建築設計競技

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建築設計競技(けんちくせっけい きょうぎ)とは、建築設計において、複数の設計者に設計案を出させ、優れたものを選ぶこと。設計コンペ競技設計ともいう。

概要[編集]

建築計画都市計画造園・ランドスケープの各分野では、保留中の具体的な計画作業や一般的なブレーンストーミングのために最適な設計手法が得られるようにするには競技会(この場合建築競技または一般企画競技も含む)が開催される。ドイツでは部分的に正確な仕様にもかかわらず、B.プログラムによって、都市計画要件が様々な方法があるため、建物都市開発計画を構築し設計及び開発するためには、最良の解決策を見出すために代替計画を立てようとする。

建築競技は今日、都市計画、機能、経済、そして特定のプロジェクトのため社会的適合性の観点、そしてすべての持続可能性基準のための最良の解決策を特定するための最高の品質とプロジェクト指向の基準の1つである。

建造物、特に公共的な用途が高い建物の設計者を決める方法として、施主が複数の設計案を募集してその中から優れた案を選ぶというコンペ(コンペティション competition の略語)が行われることがある。建築史上では、ルネサンス期のイタリアで行われた設計コンペが有名であり、後世の規範にもなった。コンペのあり方については様々な議論を呼んできたが、今日、公共的な建造物を造る際にはコンペで設計者を選ぶ方式が望ましいと考えられている。

コンペを開催することで、公平性を保つこと、能力のある新人にチャンスを与えられること、優れた建築家に依頼することができることなどのメリットがある。一方、コンペの開催により費用が増大する側面もある。

なお現在の日本の公共建築の場合、複数の建築設計事務所等を対象に入札を行い、最も安い価格を提示した者に依頼する「設計入札」が行われることが多いが、コンペとは全くの別物である。日本建築家協会は建築家のプロフェッションを守る立場から、設計入札はダンピングだとして反対している。

特徴[編集]

こうした競技は通常、クライアント、プロモーターによって編成される。クライアントは公的機関や企業または個人のいずれかになる。競技会の文書は、競技の条件を公表し、作業すべき課題を定義し、定量的なパラメータ(例えば、空間計画による面積要件)または定性的な考えの形で処理の目的を記述する。

プロセスと原理[編集]

競争は、競合他社と同様に、通常は建築家である競争管理者(管轄当局または契約会社など)によって組織される。コンペティションマネージャー(RPWによる能力コーディネーター)は競技者と同じ資格を持っていなければならない。そしてこの段階で建築家の調整役を引き継ぎ、すべての内容の編集と参加、建築家から提出された草案の予備審査を担当し、さらに審査員の選考、すべての競技の準備と文書化、費用管理、展示会の準備など、プロセス全体を管理し、文書化していく。この特定のプロファイルは、1990年代から発展してきた。こうしたサービスを提供する企画者は専門化の一途をたどる。

提出されたデザインの評価と受賞者の選考は、審査員によって行われる。専門家の基準に従って、個人的かつ独立した方法で職務を遂行しなければならなく、審査の専門家で構成されている。専門家と実質的な審査員は同等の議決権を有する。最初のセッションのに、審査員は審査員の委員長と副委員を選出。専門家は競技者と同じ資格を有し、賞益を表し、必要に応じて自治体またはその他の利害関係者を代表する。

競技の基本的な考え方の多くは、計画契約(競合実現)の賞与である。この目的のために受注確約は請求に記載されており、この約束ため賞や表彰の形で配布される「競技会の総額」は、すべての参加者が提供する実際のパフォーマンスよりも低くなる可能性がある。ドイツでの競争額は予備的な計画(HOAIによる実績フェーズ2)の料金にほぼ相当。そして競技の過程で提出されたドラフト文書はプロモーターの財産となるが、さらなるコミッションの範囲内でのみ使用することができる。著作権は、実現された時点で、著作物の作者に常に残される。

