早稲田大学

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早稲田大学
早稲田大学大隈講堂
大隈記念講堂

早稲田大学・早稲田キャンパスの位置
早稲田大学の位置(東京都区部および多摩地域内)
早稲田大学
早稲田大学 (東京都区部および多摩地域)
早稲田大学の位置(日本内)
早稲田大学
早稲田大学 (日本)
大学設置 1920年
創立 1882年
学校種別 私立
設置者 学校法人早稲田大学
本部所在地 東京都新宿区戸塚町一丁目104番地(新宿区西早稲田一丁目6番地1)
北緯35度42分37秒 東経139度43分18.2秒 / 北緯35.71028度 東経139.721722度 / 35.71028; 139.721722座標: 北緯35度42分37秒 東経139度43分18.2秒 / 北緯35.71028度 東経139.721722度 / 35.71028; 139.721722
キャンパス 早稲田(東京都新宿区)
戸山(東京都新宿区)
西早稲田(東京都新宿区)
喜久井町(東京都新宿区)
所沢(埼玉県所沢市)
本庄(埼玉県本庄市)
北九州(福岡県北九州市)
東伏見(東京都西東京市)
日本橋(東京都中央区)
上石神井(東京都練馬区)
エクステンションセンター早稲田校(東京都新宿区)
エクステンションセンター八丁堀校(東京都中央区)
エクステンションセンター中野校(東京都中野区)
学部 政治経済学部
法学部
文化構想学部
文学部
教育学部
商学部
基幹理工学部
創造理工学部
先進理工学部
社会科学部
人間科学部
スポーツ科学部
国際教養学部
研究科 政治学研究科
経済学研究科
法学研究科
文学研究科
商学研究科
経営管理研究科
基幹理工学研究科
創造理工学研究科
先進理工学研究科
教育学研究科
人間科学研究科
社会科学研究科
スポーツ科学研究科
アジア太平洋研究科
日本語教育研究科
情報生産システム研究科
法務研究科
ファイナンス研究科
会計研究科
環境・エネルギー研究科
教職研究科
国際コミュニケーション研究科
ウェブサイト 早稲田大学公式サイト
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早稲田大学(わせだだいがく、英語: Waseda University)は、東京都新宿区戸塚町一丁目104番地(新宿区西早稲田一丁目6番地1)に本部を置く日本私立大学である。1920年に設置された。大学の略称早稲田(わせだ)、早大(そうだい)。

目次

概観[編集]

大学全体[編集]

大隈重信立像(朝倉文夫作) 登台した学生は退学の内規あり

大隈重信明治十四年の政変による下野後に設立した東京専門学校を前身とする[1]。日本の私立大学では慶應義塾大学(「早慶」の)などと共に最も古い段階で大学令に基づく大学となった(詳しくは旧制大学参照)。2019年時点で、10の学術院のもと13学部25研究科(大学院)を設置している[2]。国際交流が盛んで、特にアジアからの外国人留学生が多い。 大隈重信が明治を代表する政治家であり、イギリス流の政治経済学を中心とする大学をモデルに設計されていることから、政治経済学部を中心に政界・財界に多くの逸材を輩出しているのをはじめとして、研究、法曹、文学、理工学などや、出版、新聞などの分野でも国内外を問わず多くの卒業生が活躍している。英国の教育専門誌『タイムズ・ハイアー・エデュケーション』による2017年の日本版ランキングでは、私大1位に認定された[3]

早稲田大学は、東京専門学校時代から、文部省「特別認可学校規則」や専門学校令の特例適用、大学令による私立大学として最初期の認可などを受けてきた。政治学、法律学、文学、商学、理工学、教育学、芸術、スポーツなど様々な分野で、近代日本国家の教育・研究分野の形成をリードしてきたモデル校であり、上述の慶大と共に「私学の雄」と並び称されている[4]

建学の精神[編集]

「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」を理念とし、教旨が定められている。前身となる東京専門学校の創立30周年を記念し、1913年大正2年)に制定された。

早稲田大学教旨

早稲田大学は学問の独立を全うし、学問の活用を効し、模範国民を造就するを以て建学の本旨と為す。

早稲田大学は学問の独立を本旨と為すを以て、之が自由討究を主とし、常に独創の研鑽に力め、以て世界の学問に裨補せん事を期す。

早稲田大学は学問の活用を本旨と為すを以て、学理を学理として研究すると共に、之を実際に応用するの道を講じ、以て時世の進運に資せん事を期す。

早稲田大学は模範国民の造就を本旨と為すを以て、立憲帝国の忠良なる臣民として個性を尊重し、身家を発達し、国家社会を利済し、併せて広く世界に活動す可き人格を養成せん事を期す。

戦後(1949年)、「立憲帝国の忠良なる臣民として」の14文字は「主権在民を謳った新憲法にふさわしくない」[5]として教旨から削除されたが、キャンパス内の「早稲田大学教旨」の碑に刻まれた語句については「思想の変遷を知る歴史的文書としてそのままに保存することがかえって記念碑の趣旨に副う」[5]として削られることはなかった。現在、石碑は正門の外側左に移設され、大学の外から誰でも自由に見られるようになっている[6]


建学の祖グイド・フルベッキ

『早稲田大学百年史』に「最も直接的な建学の基礎的感化を与えたのはグイド・フルベッキである。フルベッキがなかったら、早稲田大学はなく、建っても、勿論、ひどく形式、精神の異なったものとなったであろう」という記述がある。大隈重信は長崎佐賀藩致遠館」でフルベッキに英語を習った。教材は聖書アメリカ独立宣言などであった。「アメリカ独立宣言を起草したジェファーソンは、合衆国に民主主義政治を実行するためには青年を教育することが必要としてバージニア大学を創設した。ジェファーソンと同じ考えで私は早稲田大学を創設した」と述べ、「フルベッキなくして大隈なし、大隈なくして早稲田大学なし」としてフルベッキを建学の祖と称えている。

大学名の由来[編集]

早稲田大学は、1882年 (明治15年) 10月21日に創設した「東京専門学校」を前身とする。当初は、創立者・大隈重信の別邸が東京府南豊島郡早稲田村に、また、校舎が同郡戸塚村にあったことから、関係者には「早稲田学校」「戸塚学校」と呼ばれていたが、最終的には「東京専門学校」と名付けられた。1892年頃には、専門学校の別名として「早稲田学校」と呼ばれるようになった。以後、1902年9月2日付で、専門学校から大学への昇格を機に、大隈によって代表される早稲田の地名をとり「早稲田大学」と改称した(常用漢字の改正以前は、「稲」は、「旧」ではなく「臼」の「稻」を使い、「早稻田大学」と表記していた。卒業時の学位記を納める楯には現在も旧字体が使われている。)。出身者などは「稲門(とうもん)」と呼ぶこともある。

沿革[編集]

(沿革節の主要な出典は公式サイト[7]

1882年(明治15年)に大隈重信が創立した東京専門学校が前身である。その後1902年(明治35年)に早稲田大学と改称、さらに1920年(大正9年)2月5日に大学令に基づく大学となった(これは慶應義塾大学と共に私立大学として初[8])。

年表[編集]

