東急バス淡島営業所

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淡島営業所の事務所
旧事務所跡とピット

東急バス淡島営業所(とうきゅうバスあわしまえいぎょうしょ)は、東京都世田谷区三宿二丁目39-1にあり、渋谷駅をターミナルに主に渋谷区西部、世田谷区東部の路線を所管する営業所である。全路線の運営を東急トランセに委託している。営業所略号はA

沿革[編集]

淡島営業所の路線は、その成り立ちから「営業所のある淡島通り周辺」「富ヶ谷・幡ヶ谷などの渋谷区北西部」「玉川通り以南」の3つの地域に分けることができる。また、東急バス全営業所で唯一、所管路線の起点がすべて渋谷駅(ハチ公バスは渋谷駅東口、西口、ハチ公口を通る)という営業所である。

代々木乗合自動車[編集]

最も歴史が古いのは、1920年大正9年)の代々木乗合自動車の創業に端を発する渋谷区北西部の路線である。

代々木乗合は渋谷駅 - 三角橋(現・松陰学園前)の路線で創業し、1928年昭和3年)に幡ヶ谷自動車を合併して中野区方面に路線を拡張したのち、1929年(昭和4年)にエビス乗合自動車と合併して東横乗合となり、東京横浜電鉄の傘下に入った。

東横乗合時代には代々木と、エビス乗合由来のエビス、それに東横電鉄の免許路線を引き継いだ中目黒という3つの営業所が存在したが、この地区では、幡ヶ谷線の前身となる路線が中野駅まで延びていたり、現在は京王バス東が運行している初台線の前身となる富が谷線が角筈(現・新宿区西新宿)まで運行するなどしていた。そして、三角橋に代々木乗合創業以来の代々木営業所(1940年に代々木本町に移転)を有していた。

日東乗合自動車[編集]

淡島通りの路線の歴史は、1923年(大正12年)に創業した日東乗合自動車が手掛けた路線に起源を有する。

日東乗合は、現在の若林線に相当する中渋谷 - 淡島 - 世田ヶ谷町役場(現・若林小学校北側)の路線を最初に開通させた。日東乗合は、1929年(昭和4年)に玉川電気鉄道に買収され、「東急バス10年の歩み」によると、淡島営業所の開設日はその玉川電鉄時代の1937年(昭和12年)12月27日となっている。ここに至るまでの間、路線は宮坂、経堂を経て恵泉女学園まで伸び、後の代田線に相当する世田谷町役場 - 中原口(現・新代田駅付近)の区間でも運行されるようになった。

その後は東京横浜電鉄、東京急行電鉄と経ていくが、戦前の淡島営業所は淡島通りの路線だけを運行する規模の小さい事業所だった。

大東急時代の営業所統合[編集]

淡島は日東乗合から玉川電鉄に渡った営業所を直系の元祖とするが、玉川電鉄ではもう1つ、現在の東京農業大学の近くにあたる世田ヶ谷町桜(現・世田谷区)に世田谷営業所(後にイメージスタジオ109となった土地)を設けていた。場所的には現在の弦巻営業所の元祖といってもよいが、戦前のうちに玉川電鉄から東横電鉄に継承されたものであり、淡島の流れに属する。戦中 - 戦後の混乱の中で廃止され、淡島営業所に統合された。

一方、代々木営業所は大東急解体と同時に京王線以北の路線が京王帝都電鉄に譲渡されたため、幡ヶ谷線と初台線に相当する短距離区間だけが中途半端に残ることとなり、淡島に統合の上廃止となった。

このため、昭和20年代には世田谷通りを走る成城線、調布線なども受け持ち、営業範囲が世田谷区・渋谷区・目黒区だけでなく狛江町調布町(現・調布市)にまで及んでいたこともある。

1947年(昭和22年)、東急初の都営共管路線の一つ、103系統の運行が始まり淡島が担当となる。103系統は当初駒沢折返しだったが後に経堂駅行きに変更となり、経堂線として定着。続けて1950年(昭和25年)、幡ヶ谷線を東京駅まで延長して都営共管とした。

