「安藤忠雄」の版間の差分
m →作品 |
|||
49行目: | 49行目: | ||
*[[2003年]] - 東京大学を定年退官して、東京大学[[名誉教授]]となる。 |
*[[2003年]] - 東京大学を定年退官して、東京大学[[名誉教授]]となる。 |
||
*[[2005年]] - 東京大学[[東京大学#特別栄誉教授|特別栄誉教授]]。 |
*[[2005年]] - 東京大学[[東京大学#特別栄誉教授|特別栄誉教授]]。 |
||
*[[2005年]] - 安藤忠雄文化財団を設立<ref>2015年7月、アルピニストの[[野口健]]が第一回安藤忠雄文化財団賞を受賞した。 [http://www.noguchi-ken.com/M/2015/07/post-689.html]</ref>。 |
|||
*[[2008年]] - [[大阪府]]政策アドバイザー(水都・都市景観分野) |
*[[2008年]] - [[大阪府]]政策アドバイザー(水都・都市景観分野) |
||
*[[2011年]] - [[東日本大震災復興構想会議]]議長代理。 |
*[[2011年]] - [[東日本大震災復興構想会議]]議長代理。 |
2015年9月4日 (金) 03:15時点における版
安藤忠雄 | |
---|---|
![]() 2004年撮影 | |
生誕 |
1941年9月13日(82歳)![]() |
国籍 |
![]() |
出身校 | 大阪府立城東工業高等学校 |
職業 | 建築家 |
受賞 |
日本建築学会賞(1979年) 毎日芸術賞(1987年) 日本芸術大賞(1994年) プリツカー賞(1995年) 高松宮殿下記念世界文化賞(1996年) 王立英国建築家協会RIBAゴールドメダル(1997年) アメリカ建築家協会AIAゴールドメダル(2002年) 文化功労者(2003年) 国際建築家連合UIAゴールドメダル(2005年) 文化勲章(2010年) ジョン・F・ケネディセンター芸術金賞(2010年) 第四回後藤新平賞(2010年) |
公式サイト |
www |
所属 | 安藤忠雄建築研究所 |
建築物 |
住吉の長屋 光の教会 地中美術館 |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4b/Ibaraki_Kasugaoka_Church_light_cross.jpg/300px-Ibaraki_Kasugaoka_Church_light_cross.jpg)
安藤 忠雄(あんどう ただお、1941年(昭和16年)9月13日 - )は、日本の建築家。 一級建築士(登録番号第79912号)。東京大学名誉教授。21世紀臨調特別顧問、東日本大震災復興構想会議議長代理、大阪府・大阪市特別顧問、新国立競技場 審査委員長。
略歴
大阪府大阪市港区生まれ、同市旭区出身。双子の兄で、さらに弟がいる三人兄弟である。双子の弟は東京で北山創造研究所(都市コンサルタント業/商品デザイン業)を主宰している北山孝雄。下の弟は建築家の北山孝二郎(ピーター・アイゼンマンとのコラボレーションで名を馳せた)。一人娘だった母親の実家を継ぐために、生前からの約束にしたがって大阪市旭区の祖父母安藤彦一・キクエの養子となる。大阪の下町にある間口2間、奥行き8間の長屋で育つ。
大阪府立城東工業高等学校卒業後に、前衛的な美術を志向する具体美術協会に興味を持ち、関わったこともあるが、大学での専門的な建築教育は受けておらず、関西の建築家・都市計画家の水谷頴介などの建築設計事務所でのアルバイト経験と独学で建築士試験に合格したという。
