成田国際空港
| 成田国際空港 Narita International Airport |
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| IATA:NRT-ICAO:RJAA | |||
| 概要 | |||
| 国・地域 | |||
| 設置場所 | 千葉県成田市 | ||
| 空港種別 | 商業 | ||
| 運営者 | 成田国際空港株式会社 | ||
| 運営時間 | 6:00 - 23:00 | ||
| 標高 | 43 m・141 ft | ||
| 位置 | 北緯35度45分50秒 東経140度23分30秒座標: 北緯35度45分50秒 東経140度23分30秒 |
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| ウェブサイト | |||
| 滑走路 | |||
| 方向 | ILS | 全長×全幅 (m) | 表面 |
| 16R/34L | IIIb | 4,000×60 | 舗装 |
| 16L/34R | I | 2,500×60 | 舗装 |
| リスト | |||
| 国際空港の一覧 | |||
成田国際空港(なりたこくさいくうこう、英: Narita International Airport)は、千葉県成田市の南東部、三里塚地区にある国際空港。首都圏に発着する国際線や、主要都市への国内線航空便が発着する、空港法4条で法定されている空港で、航空法上の混雑空港である。
かつての正式名称は「新東京国際空港」であったが、2004年4月1日、成田国際空港株式会社法が施行され、空港を管理する新東京国際空港公団 (New Tokyo International Airport Authority, NAA) が日本政府による100%出資で設立された成田国際空港株式会社 (NArita International Airport Corporation, NAA) に改組し民営化(特殊会社化)されたことに伴い、現行の名称に改称された。記述の通り、英字略称は旧公団時代から現在に至るまで同じ「NAA」である。
日本国内では広く「成田空港」もしくは「成田」という呼び方が定着している。また、国際的な視点から見ると、日本の首都である東京の国際空港として機能しているため、千葉県内に空港が所在しながらも便宜上「東京成田」(英: Tokyo-Narita)あるいは単に「東京」とも言われることがあるが、東京国際空港(羽田空港)と区別するため前者が用いられることが多い。
目次 |
[編集] 概要
- 開港:1978年5月20日
- 航空機発着回数:19万1459回(2010年)日本第2位(1位は東京国際空港)
- 航空旅客数:約3386万人(2010年)日本第2位(1位は東京国際空港)
- 航空貨物取扱量:約212万トン(2010年)日本第1位、世界第8位
- 空港敷地面積:940 ha(計画1,080 ha)
- 滑走路
- A滑走路:16R/34L, 4000×60 m(16R・34LともILSを装備 16RはCatⅢb)
- 着陸帯 ‐ 4120×300 m
- B滑走路:16L/34R, 暫定2500×60 m(16L・34RともILSを装備)
- 着陸帯 ‐ 2620×150 m(暫定。当初計画 2620×300 m)
- A滑走路:16R/34L, 4000×60 m(16R・34LともILSを装備 16RはCatⅢb)
- 誘導路:延長 約25.5 km 幅30 m(一部23 m)(暫定計画を含む)(計画延長 約34.2 km 幅30 m)
- 航空保安無線施設
- エプロン:面積 約218 ha (計画面積 約260 ha)
- スポット:137スポット(工事により一部閉鎖中のものを含む)(計画143スポット)
- 運用時間:24時間
- 利用時間:6:00 - 23:00(航空機の通常発着時間帯に制限)
- 誘導路の延長・エプロンの面積の推移は「誘導路の延長とエプロンの面積の推移」を参照
[編集] 空港機能
日本を代表する空の玄関口の一つであるが、歴史的経緯により、開港後30年以上経過した2009年現在も全体計画が完了していない。開設後の拡張工事も進まず、騒音問題からの使用時間制限や都心からのアクセス時間の長さ、国内線乗り入れ便数の少なさなどの問題もあり、羽田空港の再拡張及びそれに伴う再国際化が進められる結果となった。
1992年の第2ターミナル完成に伴い、管制塔からの視認性が悪化するため新たな管制塔が造られ、従来の管制塔はランプタワーとして地上管制業務の一部を行い、新たな管制塔は航空管制業務を行う施設となっている。
[編集] A滑走路
A滑走路(第1滑走路)は関西国際空港の第2滑走路(06L/24R)と並び日本では最長の4,000 m滑走路を有している。ただし、A滑走路南端から約800 mの位置に、反対派の「団結小屋」が建つ未買収地が234 ㎡残っていたためアプローチ帯を建設できず、本来ここにあるべき進入灯はA滑走路南側内に750mにわたって設置されており、南側から着陸する場合は実質3,250 mの滑走路としてしか利用できない。その後、当該範囲の土地の取得により、2009年度よりアプローチ帯を建設することとなり、現在A滑走路南側内にある進入灯をアプローチ帯へ移設させる工事を行っており、2012年度中に4,000 mの滑走路として完全運用へ移行する予定である[1][リンク切れ]。
[編集] B滑走路
B滑走路(第2滑走路)は2002年5月に開かれた日韓ワールドカップに間に合わせる形で、同年の4月18日に、当初計画の長さより短い2,180 mの平行滑走路として暫定的に供用開始された。これは滑走路の用地買収が進まず、反対派住民の住居などを避けるため、B滑走路の一部を計画時より北西側に延伸させたためである。このためB滑走路の離着陸には制約が設けられ、重量の大きなボーイング747以上の大型機と貨物を含む長距離国際線には使用できず、中小型機と国内線・近距離国際線のみに使用された。
本来の長さである2,500 mへの延伸は、反対派の敷地を避けるため、条件派の土地を収用して空地となった北西方向へ320 m延長する案が提示された。2006年8月開催の公聴会意見を踏まえて同年9月11日に北側一雄国土交通大臣この案を認可し、2009年10月22日から2,500 mでの供用が開始された(方角と大臣名双方の語句から俗に北側延長と言われている)。供用開始時期は当初2010年3月としていたが、2009年3月に発生したフェデックス機着陸失敗事故の影響を受け、成田国際空港会社と国土交通省が協議をした結果、前倒しでの実施となった。詳細は「歴史」の節を参照。 B滑走路では2,500 m化に伴い、重量が大きく長い離着陸滑走距離が必要となるエアバスA380を除いた大型機の着陸が可能となった。また、長距離国際線ではアメリカ西海岸地域やモスクワへ向かう直行便が離陸できるようになった。
B滑走路に並行する西側誘導路の一部が、空港反対派民家とその所有地を避けるため、滑走路側に向かって「への字」に湾曲している。このため、この部分を走行する航空機は、離着陸機に合わせて一時待機を余儀なくされていた。これを解消するため、成田空港会社はすでに用地収得済みの「への字」部分についてカーブを緩やかにする改修工事を2010年11月末までに完成させ、2011年3月10日より一時待機は廃止された。これにより滑走路との安全距離が確保され、誘導路上での一時待機が無くなり発着効率が大きく向上する[2][リンク切れ]。
2009年7月30日には、B滑走路東側に新誘導路が供用開始され、北風離着陸(RW34R使用)時東側誘導路は「離陸(出発)機専用」・西側誘導路は「着陸(到着)機専用」、南風離着陸(RW16L使用)時東側誘導路は「着陸機専用」・西側誘導路は「出発機専用」となり、誘導路の使い分けにより離陸までの時間短縮が可能になった。これにより、第2旅客ビル北側において着陸機がある時に行っていたB滑走路へ入るホールド(待機)は廃止され、ホールドスポットも廃止された。また2012年度までに新たにB滑走路と第2旅客ビル地区とを結ぶ、第3の誘導路を西側に増設する方向で進めている[3]。
2010年2月25日、成田空港B滑走路平行誘導路上にある、空港反対派「団結小屋(天神峰現地闘争本部)」をめぐり、成田国際空港会社(NAA)が三里塚芝山連合空港反対同盟を相手に、建物撤去と土地明け渡しを求めた訴訟の判決が千葉地裁であり、「地上権が成立したとの事実は認められない」とNAA側の訴えを認め、空港反対派に対し建物撤去と土地明け渡しを命じた[4][リンク切れ]。
2011年5月20日、東京高裁で開かれた控訴審では千葉地裁の一審判決を支持し、一審の千葉地裁で成田国際空港(NAA)側が同時に申し立てていたものの認められなかった、建物(団結小屋)撤去と土地収用の仮執行申請を認めた[5][6]。
2011年8月6日、B滑走路平行誘導路上の反対派「団結小屋(天神峰現地闘争本部)」は撤去された[7][リンク切れ]。
2012年1月25日、最高裁は反対派の上告を棄却、反対派の敗訴が確定した[8]。
[編集] C滑走路
C滑走路(第3滑走路)は、長さ3,200 m・幅60 mで主に横風用滑走路[9]として計画されているが、現在建設工事は凍結中でC滑走路用地はC誘導路として使用されている。仮に横風用滑走路が整備された場合、強い北風・南風の際の着陸が容易になり、離着陸の遅れの減少、発着の効率性の向上・発着枠の増大が期待できる。しかし、空港反対派の熱田派はC滑走路用地内から撤退したものの、現在もC滑走路用地内に別の空港反対派の所有地や、空港反対派支援者・協力者の一坪運動共有地が多数存在しており、C滑走路南側部分の航空機整備施設区域に接している所には、駐機スポットが(512番、511番、510番、509番、508番、507番、506番)7スポット増設されている。誘導路を滑走路として再整備を行う際は、これらの7駐機スポットを撤去し、代替の駐機スポットの用地が改めて必要となる。またC滑走路南側延長線上の山武市、富里市および北側延長線上の成田市大栄地区 (旧大栄町)が飛行コース下になることから、新たな騒音問題が発生する可能性がある[10]。
[編集] 運用・環境面の問題
成田国際空港株式会社は、B滑走路2,500m化の2010年以降年間発着回数を現在の1.5倍にあたる年間30万回にする試算を成田国際空港都市づくり推進会議に提示している。実現に向けては課題が山積している[11]ものの、平行同時離陸を容認することなどでそう遠くない将来実現するものと思われる[12]。国際拠点空港としての地位低下防止と競争力強化、容量不足緩和のねらいも含まれている。また、国土交通省と成田国際空港会社で25万回に増やす検討がされているという報道もある[13][リンク切れ]。周辺地域住民への環境配慮も必要で、成田空港では開港以来、住宅などの防音工事に400億円超、電波障害対策に200億円超など、合計3,200億円超の環境対策事業を実施しており、今後も実施され続ける予定である。
