あま市

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あまし
あま市
Jimokuji 3.JPG
Flag of Ama Aichi.JPG
あま市旗
Ama Aichi chapter.JPG
あま市章
2010年平成22年)9月23日制定
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
団体コード 23237-8
面積 27.49km2
総人口 87,131
推計人口、2016年2月1日)
人口密度 3,170人/km2
隣接自治体 名古屋市稲沢市清須市
津島市愛西市
海部郡蟹江町大治町
市の木 ハナミズキ
市の花 ゆり
公認キャラクター:あまえん坊
あま市役所
所在地 490-1291
愛知県あま市木田戌亥18番地1
北緯35度12分1.6秒東経136度46分59.6秒座標: 北緯35度12分1.6秒 東経136度46分59.6秒
Ama city office.JPG
外部リンク あま市

あま市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

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福島正則生誕地

あま市(あまし)は、愛知県の北西部(尾張地方)にあるである。

目次

概要[編集]

2010年(平成22年)3月22日に海部郡七宝町美和町甚目寺町の3町合併により愛知県内37番目の市として誕生[1]。愛知県の平成の大合併最後の合併である。2009年(平成21年)7月24日の第8回合併協議会において、6点の名称候補の中から、協議会委員全員投票を行った結果、郡名「海部」をひらがなに直した新市名「あま市」に決定した[2]

七宝地区では、江戸時代末期から地場産業である七宝焼による工芸品の製造が盛んであり、経済産業省指定の伝統的工芸品にも指定されている「尾張七宝」が有名である[3]。美和地区では、蜂須賀正勝福島正則を始め戦国時代に活躍した武将を多く輩出している[4]。甚目寺地区では、国の重要文化財5件を有する尾張四観音の一つで有名な甚目寺観音や、国内で唯一漬物の神様が祀られていることで知られる萱津神社など古くからの社寺が散在している[5]。地場産業である刷毛高度経済成長期の昭和45年には、生産日本一を誇るまでに成長した[6]。昭和48年には、甚目寺地区の刷毛生産高は全国の7割を占める。

地理[編集]

あま市北部一帯の空中写真。画像右側が旧甚目寺町地区、画像左側が現あま市役所のある旧美和町地区。1987年撮影の6枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

市内のほぼ全域が海抜ゼロメートル地帯で、地形は比較的平坦である。濃尾平野に位置し農業を中心に田園都市として発展してきたが、名古屋市の西に隣接し、名古屋駅まで約15分であることから名古屋市のベッドタウンとしても発展している[7]名鉄津島線が市の中央を横断し、名古屋第二環状自動車道が南北に縦断している。市内のほぼ全域で宅地開発が盛んになり、人口が増加傾向にある。

人口[編集]

512px
あま市と全国の年齢別人口分布(2005年) あま市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― あま市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
あま市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 48,854人
1975年 63,687人
1980年 70,190人
1985年 73,132人
1990年 76,659人
1995年 78,678人
2000年 82,321人
2005年 85,307人
2010年 86,608人
総務省統計局 国勢調査より

河川[編集]

隣接している自治体・行政区[編集]

愛知県 愛知県

地域[編集]

鎌倉時代は、『海道記』によると「(夜陰に市腋といふ處に泊る。前を見おろせば、海さし入りて、河伯の民、潮にやしなはれ。)市腋をたちて津島のわたりといふ處、舟にて下れば(中略)渡りはつれば尾張の國に移りぬ。(中略)萱津の宿に泊りぬ。」とあり、この当時は、甚目寺地区の萱津辺りから尾張国であったと考えられている。[8]

市内の地名[編集]

旧七宝町[編集]

町制時の大字にそれぞれ「七宝町」を冠称している。

  • 七宝町沖ノ島(旧宝村
  • 七宝町遠島(旧宝村)
  • 七宝町安松(旧宝村)
  • 七宝町秋竹(旧井和村
  • 七宝町桂(旧井和村)
  • 七宝町下田(旧井和村)
  • 七宝町川部(旧井和村)
  • 七宝町伊福(旧伊福村
  • 七宝町鷹居(旧伊福村)
  • 七宝町徳実(旧伊福村)
  • 七宝町鯰橋(旧伊福村)
  • 七宝町下之森(旧伊福村)