木工家具の製作で得た資金を手に、24歳の時から4年間アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジアへ放浪の旅に出る。ヨーロッパからの帰路、マルセイユで数週間待たされた後、帰国の船に乗り、象牙海岸、ケープタウン、マダガスカルに立ち寄り、インド・ムンバイ(当時のボンベイ)で下船する。安藤は”何かに導かれるように”汽車に乗り、ベナレスに向かった。ガンジス川で牛が泳ぎ、死者が荼毘に付される傍らで多くの人々が沐浴するさまや、強烈な太陽の下、異様な臭気に包まれた果てしなく続く大地、生と死が渾然一体となり人間の生がむき出しにされた混沌世界に強烈な印象を受け、逃げ出したい気持ちを必死にこらえながらガンジス川の岸辺に座り込み、「生きることはどういうことか」を自問し続けた。「人生というものは所詮どちらに転んでも大した違いはない。ならば闘って、自分の目指すこと、信じることを貫き通せばいいのだ。闘いであるからには、いつか必ず敗れるときが来る。その時は、自然に淘汰されるに任せよう」と考え、ゲリラとしての生き方を決心する。1965年、24歳のときである。この放浪中に安藤が撮影した写真は、ルイス・I・カーンの作品集などで使われている。また、過去にはプロボクサーでもあった。ファイティング原田の練習風景を見て、その才能に圧倒され、ボクサーとしてやっていくのを諦めた(男子ボクサー一覧)。
1977年のローズガーデン(神戸市生田区)等初期の作品のいくつかは、弟の孝雄の所属していた、セツ・モードセミナー出身の浜野安宏が代表を務める浜野商品研究所(1992年、浜野総合研究所と改名)と共に実現した。
1970年代には個人住宅などの小規模建築、1980年代には商業施設、寺院・教会などの中小規模の建築の設計が多かった。1990年代以降は、公共建築、美術館建築、また全国や海外の仕事も増えている。
年表
- 1941年9月13日- 、大阪府大阪市港区に生まれる。
- 1965年 - この年より4年間、2度にわたり世界を放浪。ガンジス川の河岸でゲリラ的生き方を決意。
- 1969年 - 安藤忠雄建築研究所を大阪に設立し、個人住宅を多く手がける。
- 1976年 - 「住吉の長屋」(大阪市住吉区)が高く評価され、日本建築学会賞を受賞した。以降、コンクリート打ち放しと幾何学的なフォルムによる独自の表現を確立し、世界的な評価を得る。
- 1980年代 - 関西周辺(特に、神戸・北野町と大阪・心斎橋)での商業施設設計や寺院・教会設計を相次いで建設。
- 1987年 - イェール大学客員教授。
- 1988年 - コロンビア大学客員教授。
- 1989年 - ハーバード大学客員教授。ベネッセの福武總一郎の依頼により、直島国際キャンプ場をオープン。その後、直島プロジェクトに参画、1992年のベネッセハウス、1999年の「家プロジェクト」(南寺)へと続いていく。
- 1991年 - ニューヨーク近代美術館にて個展開催。
- 1993年 - ポンピドゥー・センターにて個展開催。
- 1997年 - 東京大学工学部教授に就任。
- 2000年 - 中坊公平と共に「瀬戸内オリーブ基金」を設立。
- 2002年 - 南カリフォルニア大学客員教授。
- 2003年 - 東京大学を定年退官して、東京大学名誉教授となる。
- 2005年 - 東京大学特別栄誉教授。
- 2005年 - 安藤忠雄文化財団を設立[1]。
- 2008年 - 大阪府政策アドバイザー(水都・都市景観分野)
- 2011年 - 東日本大震災復興構想会議議長代理。
- 2012年 - 新国立競技場 国際デザイン・コンクール審査委員長。国立競技場将来構想有識者会議委員。
社会活動
- 大阪市毛馬桜之宮公園から中之島公園を結ぶルートに桜を植樹する運動を提唱し、「桜の会・平成の通り抜け」実行委員長。三千本を植樹し、"造幣局の通り抜け"とともに「平成の通り抜け」として大阪の桜の名所をつくろうとするもの。
- 石原都知事が推進する2016年東京オリンピック招致委員会の理事に任命され、東京オリンピックデザイナー総監督をも務めることとなった。
- 東京都のプロジェクト「緑の東京募金実行委員会」の委員長に任命され、東京湾の埋め立て地に植樹するという「海の森」プロジェクトを呼びかけ人の一人として推進している。
- 東日本大震災で親を亡くした子どもたちの学びを支援する為、文化人ら7名と共に遺児育英資金「桃・柿育英会」を発足し、実行委員長を務める。少なくとも10年間は子どもたちの成長を見守り、良好な教育環境の中で学んでいく意欲を支え続けることを主旨として、一口一万円を10年間寄付する支援者を募り、被災地の遺児・孤児へと支給していく。
人物・エピソード
- 野武士世代と伝えられている(建築家槇文彦が命名。)。
- 阪神タイガースファンである。
- 安藤に保護され、事務所で飼っていた迷子の子犬を、ル・コルビュジエに肖り、コルと名付けた。
