宝塚記念
| 宝塚記念 | |
|---|---|
第50回宝塚記念
|
|
| 開催地 | 阪神競馬場 |
| 施行時期 | 6月下旬 (原則3回阪神8日目) |
| 格付け | GI |
| 1着賞金 | 1億3200万円 |
| 賞金総額 | 2億5120万円 |
| 距離 | 芝2200m |
| 出走条件 | サラブレッド系3歳以上(国際)(指定) 出走資格も参照 |
| 負担重量 | 定量(3歳53kg、4歳以上58kg、牝馬2kg減) |
| 第1回施行日 | 1960年6月26日 |
宝塚記念(たからづかきねん)とは日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場の芝2200mで施行する中央競馬の重賞(GI)競走である。正賞は宝塚市長賞と日本馬主協会連合会会長賞。競走名は阪神競馬場がある宝塚市から取られている。
目次 |
[編集] 概要
上半期の日本競馬のグランプリと位置づけられている。
かつて関西地区(阪神競馬場)の阪神大賞典は年末の大一番だったが、その成功を受けて関東地区(中山競馬場)に創設(1956年)され定着した有馬記念にその役目を譲った。また春季もクラシック競走やそのトライアルレースが続く関東地区に比べて関西地区の大競走は桜花賞と天皇賞しかなく盛り上がりに欠けていた。そこで「有馬記念に匹敵する大競走を春に開催したい」との関西地区の意向もあり、有馬記念同様にファン投票によって出走馬を決めることを前提に4歳(現3歳)以上の混合の定量の重賞競走・宝塚記念として1960年に創設された。
第1回は阪神競馬場の芝1800mで施行され、翌1961年と1967年に200mずつ延長され現在の芝2200mでの施行となっている。このレースの創設に伴い、宝塚杯(旧・阪神記念)は競走名を阪急杯に変更されている。なお宝塚記念は創設以来、改修や地震災害等の理由から京都競馬場や中京競馬場で代替開催となった事が多くJRAGI(グレード制導入以前も含む)の中では最も代替開催の回数が多いレースとして知られる。
馬が近年では競馬の国際化の流れに乗りフランスの凱旋門賞(G1)をはじめ海外の国際競走への遠征を見据えた試金石としてこの競走に挑む例が増え、上半期のグランプリであると同時に、海外の国際競走のステップレースとしても捉えられている[1]。春季の4歳以上の馬にとって香港のクイーンエリザベス2世カップ(G1)等[2]へ出走する馬も増えてきているが国内では出走可能な唯一の中長距離のGIレースであり、近年春の天皇賞の価値が下がってきていることも影響して以前よりも価値が高くなっている。かつては勝ち抜け制度であった天皇賞の勝ち馬や、天皇賞及びクラシック競走に出走権がなかった外国産馬[3]やせん馬[4]にとって特に大きな目標となっていた。また、力をつけてきた馬がステップレースの目黒記念や鳴尾記念(2011年までは金鯱賞)を勝ちあがってきて試金石の意味で使う例もある。さらに2011年からは本競走の勝馬に対し当該年のブリーダーズカップ・ターフへの優先出走権と出走登録料・輸送費用の一部負担の特権が付与されるブリーダーズカップ・チャレンジ指定競走になることが発表されている[5]。
宝塚記念では年に一度、本競走でしか演奏されない専用のファンファーレ(JRAの一般公募によって最優秀賞に選出された早川太海の作曲)が使用されている。専用のファンファーレが用意される競走は中央競馬では他にスプリングステークス(GII)と名鉄杯(特別競走)があるのみ。現在の優勝レイの配色は紺色地に金色文字となっている。
上半期のGI戦線を締めくくる中長距離競走[6]でその年を締めくくる有馬記念を「グランプリ」と呼ぶことになぞらえ、宝塚記念は「春のグランプリ」または「夏のグランプリ(サマーグランプリ)」と呼ばれる[7]。
負担重量は定量で3歳53kg、4歳以上58kg、牝馬は2kg減である。
2012年度現在の賞金総額は2億5120万円で1着賞金:1億3200万円、2着賞金:5300万円、3着賞金:3300万円、4着賞金:2000万円、5着賞金:1320万円と定められている。
[編集] 出走資格