3地域管轄の完成[編集]

玉川通り以南の路線は、旧日東乗合の時代はもちろん、大東急、そして新生東京急行電鉄になってからもかなり遅くまで存在しなかった。

宿山・上目黒・下馬方面では、戦前にも東横乗合中目黒営業所が東横線中目黒駅省線恵比寿駅からの路線を持っていた。1952年(昭和27年)、東京急行はこの路線を基礎に、洗足線と野沢線の運転を始める。しかし、洗足線は目黒営業所、野沢線は不動前営業所の担当となった。

その後、昭和30年代になると陸軍駒沢練兵場跡地に自衛隊中央病院陸上自衛隊衛生学校三宿病院などの公共施設が次々と開設され、それらと渋谷駅を最短で直結する路線が求められるようになった。

東急は1956年(昭和31年)、世田谷区内戦後初の新拠点として瀬田営業所を立ち上げる。これにより既存の淡島・目黒両営業所の負担を軽くした上で、淡島では新展開として三宿線の運行を開始した。1959年(昭和34年)3月の弦巻営業所開設時には、成城線や調布線を移管する代わりに渋谷線と下馬線の運行を始める(後述)。

以上のようにして、淡島営業所は最初に記した3地域の路線を管轄するようになり、なおかつ大田区を営業範囲に加えたのである。

東急トランセ委託へ[編集]

平成に入ってからの動きとしては、東急トランセへの運営委託がある。最初に委託されたのは、1999年(平成11年)の渋谷線であるが、当時は東急トランセの営業所が下馬にしかなかったため、同年8月28日に下馬に移管する形をとった。なお、これと引き換えに、瀬田営業所からグランド線(渋谷駅 - 田園調布駅)が移管されており、営業エリアに若干変化が生じている。

その後、2003年(平成15年)1月16日に東急トランセ淡島営業所が開設され、同時に三宿・幡ヶ谷・NHK3線の委託を開始、さらに同年3月16日に下馬線、7月16日にグランド線と続き、9月16日の若林線を以って委託路線化を完了した。

現行路線[編集]

グランド線[編集]

田園調布駅ターミナル

渋谷駅から国道246号・東京医療センターを経由して田園調布駅へ向かう。交通量の多さ・自由が丘駅周辺の道路幅の狭さ・大井町線踏切から遅延に悩まされるが、およそ10分おきに走っている便利な路線。線名の「グランド」とは、駒沢のゴルフ場跡地(元陸軍練兵場、現・駒沢五輪公園)にかつて存在した駒澤野球場に由来する(現在の駒沢公園野球場とは異なる)。同球場を本拠としたプロ野球東急フライヤーズとのタイアップ路線でもあった。

原型は、昭和初期に目蒲乗合が開通した自由が丘駅 - 駒沢ゴルフコース線である。戦後は1953年(昭和28年)5月21日に自由が丘駅 - 三軒茶屋の運行が開始、1954年(昭和29年)9月10日に渋谷駅に延長され、1956年(昭和31年)11月15日に発着点が自由が丘から田園調布駅に変更された。当初は目黒営業所が担当したが、田園調布駅への延長後瀬田営業所に変わった。

この路線は利用者が多いだけでなく、自由が丘や田園調布といった、東急エリア随一の洗練された街並みの中を走る路線。このため、運行車両のグレードアップにより、他線との差別化が図られてきた。1986年(昭和61年)にはシート・サスペンションなどの設備を向上させたロマンス車(貸切兼用車両)が集中投入されている。同車のボディには、従来の銀色と赤色に金色を追加した豪華な装飾が施されており、他車との差は歴然としたものだった。1998年(平成10年)にロマンス車が廃車時期を迎えると、その代替として当時はまだ珍しかったノンステップ車が大量導入され、再び注目を集めた。淡島への移管以後もノンステップ車の導入が続けられ、現在では全便がノンステップ車で走行している。

