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[[1903年]]、東京市浅草区[[浅草公園六区]]に、「日本で初めての常設活動専門館」として「[[電気館]]」がオープン。以降、映画は常設の興行メディアとして、東京・大阪といった大都市のみならず、日本全国に拡大した。特に、1930年代[[トーキー映画]]の技法が確立すると、榎本健一など軽演劇の人気者が出演するようになり、その人気が全国的なものとなった。また、落語や漫才もラジオに加え映画によって地方の住民も楽しむようになった。 |
[[1903年]]、東京市浅草区[[浅草公園六区]]に、「日本で初めての常設活動専門館」として「[[電気館]]」がオープン。以降、映画は常設の興行メディアとして、東京・大阪といった大都市のみならず、日本全国に拡大した。特に、1930年代[[トーキー映画]]の技法が確立すると、榎本健一など軽演劇の人気者が出演するようになり、その人気が全国的なものとなった。また、落語や漫才もラジオに加え映画によって地方の住民も楽しむようになった。 |
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1960年代に一般家庭にテレビが普及するまでは、全国に向けてのメディアは、ラジオと映画であり、特に映画は、その予算や影響力から、[[森繁久彌]]などトップスターを輩出した。 |
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日本お笑い史(にほんおわらいし)とは、日本に於ける笑い・演芸の歴史
古代
古事記
『古事記』の中の岩戸隠れのエピソードが記録に残されている日本で最も古い笑いのひとつだと思われる[1]。
神々の暮す高天原(たかまがはら)の統率紳、太陽の神アマテラスオオミカミが、弟スサノオノミコトの乱暴狼藉に腹を立てて岩の洞窟天岩戸(あまのいわと)に閉じこもってしまった。そのため世界が真っ暗になり災いが起こった。そこで神々はアマテラスオオミカミをおびき出す為に岩戸の外で大宴会を行い、女神アメノウズメは着衣を脱いで全裸でこっけいな踊りを披露した。これを見て八百万の神々が一斉に大笑いした。その笑い声が気になったアマテラスオオミカミが、岩戸を少しだけ開けて様子をうかがった所、神々の連携プレーで外に連れ出され、再び世界に光が戻った、というものである。 アマテラスオオミカミが天岩戸に隠れて世の中が闇になるというこの神話は日食を表したものだと解釈されており、神々を笑わせた芸能の女神アメノウズメは日本最古の踊り子と言える。
また山幸彦と海幸彦では、苦難の末に海幸彦を屈服させた山幸彦が、海幸彦を「俳優(わざをぎ)の民」とすると宣言し、滑稽な物真似芸を演じさせている。このエピソードは古代社会において芸能が、神や支配者を楽しませるもの、奉納するものとしての要素があったことを示している。
説話
また、をかしみのある話の源流は『竹取物語』、『今昔物語』または『宇治拾遺物語』に収められた説話にさかのぼる事もできる[1]。
中世
散楽から猿楽、それが能と狂言に
物真似や軽業・曲芸、奇術、幻術、人形まわし、踊りなど、娯楽的要素の濃い芸能の総称として散楽が発達し、そのうちの物真似芸を起源とする猿楽は、後に観阿弥、世阿弥らによって能へと発展した。曲芸的な要素の一部は、後に歌舞伎に引き継がれた。滑稽芸は狂言や笑いを扱う演芸になり、独自の芸能文化を築いていった。奇術は近世初期に和妻となった。散楽のうち人形を使った諸芸は傀儡(くぐつ)となり、やがて文楽(人形浄瑠璃)へと引き継がれていった。
- 御伽衆: 話芸に秀でた講釈話が庶民に広がり、講談や落語の源流となったと言われている。
- 御伽草子: おかしみのある話も多い。
- 鳥獣人物戯画: 「日本最古の漫画」と称されている。
- 病草紙: 様々な病や風俗がユーモラスに描かれている。
- 笑い講: 1199年より続いているといわれる神事。
近世
笑話本、滑稽本
明代の滑稽な話を集めた本(笑話集)の影響を受けて、安楽庵策伝によって『醒睡笑(せいすいしょう)』が1623年に著されている[2]。続いて『昨日は今日の物語(きのふはけふの物語)』や『浮世風呂』(式亭三馬)、『東海道中膝栗毛』(十返舎一九)などが出されて以後日本でもこうした笑話本・滑稽本が書かれるようになった。
江戸時代中期から明治にかけては、漢文の笑話集の和刻本がいろいろと刊行され、広く読まれた。最初に出たのは、寛延四年(1751)に刊行された岡白駒(おかはっく)編『開口新語』である。漢文笑話の原文に訓点を施し、ところどころ漢文の左側に江戸時代の口語で短い訳語を付す、という体裁であった。『開口新語』の成功をうけて、以後、この体裁にならった漢文笑話集が、続々と刊行された。例えば風来山人(平賀源内)も、『笑府』の抄訳『刪笑府』を出版している(右の画像)。「江戸小咄」の原案も、元はこうした和漢の笑話本の翻案に由来しているものが多いとされる。
歌舞伎、文楽
上方と江戸で常設の商業演劇が成立。上方では笑いの要素が意識された作劇がなされた。
- 歌舞伎 東西で大きく芸風が異なり、上方歌舞伎は様式美もさることながら、上方和事と呼ばれる二枚目でありながら可笑しみをもった人物造形が好まれた。役者もアドリブで笑いをとることをためらわない。
- 人形浄瑠璃(文楽) 主に上方で発展したが、深刻な場面の前に「チャリ場」と呼ばれる笑える場面を用いてメリハリをつけた。
落語の成立
江戸時代初期にはじまった「滑稽噺」は、身振りを加えた「仕方噺」と混じり合って盛んになった。上方では「軽口噺」とも呼ばれたが、特に「落ち」が特徴的だったので江戸中期には「落し噺」と呼ばれるようになった。滑稽本に書かれた話が落とし話として演じられることもあった。明治に入って「おとしばなし」を「落語」と書くようになり、明治中期以降はこれを「らくご」と呼ぶようになった。
諸芸
近代
軽演劇の隆盛
レコード文化の到来、ラジオ放送の始まり
1925年、東京放送局(NHKラジオ第1放送)が開局。
- 落語 三遊亭圓右、初代 桂春団治、五代目古今亭志ん生、八代目桂文楽
- 浪花節(浪曲) 二代目広沢虎造、相模太郎、日吉川秋水、広沢瓢右衛門
- 漫談 徳川夢声、柳家三亀松、大辻司郎、山野一郎、牧野周一
- 萬歳から漫才へ
- ボーイズ あきれたぼういず、木下華声、あひる艦隊
喜劇映画の誕生と興隆
1903年、東京市浅草区浅草公園六区に、「日本で初めての常設活動専門館」として「電気館」がオープン。以降、映画は常設の興行メディアとして、東京・大阪といった大都市のみならず、日本全国に拡大した。特に、1930年代トーキー映画の技法が確立すると、榎本健一など軽演劇の人気者が出演するようになり、その人気が全国的なものとなった。また、落語や漫才もラジオに加え映画によって地方の住民も楽しむようになった。
1960年代に一般家庭にテレビが普及するまでは、全国に向けてのメディアは、ラジオと映画であり、特に映画は、その予算や影響力から、森繁久彌などトップスターを輩出した。
戦地慰問活動
現代:テレビの時代
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テレビ創成期
軽演劇からの転身
1953年、NHK・日本テレビが相次いで開局したが、当初一流俳優などはテレビを「電氣紙芝居」として敬遠し、その結果それまで浅草公園六区や新宿などで活躍していた軽演劇の役者など、実力はあるが陽の目を見ず燻っていた者達がテレビの世界に飛び込んだ。三木のり平や八波むと志・由利徹・南利明の「脱線トリオ」、佐山俊二、関敬六・谷幹一・渥美清(のち海野かつをに交替)のスリーポケッツ、石井均一座の他、浅草で人気を博していた大宮敏充の「デン助劇団」などが初期のテレビ・バラエティを飾っていた。
一方、大阪でも梅田の実演劇場・北野劇場に出演していた薄給のコメディアンであった茶川一郎、佐々十郎、芦屋雁之助、芦屋小雁、大村崑等に白羽の矢が立ち、花登筺脚本の一連のコメディーで脚光を浴びた。とりわけ大村は時代の寵児となり、「コンちゃん」ブームを巻き起こした。この他に藤田まことや白木みのる等が進出。吉本新喜劇は当初からテレビを意識して制作されたもので、毎日放送とのタイアップもあり多くのスターを生み出した。一方の松竹新喜劇も看板役者の藤山寛美がよみうりテレビを中心にコメディー数作を発表した。
クレージーキャッツの台頭
1959年、フジテレビ開局と同時に始まった時事コント番組『おとなの漫画』は、本来本格的なジャズバンドであったハナ肇とクレージーキャッツを起用。青島幸男作の洗練された都会的なギャグで一躍市民権を得た。クレージーはこのあと日本テレビの『シャボン玉ホリデー』で更に人気を増し、国民的なお笑いグループとして認知された。特にメンバーの植木等が演じる「無責任男」が高度経済成長を背景とした時流に乗り、大いに当たった。
音楽バラエティ番組
