五所川原市
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| ごしょがわらし 五所川原市 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
|
五所川原立佞武多(2007年) | |||||
| |||||
| 国 |
| ||||
| 地方 | 東北地方 | ||||
| 都道府県 | 青森県 | ||||
| 団体コード | 02205-5 | ||||
| 法人番号 | 2000020022055 | ||||
| 面積 |
404.20km2 | ||||
| 総人口 |
52,559人 [編集] (推計人口、2018年10月1日) | ||||
| 人口密度 | 130人/km2 | ||||
| 隣接自治体 | 青森市、つがる市、北津軽郡板柳町、鶴田町、中泊町、東津軽郡今別町、外ヶ浜町、蓬田村 | ||||
| 市の木 | ハルニレ | ||||
| 市の花 | ノハナショウブ | ||||
| 市の鳥 | カワラヒワ | ||||
| 五所川原市役所 | |||||
| 市長 | 佐々木孝昌 | ||||
| 所在地 |
〒037-8686 青森県五所川原市字岩木町12 北緯40度48分28.9秒東経140度26分24.3秒座標: 北緯40度48分28.9秒 東経140度26分24.3秒 | ||||
| 外部リンク | 五所川原市(公式サイト) | ||||
| ウィキプロジェクト | |||||
五所川原市(ごしょがわらし)は、日本の東北地方最北部、津軽半島中南部に位置し、青森県西部に所在する市である。旧市浦村域は飛地となっている。
地理[編集]
隣接している自治体[編集]
歴史[編集]
年表[編集]
- 本節では、例えば「16世紀後半(戦国時代後期)」と「戦国時代末期(16世紀末か17世紀初頭)」という表記が混在するが、それぞれに「16世紀後半」と「戦国時代末期」が出典元での表記で、( )内は添付情報である。
先史時代[編集]
- 後氷期初頭(新生代第四紀完新世初頭) - ヴュルム氷期(最終氷期)が終焉したことによる全地球規模での気温上昇に伴い、日本列島周辺でも海面上昇が始まる。本州島北端部では峡谷への海進が始まり、十三湖の湾入が出現、岩木川による堆積作用が波及して谷の埋積が進捗し、津軽平野の形成が始まる。
- 縄文時代前期 - 相内露草地区にて、オセドウ遺跡(通称:オセドウ貝塚遺跡)の形成期の始まり/当遺跡の考古学的価値は主として縄文時代にあるが、平安時代の終焉期までの長きに亘る繁栄を確認できる。しかし中世に入って衰退を見せ、消滅している。
- 約3500年前(縄文時代後期後葉) - 相内地区にて、五月女萢遺跡(そとめやち いせき)の形成期の始まり/10世紀前半(平安時代中期)まで栄える。
古代[編集]
中世[編集]
- 13世紀初頭(鎌倉時代後期前葉) - 十三湊(とさみなと)が、豪族・安東氏(津軽安東氏)の本拠地として、和人と蝦夷地のアイヌとの間の重要交易拠点として栄え始め、次第に隆盛に向かう。換言すれば、十三湊遺跡の形成期の始まりである。[1][2][3]
- 興国元年(暦応3年、西暦換算:1340年、南北朝時代初期) - 大海嘯(大津波)で十三湊が壊滅的被害を受けて衰退したとの伝承あり[3]。しかしながら、発掘調査で津波の痕跡は検出されておらず、続く時代の史料との整合性も見られない。
- 14世紀(南北朝時代全期および前後数十年) - 十三湊の拡充と隆盛。
- 15世紀半ば(戦国時代初頭) - 安東氏(津軽安東氏)が南部氏に敗れて支配地を失い、夷島(えぞがしま。蝦夷地のこと[4])へ逃げる。十三湊はこれによって急速に衰微し、和人・蝦夷間の交易拠点としての地位は、野辺地湊(のへじみなと。野辺地湾に面する湊。盛岡藩の北の門戸として江戸時代に隆盛。現在の上北郡野辺地町域にあった)[5][6]や大浜/大濱(現在の青森市油川地区にあった湊で、15世紀末~16世紀に隆盛[7])に奪われる。
- 文明年間(1469-87年間)[2] - 成立時期については定説が無く戦国時代末期(16世紀末か17世紀初頭)などとする説もあるが、日本最古の海洋法規集『廻船式目』が、恐らくは瀬戸内の海賊衆の下で成立する。同書は「三津七湊」について記しているが、七湊の一つとして「奥州津軽十三湊」の名で十三湊を挙げている[3][2]。ただし、実際の十三湊の隆盛期は津軽安東氏の没落と共に終焉を迎えている。
