三宅一生

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みやけ いっせい
三宅 一生
Issey Miyake Tokyo 2016.jpg
2016年撮影
生誕 1938年(昭和13年)4月22日
日本の旗 日本 広島県
国籍 日本の旗 日本
職業 ファッションデザイナー
受賞 朝日賞(1991年)
高松宮殿下記念世界文化賞彫刻部門(2005年)
京都賞思想・芸術部門(2006年)
ニューヨークのイッセイ・ミヤケ店舗

三宅 一生(みやけ いっせい、Issey Miyake1938年(昭和13年)4月22日 - )は、日本出身のファッションデザイナー

経歴[編集]

生い立ち[編集]

広島県広島市東区に出生[1]。1945年、小学1年生7歳の時、広島市への原子爆弾投下により被爆[2]。「破壊されてしまうものではなく、創造的で、美しさや喜びをもたらすもの」を考え続けた末、衣服デザインを志向するようになった[2]

広島大学附属東雲小学校・中学校広島県立広島国泰寺高等学校卒業[3]

幼少期から優れた美的センスを発揮、一貫して美術部に所属。焼け野原から復興する広島の街、とりわけ通っていた国泰寺高校の近くにあった丹下健三設計の広島平和記念公園イサム・ノグチ設計の平和大橋のデザインに感銘を受ける[2][4]。そり返った「」の橋柱の先端には、生命を表す太陽、「西」の欄干は、魂を運ぶ舟の手すりがかたどられていた[5]東洋西洋の境を越えたノグチのデザインは、少年の行く道を決定づけた[5][6]

デザイナー[編集]

高校卒業後、上京し多摩美術大学図案科に入学。在学中から装苑賞の第10回(1961年)、第11回(1962年)と2年連続で現在の佳作にあたる賞を受賞、頭角を現した。アートディレクターの村越襄からオファーを受けた東洋レーヨン(現・東レ)の1963年版カレンダー用の衣装制作が、最初の仕事となった。第1回コレクションは卒業後の1963年に発表した「布と石の詩」[6]。当時は広告業界にファッションをやる人がおらず[7]、服をどうやって作っていいか分からず、奇抜な服をたくさん作った[7]。業界人には大変驚かれ、日本のファッション界の寵児になった[7][8]

しかしファッションを独立したデザイン分野と認知しない当時の環境に苛立ち、1965年パリに渡り、パリ洋裁組合学校「サンディカ」で学ぶ[6][9]。1966年にギ・ラロッシュのアシスタントとなり、その後ジバンシィでデシナトゥール(完成した服を絵にする仕事)になる[10]。パリモードがオートクチュールからプレタポルテに移行する時代、実用的な衣服をデザインすることで、人の在り方を表現するプレタポルテの若手デザイナーたちは大きなショックを受けた。1968年の五月革命に繰り出す人々を見て「こういう人たちの服を作りたい」と思い定めた[10]。体にフィットしたヨーロッパの高級な服より、インドサリーのように一枚の布を身にまとう方が普遍的な姿だと考え、さらに「生地をできるだけ捨てずに使うこと」を自らに課した[6][10][11]。パリで4年修行した後[7]、1969年、アメリカ合衆国ニューヨークへ移り既製服の経験を積む[6][7]。三宅の行動力は際立っており、後進デザイナーに大きな影響を与えた[12][13][14][15][16]

世界進出[編集]

日本に帰国後の1970年、「三宅デザイン事務所」を設立[6]。翌年2月にはニューヨーク市内のデパートに「イッセイ・ミヤケ」のコーナーを開設した。

1973年、「イッセイ・ミヤケ秋冬コレクション」でパリ・コレクションに初参加[10]。衣服の原点である「一枚の布」で身体を包み、“西洋”でも“東洋”でもない衣服の本質と機能を問う“世界服”を創造[10]。布と身体のコラボレーションというべきスタイルの確立は、1978年発表の「Issey Miyake East Meets West」で集大成された。コンパクトに収納できて着る人の体型を選ばず、皺を気にせず気持ちよく身体にフィットする1993年に発表された代表作「プリーツ・プリーズ」はこれらの延長線上にある[17]。「プリーツ・プリーズ」は、国内繊維産業の粋を集めた素材と技術に「ひとりひとりのための自由な服」という三宅独自の発想、行動する女性のためにつくられた時代性で世界中で愛され、2012年まで世界27ヵ国、435万枚が売れたといわれる[17]