現在、2010年3月28日より基本的にA滑走路を離陸専用、B滑走路を着陸専用と使い分けが行われているが、エアバスA380、An-124、An-225等の大型機はA滑走路への着陸となり、離陸機がいない時間帯には第1旅客ビル利用航空会社機と貨物地区利用航空会社機もA滑走路へ着陸となる場合もある。
[編集] 警備・検問・入場制限
日本国内空港では唯一で首都空港としても極稀である検問制度が実施されており、外国人を含む空港施設への入場者全員に「セキュリティチェック」と称して検問所での身分証明書の提示が課せられている。さらに専門の警察機動隊である「千葉県警察成田国際空港警備隊」(空港警備隊 千葉県警察の部内呼称は「空警隊」)が検問所とターミナル内に常駐、巡回しており、世界的に見ても異例の厳重警備が敷かれ[14][リンク切れ]、戒厳令空港と呼ばれることもある。これは、政府が空港建設を強行した開港までの歴史的経緯(開港直前の成田空港管制塔占拠事件、などが影響)から、建設反対派の過激派及び革命的共産主義者同盟全国委員会、革労協を初めとした新左翼テロリスト(成田空港関係者を無差別に(人違いを含んだ)殺害、襲撃し、空港敷地内に迫撃砲を撃ち込むと言ったテロ行為を起こした)らの立ち入りを抑止することが目的であったが、その後の成田空港手荷物爆発事件やアメリカ同時多発テロの発生により、不特定多数が集まるターミナル施設でのテロ警戒という要素が強まっている。
入場に際しては、空港会社の警備員がパスポートなど身分証明書を確認する。旅客の場合は、航空券の提示を求められる場合もある。情勢によっては抜き打ちでカバンなど手荷物を開梱して荷物検査をされる場合が稀にある。
また、反対派による集会が空港周辺で行われることが予想される場合は、従業員と旅客以外(送迎・空港見学・店舗利用など)の空港施設への立ち入りが原則として禁止され、その場合は検問所で引き返すこととなる(旅客が外国人であったり、介添えを要するなど特段の事情がある場合の送迎入場は許可される)。その日程が決まり次第、検問所への黄色い立て看板の設置と公式ウェブサイトの「トップページ」上で告知がなされている。2000年代以降は反対派勢力が少数派となっているため、年数回に留まっているが、反対派敷地を空港会社へ明け渡しを求める絡みの裁判(審議・判決)が行われた直後に行われる傾向がある。
検問所は、鉄道駅(成田空港駅、空港第2ビル駅、東成田駅)の出口改札(駅を出た時点で空港敷地内にいることになるため)と、空港施設に入る全ての道路上(新空港インターチェンジ出口に隣接する「第1ゲート」、国道295号沿いの「第2ゲート」他)に設置されているため、誰しも必ずその「関所」でセキュリティチェックを受ける必要が生じている。路線バスやリムジンバスと一部のホテル送迎バス・スカイライナーなどでは車内放送で空港到着前に「身分証の提示をお願いします」あるいは「空港での検問があります」とアナウンスされている。
- 鉄道駅では旅客機搭乗時の保安検査場と同様のレーン(列)式のものであり、荷物検査が伴わなければ身分証提示のみでごく僅かな時間で完了する。空港従業員とそれ以外の一般にレーンが区別されている。
- 自動車は、空港の制限区域入口の道路上に有料道路の料金所と同等の施設が置かれており、全ての車(マイカー・タクシー・ホテルや私設駐車場の送迎車・リムジンバスを含む路線バス・貸切バス・貨物トラックなどの事業用車)が一時停車しなければならない。運転者は警備員に運転免許証やパスポート・職員証などを提示し、他に同行者や乗客がいる場合は一人ずつ警備員が身分証を目視で確認する。バスの場合は警備員が車内に乗り込んで確認を行う。自家用車やタクシー・トラックの場合は、鏡で車体の底面を検査されたり、トランクや荷室を開けるよう要求される場合がある。このため、敷地への乗り入れが多く混雑している際や、バス乗合時での全員確認には3~10分程度の停車時間を要する。
なお、道路上の検問所(ゲート)では、自動車が制止を振り切り、ゲートのバーを突破(破壊)した上で施設内に不法侵入する事件が幾度か発生している。
- 2005年11月に発生した事件では、侵入後に施設外へそのまま車で逃走した当時30歳代の男(単独犯)をパトカーが追跡し、佐倉市内で追い着いて職務質問を行おうとした警察官2名をこの男が刺し、警察官の1名が殉職する事態となった。開港後の警察官の殉職は現在唯一である。男は「飛行機の写真を撮るつもりだった」と供述しており、2006年9月に千葉地方裁判所で無期懲役判決が下された。(→#年表)
- 2010年9月には侵入後に車を乗り捨て、行方を眩ませる事件(逮捕に至らず)も発生している。
また、芝山鉄道線の区間では常に空港警備隊所属の制服警察官複数人が往復乗車し、車内警戒にあたっている(当該項目参照)。警備情勢によっては京成成田空港線のアクセス特急などの路線にも千葉県警察の制服警察官が空港駅と途中駅の間を往復乗車し、同様の警戒にあたることがある。
[編集] 警備体制の見直し
前述の警察による空港警備隊とは別に、NAAでも警備組織を子会社に置いて施設警備にあたっている。その人件費は2005年で94億円など、年間100億円近くになる。 こうした警備費は政府の空港建設強行のつけとして空港経営に深刻な影響を及ぼしている。
2000年代後半では、検問警備維持費の負担に苦慮していることや改札検問による旅客流動の遅滞化、車両検問による渋滞発生などの事例が問題視されており[14]、京成成田空港線が開通する2010年(平成22年)7月を目処に監視カメラの活用など警備の機械化を推進して改札検問を廃止とし[15][リンク切れ]、他の検問についても順次縮小か廃止の方向を検討している[15]としたが、正式に決定されておらず、2011年1月時点でも従来通りの状態となっている。
このように厳重な警備体制が敷かれている成田空港であるが、過激派の武装闘争がほぼ沈静化された現在、空港ターミナル内で発見される「不審な荷物」の大半は置き忘れや所有者の都合で置きっ放しにされる物であり、年間100件近く出動する爆発物処理班の出動も徒労に終わるケースが多い。このため、空港警備隊は「空港内では荷物から決して離れないで」と旅行者に注意を促している[16][リンク切れ]。
[編集] 貿易港としての機能
成田空港の2004年(平成16年)度の輸出額は10兆6572億円、輸入額は10兆2978億円と、金額で国内第1位の貿易港である。輸出入品目としては、コンピュータなどの事務用機器、半導体など軽量で付加価値の高い機械機器等が中心となっている。
- 主な輸出品目(平成16年度):半導体等電子部品 (17.4%)、科学光学機器 (9.4%)、映像機器 (8.2%)、事務用機器 (6.8%)、音響・映像機器の部分品 (4.0%)
- 主な輸入品目(平成16年度):事務用機器 (15.6%)、半導体等電子部品 (14.5%)、科学光学機器 (7.9%)、音響・映像機器(含む部品)(4.3%)、医薬品 (3.6%)
また、成田空港には、マグロなど魚介類の輸入通関が多く(平成15年度7万1924トン、国内の漁港第8位の松浦港の水揚げ量9万7805トンに次ぐ取扱量)、成田漁港の別名がある[17]。
[編集] 歴史
[編集] 新空港建設の検討
1960年代になると、大型ジェット旅客機の増加に加え、高度経済成長により年々増大する国際輸送における、航空機の重要性が高まったため、滑走路の拡充による発着能力の向上が望まれたのに加え、1960年代中に就航すると予想され、日本航空も発注した超音速旅客機の就航による滑走路の長大化も迫られることとなる[18]。そのため、再拡張により航空需要に対応しようと検討が開始されたが、
- 沖合に拡張した場合東京港の港湾計画との調整が極めて難しい。
- 当時の港湾土木技術では難工事になる。
- アメリカ空軍管制区域(横田飛行場上空の「横田ラプコン」)などとの兼ね合いから、航空機の離着陸経路の設定が著しい制約を受ける。
- 仮に拡張できたとしても、空港の処理能力は20%~30%程度の増加に留まる。
などの理由から、羽田空港の拡張のみでは長期的航空機輸送需要に対応できないことが判明した。
[編集] 新空港候補地の検討
このため、再拡張の検討に合わせて1962年より新たな東京国際空港の候補地についての調査が開始されたほか、当時の財界実力者である松永安左エ門(私設シンクタンク産業計画会議議長、電力中央研究所理事長)が、1964年3月4日に新たな東京国際空港の開設を提言した。これらの動きを受けて、当時の運輸省は1965年6月1日に成立した「新東京国際空港公団法案」をもとに、「新東京国際空港」として新東京国際空港公団を中心に新空港を建設するための候補地の検討に入った。
千葉県浦安市沖の埋め立て地や富里村(現・富里市)、茨城県霞ケ浦、横浜市金沢区の金沢八景沖の埋め立て地などが候補地とされ[19]、様々な観点から検討が行われた結果、当時の自由民主党の副総裁で、「政界有数の実力者」と言われた川島正次郎の地元の千葉県富里村が建設予定地とされた。しかし、用地買収などをめぐり地元自治体との調整が難航した。
[編集] 新空港建設と反対運動
1966年7月4日、佐藤栄作内閣(中村寅太運輸大臣)は、建設予定地を同県成田市三里塚に変更することを閣議決定した。これは、国有地である宮内庁下総御料牧場や県有林、またその周辺の土地は開拓農民達の物であったため、用地買収は容易に進むと考えたからである[20]。
しかし、地元農民の一部は買収に伴う移転や騒音問題から空港建設に猛烈に反発し、「三里塚芝山連合空港反対同盟」を結成し反対活動を始めた。さらに、「新左翼」の若者達が、「新空港は日本に新たな軍事基地を作るもの」などという理由を付けて農民による反対活動と連動した(三里塚闘争)。用地買収は停滞したため、政府は土地収用法に基づき行政代執行を1971年に2回実行、ようやく1期工事の用地を取得したが、この際、警備に当たっていた警察官3名が反対派による襲撃を受け、火炎瓶による全身火傷・殴打により殉職する事件が起きた(東峰十字路事件)。反対派は鉄塔を建てて対抗していたが、1977年5月6日にこの鉄塔は撤去された。これに抗議する集会で反対派と機動隊が激突し、学生1名が死亡した。また同年、5月6日に芝山町長宅警官詰め所が襲撃され、警察官1名が殉職する。
開港4日前にあたる1978年3月26日、成田空港に反対派ゲリラが警察官らの隙を見て管制塔に乱入し、管制塔内の機器を破壊した(成田空港管制塔占拠事件)。このため開港が5月20日まで延期となった。関連して1978年5月5日には京成電鉄の特急「スカイライナー」用車両が宗吾車庫で放火され、1両が焼失したほか、数編成が被害(後に復旧)を受けダイヤに支障をきたした(京成スカイライナー放火事件)。開港後も過激派の活動が続き、警察は厳重な警備を敷いた。
福田赳夫内閣は「この暴挙が単なる農民の反対運動とは異なる異質の法と秩序の破壊、民主主義体制への挑戦であり、徹底的検挙、取締りのため断固たる措置をとる」と声明を出し、「新東京国際空港の開港と安全確保対策要綱」を制定した。この管制塔襲撃事件を契機に、空港の安全確保のため、千葉県警察本部警備部に新東京国際空港警備隊が発足し、現在の成田国際空港警備隊に至っている。
このような混乱の原因は、政府も自ら認めているように、地域住民を無視した空港建設の強行にある。
[編集] 開港後
