ハイヒール (お笑い)

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ハイヒール
メンバー ハイヒールモモコ
ハイヒールリンゴ
結成年 1982年
事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー
活動時期 1983年 -
出身 NSC(1期生)
出会い NSC在籍時、吉本興業関係者からの紹介。
現在の活動状況 テレビ
現在の代表番組 ちちんぷいぷい毎日放送
ビーバップ!ハイヒール朝日放送
よ〜いドン!関西テレビ
あさパラ!読売テレビ
同期 ダウンタウン
トミーズ
内場勝則
公式サイト 吉本興業公式プロフィール
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ハイヒールは、よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属する女性漫才コンビ。

NSC1期生で、同期にダウンタウントミーズ内場勝則前田政二らがいる。NSCではないがジミー大西も同期。1982年11月にコンビ結成。1983年6月にデビュー。主に関西を中心に活動している。2012年にコンビ結成30周年を迎えた。

メンバー[編集]

人物・エピソード[編集]

コンビ共通
  • 1983年6月になんば花月下席の『フレッシュコーナー』で初舞台を踏む。
  • デビュー当時、吉本興業が付けた売り込みのキャッチは「女子大生と元スケバン」だった。その後このキャッチは彼女らの漫才のネタに使用された。
  • ハイヒールを取材した連続ドラマ『ふたりぼっち 女と女』(1986年、NHKドラマ人間模様、主演:秋野暢子遥くらら)があり、向田邦子賞にノミネートされる。
  • コンビ名の由来は「両方在って初めて靴として成立する。片一方だけではダメ。」との理由で決めたとリンゴはテレビで話しているが、実際はモモコが所属していた暴走族 『レディースレーシング・ハイヒール』から取った物。
  • 漫才の終わりには両手を指ぱっちんのように突き出し、片足を上げて「どうもありがと!」と締める。
  • 明石家さんまに昔「モモコは飯島直子、リンゴは岩下志麻に似ている」と言われたが、さんまは全く覚えておらず「俺に何があったんや?」「俺、お前らに金借りとったんか?」と笑い転げていた。また、劇場で漫才中にさんまの弟子のジミー大西がマイクスタンドの下でパンツを覗こうとしていたため、足で扉を閉めていた話をし、さんまが土下座して謝った。
  • 読売テレビあさパラ!』の企画で、結成30周年記念としてコンビで南極旅行を体験する。その際、南極大陸上で漫才を敢行し、「世界最南端での漫才」という記録を打ち立てている[1]
  • NSC同期のダウンタウンについて、入学当時は皆が自分が一番面白いと思っていたが、ダウンタウンを見て自分たちを含めて全員が「2番目でいいや」と思ったという。しかし不仲というわけではなく、むしろ4人だけで海へ遊びに行ったり、ドライブをしたりとグループ交際のようなことをしていたが互いに親友という考えが強く、恋愛には発展しなかった。現在でもダウンタウンが唯一対等に接する女性芸人である[2]
    全盛期のネタの内容は全盛期はモモコのヤンキーネタや、世相風刺ネタが多かった[2]
  • 若手の頃、明石家さんまの野球チームにマネージャーとして参加しており、毎回手作りのおにぎりを差し入れし、その度に2,000円もらっていた。しかしそのおにぎりはさんまが毎回ビックリするほどベチャベチャだったという。[3]
モモコ
  • 素人時代に当時の友人とコンビを組み『笑ってる場合ですよ!』の「お笑い君こそスターだ!」に出演。しかしその動機は当時流行だった竹の子族の東京限定で販売されていたデザインの衣装が欲しく、同番組に出演すればタダで東京に行けて目的の衣装を手に入れることができると思ったためで、決して芸人を目指していたわけではなかった[4]。その番組を見ていた吉本興業の関係者に誘われてNSCへ途中入学したが、程なくしてコンビを組んでいた友人が辞めて、当時DJタレントを目指して同校に在籍していたリンゴを紹介されてコンビを結成。
  • 1984年当時、モモコのみ『エンドレスナイト』(関西テレビ)のエンドレスギャルズ1期生として出演していた(当時はコンビ芸人がピンでの仕事をするのは珍しかった)[2]
  • すっぴんのモモコは坂田利夫に似ていると目撃した芸人の間では有名である。朝日放送の『探偵!ナイトスクープ』でも、それを検証してほしいという依頼が来たために検証することとなったが、モモコが化粧を落とすのを断固拒否したため、逆に「坂田さんが化粧をしたらモモコさんにソックリ?」という依頼が採用された。実際に坂田利夫に女装させて並ばせるという検証が行われ、依頼を受けた探偵のトミーズ雅は「ほとんど同じ顔」と結論づけた[5]
  • 目と目の間隔が広い(顔の中心から離れている)ためか、一般人より視野がかなり広い。大阪の街中で自転車に乗ったおじさんに「目離れ!」と言われ去って行かれた事が多々ある[6]
