フォークダンスDE成子坂

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フォークダンスDE成子坂
FOLKDANCE DE NARUKOZAKA
メンバー 桶田敬太郎
村田渚
別名 フォーク、成子坂
前三ツ(別名義)
結成年 1989年
解散年 1999年
事務所 ホリプロ
活動時期 1991年 - 1999年12月31日
出身 関町立関中学校出身
出会い 中学校の同級生
現在の活動状況 解散(共に逝去)
芸種 コント漫才
ネタ作成者 両者
過去の代表番組 GAHAHAキング 爆笑王決定戦
電波結社バババ団
うるとら7:00
ボキャブラ天国
お笑いダンクシュート など
同期 FUJIWARA
千原兄弟
堀内健原田泰造ネプチューン)など
公式サイト 公式プロフィール(アーカイブ)
受賞歴
1993年 第14回高田文夫杯争奪OWARAIゴールドラッシュ 優勝
1994年 GAHAHAキング 2代目チャンピオン
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フォークダンスDE成子坂(フォークダンス デ なるこざか)は、かつてホリプロで活動していた桶田敬太郎村田渚で構成されていたお笑いコンビ1989年結成。1999年12月31日解散。現在は共に逝去している。

メンバー[編集]

概要[編集]

三重県鈴鹿郡関町(現・亀山市)立関中学校の同級生同士で組まれたお笑いコンビ。何かするようで何もしない、わざとハズしにかかるシュールな芸風と桶田の特異な発言、村田の鋭いツッコミが特徴。略称はフォークフォークダンス成子成子坂FDN。ちなみに成子坂とは、新宿区にある坂。

1991年に初のメディア出演をして以降、1992年に『新しい波』(『とぶくすり』・『めちゃ×2イケてるッ!』の前身番組)に出演し、1993年11月に『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』内にて開催された「第14回高田文夫杯争奪OWARAIゴールドラッシュ」にて優勝[2][3]1994年3月に『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』にて2代目チャンピオンとなり(初代は爆笑問題、3代目はますだおかだ)、1994年12月には単発コント特番『成子坂定食』が放送された。当時の若手芸人としては異例のスピードで頭角を現しており、コンビとして雑誌「JUNON」に掲載されるなど女性からの人気も絶大であった[4]

また、後に高視聴率の人気番組となって行った『ボキャブラ天国』シリーズに1994年から1998年にかけて出演。同番組のヒットパレードのコーナーにて、短い文章を長く、長い文章は短く強引にボキャブり、意味のない言葉をオチにするというシュールなネタを得意とした。特に港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカのメロディに乗せたネタは他の芸人とは一線を画し、コーナー黎明期に一世を風靡した。

1998年6月から1999年2月にかけ、新宿シアターモリエールにて単独イベント『自縛』を隔月開催し(10ヵ月で5回、全10公演)、1999年12月末日をもって解散。

直属の後輩であった伊達みきおサンドウィッチマン)から「偉大な先輩。めちゃくちゃ面白くて、めちゃくちゃ人気もあって、めちゃくちゃ格好良いコンビだった。若手時代、生であの衝撃的に面白いライブを観る事が出来たのは我々の糧になっている」と敬意を表されている[5]

来歴[編集]

桶田敬太郎が兵庫県、村田渚が大阪府より共に小学生の途中で三重県鈴鹿郡関町(現・亀山市)に引っ越し、町立関中学校の同級生として二人は出会う。1989年、高校生時代にコンビ結成。高校在学中に、ホリプロのネタ見せ勉強会に通い始める。

1990年、高校卒業と同時に上京。東京都品川区西小山のアパートに住み、アルバイトをしながら、毎週のホリプロネタ見せ勉強会に参加し始める。ネタ見せの開始当初はコントと漫才をやっており、漫才をする際には「前三ツ」(まえみつ)というコンビ名を使っていた。その後、ホリプロお笑いライブへの出演とレギュラー出演。

1991年、タレントとしてのテレビ出演をもってデビュー年としている。

1993年、『第14回高田文夫争奪杯OWARAIゴールドラッシュ』で優勝。

1994年、『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』で2代目チャンピオンになる。また、同年より『ボキャブラ天国』シリーズにレギュラー出演。

