額田郡

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愛知県額田郡の位置(緑:幸田町 薄黄:後に他郡に編入された区域 薄緑:後に他郡から編入した区域)

額田郡(ぬかたぐん)は、愛知県三河国)の

人口39,901人、面積56.72km²、人口密度703人/km²。(2016年2月1日、推計人口

以下の1町を含む。

郡域[編集]

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。

  • 岡崎市の大部分(矢作川以西および赤渋町、法性寺町、上和田町、宮地町、井内町、野畑町、下和田町、坂左右町、国正町、定国町より南西を除く)
  • 豊田市の一部(下山田代町・田折町・蕪木町・蘭町)
  • 幸田町の大部分(野場・永野・須美・六栗・逆川・上六栗・桐山を除く)

歴史[編集]

郡名は出土木簡によると、古代では各田農多とも表記されている。古代氏族の額田部(ぬかたのべ)に由来するという説のほか、ぬかるみの多い土地を意味する古語が転じたという説など諸説ある。戦国時代以降西三河における一大拠点のひとつとして台頭し、徳川家康の出身地となった。江戸時代には岡崎藩をはじめ奥殿藩西大平藩などが設置されたほか、東海道の宿場町も設けられ郡域は発展した。

近世以降の沿革[編集]

  • 慶応4年
    • 4月29日1868年5月21日) - 幕府領・旗本領が三河裁判所の管轄となる。
    • 6月9日(1868年7月28日) - 三河裁判所の管轄区域が三河県の管轄となる。
    • 7月 - 戊辰戦争の処分により磐城平藩領が三河県の管轄となる。
    • 9月 - 三河県の管轄区域のうち旧磐城平藩領・旧幕府領および旧旗本領の大部分(丸平新田・鹿勝川村・丸山村・坂崎村・土呂村・大谷村・高須村・永井村・下細川村・岩堀村・北鷲田村・西脇村・高力村を除く)・吉田藩領の一部(鷲田村)が駿河府中藩領となる。
  • 明治初年 - 菅生町が改称して菅生村となる。(27町1駅184村)
  • 明治2年(27町1駅184村)
  • 明治4年
  • 明治5年(31町1駅181村)
    • 11月27日1872年12月27日) - 愛知県の管轄となる。
    • 六供が分割して岡崎六供町・岡崎八幡町となる。
    • 岡崎康生町・岡崎亀井町・岡崎福寿町が起立。
    • 岡崎城下各町のうち杉本町が杉本村に、極楽寺門前が岡崎蛤町にそれぞれ改称。残部が岡崎を冠称。
    • 菅生村が菅生町に改称。
    • 上毛呂村・下毛呂村が合併して毛呂村となる。
    • 山畑村が土呂村に、中六名村が下六名村にそれぞれ合併。
  • 明治8年(1875年)(31町1駅178村)
    • 下明大寺村の一部が分立して西明大寺村となる。
    • 細野村・光久村が合併して細光村となる。
    • 丸塚村が日影村に、大谷村が上地村に、井ノ口村が柿平村にそれぞれ合併。
  • 明治9年(1876年)(31町1駅170村)
  • 井沢村 ← 竹沢連村、笠井村
  • 六供村 ← 岡崎六供町、岡崎上肴町[一部]
  • 大高味村 ← 法味村、高薄村、大河村
  • 小久田村 ← 赤田和村、小楠村、桃ヶ久保村
  • 菱池村 ← 岩堀村、西脇村、鷲田村
  • 南大須村 ← 南須山村、大山村


  • 明治11年(1878年12月20日 - 郡区町村編制法の愛知県での施行により、行政区画としての額田郡が発足。郡役所が岡崎康生町に設置。同年、以下の各村の統合等が行われる。(26町139村)
  • 細川村 ← 上細川村、下細川村
  • 藤川村 ← 市場村、藤川駅、蓑川村
  • 鍛埜村 ← 大林村、鍛治屋村、土村
  • 河原村 ← 栃原村、河辺村
  • 和合村 ← 馬頭村、生田村、平地村
  • 夏山村 ← 平針村、柿平村、寺平村、鬼沢村、寺野村
  • 福岡村 ← 土呂村、高須村、永井村、萱園村
  • 桜形村 ← 柳田村、名ノ内村、麻生村
  • 八帖村 ← 岡崎松葉町、八町村
  • 上里村 ← 上之里村、東上里村
  • 田折村 ← 上田代村、折地村
  • 大門村 ← 上大門村、大内新田、中大門村、下大門村
  • 大柳村 ← 大ヶ谷村、北須山村、柳村
  • 才栗村 ← 栗木村、才熊村
  • 岩中村 ← 中畑村、岩谷村
  • 久後崎村 ← 国崎町、久後村
  • 中伊村 ← 伊賀谷村、中保久村
  • 明大寺村 ← 下明大寺村、上明大寺村、西明大寺村
  • 梅園村 ← 杉本村、岡崎八軒町


