建築設計競技

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建築設計競技(けんちくせっけい きょうぎ)とは、建築設計において、複数の設計者に設計案を出させ、優れたものを選ぶこと。設計コンペ競技設計ともいう。

概要[編集]

建造物、特に公共的な用途が高い建物の設計者を決める方法として、施主が複数の設計案を募集してその中から優れた案を選ぶというコンペ(コンペティション competition の略語)が行われることがある。建築史上では、ルネサンス期のイタリアで行われた設計コンペが有名であり、後世の規範にもなった。コンペのあり方については様々な議論を呼んできたが、今日、公共的な建造物を造る際にはコンペで設計者を選ぶ方式が望ましいと考えられている。

コンペを開催することで、公平性を保つこと、能力のある新人にチャンスを与えられること、優れた建築家に依頼することができることなどのメリットがある。一方、コンペの開催により費用が増大する側面もある。

コンペには、公募により行われる公開コンペと、複数の建築家を指名しその中で競わせる指名コンペがある。また詳細な実施案として提出する前に、まず構想・コンセプトを問うプロポーザル方式アイデアコンペという形式もある。この場合、例えばまずイメージ案とコンセプトを公募方式で募って、1次審査で候補者を絞り、次に詳細な図面を提出させて2次審査で決定する、という二段階コンペになる。

なお現在の日本の公共建築の場合、複数の建築設計事務所等を対象に入札を行い、最も安い価格を提示した者に依頼する「設計入札」が行われることが多いが、コンペとは全くの別物である。日本建築家協会は建築家のプロフェッションを守る立場から、設計入札はダンピングだとして反対している。

歴史[編集]

建築競技大会には2,500年以上の歴史がある。アテネアクロポリスは、中世に建設された多くの大聖堂と同様、紀元前448年主催の建築設計競技の結果であった。ルネサンス期には教会が主催した多くのプロジェクトが建築設計競技を通じて決定された。例としてはローマのスペイン階段や1419年にフィリッポ・ブルネレスキが獲得したフィレンツェ大聖堂のドームデザイン競技が行われた。オープンコンテストは、米国英国アイルランドフランススウェーデンをはじめとするいくつかの国々で18世紀後半に開催されていった。

19世紀のイングランドアイルランドでは、ロンドンだけで362回、50年間で2,500回以上の競技が行われた。このため1839年、および1872年の正式規則において、王立英国建築家協会が最初の規則を草案する。 そしてドイツの規則は1867年に提示された。 オランダも同じ時期に、建築普及協会 (建築芸術促進協会)は、建築家の創造性を刺激することを目標とした建築競技会を開催し始めた。

Competition entry by Otto Wagner
Entry by Franz Heinrich Schwechten
Entry by Hendrik Petrus Berlage
Building by competition winner Louis M. Cordonnier
ハーグ平和宮建築設計競技、1905年 応募案(左から右に)エントリー - オットー・ワーグナー、フランツ・ハインリック・シュワーットン、ヘンドリク・ペトルス・ベルラーヘ、ルイ・M. コードニエによる構築されたデザイン案

競技種別[編集]

以下のオプションを組み合わせることで、様々な競技タイプがある。

公開競技(国際、国内または地域)、または制限選択のある非公開競技は参加を許可された者による競技
プロジェクトの競技またはアイデア競技:プロジェクトの構築や新しいアイデアの生成の意図による
シングルステージまたは2ステージの競技:競争の規模と複雑さによって異なる
匿名または協力手続:匿名性は、評価および授与授与審議中の客観性を高める。協力手続きでは、設計戦略を説明し、個々の議論を可能にするために、審査員に対面プレゼンテーションを行うよう招聘される
学生向けのデザインコンテスト

ルールとガイドライン[編集]

各競技会のルールは、主催者によって決定される。しかしながらルールしばしば国際建築家連合(International Architects of Union)が提供するガイドラインに従う。競争指針は、競技会における役割、責任、プロセス、手続き法を決定し、競争の種類、適格基準、陪審構成、参加条件、支払、賞品、結果の公表その他の側面に関するガイダンスを提供する。

フランスとドイツでは、一定の費用を上回るすべての公共建築物の設計競技が義務付けられている。

ヨーロッパ・アメリカの事例[編集]

イタリア
アメリカ合衆国
当時アメリカに建築家が少なく、応募者8人中、プロの建築家は2人のみであったという。当選したジェームズ・ホーバンの設計により建設された。
イギリス
ゴシックまたはエリザベス朝様式という条件でコンペが行われ、ゴシック様式のチャールズ・バリーが当選(応募数98)
オーストリア
  • ウィーンカールス教会 - ヨハン・ベルンハルト・フィッシャー・フォン・エルラッハが当選(1713年)
  • ウィーン・ヴォティヴァキルヒェ - ハインリッヒ・フェルステルが当選(1854年(75人の国際参加者)
  • ウィーン宮廷歌劇場(ウィーン国立歌劇場)(1860年)
ウィーンのリンク大通り建設に合わせて、コンペが行われた(告示はパリのオペラ座より早い)。オーガスト・シカード・フォン・シカーズバーグとエドゥアルド・ファン・デル・ニュールが当選
  • ウィーン市立公園に建てる会館(Kursalon クアサロン)の建築設計競技(1863年)
  • ウィーン宮廷ミュージアム建設設計競技/ホーフブルク宮殿(1867年)
フランス
二段階コンペが行われた。1次は締切まで1週間という短期間で、171人が応募、6人が選定された。2次も締切まで2週間で、シャルル・ガルニエが当選。
  • パンテオン (パリ) 教会堂建築設計競技(1755年)
  • パリ・メトロ駅舎コンクール(1899年)
オランダ
民間の委員会主催でコンペが行われたが、審査が紛糾し、設計者が決まらなかった。1875年にあらためて政府主導の指名コンペが行われた。ピエール・コイペルスが当選 [1]
ドイツ
国際コンペとして行われたが、用地取得に難航し計画が中断。
用地を確保した後、ドイツ人のみを対象にコンペが行われ、パウル・ヴァロットが当選した。
  • ハンブルク市庁舎コンペティション(1878年)
  • プロイセン技術建築局主催フランクフルト中央駅コンペティション(1880年)
  • ライプツィヒ裁判所コンペティション(1885年)
  • ドイチェスハウス協会集会所コンペティション(1887年)
  • ヴィルヘルム1世記念碑設計競技(1890年)

20世紀以降[編集]

