坂東玉三郎 (5代目)

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ごだいめ ばんどう たまさぶろう
五代目 坂東玉三郎

文化功労者顕彰に際して
公表された肖像写真
屋号 大和屋
定紋 花かつみ
生年月日 (1950-04-25) 1950年4月25日(74歳)
本名 1. 楡原伸一
2. 守田伸一
襲名歴 1. 坂東喜の字
2. 五代目坂東玉三郎
別名 守田親市(通名)
十四代目守田勘弥(養父)
当たり役
義経千本櫻』の静御前
助六』の揚巻
京鹿子娘道成寺』の白拍子花子
桜姫東文章』の桜姫
花街模様薊色縫』の十六夜

五代目 坂東玉三郎(ごだいめ ばんどう たまさぶろう、1950年〈昭和25年〉4月25日 - )は、日本歌舞伎役者映画監督演出家歌舞伎名跡坂東玉三郎」の当代。屋号大和屋定紋花勝見(はなかつみ)、替紋は熨斗菱(のしびし)。重要無形文化財保持者(人間国宝)。日本藝術院会員。

十四代目 守田勘弥の養子であり、本名は守田 伸一(もりた しんいち)。通名は守田 親市(もりた しんいち)、旧姓は楡原(にれはら)。

人物

中央が五代目坂東玉三郎

歌舞伎界を背負って立つ立女形。評価の高い舞台での美しさと存在感に加え、昭和歌舞伎を代表する大役者・六代目中村歌右衛門亡き後、かつて歌右衛門がつとめた数々の大役を継承して新しい境地を確立している。若くしてニューヨークメトロポリタン歌劇場に招聘され、アンジェイ・ワイダダニエル・シュミットヨーヨー・マら世界の超一流の芸術家たちと多彩なコラボレーションを展開するなど、その影響と賞賛は世界的なものである。また、映画監督・演出家としても独自の映像美を創造した。

その他にも、演劇全般に関する私塾「東京コンセルヴァトリー」の開校や熊本八千代座保存への協力など、演劇以外にも活躍している。また歌舞伎だけでなく、10代半ばよりレッスンを受けたバレエの実力も、プロ・バレリーナと一緒に踊りをこなしても何の遜色もないどころか、玉三郎自身が一バレエダンサーとしての評価にあずかるほどのものがある。

近年は歌舞伎と縁の薄い邦楽の演出も手がけている。趣味はダイビング

五代目玉三郎は、梨園の出でないばかりか、小児麻痺の後遺症をリハビリで克服したこと、その影響で左利きとなったこと、女形としては長身であること(公称173cm、過去に某雑誌では175cmとも)、芸風や活動方針を巡って六代目歌右衛門との間に永年の確執があったこと(後年和解)など、数々の苦難を克服しつつ精進を続けて今日の地位を築きあげた、現在の歌舞伎界における希有の存在である。

年齢・体力的な理由から2019年を最後に地方での短期公演から引退しており[1]、近年は自身のつとめてきた大役を若手に継承している[2]

また役者デビュー以来、これまで一度もテレビドラマには出演したことがなかったが、2020年NHK大河ドラマ麒麟がくる』に正親町天皇役で出演することになった[3]。この出演の理由について玉三郎は「(主演の)長谷川博己君の父(建築史家の長谷川堯、2019年逝去)と昔からの知己で、博己君から大河ドラマの主演を報告されたので『じゃ、ワンシーンだけでも出た方がいいかも』みたいな話をしたら、このような形になった」と語っている[4]

年譜

受賞歴等

代表作

主な歌舞伎の当たり役

歌舞伎海外公演

近代劇

主な舞台演出作

映画

テレビドラマ

主な映画監督作

テレビ番組

CM

写真集ほか

  • 『真夜中のノート 坂東玉三郎エッセイ集』サンリオ、1976
  • 『玉三郎の邦楽ジョッキー』日本放送出版協会、1977
  • 『坂東玉三郎』篠山紀信写真 講談社、1978
  • 『坂東玉三郎 ひかりの中で』奥村喜一郎・谷田貝高幸写真 松竹株式会社・事業部、1979
  • 『坂東玉三郎 冬の旅 ヨーロッパの古都を歩いて』篠山紀信写真 講談社、1981
  • 『坂東玉三郎 onnagata』大倉舜二 平凡社、1983
  • 桜姫東文章 孝夫・玉三郎』佐藤英世写真、旺文社文庫、1985
  • 『坂東玉三郎の世界』篠山紀信写真 朝日新聞社、1988
  • 『監督坂東玉三郎「夢の女」』岸野正彦写真 NTT出版、1993
  • 『山鹿八千代座 坂東玉三郎華麗に舞う』NTT出版、1993
  • 『坂東玉三郎ナスターシャ写真集』ぴあ、1994
  • 『坂東玉三郎の宇宙』ダンスマガジン編 新書館、1997
  • 『坂東玉三郎 舞台写真集』福田尚武写真 朝日ソノラマ、1998
  • 『ザ歌舞伎座』篠山紀信撮影、玉三郎案内役 講談社、2001、改訂版2009
  • 『五代目坂東玉三郎写真集』篠山紀信 講談社、2007
  • 『THE LAST SHOW TAMASABURO AND THE KABUKIZA』篠山紀信撮影、玉三郎案内役 小学館、2010
  • 『坂東玉三郎 すべては舞台の美のために』小学館・和樂ムック、2009
  • 『坂東玉三郎舞台』福田尚武写真 小学館、2012

関連書籍

  • 中川右介『坂東玉三郎 歌舞伎座立女形への道』幻冬舎新書 2010

脚注

  1. ^ 玉三郎 地方の短期公演から“引退”を宣言「体力的に難しい」/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online(2019年7月25日). 2020年11月1日閲覧。
  2. ^ 玉三郎が梅枝と児太郎に大役継承 きっかけは3年前 - 舞台雑話 - 芸能コラム : 日刊スポーツ”. nikkansports.com(2018年12月1日). 2020年11月1日閲覧。
  3. ^ "坂東玉三郎、「麒麟がくる」でテレビドラマ初出演「大変緊張しております」". スポーツ報知. 報知新聞社. 14 August 2020. 2020年8月14日閲覧
  4. ^ "坂東玉三郎「長谷川君の父と知り合い」大河出演理由". ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. 8 November 2020. 2020年11月8日閲覧
  5. ^ “吉野氏ら文化勲章=功労者は玉三郎さんら”. 時事通信. (2019年10月29日). https://www.jiji.com/jc/article?k=2019102900521&g=pol 2019年10月29日閲覧。 
  6. ^ 令和元年度 文化功労者”. 文部科学省 (2019年11月3日). 2020年11月2日閲覧。
  7. ^ 会員候補者略歴・賞歴等

外部リンク