街道

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一般国道と旧街道が並行している区間の写真。
写真は国道166号(左)の竹内峠(竹内街道:右)。日本全国にこのような整備された新道と旧街道が並行する区間が現存する。
旧街道は狭小であることから現代の交通事情にそぐわないため付け替えられることが多く、旧街道には古い面影を残す町並みが残される場合が多い(湯の山街道-神戸市淡河本町)

街道(かいどう)とは、ある場所と場所を陸上でつなぐ交通路道路のことである。つながる場所としては集落であることが圧倒的に多いが、一方が人里離れた神社寺院であることも多い。

概要[編集]

日本の津々浦々に張り巡らされている街道は、その起源や名の由来はまちまちである。名称の大半が明治時代以降に道路行政上の必要性からつけられたものであり、同じ名称が別の複数の街道名称として用いられていることがある。明治以前は、逆に同じ道であっても地域や進行方向によって名称が異なる事が多かった。

明治時代以降、番号制を導入し、国道地方道の区別が明瞭となり、年月を経るにつれて番号や指定区間がめまぐるしく変わっていく中でも、かつての街道を継承する道の区間や経由地は大きくは変わらなかった。各時代の交通の発達と衰退にあわせて姿を変えたものが多いものの、現在も幹線道路の脇に並行した生活道路として残っているものがある。特に主要な街道では、『○○街道』が道路通称として今日でも親しまれていることが多い。しかし災害都市計画・改良工事などで分断されたり消滅した街道も少なくない。

以下、日本の街道について記述するが、外国の古い道路も「街道」と呼ばれるものが多い(ローマ街道等)。

日本における歴史[編集]

過去の設置・建設のいきさつから、下記の通りの年代別に概要を説明する。

古代・統一政権誕生以前[編集]

統一国家が誕生する以前、地域ごとに「ムラ」程度の集まりで地域が集結し、争いが繰り返されていた頃は、各ムラどうしとの人や物資の交流はあるものの、整備の行き届いた交通路(=街道)の概念はなかったと思われる。

飛鳥時代・大和政権誕生後[編集]

山の辺の道

畿内天皇を中心とする統一政権が誕生すると、)と周囲の豪族が治めていた地域との交流や、海辺に面した)との間を行き来するための交通路の整備が行われた。

山辺の道竹内街道長尾街道などがこの時代に整備されたとされている。聖徳太子が通ったとされる「太子道」とよばれる複数の道についてもこの時代に存在した。

律令制度制定以降[編集]

大化の改新以降、日本全土を統一した基準で治めるために律令制が制定され、各地の統治や租税の徴収を円滑に行うために各地を結ぶ交通路が整備された。駅馬伝馬などの駅制により、宿場も整備された。

奈良時代になると、高僧行基により、多くの街道が整備されたといわれる。また、平城京と各地を結ぶ、現在で言う「奈良街道」が整備されている。

中世[編集]

奈良時代以降、各地に神社仏教寺院が建立されていくが、その地域の信仰を集めただけでなく、遠路からの信仰も集めることがあり、それらの寺院と各地を結ぶ交通路が整備されるようになった。主なものでは高野街道熊野古道が挙げられる。

鎌倉時代に畿内以外の遠方を中心とする政権が誕生すると、京と鎌倉を結ぶ道筋は重要となっている。

武士豪族が群雄割拠する戦国時代となると、の移動や物資の輸送(兵站)のための交通路として利用されている。また、割拠された地域の境界には関所が設けられ、通行する人々から通行税を徴収した。

近世[編集]

江戸時代には、一般旅行者や諸大名参勤交代のために江戸を中心とした五街道を幹線とし、これに「佐屋路美濃路例幣使街道壬生通・水戸佐倉道・本坂通などのほか、日光法成道」があり、「万治2(1659)年設置の道中奉行」の管下にあった[1]。また、脇往還宿場町が日本全国で整備された。「脇往還または脇街道、脇道など」と言われるものの中で「重要度の高いものは伊勢路中国路・佐渡路」などは、勘定奉行の管下にあった[1]

このころから伊勢参りが一般的になり、伊勢神宮と各地を結ぶ「伊勢街道」が整備された。

各地に残る「一里塚」「丁石」「道標」の大半が江戸時代に設置されたものとされる。

近代以降[編集]

明治維新以降、国策として「国道」が制定され、主要な街道は国道に指定された。

ただし、陸上交通の主役が鉄道となり、都心部を除き、道路の大がかりな整備は行われなかった。

太平洋戦争後、高度経済成長期になると、自動車が普及し、それにあわせて旧街道の舗装・拡張・付け替えが行われるようになった。その一方で、とくに山越えの旧道は維持整備が行われずに廃道となるなど、忘れられた存在となりつつある。

主な街道記事[編集]

主な名産街道[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 内藤(1982)、33-34頁。

参考資料[編集]

  • 内藤二郎「奉幣使をめぐりて」、『駒大経営研究』第13巻第3号、駒澤大学、1982年、 33-59頁。

関連項目[編集]