東京専門学校(背後の建物は1931年に東伏見グラウンドに移築され、昭和末期まで合宿所として使用された)[9]
  • 1882年(明治15年)10月 - 東京専門学校が開校。政治経済学科法律学科理学科英学科を設置。入学生80名。校長大隈英麿が「開校の詞」を朗読。天野為之小野梓が演説、「学問の独立」の精神を宣言[10]
  • 1883年(明治16年)
    • 5月 - 講師教員学生合同懇親・大運動会、飛鳥山に開催(運動会の始まり)[11]
    • 9月 - 予科を設置(修業年限1年)。政治経済学科を「政治学科」と改称。理学科を廃止して土木工学科設置。
  • 1884年(明治17年)
    • 6月 - 学生団体「同攻会」を結成。
    • 7月 - 第1回卒業式を挙行。
  • 1885年(明治18年)
    • 6月 - 評議員会、神田移転案を否決。
    • 9月 - 高等科(のちの研究科)を設置。土木工学科の学生募集を停止。
前島密(第2代校長、日本における郵便制度の創設者の一人)
  • 1886年(明治19年)
    • 1月 - 小野梓死去。
    • 5月 - 校外生の制度を発足させ、『早稲田講義録』を発行。軍入隊時の田中角栄も校外生のうちの一人であった。
    • 8月 - 私立法律学校特別監督条規制定。
    • 9月 - 学部制を施行し政治学科・法律学科・英学科をそれぞれ政学部・法学部・英学部と改称。修業年限を4年に延長。
  • 1887年(明治20年)
    • 5月 - 大隈重信の寄進により赤煉瓦の大講堂落成(図書室が同講堂1階に移転)。
    • 9月 - 政学講義会、東京専門学校出版局と改称(早稲田大学出版部の前身)。
  • 1888年(明治21年)6月 - 文部省令「特別認可学校規則」公布にともない学部制・高等科の廃止。修業年限3年の政治科・法律科(司法科=第一法律科)・行政科(第二法律科)・英学本科・兼修英学科を設置。
坪内逍遥(文学科を創設)
鳩山和夫(第3代校長、外務次官・衆議院議長を歴任)
  • 1890年(明治23年)
  • 1891年(明治24年)
    • 9月 - 政学部・法学部・文学部の3学部制を復活。
    • 10月 - 『早稲田文学』創刊。
  • 1893年
    • 8月 - 各地の校友会と連携して巡回学術講演会を開催。
    • 9月 - 研究科を新設(修業年限2年)。
  • 1895年(明治28年)4月 - 早稲田倶楽部(体育部の前身)発会。
  • 1896年(明治29年)
    • 1月 - 早稲田法学会発足。
    • 11月 - 早稲田文学会発足。
  • 1897年(明治30年)3月 - 早稲田学会設立、機関誌『早稲田学報』発刊。七徳堂(体育館)開館。
  • 1898年(明治31年)
    • 9月 - 文学部に史学科新設。
    • 11月 - 東京府知事、東京専門学校の社団法人化を認可。
  • 1899年(明治32年)
  • 1900年(明治33年)9月 - 初めての海外留学生2名をドイツに派遣。
  • 1901年(明治34年)
    • 4月 - 文部大臣、高等予科および大学部、専門部を開設するための改正学則を認可。
    • 11月 - 同志社出身の安部磯雄体育部長により野球部が設置される[12]
  • 1902年(明治35年)
    明治時代の早稲田大学
  • 1903年(明治36年)
    • 4月 - 高等予科を第一(政治経済学科)、第二(法学科)、第三(文学科)、第四(商科、新設)に分割。
    • 9月 - 高等師範部(現:教育学部)設置。
    • 10月 - 早稲田社会学会結成。
    • 11月 - 最初の早慶野球戦三田綱町球場で開催。
  • 1904年(明治37年)
  • 1905年(明治38年)
    • 4月 - 野球部が安部磯雄部長引率のもと日本の野球チームとして初のアメリカ遠征に出発(26戦7勝19敗、6月帰国)。
    • 9月 - 清国留学生部を設置。
    • 学習院元院長田中光顕より『礼記子本疏義』第59 1巻(国宝)が寄贈[17]
  • 1906年(明治39年)
    • 2月 - 東亜同仁会(会長大隈重信)、東京同仁医薬学校(校長岡田和一郎)を早稲田大学構内に設置。
    • 11月 - 応援の過熱により早慶野球戦中止(1925年復活)。
  • 1907年(明治40年)
    • 4月 - 校長・学監制を廃し、総長・学長制を採用。大隈重信総長(名誉職)・高田早苗学長が就任。
    • 10月 - 校歌制定(作詞:相馬御風、作曲:東儀鉄笛)。また、それまで、貸すという形になっていた敷地(現在の敷地の一部)を寄付すると、大隈が発表。
    • 11月 - 東京同仁医薬学校付属の早稲田同仁医院開設(1911年閉校。在校生は千葉金沢医学専門学校に移す)。
  • 1908年(明治41年)
  • 1909年(明治42年)9月 - 大学部理工科機械学科、電気学科開講。
  • 1910年(明治43年)9月 - 大学部理工科採鉱学科、建築学科開講。
  • 1911年(明治44年)5月 - 早稲田工手学校開校。恩賜記念館竣工。
大正初期の早稲田大学の正門
(奥の赤煉瓦の建物は恩賜記念館)
早稲田大学の学生達(1915年)
  • 1914年(大正3年)
    • 10月 - 明大野球部の主唱により早慶明の三大学連盟を結成(のちに法、立、帝が加わり六大学となる)
    • 学習院元院長田中光顕より『玉篇』巻第9 1巻(国宝)が寄贈[17]
石橋湛山早稲田騒動で天野派の総帥として活躍、1956年に早大出身者で初の内閣総理大臣となる)
  • 1916年(大正5年)
    • 10月 - 大典事業の一環として、鴻池善右衛門鴻池銀行東京支配人蘆田順三郎、鴻池監督を務めた原田二郎(学苑校賓)と連名で軽井沢の土地2万坪を早稲田大学に寄贈[19]
    • プロテスタンツ(恩賜館組)[20]による母校改革運動起こる。
  • 1917年(大正6年)
    • 4月 - 高等予科の修業年限を2年に延長。
    • 6月 - 早稲田騒動が新聞で報じられ、世間の関心事となる[21]
    • 9月 - 革新団(天野為之支持派)による校門占拠事件発生。大学部理工科応用化学科設置。
    • 11月 - 維持員会、天野為之の講師および維持員辞任を承認。
  • 1918年(大正7年)
    • 10月 - 前年9月から空席だった学長に平沼淑郎が就任。
  • 1919年(大正8年)
    • 2月 - 民人同盟会結成。
    • 11月 - 建設者同盟結成(民人同盟会から分派)。
    • 9月12日 - 東京府に早稲田大学設立認可申請[22]
    • 9月19日 - 『官報』にて早稲田大学校外生新学年募集[23]
  • 1920年(大正9年)
    • 2月2日 - 天皇裁可(上奏裁可書文書番号No.23)を受ける[24][25]
    • 2月5日 - 大学令による早稲田大学の設立が文部大臣に認可される(文部省告示第36号)[26]
    • 2月14日 - 豊多摩郡役所に早稲田大学設立認可を通知[27]
    • 3月31日 - 早稲田大学学則、文部大臣の認可を得る。政治経済学部法学部文学部商学部理工学部大学院早稲田高等学院を置き、学部と高等学院の修業年限を3年とする[28]
    • 4月1日 - 各学部第1学年及び高等学院第1学年を開設[29]
    • 4月 - 専門部に商科(3年制)を新設。
  • 1921年(大正10年)4月 - 女子12名を聴講生として受け入れ。
  • 1922年(大正11年)
  • 1923年(大正12年)
    • 1月 - 文化同盟結成(建設者同盟の学内団体)。
    • 3月 - 総長・学長制を名誉総長・総長制に改める(名誉総長・大隈信常、総長・高田早苗)。旧大隈邸を大隈会館と命名。
    • 4月 - 大学院発足。
    • 5月 - 早大軍教事件起こる。
    • 9月 - 関東大震災で旧講堂倒壊。被災者のために法律相談部と建築相談部を設置。
  • 1924年(大正13年)
    • 4月 - 早稲田専門学校(夜専、政治経済科・法律科・商科)開校。
    • 5月 - 専門部および高等師範部が高等学校大学予科と同等以上と認定される。
建設中の大隈講堂
  • 1925年(大正14年)
    • 3月 - 専門学校令による大学部廃止。
    • 8月 - 早稲田専門学校が高等学校大学予科と同等以上と認定される。
    • 9月 - 東伏見グラウンド開設。
    • 10月 - 早慶野球戦復活(戸塚球場)。図書館(現2号館)と学生会館開館。
  • 1926年(大正15年/昭和元年)5月 - 早大学生消費組合開店(東京学生消費組合の最初の支部)。
  • 1927年(昭和2年)
    • 1月 - 図書館に横山大観下村観山の壁画「明暗」を設置。
    • 10月 - 大隈講堂が落成。早大出版部事務所竣工。
  • 1928年(昭和3年)
撤去される前の正門(1932年)
  • 1930年(昭和5年)10月 - 早慶野球戦切符事件起こる。
  • 1931年(昭和6年)
    • 6月 - 戸塚球場で日本初のテレビジョン実験放送成功。早慶戦で第六応援歌「紺碧の空」(作詞:住治男、作曲:古関裕而)を初演奏。
    • 東伏見グラウンドに文学部旧校舎を移築、体育各部の合宿所となる(グリーンハウスの名称で1988年まで使用)[9]
  • 1932年(昭和7年)10月 - 創立50周年式典を挙行。
  • 1933年(昭和8年)
    • 1月 - ラグビー部、初の全国制覇達成(花園、早稲田27 - 3同志社)[30]
    • 3月 - 創立50周年記念事業を発表(老朽校舎改築および理工学部中央研究所設置を表明)。
    • 4月 - 本部校舎(旧3号館南側)竣工。
    • 11月 - 武道館開館。
  • 1934年(昭和9年)4月 - 政・法校舎(旧3号館北側)竣工。
専門部・高等師範部校舎(1935年竣工、現1号館)
  • 1935年(昭和10年) - 大学正面入口から門柱・門扉を撤去(無門の門となる)
  • 1938年(昭和13年)
