FNS27時間テレビ (1997年 - 2003年)

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FNSの日 > FNS27時間テレビ (1997年 - 2003年)
FNS27時間テレビ
ジャンル バラエティ番組 / 特別番組
出演者 各項目を参照
オープニング 各項目を参照
エンディング 同上
製作
製作総指揮 日枝久(1997 - 2000年)
村上光一(2001 - 2003年)
日枝久(制作代表)
制作 フジテレビ / フジネットワーク
放送
音声形式ステレオ放送
放送国・地域日本の旗 日本
疾風怒涛!FNSの日スーパースペシャルXI 真夏の27時間ぶっ通しカーニバル〜REBORN
放送期間放送時間と同じ
放送時間1997年7月26日18:00 - 翌27日20:54
放送分26時間54分
'98FNS1億2700万人の27時間テレビ 夢列島 てれずにいいこと、てれずに楽しく
放送期間放送時間と同じ
放送時間1998年7月18日18:00 - 翌19日20:54
放送分26時間54分
'99FNS1億2700万人の27時間テレビ 夢列島 てれずに楽しく、てれずに愛して
放送期間放送時間と同じ
放送時間1999年7月17日18:00 - 翌18日21:24
放送分27時間24分
2000FNS1億2700万人の27時間テレビ 夢列島 家族 愛 LOVE YOU
放送期間放送時間と同じ
放送時間2000年7月8日18:00 - 翌9日20:54
放送分26時間54分
FNS ALLSTARS 27時間 笑いの夢列島
放送期間放送時間と同じ
放送時間2001年7月21日18:00 - 翌22日20:54
放送分26時間54分
FNS27時間テレビ みんなのうた 〜あの素晴らしい日本をもう一度〜
放送期間放送時間と同じ
放送時間2002年7月6日18:30 - 翌7日21:00
放送分26時間30分
FNS27時間テレビ みんなのうた
放送期間放送時間と同じ
放送時間2003年6月28日18:00 - 翌29日 21:00
放送分27時間00分

特記事項:
2001年(第15回)はフジテレビのアナウンサーが総合司会を代行。
1997年 - 2003年の内容を記述。2004年からの放送内容については各記事を参照。
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FNS27時間テレビ』(エフエヌエスにじゅうななじかんテレビ)は、1987年から1年に1度生放送[注釈 1]されている『FNSの日』の、1997年以降の通称であり日本の長時間特別番組。「27時間テレビ」や「27HTV」と略されることもある。 本項では、1997年から2003年までの「FNS27時間テレビ」について記述する。

番組は、その年のメインコンセプトテーマに沿った内容となる。

タイトルは日本テレビ系列『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』を真似たもの。

制作著作はフジテレビではなく、テレビ大分を除くFNSフジネットワーク(または「フジネットワーク27社[注釈 2]」)となっている[注釈 3]

第11回(1997年)『疾風怒涛!FNSの日スーパースペシャルXI真夏の27時間ぶっ通しカーニバル 〜REBORN〜』

  • 総合司会 : ダウンタウン(浜田雅功・松本人志)
  • 番組のテーマは「REBORN」。

フジテレビが新宿区河田町から港区台場に移転してから初めての『FNS27時間テレビ』。また4月1日に開局したさくらんぼテレビ高知さんさんテレビもこの回から参加している。山形県では1992年以来5年ぶりの放送で、高知県での放送は初めて。この年からステレオ放送になった。

テレビ夢列島」や「平成教育テレビ」などのビートたけしを中心とした内容から一新し、総合司会にダウンタウンを起用した。ダウンタウンが司会を務める『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』を主体としたコーナーを含め、歌手・アーティストが出演し例年より音楽要素の多い番組となった。

放送当日に台風9号が直撃したため、全国各地から船で27時間内に食材を運ぶメイン企画を始めとして番組の企画内容が大幅な変更を余儀なくされた。

オープニングは、フジテレビが河田町からお台場に引っ越したということから、スタジオではなく社屋前の海に浮かぶ船上の生中継からスタート。松本は、乗り物酔い持ちのため「吐きそう」「なんでこんな船の上からするの。」と何度も嘆いていた。