『シャボン玉ホリデー』もそうであったが、この手の番組の嚆矢は同じ日本テレビの『光子の窓』である。草笛光子を主役に起用したこの番組は、歌と踊りと笑いの全てを集約させた音楽バラエティであった。このあと、NHKが『夢であいましょう』をスタート。渥美清、E・H・エリック、黒柳徹子などがコントを演じていた(作・永六輔)。
草笛と黒柳は女性バラエティタレントの先駆者であり、黒柳は現在もなおバラエティ番組に出演し続けている。
寄席芸人の進出
日本テレビ開局当日に発生した放送事故の穴埋め番組出演を機に、2代目三遊亭歌奴(3代目三遊亭圓歌)・三遊亭小金馬(現:4代目三遊亭金馬)・一龍齋貞鳳・3代目江戸家猫八の4人は正力松太郎同社社長に認められ、番組一本を持たされた。これに目を付けたNHKは2代目歌奴以外の三人を引き抜き、『お笑い三人組』をスタートさせる。一方、文化放送で放送された『落語討論会』をフジテレビがテレビ化し、大喜利番組『お笑いタッグマッチ』(5代目春風亭柳昇司会)がスタート。レギュラー陣の4代目柳家小せんが発した「ケメコ」の流行語も相まって一躍人気番組となった。この流れが後述の「演芸ブーム」に繋がる。
喜劇映画の全盛
テレビ創成期にあっては、映画は、いまだ娯楽のメディアとしての優位性を誇っており、特に、カラーテレビの普及までは、手軽ではあるが、画像・音声で劣るものとの認識があった。テレビで人気が出たコメディアンも予算が豊富な映画を重視する傾向があり、クレージーキャッツなどは、ゴールデンウィークや年末といった時季に合わせ、シリーズものの大作喜劇を制作し、爆発的にヒットした。
現代:演芸ブーム(お笑い第一世代)
1962年頃から1969年頃まで続いた、テレビの演芸番組を中心としたブーム。景気後退の中、番組制作費が抑制された各局は制作コストがかからず視聴率が取れる演芸番組に傾斜。また、視聴者の側も不景気による沈滞ムードの中、テレビに笑いを求めていた。
- 代表的な番組
- 代表的なタレント
- 落語 6代目三遊亭圓生、4代目柳亭痴楽、2代目三遊亭歌奴(3代目三遊亭圓歌)、2代目三遊亭小金馬(現:4代目三遊亭金馬)、初代林家三平、3代目古今亭志ん朝、5代目三遊亭圓楽、7代目立川談志、5代目月の家円鏡(8代目橘家圓蔵)、桂歌丸、4代目三遊亭小圓遊、8代目古今亭志ん馬、6代目笑福亭松鶴、3代目桂米朝、5代目桂文枝、3代目桂春団治、2代目笑福亭松之助、初代森乃福郎、3代目笑福亭仁鶴、月亭可朝、桂三枝(現:6代桂文枝)
- 漫才 中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいし、かしまし娘、京唄子・鳳啓助、海原お浜・小浜、平和ラッパ・日佐丸、若井はんじ・けんじ、上方柳次・柳太、漫画トリオ、人生幸朗・生恵幸子、浅草四郎・岡八郎、正司敏江・玲児、レツゴー三匹、横山やすし・西川きよし、リーガル天才・秀才、コロムビア・トップ・ライト、Wけんじ、獅子てんや・瀬戸わんや、青空千夜・一夜、青空はるお・あきお、青空球児・好児、晴乃ピーチク・パーチク、晴乃チック・タック、新山ノリロー・トリロー、内海桂子・好江
- 漫談 牧伸二、東京ぼん太、ケーシー高峰
- ボードビル・大道芸 早野凡平
- コント てんぷくトリオ、トリオスカイライン、ナンセンストリオ、トリオ・ザ・パンチ、ギャグメッセンジャーズ、コント55号、ストレートコンビ、コント・ラッキー7
- コミックバンド ハナ肇とクレージーキャッツ、ドンキーカルテット、ザ・ドリフターズ(志村けんを除く)
- ボーイズ 灘康次とモダンカンカン、横山ホットブラザーズ
- 声帯模写・腹話術 小野栄一、桜井長一郎、八代英太、川上のぼる
- 奇術 アダチ龍光、ゼンジー北京、伊藤一葉
- 太神楽曲芸 海老一染之助・染太郎
喜劇映画の衰退
映画は、その映像などの優位性を失い、かえって、共時性・即時性でテレビに劣るという状況で、お笑いのメディアとしての重要性を急激に失った。
シリーズ形式のコメディ映画でクレージーキャッツを継いだのは、ザ・ドリフターズであったが、このシリーズも1975年で終焉を迎えた。
現代:MANZAIブーム(お笑い第二世代)
1979年から1982年頃まで続いた、テレビの演芸番組を中心としたブーム。演芸ブームの後、コント55号(のちに萩本欽一)・ザ・ドリフターズの2強時代となり、総じて東京発のバラエティー番組がお笑いの主流を占めていた。上記2組の間隙を縫って、せんだみつおや桂三枝(現・6代目文枝)、伊東四朗&小松政夫などが台頭してきたが、この手のバラエティー番組はほぼやり尽くされた感があり、全国ネットのテレビの笑いは一種の砂漠化現象となっていた。
一方、大阪では演芸ブーム以降Wヤング、コメディNo.1、中田カウス・ボタンといった吉本興業の漫才師が台頭し、特に若者に人気の高かった中田カウス・ボタンを筆頭に笑いの潮流が吉本側に傾きつつあった。しかしながら、この傾向はまだ関西ローカルに止まっており、全国向けの関西の演芸は依然としてかしまし娘やレツゴー三匹などが起用され、松竹芸能の力が強かった(松竹でも笑福亭鶴光や笑福亭鶴瓶などが登場してはいた)。
そんな1979年、澤田隆治、横澤彪といったテレビマン達の手により、寄席演芸の色物(傍流)であった漫才がテレビのメインコンテンツに躍り出た。特にパワー溢れた当時の若手上方漫才師達は一躍時代の寵児となり、笑いが流行の最先端となった。吉本興業は関西止まりで燻っていた炎がこの時期一気に爆発した形となり、松竹芸能との形勢を逆転させて東京再進出の足がかりを築いた。また、一方言に過ぎなかった関西弁が漫才ブームの影響で全国的な知名度を得るなど、現在もその影響は大きい。
東京においては小劇場やライブ・スペースを活動拠点にした笑いのストリームが生まれつつあった。この主体となったのは硬直した組織の活動に飽き足らないゲリラ集団であり、東京では傍流であったマセキ芸能社の意欲的な活動や三遊亭円丈の「新作落語」ムーブメントは見過ごせない。また自身でネタを構成する芸人や、深夜放送のハガキ職人出身の放送作家の増加に伴い、若者ウケのよいスピーディーで毒や刺激の強いお笑いが増える。また当時は若手の女性芸人が少なかったこともあり、芸歴で言えば後述のお笑い三世代に該当する山田邦子が新人ながらいきなりブレイクし、1つ上の第二世代に混じって台頭していくこととなる。この点、まだ大阪はテレビ局を軸としており興行資本の「小屋」への資本投下はまだ少し先の話となる。
お笑い第二世代の台頭は芸能界にも大きな影響を与え、それまで歌手や俳優と比べて低く見られていたお笑いタレントの地位が大きく飛躍することとなった。特にツービートから独立したビートたけしはラジオパーソナリティや俳優業、歌手活動や店舗プロデュースなど多岐に渡る活動を行い、今日に続くお笑いタレントの多角活動の先鞭をつけることとなった。
- 代表的な番組
- フジテレビ『THE MANZAI』『笑ってる場合ですよ!』『クイズ漫才グランプリ』『お笑い大集合』
- 日本テレビ『お笑いスター誕生!!』
- テレビ朝日『ザ・テレビ演芸』『お笑い夏(冬)の陣』(朝日放送と共同製作)
- 関西テレビ『花王名人劇場』『激突!お笑いルーレット』
- 代表的なタレント
- 漫才 横山やすし・西川きよし、B&B、ザ・ぼんち、ツービート、のりお・よしお、紳助竜介、オール阪神・巨人、今いくよ・くるよ、太平サブロー・シロー、春やすこ・けいこ、星セント・ルイス、おぼん・こぼん
- 落語 春風亭小朝、2代目桂枝雀、桂文珍、三遊亭圓丈、桂小つぶ(現:桂枝光)、林家しん平、金原亭駒平(現:金原亭世之介)、笑福亭鶴瓶、明石家さんま、三遊亭楽太郎(現:6代目三遊亭円楽)
- コント コント赤信号、ゆーとぴあ、ヒップアップ、コント・レオナルド、ギャグ・シンセサイザー、シティボーイズ、関根勤・小堺一機、志村けん
- 一人コント 小柳トム、イッセー尾形、山田邦子、九十九一
- 漫談 バラクーダ、竹中直人、でんでん
- 奇術 マギー司郎、ナポレオンズ
- 物真似・形態模写 タモリ、片岡鶴太郎、コロッケ
現代:お笑い第三世代
1980年後期から1990年初頭に、テレビの深夜番組を発端としたブーム。演芸ブームを「お笑い第一世代」、漫才ブームを「お笑い第二世代」と数えて「お笑い第三世代」と呼ばれた[4]。
1980年代初頭にメディアを席巻した漫才ブームが、1982年頃を境に人気が低迷期に突入し、ブームに活躍した漫才師は、コンビ解消やピン活動などメディアの幅を拡大させていた。同時期、大阪・吉本興業は新人発掘を目的に、新人タレント養成所「吉本総合芸能学院」(通称:NSC)を開校。養成所からはダウンタウン、ハイヒール、トミーズなどの漫才師が誕生するが、デビュー直後に全国的に認知されるまでに至らなかった。一方東京では、前記のブーム期に放送された「お笑いスター誕生!!」や各局のお笑いオーディション番組で活躍した山田邦子、とんねるずを筆頭に頭角を現し、タモリ、明石家さんま、ビートたけしのビッグ3がテレビ界を独占している状態であった。