    • 4月 - 文学部哲学科に芸術学専攻設置。理工学部に応用金属学科設置。
    • 10月 - 商学部校舎(旧11号館)竣工。鋳物研究所(現:材料技術研究所)設置。
  • 1939年(昭和14年)4月 - 女子学生4名が初めて学部へ入学。専門部工科開設。
  • 1940年(昭和15年)
  • 1941年(昭和16年)8月 - 早稲田大学報国隊を結成。
  • 1942年(昭和17年)4月 - 理工学部電気通信学科開設。
  • 1943年(昭和18年)10月 - 理工学部に石油工学科、土木工学科、工業経営学科を開設。出陣学徒壮行早慶戦を行う。
  • 1944年(昭和19年)
    • 3月 - 興亜経済研究所と東亜法制研究所とを統合して興亜人文科学研究所を設立。
    • 4月 - 専門部および専門学校の商科を経営科と改称(戦後旧称に戻す)。専門部工科に航空機科、電気通信科、鉱山地質科学科を開設。
焼失した恩賜記念館(1945年)
  • 1945年(昭和20年)
    • 5月 - 太平洋戦争下の空襲により大隈会館、恩賜記念館、第一高等学院(戸山)などを焼失。
    • 8月 - 終戦により学徒勤労動員解除。
    • 11月 - 体育会復活。
    • 12月 - 学友会復活。理工学部機械工学科の航空力学科と航空機科を廃止、石油工学科を燃料化学科と改称、専門部工科航空機科を運輸機械科と改称、早稲田高等工学校航空機科を廃止。
  • 1946年(昭和21年)
    • 2月 - 興亜人文科学研究所を人文科学研究所と改称。
    • 10月 - 政治経済学部に新聞学科を増設。
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月 - 米国に亡命していた大山郁夫復職。専門部政治経済科に自治行政専攻を設置。
    • 5月 - 総長公選規定を含む校規を制定、島田孝一が総長に就任(9月)。
    • 7月 - 新制早稲田大学の設置認可を文部大臣に申請。
    • 11月 - 早稲田工手学校廃校。
  • 1949年(昭和24年)
    • 3月 - 第一・第二早稲田高等学院が廃校、在校生は新制大学の学部1・2年生に移行。
    • 4月 - 学制改革に伴い、新制早稲田大学を設置[31]。旧制の学部・専門部・高等師範部・専門学校・高等工学校の学生・生徒募集を停止。
    • 5月 - 『早稲田大学教旨』を改訂、「立憲帝国の忠良なる臣民」を削除[6]
早稲田大学(1950年)
  • 1950年(昭和25年)10月 - 早稲田大学事件起こる。
  • 1951年(昭和26年)
    • 2月 - 学制改革に伴う学校法人への組織変更認可[32]
    • 4月 - 旧制の高等師範部、専門学校を廃止。新制の早稲田大学大学院6研究科(修士課程)を設置。
    • 10月 - 旧制の専門部、高等工学校を廃止。
  • 1952年(昭和27年)4月 - 体育会と体育部を統合して体育局を設置。
  • 1953年(昭和28年)5月 - 大学院博士課程を設置。「5月8日早大事件」起こる。
  • 1954年(昭和29年)5月 - 学生会館竣工。
  • 1955年(昭和30年)4月 - 大隈記念社会科学研究所開設。
  • 1956年(昭和31年)2月 - 生産研究所(現:アジア太平洋研究センター)を設置。
  • 1957年(昭和32年)10月 - 記念会堂が竣工。(1964年東京オリンピックフェンシング競技会場として使用される)
  • 1958年(昭和33年)
    • 3月 - 早稲田大学出版部、通信講義録事業を廃止。
    • 4月 - 比較法研究所を設置。
  • 1959年(昭和34年)
    • 7月 - 語学教育研究室(現:語学教育研究所)を設置。
    • 10月 - 電子計算室(現:メディアネットワークセンター)を設置。
  • 1960年(昭和35年)3月 - 旧制早稲田大学(大学院・学部)廃止。
  • 1961年(昭和36年)4月 - 第二理工学部の学生募集を停止。
  • 1962年(昭和37年)
  • 1963年(昭和38年)
    • 4月 - 国際部を設置。
    • 12月 - 早稲田実業学校が系属校となる。
  • 1965年(昭和40年)
    • 4月 - 第二法学部および第二商学部、学生募集を停止。理工学部に物理学科を設置。
    • 6月 - 『早稲田大学史記要』発刊。
    • 10月 - 早大闘争起こる。
  • 1966年(昭和41年)4月 - 第二政治経済学部、学生募集を停止。社会科学部を設置。
大久保キャンパス(現:西早稲田キャンパス
大隈庭園
  • 1967年(昭和42年)
  • 1968年(昭和43年)4月 - 第二理工学部を廃止、第一理工学部を理工学部と改称。学生相談センターを設置。
  • 1969年(昭和44年)
    • 2月 - 大学問題研究会発足。
    • 8月 - 追分セミナーハウス(現:軽井沢セミナーハウス)竣工。
  • 1970年(昭和45年)
    • 9月 - 建物・校舎の号館表示を変更。
    • 11月 - 第1回ホームカミングデーを開催。
  • 1972年(昭和47年)4月 - 理工学部電気通信学科を電子通信学科と改称。
  • 1973年(昭和48年)4月 - 第一政治経済学部を政治経済学部に、第一法学部を法学部に、第一商学部を商学部に改称。理工学部に化学科を増設。理工学研究科応用物理学専攻を物理学及応用物理学専攻に改称。
  • 1974年(昭和49年)7月 - 産業経営研究所を設置。
  • 1978年(昭和53年)4月 - 現代政治経済研究所を設置。
  • 1979年(昭和54年)
    • 4月 - 早稲田中学・高等学校、系属校となる。
    • 12月 - 環境保全センターを設置。
  • 1980年(昭和55年)2月 - 商学部で不正入試が発覚。教職員から逮捕者・自殺者を出した。
  • 1981年(昭和56年)
    • 4月 - エクステンションセンターを設置。
    • 10月 - 体育厚生施設(17号館)竣工(旧武道館跡地)。
  • 1982年(昭和57年)10月 - 創立100周年記念式典を挙行。
  • 1984年(昭和59年)4月 - 第一文学部に学科制が復活、史学科に考古学専修設置。
  • 1987年(昭和62年)
  • 1988年(昭和63年)4月 - 日本語教育研究センターを設置。オープンカレッジを開設。
  • 1990年(平成2年)3月 - 大隈ガーデンハウスが竣工、大学院教育学研究科を設置。
早稲田大学図書館
  • 1991年(平成3年)4月 - 理工学部に情報学科設置。総合学術情報センターが開館。大学院人間科学研究科を設置。
  • 1993年(平成5年)7月 - ビル・クリントンアメリカ合衆国大統領来校。現役の大統領による初の日本の大学への来校となった。
  • 1994年(平成6年)
    • 4月 - 大学院社会科学研究科を設置。
    • 12月 - 西早稲田キャンパス整備計画(A,B,C棟の建て替え)に着手、A棟(14号館)の建て替え工事が始まる。
  • 1996年(平成8年)6月 - メディアネットワークセンターを設置。(2014年4月、グローバルエデュケーションセンター (GEC) に移管)
  • 1997年(平成9年)
    • 4月 - 理工学部電子通信学科を電子・情報通信学科と改称。
    • 12月 - ハイテク・リサーチセンターが竣工。
    • アジア太平洋研究センターを設置。
    • 同志社大学と国内相互間留学制度・学術交流制度を提携。
  • 1998年(平成10年)
    • 4月 - 理工学部資源工学科を環境資源工学科、材料工学科を物質開発工学科、数学科を数理科学科と改称。
    • 5月 - 旧図書館に會津八一記念博物館が開設[33]
    • 大学院アジア太平洋研究科、国際情報通信研究センター、教育総合研究所、総合健康教育センターを設置。
  • 2000年(平成12年)
    • 4月 - 大学院国際情報通信研究科、オープン教育センター、入学センターを設置。
    • 総合研究機構を創設し、教授陣によるプロジェクト研究所を開設・運営する体制を整える。
  • 2001年(平成13年)
  • 2002年(平成14年)- 渋谷幕張シンガポ−ル校が早稲田大学系属早稲田渋谷シンガポール校となる。
  • 2003年(平成15年)4月 - スポーツ科学部ならびに人間科学部通信教育課程、大学院アジア太平洋研究科国際技術経営専攻(専門職大学院MOT)、大学院公共経営研究科(専門職大学院)、大学院情報生産システム研究科(北九州市)を設置。川口芸術学校が開校。
  • 2004年(平成16年)
  • 2005年(平成17年) - 大学院会計研究科(会計大学院)を設置。西早稲田キャンパス整備計画に基づいて、B棟(8号館)が竣工。小野梓記念館完成(4月)。
  • 2006年(平成18年) - 大学院スポーツ科学研究科を設置。早稲田大学高等研究所を設置。大隈記念タワー完成(4月)。
  • 2007年(平成19年)
    • 第一文学部第二文学部を改編し、新たに文化構想学部(1学科6論系)と文学部(1学科17コース)を設置。
    • 理工学部、大学院理工学研究科を分割し、基幹理工学部(基幹理工学研究科)、創造理工学部(創造理工学研究科)、先進理工学部(先進理工学研究科)の3学部3研究科からなる理工学術院体制が発足[34]
  • 2008年(平成20年)
整備事業完了後の早稲田キャンパス(2010年4月撮影)
新3号館(2014年竣工)
  • 2013年(平成25年)4月 - 6学部でクォーター制を導入。早稲田大学大学院入学式にオックスフォード大学フォルフソンカレッジ学長来校(4月2日)。
  • 2014年(平成26年)
  • 2015年(平成27年)
  • 2016年(平成28年)4月 - 大学院経営管理研究科設置。
  • 2018年(平成30年)
    • 3月 - 早稲田大学歴史館開館。
    • 12月 - 記念会堂跡地に新37号館(早稲田アリーナ)が竣工。屋上部に戸山の丘が設置される[43]