1998年、単独イベント『自縛』を開催。10ヵ月で5回、全10公演。「全コントが新作または旧作をリメイク」というハードな条件だった。セル販売のみが主流だったお笑いのVHS作品だったが、この『自縛』に関しては、TSUTAYAとの提携でレンタルコーナーに置かれた(未DVD化)。その功績を生みだしてくれたマネージャーが担当を離れ、『自縛』の途中で新人マネージャーに切り替えられたことで事務所側へ不満が生じ、桶田は『自縛』を最後までやり抜いたら引退しようと決意した。

1999年12月、解散を発表。末日をもって解散となり、共に所属事務所を退社。なお、解散の約半年前に『爆笑オンエアバトル』に1度だけ出場(1999年5月1日放送回)しており、オンエアを勝ち取っている(453KB・3位)。

解散後[編集]

桶田はミュージシャンへ転向。兼ねてからお笑いと並行で活動していたロックバンドThe 3cm~』を本格的に始動し、計3枚のアルバムをリリース。その後、2004年よりかつての同僚からの後押しも機に放送作家構成作家として、バラエティ番組を中心にテレビイベント舞台CMなどの企画・構成を手掛けるようになる。その一環として、2005年12月にはますだおかだのイベントに裏方として参加したほか、2006年4月11月開催のますだおかだのライブ構成や、2007年には『ますおかの完パケましょう』に放送作家として携わった[6]。また、2007年4月には三原じゅん子歌手活動再開ライブのプロデューサーを担当。

村田はピン芸人として再出発し、フリーランスオフィス★怪人社(業務提携)[7]ホリプロコムでの活動を経てSMA NEET Projectに移籍。2005年5月に元坂道コロンブス松丘慎吾とコンビ『鼻エンジン』を結成し、そのおよそ半年後に同年のM-1グランプリにて準決勝進出を果たす。しかしその矢先、2006年11月11日に村田がクモ膜下出血で急逝(35歳没)。桶田や当時の相方であった松丘をはじめとした多くの芸人や放送作家がその死を惜しみ、関係者らによる追悼記事が次々と寄せられた[8][9]2007年4月3日とくダネ!のコーナー「温故知人」で村田が取り上げられ、村田の母親や相方の松丘、ホリプロ時代に直属の先輩であった三村マサカズらのインタビューによって構成された追悼企画が放送された。

2016年12月より、桶田が自身のブログにてPodcast配信『自吐』を開始[10]2018年10月までの約2年に渡り「周りの印象的には上昇期での”突然な水面下での解散”となっている変な名前のコンビ名、フォークダンスDE成子坂というお笑いコンビが解散に至った経緯」を語り尽した。

2018年6月20日、『ザ・発言X』にて村田に纏わる特集が放送され、同年11月11日には『村田渚13回忌LIVE』がBeach Vにて開催された[11][12]

2020年2月27日、桶田が2019年11月23日に逝去していた事が株式会社MR(当時、桶田が取締役を務めていた会社)の公式ホームページにて公表された(48歳没)[13]。死因は明かされていないが、村田の没後に大腸癌を患っており、一度完治していたが2017年頃に再発していた事が浦口直樹(元TBSテレビアナウンサー)によって明かされている[14]

2021年12月22日、『お笑い実力刃』にて「今夜はこの芸人だけSP フォークダンスDE成子坂編」が放送され、当時の貴重なエピソードやコント映像が披露された[15][16]

逸話[編集]