19世紀末から国際的なコンペが増加し、国際連盟会館のコンペなどはモダニズム建築の普及に大きな役割を果たした。

オランダ
  • ハーグ平和宮(国際司法裁判所) - ルイM.コルドニーが当選(1905年)
  • アムステルダム市庁舎 - ヴィルヘルム・ホルツバウアー、シーズ・ダム、B.バイフート、GHM・ホルトが当選(1967年(応募数804)
  • ハーグ市庁舎 - リチャード・マイヤーが当選(1986-1989年)
  • オランダ建築研究所 - ロッテルダム - ヨー・クーネンが当選(1988年(6案)
  • アルメラ市文化センター国際設計競技 
ドイツ
  • ハンブルク中央駅、ハインリッヒ・ラインハルトが当選(1900年)
  • アウクスブルクシナゴーグ建設のための建築コンペ 1912年
  • ダルムシュタット House for an Art Lover(1901年)
  • ベルリン国立銀行オープンコンペティション(1933年)
  • ベルリン・フィルハーモニー - ハンス・シャロウンが当選(1956-57年(14名の招待建築家)
  • 共和国宮殿
  • 西ドイツ政府 将来の「首都ベルリン」をテーマにした建築設計競技(1958年)
  • ベルリン自由大学国際競技設計(1963年)
  • デュッセルドルフのノルトライン・ヴェストファーレン美術館の建築設計競技(1975年)
  • シュトゥットガルト・シュターツギャラリー新館 - ジェームズ・スターリングが当選(1977年)
  • ベルリン国際建築展 - いくつかのプロジェクトのために様々な建築家が当選し関与(1980-1987年)
  • メッセタワー - フランクフルト・アム・マイン - Helmut Jahnが当選(1985年)
  • バイエル社インフォメーションセンター国際指名設計競技(1987年)
  • バイエルン社植物防疫研究センター国際指名設計競技
  • ベルリン・ユダヤ博物館 - ダニエル・リベスキンドが当選(1989年)
  • コメルツバンク・タワー - フランクフルト・アム・マイン - ノーマン・フォスターが当選(1991年)
  • ベルリン帝国議会ビル - ノーマン・フォスターが当選(1992年)
  • 国会議事堂 (ドイツ)建築設計競技
  • ベルリン中央駅 - Gerkan、Marg and Partnersが当選(1992年)
  • オリンピック競輪場とスイミングプール、ベリン - ドミニク・ペローが当選(1992年)
  • フェリックス・ナスバウム博物館、オスナブリュック - Daniel Libeskindが当選(1995年)
  • バーベルスベルグ国際指名設計競技(1995年)
  • フランス大使館、ベルリン - Christian de Portzamparc、1997(7名の招聘建築家)
  • 欧州中央銀行国際建築コンペティション 1999年
  • ヴォルフスブルク・フェーノ科学センター - ザハ・ハディドが当選(2000年)
  • BMWヴェルト 建築設計競技 - ミュンヘン - コープ・ヒンメルブラウが当選(2001年) [2]
  • BMW工場ライプツィヒ - ザハ・ハディドが当選(2002年) [3]
  • ZKM(カールスルーエ・アート・アンド・メディア・テクノロジー・センター)
  • ヴュルツブルク中央駅周辺再開発計画の建築コンペ 2006年 
  • 欧州中央銀行新社屋国際設計競技
  • ベルリン王宮再現(2008年)
  • ブレーメンドーム広場パビリオンコンペ
  • デュースブルク市商業複合施設国際指名設計競技
  • ミュンスター広場のシティーハウス国際建築デザインコンペティション
ロシア
  • オホートヌィ・リャッド労働宮殿(モスクワ)1922年
  • モスクワ新聞ビューロー「レニングラード・プラウダ」コンペ(1924-1925年)
  • レーニン人民の家(1924年)
  • ブリヤンスクソビエトの家(1924年)
  • モスクワ鉱山管理研究所(1925年)
  • モスクワ繊維会館(1925年)
  • エレクトロ組合ドム・コムーナ(1925年)
  • モスクワ・エレクトロバンク(1926年)
  • モスクワ・スモレンスカヤ市場プロジェクト(1926年)
  • モスクワ・ルスゲルドルグ(1926年)
  • ドニエプル河電力センターオープンコンペティション(1926年)
  • ミンスク州ベラルーシ国立大学の建築設計競技プロジェクト(1926年)
  • トゥルクの農業組合本部(1927年)
  • ヴィープリ図書館建築設計競技(ヴィボルグ 1927年)
  • スターリングラード文化宮殿(1928年)
  • モスクワ・ディナモ会館(1928年)
  • Asneftポンプステーション(1928年)
  • ロシア・ツェントロソユーズ・コンペティション(1928年)
  • レーニン図書館建築コンペティション(1928年)
  • ヴァイマール帝国議会堂拡張計画設計競技(1929年)
  • ハバロフスク・ソビエトの家コンペティション(1929年-1930年)
  • イヴァノヴォ・ヴォツネセンクスの共同住居(1929年-1930年)
  • ドニエプル・ドニプルストロイ水力ダム(1929年)
  • スヴェルトロフクク・ウラル工業省プロジェクト(1930-1931年)
  • 前政治犯協会会館(1930年)
  • スターリングラード住居コンビナート(1930年)
  • ロストフ・アン・ドン・ソビエト庁舎(1930年)
  • イヴァノヴォ・ヴォツネセンクス大劇場(1930年)
  • スヴェルドロフスク大劇場(1932年)
  • ジェルジンスカヤ地下鉄駅コンペティション
  • レニングラード学生コミューンコンペティションプロジェクト
  • アレクサンダー広場改良オープンコンペティション
  • モスクワ赤の広場のナルコムチアジプロムNarkomtiazhpromビル(1934年)
  • ソビエト宮殿 - ボリス・イオファンが当選(1931年-1933年、160もの建築デザインのエントリーがあったが結局は実現せず)
  • 重工業省モスクワ庁舎(1934年)
  • クラースヌィエ・ヴォロータ駅(クラスナヤ・ヴァローダ)地下鉄駅コンペティション(1935年)
  • ソビエト・ウクライナ大衆劇場(ウクライナ・ハリコフ劇場, 1931年開催、川喜田煉七郎が4位に入選)
フランス
  • パレ・ド・トーキョー
  • アミアンの劇場建築設計競技(1908年)
  • パリ万国博覧会 (1925年) パヴィリオン・コンペティション
  • プジョービル国際競技設計
  • パリ国立図書館
  • ジョルジュ・ポンピドー・センター - レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャーズが当選(1971年(応募数681)
  • オルセー美術館改造(1979年)
  • 旧オルセー駅駅舎美術館転用計画建築設計競技(1980年)
  • イスラム文化センター国際競技設計(1979年) 
  • ヴィレット科学産業都市博物館(1980年)
  • ヴィレット音楽産業都市博物館(1980年)
  • アラブ世界研究所 - ジャンヌーヴェルが当選(1981年)
  • ラ・デファンス高層ビル(パリ)
  • パリ・ラ・グランデ・アルク・デ・ラ・デファンス(ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセンが当選(1982年)
  • 人権ビルナシオン広場
  • パリ・バステューユ新オペラ座国際オープンコンペティション(1982年)
  • フランス大蔵省新庁舎(1982年)
  • 新凱旋門グレートアーチ(1983年)
  • パリ新オペラハウス国際設計競技 1983
  • シテ・デ・ラ・ミュジーク、パリ - クリスチャン・ド・ポザンパルクが当選(1983年)
  • オペラ・バスティーユ、パリ - カルロス・オットーが当選(1983年(応募数750)