建築競技の原則は次のとおり。

  • すべての参加者の同等の扱い
  • 明確な仕事
  • 合理的な価格性能比
  • 管轄陪審による仕事の評価
  • 競争エントリーの匿名性
  • 受賞者の1人に委託する約束
  • 参加者の著作権を確保する
  • 建築大会における持続可能性

持続可能な建築コンぺ[編集]

総合的な理解におけるサスティナビリティは、あらゆる品質計画の中核的なアイデアである。この意味での基準は、計画の革新性と可搬性、社会倫理的持続性、リソースと環境の慎重な使用の考慮、経済効率、それぞれの状況における美的文化的持続可能性である。

日常生活において持続可能性という用語は、特に生態学的持続可能性のために使用されている。プロモーターが、この意味で特に持続可能な建物を建設するという目標を追求すれば、こうした競争の中でこの目標を規定することができる。持続可能な建設への言及は、これらの用語の多くで見つけることができるが、そこから具体的な要件を導き出すことはない。したがって、しばらくの間競争法にサステナビリティを確実に定着させる方法の探求が求められてきた。

客観的な評価の初期の試みは環境 - スイス エンジニアおよび建築家協会 SIA SNARC から発表された建築プロジェクトの持続可能性を評価するために 2004 年に公開された分類 である。 これは10の基準に基づいて、コンセプトフェーズにおいて、建物の生態学的品質を比較的に推定することができる。

ガイドは2011年に発行された持続可能性指向の建築大会 - LeNAから既存のサステナビリティアセスメントシステムから20項目の予備的なドラフト持続可能性基準を初めて導き出す。建設競技を構築する段階に、持続可能な競争力のあるプロセスでアプリケーションの可能性を提供。ガイドは、2009年の経験に基づいてハーフェンシティ、ハンブルクでの競争を行って、順番に、ハンブルクの街で与えられたとされている。2013年秋の連邦交通省ビル・アンド・アーバン・デベロップメント(BMVBS)の研究プロジェクトで連邦建造物の持続可能な建物であるBNBが移転された。この目的のために、連邦競争裁判においてどのように持続可能性の側面を考慮すべきかについてのシステムが開発された。

こうしたシステムの努力(プロパティの選択など)や競技後計画の持続可能性の重要なパラメータは、競争の中では設計によって定義されうるが、どちらか、すでに事前に決まっていない中で特に議論するのはは無意味(材料の選択など)。

競技種別[編集]

コンペには、公募により行われる公開コンペと、複数の建築家を指名しその中で競わせる指名コンペがある。また詳細な実施案として提出する前に、まず構想・コンセプトを問うプロポーザル方式アイデアコンペという形式もある。この場合、例えばまずイメージ案とコンセプトを公募方式で募って、1次審査で候補者を絞り、次に詳細な図面を提出させて2次審査で決定する、という二段階コンペになる。

以下のオプションを組み合わせることで、様々な競技タイプがある。

  • 公開競技(国際、国内または地域)、または制限選択のある非公開競技は参加を許可された者による競技
  • プロジェクトの競技またはアイデア競技:プロジェクトの構築や新しいアイデアの生成の意図による
  • シングルステージまたは2ステージの競技:競争の規模と複雑さによって異なる
  • 匿名または協力手続:匿名性は、評価および授与授与審議中の客観性を高める。協力手続きでは、設計戦略を説明し、個々の議論を可能にするために、審査員に対面プレゼンテーションを行うよう招聘される
  • 学生向けのデザインコンテスト

単相と二相の方式[編集]

この特徴は、第1(オープン)段階において、第2の非オープン段階で参加者が選択されることに対し、2段階競争となっており、スケッチされた概念が縮小された規模で提出される。

実現とアイデアとしての競技[編集]