基礎データ[編集]

早稲田キャンパス
戸山キャンパス
西早稲田キャンパス
喜久井町キャンパス

キャンパス[編集]

このように、キャンパスが複数存在することから、キャンパス間の連絡バスが設定されている。早稲田キャンパス-戸山キャンパス正門-学生会館前-西早稲田キャンパス、早稲田キャンパス-先端生命医科学センター(東京女子医科大学との共同設置、同大学キャンパスに所在)-西早稲田キャンパス、早稲田キャンパス-西早稲田キャンパス-本庄キャンパス、所沢キャンパス-小手指駅の路線があり、学生及び教職員は無料で利用することできる。

象徴[編集]

えんじの応援旗(早慶戦)
早稲田大学の角帽(1904年制定)

スクールカラー[編集]

スクールカラーえんじ(えび茶色)。野球部が師と仰いだシカゴ大学ユニフォームを模した際、胸文字(いわゆる早稲田文字)とともに、この色も導入したことに端を発する。ハーバード大学のスクールカラーもクリムゾンレッド(えんじ)である。校章は「大學」の文字の両脇に垂れるがモチーフ。学部カラーも学術院・学部ごとに存在する(政治経済学部橙色、法学部は緑色、商学部は紺色、教育学部は赤紫色等)。

大隈講堂[編集]

1927年に佐藤功一の設計で竣工した、文字どおり早稲田大学の顔として知られる建造物である。早稲田キャンパスに所在し、正式名称は「早稲田大学大隈記念講堂」。学内では「早稲田大学21号館」とも表記される。重要文化財にも指定されている建築物である。

ゴシック・リヴァイヴァル真っ只中にあったイギリス建築の影響を受けたチューダー・ゴシック様式ロマネスク様式の折衷主義建築である。

恩賜記念館という大隈講堂と並ぶ、もう一つの象徴的な建物が存在したが、空襲により焼失した。

角帽[編集]

大隈重信の宿願は、世界唯一の帽子を作ることで、どこに行ってもすぐに早稲田の学生と分かるようにすることだった。洋服店「高島屋」主人・弥七郎に頼んだ。金モールの徽章とともに商品登録を受けた角帽の裏には姓名・学科名の他、校印を捺して、「早稲田の学生に相違無之候也」との文字が添えられ、身分証明ともなり、実質的なステータス・シンボルの役目を果たした[49][50]

「無門の門」[編集]

早稲田大学からは1935年(昭和10年)に門柱や門扉が撤去され[51]、「無門の門」となった。大学によれば、学びたい人を拒まない、開かれた大学にするという建学の精神を象徴している。2015年には全面バリアフリー化された[52]

校歌[編集]

早稲田大学校歌[編集]
  • 作詞は相馬御風、作曲は東儀鉄笛で、創立25周年(1907年)に制定された。三番から構成され、特に一番の歌詞の冒頭の「都の西北 早稲田の杜に」のフレーズは有名であることから、別名『都の西北』と称される。早稲田大学自身も「都の西北」と称されることが多い。また各番の最後にある「わせだ わせだ……」のフレーズも特に有名で、これは小説家でもあり、同大学で教鞭を執った坪内逍遥の発案によるものである[53]イェール大学の学生歌『Old Yale』を参考に作られたという。『Old Yale』自体も1837年にイギリスで流行していた曲『The Brave Old Oak』がその原曲とされており、さらに18世紀の曲『Hearts of Oak』がルーツではないかとも指摘されている[54]同志社大学のカレッジソングもイェール大学の校歌と同じメロディーである。東京大学も"The Todai-Yale Initiative"を採用し、イェール大学との関係が強固である。伊藤博文初代内閣総理大臣もイェール大学の博士号を授与されており、また、初代日本銀行総裁の吉原重俊もイェール大学出身であり、明治時代における日本はイェール大学との結びつきが強かったと考えられる。
  • 明治40年(1907年)10月21日、創立25周年式典において陸軍戸山学校軍楽隊の吹奏により初めて披露された。
  • 作詞者の相馬御風は早稲田大学卒業の詩人で、三木露風野口雨情らとともに早稲田詩社を結成し「口語自由詩」を提唱した。作曲者の東儀鉄笛は早稲田大学の前身・東京専門学校出身(中退)であり、早稲田中学校・高等学校の第一校歌も作曲している。
  • 早稲田大学を象徴する存在であり、長らく日本三大校歌の一つとも言われてきた[要出典]
  • この大学校歌は附属校の早稲田大学高等学院および中学部、早稲田大学本庄高等学院の校歌でもある。系属校の早稲田佐賀中学校・高等学校では「学園歌」名義で使用されている。
  • 早稲田実業学校の校歌の歌い出しも「都のいぬゐ早稲田なる」で始まるように、「都の西北」の「西北」は(戍亥)を表し、君主太陽などを象徴している(『広辞苑』『大辞泉』など参照)[55]
  • 「都の西北」が制定される以前は、明治35年に早稲田大学開校式祝典に際して制定された記念歌『煌々五千の炬火』(作詞:坪内逍遥、曲は永井建子の『元寇』を転用)が校歌として扱われていた[56][57]

紺碧の空[編集]

古関裕而

コンバットマーチ[編集]

  • 1965年(昭和40年)秋の早慶戦で出現した応援歌。当時応援部4年で後に香川県土庄町長を務めた三木佑二郎による作曲。一般学生を応援に巻き込む形を取るために考案された、日本における最初のチャンステーマであり、『コンバットマーチ』はチャンステーマの代名詞的存在となっており、多くの学校のチャンステーマに転用されている。

大進撃[編集]

コンバットマーチ、タイムリーマーチ以外に攻撃中に使用できる曲として考案された曲。小島健昭作曲。慶應の『突撃のテーマ』に対抗する曲として野球応援で欠かせない曲となっている。

マスコット・キャラクター[編集]

大学の公式マスコット・キャラクターとして創立125周年を記念して、本学出身の漫画家弘兼憲史による「ワセダベア」が制定されている。創立者大隈重信の「隈」を「熊」に捩ったクマのキャラクターであり、各種グッズも販売されている。2032年の創立150周年に向けた学生コンペの際に、女子大学生グループによりワセダベアの女性版「早稲女ベア」を策定するアイデアが出された。コンペでの優勝は逃したものの、大学側の目に止まり、弘兼に女性版の策定を依頼、2014年3月に完成し、広報誌『早稲田ウィークリー』7月21日号に名称を公募したところ、約300件の応募があったが、性差別を助長すると主張するフェミニストの教員らの反発があり、「お蔵入り」となっている[58]。この他、戸山キャンパスには、文学科創設120周年を記念して作られた「ブンコアラ」や坪内逍遥と知恵の象徴フクロウを組み合わせた「ショウホー」といったキャラクターが存在する[59]。また、早稲田大学応援部の応援歌『吼えろ早稲田の獅子』に因んだライオンのキャラクター「わーおくん」も存在する[60]

教育・研究および国際化[編集]

外国人留学生の受け入れ体制[編集]

早稲田大学中野国際コミュニティプラザ(東京都中野区)

全学部で海外からの留学生を受け入れている。2015年5月1日時点、90以上の国と地域から、4921人が学ぶ[61]。留学生受け入れ数は2014年5月1日時点、国内で1位である[62]

現在、留学生8000人の受け入れ目標を掲げる。これまでの積極的な留学生受け入れ体制が評価され、文科省の「国際化拠点整備事業(グローバル30)」の対象に、政治経済学術院(政治経済学部)、理工学術院(3学部3研究科)、社会科学総合学術院(社会科学部)が、選定された[63]

国籍別に見ると、中国をはじめとするアジア地域からの留学生が多い。「アジアにおける教育・学問研究の結節機関」を目指し、学問研究においては「現代アジア学の創生[64]」を、教育面では「アジア地域統合のための世界的人材育成拠点(概念図)」を掲げ、意欲的な取り組みが進む。こうしたアジア重視の姿勢は、建学の精神「東西文明の調和と融合」により、既に戦前の一時期、在学生の25%がアジアからの留学生が占めていたほどである。

1996年(平成8年)、社会科学部が、早稲田大学初の中国人専任教授となる劉傑を招くなど、語学教員以外での外国籍研究者の招聘を積極的に行い、教授陣のグローバル化も進めた。今後、外国人教員の比率を、20%にまで高めることを目標としている。2004年(平成16年)には、ほぼ全ての教員が英語で授業を行う「国際教養学部」を設置、東京六大学初、英語による授業だけで学位取得が可能な学部となった。2010年(平成22年)9月からは、理工学術院の3学部・3研究科に、英語による授業だけで学位取得が可能な「国際コース」が設置される(「国際化拠点整備事業(グローバル30)」の一環で、政治経済学術院、社会科学総合学術院にも設置)[63]2014年に東京都中野区中野警察大学校跡地に「中野国際コミュニティプラザ」が開設された。

組織[編集]

学術院[編集]

2004年(平成16年)9月から、全ての学部・研究科は、10の学術院という独自の組織に統合され、学部・研究科の全教員も、いずれかの学術院の所属となった。学内の意思決定など、大学行政も学術院教授会単位で行われる。よって、本項では学部および研究科を学術院単位で掲載している。『早稲田大学大学院入学案内2017』には、以下の順序で、研究科が紹介されている。

