ザハ・ハディッド
| زها حديد (Zaha hadid) ザハ・ハディッド |
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|---|---|
| 生誕 | 1950年10月31日 |
| 死没 | 2016年3月31日(満65歳没) |
| 国籍 | |
| 出身校 | ベイルート・アメリカン大学 英国建築協会付属建築専門大学(AAスクール) |
| 職業 | 建築家 |
| 受賞 | 大英帝国勲章 コマンダー(2002年) プリツカー賞 (2004年) 高松宮殿下記念世界文化賞 (2009年) スターリング賞(2010・2011年) 大英帝国勲章 デイム・コマンダー(2012年) RIBAゴールドメダル(2016年) |
| 所属 | ザハ・ハディッド・アーキテクツ(en:Zaha Hadid Architects) |
| 建築物 | ヴィトラ社工場 オードロップゴー美術館増築 国立21世紀美術館 など |
ザハ・ハディッド(ザハ・ハディド、ザハ・ハディードとも表記、アラビア語: زها حديد、アラビア語ラテン翻字: Zaha Hadid、1950年10月31日 - 2016年3月31日[1])は、イラク・バグダード出身、イギリス在住の建築家。
目次
概要[編集]
現代建築における脱構築主義を代表する建築家の一人で、デザインが奇抜すぎてコンテストに優勝しても建築されなかったことも多く、アンビルト(実現しない建築)の女王の異名を持っていた[2]。近年では、建築技術の進歩により建築可能物件が増えてきている[3]。3次元CADを用いコンピューテーショナルデザインやパラメトリックモデリングの手法を駆使し、従来にない曲線的なデザインを実現してきた[4][5]。
経歴[編集]
事務所設立[編集]
ザハ・ハディッドはイラクの首都バグダッドに産まれた。父は政治家でリベラル系政党の指導者だった。建築に対する関心は、イラク南部に残っているシュメール文明の遺跡を訪れたときに芽生えた。ハディッドは以下のように述懐している。「父は私たちをシュメールの都市を見せに連れて行きました」、「まずボートで、さらにもっと小さい葦でできた小舟で沼地にある村々を訪れました。その風景の美しさ-砂、水、葦、鳥たち、家々、そして人々が一緒くたになって流れてゆく-忘れたことはありません。私は現代的なやり方で同じ事をしようと、設計と都市設計の形態を発見-発明することだと思っていますが-しようとしています」[6]
彼女は幼少期にカトリックが運営していたフランス語学校で学んだ。この学校はイスラム教徒であるザハやユダヤ教徒も共に机を並べるリベラルな雰囲気の学校だった。ベイルートのアメリカン・ユニバーシティで数学を学んだ。イラクでサッダーム・フセインが権力を握ると彼女の家族はイラクを脱出した。1972年にザハは渡英し、ロンドンの私立建築学校英国建築協会付属建築専門大学(AAスクール)で建築を学んだ。1977年に卒業するとAAスクールでの教師でもあったオランダ人建築家のレム・コールハースの設計会社「オフィス・オブ・メトロポリタン・アーキテクチャ」[7] (OMA) で働き始めた。1980年に独立して自分の事務所を構えた[6]。
1983年以降[編集]
彼女の名が知られるようになったのは、1983年に行われたピーク・レジャー・クラブ[8]の建築設計競技(コンペ)である。これは香港のビクトリア・ピーク山上に建設が予定されていた高級クラブのためのコンペで、ジョン・アンドリュース、ガブリエル・フォルモサ、磯崎新、アルフレッド・シウ、ロナルド・プーンが審査委員を務めた。磯崎の推薦により[3]ザハが一等を獲得したが、爆発した建物の無数の破片が鋭い軌跡を宙に残しながら飛び交うような設計案は、コンペ勝利直後に事業者が倒産したことで実際に建設されることはなかった[9]。1980年代にはハーバード大学、イリノイ大学シカゴ校、コロンビア大学(客員教授)等で教鞭をとったこともあり、1988年にニューヨーク近代美術館が主催した『脱構築主義者建築展』などでも注目されたが、独立後から十数年間は実現に至った建築は無かった。同年には、建築写真家の二川幸夫によって、日英表記の作品集が出版された[10]。
