ベルガモ

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ベルガモ
Bergamo
ベルガモの風景
行政
イタリアの旗 イタリア
ロンバルディア州の旗 ロンバルディア
Blank.png ベルガモ
CAP(郵便番号) 24100
市外局番 035
ISTATコード 016024
識別コード A794
分離集落 #分離集落参照
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
公式サイト リンク
人口
人口 119,381 [1](2016-01-01)
人口密度 3014.7 人/km2
文化
住民の呼称 bergamaschi
守護聖人 Sant'Alessandro
祝祭日 8月26日
地理
座標 北緯45度42分0秒 東経9度40分0秒 / 北緯45.70000度 東経9.66667度 / 45.70000; 9.66667座標: 北緯45度42分0秒 東経9度40分0秒 / 北緯45.70000度 東経9.66667度 / 45.70000; 9.66667
標高 249 (211 - 645) [2] m
面積 39.60 [3] km2
ベルガモの位置(イタリア内)
ベルガモ
ベルガモの位置
ベルガモ県におけるコムーネの領域
ベルガモ県におけるコムーネの領域
イタリアの旗 ポータル イタリア
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ベルガモイタリア語: Bergamo ( 聞く))は、イタリア共和国ロンバルディア州中部にある都市で、その周辺地域を含む人口約12万人の基礎自治体コムーネ)。ベルガモ県県都

ミラノの北東約40km、アルプスの麓に位置する。市街は、丘の上の旧市街チッタ・アルタ(上の町)と、丘の下の新市街チッタ・バッサ(下の町)からなる。城壁に囲まれたチッタ・アルタには、中世の面影を残す景観や多くの文化財がある。整然と作られたチッタ・バッサは、19世紀以降商工業の中心として発展した。ドビュッシーの「ベルガマスク組曲」はここが舞台である。

ベルガモは、西欧内陸の歴史的な郵便の拠点であった。中世、ベルガモ飛脚と呼ばれる郵便業者を組織したトゥルン・ウント・タクシス家は、郵便網を発展させ、近代郵便の原点ともされるライヒスポスト神聖ローマ帝国の郵便事業)を管掌した。

名称[編集]

標準イタリア語以外では以下の名称を持つ。

地理[編集]

位置・広がり[編集]

ベルガモ県の中部やや南西寄りに位置しており、レッコから南東へ28km、ブレシアから西北西へ45km、州都ミラノから北東へ46kmの距離にある[4]

隣接コムーネ[編集]

隣接するコムーネは以下の通り。

地形・地勢[編集]

市域の東方にセーリオ川、西方にブレンボ川が流れる。いずれもポー川水系アッダ川の支流であり、クレモナ近郊でポー川に注ぐ。

市街[編集]

ベルガモは旧市街のチッタ・アルタと呼ばれるベルガモ・アルタと、FSの駅がある新市街のチッタ・バッサと呼ばれるベルガモ・バッサとに分けることができる。

歴史[編集]

古代[編集]

ベルガモの起源は、ケルト系の民族であるCenomaniによって建設された古代の都市ベルゴムム(ラテン語: Bergomum)である。紀元前49年、この街は共和政ローマムニキピウムとなり、最盛期には1万人の住民が暮らしていた。この都市はフリウリラエティアを結ぶ軍事道路の重要な結節点であった。5世紀に入ると、アッティラによって破壊された。

中世[編集]

Bergamo in the year 1450.

6世紀よりランゴバルド王国の支配下に入り、ブレシアトレントチヴィダーレ・デル・フリウーリとともに、北イタリアにおける王国の重要な拠点となった。この都市を支配した最初のランゴバルド人ドゥクス (Duke (Lombard)は Wallaris であった。

8世紀後半、ランゴバルド王国がフランク王国カール大帝によって征服されると、この街は Auteramus の領国の首都となった。

11世紀以降、ベルガモは自治都市となり、ロンバルディア同盟の一員として、1165年に神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世を撃退した。教皇派と皇帝派の対立は、この街では教皇派に属するスアルディ家 (Suardi (dynasty)と皇帝派に属するコッレオーニ家 (Colleoniの対立としてあらわれた。