研究科:政治学研究科経済学研究科法学研究科文学研究科商学研究科、基幹理工研究科、創造理工研究科、先進理工研究科、教育学研究科人間科学研究科、社会科学研究科、スポーツ科学研究科、国際コミュニケーション研究科、アジア太平洋研究科、日本語教育研究科、情報生産システム研究科、法務研究科、会計研究科、環境・エネルギー研究科、経営管理研究科。

政治経済学術院[編集]
  • 政治経済学部
  • 政治学研究科
    • 政治学専攻(修士課程・博士後期課程)
    • 公共経営専攻(専門職学位課程、公共経営大学院)
  • 経済学研究科
    • 理論経済学・経済史専攻(学生募集停止、経済学コースに改組)
    • 応用経済学専攻(学生募集停止、経済学コースに改組)
    • 経済学コース
    • 国際政治経済学コース
    • 経済ジャーナリズムコース
  • 公共経営研究科(専門職学位課程・博士後期課程)
    • 公共経営専攻(2012年度学生募集停止、政治学研究科公共経営専攻専門職学位課程に改組)
法学学術院[編集]
文学学術院[編集]
教育・総合科学学術院[編集]
商学学術院[編集]

(ビジネス専攻 専門職大学院、アジア太平洋研究科国際経営学専攻と早稲田大学大学院ファイナンス研究科 専門職大学院、夜間大学院の統合により新設)

  • 会計研究科(専門職大学院)
    • 会計専攻
理工学術院[編集]

学科や専攻に関しては理工学術院の項、(旧)早稲田大学理工学部参照のこと。

社会科学総合学術院[編集]
人間科学学術院[編集]
スポーツ科学学術院[編集]
国際学術院[編集]
  • 国際教養学部
    • 国際教養学科
  • 国際コミュニケーション研究科
    • 国際コミュニケーション研究専攻(修士課程・博士後期課程)
  • アジア太平洋研究科
    • 国際関係学専攻
    • 国際経営学専攻(商学研究科専門職学位課程ビジネス専攻に移管)※2007年度より募集停止
  • 日本語教育研究科
    • 日本語教育学専攻
学術院所属附属機関[編集]
  • 政治経済学術院
    • 現代政治経済研究所
  • 法学学術院
    • 比較法研究所
    • 法務教育研究センター
  • 教育・総合科学学術院
    • 教育総合研究所
  • 商学学術院
    • 商学学術院総合研究所
      • 産業経営研究所
      • WBS(早稲田ビジネス・ファイナンス)研究センター
    • ファイナンス研究センター
  • 理工学術院
    • 理工学術院総合研究所
      • 各務記念材料技術研究所
      • 理工学研究所
    • 国際情報通信研究センター
    • 環境総合研究センター
    • 情報生産システム研究センター
  • 社会科学総合学術院
    • 先端社会科学研究所
  • 人間科学学術院
    • 人間総合研究センター
  • スポーツ科学学術院
    • スポーツ科学研究センター
  • 国際学術院
    • アジア太平洋研究センター
    • 日本語教育研究センター

別科[編集]

  • 日本語専修課程

博物館・資料館[編集]

坪内博士記念演劇博物館
小野梓記念館
  • 坪内博士記念演劇博物館
  • 會津八一記念博物館
  • 大学史資料センター
  • 小野梓記念館(小野記念講堂・ワセダギャラリー)
  • 早稲田大学歴史館
  • 早稲田スポーツミュージアム
  • 国際文学館(村上春樹ライブラリー)-2021年4月オープン予定
會津八一記念博物館[編集]

會津八一記念博物館は1998年平成10年)5月、早稲田キャンパスに開館した総合博物館である。博物館が入居する2号館は1925年(大正14年)に図書館として建造された学内最古の建造物で、設計は今井兼次が担当、大隈講堂と共に東京都歴史的建造物第一号に指定された。会津八一が私費で収集した東洋美術資料を中心に、近現代美術、考古・民俗資料などが収蔵されている。

セミナーハウス[編集]

生活を共にしながら集中・課外授業を行い、学生・教員間の信頼関係を醸成し、人間関係形成に寄与することを目的として、セミナーハウスを設置している。

附属機関[編集]

大隈記念タワー
  • 早稲田大学図書館 -2012年は私立大学トップの約536万冊、2017年は私立大学中日本大学に次ぐ2位の約558万冊を所蔵[67]
    • 中央図書館 - 蔵書約240万冊、学術雑誌1万6千種を所蔵。国際会議場も併設。
    • 高田早苗記念研究図書館
    • 戸山図書館
    • 理工学図書館
    • 所沢図書館
  • 早稲田大学高等研究所
  • 独立センター
    • メディアネットワークセンター
    • オープン教育センター
    • 遠隔教育センター
    • エクステンションセンター
    • 環境保全センター
    • 大学史資料センター
    • 保健センター
    • 平山郁夫記念ボランティアセンター
    • 競技スポーツセンター
    • 留学センター
    • 研究戦略センター(旧早稲田実業跡地)
  • 研究機構等
    • 総合研究機構(プロジェクト研究所)
    • アジア研究機構
    • 日米研究機構
    • イスラーム地域研究機構
    • 日欧研究機構
    • 重点領域研究機構
    • ナノ理工学研究機構(ナノ理工学インスティテュート)
    • 先端科学・健康医療融合研究機構
    • IT研究機構
    • 神戸バイオテクノロジー研究・人材育成センター(BTセンター)早稲田大学浅野研究室 - 2010年(平成22年)7月15日兵庫県神戸市ポートアイランド内に、医療に関する研究・開発機関として開設。
  • エクステンションセンター
    • 早稲田校(早稲田キャンパス29-2号館)
    • 中野校(中野国際コミュニティプラザ1F)
    • 八丁堀校(東京都中央区八丁堀3-17-9)- 八丁堀の廃校となった旧京華小学校を活用した生涯学習施設で2001年に設置された[68]。様々なジャンルの講座を一般に提供している[69]
      最寄駅:八丁堀駅

関連機関[編集]

早稲田大学出版部[編集]
株式会社早稲田大学出版部
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
169-0051
東京都新宿区西早稲田1-9-12 大隈スクエアビル 402
法人番号 6011101022315
代表者 代表取締役社長 須賀 晃一
資本金 1000万円
純利益 1187万8000円(2018年12月31日時点)[70]
純資産 ▲1億5548万8000円(2018年12月31日時点)[70]
総資産 6153万5000円(2018年12月31日時点)[70]
外部リンク http://waseda-up.co.jp/
テンプレートを表示

株式会社早稲田大学出版部(わせだだいがくしゅっぱんぶ)は、学校法人早稲田大学の出版部門で、早稲田大学教員の著書をはじめ、幅広い出版活動を行っている。

1886年(明治19年)に『講義録』を発行し通信教育を開始したことがその起源である。当時の印刷部門は独立し、その後秀英舎と合併、大日本印刷となった。1935年(昭和10年)東京専門学校卒で実業之日本社を創立・社長となった増田義一が初代社長となった[71]。なお、1986年(昭和61年)10月に『早稲田大学出版部100年小史』 (ISBN 4-657-86027-5) が刊行されている。大学出版部協会の設立時から2008年(平成20年)まで会員であったが、現在は所属していない。2009年(平成21年)に刊行を開始した「早稲田大学学術叢書」シリーズを含む年間50点余りの書籍を出版している。また、2011年(平成23年)11月には『早稲田大学ブックレット <震災後>に考える』シリーズの刊行を開始した。

その他[編集]
  • 早稲田大学生活協同組合
  • 株式会社早稲田大学事業部[要出典]
  • 株式会社キャンパス

研究[編集]

21世紀COEプログラム[編集]

各分野から2002年度に5件、2003年度に4件が採択された。

  • 2002年度
    化学、材料科学
    • 実践的ナノ化学教育研究拠点
    情報、電気、電子
    • プロダクティブICTアカデミアプログラム
    人文科学
    • 演劇の総合的研究と演劇学の確立
    • アジア地域文化エンハンシング研究センター
    学際、複合、新領域
    • 現代アジア学の創生
  • 2003年度
    数学、物理学、地球科学
    • 多元要素からなる自己組織系の物理
    機械、土木、建築、その他工学
    • 超高齢社会における人とロボット技術の共生
    社会科学
    • 開かれた政治経済制度の構築
    • 企業社会の変容と法システムの創造

グローバルCOEプログラム[編集]

各分野から2007年度に4件、2008年度に3件、2009年度に1件が採択されている。

  • 2007年度
    化学、材料科学
    • 「実践的化学知」教育研究拠点
    情報、電気、電子
    • アンビエントSoC教育研究の国際拠点
    人文科学
    • 演劇・映像の国際的教育研究拠点
    学際、複合、新領域
    • アジア地域統合のための世界的人材育成拠点
  • 2008年度
    機械、土木、建築、その他工学
    • グローバルロボットアカデミア
    社会科学
    • 制度構築の政治経済学
    • 成熟市民社会型企業法制の創造
  • 2009年度
    学際、複合、新領域
    • アクティヴ・ライフを創出するスポーツ科学

私立大学学術研究高度化推進事業[編集]