1978年5月20日に開港したものの、それ以後も反対派によるテロ・ゲリラ事件などが多発し、特に1985年(昭和60年)10月20日には千葉県成田市の三里塚交差点で極左グループと警視庁機動隊が衝突した事件が発生した(「10.20成田現地闘争」)。これらの事件により正常な運営、あるいは2期工事の着工もおぼつかなかったが、1991年11月から隅谷三喜男東京大学名誉教授のほか4名の学識経験者(隅谷調査団)主宰のもと成田空港問題シンポジウムが15回にわたって開催され、引き続き1993年9月から12回にわたって開催された「成田空港問題円卓会議」で今後の成田空港の整備を民主的手続きで進めていくことが確認された。
円卓会議の結論を受け、最終的には1995年に当時の村山富市首相が謝罪、これが地元の受け入れるところとなり、その後2期工事への用地買収に応じる地主が出てきた。懸案の2期工事のうち平行滑走路については、1996年には未買収地を避ける形で暫定滑走路を建設する案が計画され、2002年に暫定供用開始した。隅谷三喜男団長を始めとする中立委員の努力や政府の謝罪などもあって反対派住民の態度もしだいに軟化した。その結果、反対運動に乗じて単に違法かつ過激な反政府活動を行っていただけであった反対派は逆に完全孤立化し、事態は一応の収束を見るに至っている。
ドイツのミュンヘン国際空港はこのような紛争を避けるため、徹底して成田空港の事例を研究し、反対派を十分に説得した上で建設されている。日本でも、成田での経験をもとに、後に建設された関西国際空港や中部国際空港などの大規模空港は、騒音問題などが発生しにくい海上かつ郊外に造られるようになった[21]。
[編集] 年表
- 1962年(昭和37年)11月16日:新空港建設の方針を閣議決定。
- 1963年(昭和38年)
- 1965年(昭和40年)11月19日:閣僚会議懇談会が開かれ、富里案に内定する。
- 1966年(昭和41年)
- 1967年(昭和42年)8月1日:「公共用飛行場周辺における航空機騒音による障害の防止等に関する法律」が公布、施行。
- 1968年(昭和43年)2月26日:三里塚芝山連合空港反対同盟と機動隊が衝突。
- 1971年(昭和46年)
- 1977年(昭和52年)
- 5月6日:4,000m滑走路の南側延長上に反対派によって建設された、高さ約30mおよび、約60mの鉄塔2基が航空法第49条違反の物件であるとして、空港公団は千葉地方裁判所に妨害物除去仮処分命令申請書を提出。千葉地裁の仮処分決定を受け、2基の鉄塔が除去される。
- 5月7日:運輸省航空局のYS-11型機によって、航空保安施設のフライト・チェック(飛行検査)が実施される。
- 8月22日:進入表面等の制限表面の上に出る立木の伐採が完了。
- 11月11日:銚子市上空の飛行に関する合意を同市から得る。
- 11月26日:飛行場および航空保安施設の完成検査に合格。空港公団は新空港の供用開始日を運輸大臣に提出。
- 11月28日:運輸大臣が開港日を昭和53年3月30日と告示。
- 12月3日:ICAO(国際民間航空機関)および関係50ヵ国に対し新空港開港に関わるノータム(航空情報)を発出し、新空港開港を宣言する。
- 1978年(昭和53年)
- 3月24日:財団法人 空港保安事業センターが開設。
- 3月26日:開港4日前の成田空港に過激派ゲリラがマンホールを介して乱入し、空港管理棟16階の管制室の機器類を破壊。
- 3月28日:新東京国際空港関係閣僚会議において、新空港開港延期を正式に決定。運輸省も新空港開港延期に関わるノータムを全世界の航空関係機関に発出する。
- 4月4日:新東京国際空港関係閣僚会議において、「新東京国際空港の開港と安全確保対策要綱」を決定。新たな開港日を5月20日に決定。運輸省は新たにノータムを全世界に発出する。
- 5月5日:車両基地に留置中の京成電鉄の特急「スカイライナー」に過激派が放火、1両が全焼。
- 5月20日:開港。
- 5月21日:開港後の初便である日本航空のロサンゼルス国際空港発のダグラスDC-8-62F貨物機が、第1便として着陸。京成電鉄空港線(京成成田駅~成田空港駅、現:東成田駅)が開業。京成上野駅からの特急スカイライナーが運行開始。
- 5月27日:中核派によって、国鉄成田線、佐原 - 大戸駅間のCTC(列車集中制御装置)の回線が切断され、航空燃料輸送列車が立ち往生する。
- 7月:新東京国際空港警備を目的として千葉県警察に新東京国際空港警備隊が創設される。
- 8月2日:過激派がリムジンバスの搭乗口である東京都中央区の東京シティエアターミナルに火炎車を突入。
- 9月4日:過激派が成田市の京成電鉄ガード下にてトラックを炎上させ鉄道輸送を妨害。
- 9月7日:千葉県八千代市など数か所で電話同軸ケーブルが切断され、茨城県北相馬郡守谷町(現・守谷市)守谷VOR/DMEおよび同県稲敷郡阿見町阿見VOR/DMEの機能が麻痺する。
- 9月16日:過激派が成田市荒海のアウターマーカーを火炎瓶などで破壊。
- 1979年(昭和54年)
- 1980年(昭和55年)10月18日:過激派が京成電鉄高砂検車区、京成上野駅、京成電鉄宗吾検車区に停車中のスカイライナーに時限発火装置を仕掛け、一部炎上させる。
- 1981年(昭和56年)
- 1982年(昭和57年)3月13日:中核派によって、国鉄鹿島線、国鉄成田線、国鉄総武本線などの信号ケーブルが切断される。また、国鉄西船橋変電所が時限発火装置によって爆破され、空港用航空燃料輸送列車の運行停止を招く。また県内の列車運行に大きな乱れが生じる。
- 1983年(昭和58年)
- 1984年(昭和59年)
- 1985年(昭和60年)
- 6月23日:第1ターミナル2階の荷捌き場でカナダのバンクーバーから到着したカナダ太平洋航空機に積まれていた航空貨物が爆発、2名が死亡し4名の負傷者が出る(成田空港手荷物爆発事件)。
- 10月20日:10.20成田現地闘争。千葉県成田市の三里塚交差点で極左グループと警視庁機動隊が衝突。241人を公務執行妨害等で現行犯逮捕した。成田空港反対運動終期の大規模な反対派と警察部隊の衝突であった。
- 1986年(昭和61年)11月26日:第2期工事に着工。
- 1988年(昭和63年)
- 3月19日:開港以来の国際旅客1億人達成。
- 9月21日:成田空港の土地問題を担当する千葉県収用委員会会長が千葉市内の帰宅中に武装した数人の男に襲撃され、瀕死の重傷を負う。事件後中核派が犯行を自認する(千葉県収用委員会会長襲撃事件)。
- 10月24日:千葉県収用委員会会長以下全委員が辞表を提出。千葉県収用委員会の機能は事実上停止に陥る。以後、機能停止状態が続いていたが、2004年(平成16年)12月8日、16年ぶりに機能回復した。ただし成田空港に対しては、土地収用法の適用は現段階では対象外としている。
- 1989年(平成元年)2月28日:第1旅客ターミナルビル南ウイング附属棟完成。
- 1990年(平成2年)
- 1991年(平成3年)
- 1992年(平成4年)
- 1993年(平成5年)
- 1994年(平成6年)
- 1995年(平成7年)4月8日:開港以来の国際旅客2億5,000万人達成、第2サテライト供用開始、第1旅客ターミナル改修開始。
- 1996年(平成8年)
- 1997年(平成9年)
- 1998年(平成10年)
- 1月22日:芝山鉄道線建設工事起工。
- 2月1日:第1旅客ターミナルビル第1サテライトの供用開始。
- 2月2日:空港へ迫撃弾2発と金属弾1発が打ち込まれ、貨物地区の作業員1名が迫撃弾の破片に被弾。救急車で近くの病院に搬送される。迫撃弾のうち1発は近くで破裂、金属弾1発は不発だった。
- 4月25日:1日の発着枠を360回から370回へと改定。
- 5月27日:「エコ・エアポート基本構想」を発表。
- 7月15日:「地域と共生する空港づくり大綱」発表。
- 11月10日:NAAとアメリカの「ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社」の間で初の姉妹空港の締結を調印。
- 11月18日:成田空港 - 羽田空港間直通列車運転開始。
- 12月23日:開港以来の航空機発着回数200万回達成。
- 1999年(平成11年)
- 3月16日:第1旅客ターミナルビル北ウイング・中央ビル新館供用開始(南ウイング閉鎖)。
- 4月27日:新消音施設(ノイズリダクションハンガー)竣工。
- 5月10日:平行滑走路2000年度完成目標断念を発表。
- 9月3日:平行滑走路等の整備に関する工事実施計画の変更認可申請。
- 9月12日:太陽光発電システム運用開始。
- 12月3日:平行滑走路工事着工。
- 12月26日:17時23分頃、京成上野発の特急電車が成田空港駅到着直後に2両目座席下から発火。同電鉄西馬込発東成田行急行電車においても東成田駅到着前に座席下から出火。17時30分頃にもJR総武線久里浜発成田空港行快速電車がJR成田駅を発車した直後に連結部から発火。3件の事件全ての焼け跡から時限発火装置が見つかる。JRでは運休や延遅などにより約1万人に影響が出た。
- 2000年(平成12年)
- 4月1日:コージェネレーションシステム導入・運用開始。
- 7月7日:第1ターミナルビル第2サテライト供用開始。
- 2001年(平成13年)10月31日:暫定平行滑走路の完成。
- 2002年(平成14年)
- 2月21日:暫定平行滑走路(B滑走路)の供用開始日に関するノータム(航空情報)を発出する。
- 4月12日:成田空港駅に停車中の京成電鉄の特急列車の車内に時限発火装置が仕掛けられ、連結部分より発火。
- 4月18日:2本目の滑走路・暫定平行滑走路の供用開始。これによりチャイナエアライン (中華航空)とエバー航空 (長榮航空)が羽田から成田へ移管、中国国際航空と翼を並べることとなる。
- 5月13日:回転翼航空機(ヘリコプター)の受け入れ条件を一部緩和。
- 9月25日:第2旅客ターミナルビルスイングゲートの供用開始。
- 5月27日:第2旅客ターミナルビル出発ロビー北側増築部(Wカウンター・Yカウンター)の供用開始。
- 10月16日:空港南口ゲートの供用開始。
- 10月27日:芝山鉄道の供用開始。
- 12月16日:第1旅客ターミナル第3サテライトの供用開始。
- 2003年(平成15年)
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)
- 6月8日:開港以来の離着陸回数が300万回達成。
- 7月15日:暫定平行滑走路を本来の計画とは逆の北側延伸で、国交相と成田国際航空会社・社長が同意。
- 11月:元過激派16人が国などから1978年の管制塔襲撃事件の損害賠償として約1億300万円の支払いを求められ、2005年になって給料を差し押さえられた。
- 11月8日:第2ゲートの検問を突破した男を千葉県警察の警察官が追跡中、同県佐倉市直弥の路上で男にナイフで刺され、1人(成田国際空港警察署)は右脇腹を刺され死亡、もう1人(佐倉警察署)は左腕に軽傷を負う。男は他の警察官に殺人未遂などで現行犯逮捕。