ベルガモ近郊のアルメンノに暮らしていたオモデオ・タッソの一族は、両勢力の反目を避けて山奥のコルネッロに移り、オモデオもここで成長した。1290年頃、オモデオ・タッソは一族とともにベルガモで飛脚会社 (Compagnia dei Corrieri) を組織した。ベルガモは、ポー川水系のセーリオ川ブレンボ川を通じてアドリア海へ出ることができ、彼らの郵便はミラノとヴェネツィア、ローマを結んだ。彼らの子孫(トゥルン・ウント・タクシス家英語版)は、のちに神聖ローマ帝国の郵便事業(ライヒスポスト)を掌り、ベルガモ飛脚は近代的郵便事業の嚆矢とされる。

1264年以後、ベルガモは断続的にミラノの支配下に置かれた。1331年、ベルガモの市民はボヘミア王ヨハン・フォン・ルクセンブルクに都市を献じてその庇護下に入ったが、ミラノのヴィスコンティ家が再征服した。

ルネサンスと近代[編集]

1407年にマラテスタ家が短期間支配したあと、1428年にはヴェネツィア共和国の支配下に入り、以後1797年までその一部となった。15世紀、ヴェネツィア共和国のもとで傭兵隊長(コンドッティエーレ)のバルトロメーオ・コッレオーニがこの街の領主となった。ヴェネツィア人たちは、チッタ・アルタを要塞化した。

16世紀、ベルナルド・タッソが諸侯を転々とする。

1797年、ベルガモはフランス共和国ナポレオンに征服される。以後、ミラノなど北イタリアの諸地域ともどもその領域に組み込まれ、チザルピーナ共和国イタリア共和国イタリア王国の一部となった。

19世紀以後[編集]

1815年、ウィーン議定書に基づきオーストリア帝国領(ロンバルド=ヴェネト王国の一部)となることが確認された。

第二次イタリア独立戦争中の1859年、この都市はサルデーニャ王国に従ったジュゼッペ・ガリバルディによって解放された。チューリッヒ条約により、サルデーニャ王国をロンバルディアが領有することが確認され、ベルガモ県が置かれた。1860年にガリバルディが義勇軍千人隊 (it:I Milleを集めた際、この街からはフランチェスコ・ヌッロ (Francesco Nulloなど63人が参加した。ベルガモは最も多くの千人隊兵士を輩出した都市であり、イタリア統一運動(リソルジメント)に果たした功績によって「千人隊の町」(Città dei Mille)とも呼ばれる。

1861年にイタリア統一が成り、イタリア王国が成立すると、ベルガモはその一部となった。

20世紀、ベルガモはイタリアの主要工業都市の一つとなった。ベルガモは、第二次世界大戦で大きな戦災を被らなかった数少ない大都市のひとつである。

行政[編集]

分離集落[編集]

ベルガモには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。

  • Fontana, Astino, Longuelo, Grumello del Piano, Campagnola, Colognola, Boccaleone, Celadina, Redona, Valtesse, San Vigilio, Borgo Palazzo

文化・観光[編集]

旧市街
新市街

交通[編集]

丘の麓の街(Città Bassa)である新市街にベルガモ駅英語版が、郊外のオーリオ・アル・セーリオオーリオ・アル・セーリオ空港(ベルガモ空港)がある。空港と市街地の間は路線バス1,1A系統(毎時3本運行)で結ばれている。

市街地ではA.T.B.社によってトラム及び路線バスが運行されている。また、旧市街ではケーブルカー旧市街ケーブルカーサン・ヴィジリオ ケーブルカーイタリア語版)も運行されている。

スポーツ[編集]

プロサッカークラブとしてアタランタBCがある。本拠地はスタディオ・アトレティ・アズーリ・ディターリア。1907年創設と歴史あるチームで、コッパ・イタリア獲得1回(1962-63)を記録する。セリエA(1部)とセリエB(2部)との間で昇格・降格を繰り返すクラブであるが、選手育成には定評がある。2014-2015シーズンはセリエAに属する。

女子バレーボールクラブ、バレー・ベルガモの本拠地である。1994-95シーズン以来イタリア国内トップリーグであるセリエA1に属しており(2013-14シーズン現在)、セリエA優勝8回、コッパ・イタリア優勝5回、スーペルコッパ・イタリアーナ優勝6回、欧州チャンピオンズリーグ優勝7回(2014年現在)を数える強豪である。

アメリカンフットボールチーム、ベルガモ・ライオンズの本拠地である。スーパーボウル・イタリアーノイタリア語版(イタリア選手権)優勝12回、ユーロボウル英語版優勝3回、チャンピオンリーグ優勝1回などの記録(2014年現在)を持つ、イタリア屈指のチームである。

人物[編集]

著名な出身者[編集]

ゆかりの人物[編集]

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]