三遊亭圓楽 (6代目)
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六代目 | |
![]() 三ツ組橘は、五代目圓楽一門の定紋である。 『笑点』で着用している着物の紋も同様。 | |
本名 | 會 泰通(あい やすみち) (別表記:会 泰通) |
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別名 | 三遊亭 円楽 三遊亭 楽太郎(旧名) 楽さん 立川 談次郎 |
生年月日 | 1950年2月8日(72歳) |
出身地 | ![]() |
師匠 | 五代目三遊亭圓楽 |
弟子 | 三遊亭楽生 三遊亭楽京 三遊亭楽市 三遊亭楽大 三遊亭一太郎 三遊亭楽天 三遊亭楽八 三遊亭楽㐂 三遊亭楽花山 三遊亭楽太 ニックス |
名跡 | 1. 三遊亭楽太郎 (1970年 - 2010年) 2. 六代目三遊亭圓楽 (2010年 - ) |
出囃子 | 元禄花見踊 |
活動期間 | 1970年 - |
活動内容 | 古典落語 |
配偶者 | あり |
家族 | 会一太郎(長男) |
所属 | 落語家として 落語協会 (1970年 - 1978年) 落語三遊協会 (1978年 - 1980年) 大日本落語すみれ会 →落語圓楽党 →落語ベアーズ →圓楽一門会 →五代目圓楽一門会(1980年 - ) 落語立川流Bコース(1990年頃) 落語芸術協会[注 1](2017年 - ) マネージメント 星企画 (1970年 - 2010年) オフィスまめかな (2010年 - ) |
受賞歴 | |
放送演芸大賞最優秀ホープ賞(1979年) 若手落語家努力賞(1981年) | |
備考 | |
五代目圓楽一門会幹事長 | |
六代目 三遊亭 圓楽(ろくだいめ さんゆうてい えんらく、1950年2月8日 - )は、日本の落語家、俳優。東京都墨田区出身。出囃子は『元禄花見踊』。本名は會 泰通[注 2]。五代目圓楽一門会所属で、幹事長を務める。2017年6月27日から、客員として落語芸術協会に加入[3]し、2つの噺家団体で活動している。マネジメントはオフィスまめかな。
長男は落語家・声優の会一太郎(落語家としての名称は三遊亭 一太郎)。
経歴
東京都墨田区出身。墨田区立両国中学校、東京都立深川高等学校、青山学院大学法学部卒業。
1970年4月の青山学院大学在学中、五代目三遊亭圓楽の鞄持ちのアルバイトに志願。付き人を経てスカウトされ入門し、大師匠六代目三遊亭圓生の命名により「楽太郎」を名乗る。圓楽の「楽」に長男を意味する「太郎」で楽太郎となった。なお、当時圓楽一門には兄弟子の楽松がいたが、楽松については六代目圓生の本名「松尾」の「松」を与えたとされている。他の名前の候補には『道楽』、『楽々』、『楽がん』などがあった。大学の落語研究部に所属しており、後に兄弟子となる三遊亭楽松とは落研の発表会で会うなど、入門前から面識があった。1972年3月に青山学院大学法学部卒業。
1976年7月、二ツ目昇進。1977年8月28日、六代目三遊亭圓窓の後任として『笑点』レギュラーとなる。五代目圓楽の降板で欠員が出ていたため、5代目が着ていた薄紫の色紋付を着用することとなった。1978年、落語協会分裂騒動で師匠と共に落語協会を脱退し、落語三遊協会所属となる。1979年1月、放送演芸大賞最優秀ホープ賞受賞。
1980年に落語三遊協会が解散し、大日本すみれ会(現:五代目圓楽一門会)所属となる。1981年1月、若手落語家努力賞受賞。3月に真打昇進。
2007年より「博多・天神落語まつり」のプロデュースを手がけており、東西の大物落語家なども登場する一大イベントとなっている。
2010年3月1日、初名の三遊亭 楽太郎から師匠の名跡である六代目三遊亭圓楽を襲名した[注 3]。
2016年6月10日、写真週刊誌「フライデー」に40代女性と錦糸町のラブホテルへ入る様子を撮影された件で、釈明会見を開き不倫関係にあることを認めた[5]。この際、冒頭で相手との出会いや関係について自らつまびらかに語り、不倫相手・「フライデー」・妻・落語関係者・『笑点』関係者に対して謝罪と感謝の言葉を述べ、報道陣の質問にも制限をほとんど設けずすべて答えたため、「神対応」と評価された[6]。なお、掲載直後の『笑点』の大喜利(2016年7月3日放送分)では、挨拶の前に司会の春風亭昇太からこの不倫報道を理由に問答無用で座布団を全部没収された[7]。
2017年6月27日に開かれた落語芸術協会の総会にて客員での加入が認められ、同日より五代目圓楽一門会と並行して落語芸術協会の落語家としても活動する[3]。これにより、落語協会脱退以来39年ぶり(厳密には6代目圓楽襲名披露興行を落語芸術協会の協力の下、定席興行にて実施しているため、それ以来7年ぶり)に定席興行に出演できるようになった。また、この加入は単身での加入であり、6代目圓楽門下の弟子は引き続き五代目圓楽一門会のみの所属となる。
2018年9月28日、自身の所属する事務所の公式ホームページを通じて初期の肺がんであることを公表[8]。翌月の5日に手術を行い、12日に復帰した[9]。