瀬田時代には入庫時、田園調布から園01と同じく環八経由で営業所へ向かう便のほか、渋谷発では八雲三丁目で自由通りに入らず目黒通りを直進、黒02の経路で上野毛駅まで進み、環八通りへ右折して営業所に向かう便が存在した。1999年(平成11年)9月1日に淡島へ移管され[1]、出入庫時に運行されていた渋谷駅 - 瀬田営業所は渋谷駅 → 都立大学駅に変更された。田園調布側についても三宿止まりに変更され、到着後は淡島まで回送される。出庫時は八雲高校発渋谷駅行き、昭和女子大・八雲三丁目発田園調布駅行きが運転される。

三宿線[編集]

  • 渋31:渋谷駅 → 大橋 → 三宿下馬一丁目 → 東山一丁目 → 大橋 → 渋谷駅

玉川通りを三宿まで進み、下馬・東山を経て渋谷駅へ戻る循環線。自衛隊中央病院と事実上の併設院である公務員共済三宿病院東邦大学医療センター大橋病院など沿線に大規模病院がありそれらへの病院輸送を中心に、昭和女子大学への通学輸送、陸上自衛隊三宿駐屯地への通勤輸送、ドン・キホーテ中目黒本店の買い物客輸送も担う。

昭和30年代の開通だが、ごく初期に限り渋谷駅 - 三宿 - 上目黒五丁目(現・五本木二丁目)として運行していた。路線名は三宿線、あるいは三宿循環線だが、乗客への案内は「下馬一丁目循環」を用いる。出庫時は三宿発(淡島から回送)が運転される。

かつては、「渋谷駅 -(循環)- 蛇崩」と案内していた。「蛇崩(じゃくずれ)」とは下馬付近の昔の地域名で、三宿病院停留所の旧称でもある。

下馬線[編集]

  • 渋32:渋谷駅 → 大橋 → 三宿 → 下馬一丁目 → 下馬営業所 → 野沢龍雲寺 → 世田谷観音 → 三宿 → 大橋 → 渋谷駅
  • 渋32:渋谷駅 → 大橋 → 三宿 → 下馬一丁目 → 下馬営業所 → 野沢龍雲寺 → 世田谷観音 → 三宿(夜間)

渋谷駅から玉川通りを三宿まで走り、三宿通り・下馬通り・環七を経て野沢龍雲寺に至り、野沢通りを経由して渋谷駅へ戻る。東急東横線と田園都市線の中間にある世田谷区野沢・下馬の地域輸送と、東京学芸大学附属高校への通学輸送を担う。なお路線開通直後は、東京学芸大学世田谷分校も存在しており学生で賑わった。

平日朝は5分間隔、日中は概ね10分間隔で運行されている。2003年6月16日から2014年8月31日まで深夜バスは下馬営業所が「渋谷線」として担当していた。深夜も三宿止まりがあり、三宿交差点を直進して車庫へ戻る。出庫時は三宿・野沢龍雲寺発が運転される。昭和30年代の開通だが、前述の三宿循環の開業より数年後のことである。

渋谷線[編集]

  • 渋33:渋谷駅 - 大橋 - 三宿 - 下馬営業所 - 都立大学駅前 - 奥沢駅 - 雪が谷 - 多摩川駅瀬田と共管)
  • 渋33:三宿 → 都立大学駅前 → 奥沢駅 → 雪が谷 → 多摩川駅(出庫便)
  • 渋34:渋谷駅 - 大橋 - 三宿 - 下馬営業所 - 都立大学駅北口 - 中根町 - 東京医療センター
  • 渋34:三宿 - 都立大学駅北口 - 東京医療センター(出入庫便)

渋谷線は渋33・渋34の2系統から成り、渋谷駅から三宿、下馬一丁目、野沢交番前を経由し、都立大学駅で分岐して渋33系統は奥沢、雪が谷を経由して多摩川駅へ、渋34系統は中根町を通り東京医療センターへと向かう。このうち渋33系統は平日朝に数本が運行されるのみである。