台風関連

19時台と21時台に台風情報を放送した。オープニングの後に放送する予定だったナゴヤドームでの中日-巨人戦が台風のため中止(ナゴヤドームでプロ野球の試合が中止されたのは初めて)になり、急遽ヤクルト野村克也監督、古田敦也ドゥエイン・ホージー両選手(いずれも当時)が招かれ、オールスター戦のダイジェストとヤクルト選手などの名珍場面を放送した(神宮球場のヤクルト戦も中止だった為、フジテレビ側はヤクルト選手と野村監督を出演交渉し承諾を得た)。また、ゲーム企画「お台場GAME BATTLE」のみ出演の予定だった「ビーチボーイズ」の俳優陣(反町隆史竹野内豊広末涼子稲森いずみマイク眞木)が中継に登場した。後の「お台場GAME BATTLE」も当初は屋外の特設会場に1万人の観客を招いて行う予定だったが、公開放送を中止。さらに、特設会場で使われる機械が故障。急遽、出演者が仮設のテントの中で「ぷよぷよ」対決を行うことになった。なお、20時台は仮設会場でダウンタウンが西川貴教とトークしたり、「~GAME BATTLE」の後の「LOVE LOVE あいしてる」のスタジオでのクロストークを行った。 プロ野球は福岡ドーム(当時)の試合の1試合しかできなかったため、「プロ野球ニュース」も内容を変更、前年に引き続き「居酒屋あぶさん」からの中継を継いで「緊急討論・巨人は優勝できるか?」を放送した。

深夜帯

「LOVE LOVE あいしてる」スペシャル内で翌年の総合司会の中居正広がKinKi Kidsに電話をかけた。

深夜企画ではお色気企画も復活。ブレイクする前のココリコ雨上がり決死隊ネプチューンオセロチュパチャップスなども出演していた。ココリコはこの年以降「27時間テレビ」に連続出演している。

浜田が志村けんと、大箱根カントリークラブにて早朝ゴルフ対決。

お台場特設会場(観衆1万人)

夜が明けると、前日のオープニングとは打って変わって晴天に恵まれた。

前年に引き続いて「全国フリースロー選手権大会」を開催。決勝はお台場の特設会場。優勝は福島テレビで、最終戦のドリームマッチでもデニス・ロッドマンに勝利。

番組の随所では、『HEY!HEY!HEY!』に縁があるアーティストがフジテレビの特設野外ステージでスペシャルライブを行った。日曜朝にMAXT.M.RevolutionSPEED、日曜昼にEvery Little ThingGLAY、日曜昼にPUFFY、日曜夕方に華原朋美、日曜夜にトリとして西城秀樹が出演した。

「大決戦!日本列島エエヒト怪獣ツルベVSワガママ怪獣ヒトシ」では、互いに同姓同名の素人(中継で登場)と組んで対決。コーナー中には松本が鶴瓶の尻に火をつける場面もあった。

さんまのスポーツするぞ!」ではさんま・今田・東野・ナイナイのさんまチームがロッドマンとフリースロー対決をし、岡村と東野が決め2対1でさんまチームが勝利。松本vsロッドマンのビリヤード対決終了後、ダウンタウンとさんまの共演もあった。

「お台場朝から大変だ!!めざましテレビ 達人SP」では、1994年の開始から3年半の間に登場した達人たちがお台場に集結した。その中で武道家の玉城厚志が「1分間の瓦早割り」に挑戦、それまでの世界記録の191枚を89枚更新する280枚の世界新記録を樹立した。静岡、大阪、愛知、岩手、福島の5ヶ所からも達人が登場した。

夕方は川端健嗣アナウンサー・篠原ともえ司会の『ザ・ヒューマンスペシャル』を放送。

ちびまる子ちゃんには、司会のダウンタウンがゲスト出演。ナイナイも5秒ではあったが出演していた。

FNS局対抗戦(第2回全国フリースロー選手権大会)

今回は1回戦の試合数が前回の9試合から2試合増えて11試合に。又、大会的に有利とされるシード枠(2回戦から登場)は前回の7チームから2枠減って5チームにとトーナメントに若干変更点があった。 フジテレビが1回戦で前回優勝の鹿児島テレビを、続く2回戦で前回準優勝の長野放送を立て続けで破った(前回のファイナリストが連続して敗れる波乱があった)。 決勝戦テレビ長崎福島テレビの対戦。1万人の観客が見守る目の前で行なわれて福島テレビが初めての優勝(入賞は1989年のさんま賞獲得以来2度目)。ドリームマッチのデニス・ロッドマンとの対決にも勝利し、完全優勝を果たした。尚、この大会の開会宣言としてこの年開局の山形さくらんぼテレビの丹舞子アナウンサーが開会宣言をしていた。

グランドフィナーレ

漁船が続々と到着。放送エリアで唯一海のない(他の内陸県は広域局エリアに属するか、フジテレビ系列局がない県だった。)長野県からは笹船が乗ったトラックに乗って登場した。

PUFFYが「渚にまつわるエトセトラ」、西城秀樹が「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」を披露した。