2019年5月24日から26日にかけて札幌市内の三か所のホールを会場に三遊亭圓楽プロデュース「さっぽろ落語まつり」第一回開催。28名の落語家が出演、主催はテレビ北海道、北海道新聞社ほか。同年7月18日、検査で脳腫瘍が見つかり、19日、検査と治療のため3週間ほど入院することを発表した[10][11]。8月11日、病院からの一時外出という形で国立演芸場・8月中席に出演、トリを務め、高座復帰を果たす[12]。19日に退院[13]。
2020年11月に開催された新型コロナウイルス感染症流行下におけるがん検診の重要性を訴えるセミナーで、2019年に肺がんが再発していたがごく初期のため薬を変えて検査数値が良くなったこと、過去に初期の大腸がんも患っていたこと、現在も毎月がん検診を受けていることなどを報道陣に明らかにした[14]。
2021年6月13日、有楽町よみうりホールにて、弟子の伊集院光と二人会を開催(昼夜2公演)。2020年5月に伊集院のラジオ番組にゲスト出演した際に圓楽が開催を持ちかけたことがきっかけとなった。伊集院としては30年ぶりの高座復帰となり、また昼公演では実子の一太郎が6年ぶりに高座に立ち、夜公演では伊集院がかつて名乗っていた高座名を引き継いだ三遊亭楽大が出演した[15]。
2022年1月25日、脳梗塞のため入院したことを所属事務所が26日に発表。命に別条はなく、新型コロナ感染症とは関連がないという[16]。同年2月18日、前述した脳梗塞の治療は終了したものの更なるリハビリの継続と既往症である肺がんの経過観察・治療等の理由から退院の目処が立たず、大事をとって今年の「夏頃まで」休養することを所属事務所が発表した[17]。療養中の『笑点』については2月13日放送分より一部の特別企画を除いて、円楽と親交のある落語家達が週替わりあるいは2週替わりでピンチヒッターとして出演している他、円楽自身も度々直筆のメッセージやリハビリの映像を寄せている。 5月20日に退院、復帰を目指して自宅療養に戻ったことを所属事務所が発表した[18]。7月19日、国立演芸場の8月中席(11日 - 20日)で高座復帰することが明らかにされた[19]。復帰した際のイベントでは「まだ、死んでねえよ」とブラックジョークを発する気概を見せた[20]。「笑点」にも復帰することを語っている[21]。
芸歴
- 1970年4月 - 五代目三遊亭圓楽に入門、「楽太郎」を名乗る。
- 1976年7月 - 二ツ目昇進。
- 1977年8月 - 『笑点』の大喜利メンバーに加入。
- 1978年 - 落語協会分裂騒動で師匠と共に落語協会を脱退し、落語三遊協会所属となる。
- 1980年 - 落語三遊協会解散、大日本すみれ会所属となる。
- 1981年3月 - 真打昇進。
- 2010年 - 『六代目三遊亭圓楽』を襲名。
- 2017年6月 - 落語芸術協会に客員として加入。
出囃子
6代目圓楽襲名
2008年8月、師匠・5代目圓楽から、楽太郎(6代目圓楽)が還暦を迎える2010年2月に6代目圓楽を襲名をすることが発表された。当時、楽太郎が60歳を迎えるのが2010年の2月で、真打昇進したのが1981年の春(3月)だったため、その頃を目処にという表現をしていた。楽太郎は「圓楽の名跡は師匠(5代目)が大きくしたもの。5代目・6代目はよかったねと言われるよう精進したい」と語った。
しかし、自らがプロデュースする「博多・天神落語まつり」開催直前の2009年10月29日、5代目が肺癌で死去した。既に福岡入りしていた楽太郎は、師匠の最期には立ち会えなかった(2009年9月3日に、長男の一太郎を伴って、5代目圓楽の自宅へ自分の弟子にしたと挨拶に訪問したのが直接対面した最後だったとのこと。この日は大師匠である6代目三遊亭圓生の誕生日と命日でもあり、墓参りもしていたとしている)。翌日の開幕式では気丈に振舞っていたものの、師匠を失い、襲名披露に立ち会ってもらえなくなったという精神的ショックは大きく、報道陣に対しては自筆のコメントペーパーを出すのが精一杯だった。その後も、仕事で地方廻りがあったため、対面は一門による通夜が行われた11月4日となった。
2010年2月28日放送の『笑点』にて「六代目圓楽襲名披露口上」を行い、翌3月1日付で正式に6代目圓楽を襲名した。3月2日には、襲名披露パーティーと記者会見を帝国ホテルにて開催し、襲名披露公演は3月3日の高知県立県民文化ホールを皮切りに12月まで全国80か所以上で行われ[22]、3月15日には新橋演舞場、2010年3月下席から4月中席まで落語芸術協会の定席興行(新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場)でも開催された。寄席定席での披露興行は、楽太郎の要望に応じた落語芸術協会会長の桂歌丸の協力により実現し、当人の定席への出演は32年ぶりとなった。また5月31日には、横浜市の三吉演芸場で行われた歌丸一門会でのトリを務めた。
笑点のオープニングではアニメーションが変更され、2010年2月28日から2016年5月8日の放送まで「六代目」の寄席文字が入っていた(英語標記も、6th SANYUTEI ENRAKUとなっていた)。