- 16世紀後半(戦国時代後期) - 十三湊が再び整備され、復興が図られる。
近世[編集]
- 近世以降 - 十三湊(とさみなと)の異訓として「じゅうさんみなと」が見られるようになる。
- 江戸時代全般 - 岩木川を下ってきた米を十三湊から鯵ヶ沢湊(現在の西津軽郡鰺ヶ沢町域にあった湊)へと運ぶ「十三小廻し」が行われていた。
- 寛文元年(1661年、江戸時代初期) - 八幡宮の創建。
- 元禄年間(1688-1704年間、江戸時代初期) - 弘前藩第4代藩主・津軽信政の命により、北津軽の新田開墾事業が推し進められる/この時期、溜池も灌漑用水源として数多く築造された。現・五所川原市域では境野沢溜池や藤枝溜池が代表的である。
明治時代[編集]
- 1888年(明治21年)3月21日 - 原子山元にて、七和郵便局の開局。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 全国で町村制が施行され、北津軽郡では行政村として五所川原村を始めとする23か村が成立。
- 1898年(明治31年)7月1日 - 五所川原村が単独で町制を施行し、五所川原町を発足する。
- 1907年(明治40年) - 北津軽郡金木村大字金木字朝日山(のちの金木町朝日山、現・五所川原市金木町朝日山)にて、津島源右衛門邸宅の竣工/この邸宅は、太宰治の生家であり、現在は太宰治記念館 「斜陽館」となっている。
- 1909年(明治42年)6月19日 - 金木村の津島邸で、源右衛門の六男・修治(太宰治)が誕生。
大正時代[編集]
- 1912年(明治45年/大正元年)某月某日 - 五所川原の林旅館が、五所川原─大釈迦間で乗合バスの運行を開始/のち、津鉄バスに発展する。
- 1918年(大正7年)9月25日 - 陸奥鉄道の川部駅─五所川原駅間が開通。
- 1922年(大正11年)
昭和時代[編集]
- 1950年(昭和25年) - 津島家(太宰治の実家)が、太宰の生家でもある金木町の邸宅を売却する。買い取ったのは町内の旅館経営者で、太宰治文学記念館を併設した旅館「斜陽館」として改装され、太宰ファンの多数訪れる観光地となる(※のちの世の言葉では“聖地”の“巡礼”)。
- 1952年(昭和27年)11月26日 - 五所川原税務署襲撃事件の発生。
- 1954年(昭和29年)10月1日 - 五所川原町、栄村、中川村、三好村、長橋村、松島村、飯詰村が合体(新設合併)し、五所川原市(第1次五所川原市)を発足する。
- 1955年(昭和30年)3月某日 - 津鉄バスが弘南バスに買収される。
- 1956年(昭和31年)
- 1958年(昭和33年)
- 1971年(昭和46年)某月某日 - 新たな五所川原市役所本庁舎(2代目)の竣工[8]。
- 1975年(昭和50年)3月31日 - 環境大臣が津軽国定公園を指定。現・五所川原市域では旧・十三村域にある十三湖が指定区域に含まれる。
- 1977年(昭和52年)7月20日 - 栄町にて、五所川原市立図書館の開館。
- 1983年(昭和58年)11月19日 - 芦野池沼群県立自然公園に指定区域の変更あり。
- 1985年(昭和60年)11月6日 - 五所川原市と上ノ国町(北海道)が姉妹都市の盟約を締結。
平成時代[編集]
- 1990年(平成2年)某月某日 - 日本さくらの会が「日本さくら名所100選」を選定し、五所川原市域からは芦野池沼群県立自然公園藤枝ため池が選出される。
- 1996年(平成8年)
- 2018年(平成30年)
行政区域の変遷[編集]
- 1889年(明治22年)4月1日 - 全国で町村制が施行され、北津軽郡では行政村として五所川原村を始めとする23か村が成立。
- 1898年(明治31年)7月1日 - 五所川原村が単独で町制を施行し、五所川原町を発足。
- 1954年(昭和29年)10月1日 - 五所川原町、栄村、中川村、三好村、長橋村、松島村、飯詰村が合体(新設合併)し、五所川原市(第1次五所川原市)を発足。
- 1956年(昭和31年)
- 1958年(昭和33年)4月1日 - 五所川原市が、西津軽郡木造町の小曲を編入。
- 2005年(平成17年)3月28日 - 五所川原市、北津軽郡金木町、市浦村が合体(新設合併)し、改めて五所川原市(第2次五所川原市)を発足。
行政[編集]
- 市長:佐々木孝昌(2018年7月9日就任、1期目)
歴代市長[編集]
| 代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 旧・五所川原市長 | ||||
