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アルド・ロッシ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アルド・ロッシ
生誕 1931年5月3日
イタリア ミラノ
死没 (1997-09-04) 1997年9月4日(66歳没)
イタリア ミラノ
国籍 イタリアの旗 イタリア
出身校 ミラノ工科大学
職業 建築家
受賞 プリツカー賞 (1990年)
建築物 ガララテーゼ集合住宅
カルロ・フェリーチェ劇場
ボネファンテン美術館
著作 都市の建築
ポートモールアピタ港(2005年当時のデザイン)、1993年
ボネファンテン美術館、マーストリヒト、1995年
シュッツェン通りの集合住宅、ベルリン、1994年-1998年
シュッツェン通りの集合住宅、ベルリン、1994年-1998年
プレミアホテル門司港、北九州市、1998年
ジャスマック本社ビル (旧アンビエンテ・インターナショナル)、東京都、1991年
カルロ・フェリーチェ劇場(再建)、ジェノヴァ、1990年
浅葉克己デザイン室(1991年、東京都港区南青山)

アルド・ロッシAldo Rossi, 1931年5月3日 - 1997年9月4日)は、イタリア建築家1980年代を中心に、建築理論・ドローイング・設計の三分野で国際的な評価を達成する非凡な業績を挙げた。

略歴

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ミラノ生まれ。1949年にミラノのポリテクニコ(ミラノ工科大学)に入学し1959年に卒業。在学中より(1955年)建築雑誌『Casabella Continuità』に寄稿し、1961年から1964年まで編集に携わった。1964年に『Casabella Continuità』誌を辞し、個人の建築設計事務所を開設。各地の大学で都市計画など都市の研究を進めた。1965年にミラノ・ポリテクニコで準教授に就任し、以後1970年代から1980年代にかけてスイスヴェネツィアニューヨークなど欧米各地の大学や研究機関で建築の教育を行った。

彼の初期の仕事である1960年代の作品群は、ほとんどが理論上の架空の計画やコンペで選外に終わった未完の作品であり、1920年代のイタリア・モダニズム建築ジュゼッペ・テラーニを参照)、19世紀末の建築家アドルフ・ロース古典主義機能主義20世紀前半の画家ジョルジョ・デ・キリコの都市を描いた絵画などの影響を同時に感じさせるものであった。彼は1966年の著書『都市の建築 (L'architettura della citta)』、および1981年の著書『科学的自伝(アルド・ロッシ自伝、Autobiografia scientifica)』、さらに1970年代後半から幾何学的な建築案が次々と実現したことによって、1970年代末から1980年代にかけて非常に強い影響を世界の建築界に及ぼした。

ロッシは著書の中で、現代の建築界では都市に対する理解の欠如が常態になっていると批判した。彼は、都市は時間をかけて建設されてゆくものとして研究され評価されるべきだと論じた。特に関心を示したものは、時間の経過に耐えて残ってゆく都市の工作物であった。ロッシは、都市はその過去(われわれの「集合的記憶」)を憶えている、と述べ、われわれはその記憶をモニュメントを通して活用しているとした。それゆえ、モニュメントは都市に構造を与えるものだとした。

彼は「テンデンツァ(La Tendenza)」と呼ばれる端正な新合理主義建築運動の創始者の一人とされている。彼が1970年代から1980年代のヨーロッパの建築思想を先鋭化させるにあたって及ぼした影響は、しばしば同時期のアメリカ合衆国におけるロバート・ベンチューリの理論などと比較される。しかしながら、ヴェンチューリがポストモダニストであったことに対し、ロッシは明らかに古代ギリシア古代ローマ以来のヨーロッパの都市デザインに基づくモダニズムの見解を前進させる立場であった。

