東急バス下馬営業所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
下馬営業所

東急バス下馬営業所(とうきゅうバスしもうまえいぎょうしょ)は、東京都世田谷区下馬一丁目3-2に位置する東急バスの営業所。主に下馬・野沢祐天寺周辺の路線を管轄する営業所である。営業所の略号はSI

沿革[編集]

  • 1953年7月22日:観光営業所として開設。車両3両および乗務員を目黒営業所から移管。
  • 1986年(月日不明): 名称を観光バスセンターに変更。
  • 1994年9月30日:観光バスセンター廃止。28両を減車した上で、名称を大橋営業所下馬支所に変更。 
  • 1998年7月28日:東急トランセの営業所開始に伴い、観光バス事業を高津へ移管。
  • 1999年8月1日:東急トランセ下馬営業所に隣接する営業所として新設、大橋から野沢線を移管させる。

1999年8月1日東急バスが100%出資子会社の東急トランセへ路線の運行委託を開始するにあたり、東急トランセ下馬営業所に隣接する営業所として新設された。

現在は、新設時に東急バスの路線であった路線の全てが東急トランセ下馬営業所として運行(委託)しており、2001年3月に弦巻営業所管内で同じように委託運行が始まるまでは、東急トランセ委託路線を持つ唯一の営業所であった。このため当初、委託路線は各営業所からこの営業所に移管するかたちで進められ、その結果、所管路線は都内の広範囲に及び、接続する鉄道駅もさまざまとなっていた。営業所の敷地は、かつて東急バスの観光部門の営業所として使われていた。観光バス事業の縮小に伴い、1994年9月30日、観光バスセンターは大橋営業所下馬観光支所に格下げとなっていた。

1998年7月28日に東急トランセが営業を開始するにあたり、観光バス事業は高津営業所に移管された(観光バス事業は更に瀬田営業所に移管)。

1999年8月1日に大橋営業所から野沢線を移管されたのに続き、同年度中に渋谷・環七の両路線が移管され、さらにこれにエビス・三軒茶屋・洗足の各路線を加えた計6路線を受け持っていたが、2010年代になって次々とほかの営業所へと移管されていき、現在は一般路線は野沢線のみで、それ以外は空港路線のみとなっている。

なお、代官山循環線、富士山・今治方面の高速バスの車両も当所に所属するが、これは東急トランセ直営の路線である。詳細については東急トランセ#代官山循環線東急トランセ#高速バスを参照のこと。

現行路線[編集]

野沢線[編集]

  • 黒09:目黒駅中目黒駅 → 下馬一丁目 → 下馬営業所 → 野沢龍雲寺 → 下馬一丁目 → 中目黒駅 → 目黒駅(右回り)
  • 黒09:目黒駅 → 中目黒駅 → 下馬一丁目 → 下馬営業所 → 野沢龍雲寺 → 下馬営業所
  • 黒09:目黒駅 → 中目黒駅 → 下馬一丁目 → 下馬営業所
  • 黒09:下馬営業所 → 野沢龍雲寺 → 下馬一丁目 → 中目黒駅 → 目黒駅
  • 中目01:中目黒駅 → 下馬一丁目 → 下馬営業所 → 野沢龍雲寺 → 下馬一丁目 → 中目黒駅 → 目黒駅(右回り)
  • 中目01:下馬営業所 → 野沢龍雲寺 → 下馬一丁目 → 中目黒駅

1952年(昭和27年)4月15日に、渋谷駅と下馬・野沢地区の連絡を目的として開通した。開通後1年半は渋谷駅から鉢山・南平台付近を通り、西郷橋の下を経由して野沢龍雲寺に向かっていたが、1953年10月16日に渋谷駅東口発着に変更され、代官山・中目黒を迂回する経路となった。その後、1956年(昭和31年)2月1日より都営バスとの共同運行で東急初の新宿乗入れ路線として明治通り経由で新宿駅東口まで至るようになり、都営に合わせて3ケタの系統番号、129系統を名乗った。

ところが、渋谷駅から自衛隊中央病院公務員共済三宿病院への足としてほぼ同時に開設された三宿線、その後に展開された下馬線や渋谷線の登場で、宿山・下馬地区から渋谷駅へ向かうにはそちらの方が便利となる。