コンぺは通常「実現の競争」スイスでは「プロジェクト競争」として取り組まれる。特定のプロジェクトに最適な解決策が求められる。プロモーターと参加者との間の「契約」の本質的要素は、いわゆる「受注約束」であり、プロジェクトが実現された時点で、プロモーターは受注者の1人にプロジェクトのさらなる計画を委託することを約束する。原則として、少なくとも建築家とエンジニア(HOAI)の料金スケジュールに従ってサービスフェーズ2-5を割り当てることが約束されている。

例外的なケースでは、実現が意図されていない場合、競技はアイデアコンペとして実施することもできる。これらの競技は、より高い水準の計画アプローチ(通常は都市計画)を検索してたとえば、さらに計画するためのガイドラインを記す。注文誓約の紛失のため、賞金は実現競争よりもはるかに高い必要がある。そして著作権に特別な注意を払う必要がある。

アイデアコンペは契約を結ぶことなく競技を開催する選択肢であるのであるが、これを誤って解釈されることが多かったため、それを実現する意思があったとしても実現とアイデアの後でRAWは分岐を断念。秩序の約束はあらゆる競争の原則とみなされるべきとした。一方、RPWは、誓約のないコンペのオプションを定式化し続けているが、2013年の改正以来競技の目的のために「アイデア競技」という用語が再度登場している。

アイデアコンペ[編集]

建築設計競技でのアイデアコンペは設計者選出のための実施コンペなどとは違い、あるテーマに対して建築提案し構想の幅を広げていくかを考える、鍛錬トレーニングの意味をこめて開催されることが多く、より良い都市環境づくりにつながる広いデザインアイデア提案を募集する。題材は要綱等であらかじめ定めらそれにそって行われるものから応募者が自由に設定するものなど、都市環境の機能性や景観的アメニティの視点から問いかけているテーマのものも多く、応募者の提出応募案・作品がかならずしも建築物を伴ったものとはならない場合もある。

日本で戦前に実施されたものでは日本建築協会15周年記念住宅博覧会と住宅の懸賞設計、日本建築協會第三回改良住宅設計圖案懸賞(1921年)、同潤会主催「分譲住宅設計図案」懸賞募集(1932年)、 都市美協会・大東京建築祭建築設計競技銀座街共同建築(1935年)、 日本建築學會「國民住宅」競技設計(1941年)、第16囘建築學會展覽會競技設計(1942年)、 や大東亜建設記念造営計画などがある。大東亜建設記念造営計画は1942年、建築学会主催の展覧会の一環で開催。富士山麓に忠霊を祭る造営計画という想定で、鉄筋コンクリート造の神明造を提案した。丹下健三が1等当選している。

アイデアコンペは継続的な年次開催のテーマ別形式のデザインコンペも定着している。そのようなコンペに参加することを通じてコンセプト形成などデザインの発想、プレゼンテーションの技術、さらにデザインとエンジニアリングの関係整理などの際に相当の発想発展がみられる。

協力競技[編集]

競技の基本原則は匿名である。これは、限られた参加者が自分の名前ではなく、その人物とは無関係にコンテンツに焦点を当てるために匿名で提出され、評価されることを意味している。ただし競技は例外的に複数人を選ぶことができる。このような場合には、1つまたは複数のプレゼンテーション・コロキアが実施され、後で処理する前に参加者と共通のアプローチを議論する。匿名性を維持することはできない。協調手続きは少数の参加者のみが可能であり、タスクまたは特定の条件が手続きの過程でのみ指定できる場合には、それ自体を有用にする。

学生コンペ[編集]

特定の分野の学生のみが参加できるコンペ。外部の「コンペの主催者」と協力し、大学が提供する学生大会と期末課題間の境界はしばしばぼやけていく。学生用競技は規則の対象ではなく、建築競技とは部分的にしか匹敵しない。

基本的には上記にあるアイデアコンペが主であるが、ごくたまに最優秀者の作品が実施となる場合のコンペティションもある。

なお日本では 長谷工住まいのデザインコンペティションTEPCOインターカレッジデザイン選手権せんだいデザインリーグ、トウキョウ建築コレクション、 シェルター学生設計競技など、多数開催されている。

