海野かつを
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| うみの かつを 海野 かつを | |
|---|---|
| プロフィール | |
| 本名 | 海野 教麿(うんの のりまろ) |
| 出生地 |
|
| 生年月日 | 1932年4月29日(86歳) |
| 職業 | 芸人・俳優・声優 |
海野 かつを(うみの かつを、1932年4月29日 - )は、東京府東京市(現・東京都区部)出身の元芸人・俳優・声優。本名は海野 教麿(うんの のりまろ)。旧名:海野かつお。
来歴・人物[編集]
代々浅草区育ちで、実家は仁丹塔の傍のお好み焼き屋。来店する芸人に幼少時より可愛がられ、1944年の大映作品『五重塔』に子役で初出演。
戦後コメディアンを志し、日本大学第一高等学校を休学してムーランルージュ新宿座で演出見習として働き始めた途端に閉館の憂き目に遭い、同高に復学して卒業。東京吉本のシミキン一座に入り、浅草花月劇場のストリップの幕間コントで初舞台を踏んだ。
その後は脱線トリオ一門に移り、浅草フランス座をホームグラウンドに活動した[1]。1959年には渥美清と入れ替わりにスリーポケッツに加入したが、次第に勢いを失い解散。
コント斜陽化によりテレビタレントへ転向し、『おはよう!こどもショー』『快獣ブースカ』等で子供達の人気者となる。
病気療養中だった1974年頃、東京城東地区の家電量販チェーン新栄電機産業のテレビコマーシャルに起用され人気を博したことから、同社社長の説得を受け入れ、芸能界に見切りを付けて同社に就職。竹の塚店の店長として接客に励む傍ら、系列店で歌手のキャンペーンが行われる際には司会も務めた。
現在の芸能活動状況等は不明。
海野が出演する新栄電機のCMは、新作に更新される事なくバブル崩壊後の1990年代初頭まで約20年間放映され続けたが、同社は2003年3月3日に自己破産申請し倒産、竹の塚店も閉店した。
主な出演作[編集]
映画[編集]
- 五重塔(1944年)
- 誰よりも金を愛す(1961年)
- 海道一の鬼紳士(1963年)
- 喧嘩犬(1964年)
- 大日本殺し屋伝(1965年)
- 新・ハレンチ学園(1971年)
- ルパン三世 念力珍作戦(1974年)
- 吾輩は猫である(1975年) - 刑事
テレビ[編集]
- 青空にとび出せ
- おはよう!こどもショー (ニャンダの声、ありんこ男)
- お巡りさん敬礼!
- 快獣ブースカ(刑事、藤原純友の部下)
- スターウルフ(宇宙情報屋・ダベラー)
- どっこい大作(仙助)
- 忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ
- へんしん!ポンポコ玉
- びんぼう一代 〜五代目古今亭志ん生〜
- エプロンおばさん 第2期
アニメ[編集]
- 突貫カメ君(突貫)
- ドボチョン一家の幽霊旅行(ピックラ先生/ナイナイ仮面)
アニメ映画[編集]
CM[編集]
舞台[編集]
- ミュージカル・メルヘン 怪傑アンパンマン(1976年)
脚注[編集]
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