渋滞等による遅延のため新宿への直通利用が少なくなり、1977年(昭和52年)12月16日に共同運行を解消すると、その後は徐々に便数も減っていく。渋谷駅直通も下馬線にその役目を譲る方向性が決められ、1984年(昭和59年)2月16日の駒沢営業所閉鎖に伴うダイヤ改正の際に中目黒駅発着の折返便(中目01)が設定された。そして、1988年(昭和63年)2月15日限りで渋谷駅発着便(渋70)を廃止。その後は中目黒 - 野沢龍雲寺を結ぶ短距離の路線として運行していた。1993年には野沢折返所の廃止に伴い一部経路を変更し下馬一丁目以西が渋32と同じ形態の循環路線となり、1999年(平成11年)8月1日には東急トランセへの委託第1号路線に選ばれて大橋より移管された。

2003年(平成15年)、中目黒駅近くの旧・千代田生命ビルが目黒区総合庁舎となったことを受け、同年1月16日に庁舎との連絡を目的に目黒駅へ延伸、黒09が新設された[1]2004年(平成16年)5月17日には平日の中目01が全て黒09となり、中目01は土曜・休日の朝の出庫→中目黒駅始発1便のみとなった。現在は1時間に3本前後が運行され、原則として中型車を使用している。出入庫便として下馬営業所発着も運転され、基本的には野沢龍雲寺を経由するが、目黒駅発の一部は野沢方面に行かず直接下馬営業所に入庫する便もある。

2016年3月1日にエビス線と洗足線が移管されてからは下馬営業所の一般路線ではこの野沢線が唯一となった。

移管路線[編集]

渋谷線[編集]

  • 渋32:渋谷駅 → 大橋 → 三宿 → 下馬一丁目 → 下馬営業所 → 野沢龍雲寺 → 渋谷駅
  • 渋32:渋谷駅 → 大橋 → 三宿 → 下馬一丁目 → 下馬営業所 → 野沢龍雲寺 → 下馬営業所(深夜バス)
  • 渋33:渋谷駅 - 大橋 - 三宿 - 下馬営業所 - 都立大学駅前 - 奥沢駅 - 雪が谷 - 多摩川駅瀬田と共管)
  • 渋34:渋谷駅 - 大橋 - 三宿 - 下馬営業所 - 都立大学駅北口 - 東京医療センター
  • 渋34:渋谷駅 - 大橋 - 三宿 - 下馬営業所
  • 渋34:下馬営業所 - 都立大学駅北口 - 東京医療センター
  • 多摩01 東京医療センター - 都立大学駅前 - 緑ヶ丘駅 - 雪が谷 - 多摩川駅

1959年(昭和34年)5月1日に渋谷駅 - 都立大学 - 雪が谷 - 下丸子 - 池上駅 - 大森駅の運行が開始(のちに大森操車所まで延長)されたのが始まりで、当時は淡島池上が担当した。ただし、これ以前に池上担当で大森駅 - 雪が谷を結ぶ路線があり、渋谷線はこれを延長する形で成立している。この経緯から、池上側より渋谷へ向かう路線ということで「渋谷線」の線名が付いた。その後、定時性の低下に伴う長距離路線分断の流れの中で、1981年(昭和56年)5月26日に渋谷駅 - 丸子橋(淡島が担当し、渋谷線の線名と渋33の系統番号を継承)と田園調布駅 - 大森操車所(池上担当、森10)に分割された。

なお、渋33の北側は三宿線(渋31)・下馬線(渋32)などの並行路線があり、南側は東急電鉄の路線がすぐ近くを走っていることから渋33の独自性は低く、1988年に渋34(渋谷駅 - 都立大学駅北口、都立大学駅北口付近は右回り経路)が運行を開始し、更なる運用効率化が図られた。1989年平成元年)12月16日、丸子橋折返所の廃止に伴い渋33の発着が多摩川園(現・多摩川駅)に変更され、1999年(平成11年)8月24日をもって下馬に移管され[2]、東急トランセへの委託路線となった。

2002年(平成14年)10月16日には、トランセ委託後初の大規模な改正があり、多摩川駅からの折り返し便に相当する多摩01が運行を開始、渋34も発着点が東京医療センターに変更された[3]。これにより、渋谷駅 - 多摩川駅を通し運行する渋33は朝のみの運行に縮小されている。