歴史[編集]

建築競技大会には2,500年以上の歴史がある。アテネアクロポリスは、中世に建設された多くの大聖堂と同様、紀元前448年主催の建築設計競技の結果であった。ルネサンス期には教会が主催した多くのプロジェクトが建築設計競技を通じて決定された。例としてはローマのスペイン階段や1419年にフィリッポ・ブルネレスキが獲得したフィレンツェ大聖堂のドームデザイン競技が行われた。オープンコンテストは、米国英国アイルランドフランススウェーデンをはじめとするいくつかの国々で18世紀後半に開催されていった。

19世紀のイングランドアイルランドでは、ロンドンだけで362回、50年間で2,500回以上の競技が行われた。このため1839年、および1872年の正式規則において、王立英国建築家協会が最初の規則を草案する。 そしてドイツの規則は1867年に提示された。 オランダも同じ時期に、建築普及協会 (建築芸術促進協会)は、建築家の創造性を刺激することを目標とした建築競技会を開催し始めた。

[編集]

建築設計競技は競技を通じて公共の作品を生み出すために広く使われている。例えば庁舎博物館スポーツスタジアム大学都市計画などで実施されるが特に造形建造物だけでなく、幼稚園教会その他の機能的な建物や都市計画の事業でも実施される。しかも民間企業や国際企業も設計競技を賞賛する。設計競技は、オフィスやセールスビルだけでなく、生産や研究用の建物でも実施される。

主催者:
  • 1993年ベルリン帝国議会ビルの再建設計競技(国会議事堂 (ドイツ)
  • 1995年中央政府一等書記官オフィスのための設計競技
  • ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ大学フランクフルト校のキャンパス・ウェストエンド設計競技(2003年)
  • フンボルトフォーラム(ベルリン)のための設計競技、2008
プロモータ会社:
  • スポーツのアディダス社社屋1998-1999(Architect:agps)のための設計競技
  • ライプツィヒのBMWプラント中央ビル設計競技(建築家:Zaha Hadid)
  • ティッセンクルップカルティエエッセン、2006年(建築家:JSWD Architektenの Chaix et Morel )
国際大会
歴史的大会:
  • シカゴ・トリビューン社のトリビューンタワー設計競技、1922
  • 平和宮(ハーグ)設計競技では、拠出金の一部と1905年のギャラリーから、デザインが広範囲に及んでいる。
Competition entry by Otto Wagner
Entry by Franz Heinrich Schwechten
Entry by Hendrik Petrus Berlage
Building by competition winner Louis M. Cordonnier
ハーグ平和宮建築設計競技、1905年 応募案(左から右に)エントリー - オットー・ワーグナー、フランツ・ハインリック・シュワーットン、ヘンドリク・ペトルス・ベルラーヘ、ルイ・M. コードニエによる構築されたデザイン案

日本の事例[編集]

日本でコンペが実施されるようになったのは国会議事堂の計画と深い関わりがある。明治10年代の官庁集中計画以来、議事堂建設の計画が度々持ち上がったが、財政上から仮建築のままであった。日露戦争後、本建築への機運が高まり、大蔵省臨時建築部が建設計画を進めたが、建築学会会長の辰野金吾らは官僚主導の計画を批判し、公開コンペの開催を要求していた。その頃まで実際に建築界でコンペが行われることは少なかったが、明治末の頃から次第に実施される機会が増えてきた。

明治〜昭和中期のコンペでは、優れた建築家を選ぶのではなく、優れたデザインを選ぶものと考えられ、当選者が実施設計まで担当することは少なかった。また、設計者の著作権を尊重するという発想に乏しく、応募案から選んだものに審査員などが大きく手を加えることがしばしば見られた。