サラ系3歳(旧4歳)以上のファン投票及びJRAに選出されたJRA所属競走馬及び本競走に出走登録した外国所属競走馬及び出走登録しJRAに選定された地方所属競走馬のみ出走が可能である。
[編集] 出走馬の選定方法
- ファン投票選出方法は公式投票用紙(競馬場、ウインズ各会場で配布)、市販のはがき(官製・私製)、インターネットから可能だが1名につき1媒体1通限り。1名での複数枚投票(複数媒体の使用含む)と郵送の場合の印刷、ゴム印、ワープロ使用は無効となる。
- 特別登録を行った馬の中からファン投票上位10頭が優先出走できる。[8]
- それ以外の馬(外国所属競走馬を除く)は「通算の収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI競走の収得賞金」の総計が多い順に出走できる(地方所属競走馬もこの方法で選出される)。フルゲート18頭まで出走できる。
- 外国所属競走馬は最大8頭まで出走できる。
[編集] 歴代ファン投票1位
| 回数 | 開催年 | 馬名 | 票数 | 単勝人気 | 着順 |
|---|---|---|---|---|---|
| 第1回 | 1960年 | コダマ | 不出走 | - | |
| 第2回 | 1961年 | シーザー | 1番 | 優勝 | |
| 第3回 | 1962年 | コダマ | 1番 | 優勝 | |
| 第4回 | 1963年 | リユウフオーレル | 2番 | 優勝 | |
| 第5回 | 1964年 | リユウフオーレル | 2番 | 3着 | |
| 第6回 | 1965年 | シンザン | 1番 | 優勝 | |
| 第7回 | 1966年 | キーストン | 不出走 | - | |
| 第8回 | 1967年 | ニホンピローエース | 不出走 | - | |
| 第9回 | 1968年 | リュウファーロス | 不出走 | - | |
| 第10回 | 1969年 | アサカオー | 不出走 | - | |
| 第11回 | 1970年 | リキエイカン | 2番 | 5着 | |
| 第12回 | 1971年 | ダテテンリュウ | 不出走 | - | |
| 第13回 | 1972年 | アカネテンリュウ | 不出走 | - | |
| 第14回 | 1973年 | タイテエム | 1番 | 2着 | |
| 第15回 | 1974年 | タケホープ | 不出走 | - | |
| 第16回 | 1975年 | キタノカチドキ | 不出走 | - | |
| 第17回 | 1976年 | ロングホーク | 2番 | 2着 | |
| 第18回 | 1977年 | テンポイント | 1番 | 2着 | |
| 第19回 | 1978年 | グリーングラス | 1番 | 2着 | |
| 第20回 | 1979年 | サクラショウリ | 1番 | 優勝 | |
| 第21回 | 1980年 | シービークロス | 不出走 | - | |
| 第22回 | 1981年 | カツラノハイセイコ | 1番 | 2着 | |
| 第23回 | 1982年 | モンテプリンス | 1番 | 優勝 | |
| 第24回 | 1983年 | アンバーシャダイ | 不出走 | - | |
| 第25回 | 1984年 | ミスターシービー | 不出走 | - | |
| 第26回 | 1985年 | シンボリルドルフ | 取消 | - | |
| 第27回 | 1986年 | スダホーク | 2番 | 5着 | |
| 第28回 | 1987年 | ミホシンザン | 不出走 | - | |
| 第29回 | 1988年 | タマモクロス | 2番 | 優勝 | |
| 第30回 | 1989年 | ヤエノムテキ | 119,765票 | 1番 | 7着 |
| 第31回 | 1990年 | オグリキャップ | 152,016票 | 1番 | 2着 |
| 第32回 | 1991年 | メジロマックイーン | 136,325票 | 1番 | 2着 |
| 第33回 | 1992年 | メジロマックイーン | 135,300票 | 不出走 | - |
| 第34回 | 1993年 | メジロマックイーン | 139,693票 | 1番 | 優勝 |
