高橋大輔 (フィギュアスケート選手)
本来の表記は「髙橋大輔」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。 |
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2012年国別対抗戦 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
基本情報 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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代表国: | ![]() |
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生年月日: | 1986年3月16日(32歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出生地: | 岡山県倉敷市[1] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長: | 165 cm[1] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
体重: | 55 kg | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
元コーチ: | 長光歌子 (1999-2014) ニコライ・モロゾフ (2005-2008、2012-2014)[2] タチアナ・タラソワ 林祐輔 服部直行 (1996-2000)[3] |
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振付師: | 宮本賢二 ローリー・ニコル |
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元振付師: | タチアナ・タラソワ リー=アン・ミラー 長光歌子 ニコライ・モロゾフ パスカーレ・カメレンゴ 阿部奈々美 シェイ=リーン・ボーン |
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所属クラブ: | 関西大学スケート部 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
引退: | 2014年10月14日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ISU パーソナルベストスコア | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
トータルスコア: | 276.72 | 2012 国別対抗戦 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ショートプログラム: | 95.55 | 2013 GP NHK杯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フリースケーティング: | 182.72 | 2012 国別対抗戦 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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髙橋 大輔(たかはし だいすけ、ラテン文字:Daisuke Takahashi, 1986年3月16日 - )は、岡山県倉敷市出身の日本の元フィギュアスケート選手(男子シングル)。フィギュアスケート元世界王者。愛称は「大ちゃん」。
主な実績として、2010年バンクーバーオリンピック銅メダリスト、2006年トリノオリンピック(8位入賞)、2014年ソチオリンピック(6位入賞)日本代表。ほか2010年世界選手権優勝、2012年グランプリファイナル優勝、2008年・2011年四大陸選手権各優勝、全日本選手権通算5回優勝(2005年-2007年、2009年、2011年)、世界フィギュアスケート国別対抗戦連続2回優勝(2012年、2013年)など。
2002年世界ジュニアフィギュアスケート選手権優勝を初めとし、日本男子初、又アジア人男子初の快挙を次々と成し遂げた。その一方で、2008-2009シーズンで右膝前十字靭帯断裂という大怪我により1年間の休養、選手生命の危機に陥った時期も有った。
2013年のソチシーズンを最後に、28歳で現役引退(2013年のGPファイナルと2014年の世界選手権は怪我により棄権。同年10月までは休養という形をとっていた)。日本人男子スケーターでは過去最年長記録。
目次
人物[編集]
岡山県倉敷市出身。4人兄弟の末っ子。母親の務めていた理髪店の娘が名付け親で「大輔」は嶋大輔からとった[4]。関西大学文学部総合人文学科身体運動文化専修卒業[5]。2008年4月より関西大学大学院文学研究科総合人文学専攻身体文化専修博士前期課程に進学。2015年、修士論文の未提出のため同大学院を中退。JOCシンボルアスリート適用選手。日本人男子初のオリンピックメダリストであり、日本人男子として初めて世界選手権、世界ジュニア選手権、グランプリファイナルを制した選手である。オリコンによる「好きなスポーツ選手ランキング」の男性部門において、2010年より5年連続でトップ10入りを果たしている[6][7][8][9][10]。
サッカー日本代表MFの青山敏弘は、保育園、小・中学校の同級生で幼馴染である[11]。
現在はマネジメントをユニバーサルスポーツマーケティングが行っている。

技術・演技[編集]
高いスケーティング技術を生かした世界一と呼ばれるステップと、海外の解説者らからダンサーのようと賞讃された柔軟で切れのある情感豊かな表現力(ヒップホップからマンボ、ブルースまで巧みに表現できる音楽的感性)を持ち味としていた[12][13][14][15][16][15][17]。荒川静香は高橋について「感性の高さで群を抜いており、どんなプログラムでも自分の世界で表現できる」「一緒に滑っていて、自分が哀しくなってくるほど才能がある」と評していた[18]。 ジャンプではトリプルアクセル[19][13]、3回転フリップ[20][13]、3回転ルッツ[13][21][13]を得意としていた。 また2005年頃からトウループジャンプ等の4回転ジャンプに取り組んだ。2011年のNHK杯公式練習では4回転フリップを試みたが、試合での認定には至っていない。バンクーバーオリンピックでは、共に4回転ジャンプに挑んだ志の高さからエフゲニー・プルシェンコに「You are my hero.」と讃えられ固い握手を交わされた。
経歴[編集]
トリノ五輪出場[編集]
幼少時は性格的に弱く、心配した両親に少林寺拳法、野球、アイスホッケーなどさまざまなスポーツをやらされたが、痛いことや怖いことが嫌いでどれも長続きしなかった[22][23]。体操は気に入ったが、岡山市内の体操教室に通うことが難しく断念[24]。8歳のとき、家のすぐ近くにあるウェルサンピア倉敷(厚生年金健康福祉センター)のスケートリンクでフィギュアスケートを始めた。
決して裕福とは言い難い家柄ながらも家族一丸となって支え、また地元の商店街の人々が有志の募金箱(大輔ボトルと呼ばれた)を設置しカンパを受けるなど、非常に愛されて育ってきた背景がある。また、自身のお年玉は全てスケート代に充てていた。
全国有望新人発掘合宿(野辺山合宿)で素質を見出された高橋は、1999年(倉敷市立連島中学校2年)から、長久保裕・佐野稔両コーチがいる宮城県仙台市のスケートリンク(現・アイスリンク仙台)に出向いて指導を受けていたが、佐野が仙台を離れることになったため、プログラム作成を依頼された長光歌子と仙台で初対面した[25]。同年に初の国際大会となるトリグラフトロフィーで優勝。2001年に全国中学校大会で2連覇を達成し、全日本ジュニア選手権を制す。2002年には世界ジュニア選手権で日本男子として初めての優勝を飾った。