1909年の台湾総督府庁舎新築懸賞設計が日本における公開建築設計競技の初期の事例で、二段階の公開コンペが行われた。1等当選なしとされたため、2等の長野宇平治は最優秀者を1等にすべきと主催者側に抗議したが、台湾総督府技師の森山松之助が中央の塔を高く修正し、実施。1912年には大阪市中央公会堂の指名コンペが当時の中堅建築家により行われた結果、岡田信一郎案が1等当選。これも、辰野片岡建築事務所(辰野金吾片岡安)が修正を加えて実施した。岡田は原案のみであり、実施設計には関与していない。

そして、1919年に公開でおこなわれた議院建築(国会議事堂)は、旧宮内省内匠寮渡辺福三案が1等に当選した。これは1等案をはじめ西欧追随的な案ばかりだとして、当時の若手建築家らが建築会を組織して抗議運動を展開し、再競技の実施を決議したり、下田菊太郎が議会に請願書を提出し無効を訴えるといった一幕もあった。結局当選案は大きく設計変更されて実施されることになった。議事堂は1920年に着工、1936年竣工した。

1923年の日比谷公会堂のコンペでは佐藤功一案が1等となった。これは佐藤自身が当初案(ルネサンス風)を関東大震災による中断の後、大きく変更してゴシック風のデザインとした。同年行われた早稲田大学大隈記念講堂のコンペは公開コンペにより前田健二郎らの案が1等となったがこれも関東大震災による中断の後、当選案は破棄され、佐藤功一はじめ早稲田大学の教授らが改めて設計を行い、実施した。

1925年に実施された神奈川県庁舎のコンペも中村順平が応募規程を批判。小尾嘉郎による帝冠様式風の1等当選案に佐野利器、県営繕課が手を加えて実施。同年の東京大震災記念建造物のコンペも前田健二郎の当選案は採用されず、審査員の伊東忠太がまったく異なるデザインで設計した(震災記念堂・復興記念館:現在の東京都慰霊堂)。

1931年に実施された東京帝室博物館(東京国立博物館)のコンペは要綱に「日本趣味を基調とする東洋式」と規定があり、日本インターナショナル建築会から拒否声明文が発表された(これに対して中村鎮が無意味だと批判した)。渡辺仁案が1等当選し、宮内省内匠寮が手を加えて実施した。1930年に実施された日本生命館日本橋高島屋)意匠の公開コンペは1等当選の高橋貞太郎が日本生命館臨時建築局に加わり、実施設計まで行った。

1948年に実施された広島カトリック聖堂(世界平和記念聖堂)のコンペは第2次世界大戦後まもなく行われた公開コンペで、1等当選作は該当なしとされ、審査員の1人村野藤吾が自ら設計を行うことになったため、コンペの公平性などについて大きな議論を呼んだ。1951年に実施された日本銀行金沢支店指名設計競技は審査員岸田日出刀が選出した佐藤武夫案を時の総裁一万田尚登が撤回し、山下寿郎案に。岸田は日銀顧問を辞任、佐藤の参加作品を撤収している。1952年の外務省独立庁舎指名設計競技は、参加報酬と審査側の謝礼が少なく、委員の一人岸田日出刀は外務省を批判。

1952年の東京空港ビル指名設計競技は、あらかじめ実施設計が松田平田設計にきめられていて、当初の指名者は応募を拒否。その後すぐに6人を指名した。内5名が提出し1等なしとなると5名は異議を申し立て、その結果「設計合同協議会」なる形で基本設計を行うことになる。一方、1953年の神奈川県中小企業会館指名設計競技では応募要綱は先に定めず、クライアント、審査員、応募者三者で同じテーブルについて考えを進めて相談してから起草された。佐藤武夫が当選し、県分庁舎も担当することになる。