- 11月18日:旧新東京国際空港公団発注の成田空港電気設備工事で、空港公団主導による受注調整など官製談合の疑いが浮上、関わった電機企業各社と成田国際空港会社が東京地検の捜索を受ける。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
- 3月6日:成田市南三里塚の雑木林で迫撃砲2門が発見される。翌7日、成田国際空港会社空港技術センター(芝山町岩山)で迫撃弾が発見される。革命軍を名乗る組織から「1日午前6時45分に滑走路に撃ち込んだ」との犯行声明文が報道機関に送られる。
- 3月16日:15日午後5時すぎから4時間近くにわたり、北朝鮮から発射された電波により成田空港の管制システムで混信が発生する。業務に支障は起きなかったが、総務省は国際電気通信連合 (ITU) の無線通信規則に定める識別信号の送出を行っていないと認められたため、国際電気通信連合に通報した。
- 4月1日:緊急地震速報を運用導入。
- 5月20日:開港30周年を迎え記念式典が催され、これを記念して日本航空のボーイング747-400型機に特別塗装が施された。
- 9月12日:旧NAA本社ビル跡地に第5駐車場 (P5) がオープン。
- 9月25日:当時国土交通大臣であった中山成彬の成田空港建設の反対闘争に関する発言が問題となる。この際の他の発言とともに問題視されたが、中山大臣は反対闘争に対する発言の責任を取る形でその後辞任した。
- 10月4日:第2ターミナル サテライト到着コンコース和的整備がグッドデザイン賞を受賞する。
- 10月16日:第7貨物ビルおよび貨物地区トラック待機場の供用開始。
- 2009年(平成21年)
-
- 3月23日:フェデックスのマクドネルダグラスMD-11Fが着陸失敗し大破炎上、乗員2名死亡。開港以来初の全損及び死者の出た事故となる。
- 4月:前項の事故を受け、B滑走路2500 m供用開始時期を「2010年3月から2009年10月に前倒しする」方向で成田国際空港会社と国土交通省が協議に入る[23]。
- 5月12日:B滑走路東側誘導路(新設)着陸誘導電波の性能検査が行われる。
- 5月20日:成田国際空港会社と国土交通省の協議の結果、B滑走路2500 m供用開始日を「2009年10月22日」に正式決定。成田市の小泉一成市長は、同日、空港会社によるB滑走路供用開始日が決定したことに伴い「航空機の発着時の安全性がより確保されるとのことで一定の理解をする」としたうえで、「空港会社に対して、騒音の影響を受ける地域への丁寧な説明を要請している」と述べる。
- 7月30日:B滑走路東側誘導路、供用開始[24][リンク切れ]。
- 9月17日:空港会社は、空港反対派らが持つ「一坪運動共有地」と「土地」を空港会社へ売却を求める訴訟を起こす。
- 10月22日:B滑走路、2500 m化供用開始[25]。
- 12月15日:成田空港周辺の9市町長(成田空港圏自治体連絡協議会)は夜間の離着陸禁止の規制を緩和し、運航時間を延長する案を成田国際空港会社側に示す。
- 2010年(平成22年)
- 2月25日:空港用地内B誘導路付近にある“反対派最後の聖域”とも言われていた団結小屋「天神峰現地闘争本部」を撤去し土地をNAAへ明け渡すようにNAAが提訴した裁判で、千葉地裁は撤去を命じる判決。反対派は控訴。
- 3月28日:A滑走路を離陸専用、B滑走路を着陸専用に使い分け開始。
- 7月17日:京成電鉄の新路線として成田スカイアクセス線が開業。成田空港駅 - 日暮里駅間が最短36分とアクセスが改善された。
- 9月17日:利用者のさらなる利便性を図るための取り組みとして、第2ターミナルにおいて、成田国際空港株式会社とJTBグローバルマーケティング&トラベルによる成田空港プレミアムコンシェルジュサービスの共同実証実験が期間限定(同年11月16日まで)で開始する。
- 2011年(平成23年)
[編集] 主な航空機事故
- 2001年12月1日:着陸して駐機場に移動中のミュンヘン発のルフトハンザドイツ航空714便、エアバスA340-300型機の主翼が、離陸のため誘導路に停止中のソウル・仁川行き日本エアシステム253便、エアバスA300-600R型機の尾翼に接触した。
- 2003年1月27日:ソウル・仁川発の全日本空輸908便、ボーイング767-300(JA605A[26])が、B滑走路への着陸に失敗し約70 mオーバーランし草地に突っ込み、誘導路灯や滑走路末端補助灯を壊し停止した。このため開港後初めて事故により滑走路が閉鎖された。詳細は全日空機成田空港オーバーラン事故を参照。
- 2009年3月23日:広州発のフェデックス80便、マクドネルダグラスMD-11F貨物機が、6時49分にA滑走路への着陸に失敗、左主翼が接地し反転、滑走路脇で炎上、操縦士と副操縦士の両名が死亡。開港以来初の航空機墜落全損死亡事故となり、事故後A滑走路は開港以来最長となる26時間21分にわたり閉鎖。詳細はフェデックス80便着陸失敗事故を参照。
[編集] 施設
2棟の旅客ターミナルビルと複数の貨物用施設が点在している。2棟の旅客ターミナルビルの間は無料のターミナル間連絡バスなどの交通機関によって結ばれている[27]。両ターミナル間は連絡バスで約10-15分。
複数ターミナルを持つ大規模空港に多く見られるように、ターミナル間の距離が離れているため、ターミナルを間違えると移動に時間がかかる。特に、1990年代から増加している他社とのコードシェア便(共同運航便)では注意が必要であり、実際に機材を運航する航空会社が使用するターミナルに向かう必要がある。
開港から14年半余り経過した1992年12月に第2ターミナルが開業となり、日本航空グループと全日本空輸グループが第2ターミナルへ移転され、第1ターミナルは海外航空会社が中心的に利用する状態となった。しかし、真新しい第2ターミナルへの各種サービスの偏重、混雑時間の集中やコードシェア便の増加によるターミナル分散は、利用者にとって不便な部分が多かったとされる。
キャパシティに余裕のある第2ターミナルが開業すると、入れ替わりに第1ターミナル北ウイングが閉鎖され、第1ターミナルの大規模なリニューアル工事が着手された。サテライトの段階的な改築・増築を経て、1998年末にレストランや飲食店などのテナントが集結する中央ビル新館が竣工、1999年3月に北ウイングが再開業した。その入れ替わりで南ウィングが閉鎖され、工事が進められた。
南ウイングの再開(再開業)に当たっては、航空アライアンスのグループごとにまとめ、同じターミナルに集約することによって混雑解消を目指し、かつ同一アライアンス毎のターミナルにすることで乗り継ぎの利便性を高められるメリットから、20社が段階的にターミナル毎に集約・移転された。現在、主要な航空会社は主な3つの国際航空連合にまとまっており、ワンワールド加盟社の多くは第2ターミナル、スターアライアンス加盟社の多くは第1ターミナル南ウイング、スカイチーム加盟社の多くが第1ターミナル北ウイングを使用している[28][リンク切れ]。現在、第3の旅客ターミナルとして、格安航空会社専用ターミナルの建設を検討している[29][リンク切れ]。
なお、貨物用施設は、貨物ターミナル地区、整備地区貨物上屋、天浪地区貨物上屋、南部貨物地区などに点在しておかれており、貨物取扱量の増加から現在も拡張工事が続けられている。
[編集] 旅客ターミナル
[編集] 第1ターミナル
1978年の開港当時から使用されており、供用当時は北ウィングを日本航空やブリティッシュ・エアウェイズなどが、南ウィングをパンアメリカン航空やキャセイパシフィック航空などが使用していた。その後第2ターミナルの完成を受けて全日空や日本航空が移動するなど使用航空会社が変更されたほか、改築と増床を重ね、現在は中央ビル並びに南北ウイングと第1~第5サテライトに分かれている。出発ロビーは4階、到着ロビーは1階である。第1、第2サテライトは主にスカイチーム加盟各社のチェックイン・カウンターがある北ウイングに、第3~5サテライトは主にスターアライアンス加盟各社と、全日空ハンドリング各社のチェックイン・カウンターがある南ウイングに接続している。
- 中央ビル 主に店舗などがある。
- 北ウイング
- 南ウイング
- 第3サテライト 31~38ゲート
- 第4サテライト 41~47ゲート(45番・46番はエアバスA380対応)
- 第5サテライト 51~59ゲート(59番はバスゲート)
施設の老朽化を受けて中央ビルと北ウィングが最初に大幅な改築を受け、新たなチェックインカウンターの設置や店舗の改装、ラウンジの増設などが施されて1999年3月16日に新装開業したほか、2006年6月2日に新装開業した南ウイングの改築完成時に日本初となるインライン・スクリーニングやカーブサイド・チェックインなどのサービスが導入された。また、この前後にはエールフランスや全日空の新ラウンジもオープンした。なお、南ウイングから発着するシンガポール航空や、第2ターミナルを使用するニュージーランド航空を除くスターアライアンス加盟各社は、搭乗手続きを航空会社別のチェックインカウンターで行わず、マイレージ上級会員や搭乗クラスによってカウンターを分けた「ゾーン・チェックイン」スタイルで行われている。
[編集] 第2ターミナル
1992年12月6日に供用開始され、当時は単一ターミナルビルとしては世界最大級の規模を誇った。出発ロビーは3階、到着は1階で、本館とサテライトに分かれる。両館の連絡は、無料の新交通システム(空港に使用されるものとしては世界初の空気浮上式。厳密には水平式エレベーター扱い。だが、完全自動運転を行っているので、事実上、鉄道の新交通システムである。日本オーチス・エレベータ製)による。現在はワンワールド加盟各社が使用しているほか、日本航空がハンドリングする各航空会社や、ニュージーランド航空やベトナム航空などの複数のスターアライアンスやスカイチームの加盟航空会社も使用している[30]。なお、第2ターミナルは同空港唯一の屋内駐車場であるP2から連絡通路で直結しているため、雨天でも雨に濡れることなく駐車場にアクセスすることができる唯一のターミナルとなっている。
なお、63・64・65の各ゲートは国内・国際線共用ゲートとなっており、国内線で運用した飛行機をその後国際線で運用する際にこのゲートを使用する場合が多い。そのため、待合室は国内線、国際線利用者が利用できる時間帯が決まっている。また、66・67ゲートには、コミューター機対応の国内線専用ゲートがある。
2007年に大規模な改装が行われ、チェックインカウンターの増設やカウンター周辺の改装とあわせて、日本初となる自動出入国管理ゲートやインライン・スクリーニングなどの新サービスが導入されたほか、日本最大となる5,000 m²の店舗面積を持つ[33]免税店モール「ナリタ5番街」がオープンした。また同時に成田国際空港初のペット用ホテルやキッズルームも設けられた。同時に各航空会社のラウンジの改装・新設も行われ、日本航空が日本最大の約4,000 m²の面積を持つラウンジ[34]をオープンさせた(なお日本航空は第2ターミナルに5つのラウンジを擁し、その面積は合計約7,400 m²となる[35])他、同じワンワールド加盟航空会社のアメリカン航空[36]やキャセイパシフィック航空、カンタス航空[37]が新しいラウンジをオープンした。またチャイナエアラインも[38]新しいラウンジをオープンさせた。