2002-2003シーズンから本格的にシニアに参戦するが、国際大会での成績は伸び悩み気味だった。1年間に渡り長光とともにアメリカ、カナダ、ロシアを訪ねて有名コーチの指導を仰いだが、成果は得られなかった。
2004-2005シーズンには、大学入学に伴う環境の変化やプレッシャーや、シーズン前半のアジア選手権で右足首の神経の炎症を起こしたことによりモチベーションが低下し、スケートをやめたいとさえ思っていた[26]。しかし、全日本選手権で6位に沈んだことで気持ちがふっきれ[27]、年明けのユニバーシアードで優勝、四大陸選手権では3位となった。世界選手権では、ともに出場した本田武史が予選演技中の怪我で途中棄権したため、翌年のトリノオリンピックの日本男子出場枠が髙橋1人の順位にかかる大きなプレッシャーの中で演技することになった。ショートプログラム(以下、SPと略)までは7位と健闘したものの、フリースケーティング(以下、フリーと略)では冒頭の4回転ジャンプ転倒を皮切りにことごとく失敗を連発してしまい、総合15位に終わる。この結果、トリノオリンピックの日本男子出場枠は最小の1枠となる(総合10位以内なら2枠だった)。シーズン終了後、コーチ・振付師をニコライ・モロゾフに変えるとともに、トレーナーのカルロス・アビラ・デ・ボルバにつき、フィジカル面とステップの強化に力を注ぎ始めた[28]。
2005-2006シーズン、スケートアメリカでISUグランプリシリーズ初優勝を果たし、本田に続く日本人男子2人目のGPシリーズ優勝者となった。続くNHK杯では3位に終わったが、SPではシングルの選手として世界で初めてステップでレベル4(最高難度)を獲得した[29]。初めて進出したGPファイナルでは銅メダルを獲得して日本人男子として初の表彰台に立ち、全日本選手権はSP2位から逆転して初優勝、僅か1枠のトリノオリンピック・男子シングル日本代表の座を掴み取った。トリノオリンピックではSPで5位につけたが、フリーは冒頭の4回転ジャンプでの失敗やザヤックルール違反などで得点が伸びず9位、総合8位入賞に留まった。
バンクーバー五輪で銅メダル獲得[編集]
2006-2007シーズン、NHK杯で優勝、フリーでは1年8ヶ月ぶりに4回転ジャンプも成功させた。2季連続で進出したGPファイナルは、競技直前からの体調不良による腹痛や吐き気に耐えながら最後まで滑り切り、日本人男子として過去最高の2位となった。全日本選手権では2位以下に大差をつけて2連覇を達成。2007年冬季ユニバーシアードでも2連覇を果たした。日本・東京で開催の世界選手権では、ショートプログラム3位、フリースケーティング1位で、日本男子史上最高位となる銀メダルを獲得した[30]。また、織田信成が7位に入ったため、翌2008年世界選手権の日本男子代表枠は最大の3枠となった。
2007-2008シーズン、GPシリーズ初戦のスケートアメリカで優勝。2戦目のNHK杯では日本人男子として五十嵐文男以来26年ぶりのNHK杯連覇を達成し、3季連続のGPファイナル進出を出場ポイント1位通過で決めた。ファイナルではステファン・ランビエールに僅か0.26点及ばず2位となるも、12月の全日本選手権ではフリーで4回転ジャンプを2度成功させ、再び2位以下に大差をつけて3連覇を達成。四大陸選手権でもフリーで2度の4回転ジャンプを成功させ、フリーと総合得点でISU歴代最高記録を更新して初優勝。優勝候補の筆頭にあげられて臨んだ世界選手権であったが[31]、フリーではジャンプミスやザヤックルール違反により総合4位に終わった。5月、コーチのニコライ・モロゾフが織田信成のコーチに就任したため、モロゾフとの契約を解除した[註 1]。

2008-2009シーズン、2008年10月末の練習中に3回転アクセルで転倒し、右膝を負傷したため、出場を予定していたグランプリシリーズ中国杯を欠場[34][35]。その後の精密検査により右足膝の前十字靭帯と半月板を損傷していることが分かり、シーズンの全大会の出場を断念して11月に手術をした[36][37][38][35]。リハビリを経て2009年4月より氷上での練習を再開[39][40]、6月からはジャンプも跳び始めた[40]。リハビリで体の可動域が広がったため、跳び方を調整する必要があった[40]。また、ジャンプ専門のコーチとして本田武史を迎え、ジャンプの指導を受け始めた[41]。
2009-2010シーズン、10月のフィンランディア杯優勝で自らの国際競技会復帰を飾った。スケートカナダでは表彰台に上り、2季ぶりにGPファイナルにも出場。全日本選手権で4度目の優勝を成し遂げ、バンクーバーオリンピックの男子シングル日本代表に内定、ニ大会連続2回目の冬季五輪代表入りを果たした。
2010年のバンクーバーオリンピックではSPで90点台をマーク、SP1位のエフゲニー・プルシェンコと0.6点の僅差で3位につけた。フリーでは冒頭の4回転トウループで転倒し、他細かなジャンプミスも有ったが、得意のステップと演技構成点は出場選手中最も高い評価を受ける[42]。結果フリーのみでは5位だったものの、総合得点では4位のステファン・ランビエールを0.51点の僅差で上回り3位入賞を果たし、日本及びアジア人の男子シングルの選手としては史上初の冬季オリンピックのメダルとなる銅メダルを獲得した[43]。
世界選手権初優勝[編集]
バンクーバー五輪から約1か月後の世界選手権では、SP、フリーともに1位の完全優勝を果たし、男子シングルでは日本・アジアで史上初の世界チャンピオンとなった。フリーの演技冒頭で挑んだ4回転フリップは回転不足、両足着氷の失敗に終わったが、世界初の試みであった。なお、フリーではシングルの選手として初めて、全てのスピン・ステップで最高評価のレベル4を獲得した[44][45]。
ソチオリンピックまで道のり[編集]
2010-2011シーズン、GPシリーズ初戦NHK杯ではFSで3シーズンぶりに4回転トウループを成功させ優勝。続くスケートアメリカでも優勝、日本人男子として最多となるGPシリーズ6勝目を挙げた。GPファイナルでは練習中に小塚崇彦と衝突して首がむち打ちのような状態になり、本番では4位に終わった[46]。首の状態がさらに悪化した状態[47]で臨んだ全日本選手権では3位に入った。四大陸選手権では3年ぶり2度目の優勝を達成。当初東京で開催予定ながら東日本大震災の影響で1か月延期、モスクワで代替開催の世界選手権では、FS冒頭の4回転トウループが1回転に抜ける着氷失敗時、スケート靴のビスが外れるアクシデントに見舞われる。ビスを留める為約2分中断後に演技を再開したが、3回転サルコウの転倒などが響き総合5位に終わった。
五輪でのメダル獲得や世界王者となったことでモチベーションが低下し、現役続行を迷いながらも迎えたシーズンであったが、5位に沈んだことで気持ちが吹っ切れ、現役続行を決意した[48]。シーズン終了後、5月に右膝ボルト除去手術を受けた。リハビリを経たのち、8月にフランスのリヨンに渡り、アイスダンスコーチのミュリエル・ザズーイの下でスケーティングを基礎から見直した[49]。また、柔軟性を高めるために、バレエのレッスンも受け始めた[50]。
2011-2012シーズン、NHK杯では大会最多となる4度目の優勝を果たした。全日本選手権ではSPで7シーズンぶりに4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させ(ISU非公認)、2年ぶり5度目の優勝を果たした。GPファイナル、四大陸選手権、世界選手権はいずれも世界王者パトリック・チャンに次ぐ2位だったが、シーズン最後の国別対抗戦ではチャンを抑えて1位、SPでは歴代最高得点をマークした。6月、再びニコライ・モロゾフをコーチの一員として迎えた[51]。
