奥沢

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奥沢
奥沢三丁目(2009年4月)
奥沢の位置(東京都区部内)
奥沢
奥沢
座標: 北緯35度36分16秒 東経139度40分04秒 / 北緯35.60444度 東経139.66778度 / 35.60444; 139.66778
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 東京都
特別区 世田谷区
地域 玉川地域
面積
 - 計 1.675km2 (0.6mi2)
人口 (2016年(平成28年)1月1日現在)
 - 計 28,182人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 158-0083 
市外局番 03
ナンバープレート 世田谷

奥沢(おくさわ)は、東京都世田谷区町名。現行行政地名は奥沢一丁目から奥沢八丁目。面積は1.675平方キロメートル、人口は28,182人(2016年(平成28年)1月1日現在)[1]

地理[編集]

世田谷区南部の玉川地域に属する。町域は東急大井町線緑が丘駅付近を東端とし、北は九品仏川緑道を境に目黒区自由が丘緑が丘、南は環八通り・世田谷区東玉川玉川田園調布大田区田園調布等に接しながら、九品仏駅尾山台駅の間で世田谷区等々力と接するところまで広がる。東急目黒線奥沢駅が置かれ、その駅前を南北に自由通りが通る。主に住宅地として利用されている。町内には、奥沢神社九品仏浄真寺等が置かれる。

地価[編集]

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、奥沢7-11-12の地点で64万1000円/m2となっている。[2]

歴史[編集]

貞和頃から吉良氏の所領となり、奥沢城が築かれた。江戸時代には荏原郡奥沢村となり、城の跡地には浄真寺が創建された。1622年寛文2年)西の開墾地が奥沢新田村として分村した。天保頃には奥沢村が奥沢本村、奥沢新田村が奥沢村と称されるようになった。

1876年明治9年)に両村が合併し、再び両地域を合わせて奥沢村となった。1889年(明治22年)、市町村制施行に伴い周辺町村と合併、玉川村大字となる。大正期から田園都市株式会社により宅地開発が進められ、1932年昭和7年)世田谷区成立時に開発地が玉川田園調布として分離し、残りが玉川奥沢町となる。1970年(昭和45年)、住居表示を実施して現在に至る。

・田園調布、自由が丘と隣接し高級住宅地として人気が高い。近年は「奥沢」ブランドのスイーツ、カフェ等も定着している。

・戦前は参謀本部、海軍大学校、海軍横須賀鎮守府等へのアクセスの良さから海軍高級士官が多く住み、奥沢一丁目・二丁目中心に現在もその子孫が多数居住している。奥沢二丁目に奥澤海軍町記念碑が残されている。

地名の由来[編集]

地名は呑川の支流九品仏川水源の湿地帯であることを指す。

交通[編集]

施設[編集]

公共[編集]

  • 警視庁玉川警察署奥沢駅前交番
  • 警視庁玉川警察署九品仏交番
  • 東京消防庁玉川消防署奥沢出張所
  • 世田谷区役所玉川総合支所奥沢まちづくりセンター
  • 世田谷区奥沢地区会館
  • 世田谷区奥沢東地区会館
  • 世田谷区九品仏地区会館

医療・福祉[編集]

  • 東京明日佳病院(旧 大脇病院)
  • 奥沢病院
  • 世田谷区立奥沢福祉園
  • 世田谷区立九品仏生活実習所
  • 社会福祉法人奉優会デイホーム奥沢

教育[編集]

文化[編集]

寺社・教会[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 平成28年(2016年)の世田谷区の町丁別人口と世帯数世田谷区ホームページ 2016年1月10日閲覧
  2. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  3. ^ 所在地表記は奥沢一丁目1-1だが、大田区との区境が校地を横切り、校地全体の三分の二が大田区石川町にある。目黒区緑が丘も近い。大田区・目黒区の近隣の児童も本校に通学する。[1]

関連項目[編集]