内田祥哉

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内田祥哉
生誕 (1925-05-02) 1925年5月2日(93歳)
東京府東京市麻布区 (東京都港区)
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京帝国大学
職業 建築家
内田祥三
受賞 日本建築学会賞作品賞
(1971年、1983年)
日本建築学会賞論文賞(1978年)
日本建築学会賞大賞(1996年)
所属 内田祥哉建築研究室
建築物 佐賀県立博物館
有田陶磁器文化館
実験集合住宅NEXT21

内田 祥哉(うちだ よしちか、1925年5月2日 - )は、日本の建築生産学者、建築家東京大学名誉教授。日本学士院会員。一級建築士資格所有。

経歴[編集]

東京都生まれ。内田祥三(建築構造学の大家で東京帝国大学学長を歴任)の次男。兄は、敗戦後まもなく夭逝した建築家内田祥文

武蔵高等学校 (旧制)を卒業。東京帝国大学工学部建築学科卒業後、逓信省電気通信省を経て、日本電信電話公社建築部(現・NTTファシリティーズ)に勤務。

1961年、東京大学工学博士。論文の題は「建築構法の分析と綜合の研究」[1]

東京大学助教授-教授-名誉教授、明治大学教授、金沢美術工芸大学教授を歴任。1993年、日本建築学会会長。建築のシステム化と建築構法を研究。その成果は超高層建築からプレファブ住宅まで、幅広く活かされ、戦後の日本の建築業界に多大な影響を与える。多くの人材を育成したほか、有田陶磁器文化館、実験集合住宅NEXT21、明治神宮神楽殿など、建築の設計活動にも力を注ぐ。1996年、日本建築学会賞受賞。2010年、工学院大学工学部(現、建築学部)特任教授就任、日本学士院会員に選出される。

主な著書[編集]

  • 『プレファブ』、講談社、1968
  • 『建築生産のオープンシステム』、彰国社、1977
  • 『建築の生産とシステム』、住まいの図書館出版局、1993
  • 『現代建築の造られ方』、市ヶ谷出版社、2002
  • 『建築構法・第5版』、市ヶ谷出版社、2007
  • 『日本の伝統建築の構法 柔軟性と寿命』、市ケ谷出版社、2009
  • 『建築家の多様 内田祥哉研究とデザインと 建築家会館の本』、建築ジャーナル、2014
  • 『内田祥哉 窓と建築ゼミナール』、門脇耕三・藤原徹平・戸田穣ほか編、鹿島出版会、2017

主な作品[編集]

名称 所在地 状態 備考
/名古屋第二西電話局
(NTT西日本笹島ビル)
1955年(昭和30年) 23愛知県名古屋市西区
/霞ヶ関電話局
(NTT霞ヶ関ビル)
1956年(昭和31年) 13東京都千代田区
/中央通信学園講堂
(NTT東日本研修センター講堂)
1958年(昭和33年) 13東京都調布市
/内田祥哉邸 (自邸) 1961年(昭和36年) 13東京都杉並区
/目黒区立第一中学校 1962年(昭和37年) 13東京都目黒区 共同設計:原広司
/佐賀県立図書館 1963年(昭和38年) 41佐賀県佐賀市 共同設計:高橋靗一
/佐賀県立青年の家
(ユースピアさが)
1968年(昭和43年) 41佐賀県佐賀市 共同設計:高橋靗一
/佐賀県立博物館 1970年(昭和45年) 41佐賀県佐賀市 共同設計:高橋靗一
/有田町歴史民俗資料館 1978年(昭和53年) 41佐賀県有田町
/佐賀県立九州陶磁文化館 1980年(昭和55年) 41佐賀県有田町
/武蔵大学中講堂 1980年(昭和55年) 13東京都練馬区
/武蔵大学図書館 1981年(昭和56年) 13東京都練馬区
/先人陶工之碑 1982年(昭和57年) 41佐賀県有田町
/有田町参考館 1983年(昭和58年) 41佐賀県有田町
/武蔵大学科学情報センター 1988年(昭和63年) 13東京都練馬区
/ふるさとの館 1990年(平成2年) 12千葉市花見川区
/大阪ガス実験集合住宅NEXT21 1993年(平成5年) 27大阪市天王寺区
/明治神宮神楽殿 1993年(平成5年) 13東京都渋谷区
/武蔵大学守衛室 1995年(平成7年) 13東京都練馬区
/武蔵大学6・7号館 1997年(平成9年) 13東京都練馬区
/武蔵大学8号館 2002年(平成14年) 13東京都練馬区
/顕本寺本堂 2003年(平成15年) 27大阪府堺市
/妙壽寺第二庫裡 2006年(平成21年) 13東京都世田谷区

内田祥哉研究室の出身者[編集]

建築家では、原広司剣持昤[2]大野勝彦隈研吾[3][4]大江匡[4]、小泉雅生など。

ゼネコントップには、大成建設山内隆司村田誉之大林組白石達清水建設宮本洋一など[5]

学者では、深尾精一[6]

脚注[編集]

外部リンク[編集]