2012-2013シーズン、自身7度目の挑戦となったGPファイナルにおいて、日本男子初のチャンピオンとなった。しかし四大陸選手権は7位に終わり、翌2014年2月開催のソチオリンピック出場枠の掛かる世界選手権も6位と表彰台を逃したが、羽生結弦の4位との成績で、ソチ五輪男子シングル種目は2大会連続で最大の3枠を確保する。国別対抗戦では1位となった。
ソチオリンピック出場[編集]
2013-2014シーズン、スケートアメリカでは4位。NHK杯ではSPで自己ベストを更新。FSも1位で優勝した。GPファイナルへの進出を決めたが、11月26日に氷上トレーニング中に負傷。右脛骨骨挫傷と診断され、欠場を発表した(代替選手は織田信成で3位)[52]。怪我をおして臨んだ全日本選手権ではSP、FSともに4回転に挑戦し失敗。FSでは4回転転倒後に右指を切り、流血しながらプログラムを最後まで演じきったものの、最終順位は5位に終わった。演技直後のインタビューでは「自分の中では五輪はないんだろうなと思っている」と涙ながらに答えていた[53]。しかし過去の実績、シーズン成績などを考慮し、最後の3枠目でソチオリンピック代表に選出された。尚フィギュアスケートの日本選手で三大会連続3回目の五輪代表選出は、高橋が初めてである[54][55]。
2014年2月5日、盲目のベートーヴェンとして絶賛されていた作曲者佐村河内守が、自作の作曲としていた曲を別人の新垣隆などに依頼していたことを公表[56](ゴーストライター問題を参照)、オリンピック本番のショートプログラムで使用する予定だった曲『ヴァイオリンのためのソナチネ』も佐村河内ではなく実際は新垣隆による作曲であると判明した。

同日、関西大学の公式サイトで、『ヴァイオリンのためのソナチネ』のまま曲を変更しないことを表明、国際スケート連盟には楽曲作曲者を不明(Unknown)とする手続きをした[57]。この曲は義手でヴァイオリンを弾いているというある女性に贈られた曲であり、本当の作曲者である新垣は幼稚園の頃からこの女性の伴奏などをしていた。そういう事情から、真実を知った後もこの曲への愛着は失われておらず、高橋がこの曲を使用することを「とても楽しみ」とコメントしている[58]。高橋は9日にソチ入りした際にインタビューに応じ「正直ビックリしました。このタイミングでって。勘弁してよっていうのはありました」と笑いつつ、SPでの使用に変更がないことを明らかにした[59]。
そのソチオリンピック本番は団体戦には出場せず、個人戦のみ出場。SPでは4位発進だったが、フリーではジャンプミスが響いて総合6位入賞に留まり、五輪ニ大会連続メダル獲得はならなかった。しかしフィギュアスケート日本代表選手で、冬季オリンピック三大会連続入賞(8位・3位・6位)は高橋が史上初である[60]。帰国後メディカルチェックを受けた際「右脛骨関節軟骨損傷及び慢性膝関節炎により、5~6週間の安静加療が必要」と診断。2014年3月4日、さいたま市で開催される世界選手権の欠場を表明(補欠の小塚崇彦が繰上げ出場し6位)。今後の去就については「まだはっきりと決めていない。ゆっくり時間を持った時に考えていきたい」と語っていたが[61]、同年4月21日に2014-2015シーズンの全試合出場を見送り、1年間競技生活の休養を発表した[62]。
現役引退・アイスショー等[編集]
2014年10月14日、岡山市内で現役引退を表明した[63]。引退後の現在はプロスケーターとしてアイスショーに参加するなどして活動を行っている。2015年4月、語学留学のため渡米。在籍していた関西大学大学院は修士論文未提出のため中退を発表した。
2016年、フジテレビでの2016 - 2017シーズンのフィギュアスケート大会放送にて、ナビゲーターに就任[64]。
主な戦績[編集]
大会/年 | 99-00 | 00-01 | 01-02 | 02-03 | 03-04 | 04-05 | 05-06 | 06-07 | 07-08 | 08-09 | 09-10 | 10-11 | 11-12 | 12-13 | 13-14 |
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冬季オリンピック | 8 | 怪 我 に よ り 全 試 合 欠 場 |
3 | 6 | |||||||||||
世界選手権 | 11 | 15 | 2 | 4 | 1 | 5 | 2 | 6 | DNS | ||||||
四大陸選手権 | 13 | 6 | 3 | 1 | 1 | 2 | 7 | ||||||||
世界国別対抗戦 | 中止[65] | 1 | 1 | ||||||||||||
全日本選手権 | 5 | 4 | 3 | 6 | 1 | 1 | 1 | 1 | 3 | 1 | 2 | 5 | |||
GPファイナル | 3 | 2 | 2 | 5 | 4 | 2 | 1 | DNS | |||||||
GPNHK杯 | 8 | 3 | 1 | 1 | 4 | 1 | 1 | 2 | 1 | ||||||
GPスケートアメリカ | 1 | 1 | 1 | 4 | |||||||||||
GP中国杯 | 2 | ||||||||||||||
GPスケートカナダ | 7 | 2 | 2 | 3 | |||||||||||
GPエリック杯 | 5 | 11 | |||||||||||||
GPボフロスト杯 | 11 | ||||||||||||||
フィンランディア杯 | 1 | ||||||||||||||
ユニバーシアード | 1 | 1 | |||||||||||||
アジア大会 | 6 | ||||||||||||||
世界Jr.選手権 | 1 | ||||||||||||||
全日本Jr.選手権 | 3 | 4 | 1 | ||||||||||||
JGPファイナル | 4 | ||||||||||||||
JGPSBC杯 | 1 | ||||||||||||||
JGPソフィア杯 | 2 | ||||||||||||||
JGPウクライナ記念 | 8 | ||||||||||||||
JGPハルビン | 9 |
詳細[編集]
2013-2014 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2014年2月6日-22日 | ソチオリンピック(ソチ) | 4 86.40 |
6 164.27 |
6 250.67 |
2013年12月20日-23日 | 第82回全日本フィギュアスケート選手権(さいたま) | 4 82.57 |
5 170.24 |
5 252.81 |
2013年11月8日-10日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(東京) | 1 95.55 |
1 172.76 |
1 268.31 |
2013年10月18日-20日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(デトロイト) | 5 77.09 |
4 159.12 |
4 236.21 |
2013年10月5日-日 | 2013年ジャパンオープン(さいたま) | - | 4 149.12 |
1 団体 |
2012-2013 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2013年4月11日-14日 | 2013年世界フィギュアスケート国別対抗戦(東京) | 2 80.87 |
1 168.65 |
1 249.52 |
2013年3月10日-17日 | 2013年世界フィギュアスケート選手権(ロンドン) | 4 84.67 |
8 154.36 |
6 239.03 |
2013年2月8日-11日 | 2013年四大陸フィギュアスケート選手権(大阪) | 4 82.62 |
8 140.15 |
7 222.77 |
2012年12月20日-24日 | 第81回全日本フィギュアスケート選手権(札幌) | 2 88.04 |
1 192.36 |