襲名と同時に、5代目が担当していた日本香堂・毎日香のCMナレーションも継承している。
逸話
父は警視庁の警察官で、反抗心からか学生時代にはブントに所属し学生運動にも参加していたが、「ユートピアを追うことに疲れ、そのときに落語を聞き返したところ、その中にユートピアがあることを発見し、落語に生きることにした」[24]と語っている。
高校生の頃、青山学院大学の入試に軽い気持ちで受けたら合格できたという。
20歳で圓楽に弟子入りし、概ね5年ごとに節目を迎えてきたため、いつしか「5年計画」で物事を進めるようになった。そのため、圓楽襲名の話が師匠からあった際も、すぐにというわけではなく、その5年ごとの節目にもあたる60歳にという意向で、6代目襲名の話を進めることになったと語っている。
若手時代、瀬古利彦に顔が似ているとされており、テレビで瀬古の物真似をすることが多かった。瀬古が所属していた「S&B」の文字が入ったランニングシャツを着て「これは『三遊亭楽太郎は、僕です』の略字」と説明するなどのギャグを披露していたが、35歳を迎える1985年正月より「落語で勝負したい」として、瀬古の物真似を封印した。数年後、瀬古の方から「楽太郎に似ている」ことを話のネタにするという逆転現象となった。現在も交流があり、2010年3月の6代目圓楽襲名披露パーティーにサプライズゲストとして瀬古が出演した。
2015年1月1日に放送された『笑点』正月特番では、女子アナとの大喜利コラボ企画で「青山頑張れ!」と母校の青山学院大学陸上部を応援し、翌日開催された箱根駅伝において、青学陸上部は完全優勝を果たした。これに2区を走った一色恭志選手が、感謝のツイートを上げている[25]。
最初の弟子は、後に放送作家に転身した石田章洋(門下当時は花楽京)で、二番目はタレントに転身した伊集院光(門下当時は楽大)である。
プロレスファンとして知られる。天龍源一郎とは仲が良い。ゆでたまごが天龍の試合観戦中に観客とトラブルになった際に、それを仲裁したのが圓楽だった。それがきっかけで、ゆでたまごは天龍同盟の飲み会に参加するようになったとのことである[26]。 実際、天龍とは中学時代の同級生である。また、ウルティモ・ドラゴンが立ち上げた「闘龍門」の理事長を務めたこともあった[要出典]。
かつて「おはよう!ゲートボール」で審判員として出演した経験から、ゲートボール審判員の資格を持っている。
先代圓楽と三遊亭圓丈とは、落語協会脱退後に袂を分かつ状態となったため特段の交流は無かったが、2013年の圓丈の著書「落語家の通信簿」について、圓楽が誤認を指摘して増刷時に修正されたのを機に意気投合し、2014年に圓丈・圓窓の一門弟子と共に圓生一門の合同落語会「三遊ゆきどけの会」が開催されることとなった[27]。2016年からは「三遊落語祭」と名前を変え、以降も年1回ペースで開催している。
五代目が創設した五代目圓楽一門会と、桂歌丸が会長を務めた落語芸術協会(客員)との二重所属である。更に、入門当時は落語協会に在籍しており、圓楽一門会独立後の1990年頃、落語立川流に非落語家の著名人枠である立川流Bコースに「立川談次郎」の名で所属していたことがある。あくまで圓楽一門会所属の落語家である故に、プロ落語家として落語家団体の二重加盟を避けたためであると思われるが、立川談志との交流関係を伺わせるエピソードであり、六代目襲名披露にも病をおして談志が出演している[28]。主要噺家4団体全てに、何かしらの形で在籍歴がある唯一の噺家となっている。
元衆議院議員の東祥三とは長い付き合いがあり応援をしている[29]。
五代目が生前、曹洞宗釈迦尊寺(群馬県前橋市)の住職との親交があったため、その関係から6代目も前名の楽太郎時代から釈迦尊寺との繋がりがある。自身は「俺は次男なので実家の墓に入れないから」と、釈迦尊寺に生前墓(寿陵)を建立している[30][31]。2016年3月には釈迦尊寺にて得度(出家)式を行い、『楽峰圓生』(らくほうえんしょう)の僧名を賜った[30][31]。
上記の釈迦尊寺との関係もあり、前橋市出身の立川談之助(立川談志一門)、弟弟子でもある三遊亭竜楽と共に、「まえばし観光大使」を委嘱されている[32][31]。
1985年8月12日、笑点の企画で五代目圓楽、桂歌丸、初代林家木久蔵(現・林家木久扇)、三遊亭小遊三、林家こん平、古今亭朝次(現・七代目桂才賀)、山田隆夫と、翌日の阿波踊りに参加するべく徳島入りする予定だったが、予約した徳島行きの航空機が大幅に遅延し、徳島空港が悪天候のため、予約便は条件付き運行となった。そこで1つ後の日本航空123便に搭乗して[注 4]、神戸から船で移動する案が浮上したが[注 5]、こん平が「いいじゃないかい、決まった便でゆったり行こうよ、きっと徳島空港に着陸できるよ」と提案したため、元の徳島便に搭乗し、日本航空123便墜落事故から逃れることができた。徳島空港到着後、宿泊先のホテルへタクシーで移動中に、墜落事故を知ったという[33] 。
大喜利メンバーとして
1977年8月28日より『笑点』の大喜利メンバーに加入し、レギュラー出演している。なお、『笑点』には入門直後から、5代目の付き人・裏方として関わっていた[34]。