1980年代中期、民放各局は深夜放送が急増、セミプロ・アマチュアのタレントの登場により、お笑いシーンに変化が訪れ、若手主体による小劇場やライブ・スペースが東西問わず数多く開催(主に心斎橋筋2丁目劇場、ラ・ママ新人コント大会)され、旧来の師弟関係での定義が薄れ、タレント育成所・ライブ出身者になる新たな仕組みが生まれた。さらに演劇界では、演劇的な笑いを織り交ぜたシティボーイズを代表に新たなジャンルを切り開いた。メディアでは漫才ブーム〜ひょうきん族世代以降のタレントを「ニューウェーブ」や「新人類」と総評し、さらに民放各局が終日24時間放送を実施。深夜番組が一世代に比べて一層に拡大。 その後、後にお笑い第三世代の代表格とされるとんねるずがビッグ3の独占状態だったテレビ界に割って入り、前述の三者のお笑いは古いとまで言わしめた。その後、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンも、とんねるずを追いかけるまでの人気を獲得した。この経緯によりとんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンがお笑い第三世代の代表格とされている。この3組の活躍とともに「楽しくなければテレビじゃない」を標榜し「軽チャー」路線を打ち出したフジテレビが多くのバラエティ番組を制作し人気を博した[5]。 この時代まではお笑い第二世代と同様、お笑い芸人がブレイクする番組のフォーマットは基本的にはコント番組がほとんどであった。
- 代表的な番組
- フジテレビ『オールナイトフジ』『夕やけニャンニャン』『笑いの殿堂』『夢で逢えたら』『とんねるずのみなさんのおかげです』『ラスタとんねるず'94』『とんねるずのみなさんのおかげでした』『1or8』『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』『ダウンタウンのごっつええ感じ』
- 日本テレビ『全員出席!笑うんだってば』『コラーッ!とんねるず』『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』
- テレビ朝日『パオパオチャンネル』
- TBS『ギャグ満点』『ねる様の踏み絵』『うたばん』
- 中部日本放送『デイブレイク』『流行笑会』
- 毎日放送『4時ですよーだ』
- 関西テレビ『ねるとん紅鯨団』
- よみうりテレビ『ざまぁKANKAN!』
- 代表的なタレント
現代:バラエティ番組ブーム(お笑い第四世代)
1990年代に入ると、これまでのバラエティ番組人気の中心となっていたフジテレビに倣う形で、ターゲットおよび内容をサブカルチャー的観点に絞り込んだ多種多様なバラエティ番組が多く制作されることとなった[6]。その結果、バラエティ番組がお笑いブームの中心となる、「テレビっ子の時代」とも言うべきムーブメントが巻き起こったのである。
タモリのボキャブラ天国
視聴者投稿を元に作られていたテレビ番組『タモリのボキャブラ天国』(フジテレビ、タモリ司会)が、徐々にその性格を変えて「大勢の若手芸人がネタを競い合う番組」に変化すると、若い女性などを中心とする特定層の支持を集めたが、番組の人気凋落に伴い、ほとんどの出演者が次第に存在感自体をフェードアウトさせてゆく(つまるところ、しっかりとした下積み経験があったわけではない「ポッと出」の出演者が、視聴者のバブル人気に舞い上がっていただけであった。この現象はのちにも『爆笑オンエアバトル』や『エンタの神様』で繰り返されることになる)。この番組をきっかけに知名度を得た世代をお笑い第四世代と呼ぶことが多い[4]。爆笑問題(厳密に言うと第四世代ではない)、ネプチューン、海砂利水魚(現:くりぃむしちゅー)などは、のちに各局で冠番組を持つことになる。
- その他の出演者
電波少年シリーズ
『進め!電波少年』(日本テレビ、松本明子らが司会)は、アポイントメントなしの突撃インタビューをはじめとして、台本のないドキュメンタリーの味わいを取り込んだ番組だったが、特に後半は若手芸人に私生活を犠牲にした体験・チャレンジ企画をさせて笑いの種とする構成となり、過剰演出(やらせ)の傾向が強くなる。
そんな中で、過酷なヒッチハイク旅行を行なった猿岩石が、お笑いというよりも共感できる等身大の若者といった位置付けで人気を博し、彼らが唄った楽曲が一定の売り上げを集めたり、旅行中に記した日記をまとめた書籍が売り出され、版を重ねるなど、一部特定層において社会現象化する。
しかし、その後同様のコンセプトで、ドロンズ、なすび、ロッコツマニア、矢部太郎(カラテカ)らを起用して話題を提供しつづけたが、あくまで企画自体の面白さが中心にあった為に、企画自体がパターン化すると飽きられるのも早く、番組の人気も急に失速した。また、芸人を育てるというよりも消費し尽くすといった性格が強かった為に、後半になると視聴者からの苦情や批判も殺到するようになり、これも番組が終了するきっかけともなった。
ナインティナインとロケの多様化、同時代性
広告代理店やジャーナリズムによる造語「第四世代」という定義に厳密に合致していないが、ほぼ同時期のものとして、フジテレビ『とぶくすり』(のちの『めちゃ2モテたいッ!』→『めちゃ2イケてるッ!』)や日本テレビ『ぐるぐるナインティナイン』などがあり、これらの番組からナインティナイン、よゐこらが1993年頃から知名度を得た。これらに通底しているのはロケーション撮影(ロケ)の多用、そして同時代性である。
1990年代初頭に漫才スタイルがダウンタウンのもとで飽和に達し、それ以降の芸人やお笑い番組は違うスタイルを築きあげる必要にせまられた。その経済学的にいう(商品)差別化の中でたどり着いたのが、街に繰り出し現場や社会を笑いのネタにするというロケーションの手法であり、「リアル」を笑いにして視聴者を惹きつけるとともに、テレビに映る若者が参加しているという同場所性や、それを通して若者と同世代を生きているという同時代性が親近感を醸成し、ヨコの繋がりを生み出して、漫才やコントとは違う人気に結びついた。これらは、番組をテレビ局で撮ると先輩芸人に偶然会ってしまうという若手芸人の緊張や心理、当時抱いていた劣等感がそれを避ける形を求めたということにもある。
その結果、お笑い第二世代や第三世代の時代に全盛を極めたコント番組が減少し、コント番組以外でブレイクする芸人が出てきたのもこの世代からである。
その他
テレビ番組におけるテロップが頻繁に使われだしたのがこの頃。出演者の発した言葉を逐一字幕化する手法が多用される一方、『電波少年』『めちゃイケ』などでは補足テロップ(『探偵!ナイトスクープ』が発祥とされているツッコミテロップ)を挿入する手法がとられた(共に2000年代も多用されている)。
吉本興業が東京・銀座に進出し、「銀座7丁目劇場」を開場。当初は吉本印天然素材の東上が売りであり、日本テレビやテレビ朝日でタイアップ番組も作成されたが、間もなく他に劇場に出演していたココリコ、ロンドンブーツ1号2号らがテレビ番組に集中的にフィーチャーされることになる。また、NSC東京校が1995年に開校し、東京でも本格的なタレントの育成を手がけるようになった。
ジャニーズ事務所の所属のグループ、SMAPが自身の冠番組、SMAP×SMAPにてスタジオコントに積極的に取り組み、視聴率30%超のブレイクを起こし「平成のクレイジーキャッツ」との異名も取る[7]。その後の所属事務所の後輩のTOKIO、V6、KinKi Kids、嵐、タッキー&翼、関ジャニ∞、KAT-TUN、ジャニーズJr.等のジャニーズ事務所の所属のタレント・アーティスト等がお笑い系のバラエティ番組等に進出する契機となる。
- この世代の代表的な芸人
現代:2000年代のお笑いブーム(お笑い第五世代)
東京吉本の渋谷公園通り劇場が1998年、銀座7丁目劇場が1999年、大阪でも心斎橋筋2丁目劇場が閉館した。そんな中、2001年にルミネtheよしもとが開館し、大阪でも心斎橋筋2丁目劇場に続く若手芸人の拠点として、baseよしもとが開館。また、1999年にスタートした『爆笑オンエアバトル』(NHK)を始め、若手のお笑い芸人たちを発掘しようとする動きが起こり、その他にも2000年代中盤から『エンタの神様』(日本テレビ)、『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)、『笑いの金メダル』(朝日放送)などいわゆる「ネタ見せ番組」が増え始める。また、2001年には島田紳助企画立案の結成10年以内のコンビを参加対象とした新たな漫才コンテスト『M-1グランプリ』(朝日放送)が立ち上がり、翌2002年からは1人芸を対象にした『R-1ぐらんぷり』(関西テレビ→カンテレ・フジテレビ共同)が、2008年からはコントのコンテスト『キングオブコント』(TBS)が開催されるなど、年に1度開催されるお笑いコンテストを生中継する番組が誕生した。