2 280.40 |
2012年12月6日-9日 | 2012/2013 ISUグランプリファイナル(ソチ) | 1 92.29 |
3 177.11 |
1 269.40 |
2012年11月23日-25日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(利府) | 2 87.47 |
2 164.04 |
2 251.51 |
2012年11月2日-4日 | ISUグランプリシリーズ 中国杯(上海) | 1 84.79 |
2 146.96 |
2 231.75 |
2012年10月6日-日 | 2012年ジャパンオープン(さいたま) | - | 1 172.06 |
1 団体 |
2011-2012 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2012年4月19日-22日 | 2012年世界フィギュアスケート国別対抗戦(東京) | 1 94.00 |
1 182.72 |
1 276.72 |
2012年3月26日-4月1日 | 2012年世界フィギュアスケート選手権(ニース) | 3 85.72 |
3 173.94 |
2 259.66 |
2012年2月9日-12日 | 2012年四大陸フィギュアスケート選手権(コロラドスプリングス) | 3 82.59 |
2 161.74 |
2 244.33 |
2011年12月23日-26日 | 第80回全日本フィギュアスケート選手権(門真) | 1 96.05 |
3 158.55 |
1 254.60 |
2011年12月07日-11日 | 2011/2012 ISUグランプリファイナル(ケベック・シティー) | 5 76.49 |
2 172.63 |
2 249.12 |
2011年11月10日-13日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(札幌) | 1 90.43 |
1 169.32 |
1 259.75 |
2011年10月28日-30日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(ミシサガ) | 2 84.66 |
3 153.21 |
3 237.87 |
2011年10月1日-日 | 2011年ジャパンオープン(さいたま) | - | 6 130.79 |
3 団体 |

2010-2011 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2011年4月24日-5月1日 | 2011年世界フィギュアスケート選手権(モスクワ) | 3 80.25 |
6 152.72 |
5 232.97 |
2011年2月15日-20日 | 2011年四大陸フィギュアスケート選手権(台北) | 1 83.49 |
1 160.51 |
1 244.00 |
2010年12月24日-27日 | 第79回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | 4 74.78 |
2 162.01 |
3 236.79 |
2010年12月9日-12日 | 2010/2011 ISUグランプリファイナル(北京) | 3 82.57 |
6 137.20 |
4 219.77 |
2010年11月12日-14日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(ポートランド) | 2 78.12 |
1 148.95 |
1 227.07 |
2010年10月22日-24日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(名古屋) | 1 78.04 |
1 156.75 |
1 234.79 |
2010年10月2日-日 | 2010年ジャパンオープン(さいたま) | - | 2 159.19 |
1 団体 |

2009-2010 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2010年3月24日-25日 | 2010年世界フィギュアスケート選手権(トリノ) | 1 89.30 |
1 168.40 |
1 257.70 |
2010年2月14日-27日 | バンクーバーオリンピック(バンクーバー) | 3 90.25 |
5 156.98 |
3 247.23 |
2009年12月25日-27日 | 第78回全日本フィギュアスケート選手権(大阪) | 1 92.85 |
1 168.28 |
1 261.13 |
2009年12月3日-6日 | 2009/2010 ISUグランプリファイナル(東京) | 1 89.95 |
5 134.65 |
5 224.60 |
2009年11月19日-22日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(キッチナー) | 2 75.30 |
1 155.01 |
2 231.31 |
2009年11月5日-8日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(長野) | 4 78.18 |
4 136.11 |
4 214.29 |
2009年10月8日-11日 | 2009年フィンランディア杯(ヴァンター) | 1 83.23 |
2 141.02 |
1 224.25 |
2007-2008 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2008年4月20日-日 | 2008年ジャパンオープン(さいたま) | - | 4 127.23 |
1 団体 |
2008年3月17日-23日 | 2008年世界フィギュアスケート選手権(ヨーテボリ) | 3 80.40 |
6 139.71 |
4 220.11 |
2008年2月11日-17日 | 2008年四大陸フィギュアスケート選手権(高陽) | 1 88.57 |
1 175.84 |
1 264.41 |
2007年12月26日-28日 | 第76回全日本フィギュアスケート選手権(大阪) | 1 85.43 |
1 169.15 |
1 254.58 |
2007年12月13日-16日 | 2007/2008 ISUグランプリファイナル(トリノ) | 1 84.20 |
2 154.74 |
2 238.94 |
2007年11月29日-12月2日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(仙台) | 2 77.89 |
1 156.33 |
1 234.22 |
2007年10月25日-28日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(レディング) | 1 80.04 |
2 148.93 |
1 228.97 |

2006-2007 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2007年3月20日-25日 | 2007年世界フィギュアスケート選手権(東京) | 3 74.51 |
1 163.44 |
2 237.95 |
2007年1月17日-27日 | ユニバーシアード冬季競技大会(トリノ) | 1 78.90 |
1 161.58 |
1 240.61 |
2006年12月27日-29日 | 第75回全日本フィギュアスケート選手権(名古屋) | 1 85.55 |
1 170.53 |
1 256.08 |
2006年12月14日-17日 | 2006/2007 ISUグランプリファイナル(サンクトペテルブルク) | 2 79.99 |
3 144.84 |
2 224.83 |