  • 丸平新田が丸山村に、尾尻村が龍泉寺村に、西大平村が大平村に、友久村が秦梨村に、門前村が上里村にそれぞれ合併。
  • 岡崎下肴町が岡崎魚町に、菅生町が菅生村に、岡崎蛤町が中村にそれぞれ改称。
  • 明治16年(1883年10月27日 - 岡崎能見町の田中勘七郎は、三河国碧海郡安城村他六十九ヶ村が高地で乾燥し灌漑にも乏しく、常々干ばつの被害をさけられない事を憂いて、三河国碧海郡阿弥陀堂村の伊豫田興八郎、同城ヶ入村の岡本兵松等が主導する水路開墾に当り自ら奮ってその財主となり、開墾事業を大いに賛助した。これにより良田四千余町歩を得るに至ったことから、公衆の利益を興し成績著名なる者として、賞勲局に於いて藍綬褒章が授章された[9]Eremedaille Japan Blauw.jpg
  • 明治17年(1884年) - 磯部村が東蔵前村に合併。(26町138村)
  • 明治19年(1886年) - 岡崎中町が岡崎能見町に合併。(25町138村)

町村制以降の沿革[編集]

1.岡崎町 2.三島村 3.岡崎村 4.福岡村 5.坂崎村 6.相見村 7.深溝村 8.龍谷村 9.藤川村 10.山中村 11.本宿村 12.豊岡村 13.高富村 14.宮崎村 15.巴山村 16.河合村 17.美合村 18.男川村 19.乙見村 20.形埜村 21.下山村 22.常磐村 23.奥殿村 24.細川村 25.岩津村 26.大樹寺村 27.広幡村(紫:岡崎市 桃:豊田市 赤:幸田町)
  • 明治23年(1890年12月17日 - 巴山村が改称して栄枝村となる。(1町26村)
  • 明治24年(1891年4月1日 - 郡制を施行。
  • 明治26年(1893年11月8日 - 福岡村が町制施行して福岡町となる。(2町25村)
  • 明治28年(1895年5月13日 - 広幡村が町制施行して広幡町となる。(3町24村)
  • 明治36年(1903年1月4日 - 男川村の一部(欠村)が岡崎町に編入。(3町24村)
  • 明治39年(1906年5月1日 - 以下の町村の統合が行われる。いずれも新設合併。(3町15村)
    • 常磐村 ← 乙見村[箱柳・大井野・田口・岩中・板田]、常磐村
    • 岩津村 ← 大樹寺村、岩津村、細川村、奥殿村
    • 岡崎町 ← 岡崎町、三島村、乙見村[稲熊・小呂]
    • 広田村 ← 坂崎村、相見村、深溝村
    • 豊富村 ← 豊岡村、高富村、栄枝村[夏山]
    • 宮崎村 ← 宮崎村、栄枝村[千万町・木下]
  • 明治41年(1908年11月1日 - 広田村が改称して幸田村となる。(3町15村)
  • 大正3年(1914年10月1日 - 広幡町が岡崎町に編入。(2町15村)
  • 大正5年(1916年7月1日 - 岡崎町が市制施行して岡崎市となり、群より離脱。(1町15村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和3年(1928年
    • 5月1日 - 岩津村が町制施行して岩津町となる。(2町14村)
    • 9月1日 - 岡崎村・美合村・男川村および常盤村の一部(箱柳)が岡崎市に編入。(2町11村)
  • 昭和27年(1952年)4月1日 - 幸田村が町制施行して幸田町となる。(3町10村)
  • 昭和29年(1954年8月1日 - 幸田町(こうちょう)が幡豆郡豊坂村と合併して幸田町(こうちょう)が発足。(3町10村)
  • 昭和30年(1955年2月1日 - 福岡町・竜谷村・藤川村・山中村・本宿村・河合村・常磐村・岩津町が岡崎市に編入。(1町4村)
  • 明治31年(1956年9月30日(2町)
    • 豊富村・宮崎村・形埜村および下山村の一部(一色・外山・中伊・富尾・保久)が合併して額田町が発足。
    • 下山村の残部(田代・田折・蕪木・蘭)が東加茂郡下山村に編入。
  • 平成15年(2003年11月14日 - 幸田町が岡崎額田地区合併協議会への参加見送りを決定。
  • 平成18年(2006年1月1日 - 額田町が岡崎市に編入。(1町)

変遷表[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 領主から年貢免除の特権を与えられた土地。
  2. ^ 伝馬所除地が存在。
  3. ^ a b c d e f g h i j 岡崎伝馬所除地が存在。
  4. ^ 松平甚三郎除地が存在。
  5. ^ 杉田新三郎除地が存在。
  6. ^ 天王除地・伴弥太郎除地・岡崎伝馬所除地が存在。
  7. ^ 記載なし。
  8. ^ 記載は六供町。
  9. ^ 『官報』第183号、「褒賞」1884年2月12日。p.8

参考文献[編集]

関連項目[編集]