  • 「フォークダンスDE成子坂」という名前は、所属事務所ホリプロの当時の社員がロバート・デ・ニーロから取ったコンビ名にしようと試行錯誤した末、「DE(デ)」だけが残ったと言われている。しかし、実際には当時同事務所に所属していたアリtoキリギリスと同様に半ばダジャレ染みており、後に桶田が「その場の思い付きで名付けられたものだった」と自身のポッドキャスト内で語っている。本人達はこの名前を気に入っておらず改名しようと思っていたが、デビューから間もなくしてテレビで名前が売れてしまった事から変更できなかった。
  • 1993年に放送されたとぶくすりの開始前、村田は番組のMCを依頼されていた。しかし、相方の桶田には声が掛からず個人としての出演オファーであった事からその誘いを断っている[17]
  • 高田文夫は早くから成子坂の才能を評価しており、桶田の没後に「成子坂といっても(今の時代)知らない人がほとんどだろうが、私が大好きなコント(をするコンビ)だった」と自身が連載するエッセイで綴った[18]。また、太田光爆笑問題)は高田が度々「これからは桶田が天下を取る」と口にしていた場面を記憶しており、太田自身はかつて「あいつは天才すぎて売れなかった」と桶田を評した事があった[19][20]
  • 直属の先輩であった三村マサカズさまぁ〜ず)は、村田とは互いに切磋琢磨し合う関係だった。2021年10月27日放送のお笑い実力刃にゲスト出演した際に村田のツッコミを参考にしていた事を明かしており、当時の関東ではツッコミの文化が関西ほど根付いておらず、東京育ちの三村にとって三重育ちの村田の関西弁が新鮮だった事も影響していたという[21]。また、村田の没後に「後輩であり、ライバル」「俺はいつもお前にダメ出しされて、俺もお前にダメ出しする。弟かな」とメディアで度々振り返っている[22][23]
  • 同じく直属の先輩であった伊集院光は、2021年12月22日放送のお笑い実力刃に出演した際に「桶田君がまったく熱量を上げない。クールなまま。勝負ワードとか勝負ボケみたいなものでも、平熱のままやる。逆に村田君は凄く大きくツッコんで行ったり一旦流したりして、どれくらいの笑いが欲しいかを調整している」と成子坂のコントを分析し、「(彼らの)そういったところを若手離れしているなと思って見ていた」と続けて当時を振り返った[4][24]
  • 千原せいじ千原兄弟)は、大阪吉本時代にお笑いダンクシュートで成子坂と共演した際、既に東京でブレイクしていた成子坂が自分たちの約7倍もギャラを貰っている事を聞いて愕然としてしまい、当時ミナミに建つ家賃6万3千円のマンション竹若元博バッファロー吾郎)と住んでいたせいじは一刻も早く東京進出したいと思ったという[25][26][27]
  • 2018年6月20日放送のザ・発言Xにて成子坂が取り上げられた際、上田晋也くりぃむしちゅー)は「僕ら世代のトップランナーだったし、センセーショナルだった」と語り、有田哲平(くりぃむしちゅー)は「笑いに飢えているっていうか。24時間笑いのことを考えてないといけないんだなって、すごく学ばせてもらった」とそれぞれ振り返った[22]
  • 土田晃之(元U-turn)は、桶田の没後に自身のラジオ番組で「GAHAHAキングの収録に向かう際、当時の海砂利水魚ネプチューンたちが地下鉄で通う中で桶田さんはジープに乗っていた」「一番最初に『この人、芸能人なんだな』と感じさせてくれた人」と振り返り、また「センスが凄かった。当時ドラえもんのコントをやる機会があって、自分たちを含めて全身ドラえもんの格好をしてネタを演じる芸人が多い中、成子坂はスカジャンなどのオシャレな服を着て頭に青いタオルを巻くだけで表現していた」と、当時の先進性を評した[28]
  • 古坂大魔王(元底ぬけAIR-LINE)は、2021年12月22日放送のお笑い実力刃に出演した際に「桶田さんは自分がしたいことをしたくてお笑いをやってる」「練習でやったものもその日には飽きてる。だから歯医者のコントとかで先に渚さん一人に前フリさせておいて、桶田さんが舞台袖から出て来ないままネタが終わった事がある。渚さんに『はよ来いや!』『何しとんねん!』って言われても桶田さんはずっと裏で笑ってる」と当時の様子を語り、続けて「自分がやりたいことをやって、それを渚さんが笑いに変えてくれる。渚さんがいれば何やってもOKという安心感がそこにあった」と振り返った[4][29]
  • 村田は成子坂を解散し鼻エンジンを結成する前に、当時同じくコンビを解散しピンで活動していた島根さだよし(元ツインカム)に一度だけコンビ結成の話を持ち掛けた事があった[30]。また、ほぼ同時期にコンビを解散したばかりの後藤秀樹(元シェイクダウン)からはコンビ結成の話を持ち掛けられ、2001年に一度だけbaseよしもとを舞台に合同ライブを行った[31][32]。しかし色々と事情が重なり、結果として双方共にコンビ結成には至らなかった。