2006年11月30日-12月3日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(長野) | 1 84.44 |
1 163.49 |
1 247.93 |
2006年11月2日-5日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(ビクトリア) | 1 78.80 |
2 129.41 |
2 208.21 |
2005-2006 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2006年5月14日-日 | 2006年ジャパンオープン(さいたま) | - | 2 141.10 |
1 団体 |
2006年2月10日-26日 | トリノオリンピック(トリノ) | 5 73.77 |
9 131.12 |
8 204.89 |
2005年12月23日-25日 | 第74回全日本フィギュアスケート選手権(東京) | 2 74.52 |
1 148.60 |
1 223.12 |
2005年12月16日-18日 | 2005/2006 ISUグランプリファイナル(東京) | 3 74.60 |
3 137.92 |
3 212.52 |
2005年12月1日-4日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(大阪) | 1 77.70 |
3 127.60 |
3 205.30 |
2005年10月20日-23日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(アトランティックシティ) | 1 69.10 |
1 149.44 |
1 218.54 |
2004-2005 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|---|
2005年3月14日-20日 | 2005年世界フィギュアスケート選手権(モスクワ) | 12 30.13 |
7 72.18 |
18 108.04 |
15 210.35 |
2005年2月14日-20日 | 2005年四大陸フィギュアスケート選手権(江陵) | - | 3 68.46 |
2 123.83 |
3 192.29 |
2005年1月12日-22日 | ユニバーシアード冬季競技大会(インスブルック) | - | 2 | 1 | 1 |
2004年12月24日-26日 | 第73回全日本フィギュアスケート選手権(横浜) | - | 5 59.83 |
5 113.84 |
6 173.67 |
2004年11月18日-21日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | - | 3 64.16 |
11 71.54 |
11 135.70 |
2003-2004 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|---|
2004年3月22日-28日 | 2004年世界フィギュアスケート選手権(ドルトムント) | 7 | 11 | 11 | 11 |
2004年1月19日-25日 | 2004年四大陸フィギュアスケート選手権(ハミルトン) | - | 9 | 4 | 6 |
2003年12月25日-26日 | 第72回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | - | 4 | 3 | 3 |
2003年11月13日-16日 | ISUグランプリシリーズ ラリック杯(パリ) | - | 2 71.31 |
5 123.31 |
5 194.62 |
2003年10月30日-11月3日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(ミシサガ) | - | 5 61.81 |
7 116.99 |
7 178.80 |
2002-2003 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2003年2月10日-16日 | 2003年四大陸フィギュアスケート選手権(北京) | 10 | 13 | 13 |
2002年12月19日-22日 | 第71回全日本フィギュアスケート選手権(京都) | 2 | 4 | 4 |
2002年11月28日-12月1日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(京都) | 10 | 7 | 8 |
2002年11月7日-10日 | ISUグランプリシリーズ ボフロスト杯(ゲルゼンキルヒェン) | 10 | 11 | 11 |
2001-2002 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|---|
2002年3月3日-10日 | 2002年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(ハーマル) | 1 | 1 | 2 | 1 |
2001年12月21日-23日 | 第70回全日本フィギュアスケート選手権(大阪) | - | 8 | 4 | 5 |
2001年12月13日-16日 | 2001/2002 ISUジュニアグランプリファイナル(ブレッド) | - | 3 | 5 | 4 |
2001年11月23日-24日 | 第70回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(東京) | - | 2 | 1 | 1 |
2001年11月15日-18日 | ISUジュニアグランプリ SBC杯(長野) | - | 3 | 1 | 1 |
2001年9月12日-15日 | ISUジュニアグランプリ ソフィア杯(ソフィア) | - | 1 | 2 | 2 |
2000-2001 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2001年2月22日-24日 | 2001年ムラドストトロフィー ジュニアクラス(ザグレブ) | 1 | 2 | 2 |
2000年11月25日-26日 | 第69回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(名古屋) | 4 | 4 | 4 |
2000年10月12日-15日 | ISUジュニアグランプリ ハルビン(ハルビン) | 13 | 7 | 9 |
2000年9月21日-24日 | ISUジュニアグランプリ ウクライナ記念(キエフ) | 7 | 8 | 8 |
1999-2000 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2000年3月23日-25日 | 2000年ムラドストトロフィー ジュニアクラス(ザグレブ) | 4 | 3 | 3 |
1999年12月10日-12日 | 第68回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(大阪) | 1 | 4 | 3 |
プログラム使用曲[編集]
シーズン | SP | FS | EX |
---|---|---|---|
2013-2014[66] | バイオリンのためのソナチネ 作曲:不明[57][67] 振付:宮本賢二 |
ビートルズ・メドレー イエスタデイ カム・トゥゲザー フレンズ・アンド・ラバーズ イン・マイ・ライフ ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード 作曲:レノン=マッカートニー、ジョージ・マーティン 振付:ローリー・ニコル |
タイム・トゥ・セイ・グッバイ ボーカル:アンドレア・ボチェッリ、サラ・ブライトマン ザ・ クライシス 映画『海の上のピアニスト』より 作曲:エンニオ・モリコーネ 振付:宮本賢二 ブエノスアイレスの春 作曲:アストル・ピアソラ 振付:宮本賢二 |
