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Wコロン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Wコロン
メンバー 木曽さんちゅう
ねづっち
結成年 2004年
解散年 2015年
事務所 プロデューサーハウスあ・うん
活動時期 2004年 - 2015年
師匠 Wエース
芸種 漫才なぞかけ
受賞歴
2004年 第3回漫才新人大賞 優秀賞
2006年 第5回漫才新人大賞 優秀賞
2009年 第8回漫才新人大賞 優秀賞
2010年 S-1バトル 殿堂入り
2010年 第9回漫才新人大賞 特別賞
2010年 第27回浅草演芸大賞 新人賞
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Wコロン(ダブルコロン)は、プロデューサーハウスあ・うん漫才協会に所属していたお笑いコンビ。2004年結成、Wエース門下。2012年、漫才協会の真打に昇進。2015年4月1日、解散を発表[1]

メンバー

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両名とも、解散後も引き続き漫才協会に在籍している。

芸風

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  • 昭和を思わせる漫才を行っていた[3]
  • 謎かけ漫才」を得意とした。最初は普通に漫才を始めるが、話の途中でねづっちが唐突に「(謎かけの用意が)ととのいました!」と宣言し、「○○とかけまして、○○と解きます」と謎かけに入る。木曽の「その心は」という合いの手の後、ねづっちが答えを言い、ジャケットの襟を持ちながら「ねづっちです」と言う決めポーズを取る。
    • 「ととのいました!」の掛け声は、スピードワゴンのラジオに出演した際にウケたため、彼らの提案により漫才でも使うことにした[4]
    • 「ととのいました!」は2010年新語・流行語大賞のトップ10に入った。
    • 千原ジュニアは、「ととのいました!」が流行語として扱われる事に対して、「本当に注目すべきは『ねづっちです』という決め言葉。今までお笑い芸人が謎かけをしても『おー上手い』という反応で、笑いが起こる事がなかった。それを『ねづっちです』の一言で謎かけを笑いになるものに変えた。これは、偉大な発明」と絶賛した[5][出典無効]
  • ねづっちが漫才中に死語を言う事が多かった(「なるへそ」「〜してちょんまげ」「バッチグー」など)[6]
  • ねづっちがゴージャス松野に似ていることを度々ネタにされていた。
  • 相方の木曽がいない際、「その心は」はねづっちがそのままつなげて言うか、もしくは他の出演者に「その心は」と言わせる対応をしていた。
  • ライブのエンディングでは名物となる告知があった(ねづっちが言う所の「告知芸」)。まずは、ねづっちが漫才協会所属の有名芸人の名を出した後、あまり知られていないような芸人の名(漫才協会所属の芸人が多い)を並べていき、木曽が辛辣に突っ込むというパターンであった[7]
  • テレビでは「即興謎かけ」で出演する事も多かった。『エンタの神様』に出ようと考えたパッケージであるが、結局2人が『エンタの神様』に出演する事はなかった。その代わり『爆笑レッドカーペット』では多用していた[6]

エピソード

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  • 結成は2004年であるが、二人とも芸歴は長い。
  • 2010年5月14日TBSラジオバナナマンのバナナムーン』に出演した。この日が日村勇紀の誕生日であったことから、「日村さん」「38才」「誕生日」をお題として謎かけを迫られたが、整えられることなく番組が終了してしまった[注釈 2]
  • 2010年度「S-1バトル」で初の殿堂入り(5連勝)を果たし、賞金1000万円を手にする。
  • 漫才協会の真打昇進には在籍10年以上という内規があるが、ブレイクによる功績が認められ、8年目での“飛び級”扱いとなった[8]
  • 2014年8月17日には日本テレビ行列のできる法律相談所』にて「芸人イチ仲の悪いコンビ」として登場し[9]楽屋で全く会話をしないなどの日常が紹介された。翌月のインタビューでは「不仲がきっかけで仕事が増えた」と話し、不仲による解散については否定していた[10]。不仲の噂を広めたのはナイツ塙宣之だったが、互いに相方への不満を言わされるなどの企画が増えたことで単なる不仲から憎み合う関係にまで至ってしまい、最終的にねづっちからの提案で解散となった[11]