旧美和町[編集]

  • 富塚(旧正則村
  • 古道(旧正則村)
  • 二ツ寺(旧正則村)
  • 木折(旧正則村)
  • 花長(旧正則村)
  • 花正(旧正則村)
  • 東溝口(旧正則村)
  • 木田(旧蜂須賀村
  • 中橋(旧蜂須賀村)
  • 森山(旧蜂須賀村)
  • 丹波(旧蜂須賀村)
  • 金岩(旧蜂須賀村)
  • 蜂須賀(旧蜂須賀村)
  • 北苅(旧篠田村
  • 乙之子(旧篠田村)
  • 小橋方(旧篠田村)
  • 篠田(旧篠田村)

旧甚目寺町[編集]

歴史[編集]

古代[編集]

市内では、弥生時代以降の遺跡が数多く発見されており、これらの遺跡は河川により形成された自然堤防後背湿地上に存在している。遺跡の分布をみると、弥生時代〜古代〜中世と時代が下がるにつれて、あま市北方から南方へ人々の生活範囲が広がっていることがわかった[9]

弥生時代後期の遺跡として阿弥陀寺遺跡・森南遺跡が挙げられ、これらの遺跡では発掘調査が行われ住居跡・井戸跡や大量の土器が発見された。特に、阿弥陀寺遺跡においては、環濠をもつ集落であることがわかった。 古墳時代には、前方後円墳と推定される二ツ寺神明社古墳が出現するが、被葬者はわかっていない。同古墳西方には、同時期の集落と思われる蜂須賀遺跡が推定される。 白鳳奈良時代には、甚目寺遺跡や法性寺跡・清林寺遺跡・篠田廃寺といった古代寺院が挙げられる。なかでも甚目寺地区にある甚目寺遺跡・法性寺跡・清林寺遺跡の3寺院は、軒瓦の文様などから密接が関係があったとされる。その建立時期は、遺跡の状況から尾張地区でも比較的古い時期(7世紀後半)である大渕遺跡は、甚目寺・法性寺・清林寺の各寺院の創建期に関係があるとされる。この他にも市内各所から埴輪片や須恵器・中世陶器などが発見されている[9]

甚目寺観音のはじまり[編集]

甚目寺観音の起源は、記録に見るかぎり文永元年(1264年)の「文永甚目寺縁起」(古縁起)にある。それによると推古天皇5年(597年伊勢国甚目村(現・松阪市)の漁師の甚目龍麻呂が漁をしていたところ、網にかかった観音菩薩を引き上げた。観音像は金色の金銅仏である聖観世音菩薩で、龍麻呂は引き上げた観音様を祀る草庵を建てたことが甚目寺観音の始まりとされる[10]。この観音像は、善光寺如来脇侍であるとも記されている。甚目という苗字は『正倉院文書』や『日本三代実録』にもあって、『正倉院文書』には奈良時代の天平6年(734年)に中島郡に「甚目氏」の記述が見られる。さらに『日本三代実録』には平安時代貞観6年(864年)に海部郡に「甚目氏」の記述がある。このことから「甚目氏」と甚目龍麻呂との直接的な因果関係はわかっていないが、「甚目氏」は甚目寺観音周辺に少なくとも奈良時代以降には住んでおり、都の記録に登場するほど有力な氏族であったことがわかっている[11]

中世[編集]

鎌倉時代、幕府の所在地である鎌倉から全国へ放射状に広がる道、いわゆる鎌倉街道の従来が激しさを増すと、その宿場町のひとつである萱津宿においても多くの人々や物資が行き交うようになった。こと萱津は、五条川庄内川の合流地点で、さらに伊勢から津島を経由して萱津につながる西の道との接点でもあり、まさに水陸の合流点と立地的に恵まれた土地であり、尾張の政治経済の中心地のひとつとして栄えた。幕府の高官をはじめ多くの旅人が萱津宿に立ち寄り、紀行文などにその記録を残している。 編年で紹介すると以下の通りである[12]