もとは1959年(昭和34年)5月1日に渋谷駅 - 都立大学 - 雪が谷 - 下丸子 - 池上駅 - 大森駅を、当営業所と池上営業所の共管で運行を開始(のちに大森操車所まで延長)した路線である。これ以前に池上担当で運行していた大森駅 - 雪が谷の路線を延長する形で「渋谷線」として成立したが、1981年(昭和56年)5月26日には渋谷駅 - 丸子橋(淡島担当、渋谷線・渋33)と田園調布駅 - 大森操車所(池上担当、下丸子線・森10)に分割された。

渋谷線はこれ以降、1988年に渋谷駅 - 都立大学駅北口間の渋34系統を設定し、1989年(平成元年)12月16日には丸子橋折返所の廃止に伴い渋33系統を多摩川園(現・多摩川駅)まで延長、2002年(平成14年)10月16日には渋34系統を東京医療センターへ延長するとともに多摩川駅からの折り返し便に相当する多摩川駅 - 東京医療センター間の多摩01系統を設定した。

1999年(平成11年)8月24日をもって下馬営業所に移管され、東急トランセへの委託路線となったが、2014年9月1日に淡島営業所へ再移管された。多摩01系統は2011年(平成23年)3月1日に渋33系統の一部とともに瀬田営業所に移管のうえ「雪が谷線」となった。

若林線[編集]

  • 渋51:渋谷駅 - 駒場 - 淡島 - 若林折返所
  • 出入庫:渋谷駅 - 駒場 - 淡島
  • 出入庫:太子堂中学校 → 若林折返所
  • 出入庫:若林折返所 → 淡島

渋谷駅から淡島通りを経由して世田谷区若林方面へ至る。淡島通りの本線路線であるとともに営業所の主幹路線。淡島通りには2002年まで国立小児病院(現・国立成育医療研究センター)が立地していたが、移転後は筑波大駒場都立駒場高校都立国際高校駒場東邦日本工業大駒場駒場学園といった中・高等教育機関への通学輸送の役割が極めて重い。特に渋51系統は所管路線中最も本数が多く、平日朝は2分おき、日中でも1時間に10本は走っている。

1987年(昭和62年)11月2日より深夜バスも運行されるようになり、2006年(平成18年)5月20日からは土曜も運行している。出入庫便として渋谷駅 - 淡島の区間便や淡島(出庫時のみ太子堂中学校) - 若林折返所の便も運転される。

もともと淡島通りでは、戦前から続く宮の坂経由で経堂に至る路線が終戦直後まで運行されていたが、1949年(昭和24年)3月10日よりこの若林線が渋谷駅 - 若林で運行されるようになった。そして、経堂へのルートは国際興業から小田急グループ入りし都区内への進出を目指していた小田急バスに渡る。

その後、1962年(昭和37年)に渋谷駅 - 世田谷区民会館が開通。その後上町線に統合され、渋谷駅 - 淡島 - 用賀 - 田園調布駅となったのち、昭和40年代に再び渋谷駅 - 世田谷区民会館となったが、昭和50年代に淡島へ移管されて若林線に統合されるまでの間、区民会館線と称して弦巻が担当していた。

なお、世田谷区役所・世田谷区民会館へは渋谷駅からの別路線である渋21・渋23渋24(いずれも三軒茶屋経由)に乗車し「世田谷区役所入口」で下車する方が便利である。

渋51には2002年8月から、渋52には2003年からノンステップ車が運用に入るようになった。なお、渋谷駅 - 淡島では並行する小田急シティバスの渋54系統も早くからノンステップ車を導入しており、現在は運行されるバスの全てがノンステップ車となっている。

2015年(平成27年)12月1日、渋52系統が若01系統と統合され、若林百貨店循環線として再び弦巻営業所の担当となった。若01系統は2013年(平成25年)8月30日より、若林線に沿い、東急百貨店本店前を経由して渋谷駅バス停に停車しない循環路線として下馬営業所の担当で運行を開始したが、この統合により渋谷駅を経由するようになった。

幡ヶ谷線[編集]

