北沢地域

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北沢地域
きたざわ
日章旗 日本
地方 関東地方
都道府県 東京都
自治体 世田谷区
旧自治体 荏原郡世田ヶ谷町(一部)
荏原郡松沢村(大部分)
面積
8.645km²
世帯数
82,344世帯
総人口
144,199
住民基本台帳、2014年3月1日現在)
人口密度
16,680.05人/km²
隣接地区 区内:烏山地域砧地域世田谷地域
区外:杉並区渋谷区目黒区
世田谷区役所北沢総合支所
北緯35度39分25.28秒 東経139度39分13.76秒 / 北緯35.6570222度 東経139.6538222度 / 35.6570222; 139.6538222座標: 北緯35度39分25.28秒 東経139度39分13.76秒 / 北緯35.6570222度 東経139.6538222度 / 35.6570222; 139.6538222
所在地 〒155-8666
東京都世田谷区北沢二丁目8-18
北沢タウンホール内
リンク 北沢総合支所公式ページ
北沢地域の位置(東京都区部および多摩地域内)
北沢地域
北沢地域
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北沢地域(きたざわちいき)は、東京都世田谷区の定める5地域の一つで、北沢総合支所管内を指す。

含まれる町名[編集]

地理[編集]

東京都世田谷区の北東部に位置し、京王線京王井の頭線小田急小田原線で都心に直結し、沿線の明大前駅下北沢駅下高井戸駅豪徳寺駅等の駅周辺は商業地として栄え、地域全体が市街化している。区画整理が完了した良好な住宅地もあるが、道路等都市基盤が未整備のままの地区も見られる(世田谷区ホームページ)。

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沿革[編集]

明治時代末までは純農村の姿をとどめていたが、大正期の私鉄開通、関東大震災による東京都心からの移住を契機に、昭和初期までの約20年間に、急速に住宅地が形成された。

  • 1932年(昭和7年) 荏原郡世田谷町・松沢村が東京市に編入され、世田谷区に属す。
  • 1991年 世田谷区が地域区分を設定し、北沢総合支所が設置され、旧世田谷町の一部・旧松沢村村域の大部分を北沢地域として定める。

公共機関など[編集]

  • 世田谷区役所北沢総合支所・北沢出張所
  • 世田谷区役所代沢まちづくり出張所
  • 世田谷区役所新代田まちづくり出張所
  • 世田谷区役所松原まちづくり出張所
  • 世田谷区役所松沢まちづくり出張所
  • 世田谷区役所梅丘まちづくり出張所
  • 警視庁北沢警察署

所轄となる機関[編集]

  • 警察 北沢警察署(一部を除く)
  • 消防 世田谷消防署
  • 郵便

経済[編集]

産業[編集]

世田谷区ホームページでは次のとおりの記述があり(2007年12月現在)、第三次産業が中心であることが示されている。また、中小の工場も散見されるが転用が進んでいる。

早くから各駅の周辺に地区の核となる商店街が形成され発展してきた。小規模であるが事業所や店舗の分布密度は高く、特に下北沢駅周辺では面的広がりを見せている。商業活性化に対する意欲は強く、地元と結びついたイベントの定着が見られる。

桜上水では、わずかながら農業が営まれるなどしている。

教育[編集]

大学・短期大学[編集]

高等学校[編集]

図書館[編集]

  • 世田谷区立梅ヶ丘図書館
  • 世田谷区立代田図書館

交通[編集]

鉄道[編集]

道路[編集]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

世田谷吉良氏の世田谷城跡をはじめ、豪徳寺井伊氏の菩提寺)、森巌寺北澤八幡神社、真竜寺等、寺社も多く存在している。

公園[編集]

祭り[編集]

出身・ゆかりのある人物[編集]

  • 阿川金三郎(農業)[1]
  • 阿川信平(地主[1]、農業[2]
  • 膳場喜作[3]、月村重吉、月村傳次郎、月村豊作(地主[4]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『日本紳士録 第40版』東京アの部5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月24日閲覧。
  2. ^ 『人事興信録 第9版』ア21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月26日閲覧。
  3. ^ 『日本紳士録 第45版』東京セ、ソの部310頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月23日閲覧。
  4. ^ 『日本紳士録 第41版』東京ツの部399頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月24日閲覧。

参考文献[編集]

  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第40版』交詢社、1936年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第41版』交詢社、1937年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第45版』交詢社、1941年。