オッペケペー節

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オッペケペー節(オッペケペーぶし)は、明治時代流行歌である。

概要[編集]

大阪の落語家の桂文之助(二世曽呂利新左衛門)の門人の3代目桂藤兵衛(または2代目桂梅枝か?)が始めた。その弟子の浮世亭〇〇(まるまる)が川上音二郎となり、1889年に作詞[1]1891年2月以降、壮士芝居の役者として舞台に立ち、おおぎりに余興として歌った。後鉢巻きに赤い陣羽織を着て、日の丸の軍扇をかざして歌った。東京では、同年6月浅草中村座で歌った。人気が出ると歌詞は10数種類できている[2]

歌詞[編集]

歌詞は資料によって歌詞や表記に多少の相違があるが、ここでは一例として小国政の『版画「川上音二郎書生演劇」』[3]から紹介する。
()内のひらがなルビ、/\はくの字点である。

権利(けんり)幸福(こうふく)きらいな人に。自由湯をば飲(の)ましたい。オツペケペ。オツペケペツポー。ペツポーポー。
堅(かた)い上下角(かど)とれて「マンテル」「ヅボン」に人力車意気な束髪(そくはつ)ポン子ツト貴女(きぢよ)伸士(しんし)のいでたちで。外部(うはべ)の飾(かざり)はよいけれど政治思想(しそう)が欠乏だ。天地真理(しんり)が解(わか)らない。心に自由種(たね)を蒔(ま)け。オツペケペ。オツペケペツポペッポーポー
米價(べいか)騰貴(とうき)の今日に。細民(さいみん)困窮(こんきう)省(みかへ)らす目深(まぶか)に被(あ)ふた高帽子(たかほうし)指輪(ゆびわ)金時計権門(けんもん)貴顕(きけん)に膝(ひざ)を曲け。藝者(げいしや)たいこに金を蒔(ま)き。内にはを倉(くら)に積(つ)み。同胞(どうほう)兄弟見殺(みごろし)か。幾等(いくら)慈悲(じひ)なき慾心(よくしん)も。餘り非道(ひどう)な薄情(はくじやう)な但し冥土(めいと)の御土産か。地獄(ぢごく)ゑんまに面會し。わいろ遣ふて極楽へ。行けるかへゆけないよ。オツペケペ。オツペケペツポーペツポーポー
亭主の職業は知らないが。おつむは当世のそくはつで。ことば開化かんごで。みそかのことわりカメだいて。不似合だ。およしなさい。なんにも知らずに知た顔。むやみに西洋を鼻にかけ。日本酒なんぞはのまれない。ビールに。ブランデーベルモツト。腹にもなれない洋食を。やたらに喰ふのもまけおしみ。ないしよでこうかへどついて。ましめな顔してコーヒ飲む。おかしいね。ヱラペケペツポ。ペツポーポー
侭になるなら自由の水で。國のけがれを落したい。オツペケペ。オツペケペツポーペツポーポー
むことり島田当世髪ねづみのかたきに違(ちが)いない。かたまきゾロ/\引づらし。舶来もようでりつぱだね。買う時ァ大層おだしだらう。向ァあつくていらないよ。其時ァおつかが。すいりよして。おそでにかくして一トはしり。からくり細工にいてくるよ。ヲヤ大きなこゑでは。いわれない内證たよ。ぶたいはけつきやうだ御免なさい。オツペケペ。オツペケペツポ。ベツポゝ。
おめかけぜうさんごんさゐに。芝居を見せるは不開化だ。かんぜんてうあく分(わか)らない。いろけの所に目をとめて。だいぢの夫(おつと)をそでにする。浮氣をすること必定だ。おためにならなゐ。およしなさい。國會開けたあかつきに。やくしやにのろけちやおられない。日本をだゐじに守りなさゐ。まゆげのないのがおすきなら。かつたいおいろに持なんせ。目玉むくのがおすきなら。たぬきとそいねをするがよゐ。オツペケ。オツペケベツポペツポーポー
ひんすりやどんすふとん。敷て玉のこし。オツペケペ。オツベケペツポ。ベツポーポー
娘のかた掛りッぱだが。とつさんケツトを腰にまき。どちらも御客をのせたがる。娘のころぶを見ならふて。とつさんころんじやいけないよ。オツペケペ。オツペケペツポ。ペツポーポ
洋語をならふて開化ぶり。バンくふばかりが改良でねへ。自由の権利をこうてうし。國威をはるのが急務(きうむ)だよ。ちしきとちしきのくらべやゐ。キョロ/\いたしちや居られなゐ。窮理発明のさきがけで。 異國におとらずやッつけろ。神國名義だ日本ポー

自由童子とオッペケペー[編集]

音二郎は、民権思想の新聞記者として自由童子を名乗り、入獄10数回を数えた[4]。政治的意見を表明すれば、すぐに弾圧される明治時代に音二郎は言いたいことをオッペケペーの歌詞の中でズバズバ言ったので、不満を感じていた民衆に爆発的な人気を博した[5]

音源[編集]

1900年川上音二郎一座が欧米興行を行った際にイギリスグラモフォン・レコード社EMIの前身)に「オッペケペー節」を録音、SP盤で発売された。音二郎の肉声は録音されていなかったが、これは日本人初のレコードへの吹き込みであったとされている。

そして、1997年に「オッペケペー節」など計28曲を一枚のCDにしたものが『甦るオッペケペー節』として東芝EMIから発売された。[6]

脚注[編集]

  1. ^ オムニバス『恋し懐かし はやり唄』コロムビア・レコード,2006年
  2. ^ 紀田 順一郎『幕末明治風俗逸話事典』p581、東京堂出版、1993
  3. ^ 版画「川上音二郎書生演劇」 - 小国政 - Google Cultural Institute”. 2016年6月25日閲覧。
  4. ^ 紀田順一郎『幕末明治風俗逸話事典』p579-582、東京堂出版、1993
  5. ^ 紀田順一郎『幕末明治風俗逸話事典』p579-582、東京堂出版、1993
  6. ^ 後に英EMIのアーカイブ音源がワーナー・ミュージック・グループに買収され、現在の日本での発売権はワーナーミュージック・ジャパンにある。