提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは宇田麻衣子春日由実桜井堅一朗深澤里奈の4人。

今回の27時間テレビの瞬間最高視聴率は東野幸治篠原ともえが担当したコーナー「プリプリプリティ」で22.1%だった。この事が翌年の27時間テレビでも東野が登場した際にも、壁に「ウェルカム最高視聴率男」と書かれた張り紙が貼ってあった。

主要スタッフ

第12回 - 第14回(1998年 - 2000年)『FNS1億2700万人の27時間テレビ 夢列島 』

中居正広を総合司会に据え、当時若者を中心に人気だった「サタ☆スマ」をベースに放送された。進行役はフジテレビの西山喜久恵アナウンサー。

この3回は、荒井昭博総合プロデューサー、坪田譲治総合演出、構成鈴木おさむの3氏が製作を指揮していた。また、「笑っていいとも!増刊号」が2部構成で放送された。

第12回(1998年)『FNS1億2700万人の27時間テレビ 夢列島 〜てれずにいいこと・てれずに楽しく〜』

  • 総合司会:中居正広(当時SMAP)

番組テーマの「てれずに〜」は“照れず”にと“テレビ”をかけている。 「ドミノを27時間以内に立てられるか」という企画が始まり、翌年から北広島市で連続して行われた(北海道文化放送が中継)。“倒れない車ドミノ”は特徴的。 ナゴヤドームから2年連続の生中継。この年はK-1中継を放送した。

「生LOVE LOVE あいしてる」では『The Night before your Birthday』を披露した。

深夜の「プロ野球ニュース」では、中居と爆笑問題が出演した。

夕方の「FNNスーパーニュース」では、向坂樹興、中居と当時東海テレビアナウンサーの石田直佳が出演した。

この年のFNS系列・恒例の局対抗企画はFNS空き缶アートフェスティバルに使った空き缶の総数で争い結果、テレビ愛媛が四国勢初優勝を決めた。なお、仙台放送は時間内に作品が出来なかったため大会史上初の失格となった。なお、今回の空き缶で溜まった空き缶総数は636547個(目標は50万個だった)にも及び放送終了後は全ての空き缶をリサイクルに回した。この事に総合司会の中居がことわざの「塵も積もれば山となる」を使って感謝の気持ちを伝えていた。

ドミノ開始前には総合司会の中居正広/西山喜久恵アナペアとマイク・ベルナルド/木佐彩子ペアでスペシャルトーク対決を展開していた。

提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは西岡孝洋荒瀬詩織八馬淳也島田彩夏の4人。

テーマソングはSMAPの「たいせつ」。

第13回(1999年)『FNS1億2700万人の27時間テレビ 夢列島 〜てれずに楽しく・てれずに愛して〜』

  • 総合司会:中居正広(当時SMAP)
  • 18:00放送開始。1992年から行われていたスポーツ中継が廃止された。
  • ドミノ倒し タモリがドミノ監督
中村玉緒が福岡・太宰府天満宮から「成功祈願ドミノ」(実況・川崎聡アナウンサー)。
前回(1998年)の夢ドミノで失敗した岡山と北海道だったが今回は明暗クッキリの結果に。岡山は前回止まってしまった石ドミノの下にベニヤ板を乗せて対策し、リベンジ成功。同局はドミノマッチに負けた為、罰ゲームとして人間ドミノ・10体も投入。北海道は車ドミノがまた上手く倒れず失敗。だがトラックドミノ3台の方は倒れた。
鹿児島テレビのドミノ倒しでは超豪華なドミノが登場した。鹿児島県北部の住友金属鉱山菱刈鉱山の協力で1個10kgの金塊を20本、合計200kgを使用。総額は驚愕の2億円(1本/1000万円で1kg換算で200万円)にも上り現地リポーターの角盈男を驚かせたが実は本当の所、全てレプリカだった。角は「えー!そんなの聞いてない」と絶叫していた。仙台放送のドミノ倒しは正しく大成功尽くしだった。先ず、岡山放送との一騎討ちとなったドミノマッチのドミノ100m走を勝利したかと思えば大本番のドミノでも垂直落下ドミノが見事に決まる等とまさにこの上の無い最高の結果になった事で前年、石川が獲得したドミノMVPをこの年、仙台が獲得した。しかし、スタート直後、フジテレビV4スタジオから鹿児島テレビの会場へFAXが送信出来ないハプニングが起き、慌ててスタッフが紙を入れなおしたり、ディレクターの確認ミスでスタジオの絵に入っているときにドミノが出発するトラブルも多々あった。

深夜コーナー「よる☆スマ」はキャイ〜ンココリコ極楽とんぼがヤング代表として、ガッツ石松鈴木史朗大竹まこと石田純一の4人がアダルト代表として参加。「サタ☆スマ」の香取慎吾プレゼン企画で、香取と子供たちが作った手作りのコーナー「うたまるまるだいなくしょう」を放送。