  • 2男1女の母親。子供が幼かった頃は、時々関西ローカルのテレビの特番でモモコ一家の家族旅行の模様が放送されていた。なお、次男はハワイで生まれたために日本と米国二重国籍を保有しており、米国での入国審査を家族ともども長蛇の列をなす日本人らを横目に別レーンで短時間のうちに済ませられる。長女は『水野真紀の魔法のレストランR』にレギュラー出演している、小林さとね。(2012年10月出演開始時点で10歳)夫婦揃って高校中退のため、長男の高校3年の授業参観は2人で行き、大学の入学式も夫婦で参加。翌日に長男が風邪で体調を崩し、「担任の先生に休みますって連絡せなあかん」とモモコが慌てていると、リンゴに「大学は休む時連絡せんでええねんで。担任の先生もおらん。」と言われ、カルチャーショックを受けたという。また「新歓(新入生歓迎会)」の意味がわからず、「(テレビ局の)新館」だと勘違いしていた。
  • 3人の子供たちも、今や[いつ?]長男は大学生、次男は高校生、長女は中学生である。次男の通う学校では芸能活動に支障のない範囲でPTA活動も行っている。そんな家族については、子供とは血は繋がっているが夫はあくまで他人だという割り切りもあって『劇団・家族風味』と称している。長男は夫の経営する飲食店でアルバイトをしている[7]
  • たかじんnoばぁ〜』に出演した際、たかじんから「母乳飲ませてくれたら1万円やるわ」と言われ、シャーレに搾ってきて出演者に味見させた。そしてカメラの前で、たかじんの財布から約束通り1万円を受け取った[8]
  • 娘に作ったキャラ弁を度々取り上げられるが、「花柄の服を着た女の子」が明石家さんまからは手足のウインナーがバラバラなため「バラバラ死体みたい」、花柄をたらこをほぐして表現したら「内臓飛び出てるん?」と言われ、二宮和也からは「3回くらい床に落としたの?」と言われた。「くまモン」のキャラ弁は、おかずのハンバーグが枕のようになってしまい棺桶のようになっていた。博多大吉から「なんでこんな事するんですか?」と聞かれ、モモコ曰く、お兄ちゃん達の時はキャラ弁が無かったため難しいと語ったが「こうなる方が難しい」と言われた。
  • 有吉弘行から付けられたあだ名は「シャネル潰し[9]
  • 芸名の由来は『ハイティーン・ブギ』のヒロイン・宮下桃子からである[10]
  • 2015年3月12日放送の『ビーバップ!ハイヒール』で、作詞・作曲家の山口洋子が叔母(実父の妹)であることを明かした。義父は関西を拠点に活躍したプロアコーディオン奏者の松井洋々(まつい ひろし)。[11]
  • 『上方放送お笑い史』のインタビューの中で「最近は色々な仕事をやらせてもらっていますが私らの本来の仕事は漫才なんです。これからもずっと。」と漫才への拘りを見せていたが[12]、皮肉にもその数年後から、漫才師としては一線を退いている。
  • 関ジャニ∞村上信五とは村上がデビュー前からレギュラー番組で共演し、可愛がっており、村上も「モモコ姐さん」と呼び慕っている。村上が番組を卒業してからも番組に度々シャンパンを差し入れしたり、突然出演している。「月曜から夜ふかし」に定期的に出演しており、ゲスト出演した際に村上に「大阪を棄てた」と説教している。関ジャニ∞の冠番組「ジャニ勉」の初回ゲストもハイヒールだった。
  • 自身の経歴への反省からか、教育に関しては強硬な管理教育を主張しておりインタビューで「子供は成人まで門限も厳しくし管理すべき」等と語った事がある[13]
リンゴ
  • 十代の頃からラジオが好きで、ラジオのパーソナリティの仕事がしたいためにこの世界に入った。そのためか、どんなに早口でも噛む事が無い。またデビューしてから今までラジオの仕事が途絶えた事がない[2]
  • いわゆる「仕切り」には定評があり、「名仕切り」とも言われる[14]
  • アップはダメよ、引いて、引いて。」のギャグはカメラが二回引くのが正しいらしい。
  • 吉本の女性芸人のなかでも随一のプロレス・格闘技オタク[15]
  • 芸名の由来は太刀掛秀子の漫画の主人公の名前「リンゴ」から。
  • 中川家の2人が唯一一緒にやるモノマネがリンゴのモノマネ。
  • モモコより早くに結婚したが、子供が出来なかった。流産してしまうたびに相当な落ち込みでモモコすら声が掛けられ無かったほどでその度にトミーズダウンタウンが励まし、明石家さんまは「芸人は不幸やから人を幸せにするんや」と慰めた。現在はモモコの子供たちを実の子供のように可愛がり、進学のアドバイスをしている。
  • モモコが当時珍しくピンで深夜番組のレギュラーを持つ事になり、ダウンタウンと前田政二がOA前にリンゴを迎えに行き、和歌山県までドライブし、OAを見せないようにしたが、立ち寄ったガソリンスタンドでたまたまOAしており、浜田が「可哀想なことをした」と当時を振り返っていた。
  • 2015年、大阪学院大学名誉博士を授与される。國定浩一の下で聴講生として金融論を学び、知識を元に経済学を分かり易く解説した活動が評価されたもの[16]