2009年9月にはサテライトエリアの改修も行われ、レストランの拡張をはじめとした各種設備の充実が行われた[39]ほか、サテライトエリアにある日本航空のラウンジの大規模な改修と拡張も行われた。
[編集] 店舗
両旅客ターミナルの非制限エリアと制限エリア(セキュリティチェックを済ませた人のみが利用できるエリア)には、飲食店と書店・みやげ物屋などの各種売店がテナントとして入っている。後述の公共機関を除いたサービス施設として、診療所などの医療機関、ビジネスセンター、ドコモワールドカウンター等の国際ローミング対応の携帯電話のレンタル・販売ショップや、有料のエアポートラウンジ(指定されたクレジットカード会員の発着便利用時は無料)などがある。
食料品や日用品等の販売店として、両ターミナル内の非制限エリアに空港会社によるコンビニエンスストア型売店が数カ所ある[40]。また、空港第2ビル駅ではそれぞれ駅売店(京成ストア・KIOSK)もある。
[編集] 銀行窓口
銀行の支店窓口として、第1ターミナルビル内に三菱東京UFJ銀行成田空港支店が、第2ターミナル内に千葉銀行成田空港支店と三菱東京UFJ銀行成田空港出張所[41]が入居している。この他、りそな銀行などの外貨両替専門の出張所窓口、入国時税関での関税出納(納税)に業務が限られるみずほ銀行の派出所扱いの窓口が税関検査場内に置かれている[42]。
[編集] ATM
ターミナルビル内の複数箇所で、三菱東京UFJ銀行・三井住友銀行・みずほ銀行・ゆうちょ銀行・新生銀行・東京スター銀行・セブン銀行(看板は「SEVEN BANK」表記)・シティバンク銀行と香港上海銀行[43]のATMが置かれている。また、JRの空港第2ビル駅・成田空港駅のコンコースではビューカードATMが置かれている。このうち、日本国外発行のATMカードやクレジットカードによる現金引き出し・残高照会利用は、ゆうちょ銀行ATMとセブン銀行、外資系銀行のATMのみ対応している。
[編集] 郵便局関係
郵便局は第1ターミナルビル内に成田空港内郵便局、第2ターミナルビル内に成田空港内第二郵便局がそれぞれ設けられている。これとは別に郵便事業会社成田国際空港支店の分室も両ターミナルビルに設置されており、国際スピード郵便やゆうパックを含めた郵便物の差し出しがゆうゆう窓口同等に可能である。
2012年3月16日をもって成田空港内郵便局・成田空港内第二郵便局は閉局となる。但し、両ターミナルビル内の郵便事業会社の分室ならびにゆうちょ銀行ATM(双方共に郵便局とは別の場所に設置)の存廃については発表されていない。
[編集] 制限エリア・免税店
出国審査(東京入国管理局成田空港支局)後は搭乗客や航空会社、店舗の関係者などしか入れない制限エリアである。2005年以降の改装により、第1、第2ターミナルともにさながら街中のショッピングモールのような国内外のファッションブランドのブティックや、DFSなどによる免税店街が広がっている。また、化粧室や有料のリフレッシュルーム(仮眠室・シャワールーム)、キッズルーム(第2ターミナルのみ)といった各種サービス施設も置かれている。搭乗口付近には各航空会社のラウンジが置かれている。また、他の国内空港と同様にキヨスク風の小型売店とイートインスタンドを兼ね備えたゲートラウンジ店舗(BLUE SKYやANA FESTAなど)もあり、搭乗直前まで利用ができる。
第1ターミナル南ウィングの改装に合わせて、出国後の制限エリア(北ウィングの旅客も利用できる)に免税店モール「narita nakamise」[44]がオープンしたほか、2007年には、第2ターミナルの出国後の制限エリアに、「narita nakamise」を約1.4倍上回る、空港内の免税店モールとして国内最大の店舗面積を持つ[33]「ナリタ5番街」が開業した。なお、第2ターミナルは本館だけでなくサテライトにも免税店やファッションブランドのブティック、書店やレストランなどの店舗や外貨両替専門の出張所窓口、航空会社のラウンジがある。
2009年9月17日からは、セブン銀行により出国後の制限エリア内においては国内初となるATMが設置されている。空港およびセブン-イレブン店内といった市中に置かれている機種と提携金融機関などの条件は同一で、日本円での引出が可能であるが、外為法の抵触(100万円相当額以上の持ち出し現金がある場合は出国審査の税関に戻って携行品申告をする必要がある)を避ける意図から、1回の操作では3万円までしか引出ができない。
[編集] カジノ計画
2010年3月に森田健作・千葉県知事は、乗客のさらなる誘致と羽田空港との差別化、地元の雇用増加効果などを狙って、旅客ターミナルの制限エリア内に外国人専用のカジノ施設を設けることを検討していることを発表した。設置場所などについては検討を進める予定[45]。
[編集] 貨物ターミナル
2007年現在、成田国際空港の国際航空貨物の取扱量は香港国際空港と仁川国際空港に次いで世界3位の地位を占める。開港当時は第1ターミナル北ウイング横に集中して貨物ビルが置かれていたが、航空貨物需要の増加に対応して五月雨式に拡張を続けたために、貨物ターミナル地区、整備地区貨物上屋、天浪地区貨物上屋、南部貨物地区などに、JALカーゴや日本貨物航空、各フォワーダーなどの貨物ビルが点在している。貨物地区内には勤務者やドライバーの為にコンビニエンスストア(サンクス)も設置(第2貨物ターミナル内)され、またトラック待機場にもコンビニエンスストアが設置されている他、ガソリンスタンドも設置されている。
施設規模をすべて合わせると20.2万平方メートルの規模を持ち、相次ぐ拡張の結果、年間240万トンの取り扱いが可能となったが、暫定滑走路の延伸工事の完成に臨み、さらに取扱量を増やすために現在も拡張工事が行われている。
[編集] 駅サービス施設
両旅客ターミナルに接続した成田空港駅・空港第2ビル駅の改札外には「京成たびるーむ(京成トラベルサービス)」と「みどりの窓口・指定席券売機(JR東日本)」がそれぞれあり、たびるーむでは海外旅行保険の加入やトラベレックスによる外貨両替サービスが受けられる。みどりの窓口では通常の切符類の購入に加え、訪日外国人が海外で購入可能な『ジャパンレールパス』類の実券引き替えや『Suica & NE'X』の発売を行っている。
[編集] 駐車場
[編集] 空港内の駐車場
P1・P2・P3・P5および貨物地区駐車場といった有料駐車場が設けられている。また、オートバイ用の駐車スペースも確保されている。
一部の駐車場は事前にインターネットで申し込むことが可能で、割引も適用される。なお、第2ターミナルに隣接しているP2は、第2ターミナルと連絡通路で直結しており、雨天でも雨に濡れることなくターミナルにアクセスすることができる唯一の駐車場である。
[編集] 周辺の駐車場
国道51号が国道295号(空港通り)と立体交差する寺台インターチェンジから空港へ向かうと、空港の数キロ手前から空港内駐車場よりも廉価な料金で営業している駐車場業者が多数存在する。ターミナル前のカーブサイド(車両乗降場)での車両受け渡し(いわゆるバレーパーキング)は空港側の規則で禁止されているため、ホテルと同様に無料送迎サービスを実施して便宜を図っている。
[編集] ホテル
[編集] 空港内
空港敷地内の唯一の宿泊施設として、第1ターミナル横に機内食製造大手のティエフケーが運営する「成田エアポートレストハウス」がある。第1ターミナル北ウイングとは徒歩で10分ほどの距離にあり、各ターミナルとはシャトルバスで結ばれている。ホテル利用者向けの専用駐車場も用意されている。
[編集] 空港近辺
国道295号や成田インターチェンジ沿いを中心とした空港周辺の山林・丘陵部には、空港利用者需要を見込んだ日本や諸外国のホテルチェーンによる200~300室以上の大規模なシティホテルが複数運営されている。これらのホテルは開港当時の空港アクセスが不便で、出発前日・到着後の宿泊(前後泊)需要が旺盛であった(旧)成田空港駅の時代に開業しているが、鉄道駅のターミナル直結が実現し、東京駅・京成上野駅までが特急で1時間程度になると、自宅と空港間の直行直帰が時間的に容易となったことから前後泊需要が縮小し、1990年代末以降の失われた10年とされた時代に大半の施設が不採算に陥った。そしてホテルチェーン経営会社の判断から不動産投資ファンドや投資銀行系の特定目的会社へ売却され、外資系を中心とする他ホテルチェーンの看板へ鞍替えされて営業を継続しているものが多い。また、航空会社の乗務員の利用も多い。
これらのホテルでは、空港ターミナル間との送迎バスが定期運行されており宿泊客の利便性を図っている。空港ターミナルビルまでの直線距離は殆どが半径4 km以内であるものの、空港内の道路がターミナル施設等を大回りして国道295号に入るため、乗車時間は概ね10分~20分程度要する。宿泊すると1~2週間程度までは駐車料を無料とするサービスを用意している場合もある。また、少数ではあるが、個人経営のペンションや民宿も存在する。
- 空港周辺の大型ホテル
- 成田ビューホテル(1974年開業)
- 成田東武ホテルエアポート(1975年開業)
- ラディソンホテル成田(1978年開業)
- 東横イン成田空港(1978年開業)
- ホテル日航成田(1978年開業)
- 成田エクセルホテル東急(1985年開業)
- ANAクラウンプラザホテル成田(1989年開業)
- 成田ポートホテル(1992年開業)
- ヒルトン成田(1993年開業)
- マロウドインターナショナルホテル成田(1995年開業)
- インターナショナルガーデンホテル成田(1996年開業)
[編集] 成田市街地
空港から離れた京成成田駅・JR成田駅周辺といった市街地では、元々成田山新勝寺という観光名所があるため、古くから地場系の中規模ホテルや民宿が点在している。2005年以降は京成成田駅東口(成田市役所側)の区画整理事業の進捗により、駅前にチェーン系の宿泊特化型ビジネスホテルの開業が相次いだ。
なお、施設についての詳細は空港周辺ホテル予約 | 成田国際空港公式WEBサイトを参照のこと。
[編集] 本拠空港・ハブ空港(拠点空港)としている航空会社
5社の航空会社がこの空港を本拠空港もしくはハブ空港(拠点空港)としている。
もっとも、厳密には本来の意味でのハブ空港として機能させているのはデルタ航空のみ。詳しくはハブ空港を参照。
[編集] 就航路線
[編集] 就航会社
旅客便の発着便数では、インカンバント・キャリア(日米航空協定において日米間と以遠区間の路線便数を自由に設定できる航空会社)である日本航空グループが最大である。その次に同じくインカンバント・キャリアである全日本空輸グループとデルタ航空が続く。さらに以遠権を元にアメリカ線のみならずアジア線も多く運航するユナイテッド航空、そして東京国際空港(羽田空港)にも乗り入れる大韓航空と中国国際航空が次ぐ形となっている[46]。
貨物便では、成田国際空港を本拠地として使用しており、かつインカンバント・キャリアである日本のJALカーゴや日本貨物航空、そしてアメリカのフェデラルエクスプレスやデルタ航空が上位を占めている。