およそ100年の間に少なくとも4人の鎌倉幕府将軍が萱津に宿泊するなど、時の権力者を、迎え入れるほど、萱津は宿場として立派に機能していたことがわかる。『吾妻鏡』の建久6年(1195年)の記事によれば、源頼朝が萱津宿に立ち寄り、ここで尾張守護小野成綱の接待を受けたことが記され、同書には引き続き4代将軍の藤原頼経、6代将軍の宗尊京都〜鎌倉従還の際の宿泊所として利用したことが記されていることからも、萱津宿は尾張を通る鎌倉街道の宿場のなかでも、重要な位置をしめていたことが推察できる[12]

近世[編集]

戦国時代では、蜂須賀正勝福島正則をはじめ、蜂須賀正勝の実子で蜂須賀家政、そして福島正則の実弟で福島高晴が、城持ち大名となっている。この他にも大名にまでは至らないものの、福島正則の参謀として名高い福島丹波、そして赤林孫七郎など戦国時代に活躍した武将を多く輩出している[13]

16世紀、尾張の政治経済の中心地は下津から清洲城へと移り、萱津がこれまで通り宿場としての機能を果たすが、戦国時代に合戦場として登場する(萱津の戦い)。その戦いについて『安土創業録』を見ると、天文20年(1551年織田信友斯波義廉を倒し清洲城を奪うや、那古野に在城する信長は、その仇を討つべく出陣、稲葉地より川を越え、萱津の民家を放火せしめた。そこへ清洲城より織田信友勢が打ち出し合戦となった。結果は信長軍の勝利に終わるがこの戦いについてこれ以上詳しくは記されていない。この戦いは僅か数時間のもので『信長公記』には「海津(萱津)口へ御かかり候。八月十六日辰の刻、東に向かってかかりあい、数刻火花を散らし相戦い」と出てくるのみであった[14]

近現代[編集]

尾張七宝のはじまり[編集]

この地方で七宝が作られるようになったきっかけは、江戸時代末期の天保4年(1833年)、梶常吉によってもたらされたといわれている。梶常吉は、享和3年(1803年)、尾張藩士梶市右衛門の二男として生まれ、文政5年(1822年)、海東郡服部村(現在の名古屋市中川区)に移り住み、鍍金業を営んでいたといわれている。あるとき、七宝焼のことが書かれた本がきっかけで七宝焼に興味を持ち独学で研究するが、その仕組みを知ることはできなかったが、天保3年(1832年)、常吉は名古屋市末広町の骨董商松岡屋嘉兵衛の店先でオランダ船が運んできたという七宝焼を入手し、砕いてその仕組みや原料を分析した。研究を重ねて合子や筆立て、文鎮などの小物類を製作した。これが尾張地方の近代七宝のはじまりといわれている。海東郡遠島村(現在のあま市七宝町遠島)の農家に生まれた林庄五郎は、安政3年(1856年)に梶常吉より七宝焼の製法を教えてもらい、同じ村の人々に伝えた結果、この地域で七宝焼の製造が盛んになった[15]

三町が合併に至るまで[編集]

昭和

昭和28年の「町村合併促進法」、続く「新市町村建設促進法」により全国で町村合併が推進された。これに伴い昭和29年甚目寺町は名古屋市へ合併を働きかけるが、名古屋市の巨大化を懸念する愛知県がこれに反対し、この合併を認めなかった。愛知県はこの地域の合併試案として甚目寺町と大治村で一つに、美和村、七宝村、神守村での合併を推進していた。 昭和31年、美和村が甚目寺町に合併を申し入れるが、合併方法を巡る双方の食い違いもあって6ヶ月にわたるも合併には至らなかった。一方で七宝村と大治村の合併話も浮上するがこちらも合併には至らず現状維持となった[16]

平成

2008年(平成20年)5月1日には、七宝町、美和町、甚目寺町、大治町の4町で「海部郡東部四町合併研究会」を設置。2008年(平成20年)11月5日、大治町の離脱により「海部郡東部四町合併研究会」は解散。それに代わって2008年(平成20年)11月に「七宝・美和・甚目寺町合併研究会」で合併研究会を設置。2009年(平成21年)4月に法定合併協議会へ移行。7月の第8回合併協議会において、6点(西名古屋、名西、海部、海東、あま、西尾張)の名称候補の中から、協議会委員全員投票を行った結果「あま市」に決定。2010年(平成22年)3月22日、あま市が誕生。

市の沿革[編集]

市域の変遷[編集]