  • 増田英彦ますだおかだ)は、GAHAHAキングでの共演を機に若手時代から親交があった。コンビを解散して一線を退いていた桶田に声を掛け、自身のコンビの単独ライブの余興(桶田と岡田圭右の2人で作った、増田には内緒のリハーサル無しのぶっつけ本番による30分コント)を依頼する形で、少しずつお笑いの世界へ引き戻すきっかけを作った[33]。また、村田の没後に自身のブログで「フォークダンスDE成子坂のコントは本当に面白かった。俺らは漫才師で良かった。コントやってたら(成子坂には)勝てなかった」と振り返っている[34]
  • 松田大輔東京ダイナマイト)は高校時代、素人として「M&M」というコンビで電波結社バババ団に出演していた。成子坂とはその頃からの付き合いで、松田がプロになってから合同コントを披露したり、松田自身のコンビの単独ライブで成子坂のコント「刑務所」をカバーネタとして披露した事がある。また、桶田が自身の過去を振り返るPodcast企画『自吐』に松田はレギュラーゲストとして参加している。
  • コトブキツカサ(元ピテカンバブー)はホリプロ時代の直属の後輩であり、自身の芸名は成子坂のネタの中で登場する名前から拝借している。「僕が(ホリプロに)入った当時、すでに成子坂はお笑いシーンで頭ひとつ抜けた雲の上の存在だった。でも多くの先輩方の中でも若手の楽屋に遊びに来てくれたり、後輩たちが行けないような飲み会に誘ってくれたり、いつも僕の話を否定せず肯定してくれるこちらに歩み寄って来てくれる人だった」と振り返り、村田とは2000年代初頭に月一で路上トークライブを行うなど晩年にかけ交流が深かった。また、自宅で急逝していた村田の第一発見者であり、その時の表情は「本当に穏やかだった」と明かしている[35][36][37]
  • サンドウィッチマンは、ホリプロに所属していた頃に手伝いとして単独ライブ『自縛』に携わり、立ち見で公演を観ていた。伊達みきおは桶田の没後に「偉大な先輩。めちゃくちゃ面白くて、めちゃくちゃ人気もあって、めちゃくちゃ格好良いコンビだった。若手時代、生であの衝撃的に面白いライブを観る事が出来たのは我々の糧になっている」と敬意を表し、また2005年M-1グランプリ敗者復活戦に鼻エンジンとして出場していた村田と喫煙所で会った際「『サンドウィッチマンおもろなったなぁ、近々決勝行くんちゃう?』と声を掛けて貰った時は凄く励みになった」と自身のブログで記している(その後、2007年のM-1グランプリで敗者復活枠として決勝に勝ち上がり優勝を飾った)[5][38]
  • 小峠英二バイきんぐ)は、晩年の村田と接する機会が多かった。村田の没後、自身のブログで「初めて事務所のネタ見せで(鼻エンジンを)見た時、衝撃を受けた。あの人に面白いと認められたかった。俺はあの人に夢中やった」と記している。また「村田渚という芸人に出会えて、本当に良かった。これからはあの人に教えてもらったことを心に。そして少しでもあの人に近づけるよう、もっともっとやらんと。好きくらいじゃアカンわ。狂わんと」と決意を固めるきっかけとなり、その後2012年キングオブコントで優勝を飾った[39][40]
  • 片桐仁(元ラーメンズ)は学生時代、バカルディやフォークダンスDE成子坂が好きでコントをコピーしていた事がある[41]
  • たきうえ(流れ星☆)は若手時代、桶田の家に居候していた。初めて芸人として人前に立たせて貰えたのは桶田が当時活動していたバンド「The 3cm~」の前説だった[42]
  • 山本博ロバート)はNSC在学当初、学生時代の同級生とコンビを組んでおり養成所内でのコントの評価も高かったが、後に秋山竜次馬場裕之がお笑いの勉強として『自縛』のVHSを見た際、山本が当時組んでいたコンビのネタが自縛のコントに多大な影響を受けた謂わばほぼパクリであった事を振り返っている[43]
  • ホロッコは当初ホリプロに所属して別々で活動していたが、『自縛』にて披露された集団コント「チューリップ商事」の稽古に参加した事をきっかけに出会い、交際・コンビ結成・入籍している[44]
  • 村田が鼻エンジンとしてSMA NEET Projectに在籍していた頃、同じく在籍していた酒井健太(アルコ&ピース)が当時組んでいたトリオ「ホトトギス」のネタを見て、その場に居合わせていた平子祐希(アルコ&ピース)に「天才やん、こいつ」と話しかけた事がある[45]。また、桶田も生前自身のTwitterアカウントにて「良い『間』持ってるね(二人とも)」とアルコ&ピースを評した事があった[46]
  • 岐部昌幸は、学生時代に見た『自縛』のVHSに衝撃を受け、お笑いの世界に携わりたいと思い立った事が放送作家を目指した動機となっている[47]
  • 豊島区要町に建つ劇場「Beach V」は、村田の没後に「遺志を継いでいこう」というコンセプトから2007年に立ち上げられた(Beachは「渚」、Villageは村田の「村」に由来する)。また、世田谷区北沢に建つ多目的スペース「しもきたDAWN」は、桶田が理想のお笑いライブを目指し2017年に立ち上げた[48]