2003年(平成15年)6月16日のダイヤ改正により、渋32の深夜バスが新設され、深夜バスおよびその直前の便を下馬が受け持つようになった。

2011年(平成23年)3月1日のダイヤ改正では渋33が平日のみの運転となり、渋33の一部と多摩01が瀬田に移管されて雪が谷線に変更された。

2014年(平成26年)9月1日のダイヤ改正で、淡島営業所の担当に戻された。

ちなみに、雪が谷と大森駅の間には渋谷線とは別に、池上営業所と京浜急行電鉄(現・羽田京急バス)の共管路線、空港線(園11)が存在した。空港線の運行ルートは洗足池 - 大田区役所前(現・大田文化の森)が池上単独の大森線(森05)と重複し、洗足池では乗客を載せたままバス転回所で折り返していた。東急が撤退し共同運行を解消した後も京急はそのまま園11として運行を継続。1993年(平成5年)には羽田空港国内線ターミナルが移転するも国際線ビル打ち切りで残ったが、1998年(平成10年)、大田区役所の蒲田駅前移転で存続の意味を失ったとして廃止された。

環七線[編集]

  • 森91:大森操車所 - 大森駅山王口 - 馬込駅前 - 長原 - 洗足駅入口 - 野沢交番前 - 野沢龍雲寺 - 上馬 - 駒留 - 若林駅前 - 新代田駅前
  • 森91:大森操車所 → 大森駅山王口 → 馬込駅前 → 長原 → 洗足駅入口 → 野沢交番前 → 野沢龍雲寺
  • 森91:新代田駅前 → 若林駅前 → 若林交番
  • 森91:野沢交番前 → 上馬 → 若林駅前 → 新代田駅前
  • 森91:柿の木坂二丁目 → 洗足駅入口 → 長原 → 馬込駅前 → 大森駅山王口 → 大森操車所

都営バスと相互乗り入れをしていた大森操車所 - 新宿駅西口間の路線が前身で、1984年(昭和59年)2月15日に分割されて大森側が現在の森91系統となった(新宿側は都営単独の宿91系統として野沢銀座止まりとなる)。1999年(平成11年)10月16日付で大橋から下馬へ移管され[4]、同時に東急トランセ管理委託路線となった。下馬営業所への出入庫のため、下馬営業所 - 野沢交番前 - 新代田駅、下馬営業所 - 野沢龍雲寺 - 大森操車所の出入庫系統があったが、2014年4月1日のダイヤ改正で下馬営業所発着系統の下馬通り部分はすべて廃止・短縮され、新代田駅 → 若林交番、野沢交番前 → 新代田駅前、大森操車所 → 野沢龍雲寺となった。

2014年6月1日のダイヤ改正で、下馬営業所から弦巻営業所へ移管された。入出庫便は大森操車所 - 駒留、新代田駅前 → 若林交番、野沢交番前→新代田駅前に変更された(駒留・若林交番・野沢交番前~弦巻営業所は回送)。

都営の宿91系統は分断後、野沢銀座から野沢龍雲寺折返所まで回送のうえ折返していたが、同折返所の廃止により1993年に駒沢陸橋へ延長したのち2013年3月31日をもって東急エリアの駒沢陸橋 - 新代田駅前間を短縮、新代田駅前で完全に分断される形となった。

三軒茶屋線[編集]

  • 黒06:目黒駅 - 元競馬場前 - 祐天寺駅 - 五本木一丁目 - 学芸大学付属高校 - 日大生物資源科学部 - 三軒茶屋駅

1950年(昭和25年)、旧目黒自動車運輸(目黒営業所の前身)の目黒駅 - 祐天寺駅間を復活させ、三軒茶屋まで延長して開業。2002年(平成14年)7月16日に下馬に移り、トランセ委託路線となった。2014年(平成26年)9月1日のダイヤ改正で、若林百貨店循環線と共に弦巻営業所へ移管された。

若林百貨店循環線[編集]