1990年に札幌のモンスーン・レストラン[11]の内装を手掛け[3]、同年の大阪の国際花と緑の博覧会では他の脱構築主義建築家らとともにフォリーを手がけている。1993年から1994年の作品であるドイツのヴェイル・アム・ラインのヴィトラ消防署が、彼女にとって最初の実際に建設されたプロジェクトになった[12]。これはスイスの家具・インテリア製造会社であるヴィトラの工場跡地に建設されたヴィトラ・デザイン・ミュージアムの一部であり、安藤忠雄のカンファレンス・パビリオン[13]、アルヴァロ・シザのプロダクション・ホール[14]、ジャン・プルーヴェのガソリンスタンド、バックミンスター・フラーのドームテント、ヘルツォーク&ド・ムーロンによるショップ・カフェを併設するショールームなどが隣接している[15]。
1994年にはウェールズの首府カーディフのカーディフ・ベイ・オペラハウス[16]の設計コンペに勝利したが、保守的なチャールズ皇太子がメディアを通して伝統主義的建築の復興を訴えるキャンペーンを行なっていた影響もあり、コンペはやり直しになった。二度目の選考でもハディッドが勝利すると資金提供を予定した国営クジ公社[17]は建築計画を中止した[6]。2000年代になると建築技術の進歩により建築可能な物件が増えている。2006年には事務所を構えるイギリスでガン患者の支援を行う団体であるマギーズ・センターズ[18]のファイフにあるビクトリア病院内の事務所を設計しこれがイギリス初の建築された建築物であり、彼女の英国代表作となった。[19]
以後は国際デザインコンペで多く勝利している。2002年、シンガポールの都市計画コンペで勝利し、2004年ロンドン五輪の水泳会場アクアティクス・センター (ロンドン)を設計、2005年にはバーゼルの新カジノ建設計画のコンペも入賞した。2012年には日本の新国立競技場のコンペで最優秀賞を受賞し、設計に当たることになった。また、建築設計以外にも、ブリタニカ百科事典の編集委員の一員になるなど、活躍の場を広げている。
建築における顕著な功績で2002年に大英帝国勲章コマンダー (CBE)、2012年に同デイム・コマンダー (DBE) を受章。2004年には女性初のプリツカー賞を受賞した。
インテリアの仕事も多く、ロンドンのミレニアム・ドームの『マインド・ゾーン』の内装設計などが有名であるほか、東京・原美術館におけるドイツ銀行コレクション展の展覧会場設計も行っていた。
2013年11月には2022年のFIFAワールドカップで使用されるカタールの新スタジアム「アル・ワクラ・スタジアム」を設計した[20]。この新スタジアムのコンセプトは、カタールの伝統的な漁船「ダウ船」をイメージし、見た目の美しさだけでなく、現地の強烈な日差しにも耐えられるよう工夫してつくられている。しかしデザインが発表されるとインターネット上では「女性器に似ている」として話題になった[21]。これに対しザハ・ハディド側は米TIME誌に対し「彼らのナンセンスな意見には本当に戸惑っているの」「彼らが何て言っているかって?建物の穴が女性器に見えるってことばかりよ。ばかげているわ」と語っている。また「もし仮に男性が設計したのなら、こんな卑猥な比較はされなかったでしょう」と発言。だが大衆の意見は変わらず、米ニューズウィークと合併したニュースサイト「デイリー・ビースト」で11月26日、「芸術作品の本質において、鑑賞者の反応は作家が伝えようとした意図と同様に重要である」と主張。最後には、「女性器に見えるという感想は誰も非難すべきものではない」と結んでいる[21][22]。
2016年には女性建築家初のRIBAゴールドメダル受賞[23]。3月31日、気管支炎の治療を受けていたマイアミの病院(Mount Sinai Medical Center)にて、心臓発作のため死去した[1][24][25]。後日、London Central Mosqueにて追悼式が行われた[26][27]。
ザハ・ハディッド・アーキテクツ[編集]
1980年に独立して設立された自身の建築設計事務所である[6]。1988年より建築家パトリック・シューマッハが共同代表として加わった。
ロンドンの旧小学校内に設立された。10年前までは1教室のみが彼女の事務所で、他の教室は賃貸にしていたが、現在は学校全体を使用している。 また近隣にギャラリー兼オフィスがある。 ハンブルクと中国にも分室を構え総勢430人、ロンドンだけでも250人が働いている。[28]
日本国内での活動[編集]
ニール・バレット青山店[編集]