- 東大教授時代の助手は建築家千葉学である。
- 水都大阪2009総合アドバイザー
- 過保護に育てられているとして「1980年以降に生まれた人たちはダメだ」と大学の講演などで発言し、気概があるのは高齢者ばかりで今の若者はダメ、高齢者が亡くなったあと日本は相当困ると指摘している[2]。
- 事務所は自分のデザインした建築であるが、本人は一般のマンションに住んでいる[3]。
- 梅田スカイビルを建築した積水ハウスは2013年6月17日に、安藤の発案で、同ビル内に高さ9メートル、長さ78メートルに亘って約50種の草木を植樹する内容の「緑の壁」計画を発表した[4]。ビル緑化の取り組みの一つとされていたが、同日にビルの庭園の設計を担当した造園家の吉村元男が、当該計画は庭園のデザインの統一性を損ね、かつ著作権を侵害しているとして、同月19日に同社に対し、工事中止を求める仮処分を大阪地裁に申請した[5]。
- 2014年7月にすい臓がんが発見され、膵臓と脾臓を全て摘出する手術を受けたことを明らかにしている[6]。
作品
|
主な作品画像
東京アートミュージアム、調布市せんがわ劇場(2005年) 李禹煥美術館(2010年) |
新国立競技場関連
前段階・2016年五輪
2009年10月の第121次IOC総会でブラジル・リオに敗れ、幻に終わった2016年オリンピック構想の「東京オリンピックスタジアム」(想定は都立[7]・国の施設[8]それぞれの説がある)。当時の都知事・石原慎太郎は、招致委員会の理事でもあった[9]安藤にメインスタジアムを含めた建設計画を依頼した[10]。
そして安藤(ゼネラルマネジャーとなった[11])がスタジアム建設地に晴海を選び[10]、日建設計・日本設計・山下設計の協力の下[12]、その全体計画をまとめた[13]。2007年11月時点で安藤は、メインスタジアムの(実際の)設計はコンクール(国際コンペ)を開くべきだと思うとも提案していた[14]。2009年には、「オリンピックは、心のレガシー(遺産)だ」ということも訴えた[12]。
2020年五輪(コンペ審査)
変わって2012年。ラグビーワールドカップ2019の日本開催が2009年7月に決定していたことや、翌2013年に決まる2020年夏期五輪の東京の再立候補を見据え、日本スポーツ振興センター(JSC)らが国立霞ヶ丘陸上競技場を新国立競技場に建替えることを決定。
安藤は前述2016年五輪招致の経験や実績などが考慮されて[15]「国立競技場将来構想有識者会議」メンバーに選出されると共に、「新国立競技場国際デザイン・コンクール」の審査委員長も務めることとなった。応募期間(7月20日 - 9月25日)が短かったため海外の著名建築家らに、安藤自身が直接メールを送ってコンクールを知らせるなど尽力した[16]。募集要項を詰めていた時点の2012年4月10日、「有識者会議」傘下「施設建築ワーキンググループ」第1回の場では、収容人員8万人確保のための70m容認案に対し、「相当な大きさです。(略)景観上の課題がある」と、安藤は難色を示していたという情報もある[16]。
同年11月7日の最終審査(安藤を含め8人が参加)では、3つの案が拮抗していた[17]。安藤は当初「34番[18]」と、中心があり選手・観客が集中できると考えた「17番のザハ案」(ただし構造フレームが落とす影には懸念)[19][20]との2つで悩み、それを打ち明けた[21]。その後の議論で「34番」の屋根の技術的不安を安藤自身が指摘し、コンサートに用いたい委員からは音漏れを心配する意見も出た[22]。
3つを対象に決選投票を実施したが、またも拮抗。休憩後の議論で安藤は理由を示さずに(当初自身が1位としていた34番を除外し)、「17番」と「2番」の2択に持っていった[23]。そして、誰かから「議論で決まらないなら委員長の判断で決定でしょうか」「委員長を2票としていいのでは」など、委ねるような発言があり、安藤は「日本の技術力のチャレンジ」という精神から17番がいいと思いますと表明。他の審査委員から賛成の声が上がったこともあり、河野理事長が締めた[24]。審査委員長メッセージとして、新国立競技場のあり方を「つくるべきは地球人の未来へと向かう灯台、希望の象徴となれる場所」[25][26]と表現していた。なお、その後の「有識者会議」で安藤から、デザイン決定がどのように伝えられたかは不明(民主党政権下の有識者会議資料は未公開となっているため)。