この年のFNS系列・恒例の局対抗企画はスーパーバスケを開催した結果、サガテレビが1995年のFNS25局総合優勝局決定戦以来の4年ぶり2回目の優勝を果たした。なお、2回戦では北海道文化放送と歴史に残る激闘・死闘・熱闘を演じた。実はその北海道文化放送の竹中美彩アナウンサーが早朝の女子アナスペシャルで優勝していた。仮にスーパーバスケで自局が準々決勝以降の決勝トーナメントに残っていた場合、スーパーバスケとニュースキャスターの二刀流で挑む多忙な時間となっていた。

提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは内田恭子長谷川豊大橋マキの3人。

第14回(2000年)『FNS1億2700万人の27時間テレビ 夢列島 〜家族 愛 Love You〜』

  • 総合司会:中居正広(当時SMAP)

三宅島の火山活動が6月末から活発化し、放送中に何度も地震速報のテロップが表示された。午前3時57分に三宅島でM6.0の地震が発生、新島村で震度6弱の地震が観測され、番組を中断して地震の情報を伝えた。

『サタ☆スマ』の企画「中居の27時間赤ちゃん預かります!」が通し企画。各コーナーに赤ちゃんが登場した。『SMAP×SMAP』の企画(ゲーム)、スーパーバスケで各局が対戦し、前年に引き続きサガテレビチームが優勝した。

サタ☆スマの企画「ボク生き境界線クイズ」をFNS各系列から選抜された12局で競う「ボク生き大家族対抗境界線特大号」を開催。試合は二者択一の問題を3問出題して3問終了時点での残り人数で勝敗を決するルールを採用した。鹿児島テレビと山陰中央テレビが並び、ジャンケンによるプレーオフで鹿児島が優勝した。勝俣州和・キャイ〜ン・ココリコと大橋マキ・佐野瑞樹の7人が「お台場ドリームチーム」としてスーパーバスケに挑戦。生放送中は1回も成功しなかったが、後日「100%キャイ〜ン!」の中で再挑戦し、なんとか成功した。

さんま・中居の今夜は眠れない(さんま・中居の今夜も眠れない)」がこの年初めて行われ、以降2016年まで27時間テレビ恒例企画となった。

深夜コーナー「女子アナといろいろやってみようスペシャル」の「ココリコ投稿番長スペシャル」でココリコが草彅剛、キャイ〜ンらとともにネタを制作し、FNS各局の女子アナがジャッジ。

夕方は『FNNスーパーニュース』を放送。

提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは梅津弥英子千野志麻政井マヤの3人。政井が新人アナとしては初めてスポンサー名を読み間違えてしまい、全て読み終えたあとに訂正するという一幕があった[1]。この年露木茂が定年退職するため、立会はこの年で最後になった。

ドミノ倒しで2年連続失敗に終わっている北海道の車ドミノは10台目で止まってしまった。そしてこの年のドミノMVPは長野放送のファミリードミノに決まった。

この年のFNS系列・恒例の局対抗企画は7人兄弟スーパーバスケを開催した結果、サガテレビが前回に引き続き優勝、1993・1994両年の秋田テレビ以来史上2局目の大会連覇となる2年連続3回目の全国優勝を果たした。なお、決勝では北海道文化放送との再戦を演じた。

ラストは放送時間残り6分で木村の提案により出演者全員による即興で『夜空ノムコウ』を歌唱した。

第15回(2001年)『FNS ALLSTARS 27時間 笑いの夢列島』

タイトルは当時放送されていたバラエティ「プレゼンタイガー」で2つの候補の中から決定したもの。もう1つの候補は「FNS1億2700万人のファイナルアンサー笑う27時間TV」だった。総合司会は置かず、コーナーごとにメインMCをバトンタッチしながら進行する形をとった。また、番組全体の進行役としてフジテレビ女性アナウンサーの3人(西山・木佐・小島)を起用した。

これまで出演を断っていたとんねるずが、初めて「FNSの日」に出演した。

番組のテーマ曲はサザンオールスターズの「希望の轍」。(番組テーマが「希望」であったことから)。

福岡ドーム(当時)から中継し、同年のオールスターゲーム両軍監督である長嶋茂雄監督と王貞治監督が握手をして開会宣言した。しかし、選手インタビュー中に堀内健が周囲を凍り付かせるようなギャグを言い放ったことが日本プロ野球選手会(当時の選手会長はヤクルトスワローズ(フジテレビと系列的につながる)に所属していた古田敦也)の怒りを買い、それを受けた日本プロ野球機構から「今後フジテレビでのオールスターゲームの中継から手を引く」と通告されるに至る事態を招くこととなった(その後、2004年に再び中継を再開)[2]