明治22年以前 明治22年10月1日 明治23年 - 明治45年 大正1年 - 大正15年 昭和1年 - 昭和64年 平成1年 - 現在 現在


沖ノ島村 宝村 宝村 明治39年7月1日
合併 七宝村
七宝村 七宝村 昭和41年
町制 七宝町
七宝町 平成22年3月22日
合併 あま市
あま市
遠島村
安松村
秋竹村 井和村 井和村
桂村
川部村
下田村
伊福村 伊福村 伊福村
鷹居村
下ノ森村
徳実村
鯰橋村
二ツ寺村 正則村 正則村 明治39年7月1日
合併 美和村
美和村 美和村 昭和33年
町制 美和町
美和町
花長村
木折村
東溝口村
花正村
富塚村
古道村
金賀木村 金賀木村 明治23年12月17日
改称 蜂須賀村
金岩村
木田村
中橋村
森山村
丹波村
蜂須賀村
篠田村 篠田村 篠田村
乙之子村
小橋方村
北苅村
甚目寺村 甚目寺村 甚目寺村 明治39年7月1日
合併 甚目寺村
甚目寺村 甚目寺村 昭和8年8月1日
町制 甚目寺町
甚目寺町 甚目寺町
本郷村
坂牧村
下萱津村 萱津村 萱津村
中萱津村
上萱津村
方領村 春富村 春富村
石作村
小路村
新居屋村 新居屋村 新居屋村
森村 森村 森村
今宿村 東今宿村 東今宿村 東今宿村
西今宿村 白鷹村 白鷹村
上條村 昭和18年1月1日
西春日井郡清洲町に編入
平成17年7月7日
合併 清須市
清須市 清須市
土田村
迫間村 明治43年10月1日
西春日井郡清洲町に編入
清洲町 清洲町

行政[編集]

市が掲げるキャッチコピー「人・歴史・自然が綾なす セーフティ共創都市 “あま”」

歴代市長[編集]

行政機関[編集]

市役所[編集]

  • あま市役所本庁舎
  • 甚目寺庁舎
  • 七宝庁舎

市民の利便性を考慮し、市の位置的中心付近である「あま市七宝町沖之島深坪」に市役所新庁舎を建設する計画がある。名鉄七宝駅から南に約800mに建設する予定である[21]

警察[編集]

  • 津島警察署(津島市)が管轄。
    • 甚目寺幹部交番
    • 美和交番
    • 七宝交番
    • 甚目寺南交番
    • 伊福駐在所

消防[編集]

立法[編集]

市議会[編集]

  • 定数:24人
  • 任期:2015年(平成27年)5月1日 - 2019年(平成31年)4月30日
  • 議長[23]:藤井定彦
  • 副議長:倉橋博
会派名 議員数
政和会 15
公明党あま市議団 3
あま市民クラブ 3
日本共産党あま市議団 2
無会派 1

愛知県議会[編集]

  • 選挙区:あま市及び海部郡選挙区
  • 定数:2名
  • 任期:2015年(平成27年)4月30日 - 2019年(平成31年)4月29日
氏名 会派名 当選回数
石塚吾歩路 自由民主党愛知県議員団 2
黒川節男 民主党愛知県議員団 7

衆議院[編集]

(「第47回衆議院議員総選挙」参照)

議員名 党派名 当選回数
長坂康正 自由民主党 2

経済・産業[編集]

産業[編集]

第一次産業

  • 産業産出額:17.4億円[24]

第二次産業

  • 製造品出荷額:1353億円[25]

第三次産業

特産品[編集]

[6] [27]

金融機関[編集]

銀行[編集]

信用金庫[編集]

農業協同組合[編集]

主な企業[編集]

あま市に本社を置く主な企業[編集]

  • 名古屋電機工業株式会社
  • 中日本炉工業株式会社
  • 愛知刷毛刷子商工業協同組合
  • 七宝町七宝焼生産者協同組合
  • 株式会社エイビス
  • 株式会社三光製作所
  • 株式会社河村産業所
  • 株式会社井村食品
  • 三鷹金属工業株式会社
  • 株式会社セントラルヨシダ

あま市に事務所を置く主な企業[編集]

情報・通信[編集]

主な商業施設[編集]

日本郵政グループ[編集]

郵便局[編集]