既出の通り旅客ターミナルはアライアンス別に分かれていて、基本的に第1ターミナル北ウイングにスカイチーム加盟各社、第1ターミナル南ウイングにスターアライアンス加盟各社、第2ターミナルにワンワールド加盟各社が発着している。ただし2011年10月31日現在の時点でスカイチーム所属だが第2ターミナル発着の中国東方航空、中国南方航空、チャイナエアライン、スターアライアンス所属だが第2ターミナル発着のニュージーランド航空など、いくつかの例外もある。今後もアライアンスへの加盟が進んだ結果、発着ターミナルと加盟アライアンスが異なる場合が発生する可能性がある。
- 臨時便、不定期便、チャーター便のみの就航会社を除く
- 太字は成田をハブにしている航空会社
- 「*」は相手機材のみで共同運航している航空会社
- (ST) はスカイチーム、(SA) はスターアライアンス、(OW) はワンワールドに所属している航空会社
- 既にアライアンスへの加盟手続きを行った航空会社については加盟予定である旨付してある
[編集] 第1ターミナル 北ウイング
| 航空会社 | 目的地 |
|---|---|
| (北米) ジョン・F・ケネディ国際空港(ニューヨーク)、ハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港(アトランタ)、デトロイト・メトロポリタン・ウェイン・カウンティ空港(デトロイト)、ミネアポリス・セントポール国際空港(ミネアポリス)、ロサンゼルス国際空港(ロサンゼルス)、サンフランシスコ国際空港(サンフランシスコ)、ポートランド国際空港(ポートランド)、シアトル・タコマ国際空港(シアトル)、ソルトレイクシティ国際空港(ソルトレイクシティ)(夏季運航)
(太平洋) ホノルル国際空港(ホノルル)、 サイパン国際空港(サイパン)、グアム国際空港(グアム)、パラオ国際空港(コロール) (アジア) スワンナプーム国際空港(バンコク)、シンガポール・チャンギ国際空港(シンガポール)、ニノイ・アキノ国際空港(マニラ)、北京首都国際空港(北京)、上海浦東国際空港(上海)、香港国際空港(香港)、台湾桃園国際空港(台北)、仁川国際空港(ソウル)、金海国際空港(釜山) (国際線乗継専用) 中部国際空港(名古屋) |
|
| シェレメーチエヴォ国際空港(モスクワ)、ロンドン・ヒースロー空港(ロンドン)、シャルル・ド・ゴール国際空港(パリ) | |
| メキシコ・シティ国際空港(メキシコシティ) | |
| フィウミチーノ空港(ローマ)、ミラノ・マルペンサ国際空港(ミラノ) | |
| シャルル・ド・ゴール国際空港(パリ) | |
| スキポール空港(アムステルダム) | |
| 仁川国際空港(ソウル)、金海国際空港(釜山)、済州国際空港(済州)、ロサンゼルス国際空港(ロサンゼルス) | |
| ロンドン・ヒースロー空港(ロンドン) | |
| ヌメア国際空港(ヌーメア) | |
| ノイバイ国際空港(ハノイ)、タンソンニャット国際空港(ホーチミン) |
[編集] 第1ターミナル 南ウイング
[編集] 第2ターミナル
[編集] 貨物航空会社
日本貨物航空
エアージャパン
大韓航空カーゴ
エア・ホンコン
キャセイパシフィック・カーゴ
中国貨運航空
MASカーゴ
シンガポール航空カーゴ
フェデラルエクスプレス
ユナイテッド・パーセル・サービス
エバーグリーン国際航空
ルフトハンザ・カーゴ
エールフランス・カーゴ
アエロフロート・カーゴ
エアブリッジ・カーゴ
[編集] 運休中の航空会社
[編集] 就航開始予定の航空会社と路線
スカイマーク : 2012年3月7日から神戸線を1日2便で就航開始予定
全日本空輸 : 2012年3月25日から新潟線を1日1便で就航開始予定
マレーシア航空 : 2012年3月25日からクアラルンプール発成田経由ロサンゼルス線を週4便(月・水・金・日)で就航開始予定
ジェットスター航空 : 2012年3月26日からマニラ経由ダーウィン線を週4便(月・火・金・土)で就航開始予定
S7航空 : 2012年3月26日からハバロフスク線を週2便(月・金)で就航開始予定 <定期チャーター便>3月26日~10月26日
S7航空 : 2012年3月27日からウラジオストク線を週2便(火・土)で就航開始予定 <定期チャーター便>3月27日~10月27日
スカイマーク : 2012年4月から仙台線を1日1便で就航開始予定
日本航空 : 2012年4月22日からボストン線を1日1便で就航開始予定
ルフトハンザドイツ航空 : 2012年6月1日からデュッセルドルフ線を週6便で就航開始予定
ジェットスター・ジャパン : 2012年7月3日から大阪/関西線、札幌/新千歳線、福岡線、沖縄/那覇線を就航開始予定
エアアジア・ジャパン : 2012年8月から札幌/新千歳線、福岡線、沖縄/那覇線を就航開始予定
ヤクーチヤ航空 : 2012年8月からイルクーツク線を就航開始予定[47] <定期チャーター便>7月14日~8月1日
エアアジア・ジャパン : 2012年10月からソウル/仁川線、釜山線を就航開始予定
USエアウェイズ : 2012年以降フェニックス線を1日1便で就航開始予定[48]
日本航空 : 2012年12月からサンディエゴ線を就航開始予定
日本航空 : 2013年3月からヘルシンキ線を就航開始予定
[編集] 過去に乗り入れていた航空会社
JALカーゴ
日本エアシステム(日本航空インターナショナルに吸収合併)
日本アジア航空(日本航空インターナショナルに吸収合併)
JALウェイズ(日本航空インターナショナルに吸収合併)
ミネベア航空(会社清算 貨物便のみ)
シティ・エアリンク(羽田~成田間のヘリコプター)
ヴァリグ・ブラジル航空
AOMフランス航空(破産)
UTAフランス航空(エールフランスに吸収合併)
ビーマン・バングラデシュ航空
オリンピック航空(運休・発着枠も返上)
カナディアン航空(エアカナダと合併)
サベナ・ベルギー航空(破産)
スイス航空(破産、スイスインターナショナルエアラインズに引き継がれる)
中国民航(分割・民営化)
香港ドラゴン航空(親会社のキャセイパシフィック航空に全面移管)
トランス・メディテラネアン航空(運航休止、貨物便のみ)
パンアメリカン航空(太平洋路線をユナイテッド航空に売却)
フライング・タイガース(フェデックスに吸収合併、貨物便のみ)
ブリティッシュ・カレドニアン航空(ブリティッシュ・エアウェイズに吸収合併)
エア・パシフィック航空(過去4年間の累計で約19億円の赤字のため、日本路線から撤退。日本国内の事務所も閉鎖)
イラク航空
クウェート航空(乗り入れが発表され、スケジュールまで発表されたものの実現しなかった)
ノースウエスト航空(デルタ航空と合併)
イラン航空
[編集] 定期路線一覧
原則として到着都市名(リンク先は到着空港)のみを記述するが、同一都市圏に2つ以上の空港が存在もしくは空港名に到着都市名が含まれていないなどの場合は「都市名/空港名」の様式で記述する。
[編集] 国際線
- 東アジア
- 東南アジア
- 南アジア
- 中央アジア
- 中近東
- 北米
- 中南米
- ヨーロッパ
- オセアニア・太平洋
- アフリカ
[編集] 定期チャーター便
タイ : バンコク(2012年5月8日まで運航) : ジェットアジア・エアウェイズ
ロシア : ユジノサハリンスク、ハバロフスク、ウラジオストク、ペトロパブロフスク・カムチャッキー(6月-8月のみの季節運航)[49](すべてウラジオストク航空による週2便の運航)
中華人民共和国 : 福州[50] 、無錫[51](共に深圳航空)
[編集] 運休・廃止路線(旅客便のみ)
- アジア
- ヨーロッパ
- 北米
- 中南米
- オセアニア・太平洋
[編集] 国内線
各路線ともに、乗り継ぎの便を考慮して午前中、または夕方成田着と夕方 - 夜間成田発を中心に運航されており、国際線の間合い運用として、国際線用の機材が用いられる便も多い。なお、利用客の数が見込める比較的大規模な空港への便が中心であり、それ以外の地方空港へは、羽田での乗り継ぎとなる。 ほとんどの日本航空及び、全日本空輸運航便において、同じアライアンスに所属する外国航空会社とのコードシェアを行っている。
[編集] 第1ターミナル南ウイング使用
| 航空会社 | 目的地 |
|---|---|
| 新千歳空港、仙台空港、新潟空港(2012年3月25日から就航開始予定)、中部国際空港、大阪国際空港、福岡空港、那覇空港 | |
| 仙台空港、小松空港、広島空港 |
[編集] 第2ターミナル使用
| 航空会社 | 目的地 |
|---|---|
| 新千歳空港、中部国際空港、大阪国際空港、関西国際空港、福岡空港、那覇空港 | |
| 旭川空港、新千歳空港、仙台空港(2012年4月就航予定)、神戸空港(2012年3月7日から就航開始予定)、福岡空港、那覇空港 |
[編集] 空港へのアクセス
成田空港への交通機関、また成田空港から東京国際空港(羽田空港)への交通機関の詳細については、成田空港公式ページ:空港アクセス情報を参照。
[編集] 歴史
[編集] 鉄道
東京都心までは50 - 60km程度あり、東京都心部への用務客は移動に要する時間が比較的長いために、当初は東京 - 成田空港間に成田新幹線を建設し結ぶ計画で、開港時には第1ターミナル地下に鉄道駅の施設がほぼ完成していた。しかし、騒音などの被害が出ることを嫌った沿線(特に東京都江戸川区や千葉県東葛飾郡浦安町(現・浦安市))自治体や住民の反対運動が激しく中止となった。さらに空港自体の建設が難航したための余波を受け、千葉県内の道路や鉄道などの公共事業の計画は大幅に狂ってしまった。空港建設時の様々な問題から千葉県では収用委員会が機能停止してしまい、道路や鉄道建設の用地取得が進まなくなってしまったためである。
1978年の開港時には、京成電鉄が旧成田空港駅(現在の東成田駅)まで「スカイライナー」の運行を開始したものの、肝心の空港ターミナルへは空港敷地内の旧成田空港駅からバスへ乗り継ぐ必要があり、その不便さから利用客は伸びなかった。このように空港アクセス鉄道問題解決への動きが一向に進展せず、都心部と空港ターミナルを直結する軌道系交通機関が存在しない状況であった上、もう一つの主要アクセス手段である定期バスも渋滞に嵌ると移動時間が読めない状況であったため、日本国外のガイドブックで「エラーポート」と酷評される[56]ほど、都心からの距離の遠さと所要時間の長さは、世界の主要空港との比較で大きく見劣りする点であった。
当初、成田新幹線計画が混迷を極めていたこともあって別の方法も模索され、1982年に新東京国際空港アクセス関連高速鉄道調査委員会が運輸省(当時)にA・B・Cの3案を答申し、1984年に運輸省はB案(北総線延伸)を採択し推進すると決定した[57]。
1987年に、上記のように「不便な国際空港」と呼ばれていた状況をみた当時運輸大臣を務めていた石原慎太郎の“鶴の一声”により、建設途中で中止となった成田新幹線(東京駅 - 成田空港駅間)の路盤と駅などの設備の一部を活用して東日本旅客鉄道(JR東日本)と京成電鉄の路線をそれぞれ分岐・延伸の上、成田空港に乗り入れる案(成田空港高速鉄道)を指示し[57]、この路線は1991年に開業した。これにより、空港ターミナル(現第1ターミナル)直下に駅が誕生し、「成田エクスプレス」が東京駅までを最短53分で結ぶ[58]など利便性が向上した。また、これに合わせて京成本線のうち、それまで「成田空港」と名乗っていた京成電鉄の駅は「東成田駅」に改称し、同区間は新たに開業した成田空港高速鉄道との分岐地点である駒井野信号場 - 東成田駅間は京成東成田線として分離され支線扱いの路線となった。同線開業の翌年、第2ターミナル開業の際にも、同時に空港第2ビル駅が設置された。