| 第35回 | 1994年 | ビワハヤヒデ | 148,768票 | 1番 | 優勝 |
| 第36回 | 1995年 | ライスシャワー | 105,799票 | 3番 | 競走中止 |
| 第37回 | 1996年 | ナリタブライアン | 140,970票 | 不出走 | - |
| 第38回 | 1997年 | マーベラスサンデー | 97,617票 | 1番 | 優勝 |
| 第39回 | 1998年 | エアグルーヴ | 133,223票 | 3番 | 3着 |
| 第40回 | 1999年 | スペシャルウィーク | 136,079票 | 1番 | 2着 |
| 第41回 | 2000年 | テイエムオペラオー | 87,936票 | 1番 | 優勝 |
| 第42回 | 2001年 | テイエムオペラオー | 89,384票 | 1番 | 2着 |
| 第43回 | 2002年 | ジャングルポケット | 72,159票 | 不出走 | - |
| 第44回 | 2003年 | シンボリクリスエス | 59,817票 | 1番 | 5着 |
| 第45回 | 2004年 | リンカーン | 60,865票 | 3番 | 3着 |
| 第46回 | 2005年 | ゼンノロブロイ | 67,667票 | 2番 | 3着 |
| 第47回 | 2006年 | ディープインパクト | 89,864票 | 1番 | 優勝 |
| 第48回 | 2007年 | メイショウサムソン | 76,932票 | 2番 | 2着 |
| 第49回 | 2008年 | ウオッカ | 75,594票 | 不出走 | - |
| 第50回 | 2009年 | ウオッカ | 139,507票 | 不出走 | - |
| 第51回 | 2010年 | ブエナビスタ | 92,024票 | 1番 | 2着 |
| 第52回 | 2011年 | ブエナビスタ | 97,429票 | 1番 | 2着 |
[編集] 特徴
[編集] 出走頭数
2006年まで(最終的な)出馬投票対象頭数が出走可能頭数(フルゲート・18頭)に達することはなかった。2007年になって初めてフルゲートと同じ18頭でレースが行われたが、このとき出馬投票の対象となった馬はフルゲートと丁度同じ18頭であった。よって、このレースに出馬投票しながらファン投票数や賞金額の不足により除外(優先順位下位のために出走できない)の憂き目に遭った馬はまだない。フルゲートになりにくい理由としては、以下のような理由が考えられる。
- 施行日の近くに安田記念(GI)やサマー2000シリーズ等[9]と出走選択肢が豊富で実力的に劣るとされている馬が無理に出走してこない。
- 馬は暑さに弱い動物であるので高温多湿期には休養することが好ましいとする見解があり[10]、実力馬が秋のGIシリーズを見据えて疲労を残さないように本競走を回避をすることがある。
- 開催時期が梅雨と重なっていて良馬場で行われにくいため、重馬場を不得意な馬が敬遠することがある。[要出典]
- 阪神競馬場に外回りコースが新設された後も内回り2200mという小回りコースで開催される[11]。国内や欧州の多くの大レースで使用される大回りで高低差も10m以上などというコースで活躍した馬にとっては、それまでとは異なったコースへの適性を求められる[12]。
- 競走馬の能力の広汎性を問う場合に2200mの宝塚記念で好走するよりも2000mの天皇賞(秋)か2400mのジャパンカップのどちらかで好走した方が評価が高くなる[要出典]という事情もある。
- 日本国外で調教された競走馬の出走については、1997年に出走したオーストラリアのセトステイヤー(馬主は日本人)ただ1頭だけである。この時期はヨーロッパや北米ではイギリスのロイヤルアスコットレースミーティングやクラシック戦線の最中であったり国によっては宝塚記念と同様のGI競走が開催されており、一流馬の遠征・参戦が難しい時期である。海外からの参戦を促すために指定レースの優勝馬が宝塚記念を優勝した場合には褒賞金を与える制度があるが休催期にあたる香港やオセアニアから有力馬を呼び込むには至っていない(これに対し、例えばドバイミーティングは欧米の休催期に開催し有力馬を呼び込むことに成功している)。
