あの素晴しい愛をもう一度

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あの素晴しい愛をもう一度
加藤和彦北山修シングル
B面 僕を呼ぶ故郷
リリース 1971年4月5日
ジャンル フォーク
時間 5分50秒
レーベル 東芝音楽工業
作詞・作曲 北山修、加藤和彦
チャート最高順位
  • 週間10位(オリコン
  • 1971年度年間46位(オリコン)
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あの素晴しい愛をもう一度」(あのすばらしいあいをもういちど)とは、北山修が作詞、加藤和彦が作曲し2人の連名で発表した歌曲。1971年4月5日にレコード発売。1994年3月30日にはCDシングルも発売されている。「あの素晴しい愛をもう一度」と誤って表記されることが多い。2002年ザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)新結成のときも「素晴しい」とクレジットされた。

概要[編集]

この楽曲の成り立ちには2つの説がある。

第1の説。加藤・北山コンビには珍しく詞が先の曲で、1970年7月30日、加藤の光子(ミカ)夫人との結婚祝いとして北山が詞を贈り、その年のクリスマスに加藤が曲を付けて夫人にプレゼントした。それからは北山、加藤とその仲間内での愛唱歌となっていたが、1971年になり加藤と北山が25才を迎えるということで仲間内から「記念にレコードを出したらどうか」という話が持ち上がり、加藤の了承によりレコード化となった。後年NHK-BS坂崎幸之助と久しぶりにギターを抱えて出演したときに「15分でできた」と加藤自身が発言している。

第2の説。シモンズのデビュー曲を依頼された加藤・北山コンビが、加藤が作曲に1日、北山が作詞に1日で作り上げた。加藤は北山から送られてきた歌詞を見て北山に電話をし「最高だよ最高」とはしゃいだと、北山が加藤の追悼文に記している[1]。結局、シモンズには別の曲が用意され、この楽曲は加藤と北山で歌うことになった。以上の経緯は、2010年7月31日のトークショーで北山が語っている。

後に作詞者の北山は、NHK-FMの番組やトークショーなどで、第1の説を「自分たちが歌うには言い訳が必要だった」と否定している。

この曲のオリジナル録音(1971年)のきっかけは、東芝音楽工業がフォークルの再結成を図って加藤・北山の両人にはたらきかけたものであるとされる。当時、フォークルの再結成はあり得ないと明言していた2人は、ジャケットでもカメラを全く無視している。これには東芝に対する抗議の意味を込めていると加藤・北山ともに当時のラジオ番組で語った。

オリジナルヴァージョンでは加藤による変則スリーフィンガーが展開されるが、「北山修25ばあすでい・こんさあと」に於いては「弾きながら歌える自信がない」とのことで通常のスリーフィンガーで演奏された。

第3番の歌詞の「あの時風が流れても変わらないと言った二人の」という一節は、「北山修青春詞歌集『ピエロの唄』」(角川書店)では「あの時星になりたいと夜明けまで泣いた二人の」となっている。ただし、この歌詞で歌われたことはない。

アーティスト名は「加藤和彦と北山修」として広まっているが、シングルジャケットには「加藤和彦 北山修」と記されており、「と」は入っていない。

これまでにCMで替え歌が何度か歌われている。

収録曲[編集]

  • 両楽曲とも、作詞:北山修、作曲:加藤和彦、編曲:葵まさひこ
  1. あの素晴しい愛をもう一度(3分13秒)
  2. 僕を呼ぶ故郷(2分37秒)

カバーしたアーティスト[編集]

この曲はソロやデュエットの形でカバーされるほか、中学校の音楽教科書に載ったこともあり様々な合唱編曲があり、2000年代になってもなお合唱コンクールなどでは定番曲である。2002年2003年の『FNS27時間テレビ みんなのうた』のテーマ曲にも起用され、総合司会だったみのもんたがエンディングで号泣しながら歌った。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 北海道新聞』(2009年10月19日朝刊)
  2. ^ デビュー35周年記念CD-BOX天地真理 プレミアム・ボックス』(2006年)にも収録