東京六大学応援団連盟

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東京六大学応援団連盟(とうきょうろくだいがくおうえんだんれんめい)とは、東京六大学野球連盟に加盟する6校の大学の学生応援団で構成された組織である。OB・OG組織の名称は「六旗会」。

構成大学[編集]

東京六大学応援団連盟の当番校順の記載。[1]

概略[編集]

1925年に結成された東京六大学野球は、太平洋戦争の激化に因る戦時命令により一端中断し、戦後の1946年には復活を遂げたが、いわゆる復員学徒を中心とした学生が、戦後の大学における学生の士気を高めるために、戦後も各校めいめいにあって活動していた応援団応援部應援指導部の再建を始めた。

戦前からの継続組織として立教大学と法政大学が活動を再開し、早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学でも戦前にあったものとは異なった新しい組織が発足した。東京大学においても大学史上初めての応援部が1946年に誕生するにいたり、各大学相互間の親睦を図ると共に加盟六大学相互間のリーグ戦での応援活動の円滑化(学生応援組織間でのトラブルの回避)を意図し1947年5月に結成された(丸の内・中央亭にて東京大学総長の南原繁氏を初代会長に迎え結成された)。

略史[編集]

以下に登場する学校名は各校の応援団を指す。

  • 1947年 5月19日、連盟結成
  • 1949年 明治、ブラスバンドを創設。以後各校に相次いで誕生し、1952年の東大における結成で、全校にブラスバンドが揃った。
  • 1953年 第1回東京六大学応援団祭を開催(のち「六旗の下に」へ改称)。
  • 1960年 早慶六連戦において慶應にバトンガールが登場
  • 1963年 明治吹奏楽部バトントワラーズを結成(途中途切れる)。
  • 1974年 第1回合同演奏会を開催。明治吹奏楽部バトン・法政チアガール、続いて立教にもバトンが誕生。翌年慶應にバトンメジャレッツ、その次の年東大、最後早稲田に女子部が誕生 応援団が、リーダー部・吹奏楽部・バトンチア部の3部で華やかになった時代。
  • 1982年 神宮球場が透水性人工芝を敷設したのに伴い紙吹雪が禁止される。
  • 1983年 「第30回六旗の下に」で銀座〜日比谷公会堂間をパレード。
  • 1988年 神宮球場で守備中の鳴り物応援が禁止となる。
  • 1997年 連盟結成50周年を記念して「第44回六旗の下に」でパレードを実施。
  • 2007年 連盟結成60周年、9月30日「東京六大学オータムラン」を開催。
    • 11月3日、六大学OB会を東大で開催する。
  • 2008年 1月、明治リーダー部が元部員の自殺、暴力体質等が問題視され、明治大学当局により廃部解散処分となる。
  • 2013年 「第60回六旗の下に」で明治神宮外苑をパレード。

特徴[編集]

毎年6月の第二土曜日に六大学応援団合同の催しである『六旗の下に』を日比谷公会堂にて開演している。応援団所属のブラスバンドによる六大学合同演奏会を開催したのが始まりで、2013年で60回を数える。

現在は、『ステージドリル&チアリーディングステージ』の第一部と、男子リーダー部による演舞をメインに据えた『各校校歌・応援歌・拍手の紹介』の第二部(ブラスバンドの演奏とチアリーダーによる演技も含む)の二部構成で行なっている。

2007年9月30日には東京六大学野球連盟結成60周年記念として「東京六大学オータムラン」が開催された。連盟は六旗会などとともに協力団体として名を連ねた。明治大学のリーダー部が公式イベントに参加した最後の機会となってしまった。参加者には同日の試合観戦が無料となる特典がついた(試合が雨天中止となった場合、権利は翌週に順延)。過去に、全日本学生応援団連盟(全国最大規模の連盟)からの招聘もあったが、現在(2014年度)も加盟はしていない。

近年は週刊ベースボール増刊『大学野球』春季リーグ戦展望号(ベースボールマガジン社)において、各校紹介の小冊子が綴じ込まれており、各校・団のプロフィール、校歌、応援歌や幹部体制、抱負等が掲載されている。

参考文献[編集]

  • 東京六大学応援団連盟OB会『応援団―六旗の下に 東京六大学応援団連盟36年の歩み』(ユーゴー、昭和59年)

脚注[編集]

  1. ^ 2014年の当番校は早稲田大学。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]