2022年の時点での大喜利メンバーの中では林家木久扇(1969年11月加入)に次ぐ古参である反面、2004年12月に林家たい平が代理メンバーとして加入するまでは、1歳年下の桂才賀がメンバーだった一時期(1980年11月2日-1988年3月27日)を除いて、最年少メンバーだった。
インテリ[23]、セレブ[注 6]、腹黒[23]、友達がいないキャラを担当[35]。但し、2019年4月以降はたい平と親友という設定ができ、互いに「円楽っち」「たい平っち」と呼び合っている。
かつてノベルティーグッズとして『腹黒時計』なるものを制作していたことがあり、時計の一部は弟子筋にも配布されている[36]。他にも、林家木久扇が販売している「木久蔵ラーメン」に対抗して、「圓楽腹黒ラーメン」を販売している[37]。
五代目が司会を務めていたころ、自身に対するダメ出しで番組が締めになるなど師匠から厳しく叱責されたため[注 7] 、降板を考えた事がある。しかし、当時の番組プロデューサーである本多益幸から説得を受け、思いとどまった[38]。自身が褒められたのは5代目が死去する2年ほど前であり、「おまえもようやく少しは“らしく”なったねぇ」と言われたという[39]。
兄弟弟子である好楽が運営する池之端しのぶ亭は『笑点』のネタで、「解体工事中」「客が来ない」などと多用している。師匠・五代目圓楽に対しては、師匠の作った寄席の若竹が潰れて借金まみれ、顔長の馬面(「馬頭観音」「馬の耳に念仏」など)といった罵倒ネタを、歌丸とともに多用していた。メンバーの中では「他メンバーに毒を吐く」イメージがあるが、収録の際はパン等の差し入れを毎回している[40]。
昇太が司会に就任してからは、司会の座を奪おうとするネタを多用するようになった[注 8]。ただし、これはあくまでも番組としてのネタであり、本人は自ら司会をやることに対しては否定的な発言をしている[41]。なお、2018年4月1日のエイプリルフール企画[42][43]と2021年5月9日の笑点55周年企画において、昇太と入れ替わる形で司会を2回担当したことがある。
桂歌丸との関係
五代目圓楽の司会就任以降、大喜利メンバーの先輩である歌丸との罵倒合戦を繰り広げており[44]、歌丸司会当時は、政治批判や時事ネタを活かして座布団を獲得するも、罵倒ネタ(主にジジイネタ・禿または髪の毛のネタ・臨終または葬式ネタなど)を用いて(稀に両隣の昇太とたい平や全員を巻き込んで)大量ないし全部没収されてしまうことがしばしばあった。番組内では犬猿の仲を演じていたが、若手時代にネタに困っていた楽太郎に歌丸が「俺のことでもいいから」とアドバイスしたのが罵倒合戦の始まりであり[38](圓楽曰く「罵倒ネタを用いた際は収録後に謝るようにしている」)、歌丸との仲は良く、二人会等番組外での共演も多くメキシコで一緒に海外公演を行ったこともあった。圓楽が主催し、東西の落語家が協会の垣根を超えて出演する『博多・天神落語まつり』にも、歌丸は亡くなる前年の2017年まで毎年出演していた。6代目襲名の際、5代目が逝去していたこともあって歌丸が後見人を引き受け、襲名披露を落語芸術協会の定席興行で実現させた。
2017年6月より、歌丸が会長を務める落語芸術協会に単身で客員として加入することになったが、その仲介役となったのが会長の歌丸と、同じく笑点メンバーで副会長の三遊亭小遊三であった[45]。
長年に渡る関係から、圓楽の歌丸へ対する尊敬の念は大きく、2015年10月には『桂歌丸師匠を人間国宝にする会』を立ち上げ、歌丸を落語界4人目の人間国宝にすべく署名運動を展開したこともあった[46]。
2018年7月の歌丸死去の際にはコメントで歌丸のことを、噺家としての父である師匠の5代目圓楽に次いで、自身を支えてくれた『最後の父親』と称し、歌丸への思いを綴った[47]。歌丸との生前最後の対面となった同年6月20日の見舞いの際には、その様子を共に見舞った笑点の番組関係者がビデオ撮影しており、撮影映像が7月12日に日本テレビで生放送された歌丸追悼特別番組で『歌丸生前最後の映像』として放送された。
歌丸の死後最初の放送となった7月8日放送の笑点は、「歌丸追悼スペシャル」として歌丸を偲んでの追悼大喜利が行われ、この中で圓楽は大喜利最後の回答で指名され、亡き歌丸相手に「ジジイ!早過ぎるんだよ!」と最後の罵倒を叫んで、長年の罵倒合戦を涙ながらに締め括った[48]。
歌丸の死後も高座や笑点の回答にて歌丸に関連することをしばしば話しており、前述の肺がんや脳腫瘍が判明した時は「歌丸師匠が呼んだかと思った」と話している[49]。
歌丸の弟子達[注 9]とも歌丸の生前より親交があり、歌丸一門の落語会にゲストとして呼ばれたり、2018年の落語芸術協会ファン感謝デー「芸協らくごまつり」にて設けられた弟子達による追悼座談会に参加した他、自身が客員として所属している落語芸術協会の定席で共演することがある。
歌丸が長年トリを務めていた国立演芸場8月中席のトリを引き継ぎ、2019年[50]、2020年[51]、2021年[52]と高座をつとめた。前述通り、2016年に得度しており、歌丸の葬儀では僧侶が用いる黒衣と袈裟を着て参列した。
出演
テレビ
- 笑点(日本テレビ系列、1977年8月28日- )