  • 甚目寺郵便局 - 集配局
  • 美和郵便局
  • 七宝郵便局
  • 甚目寺本郷郵便局
  • 甚目寺西今宿郵便局
  • 美和篠田郵便局
  • 富塚郵便局
  • 伊福簡易郵便局

郵便番号[編集]

郵便番号は以下の通りとなっている。

姉妹都市・提携都市[編集]

海外[編集]

フレンドシップ相手国

2005年に開催された愛知万博で、愛知県内の市町村(名古屋市を除く。)が120の万博公式参加国をそれぞれ「一市町村一国フレンドシップ事業」としてフレンドシップ相手国として迎え入れた[29]

国内[編集]

提携都市

交通[編集]

鉄道路線[編集]

市の中心となる駅:甚目寺駅木田駅

Meitetsu logomark 2.svg名古屋鉄道
津島線 : (清須市) - 甚目寺駅 - 七宝駅 - 木田駅 - (津島市)
廃止駅

甚目寺-七宝間にあった駅。1944年昭和19年)に休止、1969年(昭和44年)に廃止された。

Nagoya Subway Logo (Sakura-dori Line).svg名古屋市営地下鉄桜通線中村区役所駅から延伸して七宝地区へ乗り入れる計画があるが、着工には至っていない。 市役所へは木田駅が最寄り。七宝地区からはどの駅へも距離があるため、名鉄バスあるいはJR東海関西本線蟹江駅を利用している。

バス[編集]

名鉄バス[編集]

あま市巡回バス[編集]

2015年(平成27年)11月22日からあま市巡回バスの試行運行を始めている。西部巡回(七宝・美和)ルートと東部巡回(甚目寺)ルートの2路線を設定し、それぞれ右回りと左回りが運行されている。[19]

  • 西部巡回ルート:七宝焼アートヴィレッジ - あま市役所本庁舎 - 美和総合保健センターすみれの里 - 木田駅 - 七宝総合福祉センター - あま市役所七宝庁舎
  • 東部巡回ルート:七宝焼アートヴィレッジ - 新居屋憩いの家 - 甚目寺駅 - 甚目寺総合福祉会館 - あま市民病院 - あま市役所甚目寺庁舎

あま市民病院巡回バス[編集]

市内各地や名古屋第一赤十字病院を結ぶ6路線が運行されている。

この他、停留所はないが名古屋市営バスが市域を通過している。国府宮神社ではだか祭が開催されるときは通常は運行されない稲沢市方面への路線も市内から国府宮駅まで臨時運行される。

道路[編集]

甚目寺北IC

高速道路[編集]

一般国道[編集]

主要地方道[編集]

一般県道[編集]

ナンバープレート[編集]

あま市は、名古屋ナンバー(愛知運輸支局)が割り当てられている。

教育[編集]

高等学校[編集]

中学校[編集]

小学校[編集]

施設[編集]

あま市施設マップ

医療施設[編集]

あま市民病院
  • あま市民病院(旧名称:公立尾陽病院)
  • 医療法人宝会 七宝病院
  • 医療法人和合会 好生館病院

文化施設[編集]

会館[編集]

  • 美和文化会館 - 大ホール収容人員709人(車イス5席、親子席4席)
  • 七宝産業会館
  • 甚目寺産業会館

公民館[編集]

  • 甚目寺公民館 - 大ホール収容人員805人(車イス3席)
  • 美和公民館
  • 七宝公民館

図書館[編集]

  • 美和図書館
  • 七宝公民館読書室
  • 甚目寺公民館図書室

資料館[編集]

七宝焼アートヴィレッジ

公園[編集]

  • リバーサイドガーデン
  • 森ヶ丘公園
  • 二ツ寺親水公園
  • アートヴィレッジふれあい広場

体育施設[編集]

体育館[編集]

  • 甚目寺総合体育館
  • 七宝総合体育館

グラウンド[編集]

  • 七宝グラウンド
  • 七宝鷹居グラウンド
  • 美和グラウンド
  • 蜂須賀グラウンド
  • 森グラウンド
  • 森遊水地グラウンド

テニスコート[編集]

  • 七宝テニスコート
  • 美和テニスコート
  • 甚目寺テニスコート

福祉施設[編集]

福祉施設[編集]