出演[編集]

テレビ[編集]

他、多数。

ラジオ[編集]

他、多数。

CM[編集]

他、多数。

映画[編集]

  • なにわポリス・ストーリー 道頓堀いてまえ警部(1997年)
  • 日本極道史 野望の軍団(1999年)

単独公演[編集]

  • 単独ライブ Vol.1(1992年、銀座小劇場)
  • 単独ライブ Vol.2(1993年)
  • 単独ライブ Vol.3(1994年)
  • 単独ライブ Vol.4(不明)
  • 単独ライブ Vol.5(不明)
  • 単独ライブ Vol.6(1995年、原宿クエストホール)
  • 自縛1(1998年6月、新宿シアターモリエール
  • 自縛2(1998年8月、新宿シアターモリエール)
  • 自縛3(1998年10月、新宿シアターモリエール)
  • 自縛4(1998年12月、新宿シアターモリエール)
  • 自縛5(1999年2月、新宿シアターモリエール)

作品集[編集]

VHS[編集]

  • フォークダンスDE成子坂LIVE 『自縛』
    • 1998年6月から1999年2月新宿シアターモリエールにて隔月開催された、全5回の単独ライブを収めたVHS作品。JIC VIDEO[49]で購入可能。
    • 自縛1(1998年7月29日、TOVH-8053)
    • 自縛2(1998年9月30日、TOVH-8054)
    • 自縛3(1998年11月26日、TOVH-8055)
    • 自縛4(1999年1月27日、TOVH-8056)
    • 自縛5(1999年3月31日、TOVH-8057)
    • 自縛蔵出し(1999年5月26日、TOVH-8082)※1〜5でカットされたコント作品を収録。

その他VHS[編集]

  • ボキャブラ天国 公式ビデオ Vol.1 - 3
  • ホリプロお笑いライブ 芸腕グランプリ1・2
  • ギャグ・ウォーズ(2)
  • ビデオDEコンタクト

参加作品[編集]

  • つっぱり達の叫び(1995年、PRDS-1257)
    • つっぱり達の叫びI/つっぱり達の叫びII・いじめ編/フォークダンスDE成子坂からのメッセージ/黒い声と光/信じる(Bonus Track)
    • 電波結社バババ団で企画・結成された5人組グループ『元つっぱり隊』が、ビクターエンタテインメントが製作した8センチCD
    • 桶田が作詞で携わっており、「フォークダンスDE成子坂からのメッセージ」ではコンビで参加している。

雑誌連載[編集]