  • ニーム・キャレ・ダール - ノーマン・フォスターが当選(1984年(12名の建築家を招聘)
  • シテ・ド・ラ・ミュジークの建築設計競技(1984年)
  • オペラ・ナショナル・リヨン - ジャン・ヌーヴェルが当選(1986年)
  • フランス国立図書館(1989年)
  • フランス・エクサン・プロヴァンス国際指名設計競技(1990年)
  • トゥールーズ国際指名設計競技(1990年)
  • パリ・日仏文化会館国際オープンコンペティション 1991
  • ピエールスラージュ美術館国際設計競技
  • ピノー現代美術館国際設計競技 2001年
  • アミアン現代美術館国際指名設計競技(アミアン 2004年)
  • ブザンソン芸術文化センター国際設計競
カナダ
1960年から2000年の間に、カナダでは150回近くの大会が開催された。
  • トロント市役所 - ヴィルジョ・リヴェルが当選(1956(500 entries)
  • マニトバ大学 - ウィニペグ - Visioned (re)Generation - Cibinel Architects Ltd.とLandmark Planning&Design Inc.とJanet Roseberg&Studio Inc.が当選(2013年(海外からの参加者45名)
  • シカゴ・トリビューン (Chicago Tribune)
スイス
  • ジュネーブ・パレス・オブ・ネイションズ - 1926年、アンリ・ポール・ネノー&ジュリアン・フレージハイマー;カルロ・ブラッギ; Camille Lefèvre; ジュゼッペ・ヴァゴらが当選(応募377案)
  • 国際連盟会館(ジュネーブ)(1927年)
ル・コルビュジエの案が否決され、CIAM結成のきっかけになった)
  • W.H.O.本部
  • チューリッヒ新劇場の建築設計競技(1963年)
  • 国際決済銀行増築国際設計競技(バーゼル 1998年)
  • リートベルグ美術館増築国際指名設計競技(2002年)
  • バーゼル文化施設「Stadtcasino」増築棟設計者採用コンペティション
イタリア
  • パラッツォ・リットリオ設計競技(1937年)
  • ローマ・テルミニ駅(1947年)
  • EUR会議場設計競技応募案 - アダルベルト・リベラ設計(1938年)
  • ウフィツィ美術館・新玄関(フィレンツェ)
  • カステロ・ディ・サングロ建築設計競技(1988年) 
  • ペルージア「フォンティベッギビジネスセンター」 国際競技設計
  • ミラノ フィエラ・オフィス国際指名設計競技(ミラノ 2004年)
  • トリノ文化センター 国際設計競技 2001年
  • Beic図書館国際設計競技
  • ローマ国立現代美術館 国際設計競技
  • ベネツィア ゲートウェイ国際設計競技
  • カリアリ現代美術館国際設計競技
アイルランド
  • ダブリン大学キャンパス競技設計
  • アイルランド文化庁舎設計競技
  • U2タワーデザイン国際設計競技(2002年(未構築)
イギリス
  • リバプール大聖堂 - ジャイルズ・ギルバート・スコットが当選(1902年(5人の有資格者)
  • Ionaマクラウドセンター- コミュニティのためのIona - フェイルデン・クレッグ・ブラッドレイが当選
  • バタノスタースクエア国際指名設計競技(1987年)
  • マンチェスター・アート・ギャラリー - ホプキンス・アーキテクツが当選(1994年(132 entries)
  • Mid Wales Center for the Art コンペティション(1995年)
  • テート・モダン 建築設計競技
  • スコットランド建築デザインセンター国際公開コンペティション(1996年)
  • スコットランド議会ビル、エジンバラ - エンリック・ミラージェスが当選(1998年(5名の有資格者)
  • スコットランド国際博物館設計競技
  • ロンドン/ドックランドのスウェーデン岸住宅開発の設計
  • スコットランド建築デザインセンター国際公開コンペ(1996年)
  • ウェールズ国会議事堂、カーディフ - リチャード・ロジャースが当選(1998年(55 entries)
  • セント・ジョーンズ・アベイ宿泊研修施設国際建築設計競技 2000年
アメリカ合衆国
  • 33リバティー・ストリート、ニューヨーク - ヨーク&ソーヤーが当選(1919年)
  • トリビューン・タワー、シカゴ - ジョン・ミード・ハウエルズとレイモンド・フッドが当選(1922年(応募数260)
  • 国連本部(ニューヨーク)
  • ニューヨーク近代美術館
  • ジェファーソン・ナショナル・エクスパンション・メモリアル
  • ボストン シティ ホール - カルマン・マッキンネル&ノウルズが当選(1962年(全国、256件)
  • モルガン・スタンレー銀行設計競技(1986年)
  • マコーミック・トリビューンキャンパス・センター、シカゴ - レム・コールハースが当選(1998年)
  • WTC(ニューヨーク世界貿易センター)跡地再開発設計競技
    • 2002年ワールドトレードセンターマスターデザインコンぺ - ダニエル・リベスキンドが当選(コンセプト案)
    • 世界貿易センターサイト記念コンぺ - マイケル・アラードとピーター・ウォーカーが当選
  • ニューヨーク州ブルックリンのビジュアル&パフォーミングアートライブラリー - エンリケ・ノルテン / TEN Arquitectosが当選
  • ニューミュージアム現代美術館国際指名設計競技(ニューヨーク 2003年)
スウェーデン
ノルウェー
ギリシャ
  • アテネ・エフェメラル国際設計競技 2001-02
スペイン
  • モンジュイック2展示会場拡張計画国際指名設計競技(バルセロナ 2002年)
  • UIAバルセロナZAL地区国際設計競技
  • グラナダ Performing Arts Center国際設計競技
  • バルセロナ・イグアラダ墓地 - エンリック・ミラージェスとカルメ・ピノが当選
ポルトガル
  • ポルト市の文化センター(Casa das Artes)の建築設計競技(1981年)
ベルギー
  • ゲント市文化フォーラム 指名設計競技 2004年 
ポーランド
  • ワルシャワ・ユダヤ歴史博物館国際設計競技.
オーストリア
  • オーストリア郵便貯金銀行(ウィーン、1903年)
  • 市庁舎、インスブルック - ドミニク・ペローが当選(1994年年)
デンマーク
  • ロイヤル・デンマーク図書館、コペンハーゲン - シュミット・ハンマー・ラッセンが当選(1993年(179案)
  • ムンスクリント地質センター、MønIsland - PLH Architectsが当選(2002年)応募数292)
  • グルントヴィークス教会(1913年)
フィンランド
過去130年間、フィンランドでは2,000件の建築大会が開催された。[4]
  • トゥルク教会建築設計競技
  • ヘルシンキ中央駅 - エリエル・サーリネンが当選(1904年(応募数21)
  • ヴィオリ・ライブラリ - アルヴァ・アアルトが当選(1927年)
  • パイミオのサナトリウム- アルヴァ・アアルトが当選(1929年)
  • サユナツサロ・タウンホール - アルヴァ・アアルトが当選(1949年)
  • キアズマ現代美術館、ヘルシンキ - スティーブン・ホールが当選(1992年(応募数516)
  • ヘルシンキ現代美術館(1992年)
  • ヘルシンキミュージックセンター建築設計競技(2000年)
  • グッゲンハイム・ヘルシンキ・プラン - 2014年(応募数1,715案)[5]
リトアニア
  • ビリニュス・グッゲンハイム・エルミタージュ美術館 - ザハ・ハディドが当選(2011年完成予定)
ルクセンブルク
  • フィルハーモニー・ルクセンブルク - クリスチャン・ド・ポルザンパルクが当選(1997年)