滞っていたB案も鉄道アクセスの充実のため、京成線の短絡線として北総線を経由する成田スカイアクセス(成田新高速鉄道)プロジェクトとして進められ、2010年7月17日に旅客営業を開始し、JR東日本山手線等の日暮里駅から成田空港への所要時間が最速36分と大幅に短縮された。
また、都心と時速300 kmのリニアモーターカーで結ぶ「羽田・成田リニア新線構想」を神奈川県の松沢成文知事や千葉県の森田健作知事[59]が提唱している。ルートは、両空港間以外にも、横浜から東京都内や千葉を経て成田空港に至るもので、新宿やさいたま新都心までの支線も整備も考えられている。この構想が実現すれば、両空港間のアクセスが約27分と大幅に短縮される。この構想について、国土交通省が2009年2月に総事業費3兆円と試算を示したが、財源など実現に向けての課題がある[60][リンク切れ]。
[編集] バス
1978年の開港時に、東京空港交通などの運航する定期バス「リムジンバス」が、空港ターミナルと東京シティエアターミナルや都内の主要ホテルなどの都内各地や千葉県内の主要駅、羽田空港との間を5分-60分に1本程度の頻度で運行したほか、1979年に運用を開始した横浜シティ・エア・ターミナルとの間も10分-60分に1本程度の頻度で運航を行い、成田空港と都内、羽田空港、横浜を結ぶ主要な交通機関となった。
だが開港当時は首都高速湾岸線の多くが完成していなかったため、箱崎ジャンクション付近を中心として首都高速都心環状線とその放射線において慢性的に起きていた渋滞に嵌ることも多く、成田空港と都内、羽田空港、横浜方面を結ぶ移動の時間が読めないことが問題となった。
しかしその後、1980年代に入り首都高速湾岸線の多くが完成したため、リムジンバスが箱崎ジャンクションの渋滞を避けて都内へ向かうことが可能となった上に、1983年に高速湾岸分岐線が開通したことから、定期バスにより成田空港と羽田空港、横浜方面を結ぶアクセスが格段に向上した。さらに1997年に東京湾アクアラインが開通したため、首都高速湾岸線や首都高速1号羽田線の渋滞時には、これを避けて羽田空港及び横浜方面へ向かうことが可能になった。
なお、東京シティエアターミナルでは、日本航空やユナイテッド航空、大韓航空などの主な航空会社の搭乗手続きや出国審査の手続きが可能であったが、2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件の影響による各航空会社のセキュリティ強化および行政改革の一環として、2002年に搭乗手続き業務、出国審査業務ともに終了した。
[編集] 鉄道
詳細は「空港連絡鉄道#成田国際空港」を参照
第1ターミナルの下に成田空港駅が、第2ターミナルの下に空港第2ビル駅があり、東日本旅客鉄道(JR東日本)と京成電鉄、北総線を経由する成田スカイアクセスが乗り入れている。
このほか、主に空港勤務者などが利用している京成東成田線と芝山鉄道の東成田駅(旧成田空港駅)利用でもアクセス可能。各ターミナルまで無料ターミナル間連絡バスがある他、東成田駅改札の横から空港第2ビル駅を経由して第2ターミナルへ抜ける全長500mの地下通路が延びており、徒歩でも雨にぬれずに移動が可能である。
[編集] バス
- 高速バス・リムジンバス
東京空港交通、成田空港交通、京成バス、千葉交通などが東京シティエアターミナルや主要ホテルなどの都内各地や千葉県内の主要駅、横浜シティ・エア・ターミナルや羽田空港などとの間を5分-60分に1本程度の頻度で運行。発着地により共同運行会社も乗り入れる。詳細は当該項目を参照。
- 一般路線バス
なお、新宿駅や上野駅からツアーバス形式によるバスも運行されていたが、いずれも短期間で廃止になっている。
[編集] タクシー
[編集] ヘリコプター
以下の2社が運航している。
- 森ビルシティエアサービス「成田エアラインコネクション」(運航はエクセル航空)
- 雄飛航空「成田ヘリ・エクスプレス」(チャーターのみ)、東京ヘリポート (東京都江東区)・埼玉川島ヘリポート (埼玉県川島町)・群馬ヘリポート (群馬県前橋市)
かつて1988年6月20日から1991年11月19日まで、羽田空港および横浜みなとみらい21との間でシティ・エアリンクの運航によるヘリコプター航路もあった。
[編集] 自動車
自動車で空港へアクセスする場合、以下3つのルートがある。どのルートでも空港敷地進入時にはゲートにて運転免許証などの身分証明書を提示し、乗用車やバスはトランクのチェックを、トラックは荷室のチェックを受ける必要がある(貨物地区進入時へはもう1回チェックを受ける必要があり、入門証を常備しない車輌は臨時入門証の発行を受けなければならない)。
- 東関東自動車道から新空港自動車道を経由し、新空港ICから、第1ゲートもしくは、第2ゲートより入場。
- 国道295号(通称:空港通り)から第2ゲートより入場。
- 国道296号から千葉県道106号八日市場佐倉線または千葉県道62号成田松尾線を経由し、第6(南)ゲートより入場。
日本国外からの要人の訪日や反対派によるデモ、空港内における事件、事故などによって一時的にゲートが封鎖される場合がある。なお、ゲートにおける検問を廃止する計画があると発表された[62][リンク切れ]。
[編集] 成田空港の今後
2009年9月17日、成田国際空港会社(NAA)は、未買収用地取得を進めるため、現在空港反対派らが持つ「一坪運動共有地」と「土地」を空港会社へ売却を求める訴訟を千葉地裁に起こす方針を固めた[63][リンク切れ]。
2009年10月13日、鳩山政権の前原誠司国土交通大臣は、韓国の仁川国際空港など東アジアで高まる国際航空路線の獲得競争に対抗するため、日本政府として今後は羽田空港に重点を置き、同空港のハブ空港化を進めていく方針を表明した。これにより、従来までの「国内線は羽田・国際線は成田」という棲み分けが見直されることとなり、地元自治体・政治家・企業関係者などに波紋を与えた。しかし、翌日になって前原大臣は千葉県の森田健作知事と対談し、従来通り羽田・成田の運用を基本的には崩さない趣旨を伝えた。
地元産業界などからの強い要望もあり、NAAはB滑走路と第2旅客ターミナルビル地区を結ぶ第三誘導路の完成と、発着回数30万回化が見込まれる2013年を目途に可能であれば南進、できなければB滑走路をさらに北進する形で、ボーイング747やエアバスA380などの大型機の発着に問題がなくなる3500メートル以上への延伸を検討している[64][リンク切れ]。
2009年12月12日、国土交通省は、アメリカ・ワシントンDCで開かれていた日米航空交渉で、『航空自由化(オープンスカイ)協定』で合意したと発表。成田・羽田の両空港については発着便数に余裕のない混雑空港として、これまで通り政府間の協議で便数を決定するとし、2010年3月に年2万回分の国際便が増枠される成田空港については、現在約3割のシェアを持つアメリカ発着枠の削減を目指す方向で日米が一致した。
2009年12月15日、成田空港周辺の9市町長でつくる成田空港圏自治体連絡協議会は、午後11時から午前6時まで離着陸禁止の規制を緩和し、運航時間を延長する案をNAA側に示した[65][リンク切れ]。
2010年10月31日には羽田空港へ32年ぶりに国際線定期便が復活し、当空港の発着枠に余裕ができることが予想されることから、NAAは国内線の大幅増設、格安航空会社の誘致ならびに専用ターミナルの建設を検討している。
日本の格安航空会社として知られるスカイマークは、2011年秋をめどに成田空港発着国内線の開設を予定しており、札幌(新千歳空港)、神戸、福岡、那覇の4路線を開設する方向で調整が進んでいる[66]。
[編集] トランジットツアー
空港乗り継ぎ乗客を対象として、成田山新勝寺での護摩体験や酒蔵見学など、空港周辺で日本文化を体験するミニツアー(有料)や、イオンモール成田へのショッピングツアー(有料)を実施している。なお、ツアー案内は英語のみとなる。
[編集] 周辺施設
- 航空科学博物館 - 成田空港の南隣にある。
- 三里塚記念公園 - 宮内庁下総御料牧場の歴史を後世に伝えるために、御料牧場旧跡地に開設された公園。中には三里塚御料牧場記念館があり、御料牧場百年余の歴史について解説されている。
- 成田市さくらの山(成田市)、三里塚さくらの丘 (NAA) - 空港のすぐそばにあり、離着陸する飛行機がよく見える駐車場・公衆トイレなどが整備された公園。両方の公園に桜の名前が付くのは、空港建設で移転した宮内庁下総御料牧場が桜の名所として親しまれてきたため。
|
[編集] 管理会社・成田国際空港株式会社
詳細は「成田国際空港 (企業)」を参照
成田国際空港株式会社(なりたこくさいくうこう 英語: Narita International Airport Corporation :NAA)は2004年4月1日、成田国際空港株式会社法により成田国際空港の設置および管理を目的として設立された。新東京国際空港公団の業務を承継した特殊会社で、全株式を政府(国土交通大臣 90.01%、財務大臣 9.99%)が所有し、政府から資金の無利子貸付を受け、また当分の間出資や債務保証を受ける。一方、営業年度ごとの事業計画や新株発行、社債の募集、資金の借入については国土交通大臣の認可を要する。
会社の事業の範囲として、空港周辺における航空機の騒音などにより生じる障害の防止と損失補償のための諸事業が盛り込まれている。
なお、同社の略称であるNAAは、前身の新東京国際空港公団の英字略称 (New Tokyo International Airport Authority :NAA) を継承した形で使用している。
2005年11月18日に旧新東京国際空港公団発注の成田空港電気設備工事で、空港公団主導による受注調整など官製談合の疑いが浮上し、関わった電機企業各社と成田国際空港会社が東京地検特捜部の捜索を受けた。この官製談合疑惑では、成田国際空港の社員2人(懲戒解雇処分)が競売入札妨害の疑いで逮捕されるなど、一連の談合疑惑は官製談合事件へと発展しており、日本の空の玄関でこのような事件が起きたことに対し、非難の声が上がっている。今後、成田国際空港会社が談合体質から抜け出せるかどうか注目されている。
[編集] 姉妹空港提携
- 韓国空港公社 (KAC)
- 締結:1997年(平成9年)7月
- ニューヨーク・ニュージャージー・ポートオーソリティ (PANYNJ)
- 締結:1998年(平成10年)11月、再締結:2005年(平成17年)10月
- Fraport AG
- 締結:2005年(平成17年)2月
- 仁川国際空港公社 (IIAC)
- 締結:2009年(平成21年)6月
[編集] 空港用地内の地名と住所