この時期になると吉本興業や太田プロといった老舗のみならず、数多くの芸能事務所からお笑いタレントが登場するようになった。その中にはサンミュージック企画やソニー・ミュージックアーティスツ、ホリプロコム等従来お笑いタレントを手がけていなかった事務所も多数参入している。
フジテレビでは、ビートたけし・明石家さんま・ダウンタウン・ナインティナインに続けと「お笑い8周期説」に則り『新しい波8』が放送された。その後2001年に、キングコングがメインキャストを務めた『はねるのトびら』がスタート。「若手芸人」がブームの中心であったが、「若手」と言ってもその多くが20代後半-30代であるのが特徴的で、(芸歴で考えて)第四世代にあたる中堅芸人と同い年・同期あるいは年上・先輩であるなどといった不思議な現象が起きている。これは、コンビ結成が遅かったり、先のボキャブラ世代の時代にブレイクを逃したり、未だ東京進出を果たしていなかった大阪吉本所属の芸人が多く流入してきたことや、これらの芸人の知名度が低いゆえに正規の第五世代と同じ扱いを受けたことが主な要因である。特に『ボキャブラ天国』に起用されていた芸人(いわゆる「キャブラー」)が東京芸人に偏重していたため[注釈 1]、中川家、ケンドーコバヤシ、たむらけんじ、陣内智則などボキャブラ芸人とほぼ同世代の関西芸人が第五世代のブームによって売れるケースが目立った。
2000年代中期から後期にかけては、先述の4番組の他にも『ウンナン極限ネタバトル! ザ・イロモネア 笑わせたら100万円』や『お笑いメリーゴーランド』(ともにTBS)『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ)での「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」など、短尺のネタを1ネタだけ披露させる構成のネタ見せ番組がブームとなる。ネタの時間が短いため多くの出演者を確保でき、新人芸人の出演チャンスが増やされた事がこれらの番組の大きな特徴である。2007年に放送開始された『あらびき団』(TBS)などでも短いネタ見せを中心としており従来の番組とは趣を異にしている。
このような番組が増える中で、単に番組用にネタ時間を短く調整した漫才やコントだけでなく、もともと短く構成されたショートコントや一発芸、キャラネタ、リズムネタなどが数多く生み出され、そのようなネタに適応したピン芸人が台頭した他、ブリッジを多用した「一発屋」といわれる芸人が急増。ピンネタでブレイクした芸人の中にはレイザーラモンHG、犬井ヒロシ、なだぎ武、世界のナベアツ、ムーディ勝山、天津木村などもともとコンビを組んでいるにもかかわらずピン芸人のような扱いを受けた若手・中堅芸人も多い。一発屋芸人は年末年始の番組に出演し一世を風靡するものの、その年の末から年明けには飽きられその後テレビから姿を消す、という新たなパターンが生まれた。また、こういった芸人はNHK紅白歌合戦に特別出演したり、流行語大賞を受賞するケースがほとんどである。
大ブームを起こした芸人が消費し尽くされてしまうと簡単に忘れられてしまう、という傾向は年を経るごとに激しくなっていた。このようなブームはそれまでお笑いに興味すら示さなかったような人々まで包括したため、その人気の基準は一種のトレンド的な性格を強めるようになり、芸人の在り方の変容ともされたが、一方でそれは笑いのレベルの低下と見る向きもあった。
また次長課長・井上聡、チュートリアル・徳井義実などに代表される“イケメン芸人”が急増したことや、お笑い情報のみを取り扱ったお笑い専門誌が次々に発行されたりといった芸人のアイドル化が見られるようになった。
この時代は一時的にコント番組が復活傾向にあった時期で、『はねるのとびら』『リチャードホール』『10カラット』『ミンナのテレビ』と各局で若手芸人のコントコーナーがある番組が存在していた。
- この時代の代表的な芸人
- 中川家、キングコング、オリエンタルラジオ、チュートリアル、ブラックマヨネーズ、次長課長、シャンプーハット、フットボールアワー、ますだおかだ、品川庄司、アンジャッシュ、アンタッチャブル、おぎやはぎ、笑い飯、麒麟、トータルテンボス、タカアンドトシ、ダイノジ、スピードワゴン、カンニング、ペナルティ、サバンナ、ロザン、ハリガネロック、2丁拳銃、COWCOW、アメリカザリガニ、東京ダイナマイト、ライセンス、バッドボーイズ、プラス・マイナス、オジンオズボーン、ドランクドラゴン、インパルス、ロバート、南海キャンディーズ、アンガールズ、安田大サーカス、博多華丸・大吉、バナナマン、いつもここから、どきどきキャンプ、ザブングル、ハイキングウォーキング、Wエンジン、ずん、イワイガワ、パックンマックン、矢野・兵動、メッセンジャー、どーよ、360°モンキーズ、弾丸ジャッキー、ダブルネーム、北陽、森三中、ハリセンボン、クワバタオハラ、小籔千豊、バカリズム、有吉弘行、柳原可奈子、鳥居みゆき、山本高広、原口あきまさ、ホリ、ミラクルひかる、前田健、はるな愛、末吉くん、ゆうたろう、ケンドーコバヤシ、たむらけんじ、青木さやか、だいたひかる、陣内智則、はなわ、友近、まちゃまちゃ、劇団ひとり、桜塚やっくん、ヒライケンジ、イモトアヤコ、いとうあさこ、椿鬼奴、なだぎ武、なかやまきんに君、ネゴシックス、中山功太、永井佑一郎、あべこうじ、大西ライオン、くまだまさし、長井秀和、マギー審司、世界のナベアツ、波田陽区、芋洗坂係長、ムーディ勝山、小島よしお、髭男爵、ダンディ坂野、ヒロシ、藤崎マーケット、にしおかすみこ、レイザーラモン、小梅太夫、天津、レギュラー、テツandトモ、パペットマペット、エド・はるみ、三瓶、長州小力、アントニオ小猪木、アントキの猪木、パッション屋良、マイケル、若井おさむ、猫ひろし、鉄拳、ザ・たっち、クールポコ。、ジョイマン、響、モエヤン、ゴー☆ジャスなど
現代:2010年代のお笑い
お笑い第六世代
2010年代に入ると、かつての『ボキャブラ天国』の凋落と同様に、2000年代のお笑い人気を支えたバラエティ番組やネタ見せ番組が慢性的な人気低下を抱えるようになる。いわゆる「テレビ離れ」の影響が示唆される中[6]、2010年の『M-1』の一時終了に始まり、やがてほとんどのお笑い番組が放送を終了した(もしくは定期の特番化)。また、BPOによる規制などテレビ局にコンプライアンスが求められるという時代の流れも相まり、ある意味でハラスメント的な性格を含むお笑いバラエティ番組への風当たりが強まったことで[6]、『めちゃ2イケてるッ!』『とんねるずのみなさんのおかげでした』といったかつてお笑いブームを牽引し長寿番組となっていた番組までもが相次いで放送を終了した。
また、コンプライアンス問題は芸能人側にも波及し、不祥事で活動を休止するお笑いタレントも現れ、暴力団関係者との交際が噂されていた島田紳助は多数のレギュラー番組を抱えたまま2011年に芸能界を引退した。2019年にはお笑い芸人による闇営業問題が発覚。特に後者は吉本興業所属タレントが多数関与していたことから、吉本内外からマネジメント体制の不備が批判される事態となった。
しかしそんな中でも、『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』(テレビ朝日)や『人志松本のすべらない話』(フジテレビ)などの実力ある芸人によるトークバラエティ番組や、芸人の他に俳優やタレント、アイドル、知識人などを交えた一般的な情報バラエティ番組などは変わらず安定して人気を獲得。それに伴い「雛壇芸人」というジャンルが大々的に紹介され、「お笑いファン」の間で新たなジャンルとして知られる様になった。また、加藤浩次・近藤春菜の『スッキリ』(日本テレビ)、南原清隆の『ヒルナンデス!』(日本テレビ)、設楽統の『ノンストップ!』(フジテレビ)など、午前-昼間に放送する比較的お笑い要素の少ない情報番組で芸人がMCやコメンテーターを務めるというケースが増加した他、田村裕や又吉直樹の著書がベストセラーとなるなどお笑い芸人の活動に多様化が見受けられるようになる。ただ、このような展開によってお笑い界の第一線に定着したのは第三、第四、第五前期などの世代に該当するような既に「売れている」芸人たちであった[8]。一方、フジテレビにおいて次世代の若手を発掘すべく制作された『新しい波16』から発掘されたメンバーによる『ふくらむスクラム!!』→『1ばんスクラム!!』が放送され、お笑い第六世代の新たなスター発掘が試みられたが、不発に終わる。その後第六世代を中心に一部第五世代を交えたメンバーによる『ピカルの定理』や『ミレニアムズ』、『爆笑レッドシアター』などが放送され、一定の人気を獲得したが、新たなブームを巻き起こすまでには至らなかった。