2007年度、理工学術院にて新規に2件の事業が採択された。

  • 先進理工学研究科 生命理工学専攻
    • システム生命科学による医・理・工学の先端研究、病態解明・診断・治療に向けた医・理・工学の融合研究
  • 基幹理工学研究科
    • 数値シミュレーションに関する数理的研究、高信頼超並列ソフトウェア基盤研究、環境志向型材料創製研究、高機能材料デバイスとシステム開発研究

学生生活[編集]

サークル活動[編集]

早稲田大学では、2014年時点、大学公認のサークル団体は約560ある[72]。また、最低限の届出を済ませているが公認サークルの設立要件を満たしていない未公認サークルや、「早稲田大学のサークル」を自称し活動するサークル(早稲田大学では「無届団体」と名付けている)が多数存在する[73]

大学の公認を得た団体は、学生会館に部室が与えられる、活動補助金を受け取れる、新歓期に出店を設けるスペースが優先的に割り振られる、サークル名義で大学の各種施設を使用できる、といった待遇を受けられる。会長となる教職員を確保した上で構成員が21人以上、詳細な会計報告を行うといった条件を毎年満たす必要がある[74]

なお、これら全てを含めた学生による課外活動への参加率は7割以上と高い[75]

また、数多くあるサークルから目的のサークルを探す手段として、『マイルストーンエクスプレス』といった学生が発行する情報誌が存在する。

主なサークル・学生自治組織[編集]

文化団体連合会
マル学同革マル派が実権を握る学生団体連合体。当局の公認団体ではあるが、現在では加盟サークルはほとんどない。
早稲田精神昂揚会
半世紀以上続く早稲田の伝統イベント「本庄〜早稲田100キロハイク」を主催するサークル。埼玉県本庄市から早稲田大学までの約100kmを二日間かけて歩き切るというイベント。学生や卒業生を中心に約1500人の参加がある。毎年5月に行われ、春の早慶野球戦、早稲田祭と並んで「早稲田大学三大行事」に数えられている。大学関係者からは「100ハイ」などと呼ばれる。
早稲田大学政友会
50余年の歴史と100人を超える会員を持つ早稲田大学最大のアカデミックサークルである。政治、経済、ジャーナリズム、国際関係に関する勉強会と年に二度の講演会を中心に活動を行っている。
早稲田大学鵬志会
政友会、雄弁会と並ぶ早稲田三大政治サークルの一つ。政治家のインターンシップを中心に活動を行っている。
早稲田大学雄弁会
早稲田大学の弁論クラブである。内閣総理大臣をはじめ多くの政治家が卒業生に存在する。1884年(明治17年)に前身の同政会が発足し、1902年(明治35年)に早稲田大学雄弁会となった。
早稲田祭運営スタッフ
学園祭である早稲田祭を主催する。正式名称は西暦を含めた「早稲田祭2xxx運営スタッフ」となる。通称「運スタ」。
早稲田大学広告研究会
1913年創立。通称「広研」。早稲田祭運営スタッフ、早稲田大学放送研究会とともに早稲田3大サークルの一角を占める。
早稲田大学放送研究会
通称「放研」。日本の各大学の放送関係のサークルで最古参。同大学の理工学部で戦後期に行われていた「早稲田式ブラウン管」のテレビ開発研究のチームを母体とする。当初は大学入試より難しいといわれた入会試験があった。その後、アナウンサー養成、アマチュア番組制作など活動の幅を広げ、多くのOBが全国各地の放送局やメディアに就職している。早稲田大学アナウンス研究会(WAK)は、同会から分離したサークルであり、多くのアナウンサーを輩出している。
早稲田大学宇宙航空研究会
早稲田大学理工学部公認サークルであり、日本女子大学からの公認も受けているインターカレッジサークル。鳥人間コンテスト出場を目的として人力飛行機を制作する「鳥人間プロジェクト」、NHK大学ロボコン等のロボット大会出場を目的として各種ロボットを製作する「メカトロプロジェクト」、液体ロケットエンジンの開発やそれらを利用したモデルロケットを制作する「ロケットプロジェクト」、天体観測・天体撮影や宇宙物理学の学習等を行う「天文プロジェクト」の4プロジェクトが存在する。略称の「WASA (Waseda university Aeronautics & Space Association)」での呼称が一般的。
早稲田大学グリークラブ
1907年に創立した男声合唱サークル。通称「ワセグリ」。ボニージャックス等の有名人を多く輩出している。
早稲田大学交響楽団
1913年に創立したオーケストラサークル。通称「ワセオケ」。入学式や卒業式を始めとする早稲田大学の公式行事でも演奏をしている。
早稲田大学英語部 (WESA)
1948年に早稲田大学教育学部英語会として創立した、教育学部英語英文学科公認サークル。英語名はWaseda English Speaking Assosiation (WESA)。ディベート、ディスカッション、スピーチ、レッスンの4つの英語を使った活動を含む全体活動制(全活制)を採用。1つの活動に偏ることなく総合的な英語力の養成を目指す方針で、学内随一の英語サークルとなった。顧問は中尾清秋教授が長く務めた後、松坂ヒロシ教授に引き継がれた。
WESAが主催する早稲田杯争奪全日本学生英語弁論大会 (All Japan Intercollegeate English Oratorical Contest for the WASEDA Trophy) は、50回(2017年現在)の伝統を持つ日本有数の英語弁論大会である。スピーチの水準の高さもさることながら、運営面でも他大学の模範とされる大会として知られる。
早稲田大学モダンジャズ研究会
1960年創立。ジャズをはじめ、音楽界に数多くのプロを輩出し続けているサークル。通称「ダンモ」。タモリもこのサークル出身である。
早大マイルストーン編集会
早大生向け総合情報誌『マイルストーンエクスプレス』(Milestone Express)など5種類の雑誌を出版するサークル。1978年にミニコミ誌を発行するサークルとして発足し、年間計8万部以上を発行する日本最大規模の出版サークルとなっている。
早稲田スポーツ新聞会
学生スポーツ新聞の先駆け的存在である『早稲田スポーツ』を発行するサークル。2014年7月に紙齢500号、創刊55周年を迎えた。
早稲田大学名所古蹟研究会
50余年の歴史を持つ旅と歴史のサークル。国内旅行専門のサークルである。
早大童話会
1925年創立。現在はいくつかの団体に派生。
SUPER FREE(スーパーフリー)
2003年スーパーフリー事件を起こしたイベントサークル。2000年(平成12年)に同好会として早稲田大学公認となっていたが、2002年(平成14年)に大学当局の公認を取り消された。現在は消滅している。
早稲田大学新聞会
革マル派団体であったが、1999年に公認を取り消された。
法学部学生会
早稲田大学で唯一の日本民主青年同盟系執行部を持つ自治会であったが、民青から自治会活動を行うものがいなくなったため、無党派の学生が執行部を受け持つこととなった。法学部当局による自治会費の代理徴収がなくなった。かつては「法学部学生自治会」の名称であったが近年変更された。現在では唯一の大学に公認された学生による自治組織。
第一文学部自治会、第二文学部自治会
ともに革マル派の拠点であったが、川口大三郎事件に関連して大学当局の公認を取り消された。
商学部自治会
革マル派の拠点であったが、1995年(平成7年)に大学当局の公認を取り消された。
社会科学部自治会
革マル派の拠点であったが、2005年(平成17年)に大学当局の公認を取り消された。

学園祭[編集]

早稲田大学の学園祭は「早稲田祭」と呼ばれ、通例11月上旬に2日間にわたり実施される。過去に革マル派に乗っ取られた早稲田祭実行委員会などが会計面等で問題を起こしたことにより中断されていたが、2002年(平成14年)より早稲田祭運営スタッフが発足し再開された。これは、かつての早稲田祭実行委員会とは完全に独立した、形式的には単年度ごとに組織される"「早稲田祭2xxx」運営スタッフ"が、早稲田祭復活を求める学生によりに組織されたことを受けてものである。大学当局は学生の主催であり大学の公式行事ではないという立場を(形式的には)とり、大学からの出資などは一切行っていない(授業の休講や、学部・研究科日程に掲載する等の措置はとられる)。したがって、3000万円を超える早稲田祭予算は、早稲田祭運営スタッフの渉外活動や参加団体の参加費などで賄われている。同スタッフの発表によると、2日間で約18万人[76]が来場し参加団体数は約400団体、企画数は約450企画となる。これは大学の学園祭としては日本で最大の規模(来場者数で18万人以上を発表しているのは4日間開催される慶應義塾大学の三田祭と3日間開催であり地域の祭と同時開催である一橋祭のみ)であり、1日あたりの来場者では最多となる。理工学部の存在する西早稲田キャンパスで行われる「理工展」も「早稲田祭」とは別に同日程で行われる。また、所沢キャンパスで行われる「所沢キャンパス祭」は例年、10月下旬の日曜日に実施される。

スポーツ[編集]

早稲田ウィークリー[編集]

大学が発行する大学広報誌。1966年3月、『早稲田』として創刊、同年9月、『WASEDA WEEKLY』、1973年10月、『早稲田ウィークリー』に改称。2016年4月よりウェブマガジンに移行。教員によるリレーコラム「えび茶ゾーン」、大学付近のグルメ(通称・ワセ飯)を紹介する「私のワセメシ」、笹倉和幸教授考案の「学生応援宣言」、活躍する現役早大生を特集する「ぴーぷる」などのコーナーからなる。