幡ヶ谷線 東北沢にて

渋谷駅から国道246号、神泉町交差点から旧山手通り、山手通りを北進し、東大裏交差点から航研通りに入り東大駒場キャンパスの北を走る。さらに三角橋交差点から東京都道420号鮫洲大山線にそのまま直進。東北沢駅を経由して五條橋交差点から住宅街の細い区道に入り幡ヶ谷折返所へ向かう。1時間に2本程度の頻度で運行している。 路線内にある代々木上原停留所は、小田急小田原線東京メトロ千代田線代々木上原駅とはまったく異なる地点にある[2]。また終点の幡ヶ谷折返所も京王新線幡ヶ谷駅から離れた住宅街の中にあるが、こちらは同駅から徒歩圏内となっている。

歴史は古く、1920年に開通した代々木乗合自動車の本線を起源とする。当初の終点は三角橋(現・松陰学園前)で、代々木乗合の本社(のちの代々木営業所)もそこにあった。昭和に入ると中野方面に延長され、戦中までは6号通り、鍋屋横丁を経て中野駅まで直通していた。

戦後は、1946年(昭和21年)4月21日に渋谷駅 - 東北沢駅で運転を再開する。大東急の解体と同時に中野営業所を譲渡し、東急のエリアは幡ヶ谷以南となったが、1950年(昭和25年)5月6日からは都営バスとの相互乗入れで東京駅まで延長、123系統(幡ヶ谷 - 渋谷駅 - 溜池 - 東京駅)へと生まれ変わった。

その後、東京都交通局の第2次再建計画による路線再編成に巻き込まれ、1977年(昭和52年)12月15日限りで東京駅直通運転を取りやめる。都営は渋谷駅と新橋の間に並行路線[3]があったため全線廃止、撤退した。東急は再び渋谷駅が起点となり、現在の形に落ち着いた。

その後の渋谷駅乗り場は、東口・玉川線の渋谷駅跡地と移り、渋谷マークシティの建設により1994年(平成6年)に同乗り場が廃止されると南口バスターミナルに移動した。これに伴い、幡ヶ谷行きの方向幕は誤乗を防ぐために全面青地のものに交換された。

渋谷循環線[編集]

廃止・移管路線[編集]

若林線(一部系統の統合)[編集]

  • 渋52:渋谷駅 - 駒場 - 淡島 - 若林駅前 - 世田谷区民会館(世田谷区役所)

もとは上町線として渋谷駅から若林、上町、用賀、九品仏を経て田園調布駅まで運行していた路線。1973年に田園調布側を園02系統として分割、本系統も引き続き区民会館線として弦巻営業所が担当したが、駒沢営業所閉鎖と同時の1984年(昭和59年)3月16日付で淡島営業所に移管のうえ若林線に統合された。

2015年12月1日付で若01系統と統合、若林百貨店循環線として弦巻営業所に戻された。

代田線[編集]

  • 渋53:渋谷駅 - 駒場 - 淡島 - 代沢小学校 - 代田四丁目

渋谷駅から淡島まで若林線と同経路を走り、代沢小学校を経由して環七通り沿いの代田四丁目に至る路線。

東急の戦時休止路線で最後に復旧した路線で、1953年(昭和28年)10月16日に戦後の運転を始めた。なお、戦前は玉川電鉄時代に代田四丁目をほぼ同位置に「中原口」という停留所があり、ルートは一部異なるが、淡島通り側からそこまでの路線があったことが記録されている。

京王井の頭線や小田急バス梅ヶ丘線とほぼ並行していたこともあり乗客は比較的少なく、若林線との重複整理を理由に1978年(昭和53年)12月19日限りで廃止された。

初台線[編集]

代々木乗合自動車の富ヶ谷線以来の伝統を持つ路線で、現在の幡代線(渋63)や初台線(渋64)が京王に渡った後も長く東急が単独で維持した。

ところが、1997年(平成9年)12月、京王帝都電鉄(現・京王バス東)が都区内均一運賃の値上げを見送ったのに対し、東急は現在の210円均一に値上げしたため、たかが10円とはいえ運賃の安い京王、さらには並行して渋66系統を運行している都営バスに乗客が流出してしまう。