[編集] 評価
- 戦後復興期から高度成長期にかけての競馬の水準が東高西低であったり市場規模が異なると言う事情からJRAの番組体系が関東地区の主に東京競馬場を中心に編成されてきた[要出典]こともあり[13]、近年になってジャパンカップ設立や安田記念など短中距離GIが増加し相対的に地位を下げてきた。
- 伝統的にGIの中でも格が劣るとして扱われ[要出典]、関東地区のGIのような出走を奨励するための高額賞金や日本調教馬に対する特別報奨金は導入されていない。国内のGI開催は関東地区に偏り、関西馬に多くの長距離輸送の負担を負わせているという問題もある。
- 藤沢和雄は国内に1つしかない基幹距離である2400mの古馬のGIを増やし、阪神競馬場の形態を活かすために外回り2400mでの施行を提案している。
[編集] 歴史
- 1960年 - 阪神競馬場の芝1800mの4歳(現3歳)以上の定量の重賞競走「宝塚記念」として創設。
- 1961年 - 施行距離を芝2000mに変更。
- 1963年 - 負担重量を別定に変更。
- 1966年
- 阪神競馬場のスタンド増設工事により京都競馬場の芝外回り2200mで施行。
- エイトクラウンが牝馬として初の優勝。
- 1967年
- 1968年
- 1969年 - 阪神競馬場のスタンド火災による復旧工事により京都競馬場の芝外回り2200mで施行。
- 1972年
- 1974年
- 阪神競馬場のダートコース新設工事により京都競馬場の芝外回り2200mで施行。
- 元地方大井所属のハイセイコーがJRA転厩馬として史上2頭目の優勝。
- 1975年
- 第7回優勝馬エイトクラウンの仔ナオキが優勝し、母仔制覇を達成。
- 1976年
- 全国発売を開始。
- 京都競馬場の芝外回り2200mで施行。
- 1980年 - 京都競馬場の改修工事に伴う振替開催により中京競馬場の芝2400mで施行。
- 1981年 - 元地方大井所属のカツアールがJRA転厩馬として史上3頭目の優勝。
- 1983年 - 伊藤修司が騎手・調教師両方で制覇。
- 1984年 - グレード制施行によりGIに格付け。
- 1987年 - 出走資格を4歳(現3歳)以上に戻す。
- 1989年 - 元地方大井所属のイナリワンがJRA転厩馬として史上4頭目の優勝。
- 1991年 - 阪神競馬場の改修工事により京都競馬場の芝外回り2200mで施行。
- 1993年 - 本年のみ皇太子殿下御成婚奉祝の副称が付く。
- 1995年
- 1996年
- この年の競馬番組の改正により第3回阪神と第2回中京の開催が入れ替わったことに伴い宝塚記念もそれまでより4週遅い7月上旬の開催となる。
- 震災復興支援競走の副称が本年まで付く。
- 1997年
- 1999年 - 早川太海が作曲した出走ファンファーレが本年の本競走から使用される。
- 2000年 - 施行時期が2週繰り上がり、6月下旬の開催となる。
- 2001年
- 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
- 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)により国際G1に指定。
- 2002年 - 外国調教馬の出走枠が8頭に拡大。
- 2003年 - 当年東京優駿(日本ダービー)優勝馬ネオユニヴァースが史上初の出走(4着)。
- 2004年 - 本年のみ日本中央競馬会創立50周年記念の副称が付く。
- 2005年 - スイープトウショウが牝馬として39年ぶり2回目の制覇。
- 2006年 - 阪神競馬場の芝コース改修工事により京都競馬場の芝外回り2200mで施行。
- 2007年
- 2008年 - 関西主場においての最終競走の発走時刻を16時40分(当競走施行当日は16時50分)に設定したことに伴い、当競走の競走番号が第11競走から第10競走に変更。
- 2009年
- 2011年
- 本競走の勝馬にブリーダーズカップ・ターフへの優先出走権などが付与される「ブリーダーズカップ・チャレンジ」指定競走となる。