- ハッピーリビング(テレビ埼玉、1979年-1981年)
- おはよう!ゲートボール(テレビ朝日系列、準レギュラー)
- ヒラメキ大作戦(朝日放送テレビ)
- ABOBAゲーム(テレビ朝日)準レギュラー
- おはようテレビ朝日(テレビ朝日、1985年)
- メイコとあなたの税ミナール(フジテレビ系列、1989年4月-1996年3月 国税庁提供)
- 怪傑!ドクターランド(MBS制作・TBS系列、1992年10月-1993年3月)
- クイズプレゼンバラエティー Qさま!!・プレッシャーSTUDY(テレビ朝日系列、不定期出演)
- SUPER SURPRISE(日本テレビ系列、2009年4月-12月 水曜コメンテーター→2010年1月-3月 月曜コメンテーター)
- 天才をつくる!ガリレオ脳研(テレビ朝日系列、2009年11月-2010年8月・2010年12月- 「ガリレオ謎かけ」出題者)
- らくごるふ(フジテレビワンツーネクスト)
- 円楽の大江戸なんでも番付(BS朝日、2015年4月30日 - 、司会)
- プレバト!!(MBS) - 不定期出演
- 今夜はナゾトレ(フジテレビ系列) - 不定期出演
- ごごナマ(NHK総合、2017年4月 - 2021年3月) - 火曜日レギュラー
テレビドラマ
- エプロンおばさん(フジテレビ系列、1983年)第10話 - 今井 役
- ひらり(NHK連続テレビ小説、1992年10月5日-1993年4月3日) - 蛭田明夫 役
- 暴れん坊将軍(テレビ朝日系列)
- 寺子屋ゆめ指南(NHK、1997年)第6話 - お咲の父親・清兵衛 役
- 葵 徳川三代(NHK大河ドラマ、2000年) - 講談師 役
- 月曜ミステリー劇場「万引きGメン・二階堂雪6 逆恨み」(TBS系列、2001年4月9日)
- 金曜ロードSHOW! 特別ドラマ企画 家族、貸します 〜ファミリー・コンプレックス〜(日本テレビ系列、2012年7月27日) - 小橋明弘 役
- 鴨、京都へ行く。-老舗旅館の女将日記-(フジテレビ系列、2013年5月21日)第7話 - 東雲亭千雀 役
- 大江戸事件帖 美味でそうろう(BS朝日、2015年12月4日・5日) - 語り[53]
- 赤めだか(TBS系列、2015年12月28日) - 5代目三遊亭圓楽 役[54]
- せいせいするほど、愛してる 第3話(TBS系列、2016年7月26日) - 石岡健一 役
- 水曜ミステリー9「警視庁強行犯係・樋口顕3 烈火」(テレビ東京系列、2016年12月21日) - 松岡大吉 役
- BS笑点ドラマスペシャル第2作「五代目三遊亭圓楽」(BS日テレ、2019年1月12日)- ナレーション
- 月曜名作劇場 京都タクシードライバーの事件簿 (TBS系列、2019年2月4日)- 茶川大助 役
- THE GOOD WIFE / グッドワイフ(TBS系列、2019年2月10日 - ) - 南原次郎 役
ラジオ
- エルフモーニングダッシュ 楽太郎のおいしい朝だよ(文化放送、1986年10月6日-1991年10月4日)
- HARAGURO ラジオ(文化放送・KBCラジオ、1997年-2000年)
- 伊集院光 深夜の馬鹿力(TBSラジオ、2001年6月18日ほか)
- 三遊亭円楽のおたよりください!(CBCラジオ、RKBラジオほか、2020年9月28日 - )※TBSラジオ制作
- 伊集院光とらじおと(TBSラジオ、ゲストとして複数出演した他、2021年7月からは水曜日のミニコーナーにレギュラー出演)
映画
CM
- マクドナルド(1970年代後半)
- ヤマハ発動機 GR50(「落語家でいえば、楽太郎。」がキャッチコピー、1970年代後半)
- 松下電器産業
- 「電子風呂ブザー」(1980年)
- 「針結び器」(1982年)
- 「カラオケ大賞77」(1983年)
- 「パナスプレー」(1980年代後半) - 園芸用殺虫剤噴霧器。
- 日刊スポーツ(1982年)
- 祐徳薬品工業
- 東京団子「東京団子の切り餅」(1984年) - セリフはすべてイタリア語。
- ヤマサ醤油 「さしみしょうゆ」(1984年)
- 大阪ガス「オールガス器具謝恩割引セール」(1984年:関西ローカル)
- ナショナルショップ
- 「ナショナルのお店」(1984年)
- 「ナショナル歳末特選品フェア」(1984年)
- 旭化成建材「ヘーベルパワーボード」(1984年 - 1985年)
- 日本香堂
- 代々木アニメーション学院(2006年:自ら学院長を務めたが、経営難で離脱)
- サンコー食品 - ヤマザワ系列の製乳業(山形県・宮城県ローカル)[注 10]
- 農業協同組合「農協貯金」(1988年)
- アイコク「ラクラクハンド」(1992年)
- 家具の荒川(1992年頃:岩手県ローカル)
- 太洋技建「ポリマーライト」(2000年)
- 野村證券「株券電子化」(2006年 - 2007年:木久扇(当時の初代木久蔵)と歌丸と共演)
- 日清オイリオ「日清オイリオギフト」(2008年)
- 徳島カントリー倶楽部 - イソップ寓話「金の斧」を模したもの
- サントリー(※健康食品事業はサントリーウエルネス)
