トヨタ・ソルーナ
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ソルーナ(SOLUNA)はトヨタ自動車が1996年から2002年まで東南アジアにて販売されていたサブコンパクトセダンである。
トヨタ・ソルーナ AL5#型 | |
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後期型 1.5GLi (2001年モデル) | |
概要 | |
別名 |
日本 : トヨタ・コルサセダン(5代目) トヨタ・ターセルセダン(5代目) |
販売期間 | 1996年 - 2002年 |
設計統括 | 吉田健 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 4ドア セダン |
駆動方式 | FF |
パワートレイン | |
エンジン | 5A-FE型 1.5L 直4 DOHC |
変速機 | 4速AT/5速MT |
前 |
前:マクファーソンストラット 後:トーションビーム |
後 |
前:マクファーソンストラット 後:トーションビーム |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,380mm |
全長 | 4,245mm |
全幅 | 1,660mm |
全高 | 1,380mm |
車両重量 | 930kg - 970kg |
系譜 | |
後継 | トヨタ・ソルーナヴィオス |
概要
[編集]ターセルセダン、および日本国内専売のコルサセダンがベースのセダン。生産はタイのトヨタ・モーター・タイランド・ゲートウェイ工場で行われていた。
東南アジア市場向けの戦略車種[1]であり、5代目(L50型系)ターセルセダン(日本向けはコルサセダンを含む)をベースに再開発されたエントリーセダンである。開発主査(CE)は後に9代目(E120型系)カローラシリーズ(カローラセダン/カローラフィールダー)の開発主査を担当することとなる吉田健が手掛けた。
開発に当たっては大幅に価格を低減させるという目標をクリアすべく、当時、トヨタ製小型車としては完成の域に達していたカローラをグレードダウンさせるのではなく、新たに低いベースを設定して最小限必要な要素を積み上げていく手法が採られた[2]。
1996年よりタイで先行販売を開始。その後、インドネシアやマレーシアでも販売が開始された。現地のユーザーの要望を幅広く設計し、デザインに取り入れた。
中間所得層が購入可能な価格設定としたこともあって発売直後から人気を博した。しかし、直後に発生したアジア通貨危機を発端とするその後の不況の影響が響き、2000年にはテコ入れとして品質向上に伴うマイナーチェンジ(マルチリフレクターヘッドランプの標準装備、および2分割方式の前後バンパーの採用廃止など)を実施したものの、結果的に東南アジア向けエントリーセダンとしてのイメージリーダー役を果たすことができず、2002年を以って後継車種のヴィオスに後を託す形で販売終了となった。
製造
[編集]- トヨタ・モーター・タイランド・ゲートウェイ工場
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ “Akio Toyoda official - Instagram: ". 12月14日、タイ・バンコクでタイトヨタの60周年を記念する式典を行いました。 私はタイが大好きです。 「微笑みの国」のタイの人々の笑顔と温かさにこれまで何度も勇気づけられ、助けられてきました。 1997年のアジア通貨危機では、トヨタは大打撃を受けながらも、「一人の従業員も解雇しない」という姿勢を貫きました。 前国王のラーマ9世も雇用につながればとのお気持ちから、トヨタが初めてタイ向けに現地で設計・製造した「ソルーナ」を注文してくださいました。 そして、2010年、トヨタがリコール問題に直面したとき、私は米国議会の公聴会で証言することになりました。 とても厳しい事態で、多くの人がトヨタに疑念を抱く中、トヨタへの信頼を世界で初めて表明して下さったのも国王でした。 トヨタがつらいとき、いつも信頼して、手を差し伸べてくださった国王陛下とタイ国民の皆さまには、感謝してもしきれません。 私にとって、何台クルマが売れたかは重要ではありません。 私の一番の願いは、タイのお客さまの心の中でナンバーワンになること。 この国の豊かな経済社会の実現に貢献したいのです。 トヨタとタイの未来は明るい。 そして、これからもっと明るくなる。 私はそう確信しています。 次の60年もタイの皆さまに信頼され、愛される存在になれるよう、必死に努力していくことをお約束します。 On December 14, Toyota Motor Thailand celebrated its 60th anniversary with a ceremony in the capital, Bangkok. I love Thailand. Time and again, I have been inspired and comforted by the warmth and friendliness of the people of Thailand, the “Land of Smiles.” Toyota was hit hard by the 1997 Asian financial crisis, but we managed to stick to our commitment of not laying off a single employee. Seeking to boost employment, even His Majesty, King Rama 9 ordered a Soluna, Toyota’s first model designed and manufactured locally for Thailand. Then in 2010, when Toyota faced recall issues, I was required to testify before congress in the United States. During this very difficult period when many cast doubts on the company, His Majesty was also the first global leader to express trust in Toyota. I will always be extremely grateful to His Majesty and the Thai people for believing in us and extending a helping hand during difficult times. For me, it’s not about how many cars we’ve sold. My greatest wish is to be number one in the hearts of Thai customers. I want to contribute to fostering the country’s prosperous economy. The future for Toyota and Thailand is bright, and I’m certain that it’s only going to get brighter. I promise to continue working hard to earn the trust and affection of the Thai people for the next 60 years as well. #タイトヨタ #ToyotaMotorThailand #創立60周年 #60thanniversary"”. Instagram. 2022年12月24日閲覧。
- ^ “トヨタがわざとガタガタの車を作った理由”. プレジデント・オンライン (2018年11月13日). 2018年11月18日閲覧。