- レース史上初めて特別登録馬が18頭を超える(20頭)[14]。うち4頭が回避したため除外馬は出なかった。
- 東日本大震災の影響によるこの年だけ薄暮開催の中止に伴い、第11競走として施行。
- 第40回優勝馬グラスワンダーの仔・アーネストリーがコースレコードとなる2分10秒1で優勝し、史上初の父仔制覇を達成。
- 池江泰寿が調教師としてグレード制導入後で史上最多となる、GIに管理馬5頭を出走(トレイルブレイザー(8着)、トーセンジョーダン(9着)、ドリームジャーニー(10着)、トゥザグローリー(13着)、フォゲッタブル(15着))。
- 2012年 - サマージョッキーズシリーズの対象競走に指定。
[編集] 歴代優勝馬
国際競走となった1997年以降は優勝馬の国旗を表記する。
| 回数 | 施行日 | 調教国・優勝馬 | 性齢 | 勝時計 | 優勝騎手 | 管理調教師 | 馬主 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 第1回 | 1960年6月26日 | ホマレーヒロ | 牡4 | 1:49.6 | 近藤武夫 | 武輔彦 | 仁木清七 |
| 第2回 | 1961年7月2日 | シーザー | 牡4 | 2:04.6 | 伊藤修司 | 伊藤勝吉 | 伊藤由五郎 |
| 第3回 | 1962年7月1日 | コダマ | 牡5 | 2:03.4 | 栗田勝 | 武田文吾 | 伊藤由五郎 |
| 第4回 | 1963年6月30日 | リユウフオーレル | 牡4 | 2:02.1 | 宮本悳 | 橋本正晴 | 三好笑子 |
| 第5回 | 1964年7月5日 | ヒカルポーラ | 牡5 | 2:03.3 | 高橋成忠 | 佐藤勇 | 坪田喜之助 |
| 第6回 | 1965年6月27日 | シンザン | 牡4 | 2:06.3 | 栗田勝 | 武田文吾 | 橋元幸吉 |
| 第7回 | 1966年6月26日 | エイトクラウン | 牝4 | 2:15.0 | 内藤繁春 | 田中康三 | 山口昇 |
| 第8回 | 1967年7月2日 | タイヨウ | 牡4 | 2:19.4 | 内藤繁春 | 武田文吾 | 内藤博司 |
| 第9回 | 1968年5月26日 | ヒカルタカイ | 牡4 | 2:14.7 | 野平祐二 | 藤本冨良 | 長山善健 |
| 第10回 | 1969年6月1日 | ダテホーライ | 牡4 | 2:16.1 | 宇田明彦 | 星川泉士 | (株)伊達牧場 |
| 第11回 | 1970年5月31日 | スピードシンボリ | 牡7 | 2:13.3 | 野平祐二 | 野平省三 | 和田共弘 |
| 第12回 | 1971年5月30日 | メジロムサシ | 牡4 | 2:17.3 | 横山富雄 | 大久保末吉 | メジロ商事(株) |
| 第13回 | 1972年6月4日 | ショウフウミドリ | 牡6 | 2:19.9 | 松本善登 | 武田文吾 | 松本市三郎 |
| 第14回 | 1973年6月3日 | ハマノパレード | 牡4 | 2:12.7 | 田島良保 | 坂口正二 | (株)ホースタジマ |
| 第15回 | 1974年6月2日 | ハイセイコー | 牡4 | 2:12.9 | 増沢末夫 | 鈴木勝太郎 | (株)ホースマンクラブ |
| 第16回 | 1975年6月1日 | ナオキ | 牡6 | 2:16.7 | 佐々木昭次 | 田中康三 | 桜山ホース(株) |
| 第17回 | 1976年6月6日 | フジノパーシア | 牡5 | 2:17.5 | 大崎昭一 | 柴田寛 | 真田繁次 |
| 第18回 | 1977年6月5日 | トウショウボーイ | 牡4 | 2:13.0 | 武邦彦 | 保田隆芳 | トウショウ産業(株) |
| 第19回 | 1978年6月4日 | エリモジョージ | 牡6 | 2:14.2 | 福永洋一 | 大久保正陽 | 山本慎一 |
| 第20回 | 1979年6月3日 | サクラショウリ | 牡4 | 2:12.4 | 小島太 | 久保田彦之 | (株)さくらコマース |