  • 若01:若林折返所 → 淡島 → 駒場 → 青葉台四丁目 → 東急百貨店本店前 → 道玄坂上 → 青葉台四丁目 → 駒場 → 淡島 → 若林折返所

2013年(平成25年)8月30日開業。2014年(平成26年)9月1日のダイヤ改正で、三軒茶屋線と共に弦巻営業所へ移管された。その後、2015年12月1日に淡島営業所の若林線渋52系統と統合、新・渋52系統として当初は停車しなかった渋谷駅を経由するようになった。

エビス線[編集]

  • 恵32:恵比寿駅 - 目黒区総合庁舎 - 三谷 - 東京医療センター前 - 深沢不動前 - 中町五丁目 - 用賀駅瀬田営業所と共管)
  • 恵32:恵比寿駅 → 目黒区総合庁舎 → 三谷 → 東京医療センター前 → 深沢不動前 → 中町五丁目(深夜バス
  • 恵32:五本木 → 三谷 - 東京医療センター前 - 深沢不動前 - 中町五丁目 - 用賀駅
  • 恵32:五本木 → 目黒区総合庁舎 → 恵比寿駅
  • 恵32:用賀駅 → 中町五丁目 → 深沢不動前 → 東京医療センター前 → 三谷
  • 恵32:恵比寿駅 → 目黒区総合庁舎 → 守屋図書館

駒沢通りにはかつて、渋谷駅東口発着(渋谷駅東口 - 恵比寿間は渋72・恵比寿駅からは分断前の恵32と同一経路)の渋74系統と、東京駅直通で桜新町打ち切りの駒沢線こと東80系統が運行されており、このうち東80は不動前から弦巻を経て最後は駒沢が担当した。その後、東80系統は恵比寿駅を境に分断され、恵比寿以西が恵33系統として運行される。渋74も渋谷駅と恵比寿駅の間が廃止され、恵比寿駅から用賀・農大前・千歳船橋を経由して祖師ヶ谷大蔵駅を結ぶ路線となった。しかし、駒沢線はエビス線に吸収される形で1981年(昭和56年)に廃止となる。

1994年(平成6年)1月17日付で再編成が行われ、用賀駅を境に恵32(恵比寿駅 - 用賀駅)と用01(用賀駅 - 祖師ヶ谷大蔵駅)に分断された。これは駒沢通りでの慢性的な渋滞によって発生する折返便の遅延を減らすことが狙いだった。祖師ヶ谷大蔵駅にバスターミナルが新設されるまでは一つ手前の祖師谷大蔵(祖師ヶ谷折返所→現・山野小学校)で発着していたが、駅前バスターミナルの新設で祖師ヶ谷大蔵駅まで延伸されている。

2001年(平成13年)3月1日、瀬田営業所より移管された。ただし下馬営業所の位置が路線の途中で早朝・最終バス間際に全線通しで運行がしにくいことから、同年3月16日よりその時間帯に限って瀬田担当便が復活。同営業所の用賀線の一部として運行している。時刻表にも瀬田担当便である記号が記載されている。

2014年6月1日のダイヤ改正により、翌2日の運行から[5]平日のみ恵比寿駅→中町五丁目の深夜バスが設定された。同改正により、恵比寿駅 - 守屋図書館の区間便が土曜日に1便だけ復活している。出庫時には五本木発、入庫時には恵比寿駅からは守屋図書館止まり・瀬田営業所行き(瀬田担当便のみ)、用賀駅からは三谷止まりが運転される。

2016年3月1日、下馬営業所から瀬田営業所に瀬田担当便を含めて全便移管、トランセ委託前の所管に戻った。

洗足線[編集]

  • 渋71:渋谷駅東口 - 代官山駅入口 - 祐天寺 - 清水庚申 - 洗足駅
  • 渋71:渋谷駅東口 - 代官山駅入口 - 祐天寺
  • 渋71:洗足駅 - 清水庚申 - 目黒中央中学校

1952年(昭和27年)6月25日東急百貨店(渋谷駅東口)- 清水が開通し、1954年(昭和29年)7月25日に洗足まで延長、1957年(昭和32年)7月13日からは大岡山経由で洗足池に至る便も運行されていたが、1970年代に現行経路となった。なお円融寺前 - 洗足駅間は、戦前に目黒蒲田電鉄が運行した路線と重複する。