その一方で、2011年には『THE MANZAI』が『M-1』に代わるお笑いコンテストとして復刻、そして2015年には『M-1』が復活を遂げ(『M-1』復活以降は年1回放送の大型ネタ番組『THE MANZAI プレミアマスターズ』として放送)、年3回放送の大型ネタ番組『ENGEIグランドスラム』(フジテレビ)が放送を開始、2017年には女芸人のコンテスト『女芸人No.1決定戦 THE W』(日本テレビ)が新設された。また、『水曜日のダウンタウン』(TBS = 2014年放送開始)、『さんまのお笑い向上委員会』(フジテレビ = 2015年放送開始)といった比較的過激な内容のバラエティ番組も少なからず存在し[6]、「お笑いとは何か」を新たに問い直す内容も含むことで人気低下への対抗策が講じられている。さらには、「テレビ離れ」を逆手にとる形でAmazonビデオやAbemaTVなどの規制がほぼ入らないインターネット配信サービスを利用したお笑いバラエティ番組の放送も増加しており、お笑い番組やバラエティ番組の大きな変革の時期となっている。
- この時代の代表的な芸人
- サンドウィッチマン、東京03、ナイツ、オードリー、NON STYLE、U字工事、パンクブーブー、はんにゃ、フルーツポンチ、しずる、狩野英孝、我が家、ロッチ、ジャルジャル、フォーリンラブ、モンスターエンジン、ピース、平成ノブシコブシ、ハライチ、渡辺直美、スリムクラブ、Wコロン、2700、ハマカーン、ウーマンラッシュアワー、バイきんぐ、どぶろっく、流れ星、バンビーノ、三四郎、トレンディエンジェル、メイプル超合金、タイムマシーン3号、千鳥、野性爆弾、ダイアン、スーパーマラドーナ、銀シャリ、和牛、ジャングルポケット、かまいたち、パンサー、さらば青春の光、とろサーモン、チョコレートプラネット、佐久間一行、AMEMIYA、スギちゃん、永野、アキラ100%、サンシャイン池崎、あばれる君、アイクぬわら、ハリウッドザコシショウ、じゅんいちダビッドソン、厚切りジェイソン、エハラマサヒロ、梅小鉢、福田彩乃、やしろ優、桜 稲垣早希、キングオブコメディ、ラバーガール、かもめんたる、シソンヌ、ライス、GAG、ニューヨーク、ネルソンズ、ジェラードン、THE GEESE、アルコ&ピース、ANZEN漫才、クマムシ、完熟フレッシュ、アイデンティティ、トム・ブラウン、アインシュタイン、ミルクボーイ、すゑひろがりず、鬼越トマホーク、たんぽぽ、阿佐ヶ谷姉妹、ニッチェ、キンタロー。、おかずクラブ、尼神インター、横澤夏子、平野ノラ、日本エレキテル連合など
お笑い第七世代
2010年代後半になると、1987年(昭和62年)以降に生まれたデジタルネイティブである「ゆとり世代」や[9]、1989年1月8日生まれ以降の平成生まれに該当する、2010年代後半から活躍し始めた若手お笑い芸人を指す俗称として「お笑い第七世代」という言葉が用いられるようになる[10][11]。「お笑い第○世代」という呼び分けについては、「第四世代」以降はそれぞれの活躍時期に照らしてあくまで便宜的に用いられている状況であったのに対し[8]、「第七世代」については2018年M-1グランプリ優勝の霜降り明星・せいやが、上記のような自身と同世代にあたる芸人を「お笑い第七世代」と定義付けて自称し、世代をあげての活躍を目指すことを提言したことに端を発している[8][12]。
この世代の特徴としては、先述したように地上波放送以外のデジタルコンテンツとの関わりが増しているお笑い界において、デジタルネイティブ世代として重要な役割を担うとされ[8]、霜降り明星、ハナコ、EXIT、四千頭身など、YouTubeで活動する芸人も多い。また、ダウンタウンの影響が希薄となっていることが挙げられ[13]、このため、新たな時代のお笑いを形づくることが期待される世代となっている[6][14]。
- この時代の代表的な芸人
現代:平成の落語ブーム
平成に入って、落語界では1993年(平成5年)には初の「女真打」(三遊亭歌る多、古今亭菊千代)が誕生し、1995年(平成7年)には東京の5代目柳家小さん、翌1996年には上方の3代目桂米朝がそれぞれ「人間国宝」に認定され[15]、古典芸能としての地歩を固めた。人間国宝には、その後、2014年(平成26年)に十代目柳家小三治が認定されている。
21世紀に入って、落語界には、マスメディアでも幅広く活躍していた春風亭小朝が発起人となった「六人の会」や、新作落語の隆盛をめざした話芸集団「SWA(創作話芸アソシエーション)」の結成という新たな展開が生まれ、一方では長瀬智也と岡田准一が主人公を演じたテレビドラマ『タイガー&ドラゴン』(TBS系)や連続テレビ小説『ちりとてちん』(NHK)などの影響によって新たな落語ファンが生まれた[15]。
このような現象はしばしば「平成の落語ブーム」と呼ばれる[15]。このブームの特徴は、「落語全般」が好きな落語マニアによるブームではなく、それぞれ自分のことばで語る個性的な落語家各人のファンによるブームであるということで、個別に熱烈なファン層をもつ落語家が多数存在することによっている[16]。
年表(年代別)
19世紀
- 本牧亭開場。
- 3月「アメリカ・リズリー・サーカス」が横浜にて日本初のサーカス興行を行う。
- 鈴本亭(後の鈴本演芸場)開場。
- 新宿末廣亭開場。
1900年代
- 「落語研究会」旗揚げ。
1910年代
- 吉本興業が傘下の寄席を「花月」と改称。
1920年代
- 「浪花落語反対派」消滅。
- 吉本興業が東京・横浜・京都・神戸へも進出する。
1930年代
- 1月 田河水泡著「のらくろ二等卒」、『少年倶楽部』に連載開始。
- 11月22日 神田立花亭で開かれた第41回落語研究会をNHKラジオが初の寄席中継放送。
- 12月 満州事変直後の満州へのお笑い慰問団派遣。メンバーは第1回がエンタツ・アチャコ、花月亭九里丸、神田山陽の3組。第2回がエンタツ・アチャコ、石田一松の2組。
- 吉本興業が吉本演芸通信を創刊。
- 吉本興業発行「吉本演芸通信」の中で、『今後「萬歳」は「漫才」へと表記改称する』と発表。[18]
- 横山エンタツ・花菱アチャコが漫才の傑作、早慶戦を発表。
- 4月1日 古川ロッパが浅草で「笑の王国」を旗揚げ。
- 吉本興業が漫才学校を開校。
1940年代
- 「松竹家庭劇」と「曾我廼家五郎一座」が発展解消、松竹新喜劇を旗揚げ。
- 漫才作家の秋田實が「MZ研進会」を発足。ミヤコ蝶々、南都雄二、夢路いとし・喜味こいし、秋田Aスケ・Bスケ、ミスワカサ・島ひろし等を輩出。
- 初の落語研究会が早稲田大学に出来る。
1950年代
- 4月1日 読売新聞朝刊に「USO放送」が初めて掲載される。
- 8月16日 浅草フランス座開場。
- 9月1日 日本初の民間放送ラジオ、中部日本放送(CBCラジオ)と新日本放送(現在の毎日放送=MBSラジオ)が開局。
- 4月1日 日本タイムズ(現ジャパンタイムズ)が日本最初のエイプリルフール記事とされる[19]、「ソ連爆撃機 羽田着陸」を一面掲載。一見して真偽が判別しづらく、さらにオチがないとして酷評された[20]。
- NHKが主催する、第1回NHK新人漫才コンクール開催。優勝は獅子てんや・瀬戸わんや。
- 1月3日 東宝映画森繁久彌主演社長シリーズ第一作『へそくり社長』公開。1970年まで33作が制作される。
1960年代
- ラジオ大阪が主催する、第1回上方漫才大賞開催。漫才大賞受賞者はかしまし娘。
- 5月15日 『笑点』(日本テレビ)放送開始。初代司会は立川談志。
- 6月30日・7月1日 ザ・ドリフターズがビートルズ日本公演の前座を務める。
- 浅井企画設立。
- ボーイズバラエティ協会設立。
- 松竹芸能タレント養成所(後の松竹芸能タレントスクール)設立。
- 1月1日 フジテレビ『初詣!爆笑ヒットパレード』が放送開始。
- 4月1日 フジテレビ『お昼のゴールデンショー』放送開始、コント55号他が出演。現在の『笑っていいとも!』まで続く平日正午枠のバラエティ路線の源流となった。
- 7月7日 第8回参議院議員通常選挙にて青島幸男、横山ノックが初当選。
- 7月13日 フジテレビ『コント55号の世界は笑う』放送開始。この番組の放送から長年にわたる土曜8時戦争が始まった。
- 4月6日 フジテレビ『唄子・啓助のおもろい夫婦』放送開始。(1985年放送終了)
- 4月27日 日本テレビ『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』放送開始。野球拳が社会現象になる。
- 7月3日 毎日放送『ヤングおー!おー!』放送開始。(1982年放送終了)
- 8月27日 松竹映画『男はつらいよ』(主演渥美清)第1作目上映。(1995年まで48作を制作)
- 10月4日 TBS『8時だョ!全員集合』放送開始。(1985年放送終了)
- 10月5日 フジテレビ『サザエさん』放送開始。
- 10月7日 日本テレビ『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』放送開始。ハナ肇の「アッと驚く為五郎」、巨泉の「うーしししし」が話題となる。(1971年放送終了)