2020年五輪(2015年7月の会見)
2013年9月の第125次IOC総会にて、2020年五輪の開催地に東京が選ばれた。
巨額な新国立建設費に関する問題が世間を賑わせてからマスコミの取材が押し寄せたが、安藤はそれを拒否し続けた。最終的に2520億円の予算が承認された2015年7月7日開催の「有識者会議」にも欠席した(後述の会見で「大阪で講演会があったので欠席した」ことを明かした[27])[28]。
知り合い[29]であるキャスターの辛坊治郎には「何でこんなに増えてるのか、分からへんねん!」と語っていたという[30]。また、別の友人によると安藤は、文科省と日本スポーツ振興センター(JSC)に対して何度も責任をもって当初案を進めるように水面下で主張してきたという[26][29]。
下村博文文科相は2015年7月10日に、新国立のデザイン選定理由など「何らかの形で発言してほしい」と述べた[31]。それとの因果は不明だが、7月15日にJSCが発表したとおり[32]、翌16日に都内で記者会見(安藤本人からJSCへの要望で実施)に出席し、記者からの質問に回答した[33]。会見で安藤は「徹底的なコストの議論にはなっていないと思いますよ」とコンペを振り返ったが[34]、一部の委員はコスト面も踏まえて真摯に審査していた[35]。
交友関係者
交流企業・団体・政党
受賞・顕彰
- 1979年 - 日本建築学会賞(住吉の長屋)
- 1983年 - 日本文化デザイン賞(六甲の集合住宅ほか)
- 1985年 - フィンランドのアルヴァ・アールト賞
- 1986年 - 芸術選奨文部大臣賞新人賞
- 1986年 - 毎日デザイン賞
- 1987年 - 毎日芸術賞
- 1988年 - 吉田五十八賞(城戸崎邸)
- 1994年 - 日本芸術大賞(大阪府立近つ飛鳥博物館)、朝日賞
- 1995年 - プリツカー賞
- 1996年 - 高松宮殿下記念世界文化賞、国際教会建築賞(フラテソーレ)
- 1997年 - 大阪キワニス賞
- 2002年 - 京都賞、ローマ大学名誉博士号、同済大学名誉教授
- 2003年 - 文化功労者
- 2010年 - 文化勲章、後藤新平賞
- 2015年 - イタリア共和国功労勲章
文献
著書
- 『建築を語る』 東京大学出版会、1999年、ISBN 4130638009
- 『連戦連敗』 東京大学出版会、2001年、ISBN 4130638041
- 『建築に夢をみた』 日本放送出版協会(NHKライブラリー149)、2002年、ISBN 4140841494
- 『ル・コルビュジエの勇気ある住宅』 新潮社、2004年、ISBN 4106021196
- 『安藤忠雄 建築手法』 二川幸夫企画・編集・インタヴュー
エーディーエー・エディタ・トーキョー、2005年、ISBN 4871406636 - 『悪戦苦闘 2006年の現場 - 21_21 DESIGN SIGHT』安藤忠雄建築展実行委員会、2007年、ISBN 9784990354503
- 『建築家 安藤忠雄』 新潮社、2008年、ISBN 4103090510、自伝
- 『安藤忠雄 住宅』 二川幸夫企画・編集・インタヴュー
エーディーエー・エディタ・トーキョー、2011年、ISBN 9784871406727 - 『安藤忠雄 都市と建築』 二川幸夫企画・編集・インタヴュー
エーディーエー・エディタ・トーキョー、2011年、ISBN 9784871406758 - 『安藤忠雄 仕事をつくる―私の履歴書』 日本経済新聞出版社、2012年、ISBN 4532168163
その他
- 日本経済新聞の『私の履歴書』に自伝が掲載。2011年3月1日-3月31日。
作品集、その他
- 『現代の建築家 安藤忠雄』 SD編集部編、鹿島出版会、1982年、ISBN 4306041344
- 『安藤忠雄のディテール―原図集 六甲の集合住宅・住吉の長屋』 彰国社、1983年、ISBN 4395110444
- 『交感スルデザイン』 六耀社、1985年、ISBN 4897370418