  • 甚目寺総合福祉会館
  • 七宝総合福祉センター
  • 美和総合福祉センターすみれの里
  • 甚目寺老人福祉センター
  • 人権ふれあいセンター
  • 本郷憩の家
  • 森憩の家
  • 新居屋憩の家

児童館[編集]

  • 七宝児童館
  • 美和児童館
  • 甚目寺中央児童館
  • 甚目寺南児童館
  • 甚目寺北児童館
  • 甚目寺西児童館

観光・祭事[編集]

観光名所[編集]

寺院・神社[編集]

あま市内には約140近くの寺院・神社がある[30]

史跡[編集]

  • 蜂須賀城
  • 桂城
  • 深田城趾
  • 阿弥陀寺遺跡
  • 森南遺跡
  • 大渕遺跡
  • 二ツ寺神明社古墳[31]
  • 蜂須賀遺跡
  • 甚目寺遺跡
  • 法性寺跡
  • 清林寺遺跡
  • 篠田廃寺跡
  • 萱津古戦場

街道[編集]

その他の名所[編集]

祭事・イベント[編集]

[33] [34]

  • 甚目寺観音節分会(2月)
  • 八幡神社オコワ祭(2月)
  • 萱津神社献榊祭(4月)
  • 蓮華寺二十五菩薩来迎会(4月)
  • 市民祭「あまつり」(8月)
  • 甚目寺観音桃十日祭(8月)
  • 萱津神社香の物祭(8月)
  • 木田八剱社湯之花神事(10月)
  • イルミネーションフェスタinあま(12月)

文化財[編集]

あま市の文化財は、国指定6件、県指定11件、市指定12件、国登録文化財2件がある[35] [36]

重要文化財(国指定)[編集]

種別 名称 所有者 指定(登録)年月日 所在地
建造物 甚目寺南大門 甚目寺 1900年(明治33年)4月7日 あま市甚目寺
建造物 甚目寺三重塔・東門 甚目寺 1953年(昭和28年)11月4日 あま市甚目寺
絵画 絹本著色不動尊像 甚目寺 1901年(明治34年)3月27日 東京国立博物館
絵画 絹本著色仏涅槃図 甚目寺 1901年(明治34年)3月27日 東京国立博物館
彫刻 木造愛染明王坐像 甚目寺 2012年(平成24年)9月6日 あま市甚目寺
彫刻 鉄造地蔵菩薩立像 法蔵寺 1971年(昭和46年)6月22日 あま市中橋

県指定文化財[編集]

種別 名称 所有者 指定(登録)年月日 所在地
絵画 金剛界及び胎蔵界曼茶羅 蓮華寺 1958年(昭和33年)3月29日 あま市蜂須賀
絵画 田中訥言画蹟郭公の図
蝦蟇の図
襖絵夕影山の図
釈迦院 1958年(昭和33年)6月21日 あま市甚目寺
彫刻 木造仏頭 蓮華寺 1958年(昭和33年)3月29日 あま市蜂須賀
彫刻 木造仁王像 甚目寺 1958年(昭和33年)6月21日 あま市甚目寺
工芸 瑞花双鸞八稜鏡 甚目寺 1965年(昭和40年)5月21日 あま市甚目寺
工芸 梵鐘 甚目寺 1965年(昭和40年)5月21日 あま市甚目寺
書跡 法華経 紫紙鎌倉版 蓮華寺 1958年(昭和33年)3月29日 あま市蜂須賀
名勝 蓮華寺庭園 蓮華寺 1965年(昭和40年)5月21日 あま市蜂須賀
天然記念物 蓮華寺のカヤノキ 蓮華寺 1958年(昭和33年)6月21日 あま市蜂須賀
天然記念物 七宝町のラカンマキ 八幡神社 1955年(昭和30年)6月3日 あま市七宝町遠島
天然記念物 下萱津のフジ あま市 1954年(昭和29年)3月12日 あま市下萱津

市指定文化財[編集]

