ステファン・ランビエール

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Pix.gif ステファン・ランビエール
Stephane LAMBIEL
Figure skating pictogram.svg
Lambiel at the 2010 European Championships.jpg
2010年欧州選手権の表彰式にて
基本情報
代表国: スイスの旗 スイス
生年月日: 1985年4月2日(30歳)
出生地: スイス マルティニ
身長: 177 cm
体重: 61 kg
コーチ: ピーター・グルッター [1]
元コーチ: ヴィクトール・ペトレンコ (2009)[1]
振付師: サロメ・ブルナー[2]
アントニオ・ナハロ
所属クラブ: クラブ・デ・パティナール・デ・ジュネーヴ[3]
引退: 2008年10月、2010年3月
ISU パーソナルベストスコア
トータルスコア: 246.72 2010 バンクーバー五輪
ショートプログラム: 84.63 2010 バンクーバー五輪
フリースケーティング: 162.09 2010 バンクーバー五輪
 
獲得メダル
フィギュアスケート
オリンピック
Olympic rings with transparent rims.svg
2006 トリノ 男子シングル
世界選手権
2005 モスクワ 男子シングル
2006 カルガリー 男子シングル
2007 東京 男子シングル
欧州選手権
2006 リヨン 男子シングル
2008 ザグレブ 男子シングル
2010 タリン 男子シングル
グランプリファイナル
2005 東京 男子シングル
2007 トリノ 男子シングル

ステファン・ランビエールフランス語: Stéphane Lambiel1985年4月2日[2] - )は、スイスフィギュアスケート選手(男子シングル)。2006年トリノオリンピック銀メダリスト。2005年2006年世界選手権優勝、2010年バンクーバーオリンピック4位。

人物[編集]

スイスのマルティニに生まれ、サクソンで幼少期を過ごす。みんなが顔見知りの小さな村から、いつも50人ほどのカウベルを持った応援団がランビエールの試合に駆けつけていたという[4][5]

家族はアルプス生まれの父、ポルトガル出身の母[6]、3歳上の姉、4歳下の弟。フランス語ドイツ語スイスドイツ語ではない)、英語ポルトガル語を流暢に話し、さらに現在はイタリア語日本語を学んでいる。2004年に聖モーリスカレッジで生物学化学のマチュリテ(大学入学資格-高等教育修了証)を得ているが、フィギュアスケートに専念するため大学進学は見送っている。ジュネーヴローザンヌを練習拠点とし、夏にスイスのリンクが閉まっている間はドイツで練習していた。

スピンと芸術面での評価が高い選手であった[3][7][8]。とりわけスピンはメディアからたびたび「世界一」と評され、彼の代名詞として用いられた[9][10]。男子シングル史上初めて演技構成点で9点台をマークした選手である(バンクーバー五輪のショートプログラム[11]

ジャンプでは4回転トウループスリーターンから入る3回転ループジャンプを得意としていた。演技後半にも4回転を跳び、また、4回転からの3連続コンビネーションにも幾度か成功している。一方、3回転アクセルを大の苦手としていた。

経歴[編集]

ジュニア[編集]

7歳の時、先にスケートをしていた3歳年上の姉と一緒にリンクへ連れて行かれ、芸術性に魅せられてスケートを始める[4]。その数年後、コーチのピーター・グルッターと振付師のサロメ・ブルナーに出会う。11歳でスイスノービスチャンピオンとなり、ローザンヌで開催された1997年世界選手権のエキシビションに出演した。1997-1998シーズンからジュニアクラスに上がり、スイス選手権ジュニアクラスを2連覇。2種類の3回転-3回転コンビネーションジャンプとスピンに力をいれ、2001年世界ジュニア選手権では5位に入賞した。

シニア[編集]

2000-2001シーズンからはシニアクラスに参戦し、スイス選手権初優勝(以降、2008年大会まで8連覇)。翌2001-2002シーズン、欧州選手権での4位入賞を評価され、ソルトレイクシティオリンピック世界選手権への出場権を獲得する。だが2002年のソルトレイクシティ五輪では総合15位、続く世界選手権も18位に終わった。