2012-2013[68] | 月光 作曲:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 振付:ニコライ・モロゾフ Rock'n'Roll Medley (Hard Times) Noble (Thin Man) Watts The Stroll by Lawson Haggart Rockin' Band Rudy's Rock by Bill Haley & The Comets 振付:阿部奈々美 |
歌劇『道化師』より 作曲:ルッジェーロ・レオンカヴァッロ 振付:シェイ=リーン・ボーン |
ブエノスアイレスの春 作曲:アストル・ピアソラ 振付:宮本賢二 スウィート 作曲:スヌープ・ドッグ 振付:宮本賢二 |
2011-2012[69] | イン・ザ・ガーデン・オブ・ソウルズ 作曲:Vas 振付:デヴィッド・ウィルソン |
ブルース・フォー・クルック 作曲:エディ・ルイス 振付:パスカーレ・カメレンゴ |
ザ・ クライシス 映画『海の上のピアニスト』より 作曲:エンニオ・モリコーネ 振付:宮本賢二 |
2010-2011[70] | ある恋の物語 エル・マンボ マンボNo.5 作曲:ペレス・プラード Batucada 作曲:DJ Dero 振付:シェイ=リーン・ボーン |
ブエノスアイレスの冬 作曲:アストル・ピアソラ 振付:パスカーレ・カメレンゴ |
ピアノによるアメリのワルツ 映画『アメリ』より 振付:ステファン・ランビエール |
2009-2010[71] | eye 作曲:coba 振付:宮本賢二 |
映画『道』より 作曲:ニーノ・ロータ 振付:パスカーレ・カメレンゴ |
Luv Letter by DJ OKAWARI 作曲:月野そら 振付:宮本賢二 |
2008-2009[72][73][74] | eye 作曲:coba 振付:宮本賢二 |
映画『道』より 作曲:ニーノ・ロータ 振付:パスカーレ・カメレンゴ Ocean Waves |
- |
2007-2008[75][74] | 白鳥の湖ヒップホップバージョン 作曲:ピョートル・チャイコフスキー 振付:ニコライ・モロゾフ |
ロミオとジュリエット 作曲:ピョートル・チャイコフスキー 振付:ニコライ・モロゾフ |
バチェラレット ボーカル:ビョーク 振付:宮本賢二 |
2006-2007[76][74] | ヴァイオリン協奏曲 作曲:ピョートル・チャイコフスキー 振付:ニコライ・モロゾフ |
ミュージカル『オペラ座の怪人』より 作曲:アンドルー・ロイド・ウェバー 振付:ニコライ・モロゾフ |
ロクサーヌのタンゴ 映画『ムーラン・ルージュ』より ボーカル:ユアン・マクレガー 振付:ニコライ・モロゾフ |
2005-2006[77][74] | ロクサーヌのタンゴ 映画『ムーラン・ルージュ』より by スティング 振付:ニコライ・モロゾフ |
ピアノ協奏曲第2番 作曲:セルゲイ・ラフマニノフ 振付:ニコライ・モロゾフ |
ノクターン 演奏:シークレット・ガーデン 振付:髙橋大輔 |
2004-2005[78][74] | Nyah 映画『ミッション:インポッシブル2』より 作曲:ハンス・ジマー 振付:タチアナ・タラソワ 剣の舞 |
アランフエス協奏曲 作曲:ホアキン・ロドリーゴ 振付:タチアナ・タラソワ |
ノクターン by シークレット・ガーデン |
2003-2004[78][74] | Nyah 映画『ミッション:インポッシブル2』より 作曲:ハンス・ジマー 振付:タチアナ・タラソワ |
パガニーニの主題による狂詩曲 作曲:セルゲイ・ラフマニノフ パガニーニの主題による変奏曲 振付:タチアナ・タラソワ |
砂漠のバラ by スティング |
2002-2003[74] | ヒーローズ・シンフォニー 作曲:フィリップ・グラス 振付:リー=アン・ミラー |
映画『スター・ウォーズ エピソード2』より 作曲:ジョン・ウィリアムズ 振付:リー=アン・ミラー |
- |
2001-2002[74] | ミュージカル『ウエストサイド物語』より 作曲:レナード・バーンスタイン 振付:ロバート・ダウ |
ヴァイオリン協奏曲第1番 作曲:マックス・ブルッフ 振付:ロバート・ダウ |
- |
表彰歴[編集]
- 2001年
- 日本オリンピック委員会・JOCスポーツ賞 新人賞
- 2003年
- 文部科学省・国際競技大会優秀者表彰
- 2005年
- 文部科学省・国際競技大会優秀者表彰
- 2006年
- 倉敷市スポーツ栄誉賞
- 2007年
- 文部科学省・国際競技大会優秀者表彰
- 日本オリンピック委員会・JOCスポーツ賞 特別功労賞
- 上月スポーツ賞
- 2010年
- 2014年
- 岡山県スポーツ特別顕賞
- 倉敷市市長特別賞
- 倉敷市スポーツ特別功労章
- 2015年
- 第49回テレビ朝日ビッグスポーツ賞 フィギュアプロジェクト賞
- 第26回日本ジュエリーベストドレッサー賞 特別賞
主な出演[編集]
テレビ番組[編集]
- NEWS ZERO(2016年4月 - 2018年3月、日本テレビ) - 月1回出演 - キャスター [79]
- リオデジャネイロオリンピック(2016年、フジテレビ) - オリンピアンキャスター(中継キャスター) [80]
- ぼくらはマンガで強くなった〜SPORTS×MANGA〜(2017年11月 - 2018年3月、NHK BS1) - MC [81]
- 平昌オリンピック(2018年、フジテレビ) - オリンピアンキャスター(中継キャスター)
CM・広報[編集]
- AIU保険会社(2006年)
- 大塚製薬・オロナミンC「外回り?篇」(2007年3月 - 、上戸彩と共演)
- エステティックTBC「TRUE BEAUTY篇」(2007年12月 - 、谷亮子、北島康介、柴田亜衣、末續慎吾、浜口京子と共演)
- アサヒビール「私の挑戦・髙橋大輔篇」(2010年 - )
- アサヒビール「夢への挑戦篇」(2010年 - 、上村愛子、皆川賢太郎と共演)
- アサヒビール「明日へつづく挑戦篇」(同上)
- 日本郵政グループ・ゆうパック(2010年7月 - )
- アサヒビール「ともに 明日へ編」(2011年4月 - 、荒川静香、室伏広治、内藤大助、福原愛、太田雄貴、吉田沙保里と共演)
- アサヒ オフ(2011年4月 - 、佐藤隆太と共演)
- 木下工務店「記者会見篇」(2011年12月 - )
- 木下工務店「家がスケートリンク篇」(2013年9月 - )
- 日本生命(2013年11月 - )
- 木下工務店「練習篇」(2013年12月 - )
- 味の素「アミノバイタル」
- P&G「ママの公式スポンサー」キャンペーン(2013年12月 - 、羽生結弦と共演)
- ジョンソン・エンド・ジョンソン「リステリン 21日間チャレンジ編」(2015年3月 - )
- 思い出のマーニーBlue-ray&DVD発売記念特別コラボ(2015年3月 - )
- 岡山県広報アニメ『みんなのおかやま犬』(2016年) - 本人 役 ※ 声の出演 [82]
- 日本コカ・コーラ 「平昌2018冬季オリンピックキャンペーン 夢の舞台」篇(2018年1月 - 、綾瀬はるかと共演) - コーチ役 [83]
舞台[編集]
- 木下グループ presents「LOVE ON THE FLOOR」(2016年6月 - 7月、東急シアターオーブ) - ゲストダンサー [84]
- 木下グループ presents「LOVE ON THE FLOOR 2017」(2017年6月、東急シアターオーブ) - 主演ダンサー [85]
出版物[編集]
書籍[編集]
- ボクらの時代 自分を「美しく」見せる技術(藤原竜也、中村勘太郎との共著。扶桑社、2008年8月1日) ISBN 9784594057275