MyWaseda[編集]

学生、教職員、卒業者、校友向けの総合ポータルサイト。各種申請やオンライン授業の受講、成績照会、連絡等を行うことができるサイトとして、『Waseda-net ポータル』が運用されてきたが[77]、2016年2月に『MyWaseda』にリニューアルされた。

グローバル・リーダーシップ・フェローズ・プログラム[編集]

早稲田大学は、国際的に活躍するリーダーを育成する米国留学プログラムとして「グローバル・リーダーシップ・フェローズ・プログラム」を提供しており、趣旨に賛同したデルタ航空より、選抜された学生に航空券が提供されている。デルタ航空が日本の大学の留学プログラムを支援するのはこれが初めてである[78]

学生運動[編集]

戦前は「早稲田大学潮の会」という右翼団体が存在していたが、戦後からは左翼系の活動が活発になった。革マル派は、長年にわたってお家芸の「恐怖政治」で早大生達の怒りを封じ込め、早稲田大学自治会を支配していた。その中で、早大闘争と呼ばれる学生運動も何度か起こった。

  • 1965年末第1次早大闘争
  • 1960年代後半第2次早大闘争
  • 1970年代前半第3次早大闘争

大学関係者と組織[編集]

大学関係者組織[編集]

早稲田大学の同窓・親睦会組織である校友会は稲門会(とうもんかい)と呼ばれる。大学を本部として「早稲田大学校友会」が組織され、各界において様々な稲門会・校友会が形成されている。なお、早稲田大学校友会を早稲田大学稲門会と紹介している書籍があるがこれは誤りである。本大学は医学部を持たないが、本学卒業後に医師免許を取得した者や医学部出身者で本学に再入学あるいは大学院に入学した者も多数おり、2016年1月31日には本学初となる医師会「稲門医師会」が発足している[79]

早稲田大学校友会は1885年(明治18年)12月13日に設立された。正会員は早稲田大学卒業生・教職員校友・推薦校友で、準会員は早稲田大学各学部在籍者である。早稲田大学の卒業生は「校友」と呼ばれ、卒業と同時に自動的に校友会の正会員となる。会員数は約50万人。

  • 登録稲門会(1308団体、2015年3月時点)
    • 地域稲門会(400団体):都道府県別や主な市区町村別(例:北海道稲門会、新宿稲門会)
    • 海外稲門会(68団体):海外にも稲門会がある。(例:台北稲門会、ロサンゼルス稲門会、リマ稲門会)
    • 職域稲門会(302団体):企業別、業種別(例:東証稲門会、特許庁稲門会、国会稲門会、情報産業経営者稲門会、ファイナンシャル稲門会)
    • 年次稲門会(275団体):入学・卒業年次別(例:19○○年次稲門会)
    • ゼミ稲門会(55団体):ゼミナール
    • 体育各部稲門会(42団体):体育会別(例:稲門体操会、稲泳会)
    • サークル稲門会(48団体):サークル別(例:早稲田大学スポーツ新聞会OB会、早稲田大学モダンジャズ研究会OB会稲門会)
    • 有志稲門会(75団体)

上記以外にも、サークル、大学院研究科、大学学部、ゼミごとなど、早稲田大学校友会に登録していない独自の同窓会組織も多い。また、出身地域別の現役学生親睦組織として全国早稲田学生会連盟(全早連)の下に各都道府県別の稲門会がある。

早稲田大学2号館銘板

大学関係者一覧[編集]

早稲田大学名誉賛助員記

早稲田大学校賓[編集]

早稲田大学学徒錬成部[編集]

早稲田大学は、日中戦争中の1940年(昭和15年)秋、他の大学に率先して、田中穂積総長自ら部長となり、久留米道場を中心に「早稲田大学学徒錬成部」を設置した。東伏見、戸塚、戸山、甘泉園にも道場を設けていた。戦後、早稲田大学久留米道場の建物は解体され、第一高等学校に移管した[81]1943年(昭和18年)9月上野恩賜公園西郷隆盛の銅像前で早稲田大学の学生による出陣壮行会が行われた[82]。10月21日、東京の明治神宮外苑競技場台湾台北[83]文部省学校報国団本部の主催による学徒出陣壮行会が開かれた(東京と台北同時開催)。東京では、東京帝国大学の江橋慎四郎が答辞を読み上げた。江橋は後に、早稲田大学教授に就任した原田宗彦と『レクレーション・ハンドブック』(国土社 1990年12月)で共同研究を行っている。

早稲田大学配属将校[編集]

早稲田大学戸山キャンパス戸山公園早稲田大学西早稲田キャンパス学習院女子大学など早稲田戸山周辺一帯は、陸軍戸山学校陸軍軍医学校陸軍射撃場陸軍技術本部東京陸軍第一病院などの跡地で、戦前は陸軍施設に囲まれていた。 早稲田大学の学科教練配属将校に、宮地久衛(大佐)、石井虎雄(少将)、藤井洋治(中将)、堀井富太郎(中将)、本郷義夫(中将)等がいる。

学生会館[編集]

戸山キャンパスに所在し、東棟に公認サークル・部活等が入居するほか、学生生活課、奨学課、キャリアセンター、直営寮を運営するレジデンスセンター等、学生生活全般の大学事務がある。セブンイレブンが入居している。

[編集]

大学直営寮として、中野国際コミュニティプラザにある「国際学生寮WISH」、東伏見キャンパス至近に位置し、体育会系の学生が多く入居する「東伏見学生寮」、大学図書館設置に尽力した市島謙吉の縁戚で市島宗家市嶋信が大学に寄贈した「市嶋記念千駄木学生寮」の3つがあるほか、大学が共立メンテナンスに運営を委託している「早稲田大学国際学生寮」、「早稲田大学推薦学生寮」、大学関連会社運営の女子学生寮「エスポワール目白」が用意されている。2015年には大学至近大隈通り沿いに建設された本学関連会社なども入居する「大隈スクエアビル」に早大女子学生専用 「市嶋記念早稲田ドミトリー」が完成した。このほか、和敬塾が早稲田キャンパスに近いことから伝統的に多数の学生が入居しており、本学出身の作家村上春樹の小説『ノルウェイの森』に登場する寮のモデルとなっている。

早稲田大学大隈塾[編集]

エクステンションセンターが主宰する公開講座の一つで、塾頭田原総一郎高野孟ら各界の第一線で活躍する人物が講師となり、次世代のリーダーを育成することを目的に設置されている。募集対象は社会人が優先されているが1、2年生を中心とした学生向けの講座も用意されている。

附属・系列校[編集]

附属学校[編集]

早稲田大学には、学校法人早稲田大学が設置する以下の附属学校が存在している。学内での地位は学部と同様の扱いとなっている。このほかに附属学校ではないが、系列となっている学校が存在している。これらは別学校法人による設置であり、早稲田大学の中で扱いが異なっている。

系列校[編集]

早稲田大学には別学校法人が設置する「系属校」が存在している。別法人のため附属校とは異なるが、早稲田大学への推薦入学枠を持っている。

対外関係[編集]

海外拠点[編集]

中国[編集]

アジア[編集]

  • シンガポールオフィス
    • 57 West coast Road, Singapore 127366
  • 早稲田大学バイオサイエンスシンガポール研究所
    • 11 Biopolis Way,#05-02 Helios, Singapore 138667
  • 早稲田大学・オリンパス バイオサイエンス研究所(2009年閉鎖)
  • バンコク事務所/早稲田エデュケーション
    • 1 Empire Tower, 5th Floor, Room 501, South Sathorn Road, Yannawa Sub-district, Sathorn District, Bangkok 10120 Thailand
    • サハグループと共同でバンコクに設置した日本語教育拠点。

ヨーロッパ[編集]

Av. A. Depage, 1, 1050, Brussels, Belgium
  • ヨーロッパセンター
  • パリオフィス
    • Sciences Po
27 rue Saint-Guillaume 75337 Paris cedex 07 – France

アメリカ合衆国[編集]

  • サンフランシスコオフィス
  • ニューヨークオフィス
    • c/o Sumitomo Real Estate Sales (N.Y.) Inc.