| 1 | 外崎千代吉 | 1954年(昭和29年)11月20日 | 1958年(昭和33年)11月17日 | |
| 2 | 山内久三郎 | 1958年(昭和33年)11月18日 | 1962年(昭和37年)11月17日 | |
| 3 | 佐々木栄造 | 1962年(昭和37年)11月18日 | 1966年(昭和41年)11月17日 | |
| 4 | 1966年(昭和41年)11月18日 | 1970年(昭和45年)11月17日 | ||
| 5 | 1970年(昭和45年)11月18日 | 1974年(昭和49年)11月17日 | ||
| 6 | 1974年(昭和45年)11月18日 | |||
| 7 | 寺田秋夫 | 1977年(昭和52年)3月30日 | 1981年(昭和56年)3月29日 | |
| 8 | 1981年(昭和56年)3月30日 | |||
| 9 | 森田稔夫 | 1983年(昭和58年)2月6日 | 1987年(昭和62年)2月5日 | |
| 10 | 1987年(昭和62年)2月6日 | |||
| 11 | 佐々木栄造 | 1989年(平成元年)6月18日 | 1993年(平成5年)6月17日 | |
| 12 | 1993年(平成5年)6月18日 | 1997年(平成9年)6月17日 | ||
| 13 | 成田守 | 1997年(平成9年)6月18日 | 2004年(平成13年)6月17日 | |
| 14 | 2004年(平成13年)6月18日 | 2005年(平成17年)3月27日 | ||
| 五所川原市長 | ||||
| - | 成田守 | 2005年(平成17年)3月28日 | 2005年(平成17年)4月17日 | 職務執行者 |
| 1 | 成田守 | 2005年(平成17年)4月26日 | 2006年(平成18年)5月27日 | 途中退職[* 1] |
| 2 | 平山誠敏 | 2006年(平成18年)7月9日 | 2010年(平成22年)7月9日 | |
| 3 | 2010年(平成22年)7月9日 | 2014年(平成26年)7月8日 | ||
| 4 | 2014年(平成26年)7月9日 | 2018年(平成30年)7月8日 | 無投票当選[* 2] | |
| 5 | 佐々木孝昌 | 2018年(平成18年)7月9日 | ||
市議会[編集]
- 議員定数:26人
- 任期:2015年(平成27年)2月16日 - 2019年(平成31年)2月15日
庁舎[編集]
姉妹都市・提携都市[編集]
国内[編集]
地域[編集]
人口[編集]
平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、5.55%減の55,181人であり、増減率は県下40市町村中16位。
| 五所川原市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 五所川原市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 五所川原市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
五所川原市(に相当する地域)の人口の推移![]() ► | |
| 総務省統計局 国勢調査より | |
健康[編集]
保健[編集]
- 五所川原保健所
公的医療機関[編集]
司法機関[編集]
裁判所[編集]
検察庁[編集]
警察機関[編集]
消防機関[編集]
教育[編集]
小学校[編集]
中学校[編集]
高等学校[編集]
学校教育以外の施設[編集]
図書館[編集]
職業訓練施設[編集]
かつて存在した学校[編集]
- 五所川原市立田川小学校
- 五所川原市立七ツ館小学校
- 五所川原市立梅泉小学校
- 五所川原市立鶴ヶ岡小学校
- 五所川原市立藻川小学校
- 五所川原市立長橋小学校
- 五所川原市立羽野木沢小学校
- 五所川原市立五所川原東小学校
- 五所川原市立沖飯詰小学校
- 五所川原市立一野坪小学校
- 五所川原市立毘沙門小学校
- 五所川原市立飯詰小学校
- 五所川原市立嘉瀬小学校
- 五所川原市立喜良市小学校
- 五所川原市立三好中学校
- 五所川原市立金木南中学校
- 青森県立五所川原東高等学校
産業[編集]
工業[編集]