- 11月1日 ザ・ドリフターズ「ズンドコ節」発売。オリコン最高位2位、売り上げ枚数115万枚以上記録。
1970年代
- 1月31日 朝日放送『新婚さんいらっしゃい!』放送開始。2015年現在も放送中。
- 3月6日 NHK大阪放送局が主催する、第1回NHK上方漫才コンテスト開催。最優秀話術賞はコメディNo.1、優秀努力賞は若井小づえ・みどり、優秀敢闘賞はレツゴー三匹が受賞。
- 読売テレビが主催する、第1回上方お笑い大賞開催。大賞受賞者は六代目笑福亭松鶴、三代目桂米朝。
- NHKが主催する、第1回NHK新人落語コンクール開催。最優秀賞は柳家小三太。演目は「時そば」。
- 5月10日 宮史郎とぴんからトリオ「女のみち」発売、累計売上325.6万枚、オリコンチャートシングル売上歴代2位等を記録。
- 10月9日 ニッポン放送『欽ちゃんのドンといってみよう!』放送開始。
- 1月8日 TBSラジオ『小沢昭一の小沢昭一的こころ』放送開始。(2012年放送終了)
- 3月9日 六代目三遊亭圓生、御前口演を行う。
- 4月2日 フジテレビ『ひらけ!ポンキッキ』放送開始。
- 4月4日 田辺エージェンシー設立。
- 10月 フジテレビ『ものまね王座決定戦』放送開始。
- オイルショックのため、テレビ深夜放送が休止される。
- 1月 ビックリハウス創刊。
- 4月3日 ニッポン放送『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』放送開始。
- 10月9日 山上たつひこ著『がきデカ』、『週刊少年チャンピオン』に連載開始。
- 4月5日 フジテレビ『欽ちゃんのドンとやってみよう!(欽ドン!)』放送開始。
- 4月6日 朝日放送・吉本興業『日曜笑劇場』放送開始。第1作は「あっちこっち丁稚」。(2013年放送終了)
- 10月 秋田實主宰「笑の会」発足。多くの漫才師が輩出。
- 10月4日 フジテレビ『タイムボカン』放送開始。この作品のヒットにより、『タイムボカンシリーズ』が誕生した。
- 4月2日 日本テレビ『カックラキン大放送!!』放送開始(正式レギュラー化)。
- 4月11日 中京テレビ『お笑いマンガ道場』放送開始。
- 10月 秋本治著『こちら葛飾区亀有公園前派出所』、『週刊少年ジャンプ』にて連載開始。
- 10月6日 NETテレビ→テレビ朝日『欽ちゃんのどこまでやるの!?』放送開始。21時台に放送される初のバラエティー番組。
- 10月11日 NETテレビ→テレビ朝日『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』放送開始。キャラクターデンセンマンが人気を博す。(1978年放送終了)
- プロダクション人力舎設立。
- 2月8日フジテレビ『ドリフ大爆笑』放送開始。
- 9月 石井光三オフィス設立。
- 落語協会分裂騒動:三遊亭圓生一門、古今亭志ん朝一門、橘家圓蔵一門が、それまで所属していた「落語協会」から独立して「落語三遊協会」を設立。落語協会が真打ちを乱造することに反発したのが理由だった。落語界全体に大きな波紋を呼び、一時は落語協会の半数が新団体に移るという予測もされたが、実際には様々な要因があって参加を見送るものが相次ぐ。さらには新団体参加者の寄席出演が拒否されたため、志ん朝一門と圓蔵一門は早々に離脱。翌年に落語三遊協会は自然消滅。
- 4月9日 ラジオ大阪『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』放送開始。
- 10月1日 博品館劇場開場。
- 1月11日 イザワオフィス設立。
- 3月23日 国立演芸場開場。
- 10月7日 関西テレビ『花王名人劇場』放送開始。漫才ブームの礎を築いた一方で、芦屋雁之助主演のドラマシリーズ『裸の大将放浪記』などの企画で人気を博す。
- 12月31日 日本テレビ『欽ちゃんの仮装大賞』放送開始。
1980年代
- 2月1日 五代目三遊亭圓楽が大日本落語すみれ会(後の円楽一門会)を結成。
- 4月 朝日放送が主催する、第1回ABC漫才落語新人コンクール開催。最優秀新人賞は漫才の部で前田一球・写楽、落語の部で桂雀三郎がそれぞれ受賞。
- 4月 マンスリーよしもと創刊。
- 4月1日 フジテレビ『THE MANZAI』放送開始。前年から火がつき始めた漫才ブームが本格的に勃発。
- 4月12日 日本テレビ『お笑いスター誕生!!』放送開始。
- 6月5日 イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のアルバム『増殖』発売。曲の間にスネークマンショーのコントが挟み込まれる。
- 1月1日 ニッポン放送『ビートたけしのオールナイトニッポン』放送開始。
- 4月4日 日本テレビ『今夜は最高!』放送開始。
- 5月16日 フジテレビ『オレたちひょうきん族』放送開始。
- 8月5日 イモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」発売。ミリオン・セラーを記録。
- 4月4日 吉本興業がNSC(吉本総合芸能学院)を大阪に開校。第1期生はダウンタウン、トミーズ、ハイヒール、内場勝則など。
- 4月10日 とんねるず『お笑いスター誕生!!』でグランプリ獲得。
- 10月4日 フジテレビ『森田一義アワー 笑っていいとも!』放送開始。(2014年放送終了)
- 10月8日 テレビ朝日『タモリ倶楽部』放送開始。
- 10月5日 毎日放送『突然ガバチョ!』放送開始。
- 11月3日 本多劇場開場。
- 4月 五代目三遊亭圓楽の一門「円楽一門会」が出演する寄席、「若竹」が開設される。
- 4月1日 フジテレビ『夕やけニャンニャン』放送開始。
- 4月6日 NHK『バラエティー生活笑百科』放送開始。
- 4月8日 関西テレビ『さんまのまんま』放送開始。
- 4月14日 日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』放送開始。
- 4月16日 テレビ朝日『ビートたけしのスポーツ大将』放送開始。カール君などが人気を博す。
- 7月2日 フジテレビ『第1回爆笑!スターものまね王座決定戦』放送開始。後にものまね四天王を中心にしたブームを巻き起こす。
- 7月15日 ビートたけし原作『たけしくん、ハイ!』が、NHK銀河テレビ小説にて放送開始。
- 10月6日 TBS『アッコにおまかせ!』放送開始。
- 10月7日 フジテレビ『冗談画報』放送開始。
- 10月15日 ニッポン放送『とんねるずのオールナイトニッポン』放送開始。
- 1月24日 渡辺正行主催によるお笑いライブ「第1回ラ・ママ新人コント大会」開催。若手芸人の登竜門的存在になる。
- 4月28日 フジテレビ『志村けんのバカ殿様』放送開始。
- 5月2日 TBS『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』放送開始。
- 5月10日 心斎橋筋2丁目劇場開館。
- 3月31日 京都花月劇場閉館。
- 4月14日 よみうりテレビ『鶴瓶上岡パペポTV』放送開始。
- 4月29日 3代目桂米朝が紫綬褒章受章。
- 7月18日 フジテレビ『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島』(FNSの日)開始。深夜、タモリ・ビートたけし・明石家さんまのいわゆるビッグ3が初共演。
- 10月3日 関西テレビ『ねるとん紅鯨団』放送開始。
- 11月1日 なんばグランド花月開場。
- 11月16日 フジテレビ『志村けんのだいじょうぶだぁ』放送開始。
- オフィス北野設立。
- 3月5日 朝日放送『探偵!ナイトスクープ』放送開始。
- 4月3日 ABCラジオ『誠のサイキック青年団』放送開始。
- 10月13日 フジテレビ『とんねるずのみなさんのおかげです』レギュラー放送開始。1997年に『とんねるずのみなさんのおかげでした』にリニューアル。
- 12月24日 松竹映画『釣りバカ日誌』(主演:西田敏行)第1作目が上映。
- 1月2日 日本テレビ特別番組『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』第1回大会開催。以降年3回の放送ペースで1996年まで19回開催。第1回優勝者は林家ペー。
- 1月7日 昭和天皇崩御によりお笑い番組が一週間自粛される。
- 10月2日 九州朝日放送『ドォーモ』放送開始。
- 10月3日 日本テレビ『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』放送開始。開始当初は関東地区ローカル放送。
1990年代
- 1月7日 フジテレビ『ちびまる子ちゃん』(さくらももこ原作)放映開始。
- 4月16日 毎日放送『痛快!明石家電視台』放送開始。
- 8月 臼井儀人著『クレヨンしんちゃん』、『漫画アクション』にて連載開始。1992年にテレビ朝日でアニメ化。