欧米・日本以外の事例[編集]

オセアニア[編集]

オーストラリア
  • メルボルン フリンジストリート駅 (Flinders Street railway station - ファッツとアシュワースが当選(1899年(応募数17)
  • メルボルン 戦争慰霊館 (Shrine of Remembrance - フィリップ・ハドソン、ジェームス・ウォードロップが当選(1923年(83項目、オーストラリアとイギリスの建築家にのみ公開)
  • ブリスベン・戦争慰霊館 (Shrine of Remembrance, Brisbane - ブキャナンとカウパーが当選(1928年)
  • ANZAC戦争記念館、シドニー - チャールズ・ブルース・デリートが当選(1929年(応募数117)
  • シドニー・オペラハウス - ヨーン・ウツソンが当選(1955年(応募数233)
  • シドニー現代美術館新館国際設計競技(1997年)
  • キャンベラ議会議事堂 - ロマルド・ジョゴラが当選(1978年(応募数329)
  • メルボルン・フェデレーションスクエア - ラボアーキテクチャスタジオが当選(1997年(応募数177)
  • メルボルン・フリンダースストリート駅のリニューアル - ハッセル + ヘルツォーク&ド・ムーロンが当選(2013年(応募数118)[6]
ニューカレドニア

アフリカ[編集]

タンザニア共和国
  • TANU党本部ビル・国会議事堂国際オープンコンペティション
エジプト
セネガル
  • ゴレ・メモリアル国際設計競技

アジア[編集]

韓国
  • 韓国国会議事堂競技設計(1959年)
  • 韓国キョンギ故宮博物院南部別院国際設計競技
  • 韓国釜山エコセンター国際設計競技(2004年) 
フィリピン
  • 国連住宅供給コンペティション(マニラ・ペルー 1969年)
マレーシア
  • クアラ・ルンプール新国際空港ターミナルビル・国際オープンコンペティション
シンガポール
  • IT複合施設
香港
  • 香港ビクトリア・ピーク ピーク・レジャー・クラブの建築設計競技 1983年
中国
台湾
アラブ首長国連邦
  • アブダビ国会議事堂国際オープンコンペティション
ベトナム
  • 国会議事堂 設計競技
トルコ
  • イスタンブール・クチュクチェクメジェ都市計画国際設計競技

中南米[編集]

メキシコ
  • グアダラハラ公立図書館国際設計競技
  • グッゲンハイム・グアダラハラ- グアダラハラ・ハリスコ - エンリケ・ノートン/ TENアルキテクトスが当選

日本の事例(明治~昭和戦前)[編集]

日本でコンペが実施されるようになったのは国会議事堂の計画と深い関わりがある。明治10年代の官庁集中計画以来、議事堂建設の計画が度々持ち上がったが、財政上から仮建築のままであった。日露戦争後、本建築への機運が高まり、大蔵省臨時建築部が建設計画を進めたが、建築学会会長の辰野金吾らは官僚主導の計画を批判し、公開コンペの開催を要求していた。その頃まで実際に建築界でコンペが行われることは少なかったが、明治末の頃から次第に実施される機会が増えてきた。なお、明治〜昭和中期のコンペでは、優れた建築家を選ぶのではなく、優れたデザインを選ぶものと考えられ、当選者が実施設計まで担当することは少なかった。また、設計者の著作権を尊重するという発想に乏しく、応募案から選んだものに審査員などが大きく手を加えることがしばしば見られた。

  • 台湾総督府庁舎(1909年、公開)
日本における建築設計競技の初期の事例で、二段階の公開コンペが行われた。1等当選なしとされたため、2等の長野宇平治は最優秀者を1等にすべきと主催者側に抗議した。台湾総督府技師の森山松之助が中央の塔を高く修正し、実施した。
当時の中堅建築家による指名コンペが行われた結果、岡田信一郎案が1等当選。その後、辰野片岡建築事務所(辰野金吾片岡安)が修正を加えて実施した。岡田は原案のみであり、実施設計には関与していない。
大森喜一の案が1等当選。1等案は採用されず、後藤慶二案(3等)に近い校倉造となり、大江新太郎が実施設計を担当した。
  • 日清生命保険株式会社(1916年、公開)
  • 大阪府庁舎及府会議事堂建築意匠設計懸賞募集(1918年)
  • 聖徳記念絵画館(1918年、公開)
  • 大阪市美術館(1919-1920年、公開)
  • 議院建築(国会議事堂)(1919年、公開)
宮内省内匠寮の渡辺福三案が1等に当選した。1等案をはじめ西欧追随的な案ばかりだとして、当時の若手建築家らが建築会を組織して抗議運動を展開し、再競技の実施を決議したり、下田菊太郎が議会に請願書を提出し無効を訴えるといった一幕もあった。また、当選案は大きく設計変更されて実施されることになった。議事堂は1920年に着工、1936年竣工した。
  • 神戸市公会堂(1922年、公開:実施されず)
  • 大阪府庁舍、府会議事堂(1922年、公開)
  • 日比谷公会堂(1923年、指名)
佐藤功一案が1等となった。関東大震災による中断の後、佐藤自身が当初案(ルネサンス風)を大きく変更してゴシック風のデザインとした。
公開コンペにより前田健二郎らの案が1等となった。関東大震災による中断の後、当選案は破棄され、佐藤功一はじめ早稲田大学の教授らが改めて設計を行い、実施した。
  • 日本建築協会15周年記念住宅博覧会と住宅の懸賞設計
  • 神奈川県庁舎(1925年、公開)
中村順平が応募規程を批判。小尾嘉郎による帝冠様式風の1等当選案に佐野利器、県営繕課が手を加えて実施した。 
  • 東京大震災記念建造物(1925年、公開:別案で実施)
前田健二郎の当選案は採用されず、審査員の伊東忠太がまったく異なるデザインで設計した(震災記念堂・復興記念館:現在の東京都慰霊堂)。   
  • 建築学会会館(1927年、公開)
  • 名古屋市庁舎(1929-1930年、公開)
  • 東京帝室博物館(東京国立博物館)(1931年、公開)
要綱に「日本趣味を基調とする東洋式」と規定があり、日本インターナショナル建築会から拒否声明文が発表された(これに対して中村鎮が無意味だと批判した)。渡辺仁案が1等当選し、宮内省内匠寮が手を加えて実施した。    
  • 日本生命館(日本橋高島屋)(1930年、公開)
意匠の公開コンペが行われた。1等当選の高橋貞太郎が日本生命館臨時建築局に加わり、実施設計まで行った。
  • 大礼記念京都美術館(1930年、公開)
  • 軍人会館(1930年、公開)
  • 明治製菓本郷売店(1930年、公開)
  • 朝鮮貯蓄銀行本店(1932年、公開)
  • 明治製菓売店(1934年、公開:実施されず?)
  • 東京市庁舎(1934年、公開:実施されず)
  • 神戸市公会堂(1935年、公開:実施されず)
  • ひのもと会館(1935-1936年、公開:実施されず)
  • 昭和鉄鋼(1937年、公開:実施されず?)
  • 日本万国博覧会建国記念館(1937年、公開:実施されず)
  • 大連公会堂(1938年、公開:実施されず)
  • 大東亜建設記念造営計画(1942年、公開:実施予定なし)
建築学会主催の展覧会の一環で開催。丹下健三が1等当選。富士山麓に忠霊を祭る造営計画という想定で、鉄筋コンクリート造の神明造を提案した。
  • 在バンコック日本文化会館(1943年、公開:実施されず)
丹下健三が師の前川国男を抑えて1等当選。寝殿造のブロックを模したプランであった。