- 白十字「サルバやわ楽パンツ」(2017年 - 2019年)
- PHONE APPLI「連絡とれるくん」(2019年、webCM)[55]
- 森永製菓「板チョコアイス大喜利」(2021年、webCM)
著書
- 『ジョーダンはよせ!』三遊亭楽太郎 広済堂出版 豆たぬきの本 1984
- 『楽太郎の麦ごはん健康法』リヨン社 1987
- 『楽太郎の実践トーク術 結婚式編』池田書店 1992
- 『失敗しない司会進行実例百科 結婚式・ビジネス・地域社会での司会をじょうずにこなす』三遊亭楽太郎 池田書店 1993
- 『楽太郎の実践トーク術 ビジネスライフ編』池田書店 1993
- 『こころの日向ぼっこ』三遊亭楽太郎 法研 1995
- 『失敗しない司会進行のコツと実例集』三遊亭楽太郎 池田書店 2003
- 『流されて円楽に 流れつくか圓生に』六代目 三遊亭円楽 (著)十郎ザエモン(構成) 竹書房 2019
共著
- 『楽太郎と税を語る 聞きたい知りたい税のこと』三遊亭楽太郎,小宮山隆著 ストーク 1997
- 『楽太郎と法人税を語る 聞きたい知りたい法人税のこと』三遊亭楽太郎,小宮山隆著 税務研究会出版局 1999
- 『六代目円楽と税を考える 知っておきたい税金の常識』三遊亭円楽,小宮山隆共著 法令出版 2010
- 『噺家の魂が震えた 名人芸落語案内』噺家三十人衆(著)、六代目三遊亭円楽(解説)竹書房新書、2017
CD
- 六代目三遊亭圓楽襲名記念 三遊亭楽太郎 十八番集(CD3巻組、特典:秘蔵写真フォトアルバム付)
- 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎 十八番集①(薮入り・お化長屋)
- 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎 十八番集②(禁酒番屋・死神)
- 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎 十八番集③(明烏・芝浜)
- 三遊亭圓楽1「朝日名人会」ライヴシリーズ126(船徳・浜野矩随・一文笛・ねずみ)
DVD
- 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎十八番集BOX(DVD3巻組、特典:秘蔵写真フォトDVD付)
- 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎十八番集①(薮入り・お化長屋)
- 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎十八番集②(禁酒番屋・死神)
- 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎十八番集③(明烏・芝浜)
以下のシリーズは、Amazonディスクオンデマンドのサービス停止に伴い、2021年6月4日で販売終了となった。
その他
- 1980年 - 税務大学校講師小宮山隆と税金関連の著書をしている。
- 1991年9月 - アメリカンM&N大学(ただしディプロマミル(学位工場や学歴工場などと呼ばれる実質的な教育実態がない学校)より哲学・理学博士号を購入)
- 1992年11月 - 国税庁長官表彰
- 1994年4月 - 栃木・中央福祉医療専門学校客員教授、教え子の学生たちが笑点の客席に観覧に来た際に、歌丸で介護実習を行うなどのあいさつを行っている。
- 1996年9月 - ハワイ・オアフパークゴルフ協会名誉顧問
- 2006年4月 - 代々木アニメーション学院学院長に就任(後に経営危機で離脱する)
一門弟子
直弟子
真打
二ツ目
前座
色物
- ニックス - 師匠だったWエースの両名が他界した後に一門入りし、漫才協会員としての活動に加え、圓楽が出演する両国寄席などに出演する。また、自身の結成10周年記念イベントにも圓楽はゲスト出演し、モタレ(トリの前の出番)を務めた。落語協会所属。
落語以外の芸能に転向した弟子
両名について円楽は、落語家廃業後も身内ととらえており、一門会に出演することもあるほか、石田の著書を『笑点』で宣伝したり[57]、伊集院とテレビ・ラジオにおいて共演することがある[注 11]。また、伊集院も円楽を現在も「師匠」と呼び、落語家時代の話をすることがある。
息子の一太郎も、厳密には本業は落語家ではなく声優である。
廃業
脚注
注釈
- ^ 圓楽一門会と並行
- ^ 「会 泰通」とも表記する[1][2]。
- ^ 「落語界では旧字体の<圓>の字をよく使うが、常用漢字の<円>で通す」[4]と表明しており、襲名以降各種落語会、独演会、テレビ出演等すべての活動において、「(6代目)三遊亭円楽」と名乗っている。
- ^ 同便ではイベントに同行する予定だった、数名の広告代理店社員が搭乗した。
- ^ 当時は瀬戸大橋・明石海峡大橋・神戸空港は未開業。
- ^ セレブネタは昇太の司会就任後に多用しているが、嫌味が強いため昇太からは不評で座布団を没収されることが多い。
- ^ これは好楽も同様で、好楽の場合は実際に降板しようとしたことがある。