- 『安藤忠雄―挑発する箱』 丸善、1986年、ISBN 4621030442
- 『GA ARCHITECT 8 TADAO ANDO』 エーディーエー・エディタ・トーキョー、1987年、 ISBN 4871404129
- 『旅―インド・トルコ・沖縄』 住まいの図書館出版局(住まい学大系20)、1989年、ISBN 4795208808
- 『Tadao Ando ; The Yale Studio & Current Works』 Rizzoli International Publications, Inc.、1989年
- 『安藤忠雄2.1981‐1989』 SD編集部編、鹿島出版会、1990年、ISBN 4306042758
- 『ARCHITECTURAL Monographs 14 -TADAO ANDO』 ACADEMY EDITIONS, London / ST.MARTIN PRESS、1990年
- 『安藤忠雄 ディテール集 1-4』 二川幸夫企画編集 エーディーエー・エディタ・トーキョー
1991年-2007年、ISBN 4871405516、ISBN 4871405559、ISBN 4871405567、ISBN 4871405575 - 『安藤忠雄の都市彷徨』 マガジンハウス、1992年、ISBN 4838703597
- 『安藤忠雄3.アンビルト・プロジェクト (1975-1991) 』 SD編集部編、鹿島出版会、1993年、ISBN 4306043150
- 『GA ARCHITECT 12 TADAO ANDO Vol.2』』 エーディーエー・エディタ・トーキョー、1993年、 ISBN 4871404196
- 『壁の探究―安藤忠雄論』古山正雄著、鹿島出版会、1994年、ISBN 4306043282
- 『Documenti di architettura -Tadao Ando』 Electa、1994年、ISBN 8843550241
- 『TADAO ANDO COMPLETE WORKS』 PHAIDON PRESS LIMITED、1995年、ISBN 0714837172/0714834718
- 『サントリーミュージアム天保山』 三宅理一共著、鹿島出版会、1995年、ISBN 4306043398
- 『安藤忠雄の夢構想―震災復興と大阪湾ベイエリアプロジェクト』 朝日新聞社、1995年、ISBN 4022586206
- 『家』 住まいの図書館出版局(住まい学大系76)、1996年、ISBN 479520876X
- 『アンドウ―安藤忠雄・建築家の発想と仕事』松葉一清著、講談社、1996年、ISBN 4062075938
- 『直島コンテンポラリーアートミュージアム』 三宅理一共著、鹿島出版会、1996年、ISBN 4306043487
- 『Church on the Water, Church of the Light』PHAIDON PRESS LIMITED、1996年、 ISBN 0714832685
- 『The Colours of Light』PHAIDON PRESS LIMITED、1996年、ISBN 0714833746
- 『TADAO ANDO』 Taschen GmbH、1997年、ISBN 3822878693/3822867314
- 『建築家たちの20代』東京大学工学部建築学科安藤忠雄研究室編 TOTO出版、1999年、ISBN 4887061773
- 『淡路夢舞台―千年庭園の記録』 新建築社、2000年、ISBN 4786901547
- 『GA ARCHITECT 16 TADAO ANDO Vol.3』エーディーエー・エディタ・トーキョー、2000年、ISBN 4871404242
- 『光の教会―安藤忠雄の現場』平松剛 著、 建築資料研究社、2000年、ISBN 4874606962
- 『EL croquis 44+58 tadao ando 1983-2000』 El Croquis Editorial、2000年、 ISBN 8488386141
- 『Tadao Ando, Architektur der Stille』 Birkhäuser-Publishers for the Architecture、2001年、ISBN 3764364483