日本の事例(昭和戦後期~)[編集]

第2次世界大戦後まもなく行われた公開コンペ。1等当選作は該当なしとされ、審査員の1人村野藤吾が自ら設計を行うことになったため、コンペの公平性などについて大きな議論を呼んだ。
丹下健三らが1等当選、実施設計を行った。
  • 大阪国際会議場
  • 大阪府庁舎競技設計・周辺整備基本計画指名コンペティション
  • 仙台市公会堂懸賞設計圖案 1949年
  • 仙台市民会館建築設計競技 1949年(昭和24年)
  • 日本自治労連会館建築設計競技 1950年
  • 下関市庁舎コンペティション 1950年
  • 鎌倉美術館案競技設計(1950年)
  • 神奈川県近代美術館設計競技(1951年)
  • 天理教東京会館(仮称)-懸賞競技設計(1951年)
  • 日本銀行金沢支店指名設計競技(1951年)
審査員岸田日出刀が選出した佐藤武夫案を時の総裁一万田尚登が撤回し、山下寿郎案に。岸田は日銀顧問を辞任、佐藤の参加作品を撤収。
  • 小倉市庁舎新築指名設計競技(1952年)
町の郵便局のような平面構成にした佐藤武夫が当選。岸田日出刀が審査員。
  • 外務省独立庁舎指名設計競技(1952年)
参加報酬と審査側の謝礼が少なく、委員の一人岸田日出刀は外務省を批判。
  • 東京空港ビル指名設計競技(1952年)
あらかじめ実施設計が松田平田設計にきめられていて、当初の指名者は応募を拒否。その後すぐに6人を指名した。内5名が提出し1等なしとなると5名は異議を申し立て、その結果「設計合同協議会」なる形で基本設計を行うことになる。
  • 名古屋放送会館懸賞競技設計(1952年)
  • 神奈川県中小企業会館指名設計競技(1953年)
応募要綱は先に定めず、クライアント、審査員、応募者三者で同じテーブルについて考えを進めて相談してから起草された。佐藤武夫が当選し、県分庁舎も担当することに。
  • 岡山県庁舎指名設計競技(1953年)
前川国男が当選。石川栄耀らが審査員で、模型の写真提出を条件にしている。
1952年、指名コンペにより丹下健三が1等当選、実施設計を行った。
1954年、公開コンペで大高正人らMID同人が1等当選、基本設計を行った(実施設計は建設局営繕局)。
  • 愛知県文化会館(1954年)
  • 沖縄市民会館
  • 奄美大島文化会館
  • 市民体育館設計競技(1958年)
  • 三木市庁舎建築設計競技(1959年)
  • 福岡県文化センター設計競技(1960年)
  • 練馬区庁舎設計競技(1962年)
  • 日本武道館
1963年、指名コンペで山田守が1等当選、実施設計を行った。
木島安史のドーム型と秋元和雄の近隣埋没型の勝負となり、秋元案が当選。
1963年、公開コンペで大谷幸夫菊竹清訓らが争い、大谷案が当選。
1963年、木造モチーフ(校倉造り風)を採り入れた岩本博行が率いる竹中工務店設計部の案が当選(清水建設設計部の案も入賞していた)。実施設計は建設省営繕局が行い、施工は竹中工務店が受注した。
このころ国のプロジェクトで公開のコンペを実施すると、ゼネコンが組織を挙げて設計して入選していた。1965年に実施された日本建築センターコンペの大林組のケースも同様であったが、設計をとったゼネコンが施工までを受注していた。
  • 浪速芸術大学競技設計(1964年)
  • 国立国際会館設計競技(1964年)
  • 最高裁判所庁舎
1968年の公開コンペにより、鹿島建設設計部に所属する岡田新一の案が採用された。工事受注についての公正さを保つ(設計・施工の分離)ため、実施設計に当たって岡田は鹿島建設から独立し自身の設計事務所を組織した。施工は鹿島建設が受注。このころから官公庁発注コンペの応募資格についていろいろ意見が出されていた。
  • 箱根国際観光センター競技設計 1970年
  • 泉北ニュータウン、光明池プロジェクト、コンペティション 1972年
  • 大阪府泉北ニュータウン光明池幼稚園設計競技 1973年
  • 大阪府泉北ニュータウン近隣ショッピングセンター競技設計, 1973年
  • 愛川町「中津保育園」指名設計競技, 1974年
  • 開成町「開成幼稚園」指名設計競技, 1975年
  • 開成町「文命中学校」指名設計競技, 1976年
  • 城山町「相模丘中学校」 指名設計競技, 1976年
  • 御殿場市民会館指名設計競技 
  • 三条市民会館指名設計競技
  • 裾野市庁舎指名設計競技
  • 武蔵村山市庁舎指名設計競技
  • 西尾市民文化会館指名設計競技
  • 袋井市民病院指名設計競技
  • 豊明市立図書館 1978年(昭和53年)
  • 厚木市民会館指名設計競技
  • 勝田市市民総合体育館指名設計競技
  • 和歌山市民会館指名設計競技
  • 釜石市民会館指名設計競技
  • 敦賀市民会館指名設計競技
  • 長崎芸能資料館指名設計競技
  • 名護市庁舎
  • 徳島県新庁舎コンペティション 1979年
  • 「東京屋台空間」国際設計競技
  • 堺市ふれあいの森設計コンペティション
  • 日本火災株式会社軽井沢厚生寮公開建築設計競技
  • 習志野商工会議所・会館公開建築設計競技
  • 芦屋浜集合住宅設計競技
  • 半田市立図書館 1980年(昭和55年)
  • 太田町真木真昼国民宿舎建築設計競技 1980年
  • 春日市光町共同利用施設競技設計, 福岡県春日市. 1981年
  • 太田市社会教育総合センター 競技設計. 1981
  • 福井県立美術館指名設計競技
佐藤武夫事務所が当選。1980年第21回BCS賞を受賞する
  • 秋田県果樹試験場本館建築設計競技 1981年
  • 東京理科大学100周年記念図書館設計競技 1981年
  • 習志野商工会議所・会館公開建築設計競技
  • 名古屋市芸術創造センタ-設計競技(1981年)
  • 荻須記念館全国公開設計競技(1982年)
  • 新潟市立美術館指名設計競技 1983年(昭和58年)
  • 練馬区医師会館指名設計競技 1984年(昭和59年)
  • 日本火災海上軽井沢厚生寮公開設計競技 1984年(昭和59年)
  • 日本歯科医師会館指名設計競技 1985年(昭和60年)
  • 駒ケ根市文化公園施設群公開設計競技(1984年)
  • 横浜市港湾局みなとみらい2ドックパーク基本計画設計競技(1985年)
  • 石垣市民会館指名設計競技(1985年)
  • 全労済会館公開建築設計競技(1985年)
  • 四条アーケード設計競技(1985)
  • 新国立劇場
1986年、公開コンペを経て、竹中工務店設計部に所属する柳澤孝彦の案が採用された。コンペの規定により(設計・施工の分離)、柳澤は独立して自身の設計事務所を組織し、実施設計に当たった。施工は竹中工務店を含むJVが受注した。
1986年、指名コンペを実施。ゴシック様式を思わせる第一庁舎、議事堂が取り囲む市民広場といった特徴を持つ丹下健三の案が選ばれた。シンボリックで威圧的な超高層のフォルムに疑問をはさむ声もあった。丹下案に次いで支持されたのは山下設計によるツインタワー案で、機能的には丹下案よりも優れているとも言えたが、審査員からは「首都東京の庁舎としては格調にかける」といった意見も出て採用されなかった。丹下案の格調の高さは竣工後に「贅沢すぎる」といった批判を受けた。(後に、丹下は近隣の新宿パークタワーも手がけ、一帯の超高層ビルのフォルムにある種の秩序を与えた。)(新都庁舎コンペ参照)
  • 犬山市立図書館 1985年
  • 三州丸栄建築設計競技 1985年
  • 土浦市立博物館 1985年
  • さいたまスーパーアリーナ
  • 全労済会館公開建築設計競技(1986年)
  • 東京都設計事務所健康保険組合熱海リフレッシュセンター建築設計競技(1987年)
  • 三重県口腔保健センター競技設計, 1987年
  • 愛知県新文化会館(名城地区-図書館)(1986年)
  • 愛知県新文化会館図書館競技設計, 1987年
  • 愛知県新文化会館公開設計競技 1987年(昭和62年)
  • 愛知県芸術文化会館コンペティション 1987年
  • 秋田総合婦人会館(アトリオン)提案競技
  • 日本コンベンションセンター(幕張メッセ
  • 坂本龍馬記念館公開設計競技 1987年(昭和62年)
  • 尼崎記念競技設計
  • 東京造形大学キャンパス指名設計競技 1987年(昭和62年)
  • 愛知芸術文化センター建築設計競技 1987年
  • 北名古屋市図書館 1988年(昭和63年)
  • 北海道立帯広美術館 1988年
  • 三島市文化会館指名設計競技 1988年(昭和63年)
  • 愛知県新文化会館(栄地区)(1988年)
  • 富山県科学情報センター指名設計競技 1988年(昭和63年)
  • 東洋大学白山キャンパス指名設計競技 1988年(昭和63年)
  • 青山製図専門学校校舎公開設計競技 1988年(昭和63年)
  • 千代田生命広尾本社ビル事業コンペ 1988年(昭和63年)
  • 星田アーバンリビング・デザインコンペティション(1988)
  • 大阪国際平和センター(ピース大阪)建築設計コンペ 1988年
  • 関西国際空港ターミナルビル
当初国内設計会社らの手で決まりつつあったビル設計案を覆して国際公募コンペが行われ物議をかもした。基本設計コンペは、国内線フロアを国際線の到着と出発フロアで上下から挟み込むパリ空港公団案が勝利をおさめ、それに基づく建築設計コンペではイタリア人のレンゾ・ピアノが勝利した。ただし彼はターミナルビルの周りの建物(鉄道駅やホテル、管理棟、管制塔など)をトータルに設計することはできず、ターミナルビルと周りのビルの不調和には不満を漏らしている。
大林組竹中工務店が争ったが、結局両者の案の長所を取り入れる形となった。