成田国際空港用地においては地名変更や地番整理は実施されておらず、従前の地名と境界線がそのまま残されている。空港用地の大部分は千葉県成田市に属するが、一部は千葉県山武郡芝山町及び香取郡多古町にまたがっており、用地内にはこれら1市2町の計18の大字(おおあざ)が介在し、これらの境界線が複雑に入り組んでいる。空港内の主な施設の正式の住所は以下のとおりである。
- 旅客第1ターミナルビル - 成田市三里塚字御料牧場1 - 1
- 旅客第2ターミナルビル - 成田市古込字古込1 - 1
- 成田国際空港株式会社 - 成田市古込字古込1 - 1
- 国土交通省東京航空局成田空港事務所 - 成田市古込字込前133
- 成田国際空港警察署 - 成田市古込字込前133
- 成田空港合同庁舎 - 成田市駒井野字天並野2159
- 郵便事業成田国際空港支店 - 成田市駒井野字天並野2125
- NTT新東京国際空港ビル - 成田市駒井野字天並野2112
- 成田市消防本部三里塚消防署空港分署 - 成田市木の根字神台19
第1・第2旅客ターミナル、貨物地区等がある空港中心部の地名は、成田市三里塚、古込(ふるごめ)、駒井野、木の根、天浪(てんなみ)、取香(とっこう)、東三里塚に分かれている。このうち、三里塚、古込、駒井野、木の根は上掲のターミナルビルや公共施設等の住所として使われている。天浪は大部分がA滑走路の用地であるが、旅客第1ターミナルビルからA滑走路を隔てて反対側の動物検疫所小動物検疫舎の住所は天浪字西原となっている。取香は新空港インターチェンジ付近の地名で、貨物地区内に飛地がある。運送会社等が入居する「貨物管理ビル」(取香字天浪800)は、当該飛地内にある。東三里塚はA滑走路南方に位置し、空港用地南端の南部貨物ビルの住所は東三里塚字岩之台となっている。
B滑走路の敷地は大部分が成田市東峰(とうほう)、天神峰(てんじんみね)、十余三(とよみ)に属し、ごく一部が成田市吉岡(きちおか)及び堀之内に属する。A滑走路敷地の一部は成田市小菅に属する。
横風用C滑走路(未供用)用地には芝山町香山新田及び菱田の各一部が介在する。用地内の成田市と芝山町の境界は複雑に入り組んでおり、芝山町菱田の区域は旅客第1ターミナルビル付近まで喰い込んでいる。空港南部の整備地区付近にも芝山町大里及び岩山に属する部分がある。また、新空港インターチェンジ付近には香取郡多古町一鍬田(ひとくわだ)の飛地が存在する。
[編集] 発行物
- 1978年5月20日、新東京国際空港開港記念の額面50円の切手が発行された。
[編集] 脚注
- ^ “成田空港A滑走路、12年度中に全面供用へ”. 読売新聞. (2011年2月23日) 2011年2月24日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 航空機誘導路の制限撤廃 成田空港「への字」改修 発着回数増可能に 産経新聞2011年3月9日[リンク切れ]
- ^ 「B滑走路西側誘導路及び横堀地区誘導路の整備に関する空港の変更許可申請」
- ^ 「成田空港:団結小屋の撤去を命令、地上権認めず…千葉地裁」 (2010年2月25日 毎日jp(毎日新聞))[リンク切れ]
- ^ 「成田・団結小屋撤去へ「手続き進める」 判決に空港社長」 (2011年5月21日 asahi.com(朝日新聞))
- ^ 「成田空港訴訟判決に抗議 四十数人を不退去容疑で現行犯逮捕 警視庁」 (2011年5月20日 産経ニュース(産経新聞))
- ^ 「反対派団結小屋を撤去 高裁判決に基づき地裁抗議の中、強制執行 成田空港」 (2011年8月7日 千葉日報ウェブ(千葉日報))[リンク切れ]
- ^ 「団結小屋訴訟 撤去命令が確定 最高裁」 (2012年1月26日 産経ニュース(産経新聞))
- ^ 滑走路方向は南側「03」、北側「21」で予定。
- ^ 「八街市に予想される航空公害」
- ^ 「30万回」に多くの壁 読売新聞 2008.05.27
- ^ 成田の同時平行離陸を容認へ 国交省、30万回実現へ前進
- ^ 成田空港の発着、年25万回に増便「アジアのハブ」へ競争力 日経新聞2008年3月7日[リンク切れ]
- ^ a b 成田の厳重警備、世界的にも「異例」 msn産経ニュース 2009年11月29日[リンク切れ]
- ^ a b 成田空港が検問廃止を検討 開港から31年、初の警備体制見直し msn産経ニュース 2009年11月29日[リンク切れ]
- ^ 成田空港:爆発物処理班出動、年間100件超 不審物はすべて…毎日jp 2011年6月5日[リンク切れ]
- ^ 「成田空港の貿易動向」平成17年2月 東京税関資料
- ^ 新東京国際空港の建設
- ^ 新東京国際空港の建設
- ^ 時をほぼ同じくして、日本中央競馬会も関東馬の厩舎が飽和状態にあった為、大規模な競走馬収容施設を探しており、三里塚もその候補地に挙がっていた。しかし先に空港決定が決まった為に、新たな用地を探すことになった。これが後の美浦トレーニングセンターである。2009年に入って週刊Gallopが美浦トレセンの誕生秘話を連載した中で、このことが触れられている
- ^ 成田国際空港株式会社 - 環境対策・地域共生 - 共生の経緯 - 地域と共生する空港づくり大綱
- ^ http://www.naa.jp/jp/airport/seibi_sinsei.html[リンク切れ]
- ^ 秋にも延長滑走路の運用開始 炎上事故受け、半年前倒し(2009年4月10日 47NEWS)
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- ^ 成田、B滑走路の本格運用開始 大型機が発着可能に(2009年10月22日 47NEWS)
- ^ エアージャパン運航
- ^ ターミナル間連絡バス
- ^ 成田国際空港株式会社 - 航空会社再配置計画[リンク切れ]
- ^ 『成田空港、格安航空専用ターミナルを検討 秋にも判断』Asahi.com 2010年6月6日[リンク切れ]
- ^ 供用当時は現在は第1ターミナルを使用する全日空も使用していた
- ^ 工事契約の実績(No.1) (PDF)
- ^ 工事契約の実績(No.5) (PDF)
- ^ a b 「月刊エアライン」2008年7月号 P.49「『narita nakamise』よりも約1.4倍広い」
- ^ 「月刊エアライン」2008年7月号
- ^ 『成田空港第2ターミナルに4,000平方メートルの新ラウンジをリニューアル』2007年4月24日マイコミジャーナル
- ^ アドミラルズクラブ(成田国際空港)
- ^ 「カンタス航空、成田にビジネスクラス旅客対象のラウンジ開設」トラベルビジョン
- ^ 「ダイナスティ・ラウンジ」チャイナエアライン
- ^ 『コンコース中央、改修 5番街と同じ雰囲気創出 成田空港第2ターミナル』千葉日報 2009年4月26日
- ^ 第1ターミナルビル4階にはローソン(LANs設置)も出店している
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- ^ みずほ銀行成田空港出張所
- ^ 同行在日支店とゆうちょ銀行のキャッシュカードおよび、海外発行の国際キャッシュカードのみ利用対象
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- ^ 「千葉県 外国人旅行客対象カジノ導入検討へ」日テレNEWS24 2010年3月25日
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- ^ US Airways Announces Slot Transaction with Delta Air Lines
- ^ 成田~カムチャッカ線、夏期スケジュールを発表 ウラジオストク航空
- ^ 深航2010夏秋航班时刻表
- ^ シンセン航空、成田/無錫線に就航へ、週4便−プログラムチャーターで
- ^ B滑走路延伸の2010年以降復便の可能性あり。日本・スカンジナビア三国航空当局間協議の結果について 国土交通省 平成20年9月17日
- ^ (2012年以降再開予定あり)
- ^ エアーニッポン・ANAウイングスの機材・乗務員で運航する便あり
- ^ 日本トランスオーシャン航空・JALエクスプレスの機材・乗務員で運航する便あり
- ^ 一例として Ian L. McQueen著『Japan: a budget travel guide』、講談社インターナショナル、1992年、210ページには「Narita "errport" (as it has been called) is Japan's contribution to the world's collection of vast projects started on half-vast ideas.」などとある。なお、本書はロンリープラネットより『Japan: A Travel Survival Kit』の題で販売されていたものの改訂版にあたる。現在のロンリープラネット社のガイドは別内容である。
- ^ a b どうなる、こうなる首都圏の鉄道網--(最終回)成田新線・新交通編 - 1 / 2 Business Media 誠 2008年11月7日
- ^ JR東日本
- ^ 森田健作マニフェスト (PDF)
- ^ 成田~羽田リニア、事業費3兆円=国交省が試算 時事ドットコム(時事通信)2009年02月24日[リンク切れ]
- ^ JALヘリコプターサービス[リンク切れ]
- ^ MSNニュース[リンク切れ]
- ^ 成田の一坪共有地売却求め提訴へ 空港会社、反対派相手に(2009年9月17日 メディアジャム)[リンク切れ]
- ^ 「成田B滑走路、さらに北伸もありうる」NAA社長 「Asahi.com(朝日新聞)」2009年10月23日[リンク切れ]
- ^ 「【成田空港】羽田対抗で周辺市町長が深夜早朝便の制限緩和提案」 (2009年12月15日 産経ニュース)[リンク切れ]
- ^ 来秋に神戸‐成田便開設へ スカイマーク
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 成田国際空港 - ウィキトラベル
- 成田国際空港公式WEBサイト(日本語版)
- 成田国際空港株式会社 (NAA) - 企業情報サイト
- 財団法人 成田空港周辺地域共生財団
- 成田空港地域共生委員会
- 歴史伝承委員会(財団法人航空科学振興財団)
- 航空科学博物館公式ホームページ
- 気象庁成田航空地方気象台
- 財団法人 空港保安事業センター
- 成田空港プレミアムコンシェルジュ(英文)
- 成田空港プレミアムコンシェルジュ(中簡体文)
- OpenNav: NRT / RJAA 飛行場図
[編集] 空中写真・地形図
- 成田国際空港1/30000空中写真 - 国土地理院国土変遷アーカイブ 空中写真閲覧システム [5]
- 第1旅客ターミナルビル、A滑走路周辺1/8000航空写真 - 国土交通省国土画像情報閲覧システム
- 成田国際空港1/25000地形図 - 国土地理院 地図閲覧サービス ウオッちず
- ウィキペディア Map Sources
- Wikimapia
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