BIG3コーナーの車庫入れシリーズが復活、名倉潤シボレーが破壊された。進行役は今田耕司ほんこん村上ショージの3人。ビビる大木がハンドルを握り、花壇に乗り上げて登場し、ブロック塀に当ててしまう。CM後には車に付けられた風船をトスバッティングで割る企画に。途中軟球から硬球に変更され、最後には山口智充が砲丸投げ選手に扮して登場し、窓ガラスを割ってしまう。車庫入れシリーズ史上最も破壊されたが、壊された車の会社側が「宣伝になる」として無料で修理した。

クイズ$ミリオネア』初の生放送スペシャルでは、当初ココリコ遠藤章造の応援で来ていた明石家さんまが突然クイズに挑戦。ライフラインのテレフォンで前妻の大竹しのぶに生電話。この時から並べ替え早押しなしの「エキシビション・マッチ」が登場した。

ピリオド 挑戦者 結果 賞金 備考
1 遠藤章造 Q09NG 10万円 テレフォンブレーン・横山三兄弟[注釈 4]
2 明石家さんま Q10NG 10万円 テレフォンブレーン・大竹しのぶ
3 ユースケ・サンタマリア Q10NG 10万円 7月26日に結果が放映

以上、「とっても安上がり(の賞金放出)」で終了した。 深夜枠では「めちゃ2イケてるッ!」のコーナー「七人のしりとり侍」をモチーフにした「27時間の裏めちゃイケ侍」のコーナーがあった。しかし、「-しりとり侍」自体が放送倫理・番組向上機構 (BPO)で問題になってコーナーが中止になったということもあり、内容はフェイクで伝説の深夜番組「殿様のフェロモン」のお色気企画を行った(また、この時に「ハケ水車」が復活した)。この回内村光良が扮する笑う犬のキャラクター「大嵐浩太郎」によるドミノ倒し企画が予定されていたが、放送中の20時30分頃に明石花火大会歩道橋事故が発生した影響で中止となった(関西テレビでは深夜に放送中断して臨時ニュースを放送した)。

『とんねるずのハンマープライス』が一夜限り生放送で復活。木梨の車、トヨタ・ランドクルーザーシグナスを西山アナが乗り回した。

この年のFNS局対抗企画は「FNS最強キャラクター大相撲」。FNS各局のキャラクター(の着ぐるみ)が相撲に挑戦し、優勝局を決める。当時はFNS27局全局のキャラクターが設定されていなかったため、福島テレビのように急遽キャラクターを作って参加した局もあった。優勝したのはテレビ愛媛ビビットくん。前人未踏の3連覇の期待がかかっていたサガテレビだったが残念ながら優勝とはならなかった。

提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは岡田浩揮森下知哉渡辺和洋高島彩福元英恵森本さやかの6人。とんねるずが「新人アナ披露」の立会人を担当した(入社20年以上のフジテレビのベテランアナが立会人を担当することが多いが、この年は唯一芸能人が担当した)。水口昌彦が「FNSの日」で総合プロデューサーを務めたのはこれが最後となった。

この年から製作総指揮が6月の株主総会で社長に就任したばかりの村上光一に交代した(日枝会長は制作代表に復帰した)。

第16回・第17回(2002年・2003年)『FNS27時間テレビ みんなのうた』

総合司会にみのもんたを据え、これまでとは一線を画した感動企画をメインとした「27時間テレビ」となった。テーマ曲は「あの素晴しい愛をもう一度」。この2年間は『笑っていいとも!増刊号』が放送されなかった(当時みのが司会だった『午後は○○おもいッきりテレビ』の裏番組が『笑っていいとも!』となる関係)。

第16回(2002年)『FNS27時間テレビ みんなのうた 〜あの素晴らしい日本をもう一度〜』

  • 総合司会 : みのもんた
  • 進行 : 西山喜久恵、内田恭子
  • サブタイトルは「あの素晴らしい日本をもう一度」。テーマ曲であった「あの素晴しい愛をもう一度」になぞらえて。「もう一度プロジェクト」などの通し企画があった。

1月の時点でサンケイスポーツ内で主な企画を発表し賛否両論を巻き起こした。その直後から「みんなでハモネプ」(「力の限りゴーゴゴー!!」の「ハモネプ」コーナーの27時間テレビ版)の出場者募集及び予選会を「めざましテレビ」の中で放送し、各局の代表を決定。優勝は新潟総合テレビの音楽一家の日下ファミリーだった(新潟総合テレビは1989年のFNS各局対抗企画で初代優勝局となっており、これが2回目の優勝)。テレビ大分がネット開始。クロスネット(FNN/NNN)の関係で中断を繰り返し、フィナーレは深夜(月曜未明)に録画で放送。