2008年9月にザハ・ハディッド・アーキテクトのパトリック・シューマッハと共同でリニューアルオープンしたイタリアのファッションブランドであるニール・バレットの青山店の内装デザインを手がけた。ショップデザインに関しては初めての取り組みである。依頼者のニール・バレットは店舗デザインの依頼について、「浮かび上がるような存在感など、彼女のスタイルすべてが好きだったのです。」「今回のプロジェクトでも彼女とは何度も話し合いをしましたが、決して私の考えを押し付けるようなことはありませんでした。最初のスケッチを見て、これだ! と満足できた」[29]とインタビューに答えている。日本国内でザハ・ハディッドの建築物が見られる唯一の建築物であったが2013年8月18日で閉店した。
新国立競技場コンペ[編集]
2020東京五輪で使用予定で、当初は2019ラグビーW杯も行われる予定だった日本の新国立競技場の彼女のデザイン案は、2012年11月に国際コンペにて選ばれた[30][31]。なお、最初はコンペへの参加に消極的だったとも言われる[32]。
その後、設計責任を負わないデザイン監修者として監修料13億円[33][34]で施主の日本スポーツ振興センター(JSC)と契約し、設計自体は日本の設計者が担当していった[35]。
カブトガニやヘルメット[21]に似た斬新な[36]北九州メディアドームのような[37]、流線形が注目された一方で、巨大さが景観を損ね、建設費も莫大過ぎるとして、一部アスリートも含め各方面から批判が噴出していった。2013年11月に約25%縮小するも[38]、年間維持費は約41億円に上るともいわれた[39]。ただし、規模は施主のJSCが定めた応募条件であり、決して彼女に非は無いともいわれた[40][41]。
2015年10月に着工予定だったものの、同年7月17日、安倍晋三首相は建設計画の白紙撤回を決断。都倉俊一を座長とする、「有識者会議」の下部組織である「施設利活用(文化)グループ」には、NHKの石原真[42][43]もメンバーに加わっており[44]、当日の『NHKニュース7』での岩田明子記者[45]の解説など、「内閣不支持率が支持率を上回った結果(の動き)」という見方もあった[46]。彼女のデザインを推したコンペ審査委員長の安藤忠雄は前日の会見で、建設費まで視野に入れる義務はなかったし、2,520億円(7月7日の最終試算額)に驚いたと述べていた[47]。、
7月28日にザハ事務所は、建設費高騰を「デザインそのもの」が原因とした菅義偉官房長官の見解[48]等への反論声明[49][50]を改めて発表[51]。また、鉄骨ボックス構造でない低コストの新案[52]にて、建設に関与し続けたいアピールもした[53]。その後、2013年の時点で小規模案への変更提案を検討していたことも明かし[54]、特徴でもある2本のキールアーチの有用性も示した[55]約23分間の解説動画[56]と91枚のPDF資料[57]を公表した[58][59]。再コンペには日建設計と組んで参加する計画だったが、今回は「デザインビルド方式」で、組む施工者が見つからず応募(9月18日締切)を断念した[60][61]。隈研吾のA案採用が決定した12月22日には、座席などの内部が「我々のデザインに驚くほど似ている」とコメントし、知的財産権を主張した[62][63][64](もう一方のB案で敗れた伊東豊雄も柱割りなどの類似性を指摘した[65])。年明けの1月14日にザハ事務所は、監修料の未納分を支払う代わりに著作権を譲るようというJSCからの要請を断り、書面を送付して著作権交渉を求めたことを明かした[66][67]。
彼女の最初案は、スロープが首都高や線路をまたぐスケールだったが[68]、縮小後の案には、ダイナミズムの低下(槇文彦)[69]、亀のような鈍重な姿(旧知の[3]磯崎新)[70]との声があった。一方で、竹中工務店出身の吉田研介[71]や「ザハ流の3次元設計」を高評価する藤村龍至[72]らの建築家や、作家の岩崎夏海[73]や経済アナリストの森永卓郎[74][75]やタレントのDAIGO[76]など、惜しむ意見もあった。リカルド・トッサーニは、日本の建築家による木造建築を想起させる新デザイン(A案・B案)を「妥協案」と評し、ザハ案のほうが未来への方向性が見られたとコメントした[77]。なお、NHKが2015年8月に単独インタビューを実現したが[78]、多忙のため、ほぼ事務所のジム・ヘベリン[79]がマスコミ対応などをしてきた[80][81][82]。