2002-2003シーズンからプログラムに4回転ジャンプと3回転アクセルを積極的に取り入れるようになる。2003-2004シーズンには膝の手術のため2ヶ月の休養に入るが、復帰後に方向性を見失ってスランプに陥る。この時にコーチをセドリック・モノドに変えたがうまくいかず、グルッターとブルナーのもとに戻った[6]世界選手権ではフリースケーティングに2度の4回転を取り入れて4位入賞を果たす。翌世界選手権では、予選からフリーまで大会を通じて5度の4回転ジャンプを成功させ、スイスの男子シングル選手として58年ぶりの世界チャンピオンになった。

2005-2006シーズン、グランプリファイナル初優勝、欧州選手権2位と活躍を見せた。2006年のトリノオリンピック直前には膝を怪我していた[5]が、そのトリノ五輪男子シングル本番では、ショートプログラムで3位発進。フリーでは4回転トウループ-3回転トウループ-2回転ループのジャンプを成功させるも、細かなミスも有って4位だったが、総合で2位入賞を果たし銀メダルを獲得(金メダル獲得はロシアエフゲニー・プルシェンコ)。五輪で2位の表彰台に登ったランビエールは感極まって男泣きしていた。続く世界選手権ではスイス選手では初めてとなる2連覇を達成した。

2006-2007シーズンは、オリンピックでの銀メダル獲得や世界選手権を2連覇したことから競技に対する情熱を失ってしまい[12]、アイスショー「アート・オン・アイス」に出場するなど、将来への模索があったという。グランプリシリーズスケートカナダではショートプログラム7位から逆転優勝したが、NHK杯はウイルス性の風邪で棄権[5]。スイス選手権7連覇を果たしたが、1月に入ってから「内なる炎がなくなった」として欧州選手権を棄権した[12][13]。その後、ショーで観客の声援を受けたことで世界選手権を決意し[13]、銅メダルを獲得。2007年以降も競技会続行する意志を表明した。この試合で競技用プログラムとして初披露されたアントニオ・ナハーロ振り付けのフリープログラムの「ポエタ」は代表作となり、その後エキシビションやアイスショーで何度も滑っている。

2007-2008シーズン、グランプリシリーズ中国杯ロシア杯では、技術的にはやや精彩を欠きながらも演技構成点では高評価を得て表彰台には上がり続け、グランプリファイナルではショートプログラム2位から逆転優勝、欧州選手権も2位となったが、世界選手権では精彩を欠き5位、3シーズンぶりの台落ちとなった。練習環境の改善を求めて、長年師事してきたピーター・グルッターを離れ、アメリカニュージャージー州ウェインでヴィクトール・ペトレンコの指導を受け始める[1]。しかし、2008年世界選手権中に痛めた左足内転筋[14][15]の回復が思わしくなく、満足に練習できないとして10月に引退を表明[16]。プロスケーターとして活躍する傍ら、コロンビアの貧しい子供達のために家と学校を建てようというNGO「Moi pour Toit」の活動にも尽力している。

2009年7月25日に公式HPにおいて引退の原因となっていた左足内転筋の痛みが治療によって緩和されたため、翌2010年のバンクーバーオリンピックの出場を目指して競技会に復帰することを表明[17]、コーチもグルッターに戻した。オリンピックの出場権獲得のためにネーベルホルン杯に出場し優勝[18]、スイス選手権も制し、欧州選手権では2位となった。バンクーバー五輪男子シングルではSP5位・FS3位ながら共にパーソナルベストを更新したものの、銅メダルを獲得した日本代表の高橋大輔に僅か0.51点及ばず、総合4位入賞に留まり惜しくも二大会五輪メダル獲得はならなかった。

引退後[編集]

2010年3月、再び引退を表明[19]。 再引退後すぐに米ABCで放映されたスペシャル番組『Thin Ice』(有名スケーターが男女でペアを組み、対戦するという内容[20])では荒川静香とペアを組んで[21]総合3位となったが、視聴者投票では1位、と好評を得た[22]。また、振り付け師としての活動も開始した。2010/2011シーズンの高橋大輔のエキシビション「アメリ」の振り付けを担当。

主な戦績[編集]