- 12月29日 毎日放送『オールザッツ漫才』放送開始。
- 9月5日 上方落語ファン感謝イベント『彦八まつり』第1回開催。
- 11月29日 とんねるずが「情けねぇ」で芸人初の「日本歌謡大賞」を受賞。
- 12月1日 チャーリー浜が「…じゃあ〜りませんか」で新語・流行語大賞受賞。
- 12月8日 フジテレビ『ダウンタウンのごっつええ感じ』が、レギュラー放送開始。
- 人力舎がスクールJCAを東京に開校。第1期生に児嶋一哉。
- 1月栃木県藤原町に日光猿軍団をオープン。
- 4月14日 テレビ東京『浅草橋ヤング洋品店』放送開始。
- 7月5日 日本テレビ『進め!電波少年』放送開始。
- 10月9日フジテレビ『新しい波Sinpa』放送開始。
- 10月10日 よみうりテレビ『たかじんnoばぁ〜』放送開始。
- 10月14日 フジテレビ『タモリのボキャブラ天国』、放送開始。
- タカアンドトシがこの年誕生した「札幌吉本」のオーディションに合格。札幌契約の第一号タレントとなる。
- 3月27日 銀座7丁目劇場開館。
- 4月4日 ニッポン放送系『ナインティナインのオールナイトニッポン(第1期)』放送開始。
- 4月10日、『ぐるぐるナインティナインHi−tensionTV』放送開始。
- 4月16日 日本テレビ『恋のから騒ぎ』放送開始。
- 7月9日 日本笑い学会設立。
- 10月5日 松本人志著のエッセイ本『遺書』発売。200万部を超えるベストセラーに。
- 10月17日 フジテレビ『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』放送開始。今までに無いトーク主体型音楽番組の嚆矢となる。
- 五代目柳家小さんが人間国宝に認定される。
- 1月17日 阪神・淡路大震災で関西一帯が被災。なんばグランド花月をはじめ関西各地の舞台・ライブが中止・延期となる。
- 3月15日 浜田雅功(ダウンタウン)が小室哲哉プロデュースによるユニット・H Jungle with tの1stシングル「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」を発売。210万枚を超える大ヒットを記録。
- 4月9日 第13回統一地方選挙で青島幸男が東京都知事に初当選、横山ノックが大阪府知事に初当選。
- 10月10日 TBSラジオ『伊集院光 深夜の馬鹿力』放送開始。
- 10月28日フジテレビ『めちゃ×2モテたいッ! -I wanna be POP!-』放送開始。
- 三代目桂米朝が重要無形文化財(人間国宝)に認定。
- 4月1日テレビ朝日『あなあきロンドンブーツ』放送開始。
- 4月15日 フジテレビ『SMAP×SMAP』放送開始。(2016年放送終了)
- 9月3日 8月4日に死去した渥美清が国民栄誉賞を受賞する。
- 10月9日 北海道テレビ放送『水曜どうでしょう』放送開始。
- 10月19日 フジテレビ『めちゃ×2イケてるッ! -What A COOL we are!-』放送開始。
- 11月15日 大阪府立上方演芸資料館開館。
- 12月21日 猿岩石のデビューシングル「白い雲のように」が発売。113万枚でミリオンセラーを達成する。
- 五代目桂文枝が紫綬褒章受章。
- サンミュージック企画お笑い部門が再建。
- 4月8日 TBSラジオ『爆笑問題カーボーイ』放送開始。
- 4月15日、テレビ朝日『 ぷらちなロンドンブーツ』放送開始。
- 9月6日 ビートたけしが本名の「北野武」名義での監督作品『HANA-BI』で第54回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞(グランプリ)を受賞。
- 10月28日 日本テレビ『踊る!さんま御殿!!』放送開始。
- 4月18日、『イナズマ!ロンドンハーツ』(現・ロンドンハーツ)放送開始。
- 10月21日
- 3月27日 NHK総合『爆笑オンエアバトル』放送開始。同年に第1回チャンピオン大会が開催されDonDokoDonが優勝。
2000年代
- 4月 東京都新宿区にルミネtheよしもとオープン。
- 4月10日、『はねるのトびらYou knock on a jumping door!』放送開始。
- 4月21日 日本テレビ系ドラマ『明日があるさ』がスタート(同年6月30日まで)。
- 12月30日 島田紳助企画立案、吉本興業主催の漫才コンテスト『M-1グランプリ』の第1回決勝戦が開催。初代優勝者は中川家。この模様は朝日放送・ANN系列で生放送された。
- 9月30日 綾小路きみまろ『綾小路きみまろ 爆笑スーパーライブ第1集! 中高年に愛を込めて…』が演芸CDとしては驚異のミリオンセールスを達成。
- 10月6日 M-1グランプリのピン芸人版と言える『R-1ぐらんぷり』決勝戦が開催。第1回優勝者はだいたひかる。
- 10月6日 フジテレビ系列『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』が放送開始。当初は関東ローカル。
- 五代目桂文枝が旭日小綬章を受章。
- 4月7日 テレビ朝日系列 『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』放送開始。
- 4月19日 日本テレビ系列『エンタの神様』放送開始。ショートネタブームの嚆矢になる。
- 8月31日 毎日放送主催の漫才コンテスト『MBS新世代漫才アワード』第1回大会が開催。初代優勝者はフットボールアワー。
- 12月1日 テツandトモが「なんでだろ〜」で新語・流行語大賞を受賞。
- 10月 ワタナベコメディスクール開校。第1期生はハジメ(フォーリンラブ)など。
- 1月27日 劇団ひとりの小説『陰日向に咲く』が発売、100万部を突破した。
- 3月22日 爆笑問題が芸術選奨文部科学大臣賞放送部門を受賞。放送部門のバラエティジャンルからは史上初の受賞となった。
- 9月15日 戦後60年間上方落語に途絶えていた定席の寄席、天満天神繁昌亭(大阪市北区)がオープン。
- 1月21日 第21回宮崎県知事選挙に、無所属で出馬していたそのまんま東(東国原英夫)が当選。
- 2月18日 『爆笑レッドカーペット』第1回レギュラー放送が放送。第1回のレッドカーペット賞受賞者は柳原可奈子。
- 7月31日 田村裕(麒麟)による自叙伝。『ホームレス中学生』が225万部を超えるベストセラーに。
- 10月5日 M-1、R-1のコント版と言える『キングオブコント』決勝戦が開催。初代キングオブコントはバッファロー吾郎。
- 11月28日 京橋花月がオープン。
- 12月1日 エド・はるみが「グー」で2008年度の新語・流行語大賞を受賞。
2010年代
- 3月3日 読売テレビ主催の演芸コンテスト『ytv漫才新人賞』第1回大会の決勝戦が開催。初代優勝者はモンスターエンジン。
- 4月8日 吉本興業創業100周年特別公演初日「伝説の一日」がなんばグランド花月で開催[21]され、4公演に208組277人が出演。
- 7月25日 この日発売の『内村さまぁ〜ず』DVD40巻が「1つの日本のバラエティ番組における最多DVDリリース数」としてギネス世界記録に認定される[22]。
- 10月1日 吉本興業と滋賀県湖南市が包括的連携協定。個別の自治体と会社単位の協定は今回が初[23]。
- 12月3日 スギちゃんが「ワイルドだろぉ」で新語・流行語大賞を受賞。
- 12月20日 「よしもと幕張イオンモール劇場」がオープン。
- 2月3日 名古屋・大須演芸場が強制執行により閉館。
- 3月31日 『森田一義アワー 笑っていいとも!』が32年間8054回で放送を終了、テレフォンショッキング最後のゲストはビートたけし。『笑っていいとも!グランドフィナーレ 感謝の超特大号』ではとんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、爆笑問題、ナインティナインらが共演した。
- 7月7日 「沼津ラクーンよしもと劇場」と「大宮ラクーンよしもと劇場」がオープン。
- 9月25日 「ナインティナインのオールナイトニッポン(第1期)」が20年半、1013回で放送終了。オールナイトニッポンでも最長記録を保持しており、2020年5月14日より第2期が開始された。
- 12月1日 日本エレキテル連合が「ダメよ〜ダメダメ」で新語・流行語大賞を受賞。
- 12月5日 タモリが第62回菊池寛賞を受賞。
- 3月12日 よしもと沖縄花月がオープン。
- 7月16日 又吉直樹(ピース)の小説「火花」が第153回芥川賞を受賞。
- 9月22日 名古屋・大須演芸場、一年半ぶりに再開場。
- 12月6日 5年ぶりに開催されたM-1グランプリ2015の決勝戦でトレンディエンジェルが優勝。
- 1月11日 第1回上方漫才協会賞が開催され、アインシュタインが大賞を受賞。