漆川地区に、青森県が計画し五所川原市が事業主体となって青森テクノポリスハイテク工業団地漆川を整備。 2015年現在、団地内では 31施設が稼働している。[11] また、上記団地以外にも誘致企業の工場や拠点は市内に点在している。
商業[編集]
商業拠点の移り変わりと旧市街の衰退[編集]
津軽一帯を集約する商業都市で、エルムの街一帯の完成までは市内の商業拠点は五所川原駅前周辺にあり、中三、マルキ飛島、丸友といった地元資本の百貨店が連立し、同市の発展に力を尽くしたが、次第に近隣市町村への店舗進出やバブル崩壊による影響で経営が悪化し、丸友は平成初頭に閉店、マルキ飛島はエルムの街(イトーヨーカドー)に移転、最後まで残っていた中三も2006年(平成18年)1月に閉店した。
五所川原市は、この現状を踏まえ、旧市街地の区画整理(道路拡張、アーケード撤去も並行して行う)を行い、またエルムの街は第三セクター方式で設立当時から経営し、市全体の衰退を引き止める努力を続けている。
2006年(平成18年)10月にはエルムの街北東にユニバースを核店舗としてアクロスプラザ五所川原が完成した。
農業[編集]
漁業[編集]
伝統工芸[編集]
金融機関[編集]
- つがるにしきた農業協同組合
- ごしょつがる農業協同組合
- 全労済五所川原支所
マスメディア[編集]
郵便[編集]
交通[編集]
道路[編集]
一般国道[編集]
県道[編集]
主要地方道[編集]
一般県道[編集]
その他の道路[編集]
- 五所川原広域農道(通称「こめ米(こめまい)ロード」)
鉄道[編集]
高速バス[編集]
路線バス[編集]
- 弘南バス
- 五所川原 - 青森線(弘南バス五所川原営業所)
- 五所川原⇔原子⇔大釈迦⇔新城⇔新青森駅南口⇔青森
- 弘前 - 五所川原線(弘南バス五所川原営業所)
- 五所川原 - 鰺ヶ沢線(弘南バス鰺ヶ沢営業所)
- 五所川原⇔木造⇔森田⇔鰺ヶ沢
- 五所川原 - 小泊線(弘南バス小泊案内所)
- 五所川原⇔金木⇔中里⇔相内(市浦)⇔下前⇔小泊
- 十三線(弘南バス小泊案内所)
- 五所川原⇔木造⇔車力⇔十三⇔下前⇔小泊
- 五所川原 - 青森線(弘南バス五所川原営業所)
名所旧跡・行事等[編集]
- 自然物等
- 十三湖 - 津軽国定公園指定区域。
- 芦野池沼群県立自然公園 - 「日本さくら名所100選」選定物件。
- 境野沢ため池 - 「ため池百選」選定物件。
- 藤枝ため池 - 「ため池百選」選定物件。
- 金木町玉鹿石(かなぎまちぎょっかせき) - 金木町喜良市字小田川に所在。青森県指定天然記念物。玉鹿石は津軽錦石(つがるにしきいし)の一種で、崖の玄武岩溶岩の中に団塊状に含まれて露出している[13]。
- 神社仏閣
- 山王坊日吉神社(さんのうぼう ひえじんじゃ) - 相内岩井に所在。付近には山王坊遺跡がある。
- 石塔山荒覇吐神社(せきとうざんあらはばきじんじゃ) - 飯詰に所在。
- 飯詰八幡宮(いいづめはちまんぐう) - 飯詰字福泉に所在。[14]
- 八幡宮 - 元町に所在。「五所川原地名発祥之源地」碑がある。
- 鶴ヶ岡八幡宮 - 鶴ヶ岡に所在
- その他の文化財
- 十三湊遺跡 - 十三に所在。国の史跡[15]。十三湖西側の日本海と挟まれた地域でかつて栄えた「十三湊」の遺跡[16]。
- 旧平山家住宅 - 湊字千鳥に所在。国の重要文化財[17]。
- 五所川原須恵器窯跡(ごしょがわらすえきかまあと - 持子沢字隠川に所在。国指定史跡[18]。
- 山王坊遺跡 - 相内に所在。
- 福島城跡 - 相内に所在。
- 唐川城跡 - 磯松唐皮に所在。付近には唐川城跡展望台がある。
- 長谷川水戸口顕彰碑
- 無形文化財、行事等
- 博物館等
- 歴史民俗資料館 - 湊字千鳥に所在。[19]
- 金木歴史民俗資料館 - 金木町芦野に所在。[20]
- 市浦歴史民俗資料館 - 十三土佐に所在する中の島ブリッジパーク内の施設。[21]
- 太宰治記念館 「斜陽館」 - 金木町朝日山に所在。建物は「旧津島家住宅」として国の重要文化財に指定[22]。※右列に画像あり。
- 立佞武多の館 - 大町に所在。※右列に画像あり。
- 観光スポット等
- 中の島ブリッジパーク - 十三土佐に所在。十三湖の西に浮かぶ小島を利用したパークで、資料館やキャンプ場、レストランなどがある。また、島内からは奈良時代の遺跡(中島遺跡)が発見されている。
- 道の駅十三湖高原 - 相内実取に所在。
- 脇元海辺ふれあいゾーン - 脇元野脇に所在。脇元海水浴場やログハウス(宿泊施設)などがある。
- し〜うらんど海遊館 - 磯松山の井に所在。