日本では切れ地を服の形にするのがデザイナーと考えられていて、常に海外の情報を元に服を作っていた[7]。自分から情報を出すということではなかったため、本当のクリエイターではない、はっきりした自分の意図のある物を作りたいと三宅はマテリアルを日本で布を織るところへ行って織らせて、染屋に行って染めさせ、それをパリに持って行ってデザインした[7]。三宅は日本のデザイナーが絶対に使わなかった剣道着柔道着刺し子のようなマテリアルを使い始めた[9]。最初は日本の刺し子屋に「こういう織り方で」「もっと優しい風合いで」と注文しても、趣味くらいにしか受け取ってもらえなかった。三宅のデザインした服はパリでは売れても日本ではどこにも売ってないことがあった[7]。日本各地の素材や伝統的な手わざと最新のハイテクを使った新たなもの作りの追求は長年のテーマとして続く[9][11][14][18]。2008年、自身のデザイン事務所内に「リアリティー・ラボ」と名付けた研究開発チームを設置。素材研究を進める中で帝人ファイバーが開発した、古着など不要になったポリエステル製品をいったん液体にまで戻し再生した糸に出会い「英国生まれのポリエステルは、戦後の日本が進化させた」という思いもあり、2010年秋からの新シリーズ「132 5. ISSEY MIYAKE」の素材に選んだ[9]愛媛県松山市の工場で生まれた糸を福井市で織って生地にし、石川県白山市などで染め、東京で形にする[11]

世界的に高い評価と人気を誇り、1993年、フランスレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ、イギリスロイヤル・カレッジ・オブ・アート名誉博士号授与。1998年、文化功労者に顕彰、1999年には米週刊誌『TIMEアジア版において、「今世紀最も影響力のあったアジアの20人」に選出され、2005年、第17回高松宮殿下記念世界文化賞(彫刻部門)、2006年第22回京都賞思想・芸術部門[19]など数々の賞を受賞。2008年度から2014年度まで朝日賞選考委員も務めた。

2004年、財団法人三宅一生デザイン文化財団を設立、2011年2月1日に、公益財団法人となった[6]。2007年3月、東京六本木に誕生した複合施設「東京ミッドタウン」内に併設されたデザイン拠点「21_21 DESIGN SIGHT」(トゥーワン・トゥーワン・デザインサイト)をオープンさせた[9]

2010年9月、広島市名誉市民[1]。また2010年11月、文化勲章皇居にて鈴木章安藤忠雄蜷川幸雄らとともに受勲した他、2016年、レジオン・ドヌール勲章コマンドール[20]など国内外の勲章を受勲している。

ISSEY MIYAKE[編集]

「ISSEY MIYAKE」(イッセイ・ミヤケ)は三宅の作り出したブランドである。メンズ・レディス共に手がけており、1992年には香水「ロードゥ イッセイ」(L'EAU D'ISSEY) も発売。デザイナーに深澤直人山中俊治吉岡徳仁ハッリ・コスキネンロス・ラブグローブイブ・ベアールを起用し、セイコーインスツルとコラボレーションした時計・ISSEY MIYAKE WATCHも展開している。

1993年「プリーツ・プリーズ」スタート。1998年「A-POC」発表。2000年にはHaaT、2001年にはme ISSEY MIYAKE、2010年にはBAO BAO ISSEY MIYAKE(バッグ)と132 5. ISSEY MIYAKE、2013年6月には陰翳 IN‐EI ISSEY MIYAKE(照明器具)、同年11月にはHOMME PLISSÉ ISSEY MIYAKEがそれぞれスタートした[6]

メンズは1993年より、レディースは1999年より、滝沢直己クリエイティブ・ディレクターを務めた。2007年春夏コレクションをもって滝沢は退任し、2007年の秋冬コレクションから2011年の秋冬コレクションまで、メンズ・レディースともに藤原大がクリエイティブディレクターを担当した。2012年春夏シーズンからは、レディースは宮前義之が、メンズはデザインチームがそれぞれデザインを担当する[21]。2014年春夏シーズンから、メンズは高橋悠介がデザインを担当している[22]

かつてはイッセイスポーツ[23]、イッセイコレクション[24]、ISSEY MIYAKE WHITE LABEL、ISSEY MIYAKE PERMANENTE[6]といったブランドがあった。その他に三宅が関連するブランドとしては、2006年の秋冬シーズンまで展開していたim productがあった。

イッセイ・ミヤケグループ傘下にはZUCCaTSUMORI CHISATO、などを展開している株式会社エイネットがある。

愛用者[編集]

