オッペケペー節

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オッペケペー節(オッペケペーぶし)は、明治時代流行歌である。

概要[編集]

大阪の落語家の桂文之助(二世曽呂利新左衛門)の門人の3代目桂藤兵衛(または2代目桂梅枝か?)が始めた。その弟子の浮世亭〇〇(まるまる)が川上音二郎となり、1889年に作詞[1]1891年2月以降、壮士芝居の役者として舞台に立ち、おおぎりに余興として歌った。後鉢巻きに赤い陣羽織を着て、日の丸の軍扇をかざして歌った。東京では、同年6月浅草中村座で歌った。人気が出ると歌詞は10数種類できている[2]

歌詞の一例は「権利幸福嫌ひな人に、自由湯をば飲ましたい、オッペケペーオッペケペッポーペッポーポー、固い上下の角取れて、マンテルズボンに人力車、意気な束髪ボンネット、貴女に紳士のいでたちで、うはべの飾りは好いけれど、政治の思想が欠乏だ、天地の真理が分らない、心に自由の種を蒔け、オッペケペオッペケペッポーペッポーポー」。

自由童子とオッペケペー[編集]

音二郎は、民権思想の新聞記者として自由童子を名乗り、入獄10数回を数えた[3]。政治的意見を表明すれば、すぐに弾圧される明治時代に音二郎は言いたいことをオッペケペーの歌詞の中でズバズバ言ったので、不満を感じていた民衆に爆発的な人気を博した[4]

音源[編集]

1900年川上音二郎一座が欧米興行を行った際にイギリスグラモフォン・レコード社EMIの前身)に「オッペケペー節」を録音、SP盤で発売された。音二郎の肉声は録音されていなかったが、これは日本人初のレコードへの吹き込みであったとされている。

そして、1997年に「オッペケペー節」など計28曲を一枚のCDにしたものが『甦るオッペケペー節』として東芝EMIから発売された。[5]

脚注[編集]

  1. ^ オムニバス『恋し懐かし はやり唄』コロムビア・レコード,2006年
  2. ^ 紀田 順一郎『幕末明治風俗逸話事典』p581、 東京堂出版 、1993
  3. ^ 紀田順一郎『幕末明治風俗逸話事典』p579-582、 東京堂出版 、1993
  4. ^ 紀田順一郎『幕末明治風俗逸話事典』p579-582、 東京堂出版 、1993
  5. ^ 後に英EMIのアーカイブ音源がワーナー・ミュージック・グループに買収され、現在の日本での発売権はワーナーミュージック・ジャパンにある。