出演作品

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テレビ

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  • 爆笑オンエアバトルNHK)戦績2勝6敗 最高389KB
    • ねづっちは「ケルンファロット」時代にも1度だけ出場(2001年2月17日放送回)しているが、129KBしか獲得できず10組中最下位に終わってしまっている。
    • 木曽も「バズーカルーム」時代に4度出場経験があるが、出場した全ての回において100KB台に終わる[12]という珍記録を残してしまっている。
    • 上述の通りねづっちと木曽はWコロン結成前のコンビでは100KB台しか獲得できなかったため、「オンバト」で200KB台以上(及び初オンエア)を記録できたのは双方ともWコロンとしての出場からであった。
  • トピためっ!(JCN足立、2008年5月12日 -2014年3月 )
    • 木曽が水・木の司会を担当し、ねづっちが「あだちプチグルメの旅」のコーナーを隔週で担当
    • 2010年4月5日より月 - 木の司会をコンビで担当
    • 2010年10月4日よりコンビでの担当が水・木のみになり月・火には木曽のみが出演
    • 2011年4月11日よりこれまでの担当に加え金曜の司会をねづっちが担当
    • 2012年4月9日より木・金の司会をコンビで担当
  • 不動産王(BS11、2008年4月 - 2009年3月)時東ぁみとレギュラー出演
  • 爆笑レッドカーペットフジテレビ) キャッチコピーは「ノスタルジック漫才」→「浅草の人気者」
    • 不定期開催の「なぞかけキング決定戦」で、ねづっちが2連覇を達成。
  • 新春ピンクカーペット(フジテレビ) キャッチコピーは「ノスタルジック漫才」
  • スーパーモーニングテレビ朝日、2010年6月 - 2011年3月)
  • わが家の歴史(フジテレビ)
  • 第61回NHK紅白歌合戦(NHK、2010年12月31日)

ラジオ

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DVD

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  • まめ 〜若手芸人コンプリートカタログ〜 Vol.2(徳間ジャパンコミュニケーションズ
  • これでもととのいますか?Wコロンのなぞかけツアー(VAP)
  • 浅草三銃士(コンテンツリーグ)

CM

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書籍

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その他

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  • フジパン なぞかけ頭脳パン - 焼きカレーパン、キャラメルメロンパン、チョコリング、十勝ミルククリームなど数種類が存在。一部は北海道限定発売。北海道ではロバパンが販売。

Webアニメ

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  • ヤッターマン×トウシバ(2010年9月 - 2011年2月公開) - 同サイト内に「トリプルコロン[注釈 3]の謎かけ道場」があり、なぞかけを投稿すると、投稿したなぞかけをねづっちの声で再生できる。

受賞歴

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脚注

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注釈

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  1. ^ 「ねっち」と表記されることもあるが、誤りである。
  2. ^ 番組特有の日村が軽んじられる演出である。
  3. ^ Wコロンとオモッチャマによるユニット。オモッチャマはヤッターマンに登場するサイコロ型ロボットで、語尾に「コロン」がつく。

出典

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  1. ^ “Wコロンが解散、ねづっちと木曽さんちゅうともピン芸人に”. お笑いナタリー (ナターシャ). (2015年4月1日). https://natalie.mu/owarai/news/142666 2015年4月3日閲覧。 
  2. ^ a b Wコロン”. プロデューサーハウスあ・うん. 2012年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月21日閲覧。
  3. ^ 足立朝日新聞 2010年8月5日号「ケーブルテレビ足立でお馴染み Wコロン ねづっち/木曽さんちゅう」
  4. ^ 今、最も旬な「じゃないほう芸人」Wコロン・木曽さんちゅうを直撃(日刊サイゾー・2010年9月14日)
  5. ^ 2011年1月2日放送回『新春TV放談2011』(NHK)で発言。[出典無効]
  6. ^ a b Wコロン・ねづっち「整いました!」なぞかけ芸が時代にハマった深い理由(日刊サイゾー「お笑い評論家・ラリー遠田の【この芸人を見よ!】第78回」・2010年5月22日)
  7. ^ [1] に証明有り。
  8. ^ お笑いナタリー 2012年10月26日「Wコロンが真打ち昇進披露、漫才大会会見にナイツら出席」
  9. ^ “Wコロンに亀裂 不仲認めるも「解散は考えてない」”. ORICON STYLE (オリコン). (2014年9月11日). https://www.oricon.co.jp/news/2041993/full/ 2015年4月3日閲覧。 
  10. ^ “Wコロン、不仲きっかけで仕事が増加 解散は否定”. シネマカフェ (イード). (2014年9月11日). https://www.cinematoday.jp/news/N0066194 2015年4月3日閲覧。 
  11. ^ ナイツ塙、Wコロンを解散に追い込んだ張本人だったと明かす…「あの二人がマジになっちゃって」
  12. ^ 2001年10月13日放送回に173KB、2002年5月25日放送回に129KB、2002年9月21日放送回に121KB、2003年4月25日放送回に117KBを記録している。なお、順位は2002年5月25日放送回は9位であり、残りの回は全て最下位に終わっている。

関連項目

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外部リンク

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