大会/年 97-98 98-99 99-00 00-01 01-02 02-03 03-04 04-05 05-06 06-07 07-08 09-10
冬季オリンピック 15 2 4
世界選手権 18 10 4 1 1 3 5
欧州選手権 9 4 5 6 4 2 2 2
スイス選手権 1 J 1 J 1 1 1 1 1 1 1 1 1
GPファイナル 1 1
GPロシア杯 5 2 2
GP中国杯 2 3
GPスケートカナダ 1
GPラリック杯 6
ネーベルホルン杯 1
ネペラ記念 1
フィンランディア杯 11
世界Jr.選手権 10 5
JGPサン・ジェルヴェ 8 9
JGPメキシコ 2
JGPSBC杯 3
JGPピルエッテン 7
JGP中国 8
トリグラフトロフィー 3 N

詳細[編集]

2009-2010 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2010年2月12日-28日 バンクーバーオリンピックバンクーバー 5
84.63
3
162.09
4
246.72
2010年1月18日-24日 2010年ヨーロッパフィギュアスケート選手権タリン 5
77.75
2
160.79
2
238.54
2009年12月11日-12日 スイスフィギュアスケート選手権ルガーノ 1
83.91
1
160.32
1
244.23
2009年10月3日-日 2009年ジャパンオープンさいたま - 1
150.52
1
団体
2009年9月24日-27日 2009年ネーベルホルン杯オーベルストドルフ 1
77.45
1
154.91
1
232.36


2007-2008 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2008年4月20日-日 2008年ジャパンオープンさいたま - 2
146.49
2
団体
2008年3月17日-23日 2008年世界フィギュアスケート選手権ヨーテボリ 5
79.12
7
138.76
5
217.88
2008年1月21日-27日 2008年ヨーロッパフィギュアスケート選手権ザグレブ 3
71.78
2
153.46
2
225,24
2007年12月13日-16日 2007/2008 ISUグランプリファイナルトリノ 2
83.80
1
155.30
1
239.10
2007年12月7日-8日 スイスフィギュアスケート選手権ヴィンタートゥール 1
76.84
1
132.71
1
209.55
2007年11月22日-25日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯モスクワ 1
80.49
2
138.35
2
218.84
2007年11月7日-11日 ISUグランプリシリーズ 中国杯ハルビン 3
70.20
3
122.02
3
192.22


2006-2007 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2007年3月19日-25日 2007年世界フィギュアスケート選手権東京 6
72.70
2
160.65
3
233.35
2006年12月7日-9日 スイスフィギュアスケート選手権ジュネーヴ 1
74.82
1
132.13
1
206.95
2006年11月2日-5日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダビクトリア 7
64.45
1
146.25
1
210.70


2005-2006 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2006年5月14日-日 2006年ジャパンオープンさいたま - - - 1
団体
2006年3月19日-26日 2006年世界フィギュアスケート選手権カルガリー 1
40.23
4
77.41
1
156.58
1
274.22
2006年2月10日-26日 トリノオリンピックトリノ - 3
79.04
4
152.17
2
231.21
2006年1月16日-22日 2006年ヨーロッパフィギュアスケート選手権リヨン - 3
74.73
2
154.14
2
228.87
2005年12月16日-18日 2005/2006 ISUグランプリファイナル東京 - 1
80.60
1
141.07
1
230.10
2005年12月9日-10日 スイスフィギュアスケート選手権ビアスカ - 1
85.93
1
141.35
1
227.00
2005年11月24日-27日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯サンクトペテルブルク - 2
78.35
2
147.20
2
225.55
2005年11月3日-6日 ISUグランプリシリーズ 中国杯北京 - 3
70.20
2
133.40
2
203.60


2004-2005 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2005年3月14日-20日 2005年世界フィギュアスケート選手権モスクワ 1
38.00
1
80.28
1
144.18
1
224.46
2005年1月25日-30日 2005年ヨーロッパフィギュアスケート選手権トリノ - 3
69.97
7
126.50
4
196.47


2003-2004 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2004年3月22日-28日 2004年世界フィギュアスケート選手権ドルトムント 3 6 4 4
2004年2月2日-8日 2004年ヨーロッパフィギュアスケート選手権ブダペスト 4 12 5 6
2003年11月20日-23日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯モスクワ - 6
62.00
3
136.01
5
198.01