祐天寺二丁目交差点以降の目黒中央中学校 - 洗足駅は、清水(清水庚申)付近で目黒通りを横断する以外は専ら住宅街を通行する。沿線には実相山正覚寺・明顕山祐天寺・経王山円融寺といった著名な寺院・仏閣があり、目黒区役所(総合庁舎)への足としての重要な役割を担う路線でもある。

水道局目黒営業所前 - 清水庚申は交通規制(一方通行)により、洗足方面と渋谷方面で通行経路が異なる。そのため中央町二丁目は洗足方面のみ、清水は渋谷方面のみ停車となり、中央町はそれぞれの停留所が約200m離れている。この区間は狭隘路のため当路線は中型車限定運用となっている。開通当初、この付近では五本木から目黒通りへと直進するルートで往復とも運行されていた。

東急目黒線洗足駅のホームは地下にあり、ホーム直上に駅舎と東急ストアが建てられている。バスのりばは駅舎と東急ストアの間にあり、駅改札の裏側にあたる。

2007年(平成19年)3月16日より、目黒営業所から下馬営業所へ移管、同時に東急トランセ委託となるが、2016年(平成28年)3月1日にはトランセ委託を解除のうえ9年ぶりに目黒営業所に再移管、本社直営路線に戻った。下馬時代の出入庫は渋谷駅側からの祐天寺発着、洗足駅側からの目黒中央中学校発着として運行(いずれも下馬営業所への回送時でも祐天寺駅まで運転しない。渋谷駅→祐天寺行きは土曜夜1便のみの運行)で、サービスプロバイダー(運転士)の交代は水道局目黒出張所前で行なっていた。

車両[編集]

34台のバスを配置。日野三菱ふそうの車両が配置されている。2016年5月現在は中型ノンステップバスに統一されているが、かつては各営業所から経年車がかき集められ、特に富士重工5Eボディ車の最終形全車両(旧SI800〜SI807)が大橋弦巻池上川崎新羽の各営業所から集められ、自家用(白)ナンバーの教習用車両として運用していたのが特徴だった(このうちSI802と803は緑ナンバーのままで一般路線との兼用だった)。その後教習施設は高津に移管された。現在では一般路線用の車両はすべて中型車に統一されており、2016年のエビス線移管前は大型車も配置され、大型車は原則エビス線、中型車は野沢線・洗足線を中心に使用されていた。

渋谷線と野沢線を受け入れた当初は、淡島営業所から転入した三菱ふそう・エアロミディMKと新車の三菱ふそう・エアロミディMJのみという構成で、大型車は環七線移管時に弦巻営業所からUD製のU33およびUA440が、エビス線移管時に瀬田営業所から三菱ふそう・エアロスターが転入していた。現在大型車は空港リムジン車のみ配置され、渋谷空港線と二子空港線で使用される。主に環七線で使用されていたナロー車は環七線移管と同時に全車が弦巻営業所に転出し、大型車もエビス線移管に伴い全車が瀬田営業所に転出した。一般路線車はすべて中型車で日野・レインボーIIと、UDトラックスOEM車の三菱ふそう・エアロミディ-Sが配置され、日野・レインボーIIのうちSI1126号車は東急バス創立20周年を記念し、観光バス初代塗装となっている。

空港リムジン車と高速路線車は日野と三菱ふそうの車両が配置される。

脚注[編集]

  1. ^ 黒09 目黒駅~(中目黒駅)~野沢龍雲寺 循環系統を新設 (PDF) 」 、『HOT ほっと TOKYU』第263号、東京急行電鉄、2003年2月25日2017年1月22日閲覧。
  2. ^ バス路線の所管を一部下馬営業所に変更 (PDF) 」 、『HOT ほっと TOKYU』第209号、東京急行電鉄、1999年8月1日2017年1月21日閲覧。
  3. ^ 「東京医療センター」へのアクセスが便利になりました! (PDF) 」 、『HOT ほっと TOKYU』第257号、東京急行電鉄、2002年9月25日2017年1月22日閲覧。
  4. ^ バス路線の所管の変更 (PDF) 」 、『HOT ほっと TOKYU』第211号、東京急行電鉄、1999年10月1日2017年1月20日閲覧。
  5. ^ 2014年6月1日が日曜日であるため。

関連項目[編集]