オープニング

画面の左上に「July6&7 J.T.O/Japan Tokyo Odaiba 27Hour-TV START!」と書かれていた。ハモネプ全国大会の決勝戦7月7日だった事から「七夕ファイナル」と銘打った。

「あの素晴らしい日本をもう一度」プロジェクト

「あの素晴らしい日本をもう一度」プロジェクトと題し、27時間内で物を作ったりや各地を清掃する企画が北海道富良野市から宮崎県西都市まで全国11ヶ所で展開された。 尚、★印が付いている局はさだまさしとくずがライブを実施(後述)。

テレビ長崎「あの平和な世界をもう一度」(オープニングライブとして★)、全長20メートルの特製鐘楼船と世界190カ国の平和を願って190個以上の灯篭を作り、改めて「世界平和」をこの原爆被災地の長崎から日本全国の皆さんに問いかける、という企画。大村市長崎市から中継。山本耕一アナウンサーが進行役を務めた。

テレビ宮崎「素晴らしい歴史遺産をもう一度」 : 地元の古墳周辺が草だらけになってしまったので、草を刈って遠いご先祖様に喜んで貰おうという主旨に。西都市西都原古墳群から中継、高橋巨典アナウンサーが進行役、地元出身の0930がサポーター役で応援した。

テレビ新広島「子供達が集まる学校をもう一度」★ : 全校児童がたった2人の小学校にジャングルを作る。三良坂町(現在の三次市)から中継、石井百恵アナウンサーが進行。

岡山放送「あの素晴らしい伝統をもう一度」★ : 香川の名物讃岐うどんをこの年に因んで2002杯再現させる。香川県善通寺市から中継、上岡元アナウンサーが進行役。

関西テレビ「あの美しい川をもう一度」(東海への★で大阪空港) : 「道頓堀川を27時間でどの位、綺麗にするか?」の挑戦。ペットボトルで作ったイカダなども登場した。また、1985年阪神タイガース優勝時に投げ込まれたカーネル・サンダース像の救出作戦も行われた。大阪市中央区道頓堀から中継され、桑原征平アナウンサーが進行役。

福井テレビ「あの素晴らしい森をもう一度」 : ダストポットを230個作って県内の小学校に送るプロジェクト。そして230個である一文字を作った。和泉村からの中継、桑原達秋アナウンサー(上の関西テレビの桑原アナの息子が登場し親子共演が遂に実現した)が進行役、芸能界一の自然派タレント・清水国明がプロジェクトのリーダー役で登場した。

東海テレビ「あの素晴らしい故郷をもう一度」(関西から★で二元中継) : 2001年に廃線になった名鉄谷汲線谷汲駅の駅舎を掃除したり飾り付けをして現役当時の電車を迎える。谷汲村(たにぐみむら)(現揖斐川町)から中継、庄野俊哉アナウンサーが進行役。主役となる赤い電車(名鉄モ750形)の重量を庄野がオープニングで25tと言い間違い、地元の人に翌日の朝の大本番前に35tと訂正される場面があった。この放送以後、モ750形は展示車両として現在でも谷汲駅に停車している。

石川テレビ「美しい物を作りたい/芸術の心をもう一度」 : 金沢城を舞台に繰り広げる芸術の祭典。石川県金沢市金沢城公園から中継、小谷あゆみアナウンサーが進行役。

フジテレビ「あの綺麗な海岸をもう一度」 : 葉山逗子七里ヶ浜江の島鵠沼辻堂茅ヶ崎大磯の8ヶ所で「湘南海岸クリーン大作戦」を展開。逗子では同時進行でシーグラスアートを作った。島田彩夏アナウンサー、奥寺健アナウンサーが進行役、スペシャルゲストに加山雄三佐藤藍子TUBEを迎えた。一部海岸ではクリーン大作戦を行う前にきれいになっていた。実際は2ちゃんねるでの呼びかけで集まった有志による清掃活動の結果であったが、レポーターはその裏をとらずに「ライフセーバーによる活動」と誤放送した(2ちゃんねるの歴史#2002年も参照)。

仙台放送「あの活気ある街をもう一度」★ : 100台の自転車を漕いで人力でバッテリーに蓄電。どれだけのバッテリーが蓄積するのか、更にフィナーレにそれをイルミネーションとして一気に放出するという挑戦だった。宮城県仙台市の繁華街から中継、柳沢剛アナウンサーが進行役を務めた。

