明法寮
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明法寮(めいほうりょう、1871年-1875年)は、日本の司法省に設置された法律学校。司法省明法寮ともいう。出身者の多くが裁判官・検察官となり、明治時代の司法を支えた[1]。寮はのちに東京大学法学部に統合された[1]。
沿革[編集]
明治4年(1871年)9月、法律実務の専門家を養成する機関として、司法省に設けられ、江戸幕府の洋学所の伝統を引き継ぐ当時の大学南校から優秀な生徒を引き抜いて、フランス式の法曹教育を始めた。1872年(明治5年)にはジョルジュ・ブスケが、翌1873年(明治6年)にはギュスターヴ・エミール・ボアソナードを迎え、フランス語による本格的な法学教育が開始され、法律実務を担う法律家の養成に乗り出すこととなった。1872年4月には民法編纂のための民法会議が始まったが、その後中断され、編纂作業は司法省に移った[1]。
1875年(明治8年)に司法省法学校(本科・予科)に発展解消した。
主な人物[編集]
- 楠田英世 - 明法寮権頭
- 津田真道 - 大法官
- 箕作麟祥 - 大博士、中判事
- 細川潤次郎 - 中議官
- 鷲津宣光 - 権大法官
- 生田精 - 少議官
- 永井少忠 - 少議官
- 鶴田皓 - 明法寮助
- 大草孝暢 - 権中判事
- 小原重哉 - 権中判官
- 横山由清 - 中議生
- 佐久間長敬 - 少議生
- 依田薫 - 大掌記
- 橋詰敏 - 大掌記
- 平山能忍 - 大解部
- 昌谷千里 - 明法権大属
- 於保貞夫 - 明法権中属
参考文献[編集]
- 高見勝利著「講座担任者から見た憲法学説の諸相 -日本憲法学史序説-」、北大法学論集, 52(3): 1-38、2001年。
- 小林正忠『名の法をめぐる民法草案と全国惣体戸籍法の対峙 明治六年小野組転籍事件をとおして』、『日本法学』第78巻第1号、2012年。
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ^ a b c 代書人の誕生-司法職務定制と訴答文宮原賢一、2009
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