あま市立甚目寺中学校
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あま市立甚目寺中学校 | |
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北緯35度11分59.825秒 東経136度49分12.328秒 / 北緯35.19995139度 東経136.82009111度座標: 北緯35度11分59.825秒 東経136度49分12.328秒 / 北緯35.19995139度 東経136.82009111度 | |
過去の名称 | 海部郡甚目寺町立甚目寺中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | あま市 |
校訓 | 明朗 勤勉 責任[1] |
設立年月日 | 1947年(昭和22年) |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2期制 |
学校コード | C123210003801 |
中学校コード | 230299 |
所在地 | 〒490-1111 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
あま市立甚目寺中学校(あましりつじもくじちゅうがっこう)とは、愛知県あま市にある公立中学校。
概要
[編集]学区は旧甚目寺町の北部地区で、あま市立甚目寺小学校、あま市立甚目寺西小学校、あま市立甚目寺東小学校の卒業生が進学する。
略称は「甚中(じんちゅう)」。
生徒数
[編集]学年 | 男子 | 女子 | 合計 |
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1年 | 116 | 102 | 218 |
2年 | 124 | 109 | 233 |
3年 | 115 | 112 | 227 |
合計 | 355 | 344 | 699 |
(2024年11月1日現在)[2]
沿革
[編集]年表
[編集]- 1947年(昭和22年) - 「海部郡甚目寺町立甚目寺中学校」として開校[3]
- 1953年(昭和28年) - 特別教室竣工(和洋裁室・会議室・図書室)
- 1955年(昭和30年) - 特別教室竣工(理科室・図画室)
- 1962年(昭和37年) - プール竣工
- 1967年(昭和42年) - 体育館竣工
- 1972年(昭和47年) - 愛知県立五条高等学校第1回生の入学式・始業式が当校で行われる
- 1973年(昭和48年) - 校舎増築竣工
- 1978年(昭和53年) - 相撲場設置
- 1979年(昭和54年) - 武道場竣工
- 1980年(昭和55年) - クラブハウス・体育倉庫新設
- 1992年(平成4年) - コンピュータ室新設
- 2010年(平成22年) - 市町村合併に伴い「あま市立甚目寺中学校」に校名を変更
生徒数の変遷
[編集]『愛知県小中学校誌』(2018年)によると、生徒数の変遷は以下の通りである[4]。
1947年(昭和22年) | 361人 | |
1957年(昭和32年) | 598人 | |
1967年(昭和42年) | 675人 | |
1977年(昭和52年) | 1206人 | |
1987年(昭和62年) | 909人 | |
1997年(平成9年) | 618人 | |
2007年(平成19年) | 566人 | |
2017年(平成29年) | 675人 |
学校行事
[編集]- 4月 - 始業式、入学式、新入生を迎える会、オリエンテーション合宿(1年)
- 5月 - 中間テスト、修学旅行(3年)
- 6月 - 期末テスト
- 7月 - 終業式
- 8月 - 夏期休業
- 9月 - 始業式、体育祭、文化祭
- 10月 - 中間テスト
- 11月 - 職場体験学習(2年)、福祉体験学習(1年)、期末テスト
- 12月 - 終業式
- 1月- 始業式、年末テスト(3年)
- 2月- 年末テスト(1・2年)、卒業テスト(3年)、3年生を送る会
- 3月- 卒業式、修了式
部活動
[編集]運動部
[編集]文化部
[編集]特設部
[編集]通学区域
[編集]※ 甚目寺小学校の一部区域の卒業生は、あま市立甚目寺南中学校に進学する。
周辺
[編集]- あま市役所甚目寺庁舎
- 愛知県道126号給父西枇杷島線
- 国道302号(名古屋環状2号線)
- 名古屋第二環状自動車道
- あま市民病院
- 甚目寺公民館
- 甚目寺総合体育館
- 甚目寺駅
- 甚目寺郵便局
- 愛知県立五条高等学校
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ “教育目標”. あま市立甚目寺中学校. 2016年1月24日閲覧。
- ^ 甚目寺中学校生徒数
- ^ 甚目寺中学校沿革
- ^ 六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌 合同記念誌編集特別委員会 2018, p. 459.
- ^ あま市小中学校通学区域一覧
- ^ あま市内中学校境界図