北海道文化放送「あの感動をもう一度」(ラストライブとして★) : 22年間に渡って放送したドラマの『北の国から』が同年9月放送の「北の国から 2002遺言」で最後を迎えるのを前に、ドラマの舞台となった五郎の石の家周辺を草取りするという内容だった。富良野市から中継。加藤寛アナウンサーが進行役。このプロジェクトは、『とくダネ!』スペシャルでも放送した。

「全国縦断27時間テレビ ドリームさだまさし夢ライブ2002」 : さだまさしらが、さだの故郷・長崎をスタートし、広島(後述のクイズ$ミリオネアSPの途中に中継)→香川→岐阜&大阪(さだらは台風のため岐阜にヘリが飛べず大阪国際空港止まり)→宮城→北海道・富良野&旭川空港(さだとくずの3人は雨天のため富良野にヘリが飛べず旭川空港止まり)→東京/さだのコンサート会場→東京/くずのスタジオの順に、ライブを行った。宮城では山口の相方が・北海道では宮迫の相方がそれぞれ応援にまわった。長崎から広島へ移動する時に長崎空港でヘリコプターに搭乗する予定だったが台風並みに風が強まりヘリコプターでの移動が不可能(飛行許可が出ない)となり、急遽、通常報道専用で強風の影響を受けにくい高度で飛行可能なフジサンケイグループ所有の小型ジェット機「オーロラ」を羽田空港から派遣(報道用なので24時間体勢で待機している)し、同機で広島へ。(これ以降ヘリでの移動が危険なため、長距離移動には同機を使用)。

浜崎あゆみがライブ会場の福岡・海の中道海浜公園から生出演した。

スペシャル・ドラマは「東京物語」、出演は宇津井健八千草薫松たか子の3人。

前年のクイズ$ミリオネアに引き続き、この年の「さんま・中居の今夜も眠れない」でも明石家さんまが大竹しのぶに生電話(原因:中居正広が大竹しのぶにプロポーズすると書いた為)。また、ミリオネアの延長でこのコーナーの時間は縮小されるはずだったが延長されてしまい、F1予選の中継に間に合わせるためその後に放送の「真夏の爆笑ヒットパレード」が大幅に短縮された。

この年から土曜夜・日曜朝・昼・夕方に定時ニュースが入るようになった。なおこの回以降日曜朝のニュースは『めざましテレビ』で伝える場合がある。

『めざましテレビ』、『とくダネ!』を日曜日にも関わらず放送。「めざまし調査隊スペシャル」(日曜11時頃に放送)の中では、爆笑問題が、「真夏の爆笑ヒットパレード」の時間を大幅に擦り減らされた元凶・犯人である明石家さんまを捕まえて大激怒しその後、みのもんたや久本雅美さらに八木亜希子も入れての入り乱れての大乱闘へと発展していった。

中居とみのが「珍プレー」のナレーションに生放送で挑戦した。特に中居が挑戦したのは本家・みのも難しいと認定するじっくり映像だったが中居はその映像を読み切り、みのから太鼓判を押された。当然みのも「珍プレー」のナレーションに生でチャレンジした。

笑福亭鶴瓶ココリコ山形県飛島に向かい、放送時間内に何人の島民の夢を叶えられるか、という企画に挑戦した。ところが深夜の「さんま・中居の今夜も眠れない」で入った飛島からの中継では、酒を飲んだ末に泥酔していた鶴瓶がパンツ一枚の尻を丸出しにして寝ている様子が全国の茶の間に流され、さらには起き上がると「さんまの若手時代の駆け落ち話」を突然話し始めるなど、見るに耐えないシーンが放送された。

F1世界選手権第10戦イギリスGP予選

競馬中継はマーメイドステークス石巻ゆうすけの実況で生中継。その後、マーメイドステークス発走直前に行われた七夕賞高橋雄一の実況で録画放送。

ハモネプ全国大会の決勝戦で優勝する局をみのもんたが身近の人に予想したが内田・西山・原田・名倉の4人は声を揃えて「決められない」の一言。伊藤アナに至ってはアナウンサーとして大先輩のみのに対して「何でそんな意地悪な質問するの?」と言った。

前年度と同じく「笑う犬」より、堀内健演じる「お兄やん」が日本全国ホリケンサイズを行った。

フィナーレ

提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは中野美奈子渡邉卓哉中村仁美の3人。須田哲夫アナウンサーが新人アナを紹介した。