その他[編集]
1990年に札幌のモンスーンレストランの内装を手掛けている[83]。同年の大阪の国際花と緑の博覧会では他の脱構築主義建築家と共に庭園などにある装飾用の建物のフォリーを手がけている。
個展[編集]
2014年10月18日から12月23日にかけて、東京オペラシティにおいて日本初の大規模個展を開催した[84]。
設計思想[編集]
彼女は、ロシア構成主義の建築や美術の強い影響を受け、コンセプチュアルで空想的なものを現実空間に出現させ、見学・利用者に驚きを与えている。かつては、同じく脱構築主義者であるダニエル・リベスキンド同様に、実際の建築作品ではなく、建築思想の提唱者として、また過激なコンセプトを示した図面の製作者としてもっぱら知られていた。
無数の道路やパイプのようなラインがゆるやかに折れ曲がり交差し重なり合いながら高速で流れるイメージや、近未来的で巨大な有機体状の構造物などを描いたドローイングを特徴とする。
彼女のプロジェクトを担当した経験を持つ金田充弘(2012年当時アラップ東京事務所に在籍していた構造エンジニア)によると、「形へのこだわりはもとより、建築とファサードの融合が非常に大切」としているという[85]。
一方でロンドンにある事務所(2015年7月現在)は古風なレンガ造りの外観となっている[86]。東京(千代田区)にも事務所を持つ(2015年7月現在)[87]。
作品[編集]
| 名称 | 年 | 所在地 | 国 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| ザ・ピーク | 1983 | 香港 | 実現せず | |
| ムーン・スーン(内装) | 1990 | 北海道札幌市 | 現存せず | |
| 国際花と緑の博覧会(EXPO'90)のフォリー | 1990 | 大阪府 | ||
| ヴィトラ社工場・消防ステーション | 1993 | ヴェイル・アム・ライン | ||
| IBA集合住宅 | 1993 | ベルリン | ||
| カーディフベイ・オペラハウス | 1995 | カーディフ | 実現せず | |
| サーペンタイン・ギャラリー・パビリオン | 2000 | ロンドン | ||
| ストラスブール路面電車ターミナルと駐車場 | 2001 | ストラスブール | ||
| ベルクイーゼルシャンツェ | 2002 | インスブルック | ||
| ローゼンタール現代美術センター | 2003 | オハイオ州シンシナティ | ||
| ファエノ科学センター | 2005 | ヴォルフスブルク | ||
| BMWライプツィヒ工場セントラル・ビルディング | 2005 | ライプツィヒ | ||
| オードロップゴー美術館増築 | 2005 | コペンハーゲン | ||
| マギーがん福祉センター | 2006 | カーコーディ | ||
| ノルドパーク・ケーブル駅 | 2007 | インスブルック | ||
| サラゴサ国際博覧会ブリッジ・パヴィリオン | 2008 | サラゴサ | ||
| ニール・バレット青山店(内装) | 2008 | 東京都港区 | 現存せず | |
| トゥール・CMA CGM | 2010 | マルセイユ | ||
| MAXXI 国立21世紀美術館 | 2010 | ローマ | ||
| 広州大劇院 | 2010 | 広州 | ||
| エヴリン・グレース・アカデミー | 2010 | ロンドン | ||
| シェイク・ザイード橋 | 2010 | アブダビ | ||
| アクアティクス・センター | 2011 | ロンドン | ||
| リバーサイド博物館 | 2011 | グラスゴー | ||
| ヘイダル・アリエフ文化センター | 2012 | バクー | ||
| ピエールヴィーヴ | 2012 | モンペリエ | ||
| エリ&エディス・ブロード美術館 | 2012 | ミシガン州イーストランシング | ||
| 銀河SOHO | 2012 | 北京 | ||
| ウィーン経済大学ラーニングセンター | 2013 | ウィーン | ||
| サーペンタイン・サックラー・ギャラリー | 2013 | ロンドン | ||