彼は1979年ヴェネツィア・ビエンナーレのために、船で引かれて海に浮かべられる250席の劇場『Teatro del Mondo(世界の劇場)』を設計した[1]。また、彼はジェノヴァ第二次世界大戦で破壊された国立オペラハウス(カルロ・フェリーチェ劇場)再生計画など、多くの建築を手がけるようになり、1990年には建築の世界的な賞、プリツカー賞を受賞した。建築評論家でプリツカー賞の審査員、エイダ・ルイーズ・ハクスタブル(Ada Louise Huxtable)はロッシのことを「たまたま建築家になった詩人」と表現している。

1997年、ロッシは多くのプロジェクトを世界中で抱えていた最中、ミラノで自動車事故に遭い、66年の生涯を突然閉じた。

作品

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名称 所在地 備考
セグラーテの市庁舎広場と記念噴水 1965年 セグラーテ イタリアの旗 イタリア
ガララテーゼ集合住宅 1970年 ミラノ イタリアの旗 イタリア カルロ・アイモニーノとの共同設計
ブローニの単家族住居 1973年 ブローニ イタリアの旗 イタリア
ファニャーノ・オローナの小学校 1976年 ファニャーノ・オローナ イタリアの旗 イタリア
ブローニの学校 1979年 ブローニ イタリアの旗 イタリア
モッツォの単家族住居 1979年 モッツォ イタリアの旗 イタリア
ゴイトの単家族住居 1979年 ゴイト イタリアの旗 イタリア
ヴェネツィア・ビエンナーレの世界劇場 1979年 ヴェネツィア イタリアの旗 イタリア
ヴィルヘルム通りの集合住宅 1984年 ベルリン ドイツの旗 ドイツ ジャンニ・ブラギエリとの共同設計、ベルリン国際建築展・IBAの一部
サン・カタルド墓地 1984年 モデナ イタリアの旗 イタリア [2]
カーザ・アウローラ 1987年 トリノ イタリアの旗 イタリア
ホテル・イル・パラッツォ 1989年 福岡市中央区 日本の旗 日本 インテリアデザインは内田繁
サンドロ・ペルティーニ記念碑 1990年 ミラノ イタリアの旗 イタリア
カルロ・フェリーチェ劇場 1990年 ジェノヴァ イタリアの旗 イタリア イニャーツィオ・カルデッラとの共同設計
ボルゴリッコ市庁舎 1990年 ボルゴリッコ イタリアの旗 イタリア
浅葉克己デザイン室 1991年 東京都港区 日本の旗 日本 基本設計のみ
旧アンビエンテ・インターナショナル 1991年 東京都港区 日本の旗 日本 現 ジャスマック本社ビル
パリ19区の集合住宅 1992年 パリ フランスの旗 フランス
ポートモールアピタ港 1993年 名古屋市港区 日本の旗 日本 ポートウォークみなと
アピタ岐阜 1993年 岐阜県岐阜市 日本の旗 日本 MEGAドン・キホーテUNY岐阜店
ボネファンテン美術館 1995年 マーストリヒト オランダの旗 オランダ
Ca' di Cozzi 1996年 ヴェローナ イタリアの旗 イタリア [3]
シュッツェン通りの集合住宅 1998年 ベルリン ドイツの旗 ドイツ ベルリン国際建築展・IBAの一部[4]
門司港ホテル 1998年 北九州市門司区 日本の旗 日本 インテリアデザインは内田繁
ホテル日航奈良 1998年 奈良市 日本の旗 日本
ABCビル 2000年 バーバンク イタリアの旗 イタリア
ガリシア海の博物館 2000年 ビーゴ スペインの旗 スペイン セサル・ポルテラとの共同設計

受賞

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脚注

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著作(訳書)

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研究文献

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  • ディオゴ・セイシャス・ロペス『メランコリーと建築 アルド・ロッシ』
服部さおり・佐伯達也訳、片桐悠自監修、フリックスタジオ、2023年
  • 片桐悠自『アルド・ロッシ 記憶の幾何学』鹿島出版会、2024年

外部リンク

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