受賞歴[編集]

出演[編集]

テレビ番組[編集]

ラジオ番組[編集]

CM[編集]

  • 夕月かまぼこ(1985年)
  • プライダルアート(1986年)
  • 給湯キャンペーン(1987年)
  • カルピス食品工業(1987年 - 1988年)
  • 本田技研工業(1987年 - 1988年)
  • 焼き肉のタレ エバラ食品工業(1987年 - 1989年)
  • 北海道ツアー お笑いスキー吉本ツアーズ(1987年)
  • 白熊ツアー(1988年)
  • セクト3 堺店(1988年)
  • エルグ(1992年)
  • 関西電力(1992年)
  • 米ぬか美人 西宮酒造(1993年 - 1995年)
  • 大阪市 ポイ捨て防止キャンペーン(1994年)
  • アトラス(1996年 - 2002年)
  • 大阪市住宅共給公社(1997年)
  • 大阪市内局番4桁化広報 NTT(1997年 - 1999年)
  • 月桂冠「日本酒の常識とウソ」(1997年 - 1999年)
  • カップスター サンヨー食品販売(1998年)
  • 株式会社 山食(2005年)
  • とろける豆腐 山食(2006年)
  • 近鉄 近鉄友の会 会員募集キャンペーン(2006年)
  • ルーディア
  • プレスタ杭全 大阪市住宅共給公社
  • 千剖

映画[編集]

その他[編集]

[編集]

  • オヤジギャルと呼ばないで(1990年)

脚注・出典[編集]

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  1. ^ あさパラ! 2013年3月17日 ハイヒール結成30年で結局南極まで行っちゃいましたSP”. gooテレビ (2013年3月17日). 2015年7月16日閲覧。 ただし、ギネスブックには未申請。
  2. ^ a b c d 月刊現代 1990年2月号 ハイヒール記事より
  3. ^ モモコのOH!ソレ!み〜よ! 2014年12月13日(土)”. gooテレビ (2014年12月13日). 2015年7月16日閲覧。
  4. ^ 暴走族、子育て…ハイヒールモモコ「始末の極意」”. 夕刊フジ (2011年1月27日). 2015年7月16日閲覧。
  5. ^ 『探偵!ナイトスクープ DVD Vol.4 爆笑小ネタ集33連発!! 恐いモノに追われると速く走れる?編』「坂田利夫さんが化粧をしたらモモコさんにソックリですか?」で確認できる。
  6. ^ 『探偵!ナイトスクープ DVD Vol.4 爆笑小ネタ集33連発!! 恐いモノに追われると速く走れる?編』「目と目の間の広い人は視野も広い?」で確認出来る。
  7. ^ お笑いワイドショー マルコポロリ 2015年2月22日(日)”. gooテレビ (2015年2月22日). 2015年7月16日閲覧。お笑いワイドショー マルコポロリ! 2015年2月22日”. 関西テレビ放送 (2015年2月22日). 2015年7月16日閲覧。
  8. ^ ナインティナインのオールナイトニッ本 vol.1(ワニブックス) 79ページ
  9. ^ 有吉弘行がつけた「あだ名」一覧 天才的なネーミングセンスが凄い!”. livedoorNEWS (2014年8月31日). 2015年7月16日閲覧。
  10. ^ 週刊平凡 1985年2月号 ハイヒール記事より
  11. ^ 『ビーバップ!ハイヒール』の番組概要ページ(2015年3月12日放送分) - gooテレビ番組
  12. ^ 上方放送お笑い史(読売新聞大阪本社文化部 編)ハイヒールインタビュー より
  13. ^ 近藤典子のまるごと1軒大収納! ハイヒールモモコさん宅(主婦の友社 2003年)インタビューより
  14. ^ 【甘辛テレビ】橋下氏を出さなかった理由は? ポスト櫻井翔にWEST中間…ABC「正義のミカタ」上昇の舞台裏”. 産経新聞 (2015年7月13日). 2015年7月16日閲覧。
  15. ^ 週刊マット界舞台裏(新大阪新聞社)2013年8月1日号内記事「打上げパーティ潜入プロレスファン芸人ハイヒールリンゴさんにビンタ」
  16. ^ ハイヒール・リンゴが名誉博士 なでしこ澤からも祝福メール届いた”. スポニチ (2015年7月3日). 2015年7月3日閲覧。

外部リンク[編集]