| 香港工科大学ジョッキー・クラブ・イノヴェーション・タワー | 2013 | 香港 | ||
| ベイルート・アメリカン大学イッサム・ファレス研究所 | 2014 | ベイルート | ||
| 東大門デザインプラザ | 2014 | ソウル | ||
| 望京SOHO | 2014 | 北京 | ||
| オックスフォード大学セント・アントニー・カレッジ中東センター | 2015 | オックスフォード | ||
| メスナー山岳博物館・コロネス | 2015 | プラン・デ・コロネス | ||
| サレルノ・フェリー・ターミナル | 2016 | サレルノ | ||
| アントワープ港湾局 | 2016 | アントワープ | ||
| ワンサウザンド・ミュージアム[88] | マイアミ | 建設中 |
受賞・受章歴[編集]
- 2002年 - 大英帝国勲章 コマンダー (CBE)
- 2004年 - プリツカー賞
- 2009年 - 高松宮殿下記念世界文化賞
- 2010年 - RIBAスターリング賞(国立21世紀美術館 (MAXXI) による)
- 2011年 - RIBAスターリング賞(エヴリン・グレース・アカデミーによる)
- 2012年 - 大英帝国勲章 デイム・コマンダー (DBE)
- 2016年 - RIBAゴールドメダル[89](女性初[90])
出演[編集]
- YouTube 「Zaha Hadid Talking About Challenges of Architecture」2010年4月5日
- YouTube 「Zaha Hadid auf arte Metropolis vom 13.09.2008」2008年10月4日
参考文献[編集]
- 『ザハ・ハディド 最新プロジェクト』 A.D.A.EDITA Tokyo、2010年8月 - 作品写真集ほか
- 『ザハ・ハディッドは語る』 ハンス・ウルリッヒ・オブリスト共著、滝口範子訳、筑摩書房、2010年9月 - 詳細なインタビューほか
脚注[編集]
出典[編集]
- ^ a b Architect Dame Zaha Hadid dies at 65 — BBC News
- ^ コスト高、難工事… 斬新なデザインが足かせに 計画迷走に建築家、ゼネコンから異議噴出産経新聞 2015年6月19日付
- ^ a b c d e 建築家よりアーティスト? 新国立競技場デザイン ハディドさん個展 - 東京新聞、2014年10月27日
- ^ 新国立競技場の問題解決にBIMの活用を!
- ^ ザハ事務所の仕事:複雑な形状でも設計を容易に 日経アーキテクチュア新連載「BIMのチカラ」 内山美之
- ^ a b c d Zaha Hadid &mdahs; Encyclopedia of World Biography
- ^ 英: Office of Metropolitan Architecture
- ^ 英: The Peak Leisure Club
- ^ 香港ピーク 現代美術用語辞典ver.2.0
- ^ 「五輪開催なら素晴らしい大会に」新国立競技場をデザインした建築界の巨匠 (3/3):イザ! 2013年4月8日
- ^ 英: Monsoon Restaurant
- ^ Vitra Fire Station by Zaha Hadid &mdahs; galinsky
- ^ 英: Conference Pavilion
- ^ 英: Production Hall
- ^ ヴィトラ・デザイン・ミュージアム スイス政府観光局
- ^ 英: Cardiff Bay Opera House
- ^ 英: National Lottery
- ^ 英: Maggie's Centres
- ^ Maggie’s The architecture and design of Maggie's Fife
- ^ zaha hadid discloses qatar 2022 FIFA world cup stadium design — designboom、2013年11月18日
- ^ a b c カタールW杯スタジアムは「巨大な女性器」? 新国立競技場の建築家が茶化され激怒 J-CASTニュース 2013年12月3日
- ^ [1]
- ^ http://www.cinra.net/news/20150924-zahahadid ザハ・ハディド、女性初の王立英国建築家協会ゴールドメダルを受賞