2002-2003 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2003年3月24日-30日 2003年世界フィギュアスケート選手権ワシントンD.C. 3 16 10 10
2003年1月20日-26日 2003年ヨーロッパフィギュアスケート選手権マルメ - 6 5 5
2002年9月26日-29日 2002年オンドレイネペラメモリアルブラチスラヴァ - 1 1 1


2001-2002 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2002年3月16日-24日 2002年世界フィギュアスケート選手権長野 6 18 17 18
2002年2月9日-21日 ソルトレイクシティオリンピックソルトレイクシティ - 16 16 15
2002年1月14日-19日 2002年ヨーロッパフィギュアスケート選手権ローザンヌ 4 6 4 4
2001年11月14日-18日 ISUグランプリシリーズ ラリック杯パリ - 7 5 6
2001年10月5日-7日 2001年フィンランディア杯ヘルシンキ - 14 10 11


2000-2001 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2001年2月26日-3月2日 2001年世界ジュニアフィギュアスケート選手権ソフィア 4 3 7 5
2001年1月22日-27日 2001年ヨーロッパフィギュアスケート選手権ブラチスラヴァ 5 7 9 9
2000年9月14日-17日 ISUジュニアグランプリ メキシコ杯メキシコシティ - 3 2 2
2000年8月23日-26日 ISUジュニアグランプリ サンジェルヴェサン・ジェルヴェ - 7 9 9


1999-2000 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2000年3月5日-12日 2000年世界ジュニアフィギュアスケート選手権オーベルストドルフ 9 8 11 10
1999年11月19日-21日 ISUジュニアグランプリ SBC杯長野 - 3 3 3
1999年11月11日-14日 ISUジュニアグランプリ ピルエッテンハーマル - 11 4 7


1998-1999 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
1998年10月20日-25日 ISUジュニアグランプリ 中国北京 8 8 8
1998年8月19日-22日 ISUジュニアグランプリ サン・ジェルヴェサン・ジェルヴェ 8 7 8


プログラム[編集]

シーズン SP FS EX
2009-2010[23] ウィリアム・テル序曲
作曲:ジョアキーノ・ロッシーニ
椿姫
作曲:ジュゼッペ・ヴェルディ
ブエノスアイレスの秋
作曲:アストル・ピアソラ
In Your Eyes
ボーカル:アナスタシア
行かないで
ボーカル:ジャック・ブレル
2008-2009[24] サマータイム
作曲:ジョージ・ガーシュウィン
ブエノスアイレスの秋
作曲:アストル・ピアソラ
Tainted Love
ボーカル:ポール・ヤング
Freak like me
ボーカル:シュガーベイブス
映画『ロミオとジュリエット』より
作曲:ニーノ・ロータ
2007-2008[24] カルネ・クルーダ
演奏:ヌエボ・タンゴ・アンサンブル
ポエタ
作曲:ビセンテ・アミーゴ
振付:アントニオ・ナハロ
映画『ロミオとジュリエット』より
作曲:ニーノ・ロータ
Gimme Sexy Back
ボーカル:ブリトニー・スピアーズジャスティン・ティンバーレイク
Father and Son
ボーカル:ローナン・キーティング
2006-2007[24] 映画『ブラッド・ダイヤモンド』より
作曲:ジェームズ・ニュートン・ハワード
Geissel Drama
作曲:クリスティーネ・ラウテンブルク
ポエタ
作曲:ビセンテ・アミーゴ
振付:アントニオ・ナハロ

四季
作曲:アントニオ・ヴィヴァルディ
演奏:ナイジェル・ケネディ
振付:サロメ・ブルナー
ステイン・アライヴ
曲:ビージーズ
ニュー・シューズ
曲:パオロ・ヌティーニ
フィックス・ユー
曲:コールドプレイ
2005-2006[24][25] ドラリオン[26]
シルク・ドゥ・ソレイユより
マラゲーニャ 映画『レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード』より
作曲:ロバート・ロドリゲス
四季
作曲:アントニオ・ヴィヴァルディ
演奏:ナイジェル・ケネディ
振付:サロメ・ブルナー
フィックス・ユー
曲:コールドプレイ
振付:サロメ・ブルナー