| 第21回 | 1980年6月1日 | テルテンリュウ | 牡4 | 2:31.9 | 西浦勝一 | 土門健司 | 伊藤繁子 |
| 第22回 | 1981年6月7日 | カツアール | 牡5 | 2:14.1 | 樋口弘 | 柳田次男 | 栗林英雄 |
| 第23回 | 1982年6月6日 | モンテプリンス | 牡5 | 2:12.6 | 吉永正人 | 松山吉三郎 | 毛利喜八 |
| 第24回 | 1983年6月5日 | ハギノカムイオー | 牡4 | 2:12.1 | 伊藤清章 | 伊藤修司 | 日隈広吉 |
| 第25回 | 1984年6月3日 | カツラギエース | 牡4 | 2:12.4 | 西浦勝一 | 土門一美 | 野出一三 |
| 第26回 | 1985年6月2日 | スズカコバン | 牡5 | 2:15.9 | 村本善之 | 小林稔 | 永井永一 |
| 第27回 | 1986年6月1日 | パーシャンボーイ | 牡4 | 2:14.4 | 柴田政人 | 高松邦男 | 伊達秀和 |
| 第28回 | 1987年6月14日 | スズパレード | 牡6 | 2:12.3 | 蛯沢誠治 | 富田六郎 | 小紫芳夫 |
| 第29回 | 1988年6月12日 | タマモクロス | 牡4 | 2:13.2 | 南井克巳 | 小原伊佐美 | タマモ(株) |
| 第30回 | 1989年6月11日 | イナリワン | 牡5 | 2:14.0 | 武豊 | 鈴木清 | 保手浜弘規 |
| 第31回 | 1990年6月10日 | オサイチジョージ | 牡4 | 2:14.0 | 丸山勝秀 | 土門一美 | 野出長一 |
| 第32回 | 1991年6月9日 | メジロライアン | 牡4 | 2:13.6 | 横山典弘 | 奥平真治 | (有)メジロ牧場 |
| 第33回 | 1992年6月14日 | メジロパーマー | 牡5 | 2:18.6 | 山田泰誠 | 大久保正陽 | (有)メジロ牧場 |
| 第34回 | 1993年6月13日 | メジロマックイーン | 牡6 | 2:17.7 | 武豊 | 池江泰郎 | メジロ商事(株) |
| 第35回 | 1994年6月12日 | ビワハヤヒデ | 牡4 | 2:11.2 | 岡部幸雄 | 浜田光正 | (有)ビワ |
| 第36回 | 1995年6月4日 | ダンツシアトル | 牡5 | 2:10.2 | 村本善之 | 山内研二 | 山元哲二 |
| 第37回 | 1996年7月7日 | マヤノトップガン | 牡4 | 2:12.0 | 田原成貴 | 坂口正大 | 田所祐 |
| 第38回 | 1997年7月6日 | 牡5 | 2:11.9 | 武豊 | 大沢真 | 笹原貞生 | |
| 第39回 | 1998年7月12日 | 牡4 | 2:11.9 | 南井克巳 | 橋田満 | 永井啓弐 | |
| 第40回 | 1999年7月11日 | 牡4 | 2:12.1 | 的場均 | 尾形充弘 | 半沢(有) | |
| 第41回 | 2000年6月25日 | 牡4 | 2:13.8 | 和田竜二 | 岩元市三 | 竹園正繼 | |
| 第42回 | 2001年6月24日 | 牡5 | 2:11.7 | 安田康彦 | 安田伊佐夫 | 松本好雄 | |
| 第43回 | 2002年6月23日 | 牡4 | 2:12.9 | 藤田伸二 | 山内研二 | 山元哲二 | |
| 第44回 | 2003年6月29日 | 牡4 | 2:12.0 | 角田晃一 | 佐山優 | 阿部雅一郎 | |
| 第45回 | 2004年6月27日 | 牡7 | 2:11.1 | 佐藤哲三 | 佐々木晶三 | (株)友駿ホースクラブ | |
| 第46回 | 2005年6月26日 | 牝4 | 2:11.5 | 池添謙一 | 鶴留明雄 | トウショウ産業(株) | |
| 第47回 | 2006年6月25日 | 牡4 | 2:13.0 | 武豊 | 池江泰郎 | 金子真人ホールディングス(株) | |
| 第48回 | 2007年6月24日 | 牡4 | 2:12.4 | 岩田康誠 | 松田博資 | 近藤利一 | |