800 Second Avenue, Suite 300, New York, NY 10017

  • オレゴンオフィス(2012年閉鎖)

地方自治体との協定[編集]

早稲田大学社会連携推進室によると、以下の地方自治体と協定を締結している。

  • 岐阜県 - 研究開発協定(2001年)
  • 山口県宇部市 - 「宇部市と早稲田大学との協働連携に関する基本協定」(2002年)
  • 東京都墨田区 - 「産学官連携に関する協定」(2003年締結)
    • 文化の育成・発展、人材育成、まちづくり、学術、環境問題等、幅広い分野での包括的な協定。「すみだ産学連携プラザ」内に「早稲田大学すみだサテライトラボ」が設置されている。
  • 東京都杉並区 - 産学官連携に関する協定(2003年)
  • 埼玉県川口市 - 産学官連携に関する協定(2003年)
  • 東京都台東区 - 産学官連携に関する協定(2004年)
  • 東京都新宿区 - 「早稲田大学と新宿区との協働連携に関する基本協定」(2003年)、図書館協定(2008年)、「帰宅困難者一時滞在施設の提供に関する協定」(2012年)
  • 茨城県牛久市 - 「早稲田大学と牛久市との協働連携に関する基本協定」(2004年)
  • 埼玉県所沢市 - 「官学連携に関する基本協定」(2004年)、「連携協力に関するパートナーシップ協定」(2016年)
    • 所沢市議会の議会改革のため、政策立案能力向上に関する協力が行われている[90]
  • 中国蘇州市 - 包括協定(2004年)
  • 静岡県 - 事業連携に関する協定(2004年)
  • 埼玉県本庄市 - 「早稲田大学と本庄市との協働連携に関する基本協定」(2005年)
  • 佐賀県 - 協働連携に関する基本協定(2006年)
  • 美濃加茂市 - 文化交流協定(2007年)
  • 奈良県 - 協働連携に関する基本協定(2008年)

この他、熱海市観光協会連合会と観光などの産業振興支援協力で協定を結ぶ[91]などしている。

他大学との協定[編集]

卒業単位の一部を他の教育機関で取得することができる。利用可能な他の教育機関としては、F-Campus(5大学単位互換制度:他に学習院大学学習院女子大学日本女子大学立教大学が加盟)、武蔵野美術大学東京家政大学東京女子医科大学国立中山大学、京都地域48大学・短期大学(大学コンソーシアム京都)などがある。また同志社大学への国内留学プログラム、100を超える海外協力大学への1年間の海外留学プログラムなどがある。さらに慶應義塾大学一橋大学および同志社大学とは、図書館の相互利用協定を結んでいる。

2008年(平成20年)には、関西大学との間で学術交流協定を締結し、アメリカンフットボール部の交流試合(奇数年度は早稲田大学で、偶数年度は関西大学で開催)や、双方の大学のオープンキャンパスにて、互いの大学がブースを設けての相互参加を、毎年行っている。

2010年(平成22年)には、大学院・先進理工学研究科に、日本初となる他大学との共同専攻(共同先端生命医科学専攻(東京女子医科大学)、共同先進健康科学専攻(東京農工大学)、共同原子力専攻(東京都市大学))が設置された。また、国際教養大学国際基督教大学立命館アジア太平洋大学の3大学との間でも、連携協定が締結された。

2011年(平成23年)には、先端科学・健康医療融合研究機構が、神戸大学の医学部と大学院医学研究科との間で、先端医療の研究活動で協力する連携協定を締結した。

他に学術院単位として政治経済学術院の経済学研究科と慶應義塾大学大学院経済学研究科東京工業大学大学院社会理工学研究科との提携があり、両研究科の講義を履修し修了単位とすることができる。

この他、早稲田大学は84か国の477大学と大学間協定を結んでいる他、40か国の大学・機関と381の箇所間協定を締結しており[96]、人材や研究の交流を推進している。

社会との関わり[編集]

産学連携と大学発ベンチャー企業[編集]

大学での研究をシーズとして起業された会社が複数あり、「早稲田大学発ベンチャー」として認定している。インキュベーション推進室などを設けて支援し[97]、学外のベンチャーキャピタルと連携したファンドを立ち上げている[98]

次世代電動バスの開発[編集]

早稲田大学は理工学術院教授紙屋雄史が中心となり、東芝などともにワイヤレス充電が可能となる次世代型電動バス「WEB-3 Advanced(Waseda Electric Bus-3 Advanced)」を開発。2016年2月1日より東京国際空港周辺や川崎市川崎区の「殿町国際戦略拠点 キングスカイフロント地区」において全日本航空スターアライアンス所属)や川崎市の協力のもと、公道実証試験を開始した[99][100]

ネガワット取引市場創設への取組み[編集]

早稲田大学は、アドソル日進日本電気オムロン京セラ住友電気工業ダイキン工業東光高岳東芝パナソニック日立製作所富士通富士電機三菱電機明電舎など約40社と共同で、政府が2017年までの設立を目指す家庭で発電した電気を売買する「ネガワット取引市場」創設に向けて2016年1月、「エネルギー・リソース・アグリゲーション・ビジネス・フォーラム(ERABF)」を設立した[101]

博士学位論文関連[編集]

2015年11月、早稲田大学は記者会見を開き、刺激惹起性多能性獲得細胞論文関連で調査した2006年以降の博士論文2,789本について、うち89本に引用の仕方などに不備が見つかったことを明らかにした[102]

公認サークル内で行われていた組織的な輪姦事件[編集]

2003年に発覚した、早稲田大学の元公認のサークル「スーパーフリー」内に於いて行われていた、組織的な輪姦事件。早大生だけでなく東京大学慶應義塾大学明治大学法政大学学習院大学日本大学といった大学の学生ら合わせて14人が準強姦罪で実刑判決を受け、重大な社会的波紋を呼び、2004年の集団強姦罪・集団強姦致死傷罪の創設につながった。

芸術・文化活動[編集]

施設名の由来となった人物・企業[編集]

部活動[編集]

早大野球部。1916年

地名・駅名[編集]

早稲田大学を舞台とする作品[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

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  11. ^ 東京新聞 飛鳥山 運動会の聖地 望 ~都の空から(TOKYO Web)
  12. ^ 創部直後は中学チームにも連敗するほどの弱体ぶりだったが(飛田穂洲早稲田大学野球部史』 3-4頁)、初の本格的な対外試合として学習院と対戦し、7対6で勝利。
  13. ^ 試合は、早軍(根拠論文の通り早軍、慶軍と表記する)は三段前田光世を除き早稲田大学の佐竹信四郎を慶軍の主将に置く混合試合であった。早軍の主将松代林太郎二段(早稲田大学)が5連勝し順当に勝ち進むも慶軍の副将藤崎初段(慶應義塾)に敗れる(「早稲田大学柔道部百年史」、「我塾柔道百年の歩みと共に」 小川虎之助 P19)。
  14. ^ 明治35年9月2日『官報』第5750号
  15. ^ ただしこれは翌1903年に発令された専門学校令の発令に先立ち、その特例として大学と称することが私立学校中初めて認められたものであり、大学令による大学となるのは1920年からである。なお、1902年9月1日発効の早稲田大学改称について、専門学校令に特例が存在しない事から精選版日本国語大辞典では1899年に公布された私立学校令に基づくものとしている。
  16. ^ 明治35年12月13日『官報』第5835号
  17. ^ a b 沿革 – 早稲田大学図書館
  18. ^ a b 世界の道は早稲田に通ず 大隈重信の民間外交 2015年度秋季企画展「大隈重信展──早稲田から世界へ──」より – 早稲田大学 大学史資料センター
  19. ^ 『早稲田大学校賓名鑑』p143
  20. ^ 恩賜記念館に研究室を与えられた若手教職員グループのこと。主なメンバーは大山郁夫寺尾元彦宮島綱男村岡典嗣遊佐慶夫服部嘉香橘静二など。(服部嘉香 『随筆 早稲田の半世紀』 中和出版、23-24頁)
  21. ^ 「早大内訌る 学長問題にて」(『東京朝日新聞』 1917年6月22日)
  22. ^ 東京都公文書「早稲田大学設立認可申請」(早稲田大学の物のみ存在。東京都公文書館に「慶應義塾大学設立認可申請」は存在しない。) 2019年3月11日閲覧.
  23. ^ 大正8年9月19日『官報』第2139号廣告
  24. ^ 国立公文書館デジタルアーカイヴ**
  25. ^ 新設された早稲田大学歴史館では、上奏裁可書に後日決裁の付箋が付いていない事から、面て面上の「1920年の1月の裁可を経て、翌2月に大学に昇格した」(早稲田大学歴史館資料より抜粋)としている。
  26. ^ 『官報』1920年2月6日、文部省告示第36号。
  27. ^ 東京都公文書「早稲田大学設立認可申請」 2019年3月11日閲覧.
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  37. ^ 胡錦濤国家主席が来校-日中青年へ未来志向の友好語る
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  40. ^ 2010年4月 東京女子医大・早稲田大 共同大学院開設について
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  97. ^ 早稲田大学インキュベーション推進室について(2018年11月13日閲覧)。
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  100. ^ 無線給電ができる電動バス、走行実験開始日本経済新聞
  101. ^ 早大と約40社が「ネガワット取引市場」創設で経産省と連携日経BP
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  103. ^ 『毎日新聞』(2004年4月24日)2017年4月18日国立国会図書館で閲覧。
  104. ^ 三四郎池(育徳園心字池)
  105. ^ 情報学環・福武ホール
  106. ^ 日本文化学のグローバル化を目指しUCLAと連携 「柳井正イニシアティブ」を発足します早稲田大学
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参考文献[編集]

  • 早稲田大学大学史編集所編 (1978-1997年). “早稲田大学百年史 全8冊”. 早稲田大学出版部. 2017年12月21日閲覧。
  • 島善高 『早稲田大学小史』 早稲田大学出版部、2005年。
  • 真辺将之 『東京専門学校の研究』 早稲田大学出版部、2010年。
  • 早稲田大学学生部編 『Compass-学生の手帖2007』 早稲田大学、2007年。

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