1963年に実施された国立劇場のコンペは木造モチーフ(校倉造り風)を採り入れた岩本博行が率いる竹中工務店設計部の案が当選(清水建設設計部の案も入賞していた)。実施設計は建設省営繕局が行い、施工は竹中工務店が受注した。このころ国のプロジェクトで公開のコンペを実施すると、ゼネコンが組織を挙げて設計して入選していた。1965年に実施された日本建築センターコンペの大林組のケースも同様であったが、設計をとったゼネコンが施工までを受注していた。1968年に実施された最高裁判所庁舎の公開コンペにより、鹿島建設設計部に所属する岡田新一の案が採用された。工事受注についての公正さを保つ(設計・施工の分離)ため、実施設計に当たって岡田は鹿島建設から独立し自身の設計事務所を組織した。施工は鹿島建設が受注。このころから官公庁発注コンペの応募資格についていろいろ意見が出されていた。1986年の新国立劇場も公開コンペを経て、竹中工務店設計部に所属する柳澤孝彦の案が採用された。コンペの規定により(設計・施工の分離)、柳澤は独立して自身の設計事務所を組織し、実施設計に当たった。施工は竹中工務店を含むJVが受注した。

1986年現在の東京都庁舎では指名コンペを実施。ゴシック様式を思わせる第一庁舎、議事堂が取り囲む市民広場といった特徴を持つ丹下健三の案が選ばれた。シンボリックで威圧的な超高層のフォルムに疑問をはさむ声もあった。丹下案に次いで支持されたのは山下設計によるツインタワー案で、機能的には丹下案よりも優れているとも言えたが、審査員からは「首都東京の庁舎としては格調にかける」といった意見も出て採用されなかった。丹下案の格調の高さは竣工後に「贅沢すぎる」といった批判を受けた。(後に、丹下は近隣の新宿パークタワーも手がけ、一帯の超高層ビルのフォルムにある種の秩序を与えた。)(新都庁舎コンペ参照)

関西国際空港ターミナルビルでは当初国内設計会社らの手で決まりつつあったビル設計案を覆して国際公募コンペが行われ物議をかもした。基本設計コンペは、国内線フロアを国際線の到着と出発フロアで上下から挟み込むパリ空港公団案が勝利をおさめ、それに基づく建築設計コンペではイタリア人のレンゾ・ピアノが勝利した。ただし彼はターミナルビルの周りの建物(鉄道駅やホテル、管理棟、管制塔など)をトータルに設計することはできず、ターミナルビルと周りのビルの不調和には不満を漏らしている。

京都駅ビルは京都の景観論争とからんで、様々な議論を呼んだコンペである。最高120mまでの高さが許容されたが、最終的に勝利したのはもっとも高さが低い(それまでの高さ規制60mに収まる)原広司の案であった。

2002年に実施された邑楽町役場庁舎等設計者選定住民参加型設計提案競技では町長の交代(神藤茂町長から久保田文芳町長)によって最優秀案が取り消しになり、最優秀の山本理顕設計工場やコンペ参加者に何の説明もなく別の設計者を特定し新庁舎建設を進めたことから、コンペ参加者のうち25人が原告となり、債務不履行と国家賠償(地方自治体に適用)を追求。2009年東京地方裁判所の示した和解案に原告、被告双方が合意し和解が成立。邑楽町が「遺憾の意」を表明し、原告がこれを了承している。

2012年の新国立競技場のコンペでは国内外から応募があり、イギリスのザハ・ハディドの作品が最優秀賞に決定した。後に大きく設計変更を受け、実施計画案がまとまった。しかし、建設費用が当初計画より大幅に増えたことから世論の批判が高まり、2015年7月、安倍晋三首相が計画の白紙化(ザハ・ハディド案の破棄)を決めた。

日本において現在、設計料入札以外の主な設計者選定方式については、 発注者か直接、設計者を指名する方法の特命方式、 設計者選定委員会を設置し、設計者を選定する選定委員会方式、 設計者か設計案を提出し、その案の優劣を競つ、設計競技方式 などがある。

特命方式は発注者側にはっきりした建物のイメージかある場合や、設計者についての能力や技量などについて実績を通して十分な情報がある場合などに採用されろことか多い。政治的介入を招きやすい、透明性が低いなどの理由で、近年は緊急時の場合などに限られている。 選定委員会方式は行政内部だけでは外からの圧力を受けやすい、行政内部に十分な数の建築の専門家かいないなどの理由から採用されている方式である。