- be SOUL(祥伝社、2010年1月27日) ISBN 9784396430306
- 高橋大輔 OFFICIAL BOOK 200days バンクーバーまでの闘い(祥伝社、2010年4月27日) ISBN 9784396430351
- STEP!STEP!STEP! 高橋大輔―フィギュアスケートを行く(日本経済新聞出版社、2011年2月25日) ISBN 9784532195786
- SOUL Up(祥伝社、2011年6月30日) ISBN 9784396430436
- SOUL Up Exhibition(祥伝社、2011年6月30日) ISBN 9784396430443
- それでも前を向くために be SOUL 2 (祥伝社、2013年10月31日) ISBN 9784396430603
- 2000days―-過ごした日々が僕を進ませる (祥伝社、2015年1月9日) ISBN 9784396450038
CD[編集]
- 高橋大輔 ~フェイヴァリット・ミュージック~(ポニーキャニオン、2010年2月3日)
- Daisuke Takahashi 2010-2011 season(ポニーキャニオン、2011年1月7日)
DVD[編集]
- 高橋大輔(ポニーキャニオン、2010年2月3日)
- 高橋大輔 Plus(ポニーキャニオン、2011年1月7日)
- 高橋大輔×サムライ魂 ~天才たちの化学反応~(アニプレックス、2012年9月26日)
- 高橋大輔 D1SK(ポニーキャニオン、2014年1月29日)
- 誰も知らない高橋大輔(ポニーキャニオン、2014年11月12日)
- 高橋大輔 The Real Athlete(ポニーキャニオン、2015年8月19日)
ブルーレイ[編集]
- 高橋大輔 Anthology(ポニーキャニオン、2015年4月29日)
- 高橋大輔 The Real Athlete(ポニーキャニオン、2015年8月19日)
脚注[編集]
- ^ a b “Daisuke TAKAHASHI” (英語). ISU (2014年7月27日). 2016年2月1日閲覧。
- ^ 『Cutting Edge 2008 日本男子フィギュアスケートオフィシャルファンブック』DAI-X出版、2007年12月、p.15
- ^ 『Cu tting Edge 2007 日本男子フィギュアスケートオフィシャルファンブック』DAI-X出版、2007年1月、p.86
- ^ “超問クイズ!真実か?ウソか?|2015/01/06(火)放送”. TVでた蔵. ワイヤーアクション. 2015年1月7日閲覧。
- ^ 高橋大輔「フィギュアスケートとスポーツビジネス」(2007年度卒業論文抄録集)(『身体運動文化フォーラム』第3号、173頁(2008年3月、関西大学身体運動文化学会)所収)。髙橋大輔バンクーバー五輪 日本代表選手団プロフィール 2010年2月20日閲覧。
- ^ 2010年3位「第4回好きなスポーツ選手」、イチロー&真央が2連覇 ~サッカーW杯メンバーも急浮上
- ^ 2011年6位『第5回好きなスポーツ選手』イチロー&真央が3連覇 ~サッカー人気が如実に
- ^ 2012年9位2012年 好きなスポーツ選手ランキング
- ^ 2013年好きなスポーツ選手ランキング2013年8位
- ^ 2014年 好きなスポーツ選手ランキング2014年8位
- ^ “「大ちゃんはチャンプ」広島青山がエール”. ニッカンスポーツ (2014年2月14日). 2014年2月22日閲覧。
- ^ フィギュア高橋大輔 引退の意向固める Archived 2014年10月14日, at the Wayback Machine.『NHK web news』2014年10月14日
- ^ a b c d e 日本男子フィギュアスケートFanBook CuttingEdge2014より
- ^ 岡崎真「岡崎真のゼロからおぼえる新採点講座 第3回」『フィギュアスケートDays vol.3』DAI-X出版、2007年5月、pp.84-85
- ^ a b 田村明子著『パーフェクトプログラム 日本フィギュアスケート史上最大の挑戦』新潮社、2010年3月、p. 108
- ^ 『氷上のアーティストたち』p.140
- ^ またジャンプの技術も高く、シニアに上がった頃から4回転ジャンプを得意としていた[要出典]。2011年の公式練習では前人未到の4回転フリップを試みた。バンクーバーオリンピックでは、共に4回転に挑んだ志の高さからエフゲニー・プルシェンコに「You are my hero.」と讃えられ固い握手を交わされた。 モロゾフは、髙橋のことを「頭ではなく、ハートで滑っている」「彼こそが、氷上のアーティスト」と評した。青嶋ひろの「振付師に聞く 第3回 ニコライ・モロゾフ」『フィギュアスケートDays vol.2』DAI-X出版、2007年3月、pp.100-102
- ^ 『誰も語らなかった 知って感じるフィギュアスケート観戦術』荒川静香、より
- ^ 『Cutting Edge 2008』p.7
- ^ 『日本経済新聞』2011年12月8日
- ^ バンクーバー五輪のフリー以降、フリップやルッツがエラーエッジ判定を受けていたが、2011/2012シーズンに矯正に成功している
- ^ 八木沼純子著『日本フィギュアスケート 氷上のアーティストたち』日本経済新聞社、2005年11月、p.140
- ^ 『Cutting Edge 日本男子フィギュアスケートオフィシャルファンブック』DAI-X出版、2005年12月、p.7
- ^ 『Cutting Edge』p.8
- ^ 城田憲子の「フィギュアの世界」~日本のメダリストのコーチたち~長光歌子編(2) Archived 2012年10月6日, at the Wayback Machine.(スポーツ報知 2011年10月6日)
- ^ 『Cutting Edge』p.4, 11、『氷上のアーティストたち』pp.145-148
- ^ 『Cutting Edge』p.6
- ^ 『COLORS』p.85
- ^ 『ワールドフィギュアスケート vol.21』より
- ^ 従来の最高位は1977年の佐野稔、2002年・2003年の本田武史の銅メダル
- ^ 「4回転論争」に思う、高橋大輔の存在 世界選手権 Archived 2014年2月22日, at the Wayback Machine.『Sportiva』2008年03月24日
- ^ モロゾフが再び高橋大輔の元に――。 衝撃のチーム再結成の真相とは?『Number web』2012年6月18日
- ^ 『朝日新聞』2012年6月15日
- ^ NIKKEI NETフィギュアの高橋大輔、靱帯断裂の疑い、共同通信配信記事
- ^ a b 『パーフェクトプログラム』p. 109
- ^ 「皆様へ」 Archived 2008年12月18日, at the Wayback Machine.『 - 高橋大輔からのメッセージ』2008年11月18日更新
- ^ 青嶋ひろの「試合を見て、まず感じたのはその場に居られない悔しさ」『PASSION 2009 フィギュアスケート男子シングルフォトブック』双葉社、2009年2月、pp.8-10
- ^ 高橋大今季絶望 右膝手術へ『朝日新聞』2008年11月18日付朝刊、14版、17面
- ^ 高橋大輔がアイスショー出演へ負傷後初の演技披露『47news』2009年7月23日更新、28日閲覧
- ^ a b c 『パーフェクトプログラム』p. 110
- ^ 『朝日新聞 夕刊「be」』2010年6月28日
- ^ バンクーバー五輪・フリーのプロトコル
- ^ 高橋が銅メダル!日本男子初の快挙 - SANSPO.COM 2010年2月19日閲覧
- ^ 2010年世界選手権フリーの採点詳細
- ^ 『cutting edge 2010/2011』p56
- ^ 高橋4位に「脚にきていた」/フィギュア Archived 2010年12月15日, at the Wayback Machine.