第17回(2003年)『FNS27時間テレビ みんなのうた』

  • 総合司会 : みのもんた
  • 進行 : 西山喜久恵・高島彩
  • 番組パーソナリティ : モーニング娘。
放送日
2003年6月28日 - 6月29日
例年は7月の放送だが、第17回は初めて6月に放送した。
テーマ
前年の「みんなのうた」に「再会」というテーマを加え、前年にも増して感動企画が多数を占めた。視聴率10.3%。「お笑い」コーナーであった「さんま・中居の今夜も眠れない」の視聴率は深夜帯にもかかわらず高かった。放送日が「宝塚記念」と重なった為、翌年からは7月放送に戻しバラエティ中心になった。
全国各地で再会企画を放送した。テレビ新広島東海テレビ富山テレビの再会企画と、テレビ西日本新潟総合テレビの2局合同再会企画が放送された。
各コーナーの概要
桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜 サザンオールスターズスペシャル」を放送。鎌倉市建長寺からのライブを放送した。
この年のFNS局対抗企画は女子アナ家族歌合戦を開催。優勝はテレビ新広島だった。
鶴瓶の離島企画
鶴瓶とココリコが離島に上陸し島民が会いたい人との再会を実現させる企画で、この年は長崎県松浦市にある飛島へ向かった。鶴瓶は前年の失態を受けて「今年は酒を飲みません」と宣言。だがそれにも関わらず、鶴瓶は中継中に何度も酒を飲んで泥酔。深夜、裸で寝ていた鶴瓶が起き抜けに局部を露出してしまい、中居や高島アナが謝罪した。この失態は、放送翌日の東京スポーツに記事が掲載されるほどの騒ぎとなり、BPOにも多数の苦情が寄せられた[3]。またフジテレビからも鶴瓶に事情を聴いたが、局部露出について鶴瓶は、「(その瞬間は)覚えていない」と答え、意図的なものではないとした。鶴瓶は後日、フジテレビの村上社長に謝罪した。
ドーハの悲劇」から10年を記念し、ラモス瑠偉が当時のイラク代表選手3人と当時の日本代表選手6人の合計9人との再会でドリームチームを組み、一般公募のフットサルチームと試合をした。
第16回(前回)のエンディングで見せた内田恭子アナの音痴を治す企画で、ビビる大木米良美一が協力した。
提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは田中大貴石本沙織戸部洋子長野翼の4人。

第18回(2004年)以降

詳細は以下を参照。

複数回行われた企画

笑っていいとも!増刊号生スペシャル(1998年 - 2001年)
通常編成時、「森田一義アワー 笑っていいとも!」のダイジェスト番組「笑っていいとも!増刊号」が放送されている時間帯に生放送された。
プロ野球ニューススペシャル(1997年 - 2000年)→すぽると!スペシャル(2001年 - 2003年)
多彩なアスリートゲストの出演や生中継などが行われた。
全国縦断27時間夢ドミノ(ドミノ倒し、1998年 - 2000年)
1998年の元旦に放送された「SMAP×SMAP '97→'98/カウントダウンスペシャル」で行ったフジテレビ内ドミノの全国版。北海道文化放送の車・トラックドミノは3年連続で失敗した。
さんま・中居の今夜も眠れない(2000年 - 2016年)
当該項目を参照。
裏めちゃイケ(1998年、2001年)
めちゃ×2イケてるッ!の深夜版生放送。いわゆる「お色気企画」で、殿様のフェロモンのコーナーなどが再現された。
BISTRO SMAP SPECIAL(1998年 - 2000年)
SMAP×SMAPの1コーナー「BISTRO SMAP」の生放送版。
ボク生きスペシャル(1998年 - 2000年)
中居正広のボクらはみんな生きている」の生放送版。
SATURDAY NIGHT LIVE×LIVE(1999年、2000年、2002年)
アーティストを迎えての音楽コーナー。なお2011年にレギュラー放送された『サタデー・ナイト・ライブ JPN』とは無関係。
真夏の爆笑ヒットパレード(2001年 - 2003年)
お笑い芸人によるネタ披露コーナー。

スペシャルドラマ

スポーツ中継

その他

脚注

注釈

  1. ^ 2017年2018年は収録放送。2020年以降は新型コロナウィルス感染症拡大の影響により制作を休止している。
  2. ^ 2002年 - 2006年はテレビ大分を含む28社
  3. ^ 2002年 - 2006年はテレビ大分でも放送されていたが、2007年以降、同局の週末のゴールデンタイムが専ら日本テレビ系列となり放送枠の確保が難しくなったため、打ち切られた。
  4. ^ 横山やすしに扮した明石家さんま今田耕司村上ショージで、「明石家マンション物語」のキャラクター。

出典

関連項目

外部リンク

フジテレビ系列 FNSの日
前番組 番組名 次番組
疾風怒涛!FNSの日スーパースペシャルXI
真夏の27時間ぶっ通しカーニバル 〜REBORN〜

FNS1億2700万人の27時間テレビ夢列島

FNS ALLSTARS27時間笑いの夢列島

FNS27時間テレビ みんなのうた