| 第49回 | 2008年6月29日 | 牡6 | 2:15.3 | 内田博幸 | 野元昭 | 平井豊光 | |
| 第50回 | 2009年6月28日 | 牡5 | 2:11.3 | 池添謙一 | 池江泰寿 | (有)サンデーレーシング | |
| 第51回 | 2010年6月27日 | 牡4 | 2:13.0 | 柴田善臣 | 二ノ宮敬宇 | 和泉信一 | |
| 第52回 | 2011年6月26日 | 牡6 | 2:10.1 | 佐藤哲三 | 佐々木晶三 | 前田幸治 |
[編集] 宝塚記念の記録
- レースレコード - 2:10.1(第52回優勝馬アーネストリー)
- 2着との最大着差 - 5馬身(第15回優勝馬ハイセイコー・第24回優勝馬ハギノカムイオー・第35回優勝馬ビワハヤヒデ)
- 最高齢勝利 - 7歳(第45回優勝馬タップダンスシチー)
- 最多勝騎手 - 4勝 武豊(第30、34、38、47回)
- 最多勝調教師 - 4勝 武田文吾(第3、6、8、13回)
- 阪神競馬場の1日の最高入場者数 - 92,986人(第38回)
- 勝馬投票券最高売上げ - 348億1,272万400円(第38回)
[編集] 父子制覇
| 組 | 父馬名 | 優勝回 | 子馬名 | 優勝回 |
|---|---|---|---|---|
| 1組目 | グラスワンダー | 第40回 | アーネストリー | 第52回 |
[編集] 母子制覇
| 組 | 母馬名 | 優勝回 | 子馬名 | 優勝回 |
|---|---|---|---|---|
| 1組目 | エイトクラウン | 第7回 | ナオキ | 第16回 |
[編集] 補足事項
[編集] ジンクス
- これまで2連覇以上はおろか、2回以上優勝した競走馬がいない。
- 牝馬が優勝出来ないことでも知られ、牝馬の優勝は第7回のエイトクラウンと第46回のスイープトウショウの2頭だけである。
- 3歳馬は一度も優勝していない。クラシックからの出走がローテーション的に難しいこともあって出走頭数が少ないことも一因ではある。最高成績は、ローエングリンの3着。3歳牝馬の出走はさらに少なく近年では2007年に東京優駿を制し、後に東京競馬場古馬芝GI完全制覇を果たした牝馬のウオッカが出走したが8着に敗れた例がある。なお3歳馬が背負う斤量は牡馬が53kg、牝馬は51kgであり古馬が背負うのは58kg(古馬牝馬は56kg)のため斤量的にはかなり恵まれたハンデと言える。
- 現在のところ安田記念からの連勝例がない。
- 宝塚記念では関西テレビの実況で杉本清が実況を行う際は、レース前に杉本が「あなたのそして私の夢が走っています」の名口調をするのがお決まりとなっていた。だが彼があげる推奨馬(私の夢)は毎年凡走するというジンクスもあった。杉本の推奨馬が勝利した年も1995年のレース(ダンツシアトルを推奨)ではライスシャワーが競走中に故障発生し予後不良となり、1998年のレースでは夢に挙げたサイレンススズカが優勝を果たすも同年の秋の天皇賞で故障し安楽死処分となるなどの喜ばしくない結末となっている。
[編集] 払戻金2億円
2003年(第44回)に優勝したヒシミラクルの単勝に1222万円もの大金をつぎ込んで、それを的中させたサラリーマン風の中年男性がいた。
この男性はレース前々日発売となった金曜日に安田記念で的中した馬券を現金と引き換え、万単位となる1222万円全額をヒシミラクルの単勝すべてに投資。そのせいあって、前々日前売りオッズではヒシミラクルが1.9倍の圧倒的1番人気という事態を招いた。
このレースでの当日のヒシミラクルの単勝は16.3倍。つまり1222万×16.3でこの男性は1億9918万6000円を的中させたことで払戻金が約2億円になることから「2億円おじさん」、または勝ち馬のヒシミラクルの名前の一部を取って「ミラクルおじさん」との名がついた。ちなみに宝塚記念の優勝賞金は1億3200万円であったので、それをも上回る金額である。
この出来事は翌日のワイドショーなどでも取り上げられるほどの話題となった。さらに的中させた男性を装う人物が現れ、「配当金を全額寄付する」とJRAに連絡があった。ただ、的中させた男性が実際に払戻金を受け取ったかどうかはJRAも公表していないため定かではない。また勝利騎手となった角田晃一も勝利騎手インタビューで「たくさん当てた方もいらっしゃるようですね。おめでとうございます」というコメントを残している。