日本の事例(平成期)[編集]

  • 大阪堂島毎日新聞社事業コンペ 1989年(平成元年)
  • 大阪府平和資料館設計競技佳作 1989年
  • 北海道立帯広美術館(1989年)
  • 御茶ノ水駅公開設計競技 1989年(平成元年)
  • 京都駅ビル
京都の景観論争とからんで、様々な議論を呼んだコンペである。最高120mまでの高さが許容されたが、最終的に勝利したのはもっとも高さが低い(それまでの高さ規制60mに収まる)原広司の案であった。
  • 世田谷区宮の坂地区会館・宮の坂駅(世田谷線)公開コンペ
  • バイエルン社京都薬品研究センター国際指名設計競技
  • 文京区シビックセンター指名設計競技 1989年(平成元年)
  • アクロス福岡
  • 湘南台文化センター公開コンペ
  • 東京国際フォーラム設計競技(1990年)
  • 富山県警察本部指名設計競技 1990年(平成2年)
  • 墨田区科学学習センター指名設計競技 1990年(平成2年)
  • 日仏文化会館設計競技(1990年)
  • 大阪国際平和センター平和資料館(1990年)
  • 埼玉県平和資料館(1990年)
  • 小田原市体育館指名設計競技 1991年(平成3年)
  • 都営地下鉄12号線駅舎公開コンペティション 1991年
  • 星田アーバンリビング・デザインコンペティション
  • 北海道立中央水産試験場構想設計競技(1991年)
  • 近江八幡市立図書館 1992年
  • 茂原市庁舎指名設計競技 1992年(平成4年)
  • アクトシティ浜松
  • ヤクルト独身寮公開建築設計競技 - 東京建築士会主催 1992年
  • 沖縄県立武道館公開設計競技 1992年(平成4年)
  • 兵庫県立芸術センター指名設計競技 1992年(平成4年)
  • 黒部市国際文化センター指名設計競技 1992年(平成4年)
  • 松原市市庁舎設計競技(1992年)
  • 奈良市民ホール国際建築設計競技(1992年)
  • 京都市コンサートホール(1992年)
  • 宮崎県住宅供給公社住宅設計競技設計(1992年)
  • 相模原市立体育館指名設計競技 1993年(平成5年)
  • 北海道立近代文学館構想設計競技(1993年)
  • 新潟県十日町文化会館指名設計競技 1993年(平成5年)
  • 名取市斎場競技設計(1993年)
  • 桐生市文化会館指名設計競技 1993年(平成5年)
  • 新潟県長岡市音楽堂指名設計競技 1993年(平成5年)
  • 青梅市庁舎指名設計競技 1993年(平成5年)
  • 浦和市コミュニティセンター指名設計競技 1993年(平成5年)
  • 桶川市近代文学館セミオープンコンペ 1993年(平成5年)
  • 埼玉県立近代文学館及び桶川市民ホール建築設計競技(1994年)
  • 中原中也記念館建築設計コンペティション(1993年)
  • 東北歴史博物館設計競技(1994年)
  • 七類港多目的ターミナル設計コンペ 1994年
  • ヤクルト社員厚生寮公開設計競技 1994年(平成6年)
  • 関西国際交流センター指名設計競技 1994年(平成6年)
  • 草野心平記念館競技設計(1994年)
  • 名取市文化会館競技設計(1994年)
  • 郡山メッセ(ビッグパレット)競技設計
  • 仙南総合芸術センター(えずこホール)競技設計
  • 仙台文学館 1994年(平成6年)
  • せんだいメディアテーク 1994年-1995年
  • 蟹江町図書館 1994年
  • 豊川市中央図書館 1995年
  • 環境科学国際センター建築設計指名コンペティション 1995年
  • 水俣メモリアル国際設計競技 1995年
  • 横浜港大さん橋国際客船ターミナル国際建築設計競技(1995年)
  • 国立国会図書館関西館建築設計競技(1995年)
  • 北海道立釧路芸術館構想設計競技(1995年)
  • 北海道立体育センター構想設計競技(1995年)
  • 平田町タウンセンター施設整備公開設計競技 1996年
  • 長岡文化創造フォーラム(仮称)設計競技 1996年
  • 埼玉県環境科学国際センター(1996年)
  • 埼玉県立看護福祉大学設計競技(1996年)
  • 埼玉県立大学キャンパス
  • 砂丘博物館コンペティション 1997年
  • 師勝町総合福祉センター設計競技 1997年
  • 札幌ドームプロポーザル国際設計競技  1997年
  • 鳥取砂丘博物館公開設計競技 1997年
  • 道議会庁舎等構内整備構想設計競技(1997年)
  • 北海道立北方四島交流施設構想設計競技(1997年)
  • 鴻巣市文化センター設計競技(1997年)
  • 中伊豆町保健福祉センター競技設計, 1997年
  • 伊豆長岡町屋内温水プール競技設計, 1997年
  • 0123はらっぱ公開設計コンペティション 1998年
  • 山形県立山形駅西口文化施設設計プロポーザル 1998年
  • 京都簡易保険新型健康増進施設公募型プロポーザル設計競技 1998年
  • 国立組踊劇場公募型プロポーザル設計競技 1998年
  • 石川県小松市宮本三郎美術館設計コンペティション(1998年)
  • 中和市福祉施設設計コンペティション(1999年)
  • 広興小学校設計コンペティション(2000年)
  • 台湾健民小学校設計コンペティション(2000年)
  • 車籠埔小学校設計コンペティション(2000年)
  • うつくしま未来博エコファミリーハウス国際設計コンペ 2000年
  • 青森県大畑中央保育所設計コンペティション(2000年)
  • 青森県立美術館設計競技 2000年