- 『安藤忠雄の美術館・博物館』 美術出版社、2001年、ISBN 4568600308
- 『a+u / Architecture and Urbanism no.378』A+U Publishing Co., Ltd.、2002年
- 『Tadao Ando : LIGHT AND WATER』 Monacelli Press. 2003年、ISBN 1580931138
- 『格闘わが建築 安藤忠雄 : Tadao Ando(DVD)』 NHKソフトウェア・コロムビアミュージックエンタテインメント、2003年、ISBN 493087338X
- 『Archipockets/Tadao Ando』teNeues, Loft Publications、2003年、ISBN 3823845381
- 『TADAO ANDO LIGHT AND WATER』The Monacelli Press Inc.、2003年、ISBN 1580931138
- 『ANDO Complete Works』Taschen GmbH、2004年
- 『Tadao Ando at Naoshima』Rizzoli International Publications, Inc.、2006年、ISBN 0847827690
- 『TADAO ANDO The Geometry of Human Space』古山正雄著 Taschen GmbH、2006年、ISBN 9783822848951
- 『TADAO ANDO The Modern Art Museum of Fort Worth』Rizzoli International Publications, Inc.、2008年、ISBN 9780847830152
- 『安藤忠雄の建築 1/ 2/ 3/ 0』 TOTO出版、2007年/2008年/2008年/2010年、ISBN 9784887062771/ ISBN 9784887062863/ ISBN 9784887062962/ ISBN 9784887063099
- 『歩きながら考えよう 建築も、人生も』PHP研究所 2010年
- 『Tadao Ando Museums [Musei]』Skira editore S.p.A.、2009年、ISBN 9788861306806/9788861307186
- 『Tadao Ando / Venice』Skira Rizzoli International Publications Inc.、2010年、ISBN 9780847834105
- 『Documenti di architettura 183 Francesco Dal Co / Tadao Ando Volume 2 1995-2010』Mondadori Electa S.p.A.、2010年、ISBN 978-8837063849
- 『Tadao Ando 1995-2010』Prestel Verlag、2010年、ISBN 9783791344546
テレビ出演
- 『視点・論点』(2008年9月25日)(NHK)
- 『視点・論点』(2009年8月7日)(NHK)
- 『視点・論点』(2010年3月31日)(NHK)
- 『視点・論点』(2010年6月29日)(NHK)
- 『情熱大陸』(2010年6月13日)(毎日放送)
- 『仕事学のすすめ』(2012年3月)(NHK)
- 『アナザースカイ』(2012年11月30日)(日本テレビ)
- など多数。
安藤忠雄建築研究所出身の建築家
関連項目
参考文献
- ^ 2015年7月、アルピニストの野口健が第一回安藤忠雄文化財団賞を受賞した。 [1]
- ^ 安藤忠雄 若者はダメと指摘し、高齢者死んだ後の日本を心配 - NEWSポストセブン
- ^ テレビ『コージ魂』安藤による発言
- ^ 梅田スカイビルに緑の壁…安藤忠雄さん発案 読売新聞 2013年6月18日
- ^ 安藤忠雄さん発案「希望の壁」巡り、著作権論争 読売新聞 2013年6月17日
- ^ 安藤忠雄と日本再建築 大手術から最前線復帰 BSフジプライムニュース 2014年12月12日放送テキスト
