独占!男の時間

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独占!男の時間』(どくせんおとこのじかん)は1975年4月5日から1977年3月26日まで東京12チャンネル(現・テレビ東京)で放送されていた生放送バラエティ番組である。

目次

[編集] 沿革

番組開始の年、宮本顕治に『ポルノ番組』として槍玉にあげられた。この「ポルノ番組批判発言」をきっかけに日本の民放各局がパニックに陥り、「ポルノ番組追放キャンペーン」を展開したが、当番組は日本テレビよみうりテレビ共同制作の『11PM[1]』とともに番組終了までエロ路線を堅持した。

1975年に出演した若手時代の笑福亭鶴瓶は番組ディレクターの態度に激怒。放送中に全裸になり、肛門を露出してカメラに押し付け、当時芝公園にあった東京12チャンネル局舎の外にある噴水池に飛び込んだ影響で、社長が大事にしていた時価数百万円相当の錦鯉が死亡。

通常ならばここで降板・出入り禁止となるところだが、司会の山城新伍の計らいで最終回にも出演。そこでさらに肛門を見せる暴挙に出た。この一連の事件以来、鶴瓶は東京12チャンネル→テレビ東京には2003年まで出入り禁止となる。出演解禁のきっかけは、鶴瓶が司会のテレビ大阪制作『きらきらアフロ』の東京収録(このときはテレビ東京第1スタジオで収録)であった。ちなみに鶴瓶のテレビ東京系番組の生放送への出演は2008年6月の『きらきらアフロ』生放送スペシャルで33年ぶりであった。尚、『きらきらアフロ』の収録は2011年7月からテレビ大阪から当時の東京12チャンネル→テレビ東京局舎の跡地[2]にある東京タワースタジオに移動している。

回を追うごとに過激になりすぎたため、番組は打ち切りとなった。山城は番組終了に納得できず、最終回の放送中に特定個人を名指しで批判。これに「電波の私物化は許せない」と上層部が判断、山城が解説者として出演していた『木曜洋画劇場』からも降板となり、同局には出入り禁止となる。その後、山城は1984年10月開始の『結婚!志願ショー』の司会に起用されている。

[編集] 出演者

[編集] 備考

当時、東京12チャンネルのアナウンサーだった小倉が上司の業務命令で当番組へ出演し、おもに競馬のコーナーを担当していたが、山城らにすすめられてお色気コーナーにも出演し、内容が過激だったためその上司に「アナウンサーにあるまじき行為」を理由に叱られた。これがフリーアナウンサーに転身する遠因だったといわれている。

開運!なんでも鑑定団』『おはスタ』などのヒット番組のプロデューサーだった中尾哲郎が学生時代に同番組をみて「このようなゲリラ的なテレビ番組をつくってみたい」と、東京12チャンネルを志望したという。なお、中尾はこの番組の流れをくむお色気番組『ギルガメッシュないと』の初期のディレクターを担当していた。

また、別な制作スタッフが当番組を担当後に独立、フジテレビで山城が司会をしていた『アイ・アイゲーム』の制作を担当している。

山城は番組開始半年後の1975年10月から半年間、NHK総合連続テレビ小説おはようさん』にレギュラー出演するが、そのオファーがあった際、当番組に出演していることに触れ「僕はピンク男ですけどいいんですか?」とたずねたという(TBSテレビ探偵団』ゲスト出演時にコメント)。

[編集] 脚注

  1. ^ 『11PM』をネットしていた局のなかには当番組と同様に「内容が過激すぎる」という理由で途中打ち切りとした局もあった。
  2. ^ テレビ東京の局舎は1985年12月に現在の虎ノ門に移転。

[編集] 関連項目

東京12チャンネル→テレビ東京 土曜深夜のお色気番組
前番組 番組名 次番組
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