  • フォークダンスDE成子坂の『腹を割って尻隠さず』
  • フォークダンスDE成子坂の『石頭』

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d “「ボキャブラ」で活躍 元「フォークダンスde成子坂」桶田さん死去していた 元相方は06年死去”. デイリースポーツ. 神戸新聞社. (2020年2月27日). https://www.daily.co.jp/gossip/2020/02/27/0013149232.shtml 2020年2月27日閲覧。 
  2. ^ フォークダンスDE成子坂 ホリプロ 公式プロフィール(1998年アーカイブ)
  3. ^ 悲劇のコンビ、フォークダンスDE成子坂 運命を狂わせた「ボキャ天」”. withnews (2020年6月18日). 2021年4月22日閲覧。
  4. ^ a b c お笑い実力刃 2021年12月22日放送回より。
  5. ^ a b フォークダンスDE成子坂☆”. サンドウィッチマン伊達みきお 公式ブログ (2020年2月29日). 2021年3月23日閲覧。
  6. ^ フォークダンスDE成子坂”. ますだおかだ増田英彦ブログ (2021年12月24日). 2021年12月30日閲覧。
  7. ^ 村田渚”. オフィス★怪人社 旧公式ホームページ (2002年11月5日). 2021年11月12日閲覧。
  8. ^ 村田渚さんが作った輪” (2006年11月14日). 2021年12月30日閲覧。
  9. ^ みんなフォークダンスDE成子坂が大好きだった” (2006年11月15日). 2021年12月30日閲覧。
  10. ^ ヨロ!”. 桶田敬太郎 Twitter用ブログ (2016年12月18日). 2021年12月30日閲覧。
  11. ^ ネプチューンMC特番で村田渚特集、その才能をくりぃむしちゅーや小峠が語る”. お笑いナタリー (2018年6月18日). 2021年12月30日閲覧。
  12. ^ 村田渚との思い出を松丘やコトブキ、小峠ら笑顔で回想、13回忌ライブ”. お笑いナタリー (2018年11月12日). 2021年12月30日閲覧。
  13. ^ フォークダンスDE成子坂の桶田敬太郎が昨年11月に死去”. お笑いナタリー (2020年2月27日). 2021年12月30日閲覧。
  14. ^ 【追悼】元『フォークダンスDE成子坂』桶田敬太郎氏が遺したもの 親交が深かったTBS元アナウンサー・浦口直樹氏が語る桶田敬太郎氏の素顔とは?”. FRIDAYデジタル (2020年4月2日). 2021年4月29日閲覧。
  15. ^ “天才”とよばれた伝説のコンビ・フォークダンスDE成子坂。超豪華芸人たちが魅力を語り尽くす”. テレ朝POST (2021年12月22日). 2021年12月23日閲覧。
  16. ^ 「お笑い実力刃」でフォークダンスDE成子坂特集、親交の深い芸人たちが魅力を語る”. お笑いナタリー (2021年12月22日). 2021年12月23日閲覧。
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  18. ^ フォークダンスDE成子坂の実力を高田文夫氏が述懐 NEWSポストセブン - Part 1”. NEWSポストセブン (2020年3月8日). 2021年9月20日閲覧。
  19. ^ フォークダンスDE成子坂の実力を高田文夫氏が述懐 NEWSポストセブン - Part 2”. NEWSポストセブン (2020年3月8日). 2021年9月20日閲覧。
  20. ^ 亡くなった桶田敬太郎氏に太田光「天才すぎて売れなかった」”. ライブドアニュース (2020年2月28日). 2021年9月20日閲覧。
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  26. ^ 千原兄弟が『あちこちオードリー』で語ったボキャブラ全盛期。ジュニアの態度に「アイツ、しばく」と言った芸人(てれびのスキマ)”. QJWeb クイック・ジャパン ウェブ (2021年11月4日). 2021年11月5日閲覧。
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  28. ^ 土田晃之、成子坂・桶田さんをしのぶ「最初に“芸能人”と感じた人」”. マイナビニュース (2020年3月4日). 2021年9月20日閲覧。
  29. ^ 太田光・有田哲平・伊集院光ら…芸人16人が語る“伝説の芸人“フォークダンスDE成子坂とは何者だったのか(3/5)”. WEBザテレビジョン (2021年12月25日). 2021年12月29日閲覧。
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  46. ^ アルコ&ピース…良い『間』持ってるね(二人とも)”. 桶田敬太郎 Twitter (2014年1月31日). 2021年7月13日閲覧。
  47. ^ 岐部昌幸 独占インタビュー”. 日本放送作家名鑑 (2021年7月20日). 2021年9月8日閲覧。
  48. ^ 30年前から足しげくお笑いライブに通い数万に及ぶネタを見続けてきた筋金入りのお笑いファン浦口ナオキ氏。そんな浦口氏と人気絶頂で解散した伝説のお笑いコンビ・フォークダンスDE成子坂・桶田敬太郎が、理想のお笑いライブを目指し立ち上げたのがショーゲキしもきたドォ~ン!”. しもきたドーン 公式Twitter (2018年2月6日). 2021年8月29日閲覧。
  49. ^ JIC VIDEO公式ホームページ(※リンク切れ)

外部リンク[編集]