- ^ 高橋「緊張感に負けたのかも」/フィギュア Archived 2010年12月28日, at the Wayback Machine.『産経スポーツ』2010.12.24 23:11
- ^ 『sportive』2011年4月29日
- ^ Takahashi s'entraîne à Lyon『sport.fr』2011年8月12日
- ^ 『聖教新聞』2011年11月16日発行、第9面より
- ^ 高橋大輔のコーチ陣にモロゾフ氏 Archived 2012年6月28日, at the Wayback Machine.『産経ニュース』2012年6月16日
- ^ 髙橋大輔選手「グランプリファイナル」欠場について
- ^ “【フィギュア】大輔、流血5位 涙で「たぶん最後の演技」”. スポーツ報知. (2013年12月23日). オリジナルの2013年12月28日時点によるアーカイブ。 2014年2月6日閲覧。
- ^ “フィギュア:涙の高橋大輔に一転、歓喜の知らせ”. 毎日新聞. (2013年12月24日). オリジナルの2014年2月2日時点によるアーカイブ。 2014年2月6日閲覧。
- ^ “フィギュア:高橋、満場一致で五輪選出 小塚と比較”. 毎日新聞. (2013年12月24日). オリジナルの2014年2月5日時点によるアーカイブ。 2014年2月6日閲覧。
- ^ “佐村河内さんの曲は別人の作 聴力失った作曲家、広島市出身の被爆2世”. MSN産経ニュース. (2014年2月5日). オリジナルの2014年2月5日時点によるアーカイブ。 2014年2月5日閲覧。
- ^ a b 高橋大輔SP曲の作曲者名削除 日刊スポーツ 2014年2月8日
- ^ 週刊文春 2月13日号
- ^ 高橋大輔ソチ入り、佐村河内問題に苦笑デイリースポーツ 2014年2月9日
- ^ 高橋大輔、日本のエース完全燃焼 ソチ五輪男子フィギュア6位 Archived 2014年3月4日, at the Wayback Machine.山陽新聞 2014年2月15日
- ^ このまま引退か…高橋大輔 世界選手権欠場スポニチ 2014年3月4日
- ^ 高橋大輔、1年休養を明言「今後について考えたい」
- ^ 高橋大輔が引退表明「次の目標に進んでいきたいと決めました」スポニチ 2014年10月14日
- ^ “高橋大輔氏、フジ“フィギュア中継の顔”に 来季ナビゲーターに決定”. ORICON STYLE (2016年3月9日). 2016年3月9日閲覧。
- ^ 東日本大震災の影響に伴い中止。
- ^ やりがいのあるビートルズ・メドレー 髙橋大輔
- ^ ソチ・オリンピック以前の大会では佐村河内守の作曲とされていた。
- ^ ISUによるバイオグラフィーより
- ^ ISUによるバイオグラフィーより
- ^ ISUによるバイオグラフィーより
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- ^ 『フィギュアスケートDays Plus 2008-2009男子シングル読本』ダイエックス出版、2008年9月、p.8, p.13
- ^ 『ワールド・フィギュアスケート 35』新書館、2008年12月、p.83
- ^ a b c d e f g h 「プログラムヒストリー」『PASSION 2009 フィギュアスケート男子シングルフォトブック』双葉社、2009年2月、p.13
- ^ 『男子シングル読本』p.16
- ^ 『Cutting Edge 2007』p.85
- ^ 『Cutting Edge』p.89
- ^ a b 『男子シングル読本』p.13
- ^ “高橋大輔:4月から「ZERO」“月イチ”キャスターに 一流エンタメの裏側を取材”. MANTAN.WEB (2016年3月10日). 2016年3月10日閲覧。
- ^ “フジ五輪キャスターに柔道・野村氏、フィギュア・高橋氏、シンクロ・小谷氏”. スポーツ報知. (2016年3月18日). オリジナルの2016年3月20日時点によるアーカイブ。 2016年3月18日閲覧。
- ^ “テレビ番組初司会 髙橋大輔が“スポーツ × マンガ”を語る!”. NHK. (2017年11月1日) 2018年1月23日閲覧。
- ^ “高橋大輔が声優初挑戦 地元・岡山県をPR”. ORICON STYLE. (2016年12月22日) 2016年12月22日閲覧。
- ^ “綾瀬はるか、フィギュアスケートで華麗に舞う!? 新CMで高橋大輔と共演”. @nifty news. (2018年1月9日) 2018年1月23日閲覧。
- ^ “高橋大輔がシアターオーブの舞台に「LOVE ON THE FLOOR」でダンサーと競演”. ステージナタリー (2016年2月18日). 2016年2月18日閲覧。
- ^ “新たな追加シーンも!高橋大輔が魅せる「LOVE ON THE FLOOR」本日より”. ステージナタリー (2017年6月16日). 2018年1月23日閲覧。
注釈[編集]
- ^ モロゾフの織田へのコーチ就任は高橋には寝耳に水だった。二人は相談した結果、「ライバルの織田と同じコーチではできない」として契約を解消するに至った。なお、モロゾフはこの契約の1年以上前から織田にオファーを出し続けていた。その後、モロゾフは高橋のエージェントに不満があったことが原因だと主張し、「高橋は自分よりもエージェントを選び、織田を受け入れたときにはすでに関係は切れていた」と、世界中のメディアに繰り返し主張、「自分なしではダイスケはどこにも行けない」とも発言していた。だが、2011-2012シーズン終了後にモロゾフが高橋にコーチ就任をオファーし、再契約するに至った。当時を振り返り高橋は「当時の自分は、あの状況を受け入れる器量がなかった」とコメントし、モロゾフは「4年前のことは申し訳なく思っていた。彼はフィギュア史に残る選手。自分の全てを注いで、彼の五輪メダル獲得に協力したい」とコメントしている[32][33]。
外部リンク[編集]
- 高橋大輔オフィシャルサイト
- 国際スケート連盟による髙橋大輔のバイオグラフィー (英語)
- 高橋大輔からのメッセージ|関西大学・アイススケート部
- 高橋大輔 (@D1sk61316) - Twitter
- 高橋大輔 - バイオグラフィーとオリンピックでの成績(Sports Reference)(英語)
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