[1]。直接海と通じているわけではなく、礫洲を通じて湖水・海水の交換が行なわれるため、水位の変化は日本の他の汽水湖沼と比べて極めて小さい[4]。水位の変化はなまこ池で最大23cm、貝池で最大4cmであり、水位変化の周期は2湖で同じである[4]。なまこ池と貝池は細い水路でつながっているが、貝池の方がなまこ池よりも水位が高いため、貝池からなまこ池に池水が流出している[4]事が多いが、風向きによってはなまこ池から貝池へ流出する事もある。

なまこ池[編集]

なまこ池は最大水深24mの汽水池であり、湖水面は海の干満に3-4時間遅れて上下する。薩摩藩の時代に大村湾からの搬送中に入れられたとされる海鼠が名称の由来であり、現在も繁殖している。湖岸にはアコヤガイが密生しており、ボラキスシマイサキなどの魚介類が生息する。

貝池[編集]

貝池は最大水深11mの汽水池である。上部は流れ込んだ雨水で低濃度の塩水となり、下部は春から夏に侵入した海水が停滞して高濃度の塩水となっている(部分循環湖)。下部の海水層は多量の硫化水素を含んでおり、特別な微生物しか生息できない。水深約5mにある上部と下部の境目には、バルト海沿岸の湖と貝池のみでしか確認されていないクロマチウムという光合成硫黄細菌が濃密に分布し[5]、20cmの厚さの赤紫色の帯が広がっている[4][6][7]

参考文献[編集]

  • 上甑村郷土誌編集委員会編 『上甑村郷土誌』 上甑村、1980年
  • 菅田正昭編『日本の島事典』三交社、1995年
  • 『島嶼大事典』日外アソシエーツ、1991年
  • 『日本の島ガイド SHIMADAS』日本離島センター、1998年
  • 藤岡謙二郎編『離島の人文地理 – 鹿児島県甑島学術調査報告 - 』大明堂、1964年
  • 松山通郎 「上甑島の池沼」 今西錦司・井上靖監修 『日本の湖沼と渓流12 九州・沖縄』 ぎょうせい、1987年、ISBN 4-324-00721-7

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b 藤岡 (1964) 27頁
  2. ^ 日外アソシエーツ (1991)、161頁
  3. ^ 菅田編 (1995)、172-173頁
  4. ^ a b c d 久保尚子・沢井祐紀・鹿島薫「鹿児島県上甑島に分布する沿岸性汽水湖沼群の湖水環境」『汽水域研究』6巻、1999年、261-271頁
  5. ^ 日本離島センター (1998)、1022頁
  6. ^ 「Number 81 甑島」全国地質調査業協会連合会『日本列島ジオサイト地質百選Ⅱ』オーム社、162-163頁
  7. ^ 鹿児島県薩摩郡上甑村海鼠池、貝池、鍬崎池信州大学理学部物質循環学科環境地球化学研究室

座標: 北緯31度51分58秒 東経129度52分21秒 / 北緯31.86611度 東経129.87250度 / 31.86611; 129.87250