- ^ World-famous architect Zaha Hadid dies, age 65
- ^ Zaha Hadid, world’s only superstar female architect, dies in Miami Beach | Miami Herald
- ^ Funeral Services Held for Zaha Hadid in London | 2016-04-12 | Architectural Record
- ^ 2016年04月06日(水) 難波和彦+界工作舎
- ^ 東京五輪特集ザハ・ハディドの右腕ジム・ヘヴェリン独占インタビュー http://www.magonochikara.com/column/gorin
- ^ ザハによる世界初の試み、ニール・バレット青山店 (1/2) - Excite ism
- ^ スポーツ振興センター/新国立競技場基本設計公表/延べ21万平米、可動式客席 - 日刊建設工業新聞、2014年5月29日
- ^ 国際デザイン競技(第3回)審査委員会 議事録 18頁 PDF
- ^ 戦略藩 - Ben Kikkawa Blog(吉川勉)、2012年7月28日
- ^ ラグビーW杯に間に合わない!?新国立“リスク判定”へ①『東スポweb』2014年9月26日
- ^ 「新国立競技場は、こうやって仕切り直しなさい」 - ハフポスト、2015年7月17日
- ^ 2020東京デザインアドバイス機構の提案(要約) 芦原太郎氏 - 2020東京五輪・パラリンピックへ、そしてその後 シンポジウム「レガシー・プランを考える」2014年6月16日、東海大学校友会館(NPO法人 美し国づくり協会)
- ^ 第223号(6月12日発行)「才能が無いというのは恐ろしい」 - 辛坊治郎メールマガジン
- ^ 新国立がかわいく見えるザハ・ハディド展 - 東スポ、2014年10月27日
- ^ 屋根なし新国立競技場に厳しい声 - web R25、2015年5月21日
- ^ 1日で35億→41億円 新国立競技場の年間維持費 - 朝日新聞デジタル、2013年11月30日
- ^ 新国立競技場】本当の問題はザハ・ハディドでも安藤忠雄でもない。「NO」と言えなかったJSCだ - ハフィントン・ポスト(伊藤大地)2015年7月28日
- ^ 三会会長が提言を発表 - KENCHIKU、2015年7月24日
- ^ 国立競技場将来構想ワーキンググループ 施設利活用(文化)グループ委員名簿
- ^ 委員名簿
- ^ 第1567回 - 残間里江子ブログ 駄目で元々、雨、アラレ。 2012年11月21日
- ^ NHKニュース7の番組概要ページ - gooテレビ番組、2015年7月17日
- ^ 安倍晋三首相、新国立白紙「ゼロベースで見直し」 - 日刊スポーツ、2015年7月18日
- ^ 新国立競技場問題で安藤忠雄さんが会見 「2520億円には驚いた」「デザインは調整したほうがいい」 - ねとらぼ、2015年7月16日
- ^ 菅官房長官「デザインが工費膨張の原因」 デザイン変更必要と指摘 - 産経ニュース、2015年7月18日
- ^ New National Stadium, Japan. Statement from Zaha Hadid Architects – Zaha Hadid Architects
- ^ ザハさん側“コスト増 デザインが原因ではない” - NHK、2015年7月17日
- ^ 「建設費が高騰したのはデザインのせいではない」ザハ・ハディド氏が声明(全文) - ハフィントン・ポスト、2015年7月29日
- ^ キールアーチにメス!新国立ザハ氏改良案が明らかに - 日刊スポーツ、2015年7月30日
- ^ ザハ氏が新国立改良案 首相に直談判、8月にも来日 - 日刊スポーツ、
- ^ ザハ事務所、遠藤五輪相と槙文彦氏との面会に不快感 - 日刊スポーツ、2015年8月8日
- ^ [2] - NHK、2015年8月26日
- ^ ビデオプレゼンテーションとレポート―新国立競技場 東京 日本 - YouTube
- ^ 03_New National Stadium Report _August 202015.pdf - ZHA
- ^ ザハ・ハディド、新国立競技場の設計概要を説明する動画を新たに公開 - ギズモード・ジャパン、2015年8月26日