スティーブ・ジョブストレードマークである黒のタートルネックは三宅デザインのもの[4][25][26]。ジョブズは三宅のタートルネックを非常に気に入っており、『全く同じ色合い・肌合い・袖を捲り上げたときの感触』のものを、既に生産停止された商品であったにも関わらず、わざわざ自分の持っているものをサンプリングさせてまで作らせたことがある[27]。音楽家の山下洋輔はISSEY MIYAKE MENの洋服を公私ともに愛用している。他にビートたけしデヴィッド・ボウイ[28]など。

制服のデザイン[編集]

被爆体験[編集]

2009年7月14日付の『ニューヨーク・タイムズ』への寄稿 (A Flash of Memory) [32]の中で自身の被爆体験を初めて公表した。三宅は「破壊ではなく創造できるものについて考えることを好んできた」「『原爆を生き延びたデザイナー』というレッテルを貼られたくなかった」ことを理由に被爆体験については沈黙を続けていたが[9]、2009年4月にアメリカのバラク・オバマ大統領がプラハでおこなった核廃絶についての演説[33]が、「語ることに気乗りしなかった、自分の内側の深い場所に埋もれていた何かを呼び覚ました」という[34][35]。三宅は原爆について「原爆の色、いまでもイメージが浮かんでくる。いやな色だ」と話し[36]、被爆体験を語ることについて寄稿の中で「個人的かつ倫理的責務を感じている」と述べている[9][34]

そしてA Flash of Memoryの中でオバマ大統領に広島訪問を促しており、これが2016年実現することになった(バラク・オバマの広島訪問)。オバマへの土産品には三宅の事務所がデザインした腕時計と万年筆が選ばれている[37]

三宅は1995年の広島平和記念式典に参列。また毎年、原爆投下の時間に合わせて黙祷を捧げている[35]

著書[編集]