設計競技方式は種類として公開設計競技の他に、指名設計競技、国際設計競技等あるが、国や地域を代表する建物やシンボルになる建物をつくる際、さらに、時代を代表する創造的な建築を求める際などに採用されることが多い。また、参加する設計者を限定せず広く設計案を求める方法なため、新たな人材を育成発掘するなどの目的で採用される場合もある。応募者の負担を軽減するために二段階方式を採用する場合も多い。

ルールとガイドライン[編集]

各競技会のルールは、主催者によって決定される。しかしながらルールしばしば国際建築家連合(International Architects of Union)が提供するガイドラインに従う。競争指針は、競技会における役割、責任、プロセス、手続き法を決定し、競争の種類、適格基準、陪審構成、参加条件、支払、賞品、結果の公表その他の側面に関するガイダンスを提供する。

国際コンペとした場合、国際建築家連合(UIA)の国際建築設計競技基準に準拠しなければならない。UIAはユネスコの構成機関であり、この基準はユネスコ総会で議決され、各国に勧告されており、各国政府も批准しているならば実施時は遵守し、コンペ要項はUIAの承認を受けねばならない。

フランスとドイツでは、一定の費用を上回るすべての公共建築物の設計競技が義務付けられている。 法的根拠 国際大会は、1956年のユネスコの建築と都市計画における国際大会に関する勧告(1978年に最終更新)に基づいている。ユニオン・インターナショナル・デ・アーキテクツは、ユネスコから規則の適用を委任され、「建築と都市計画に関する国際大会のためのUIAガイド」を立ち上げた。ウイリアが運営する競技会のみが「国際大会」というタイトルの資格があり、要件を満たす必要がある。

ヨーロッパレベルでは、欧州建築家協議会(European Architects Council of Europe)が建築競技の実施に関する協調的提言を作成する。

国レベルでは各国、法的枠組みの定義が異なっている。

ドイツ
  • ドイツでは交通・建設・都市開発連邦省(BMVBS)から2009年に計画競技のためのガイドライン(2008 RPW)と空間計画、都市開発と建設の分野での競争のための原則とガイドライン(GRW1995)が発表されているが、適用初期段階後、評価の一部としてわずかに修正され、「競技の計画のためのガイドライン」として示された(RPW 2013)。しかし、これは当初、連邦政府と大半の法人の措置にのみ拘束力がある。ただし「競争のためのルールにおける簡単なコンテスト」(RAW 2004)であるために、いくつかの州(ニーダーザクセン州とブレーメン)で適用。
  • GRWには簡素な方法を開発した連邦政府と州政府の唯一の企画部門が結合し競争ルールの適用を持ち続けている。プロモーターはRPWまたはRAWを使用するための法的義務はない。しかし、建築家の参加はそのような競技会にのみ参加することを法的に義務づけられており、公正な競争が保証されている。これは、上記の競技ルールのうちの1つが使用される場合のルールである。さらに、競争の秩序の適用は、プロセスが法的に健全かつ公正なゲームで行われることを保証する。したがって、すべての手続きのためにRPWアプリケーションは実施されうる。
  • コンテストフォーム 適格性、オープンおよび限定競技 - 適格性を定義することにより、プロモーターは参加した人物を決定する - 通常はz.B.として適切な職業資格を持つ建築家。オープンコンペでは、資格要件を満たし、参加の障害がないすべての人が参加できる。彼らはプロモーターまたは陪審員の従業員であるためである。ノンオープン(RPW、WOA)、限定(RAW)または条件限定(GRW)の会には、実際の競技会に先立ってエントリーが行われる。クレーム書類の発送前に、公表後、明確に定義された数の参加者を決定するための選択手続きが行われる。
オーストリア
  • オーストリアのコンペはガイドが建築家、すなわちの専門組織で使用することができ、連邦調達法に公共部門における競争の賞のためのルールに従って競争標準アーキテクチャ(ショートESC)。
スイス
  • スイスでは、建築競技会が、SIA委員会のMerkblatt 142(建築および工学競技のための命令)に従って組織されている。
イタリアの法律における建築競争
  • 建築競争はイタリアでは以下の法​​律の規定によって規制されている。
    • 立法判決 2006年4月12日、n。163.指令2004/17 / ECおよび2004/18 / ECの実施における業務、サービスおよび供給に関連する公的契約のコード:タイトルII - 第IV章アーキテクチャとエンジニアリングに関連するサービス。セクションIII デザイン競技会(記事99-110)および附属書IX D - コードのパートIIに記載されている通常のセクターの設計競技入札のための情報に含まれる情報。インターネットアーカイブ 2009年9月25日に提出された専用ページを 参照。 Bosetti&Gattiのウェブサイト [1]
    • 共和国大統領令 1999年12月21日、n.554、公共事業に関する枠組み法を実施する規制。1994年2月11日、n.109と変更点:タイトルIV - アーキテクチャとエンジニアリングに関連するサービスの割り当て。第2章 - アイデアの競争と第3章 - デザイン競技(記事57-61 インターネットアーカイブ 2011年11月25日にアーカイブされた専用ページを 参照。[2] Bosetti&Gattiのウェブサイト)
  • これらのルールは、公共事業における設計業務の割り当ての一環として、破産手続を解する可能性を提供。