また、2011年(第52回)のWIN5では、的中票がわずか3票となり、史上初の払戻金2億円が発生した。
[編集] 脚注
- ^ 遠征を行ったタップダンスシチー・ディープインパクト・メイショウサムソンの他、スペシャルウィーク・ウオッカ等がいる。
- ^ 他にアラブ首長国連邦のドバイシーマクラシック(G1)やシンガポール航空インターナショナルカップ(G1)への遠征が多い。
- ^ 勝ち馬にダンツシアトル・グラスワンダー・タップダンスシチー・メイショウドトウ、旧表記4歳(現表記3歳)で4着となったヒシナタリー等がいる。
- ^ レガシーワールド・ホットシークレット・アサカディフィート等が出走している。
- ^ 宝塚記念(GI)優勝馬に「ブリーダーズカップターフ(G1)」優先出走権等が付与 - JRA公式サイト 2011年2月21日閲覧。ただしブリーダーズカップへの種牡馬登録と産駒登録は必要
- ^ 主催者であるJRAは、宝塚記念の歴史紹介ページで当競走を「上半期の実力ナンバー1決定戦」と位置づけている。
- ^ 古くから「春のグランプリ」の表現は用いられてきたが、近年はスポーツ新聞などでも「サマーグランプリ」の表現が見られる。例として2007年の宝塚記念を取り上げたスポーツニッポン大阪版の記述をあげる。
- ^ なお上位第10位までで出走の意思がない場合、その分を11位以下の馬が繰り上げで出走できる権利がある。
- ^ 同時期にエプソムカップ(GIII)・福島テレビオープン・巴賞等の別定戦があり、実力と斤量面での都合でこれらのレースを選ぶ例が少なくない。
- ^ 競馬ニホン 「ボーナスより開催時期」
- ^ これは裏返せば欧州の大レースに挑む際の試金石としては、時期以外はさほど適切ではないということにもなる。なお、コース形態上での制約を受けるアメリカ合衆国のブリーダーズカップ・ワールド・サラブレッド・チャンピオンシップや香港競馬の香港国際競走などに目を向ければ、大レースでも小回りコースで行われている例がある。
- ^ 2008年にはファン投票1位のウオッカがコース適性を理由に回避している。
- ^ 海外ではオフシーズンにあたる冬季に中山競馬場の非基幹距離の小回りコースで施行され宝塚記念以上の馬の適性や騎手の騎乗技術が求められるとされる[要出典]有馬記念が、戦後設立で唯一八大競走として格の高い競走として知られる一方で(かつて優駿牝馬が開催されていた)秋に新たに京都競馬場に牝馬三冠の最終競走として設立されたエリザベス女王杯(1996年から秋華賞)と同じく宝塚記念も八大競走と同格のGIと見なされていなかった。
- ^ 【宝塚記念】(阪神)~ブエナビスタら、20頭が登録 - ラジオNIKKEI「競馬実況Web」 2011年6月12日閲覧
[編集] 関連項目
- マーメイドステークス - 上半期最後の牝馬限定競走(GIII)
- キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス - 芝12fで施行されるヨーロッパの上半期最強馬決定戦(G1)
- サンクルー大賞 - 芝2400mで施行されるフランスの上半期最強馬決定戦(G1)
- ベルリン大賞 - 芝2400mで施行されるドイツの上半期最強馬決定戦(G1)
- ミラノ大賞典 - 芝2400mで施行されるイタリアの上半期最強馬決定戦(G1)
- 香港チャンピオンズ&チャターカップ - 芝2400mで施行される香港の上半期最強馬決定戦(香港G1)
- 阪神記念 - 宝塚杯の前身で1955年と1956年の2年間に芝2400mで施行されたハンデキャップの重賞競走
- 杉本清 - 長年関西テレビアナウンサーとしてこのレースを放送で実況した。「私の夢」は当該実況から生まれた文句
[編集] 外部リンク
- JRA公式サイト「今週の注目レース」 より(2011年版)
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