出演CM[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b “広島名誉市民 三宅一生さんに称号贈呈”. ヒロシマ平和メディアセンター (中国新聞社). (2011年2月11日). http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=3802 2017年5月13日閲覧。 
  2. ^ a b c “初めて語る被爆体験 デザイナー三宅一生の生き方(上)”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2015年12月15日). オリジナル2015年12月15日時点によるアーカイブ。. https://archive.fo/20151215222436/http://www.yomiuri.co.jp/feature/sengo70/20151214-OYT8T50111.html 2017年5月13日閲覧。 
  3. ^ “服飾デザイナーの三宅一生さん(附属東雲中学校卒業生)が文化勲章を受賞されます”. お知らせ - 記事詳細 (広島大学). (2010年10月29日). オリジナル2015年8月13日時点によるアーカイブ。. http://megalodon.jp/2015-0813-1745-33/www.hiroshima-u.ac.jp/news/show/id/9351/dir_id/0 2015年8月13日閲覧。 
  4. ^ a b 「激動の90年、歴史を動かした90人 三宅一生 洋のない洋服 生駒芳子」、『文藝春秋』、文藝春秋、2013年1月、 284-285頁。
  5. ^ a b 「天風録」中国新聞、2009年7月17日1面。
  6. ^ a b c d e f g h i 三宅一生の仕事と考え方”. MIYAKE DESIGN STUDIO. 2011年11月6日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h 「《対談》 時代とファッション 三宅一生 篠山紀信」『人生読本 ファッション』 河出書房新社1981年、186-194頁。(朝日新聞社刊『紀信快談』1976年11月所収)。
  8. ^ ““ヨウジ”や“ギャルソン”が成功した理由”. 東洋経済オンライン. (2014年9月4日). http://toyokeizai.net/articles/-/56958? 2017年5月13日閲覧。 
  9. ^ a b c d e f g “初めて語る被爆体験 デザイナー三宅一生の生き方(下)”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2015年12月15日). オリジナル2015年12月15日時点によるアーカイブ。. https://archive.fo/20151215222503/http://www.yomiuri.co.jp/feature/sengo70/20151215-OYT8T50001.html 2017年5月13日閲覧。 
  10. ^ a b c d e 国立新美術館で「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」が開催”. GQ JAPAN (2016年5月12日). 2017年5月13日閲覧。
  11. ^ a b c “再生の糸、一枚の布 三宅一生さん、秋に新シリーズ発表”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2010年8月24日). オリジナル2017年5月12日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170512143605/http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201008240097.html 2017年5月13日閲覧。 
  12. ^ ““ヨウジ”や“ギャルソン”が成功した理由、p-2”. 東洋経済オンライン. (2014年9月4日). http://toyokeizai.net/articles/-/46859?page=2 2017年5月13日閲覧。 
  13. ^ 深井晃子、藤本壮介、長谷川祐子が語る「Future Beauty 日本ファッションの未来性」”. Fashion Press (2012年8月3日). 2017年5月13日閲覧。
  14. ^ a b 生駒芳子 (2013年11月15日). “日本人デザイナーが拓く、日本の繊維の未来”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). http://www.asahi.com/and_w/fashion/TKY201311140187.html 2017年5月13日閲覧。 
  15. ^ YUIMA NAKAZATO/中里唯馬---編集長×気鋭デザイナー対談 Part 10”. VOGUE JAPAN (2017年3月17日). 2017年5月13日閲覧。
  16. ^ その「ものづくり」はどこから来るのか”. T JAPAN (2017年1月7日). 2017年5月13日閲覧。
  17. ^ a b “三宅一生・プリーツプリーズの20年 ひだが作る普遍の美”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2012年11月29日). オリジナル2017年5月13日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170512114607/http://www.asahi.com/fashion/beauty/TKY201211280589.html 2017年5月13日閲覧。 
  18. ^ “上間常正のファッションノート 「リアリティ・ラボ イッセイミヤケ」に見る新しいもの作りの形”. 広告朝日 (朝日新聞社). (2014年2月6日). オリジナル2017年5月12日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170512142131/https://adv.asahi.com/fashion_note/11053656.html 2017年5月13日閲覧。 
  19. ^ 稲盛財団 第22回(2006年)受賞者(Internet Archive)
  20. ^ 三宅一生さん 「レジオン・ドヌール」コマンドール章授与
  21. ^ “ISSEY MIYAKE 新デザイナー起用、メンズを改名へ”. Fashionsnap.com. http://www.fashionsnap.com/news/2011-05-19/issey-miyake-miyamae/ 2011年10月19日閲覧。 
  22. ^ “ISSEY MIYAKE MEN”. ISSEY MIYAKE INC.. http://www.isseymiyake.com/brand/issey_miyake_men.html 2014年5月6日閲覧。 
  23. ^ 1983年11月のI.S. Chisato Tsumori Designへの改名を経て、1990年の秋冬シーズンよりTSUMORI CHISATOへ。ツモリチサトも参照のこと。
  24. ^ “新宿丸井メンズ館”. http://www5a.biglobe.ne.jp/~wo-house/shinjuku0101mens.htm 2010年6月6日閲覧。 
  25. ^ ジョブズが黒タートルを着た理由が今明らかに。きっかけは日本
  26. ^ ジョブズがタートルネックを着た理由は? 「日本ソニーで…」
  27. ^ 「模倣される日本―映画、アニメから料理、ファッションまで」祥伝社新書
  28. ^ デヴィッド・ボウイの回顧展「DAVID BOWIE is」 300点以上の資料や衣装を展示”. 株式会社INFASパブリケーションズ (2017年1月6日). 2017年5月13日閲覧。
  29. ^ 客室乗務員制服の変遷”. ANA. 2011年11月6日閲覧。
  30. ^ 時代を映す鏡!? ユニフォームヒストリー”. ANA. 2011年11月6日閲覧。
  31. ^ Sony Japan”. Sony (2008年1月7日). 2011年11月6日閲覧。
  32. ^ ISSEY MIYAKE (2009年7月13日). “A Flash of Memory” (英語). ニューヨーク・タイムズ. http://www.nytimes.com/2009/07/14/opinion/14miyake.html?_r=3&scp=1&sq=hiroshima%20miyake&st=cse 2009年7月17日閲覧。 
  33. ^ “オバマ大統領、核廃絶に向けた演説詳報”. 朝日新聞. (2009年4月5日). http://www.asahi.com/special/plus/TKY200904050209.html 2009年7月17日閲覧。 
  34. ^ a b “三宅一生さん、被爆体験告白=オバマ大統領の広島訪問期待-米紙”. 時事通信. (2009年7月15日). http://s01.megalodon.jp/2009-0715-2345-27/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090715-00000047-jij-int 2009年7月17日閲覧。 
  35. ^ a b “三宅一生さん 被爆体験を初めて告白”. 産経新聞. (2009年7月15日). http://s04.megalodon.jp/2009-0715-2342-42/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090715-00000611-san-soci 2009年7月17日閲覧。 
  36. ^ 『新人国紀1』 朝日新聞社 1982年 114頁。
  37. ^ “厳戒訪問 細心の舞台裏 広島にオバマ氏 被爆者に直前打診 献花台急きょ特注”. 中国新聞. (2016年6月3日). http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=60301 2016年8月12日閲覧。 

関連人物[編集]

外部リンク[編集]