- 唐川城跡展望台 - 磯松唐皮に所在。
著名な出身者[編集]
- 板垣直子 - 評論家
- 太宰治 - 小説家
- 津島文治 - 政治家
- 佐々木孝昌 - 五所川原市長
- 佐々木誠造 - 前青森市長
- 吉幾三 - 演歌歌手・作詞作曲家
- 羽柴誠三秀吉 - 実業家
- 下山大地 - バスケットボール選手
- 澤田長二郎 - 実業家
- 三上大和 - 俳優
- 仁太坊 - 津軽三味線演奏家
- 二子岳武 - 大相撲力士、小結
- 北勝岩治 - 大相撲力士
- 清水川元吉 - 大相撲力士、大関
- 柏戸利助 - 大相撲力士、大関
- 晃山昌士 - 大相撲力士、十両
- 古川純一 - スキー選手
- 八代目桂文楽 - 落語家
- 三国谷勝範 - 元金融庁長官・東京大学政策ビジョン研究センター教授
- 平山幸司 - 政治家、参議院議員
- 鈴城芹 - 漫画家
- 田中英壽 - アマチュア横綱、日本大学相撲部監督、現日本大学理事長
- 高橋朋子 - サエラのピアノ担当。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 平成18年五所川原市議会第2回臨時会会議録 Archived 2015年9月23日, at the Wayback Machine.2005年(平成17年)10月から病気入院。職務復帰を目指すも7か月に亘る長期の職務離脱に伴い辞職。
- ^ 選挙:五所川原市長選 初の無投票、平山氏が3選果たす/青森 Archived 2015年9月3日, at Archive.is 旧市時代も含めて市制後初の無投票当選。
- ^ 2009年(平成21年)9月末まで本社と工場が設置されており、東芝の「HD-DVD」プレーヤードライブの生産を行っていた。なお、2010年(平成22年)10月以降は本社を八戸に移し、五所川原事業所として主としてコールセンター業務を担当している。東芝メディア機器_所在地
- ^ ただし、半数の便は藤崎町内には停車しない。
出典[編集]
- ^ a b 十三湊遺跡 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ a b c 石山晃子. “十三湊の「みなと文化」 (PDF)”. 港別みなと文化アーカイブス[1](公式ウェブサイト). 一般財団法人 みなと総合研究財団[2](WAVE). 2018年6月10日閲覧。
- ^ a b c “十三湊遺跡”. 講談社『国指定史跡ガイド』、小学館『デジタル大辞泉』. コトバンク. 2018年6月10日閲覧。
- ^ “夷島”. 平凡社『世界大百科事典』. コトバンク. 2018年6月10日閲覧。
- ^ 石山晃子. “野辺地湊(野辺地港・野辺地漁港)の「みなと文化」 (PDF)”. 港別みなと文化アーカイブス[3](公式ウェブサイト). 一般財団法人 みなと総合研究財団[4]. 2018年6月10日閲覧。
- ^ “野辺地湊”. 平凡社『世界大百科事典』. コトバンク. 2018年6月10日閲覧。
- ^ “油川城と大浜”. あおもり 今・昔(公式ウェブサイト). 青森市 (1999年3月15日). 2018年6月10日閲覧。
- ^ a b 五所川原市役所 管財課新庁舎建設準備室. “五所川原市新庁舎建設基本計画”. 公式ウェブサイト. 五所川原市. 2018年6月9日閲覧。
- ^ a b 五所川原市役所 管財課新庁舎建設準備室 (2018年3月). “平成30年3月20日新庁舎が完成しました”. 公式ウェブサイト. 五所川原市. 2018年6月9日閲覧。
- ^ 竹浪正静『鶴田町史』津軽書房、1985年刊、p.842
- ^ 五所川原市 工業団地の概要
- ^ 十三漁業協同組合
- ^ 金木町玉鹿石
- ^ 飯詰八幡宮本殿(県重宝)
- ^ 十三湊遺跡
- ^ 十三湊遺跡(五所川原市公式サイト)
- ^ 旧平山家住宅
- ^ 五所川原須恵器窯跡
- ^ 歴史民俗資料館 Archived 2009年3月31日, at the Wayback Machine.
- ^ 金木歴史民俗資料館 Archived 2009年3月31日, at the Wayback Machine.
- ^ 市浦歴史民俗資料館 Archived 2009年3月31日, at the Wayback Machine.
- ^ 旧津島家住宅
外部リンク[編集]
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