海野かつを

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

海野 かつを(うみの かつを、1932年4月29日 - )は、東京都出身の芸人俳優声優。本名は海野 教麿(うんの のりまろ)。旧名:海野かつお。

来歴・人物[編集]

代々浅草育ちで、実家は仁丹塔の傍のお好み焼き屋。来店する芸人に幼少時より可愛がられ、1944年の大映作品『五重塔』に子役で初出演。

戦後コメディアンを志し、日本大学第一高等学校を休学してムーランルージュ新宿座で演出見習として働き始めた途端に閉館の憂き目に遭い、同高に復学して卒業。東京吉本シミキン一座に入り、浅草花月劇場のストリップの幕間コントで初舞台を踏んだ。

その後は脱線トリオ一門に移り、浅草フランス座をホームグラウンドに活動した[1]1959年には渥美清と入れ替わりにスリーポケッツに加入したが、次第に勢いを失い解散。

コント斜陽化によりテレビタレントへ転向し、『おはよう!こどもショー』『快獣ブースカ』等で子供達の人気者になったものの、役者としては大成しないまま終わった。

病気療養中だった1974年頃、東京城東地区の家電量販チェーン新栄電機産業テレビコマーシャルに起用され人気を博したことから、同社社長の説得を受け入れ、芸能界に見切りを付けて同社に就職。竹の塚店の店長として接客に励む傍ら、系列店で歌手のキャンペーンが行われる際には司会も務めていた。

海野が出演する新栄電機のCMは、新作に更新される事もなくバブル崩壊後の1990年代初頭まで約20年延々と放映され続けていたが、同社は2003年3月3日自己破産申請倒産、竹の塚店も閉店した。

主な出演作[編集]

映画[編集]

テレビ[編集]

アニメ[編集]

アニメ映画[編集]

CM[編集]

舞台[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 本人インタビュー(『東京人』131号、東京都歴史文化財団、1998年、72-73頁)より
  2. ^ 海底3万マイル”. メディア芸術データベース. 2016年10月27日閲覧。
  3. ^ わんわん忠臣蔵”. メディア芸術データベース. 2016年10月25日閲覧。