パリ万国博覧会 (1867年)
1867年のパリ万国博覧会(せんはっぴゃくろくじゅうななねんのパリばんこくはくらんかい, Exposition Universelle de Paris 1867, Expo 1867)は、1867年4月1日から11月3日までフランスの首都パリで開催された国際博覧会である。42ヶ国が参加し、会期中1500万人が来場した。
概要[編集]
パリで開催された国際博覧会では2回目となる。1864年のナポレオン3世の勅令に基づいて計画され、パリ市内に119エーカー(48ヘクタール)、ビヤンクールに52エーカー(21ヘクタール)の土地が用意された。メインパビリオンは長さ1608フィート(490 m)、幅1247フィート(380 m)の端が丸まった長方形の形をしており、その中央に長さ545フィート(166m)、幅184フィート(56m)のドームがあり、庭園が併設されている。
このパリ万博は、日本が初参加した万国博覧会として有名である。また、ここで発表された電気にまつわる出展作品から、ジュール・ヴェルヌが『海底二万里』の着想を得たことでも知られる。
日本の参加[編集]
日本が初めて参加した国際博覧会であり、江戸幕府、薩摩藩、佐賀藩がそれぞれ出展した。幕府からは将軍徳川慶喜の弟で御三卿・清水家当主の徳川昭武、薩摩藩からは家老の岩下方平らが派遣された。
薩摩藩は「日本薩摩琉球国太守政府」の名で幕府とは別に展示し、独自の勲章(薩摩琉球国勲章)まで作成した。幕府は薩摩藩に抗議したが聞き入れられず、幕末の政争が如実に現れた万博となった。この時、幕府もフランスで勲章外交を行うために独自の勲章制作を開始したが、結局幕府は倒れ、幻となった(葵勲章)。
このほかに江戸・浅草の商人が数寄屋造りの茶屋をしつらえた。3人の柳橋芸者(おすみ、おかね、おさと)が独楽を回して遊んだり、煙管をふかしたりするだけの光景が、物珍しさから、上記の幕府や西南雄藩による公式展示以上の人気になったという[1]。
脚注・出典[編集]
関連項目[編集]
- シャルル・ド・モンブラン
- 国際博覧会
- 獅子の時代
- 渋沢栄一 - 1867年のパリ万博の当時は幕臣で、徳川幕府側の訪欧視察団の随員の一人。
外部リンク[編集]
- Expo 1867 page at BIE(リンク切れ)
- Expo 1867 page at ExpoMuseum
- 江戸幕府派遣パリ万博使節団一行東京大学付属図書館