- ^ 「新国立競技場」のデザイン・工事費・設計概要などをザハ・ハディド事務所が赤裸々に明かす - GIGAZINE、2015年8月27日
- ^ Announcement from Nikken Sekkei on the New National Stadium design & build competition – Zaha Hadid Architects、2015年9月18日
- ^ 新国立競技場、ゼネコン「受注合戦」の内実 - 東洋経済オンライン、2015年9月19日(木村秀哉)
- ^ ザハ・ハディドさん「我々のデザインに驚くほど似ている」 新国立競技場のA案決定でコメント - ハフィントン・ポスト、2015年12月22日
- ^ 22-12-15 Statement from Zaha Hadid on New National Stadium Japan
- ^ New National Stadium, Tokyo by Zaha Hadid Architects
- ^ 僅差で隅氏のA案に決定、「工期短縮」の信頼性を評価 - TBS、2015年12月22日
- ^ ザハ事務所 新国立競技場で著作権の交渉要求 - NHKニュース、2016年1月15日
- ^ ザハ氏はなぜこんなに強気なのか?(栗原潔) - Yahoo!ニュース、2016年1月15日
- ^ 建設範囲大きく超過 - 東京新聞、2013年11月9日 朝刊
- ^ 『志をもった建築を目指して』槇文彦 『JIAマガジン』2014年8月号、p16 PDF
- ^ 「新国立は粗大ゴミに」建築家・磯崎新さん意見発表 開会式会場変更も提案 - 産経、2014年11月5日
- ^ もうダメでしょう - 吉田研介建築設計室 コラム、2015年7月4日
- ^ 「なぜ実務家たちは、ザハ・ハディドを支持するのか」 - ハフィントン・ポスト、2015年9月2日
- ^ 僕がザハ案の国立競技場の建設に賛成していた、たった一つの理由 岩崎夏海 - プレタポルテ by 夜間飛行、2015年7月29日
- ^ ザハ氏 新国立再挑戦!“撤退原因”アーチの継続は明言避ける - スポニチ、2015年9月8日
- ^ ザハ案に未練の意見も - 朝日新聞、2015年12月15日
- ^ 聖火台どうなる?新国立競技場・森喜朗と建築士・隈研吾を直撃 - TBSテレビ【白熱ライブ ビビット】JCCテレビ 2016年3月8日
- ^ 海外紙はハディド案とどちらを評価したか - ニュースフィア、2015年12月20日
- ^ ハディド氏「担当継続で時間浪費せず」 - NHK、2015年8月11日
- ^ Jim Heverin Zaha Hadid Architects
- ^ ザハ・ハディドの右腕ジム・ヘヴェリン独占インタビュー - 孫の力 第16号(ソトコト 2014年3月号増刊)
- ^ Stadium's architect director says redesign would pose huge risk The Japan Times JUN 17, 2015
- ^ 新国立の設計変更、ハディド氏事務所「危険だ」 - 読売、2015年7月1日
- ^ ザハ氏の初作品、札幌にあった 氷と炎のレストラン 朝日新聞デジタル 2016年5月22日
- ^ ザハ・ハディド展http://www.operacity.jp/ag/exh169/
- ^ 脱「アンビルトの女王」、ザハを支えるエンジニアリング - ケンプラッツ、2012年12月14日
- ^ 新国立見直したら「建設が1年遅れる」 ザハ事務所 テレ朝news 2015年7月16日
- ^ 新国立競技場白紙撤回 東京のザハ氏の事務所では困惑の表情 FNNニュース 2015年7月17日
- ^ ザハ・ハディド氏が生前に設計した超豪華マンション、期待を裏切らないすごさ(画像集) ハフィントンポスト 2016年5月23日
- ^ 新国立で傷心のザハ氏、BBCのインタビューに激怒 - ニュースフィア、2015年9月27日
- ^ ザハ・ハディド、女性初の王立英国建築家協会ゴールドメダルを受賞 - CINRA.NET
注釈[編集]
外部リンク[編集]
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