If I hadn't got you
曲:リサ・スタンスフィールド
ユア・ビューティフル
ボーカル:ジェームス・ブラント
I don't wanna be
曲:ギャヴィン・デグロウ
2004-2005[24] スパニッシュ・キャラバン
作曲:ジョージ・ウィンストン
映画『キング・アーサー』より
作曲:ハンス・ジマー
映画『トゥルーマン・ショー』より
作曲:フィリップ・グラス、ブルクハルト・ダルウィッツ
Oceania
ボーカル:ビョーク
ビリー・ジーン
ボーカル:マイケル・ジャクソン
Killer
ボーカル:シール
歌劇『トスカ』より
作曲:ジャコモ・プッチーニ
2003-2004[24] ジョニーがいなくてがっかり
演奏:ヴァネッサ・メイ
ジプシーダンス
演奏:エドウィン・マートン
Zabuca
演奏:ヨハネス・リンステッド
Loving Paris
作曲:デビッド・ヴィザン
Take the Long Way Home
曲:スーパートランプ
2002-2003 Laissez-moi me griser
作曲:モーリス・エル・メディオニ
映画「ショコラ」より
作曲:レイチェル・ポートマン
Magic Stradivarius
演奏:エドウィン・マートン
La vie fait ce qu'elle veut
ボーカル:ジュリー・ゼナッティ
2001-2002 Vuelvo Al Sur
演奏:Gotan Project
キダム 『シルク・ドゥ・ソレイユ』より アルバム『Born』より
演奏:ボンド
2000-2001 ラ・クンパルシータ
演奏:ザビア・クガート
トリトン
作曲:ジョセフ・ラカイユ
1999-2000

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 『フィギュアスケートDays Plus 2008-2009男子シングル読本』ダイエックス出版、2008年9月、p.62
  2. ^ a b 『フィギュアスケート選手名鑑 2006』新書館、2005年12月、p.100
  3. ^ a b 斎藤貴子編『COLORS フィギュアスケート男子シングルフォトブック』あおば出版、2006年2月、p.46
  4. ^ a b 『COLORS』p.43
  5. ^ a b c 小坂有紀編『COLORS 2007 フィギュアスケート男子読本』あおば出版、2007年3月、pp.20-21
  6. ^ a b 『COLORS』p.45
  7. ^ 「ランビエールがけがで引退表明」『swissinfo.ch』、2008年10月16日更新、2009年4月16日閲覧
  8. ^ [1]『Der Bund』2007年8月9日16面
  9. ^ 『ワールドフィギュアスケート』2010年3月号
  10. ^ 『International Figure Skating』2010.3
  11. ^ [2]
  12. ^ a b 「ランビエール大会3連覇に向け意気込みを語る」『AFp BB news』、2007年3月19日更新、2009年4月16閲覧
  13. ^ a b 斎藤貴子編『フィギュアスケート07-08シーズンフラッシュバック』実業之日本社、2008年3月、p.43
  14. ^ 『男子シングル読本』p.61
  15. ^ 『ワールド・フィギュアスケート 35』新書館、2008年12月、p.64
  16. ^ 『ワールド・フィギュアスケート 35』新書館、2008年12月、p.82
  17. ^ http://www.stephanelambiel.ch/upload/media/lambiel_pr_090725_en.pdf
  18. ^ http://www.isuresults.com/events/cat00006778.htm
  19. ^ Lambiel se retire de la compétitionEurosport 2010年3月9日更新 2010年3月31日閲覧
  20. ^ "ABC's Thin Ice"
  21. ^ ランビエール、荒川静香と夢のペア出演『Swiss info.ch』2010年3月11日更新 2010年3月31日閲覧
  22. ^ Shizuka and Stéphane finished 3rdオフィシャルサイトのニュースページ 2010年3月24日更新 2010年3月31日閲覧 「視聴者投票1位だったのに何らかのシステムトラブルで、それが結果に反映されなかった。」
  23. ^ 国際スケート連盟によるステファン・ランビエールのバイオグラフィー
  24. ^ a b c d e f 『男子シングル読本』p.64
  25. ^ 『COLORS 2007』p.19, p.21
  26. ^ トリノオリンピック直前に『ドラリオン』に変更。(『COLORS 2007』p.17)

外部リンク[編集]