参考文献[編集]

  • 「コンペに見る建築デザインの潮流」GA JAPAN 79(2006年)
  • 近江榮『建築設計競技』(鹿島出版会、1986年)
  • 三宅理一『都市と建築コンペティション』7巻(講談社、1991年)
  • 吉田研介+「建築設計競技選集」編集グループ編集『建築設計競技選集』(メイセイ出版 , プロトギャラクシー (発売) 1995年 : セット , 1 : 1945-1960 , 2 : 1961-1985 , 3 : 1986-1990)
  • JR京都駅改築設計競技結果発表 新建築 66(7), p193-212, 1991年6月号
  • 現代の建築と都市編集委員会編『現代の建築と都市 : 現代建築の成果を追う総合事典』(自由国民社 1973)
  • 日本建築学会編『設計競技入選図集』(彰国社 1957)
  • 日本建築学会編著『都市建築の発展と制御に関する設計競技応募作品集 : 緑地や公共空間を創出する都市建築の原型』(日本建築学会 2005年)
  • 関西国際空港旅客タ-ミナルビル設計競技結果発表 新建築 64(2), p191-226, 1989年2月号
  • 山本 三津子 , 渡辺 俊『5310 邑楽町役場庁舎に関する2つの設計競技プロセスの比較』(学術講演梗概集. E-1, 建築計画I, 各種建物・地域施設, 設計方法, 構法計画, 人間工学, 計画基礎 2007, 619-620, 2007年7月)
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  • 巻頭インタビュー 今,建築界全体で考えるべきこと--邑楽町コンペ・建築家集団訴訟和解を通して 山本 理顕 , 五十嵐 太郎 新建築 84(10), 52-58, 2009年9月号
  • 天内 大樹 , アマナイ ダイキ 21世紀東京における記念建造物の可能性:塔と都市 … 静岡文化芸術大学研究紀要 17, 117-122, 2017年3月
  • 疑惑のコンペに警鐘 このままでは五輪後、神宮は廃墟と化す 伊東豊雄(競合相手・B案設計者)が「新国立競技場隈研吾案を再撤回せよ!」週刊ポスト 48(15), 45-47, 2016年4月15日号
  • 勝手に誌上コンペ 「自然を生かした建築」伊東豊雄VS「コンピューターは一切使わない」隈研吾 出直し新国立競技場 : 「最終候補」はこの2案 あなたはどちらを選ぶか? 週刊ポスト 47(43), 50-52, 2015年10月16日号