  • 平成の二畳台目・茶室コンペティション 2000年
  • 白石市ふれあいプラザコンペティション 2001年
  • 南飛騨国際保養地健康学習センター設計コンペティション(2001年)
  • 松之山ステージ・自然科学館設計コンペティション(2001年)
  • 花のミュージアム(仮称). 設計プロポーザルコンペ 2002. 2001年.
  • 吉祥寺サンロードアーケード. デザインコンペ 2001年
  • 佐世保近海航路ターミナル 設計競技 2001年
  • いわきの家設計競技 2001
  • 江古田の集合住宅建築設計競技 2001年
  • 大湖道の駅企画・設計コンペティション(2002年)
  • 直潭コミュニティセンター設計コンペティション(2003年)
  • 風間浦保育所指名コンペティション(2003年)
  • 南方熊楠研究所設計コンペティション(2003年)
  • 安中環境アートフォーラム国際設計競技 2003年
  • ミキモト銀座2設計競技 2003年
  • 中之島新線駅企画デザインコンペティション 2004年
  • 松崎中学校プロポーザルコンペ, 2004年
  • 志摩町志摩中学校競技設計, 2004
  • 小川村郷土館指名コンペティション(2004年)
  • 阿里山森林鉄路祝山駅駅舎、沼平駅駅舎設計競技(2004年)
  • 只見町国民健康保険朝日診療所増築整備事業公募型プロポーザル競技 2004年
  • 岩見沢駅舎建築デザインコンペティション(公募型プロポーザル設計競技 2005年)
駅舎の設計競技では国内で初めて公募型を導入した。ワークヴィジョンズの西村浩の設計案が採用され、竣工後はグッドデザイン大賞のほか日本建築学会賞やアルカシア建築賞など国内外の数々の賞を受賞している。
  • 豊田市生涯学習センター逢妻交流館移転新築設計競技 2006年
  • 山形大学工学部創立百周年記念会館コンペティション 2006年
  • 塩尻市大門中央通り地区市街地再開発ビル設計者選定競技(2006年)
  • 知床斜里複合駅舎公募プロポーザル(2006年)
  • 新浦安駅前プラザILMALE
  • 新美南吉記念館公開設計競技、愛知県半田市岩滑 1991年
  • 邑楽町役場庁舎等設計者選定住民参加型設計提案競技 2002年
町長の交代(神藤茂町長から久保田文芳町長)によって最優秀案が取り消しになり、最優秀の山本理顕設計工場やコンペ参加者に何の説明もなく別の設計者を特定し新庁舎建設を進めたことから、コンペ参加者のうち25人が原告となり、債務不履行と国家賠償(地方自治体に適用)を追求。2009年東京地方裁判所の示した和解案に原告、被告双方が合意し和解が成立。邑楽町が「遺憾の意」を表明し、原告がこれを了承。
  • なら100年会館国際コンペ
  • 奈良市民ホール国際設計競技
  • 新潟市民芸術文化会館コンペ
  • 埼玉県環境科学国際センターエスキース 指名コンペ
  • 国立国際美術館 公募プロポーザルコンペ
  • 武蔵野市吉祥寺シアター(仮称)設計プロポーザル
  • 武蔵境新公共施設(武蔵野プレイス(仮称))設計プロポーザル
  • 青森県北国住宅計画国際コンペ 2002年
  • 同志社大学情報メディア施設計画プロポーザルコンペ 2001年
  • 東村立富弘美術館設計国際コンペ 2001年
  • 高円寺会館
  • 立川市新庁舎設計競技 - 2005年に市民対話型二段階方式によるコンペ
  • 月輪山潟統合小学校建設工事基本設計業務委託簡易コンペ
  • 天童市さとうレディースクリニック設計競技
  • 軽井沢町コンサートホール(仮称)指名設計競技 2003年
  • 山形県平田町タウンセンター建築設計競技
  • 新潟市豊栄文化会館設計者選定プロポーザル 2006
  • (仮称)ふるさと学習館設計競技 宇部市
  • (仮称)中原中也記念館公開設計競技, 山口市
  • 新同窓会パビリオン設計競技 京都工芸繊維大学60周年基金委員会事業部会
  • 福島市庁舎プロポーザル
  • 栃木県立博物館の設計競技案
  • 那須 100 年コミュニティ 設計競技
  • (仮称)城下町ホール
  • 十和田市野外芸術文化ゾーンアートセンタープロポーザル 2005年
  • 沖縄国際交流情報センター設計競技 1997年
  • 町田新市庁舎 2005年
  • 大崎市立岩出山中学校建築設計競技
  • アーツ前橋 建築設計競技
  • 金沢21世紀美術館
  • 鬼石町多目的ホール「仮称 おにし屋内広場」 設計者選定住民参加型設計提案競技 2003/
  • 墨田区北斎館(仮)基本設計プロポーザルコンペ すみだ北斎美術館 2009
  • ぐんま総合情報センター設計競技
  • 弟子屈中学校・学校給食センター改築基本計画設計競技 (弟子屈町) 2007年
  • 村山市総合文化複合施設基本設計業務公募型プロポーザル 2007
  • 蘭越保育所・学童保育施設建設設計競技 (蘭越町立蘭越保育所改築検討委員会)
  • 宇土市立宇土小学校プロポーザルコンペ 2008年
  • (仮称)柏崎市新市民会館設計者選定プロポーザル審査委員会委員 2008年
  • 鶴川駅前公共施設設計プロポーザル 2008年
  • 大多喜町庁舎プロポーザルコンペ 2009年
  • 群馬県農業技術センター設計提案競技 2009年
  • 新国立競技場 2012年
国内外から応募があり、イギリスのザハ・ハディドの作品が最優秀賞に決定した。後に大きく設計変更を受け、実施計画案がまとまった。しかし、建設費用が当初計画より大幅に増えたことから世論の批判が高まり、2015年7月、安倍晋三首相が計画の白紙化(ザハ・ハディド案の破棄)を決めた。