- 3月9日 オール阪神・巨人が第66回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
- 5月31日 桂歌丸が文部科学大臣表彰を受章。
- 10月25日 ビートたけしがレジオン・ドヌール勲章オフィシエを受章。
- 10月29日 ピコ太郎の「ペンパイナッポーアッポーペン」が、Billboard Hot 100で初登場77位を記録し、日本人として松田聖子に次ぐ26年振り・7人目のチャートインを果たす[24][25]。
- 11月3日 西川きよしが旭日重光章を受章。
- 6月10日 横山ホットブラザーズが大阪市の無形文化財に指定される。
- 9月25日 「よしもと西梅田劇場」がオープン。
日本お笑い界での主要イベント
現在も開催中のイベント
カッコ内は主催者および出場資格
- 1月 上方漫才協会大賞(上方漫才協会・吉本興業、芸歴10年以内)
- 3月 R-1ぐらんぷり(吉本興業、プロアマ分離開催、芸歴制限なし)
- 3月 NHK上方漫才コンテスト(NHK大阪放送局、コンビ結成10年未満)
- 3月 ytv漫才新人賞(読売テレビ、大阪拠点で芸歴10年以内)
- 4月 上方漫才大賞(ラジオ大阪・関西テレビ、芸歴制限なし)
- 7月 ABCお笑いグランプリ(ABCテレビ、デビュー10年以内)
- 7月 漫才新人大賞(漫才協会、漫協所属でコンビ結成20年以内)
- 7月 ツギクル芸人グランプリ(日本音楽事業者協会、協会加入事務所の被推薦者)
- 8月 今宮子供えびすマンザイ新人コンクール(今宮戎神社子供戎漫才新人コンクール事務局、コンテスト受賞歴なしのコンビ)
- 9月 ハイスクールマンザイ(吉本興業、高校生限定)
- 9月 歌ネタ王決定戦(MBSテレビ、芸歴制限なし)
- 9月または10月 キングオブコント(吉本興業、芸歴制限なし)
- 10月 NHK新人演芸大賞(NHK、お笑い部門は芸歴10年未満のプロ、落語部門は入門15年未満の二ツ目格)
- 12月 M-1グランプリ(吉本興業、コンビ結成15年以内)
- 12月 女芸人No.1決定戦 THE W(吉本興業、女性芸人限定で芸歴制限なし)
- 12月 Cygames THE MANZAI マスターズ(フジテレビ、招待制の非コンテスト)
- 12月 オールザッツ漫才(MBSテレビ、非コンテスト)
- 春・秋の年2回 IPPONグランプリ(フジテレビ、招待選手のみ)
- 不定期(年一回)
- MBSラジオ演芸ヤングスネーク杯
- ものまねグランプリ
- ものまね王座決定戦
開催が終了したイベント
- 爆笑オンエアバトル チャンピオン大会
- 笑いの超新星
- ビートたけしのお笑いウルトラクイズ
- 上方お笑い大賞
- お笑いスター誕生!!
- M-1甲子園
- お笑いホープ大賞
- S-1バトル
- MBS漫才アワード
- オンバト+ チャンピオン大会
- 日清食品 THE MANZAI
- お笑いハーベスト大賞
脚注
注釈
- ^ 当時は吉本興業所属の芸人の起用が現在では考えられない程極端に少なく、特に大阪吉本からの出演はほぼ皆無であった。ただし同じ大阪芸人でも松竹芸能からは何故か数組出演している。詳細はボキャブラ天国シリーズに登場したキャブラー一覧を参照。
出典
- ^ a b 森 銑三、池田 孝次郎 、柴田 宵曲『日本人の笑』講談社、1990年。ISBN 4061589458。
- ^ 安楽庵策伝、鈴木棠三(訳)『醒睡笑-戦国の笑話-』平凡社、1977年。ISBN 4582800319。
- ^ 帝京平成大学公式サイト内の「笑い学講座」の第37回「劇団結成の動向4」
- ^ a b 雑誌ケンガイ2005年2月号「R30ボクらが歩んだお笑い道30年史」芸文社刊
- ^ なぜ“ダメ”になってしまったのか? フジテレビの凋落と未来の可能性(てれびのスキマ) Yahoo!ニュース 2016年1月3日
- ^ a b c d e テレビは「時代遅れ」なのか? 「平成」のテレビバラエティの変遷(てれびのスキマ) Yahoo!ニュース 2019年4月8日
- ^ a b c 西条昇『ニッポンの爆笑王100 エノケンから爆笑問題まで』白線社、2003年。ISBN 4592732111。
- ^ a b c d 霜降り明星が牽引する「お笑い第七世代」は、令和の“笑い”の主役になれるのか? (1/2) AERA dot. 2019年4月27日
- ^ ミレニアル世代が振り返る2018年。霜降り明星、ローラ発言、アジアの音楽… | ページ 2 bizSPA!フレッシュ 2019年1月27日
- ^ “『ENGEIグランドスラムLIVE』出演者第3弾発表!”. フジテレビ (2019年3月27日). 2019年5月27日閲覧。
- ^ Inc, Natasha. “レインボー、スタンダップコーギーら平成生まれ芸人が「西東さん」集結”. お笑いナタリー. 2019年5月14日閲覧。
- ^ お笑い第7世代の“新BIG3”は「四千頭身」「EXIT」「宮下草薙」で決まり? 日刊大衆 2019年5月22日
- ^ 霜降り明星が語る“お笑い第七世代”の覚悟「ダウンタウンさんになれるチャンス」 ORICON NEWS 2019年1月30日
- ^ 霜降り、NSC生に新時代到来を宣言「イーブイやシャワーズで笑い取れる時代が来る」 お笑いナタリー 2019年1月30日
- ^ a b c 『CD付落語入門』(2008)pp.4-5
- ^ 広瀬(2010)pp.13-27
- ^ 『日本映画発達史 I 活動写真時代』、田中純一郎、中公文庫、1975年12月10日 ISBN 4122002850, p.144-145.
- ^ a b c d 『日本の戦時下ジョーク集 満州事変・日中戦争篇』、早坂隆 中央公論新社 2007年
- ^ ジャパンタイムズ出版部『ジャパンタイムズを知る本』1982年 ISBN 4789001806 p80
- ^ 鈴木拓也『世界のエイプリルフール・ジョーク集』中央公論新社 2008年 p88-92
- ^ “吉本興業創業100周年特別公演初日「伝説の一日」”. 吉本興業. (2012年4月6日)
- ^ “「内村さまぁ~ず」DVD40巻でギネス世界記録に認定”. お笑いナタリー. (2012年8月31日)
- ^ “お笑いノウハウ 行政に”. 朝日新聞デジタル. (2012年10月2日)
- ^ 【米ビルボード】チャートインしたピコ太郎よりコメント到着、「余りの驚きで、水道が止まりました!!」 | Daily News | Billboard JAPAN - Billboard JAPAN、2016年10月19日
- ^ ピコ太郎、まさかの全米77位! チャートインに「驚きで水道が止まりました」夕刊フジ 2016年10月21日
参考文献
- 宇井無愁『日本の笑話』角川書店、1977年
- 織田正吉『笑いとユーモア』 筑摩書房、1979年
- 『大衆芸能資料集成』三一書房、1980年
- 樋口清之『日本人の歴史(9) 笑いと日本人』講談社、1982年
- 有遊会『寄席爆笑帳』三一新書、1985年、
- 有遊会『浅草芸人爆笑帳』三一新書、1990年
- 有遊会『東京芸人爆笑帳』三一新書、1992年
- 原健太郎『東京喜劇―「アチャラカ」の歴史』 NTT出版、1994年
- 橘左近『東都噺家系図』筑摩書房、1999年
- 中江克己 『お江戸の意外な「モノ」の値段 物価から見える江戸っ子の生活模様』PHP文庫、2003年
- 高田文夫『完璧版 テレビバラエティ 大笑辞典」(白夜書房)2003年
- 山中伊知郎『テレビお笑いタレント史 お笑いブームはここから始まった』ソフトバンククリエイティブ、2005年
- 大阪府立上方演芸資料館編『上方演芸大全』創元社、2008年
- 正岡容 『定本日本浪曲史』岩波書店、2009年
- 渡邉寧久監修『CD付 落語入門』成美堂出版、2008年11月。ISBN 978-4-415-30493-9。
- 広瀬和生監修『現代落語の基礎知識』集英社、2010年10月。ISBN 978-4-08-771365-7。
関連項目
- 演劇の歴史#日本
- お笑いタレント
- お笑いブーム
- イグノーベル賞日本人受賞者の一覧
- 日本笑い学会
- ユーモア・サイエンス学会
- カノッサの屈辱 (テレビ番組) - 第20回においてお笑いの歴史を取り上げている。
- 雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク! - 2007年10月11日放送第209回「お笑い芸人誰が先輩? 後輩? この際はっきりさせよう!」にて、『養成所・弟子時代は含まず、初舞台(初仕事)をデビュー年とする』というルールで作られた「芸人年表」を作成した。QuickJapan Vol.79に掲載。
- たけしの“これがホントのニッポン芸能史” - NHK BSプレミアムで放送。これまでの放送において漫才、コント、落語、コミックソングなどを扱っている。