そこで2000年(平成12年)6月16日、京王バスとの共同運行を開始。東急担当便も京王に合わせて200円均一に値下げされたが、2002年(平成14年)5月31日限りで東急としての運行を終了。翌6月1日からは渋谷初台線の名前で京王へ完全移管となった。その後、2013年(平成25年)5月13日付で中野営業所に再度移管。既存の幡代線や初台線と担当が合わせられて現在に至る。

NHK線[編集]

NHK線専用車(A1875)

渋谷駅とNHKスタジオパークとの間をノンストップで結ぶ短距離の路線であった。京王バス(現・京王バス東)との共同運行で2000年3月18日に開業し、運賃は一般路線より安い150円に設定されていた。NHKのキャラクターがラッピングされ、車体色を紺色とした、この路線専用の中型車で運行されていたが、点検時や増発便など臨時で一般車を充当されたこともあった。また、車内放送は一部時間帯を除き、基本的にNHKのキャラクターによる自動放送が流れていた。

2010年3月31日限りで東急は撤退し、翌4月1日からは初台線と同様に京王バス東単独となって現在に至る。

車両[編集]

淡島営業所は長年、三菱ふそうが指定メーカーだった。1960年代の三菱日本重工の時代から、三菱重工三菱自動車三菱ふそうトラック・バスと受け継がれてきたが、その後、日野自動車と日産ディーゼル(現・UDトラックス)の車も目的に合わせた新造や転属などで配備された。2014年12月現在、三菱ふそう、日野車を中心に大型短尺車と中型車、小型車のバリエーションがあり、61台のバスが配属されている。

大型短尺車はノンステップ車に統一され、グランド線・若林線・下馬線や若林線深夜バスを中心に運用されている。三菱ふそう・エアロスターとエアロスター-S(UDトラックスOEM車)、日野・ブルーリボンIIが主力である。A720号車は弦巻営業所から転属した車両で当営業所唯一のUD車であったものの、2013年に新羽営業所に転属。ラッピング車も多く運行されており、2011年に国土交通省大臣賞受賞作品のラッピングがA1075号車に貼り付けされた。ちなみに、A585号車はかつて三菱ふそうトラック・バスが東京モーターショーに出品する予定だったサンプルカーで、東急バスの標準仕様と比較し、サッシが黒になるなど内外装の仕様が大幅に異なる。元サンプルカー導入はA585号車が東急バス史上初となる。また、2015年度には淡島初のハイブリッド車として日野・新型ブルーリボンハイブリッド(A1502・1503号車)が配置された。

中型車は「新低床バス」のロゴが貼られたスロープの無い三菱ふそう・エアロミディMKワンステップ車(ただしNHK線専用車は車椅子に対応)の置き換えで配置された三菱ふそう・エアロミディMK日野・レインボーIIノンステップ車が所属し、三宿線、幡ヶ谷線で運用されている。2014年には目黒営業所からエアロミディMKのナロー車が転入し、三宿線や若林線などで運用されている。小型車はハチ公バスこと渋谷循環線専用の日野・ポンチョ、渋谷駅東口宮益坂乗り場(東急百貨店東横店)と東急百貨店本店を結ぶ無料循環バス「City Shuttle」用の三菱ふそう・ローザが所属している。

2014年度途中の11月17日から世田谷ナンバー(ご当地ナンバー)の使用開始に伴い、新車と転入車は世田谷ナンバーで登録されており、2014年度のエアロスターと2015年度のブルーリボンII・新型ブルーリボンハイブリッドが世田谷ナンバーとなっている。

脚注[編集]

  1. ^ バス路線の所管の変更 (PDF) 」 、『HOT ほっと TOKYU』第210号、東京急行電鉄、1999年9月1日2017年1月20日閲覧。
  2. ^ 同駅は井の頭通り沿いに位置する。
  3. ^ 橋89系統。現在の都01系統(グリーンシャトル)である。

関連項目[編集]