アイデアコンペ[編集]

建築設計競技でのアイデアコンペは設計者選出のための実施コンペなどとは違い、あるテーマに対して建築提案し構想の幅を広げていくかを考える、鍛錬トレーニングの意味をこめて開催されることが多く、より良い都市環境づくりにつながる広いデザインアイデア提案を募集する。題材は要綱等であらかじめ定めらそれにそって行われるものから応募者が自由に設定するものなど、都市環境の機能性や景観的アメニティの視点から問いかけているテーマのものも多く、応募者の提出応募案・作品がかならずしも建築物を伴ったものとはならない場合もある。

アイデアコンペは継続的な年次開催のテーマ別形式のデザインコンペも定着している。そのようなコンペに参加することを通じてコンセプト形成などデザインの発想、プレゼンテーションの技術、さらにデザインとエンジニアリングの関係整理などの際に相当の発想発展がみられる。

日本におけるアイデアコンペの事例[編集]

  • 日本建築協會第三回改良住宅設計圖案懸賞(1921年)
  • 同潤会主催「分譲住宅設計図案」懸賞募集(1932年)
  • 都市美協会・大東京建築祭建築設計競技銀座街共同建築(1935年)
  • 學會「國民住宅」競技設計(1941年)
  • 第16囘建築學會展覽會競技設計(1942年)
  • 18坪2階建集合住宅競技設計 (昭和26年度日本建築学会関東支部競技設計、1952年)
  • 住宅懸賞設計-アメリカ住宅会社協会とマガジン オブ ビルデイング法共同主催(1951年)
  • 鋼材倶楽部住宅団地に建つ鋼構造高層アパート設計競技(1967年)
  • ミサワホーム総合研究所プレハブ住宅国際設計競技(1972年)
  • 大阪府泉北ニュータウン光明池ハウジング・プロジェクト共同住宅設計競技(日本建築家協会/大阪府建築士会, 1973年)
  • 三井ホーム招待建築家10人+住宅設計競技(1985年)
  • 千代田区都市整備部「神田下町の住宅・街並設計競技」(1986年)
  • 港区「都心型住宅市街地設計競技」 : 新しい芝浦港南地域をめざしたウォーターフロントの再生と住・業務施設の望ましい複合開発のあり方(1986年)
  • 桜之宮中野地区都市型集合住宅プロジェクト開発設計競技(1987年)
  • 世田谷区/東急世田谷線宮の坂駅・界隈づくりコンペティション(1987年)
  • 高齢化社会における住まい方懸賞設計競技 : 課題『サザエさん一家にこんな住まいを…』 国際居住年記念事業「′87静岡の住宅」計画提案募集(1988年)
  • 住宅生産振興財団まちづくり設計競技(1994年)
  • 中央区都市整備部 魅力ある家づくりを目指して月島地区修築(1995年)
  • 日本医療福祉建築協会保健文化賞受賞記念高齢者ケア施設設計競技((1997年)
  • まちづくり設計競技 : 密集市街地における緩やかな建替モデルを含む地区更新計画の設計競技-西出・東出・東川崎地区(兵庫県神戸市, いきいき下町推進協議会, 兵庫県建築士会 企画(1999年)
  • 日本工業大学建築設計競技
  • 江古田の都市型集合住宅実施のための建築設計競技
  • 国際コンペ「21世紀・京都の未来」
  • 北方型住宅設計競技
  • 創作テントデザインコンペティション
  • 「冬を楽しむ雪国住宅」デザインコンペティション
  • 北の住まい住宅設計コンペティション
  • 新建築住宅設計競技
  • セントラル硝子国際建築設計競技
  • TEPCOインターカレッジデザイン選手権
  • エス・バイ・エル住宅設計コンペ
  • 長谷工住まいのデザインコンペティション
  • トウキョウ建築コレクション
  • 空間デザインコンペティション
  • 日本建築学会設計競技
  • 日新工業建築設計競技
  • 建築環境デザインコンペティション
  • 武庫川女子大学建築学科新校舎デザインアイデアコンペ 最優秀賞
  • WACOAインテリアアイデアコンペ
  • 福祉建築アイデアコンペ
  • THE TOKYO TOWERSミサワシティアイデアコンペ
  • せんだいデザインリーグ
  • SMOKERS' STYLE COMPETITION
  • ユニオン造形デザイン賞
  • シェルター学生設計競技

日本以外におけるアイデアコンペの事例[編集]

  • 釜山国際建築大展2018(国際アイデアコンペティション)
  • アテネ仮設建築物国際設計競技 International Competition for the Design of Ephemeral Structures.
  • 国際建築家連合 UIA-HYP CUP INTERNATIONAL STUDENT COMPETITION in ARCHITECTURAL DESIGN
  • ミース・ファン・デル・ローエ国際建築コンペ

参考文献[編集]

  • 「コンペに見る建築デザインの潮流」GA JAPAN 79(2006年)
  • 近江榮『建築設計競技』(鹿島出版会、1986年)
  • 三宅理一『都市と建築コンペティション』7巻(講談社、1991年)