- ^ 【連載】2016年夏季五輪メインスタジアム建設は晴海に 東京オリンピック招致委員会 - 住宅新報web 社説「住宅新報社の提言」、2007年5月30日
- ^ 2 施設整備費(概算)等の公表 - 2016年オリンピック・パラリンピック競技大会 招致活動報告書 第一部
- ^ 【招致】1,600人が結集!「オリンピックを日本に,2016年!」招致決起集会を開催 - JOC、2007年11月22日
- ^ a b 【新国立競技場】石原慎太郎氏が言いたい放題「IOCの白人は傲慢」「安藤忠雄さんに責任ない」「遠藤五輪相は小者すぎ…」 - 産経ニュース、2015年7月13日
- ^ 2016年五輪招致の国内立候補都市、東京都に決定 - K STYLE WEBSITE::BLOG
- ^ a b 世界が驚く東京オリンピック 安藤忠雄(建築家・東京大学名誉教授) 日本人に未来への希望をもたせたい - PHPオンライン 衆知 2009年6月15日公開
- ^ 五輪誘致なるか 国立競技場「建て替え案」公募の目算 開閉式の屋根を装備、2019年3月の完成目指す - 日本経済新聞、2012年7月27日
- ^ 東京五輪招致へ都が決起集会 安藤忠雄氏、メーン競技場に国際コンペ提案 20071120 建設工業
- ^ 国立競技場改築検討有識者会議が発足/施設計画検討チーム座長に安藤忠雄氏 20120308建設工業
- ^ a b 東京新聞新国立競技場を考える 「施設建築ワーキンググループ」議事録検証 東京新聞 2014年10月5日
- ^ 新国立競技場、「ザハ」なぜ選ばれた 審査激論の中身 日本経済新聞 日経アーキテクチュア ケンプラッツ2014年6月4日付の記事を基に再構成
- ^ 1頁 資料3
- ^ 『SANAA 建築の冒険』 NHK 2013年1月19日 放送
- ^ 2頁 資料3
- ^ 7頁 新国立競技場基本構想国際デザイン競技(第3回)審査委員会 議事録
- ^ 9頁 新国立競技場基本構想国際デザイン競技(第3回)審査委員会 議事録
- ^ 「新国立」選考の経緯判明 3作同点から委員長一任 東京新聞、2014年7月9日
- ^ 21頁 新国立競技場基本構想国際デザイン競技(第3回)審査委員会 議事録
- ^ 112頁 審査委員長メッセージ 地球人の未来へ向かう灯台 VII 募集要項・質疑応答等
- ^ a b 建設費どこ吹く風…新国立「当初案」進めさせた巨匠・安藤忠雄 Infoseekニュース(日刊ゲンダイ)2015年7月10日
- ^ 安藤忠雄氏「我々、選んだ責任はある」/会見(上) - 日刊スポーツ
- ^ 新国立競技場、なぜ2520億円に? 責任者の安藤忠雄氏は会議欠席 ハフィントンポスト 2015年7月7日
- ^ a b c 2015年06月29日(月) 難波和彦+界工作舎
- ^ 安藤忠雄氏「何でこんなに(費用が)増えてるのか、分からへんねん」…新国立問題で初コメント スポーツ報知 2015年7月11日
- ^ 【新国立競技場問題】下村文科相、欠席の安藤忠雄氏に注文「何らかの形で発言して」 - 産経ニュース、2015年7月10日
- ^ 新国立競技場デザイン決めた安藤忠雄氏、会見へ 読売新聞(YOMIURI ONLINE)2015年7月15日
- ^ <新国立競技場>安藤忠雄氏「プロセス承知していない」「説明が求められる」(全文) 弁護士ドットコムニュース 2015年7月16日
- ^ 【新国立・安藤忠雄氏会見】(2)「ゼネコンの人たちも、もうからなくても『日本の国のために頑張る』と言ってほしい」「徹底的なコストの議論にはなっていない」 - 産経ニュース、2015年7月16日
- ^ 11頁 新国立競技場基本構想国際デザイン競技(第3回)審査委員会 議事録
外部リンク
- http://www.tadao-ando.com/ (official site)安藤忠雄 Tadao Ando
- IGARASHI Taro Photo Archives 五十嵐太郎による安藤忠雄の建築物の写真集
- OCNアート アートジェーン 安藤忠雄インタビュー(全Vol.4)
- 安藤忠雄氏らに文化勲章 功労者は王貞治氏ら(asahi.com)
- 桃・柿育英会 東日本大震災遺児育英資金 公式ホームページ