- ^ ちなみに司会者狙いネタについては、歌丸の司会時代は好楽(2011~12年)や木久扇(歌丸の正式司会就任前後)がたびたび、5代目圓楽の司会時代は歌丸が時折やっていたことから、円楽が初という訳ではない(第2343回[1]第1215回[2]など)。また、円楽は過去に前半のコーナーである「アナウンサー大喜利」での司会を小遊三とともに担当していた。
- ^ 特に一番弟子の歌春とは同い年かつ同期の間柄の他、歌丸の最後の弟子となった3代目桂枝太郎は笑点のアシスタントを担当していた。枝太郎からは「歌丸一門の顧問」とも呼ばれている。
- ^ ※『笑点』で山形または宮城の各県で収録する際はネタにすることがある
- ^ 他の出演者(若手含む)が6代目円楽に対して普通に接しているのに対し、弟子の伊集院は師匠に気遣って接していることが多い。
出典
- ^ 六代目 三遊亭 円楽 | 株式会社オフィスまめかな
- ^ 三遊亭円楽 協会員プロフィール
- ^ a b “円楽 落語芸術協会に加入 落語界“統一”へ一歩”. デイリースポーツ. (2017年6月28日) 2017年7月2日閲覧。
- ^ 新宿末廣亭2010年(平成22年)3月寄席だより
- ^ 三遊亭円楽、涙で不倫認める「浮気と言えば浮気」日刊スポーツ 2016年6月10日閲覧
- ^ 円楽 不倫会見で見せた人情味と神対応日刊スポーツ 2016年6月10日閲覧
- ^ 円楽タジタジ…「笑点」ラブホ不倫イジり 昇太“容赦なし”座布団没収 スポーツニッポン 2016年7月3日2018年1月31日閲覧
- ^ “落語家 三遊亭円楽に関するお知らせ (PNG)”. オフィスまめかな (2018年9月28日). 2018年9月28日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2018年9月28日閲覧。
- ^ “「肺がん」円楽さん 仕事に復帰”. FNN.jpプライムオンライン. (2018年10月12日) 2019年8月20日閲覧。
- ^ “円楽さん、脳腫瘍で休養 笑点への出演継続は「検討中」”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2019年7月19日) 2019年7月19日閲覧。
- ^ “円楽、脳腫瘍公表 1カ月前から「調子がよろしくない」 既に入院、3週間療養へ”. SponichiAnnex (2019年7月20日). 2019年7月20日閲覧。
- ^ “三遊亭円楽、脳腫瘍から復帰 「浜野矩随」を熱演”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2019年8月11日) 2019年8月11日閲覧。
- ^ “三遊亭円楽、高座から退院を報告 予定時間をオーバーする熱演”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2019年8月20日) 2019年8月20日閲覧。
- ^ “三遊亭円楽、昨年に肺がん再発していた 過去の大腸がんも明かす”. oricon news. oricon (2020年11月30日). 2020年12月10日閲覧。
- ^ 伊集院光、師匠・円楽の前で30年ぶり高座復帰「青春時代の宿題だった」,スポーツ報知,2021年6月14日
- ^ “三遊亭円楽、脳梗塞で入院 意識あり「命に別状はない」コロナとの関連なし”. 日刊スポーツ. (2022年1月26日) 2022年1月26日閲覧。
- ^ “三遊亭円楽 今年の「夏頃まで」休養を延長、「余裕をもってリハビリ」脳梗塞のため入院中”. 日刊スポーツ. (2022年2月18日) 2022年2月18日閲覧。
- ^ “三遊亭円楽が退院「時間をかけて確実な復帰を目指したい」脳梗塞で4カ月の入院治療”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2022年5月23日) 2022年5月23日閲覧。
- ^ “三遊亭円楽 8月11日に高座復帰「“リハビリ見てるんじゃねえ”とお怒りになりませんよう」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2022年7月19日) 2022年7月19日閲覧。
- ^ “三遊亭円楽「まだ、死んでねえよ」毒舌健在、円楽一門会に元気な姿 1月脳梗塞発症リハビリ中”. 日刊スポーツ (2022年7月22日). 2022年7月22日閲覧。
- ^ “三遊亭円楽「笑点」近く復帰を予告「世間が欲しているんだよね」好楽「この人がいないと」”. 日刊スポーツ (2022年7月23日). 2022年7月23日閲覧。
- ^ 広瀬和生 (2019年5月10日). “【第60回】「六代目圓楽襲名」”. 本がすき。. 『21世紀落語史』. 光文社. 2020年2月15日閲覧。
- ^ a b c 三遊亭円楽|笑点|日テレ
- ^ 六代目 三遊亭円楽 『流されて円楽に 流れつくか圓生に』竹書房、2019年11月4日。ISBN 9784801920392。
- ^ one0colorの2015年1月1日0時9分のツイート、2018年9月28日閲覧。