種別 名称 所有者 指定(登録)年月日 所在地
彫刻 鉄造阿弥陀如来立像 普明院 1991年(平成3年)12月11日 あま市花長
工芸 梵鐘 法光寺 1996年(平成8年)2月1日 あま市七宝町桂
工芸 雲版 廣濟寺 2000年(平成12年)11月1日 あま市七宝町桂
工芸 間取り花鳥文大花瓶 あま市 2015年(平成27年)1月27日 あま市七宝町遠島
書跡 徳川家康筆
徳政免除證文「徳政之事」
あま市 1985(昭和60年)11月8日 あま市花正
書跡 誹諧相伝名目 あま市 1988年(平成1年) あま市花正
史跡 甚目寺境内地 甚目寺 1984年(昭和59年) あま市甚目寺
史跡 七宝焼原産地道標 あま市 2000年(平成12年)11月1日 あま市七宝町桂
歴史資料 尾州海東郡富塚村 御縄打水帳 あま市 1987年(昭和62年)2月2日 あま市花正
無形民俗 香の物祭 萱津神社 1985年(昭和60年)4月22日 あま市上萱津
無形民俗 下之森オコワ祭 八幡神社 2012年(平成24年)10月22日 あま市七宝町下之森
無形民俗 木田八剱社湯の花神事 八剱社 2012年(平成24年)10月22日 あま市木田

国の登録有形文化財[編集]

種別 名称 所有者 指定(登録)年月日 所在地
建造物 實成寺本堂 實成寺 2005年(平成17年)2月9日 あま市中萱津
建造物 實成寺山門 實成寺 2005年(平成17年)2月9日 あま市中萱津

出身有名人[編集]

その他[編集]

  • NTTの市外局番は名古屋市や清須市と同じ052
  • ゴミ処理は名古屋市環境局五条川工場で行う。

公認キャラクター[編集]

  • あまえん坊
誕生日は2010年(平成22年)3月22日、あま市役所横の田んぼで誕生したアマガエル(♂)。服装は旅のお坊さんといったスタイルで、背中には、首には数珠が掛かっている。永らく非公認キャラクターであったが2013年8月13日におこなわれた、あま市公認キャラクター認定書交付式にて晴れて市公認となった[37]TwitterFacebookにより日々あま市をPRしている。ゆるキャラグランプリ2013に初エントリーした。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g あま市の沿革
  2. ^ 七宝・美和・甚目寺町合併協議会だより 9月号
  3. ^ 尾張七宝 あま市七宝焼アートヴィレッジ
  4. ^ あま市のあらまし
  5. ^ あま市の歴史・文化 あま市観光協会
  6. ^ a b 伝統工芸・物産あま市観光協会
  7. ^ あま市の概要
  8. ^ UVa Library Etext Center Japanese Text Initiative 海道記
  9. ^ a b 「あま市ものしり読本」 p.1
  10. ^ 甚目寺誌略
  11. ^ 「あま市ものしり読本」 p.5
  12. ^ a b 「あま市ものしり読本」 p.14
  13. ^ 「あま市ものしり読本」 p.23
  14. ^ 「あま市ものしり読本」 p.17
  15. ^ 「あま市ものしり読本」 p.48
  16. ^ 「あま市ものしり読本」 p.62
  17. ^ 名古屋鉄道 津島線の歴史
  18. ^ あま市章
  19. ^ a b あま市巡回バス
  20. ^ 市の木・市の花
  21. ^ あま市本庁舎 基本構想・基本計画
  22. ^ 海部東部消防組合
  23. ^ 議会の構成 あま市
  24. ^ 農林水産業平成19年度刊愛知県統計年鑑
  25. ^ 平成25年工業統計 愛知県
  26. ^ a b 愛知県の商業(平成19年)
  27. ^ 愛知県あま市の特産&伝統野菜を知ろう
  28. ^ ニッケグループ
  29. ^ 「あいちフレンドシップ交流アルバム」(あいちフレンドシップ交流アルバム)
  30. ^ 神社・寺院一覧(あま市の神社・寺院)
  31. ^ わが街辞典『あま市 暮らしの便利帳』 p.18
  32. ^ a b c あま市文化財マップ 甚目寺地区 あま市
  33. ^ わが街辞典『あま市 暮らしの便利帳』 p.20
  34. ^ あま市観光協会 まつり・イベント
  35. ^ 文化財ナビ愛知
  36. ^ あま市の統計 文化・公共施設 あま市
  37. ^ 公認キャラクターとして認定しました:あま市公式ウェブサイト

関連項目[編集]

外部リンク[編集]