- ^ 『ゆでたまごのリアル超人伝説』ゆでたまご、宝島社新書、p.225。
- ^ “円丈、円楽「さんゆうの雪解け」”. YOMIURI ONLINE (2013年12月16日). 2013年12月16日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年12月16日閲覧。
- ^ 「談志が死んだ──立川流はだれが継ぐ──」(講談社、2003年)より
- ^ 三遊亭 圓楽さん 東祥三 応援動画 | 東 祥三 ホームページ 2013年4月14日閲覧
- ^ a b “三遊亭円楽、出家していた! 一足早く「円生」を“襲名””. スポーツ報知. オリコン. (2016年12月13日). オリジナルの2016年12月13日時点におけるアーカイブ。 2016年12月13日閲覧。
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- ^ “「まえばし観光大使」の委嘱について” (日本語) (PDF) (プレスリリース), 群馬県前橋市, (2016年3月24日) 2016年12月13日閲覧。
- ^ 山田隆夫 『ボクに運が巡ってくる55の理由』廣済堂出版、2012年5月25日、170–173頁。ISBN 9784331516355。
- ^ ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』73ページ
- ^ ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』74ページ
- ^ ☆コレですよぉ~☆ ニックス エミ・トモのブログ 2011年6月28日 2016年6月2日 閲覧
- ^ 円楽腹黒ラーメンVS木久蔵ラーメン、どっちがまずい?(2017.04.23)
- ^ a b ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』76ページ
- ^ ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』77ページ
- ^ [3]
- ^ 円楽『笑点』司会は「嫌です」 「仕切る気持ちはありません」とニッコリ
- ^ ザテレビジョン (2018年3月31日). “「笑点」を圓楽が乗っ取り!? 大喜利クーデターの行方は?”. NewsWalker. 株式会社KADOKAWA. 2019年1月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月8日閲覧。
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- ^ “「笑点」が追悼特番 三遊亭円楽さん涙…「じじい、早すぎるんだよ!」”. 産経ニュース (2018年7月8日). 2022年2月8日閲覧。
- ^ 円楽 落語芸術協会に加入 落語界“統一”へ一歩 - デイリースポーツ 2017年6月28日
- ^ 桂歌丸を「人間国宝」に――ネット上の署名活動が話題に 発起人は三遊亭円楽さん - ITメディアニュース 2016年5月18日
- ^ 歌丸さん死去 笑点メンバーが追悼 円楽「とうとう洒落にならなくなりました」 - デイリースポーツ 2018年7月2日
- ^ ORICON NEWS (2018年7月8日). “三遊亭円楽「ジジイ!早すぎるんだよ!」 歌丸さんへ思い叫び、こらえきれず涙…”. 毎日新聞社. 2018年7月17日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2018年7月17日閲覧。
- ^ 肺がん公表の円楽、術後1週間で高座復帰!
- ^ “8月中席”. 国立演芸場. 国立芸術文化振興会 (2019年). 2022年2月18日閲覧。
- ^ “8月中席”. 国立演芸場. 国立芸術文化振興会 (2020年). 2022年2月18日閲覧。
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- ^ “円楽18年ぶり時代劇 語り役で江戸の文化や歴史の背景解説”. スポニチアネックス (2015年11月9日). 2015年11月9日閲覧。
- ^ “「赤めだか」二宮和也らが故・立川談志師匠に撮了報告”. ニュースウォーカー (2015年11月21日). 2015年12月7日閲覧。
- ^ moviecollectionjp (2019年8月4日). “三遊亭円楽部長が困ったサラリーマンに物申す!/Phone Appli「連絡とれるくん」CM映像”. youtube. 2020年6月6日閲覧。
- ^ 伊集院光 (2016年9月24日). “鬼軍曹”. 伊集院光 オフィシャルブログ. LINE BLOG. 2020年12月8日閲覧。 “三遊亭五九楽兄さん!この人は、正確には先代の円楽師匠の弟子なんだけど三遊亭楽太郎門下に弟子が入る前から楽太郎についていたもんだから総領弟子みたいもので のちに入る僕ら門下生の教育係で怖かったのなんの。”
- ^ 企画は、ひと言。公式サイト