この記事は半保護されています。(半保護の方針による半保護)

渡部直己

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search

渡部 直己(わたなべ なおみ、1952年2月26日 - )は、日本文芸評論家男性。元早稲田大学文学学術院文化構想学部文芸・ジャーナリズム論系教授。

秋山駿蓮實重彦平岡篤頼柄谷行人金井美恵子ジャン・リカルドゥーロラン・バルトらの影響を強く受ける。いわゆる「テクスト論」の文芸批評家としてデビュー。絓秀実との共著『それでも作家になりたい人のためのブックガイド』(1993年)などで知られる。

経歴

1970年代

1980年代

  • 1980年、『早稲田文学〔第8次〕』1月号に「触物誌・食物誌―吉行淳之介について」を発表。同誌7月号に「怯える<私>―内田百閒論」、同誌9月号に「幻想文学論序説―正岡子規「叙事文」から」を発表。
  • 1981年、絓秀実と出会い、「批評研究会」に参加する。『早稲田文学〔第8次〕』3月号に「幻影の杼機―泉鏡花試論-1-」を発表。同誌9月号に「《現実》という名の回路」を、同誌12月号に「傀儡たちの遁走曲―筒井康隆虚人たち」を読む」を発表。
  • 1982年4月、日本ジャーナリスト専門学校文芸創作科講師となる。『早稲田文学〔第8次〕』7月号の「特集 批評は隆盛なのか」に「がきデカ筒井康隆ロブ=グリエ」を発表。同誌9月号の「特別企画 活字に何ができるか」に「視(よま)れることば―鏡花のルビについて」を発表。
  • 1983年、絓秀実江中直紀芳川泰久季刊批評誌『杼(ひ)』を創刊。4月には初の著書『幻影の杼機 泉鏡花論』を刊行(「杼機」は機械の意味で「チョキ」と読む。意味は「パーに勝つ」であると、かつて『杼』紙上で語っている)。『早稲田文学〔第8次〕』11月号の「特集 久生十蘭」に「Regle de Trois―あるいは「計算」された物語」を発表。
  • 1984年2月、『ユリイカ』の「特集 内田百閒」に「揺れゆく<私>」を発表。『文藝』8月号に「充実した綺想の終焉―筒井康隆虚航船団」」を発表。『早稲田文学〔第8次〕』11月号の「特集 昭和60年人物論」に「作品は誰のものか?―「『虚航船団』の逆襲」について―筒井康隆」を発表。『文藝』12月号に「遊戯あるいは不断の始まり―高橋源一郎「虹の彼方に」」を発表。
  • 1985年、『朝日ジャーナル』10月18日号に「阪神優勝を「哲学」する―マゾを突き抜けた倒錯が「想像力の危機」に襲われる日」と題した、柄谷行人高橋源一郎との鼎談が掲載される。
  • 1986年、『早稲田文学〔第8次〕』2月号に「リアリズム批判序説―正岡子規における<明視>の誕生と溶解」を発表。同誌7月号の「特集 詩?文字から言葉へむかって」に「現代詩の版図」と題した北村太郎ねじめ正一との鼎談を発表。同誌10月号に「歌舞伎としてのリアリズム―「自由と禁忌」を読む」を発表。また、『朝日ジャーナル』9月5日号に「甲子園戯れ観戦記―偶然の快楽あるいは蓋然の抑圧」、同誌10月31日号に「西武ライオンズ清原和博の新人類学的考察」を寄稿。12月には『現代詩手帖』の「特集 吉本隆明と<現在>」に「「大衆の原像」あるいは鋼鉄の定規」を、『文藝』12月号の「新鋭作家論特集」に「島田雅彦論―「キムコ」文学のゆくえ」を寄稿。

1990年代

  • 1990年、『朝日ジャーナル』4月13日号に「世紀末、お花見的プロ野球考」と題して、赤瀬川原平平出隆との鼎談が掲載される。
  • 1991年、『群像』10月号に「90年代の文学をめぐって」と題した井口時男川村湊との鼎談が掲載される。
  • 1992年10月、メタローグが開設した作家養成講座「CWS(Creative Writing School)」の「創作本科」(第1期~第10期)、「特別講義聴講コース」(第1期~第5期)にて講師を務めた。
  • 1993年、『谷崎潤一郎――擬態の誘惑』で第21回平林たい子文学賞評論部門の候補となるが落選。受賞作は無かった。西成彦『ラフカディオ・ハーンの耳』も評論部門の候補となっていた。
  • 1993年3月21日、池袋メトロポリタンプラザにて第1回瞠目反・文学賞の公開選考会を行う。選考委員は島田雅彦筒井康隆、渡部。
    • 島田は奥泉光「ノヴァーリスの引用」、久間十義「海で三番目に強いもの」、筒井は小林恭二「瓶の中の旅愁」、島田雅彦「彼岸先生」、笹沢左保「木枯し紋次郎」を、渡部は中沢新一「森のバロック」、山城むつみ「文学のプログラム」を候補作として推薦したが、島田は選考委員のためノミネートを辞退した。
  • 1996年の『文藝』春季号より「面談文藝時評」開始。連載は2年にわたり続き、『現代文学の読み方・書かれ方 まともに小説を読みたい/書きたいあなたに』(河出書房新社、1998年3月)としてまとめられた。連載には島田雅彦、奥泉光、保坂和志、山本昌代、多和田葉子、阿部和重、高橋源一郎、金井美恵子、笙野頼子が登場した。
  • 1997年、近畿大学文芸学部教授。
  • 1997年、『中上健次論――愛しさについて』で第25回平林たい子文学賞評論部門の候補となるがまたも落選。受賞作は川西政明『わが幻の国』、高橋昌男『独楽の回転――甦る近代小説』。
  • 1997年下期の『文學界』「新人小説合評」を大杉重男とともに務める。
  • 1998年8月、奥泉光星野智幸とともに「CWS(Creative Writing School)」のサマーセミナー「小説を書く!」で講師を担当。

2000年代

  • 2001年4月、「CWS(Creative Writing School)」の通学部「創作本科聴講コース」にて、いとうせいこう、角田光代川上弘美重松清保坂和志とともに講師を担当。
  • 2001年12月、早稲田文学新人賞の選考委員に就任。2004年12月の第21回目まで委員を務める。
  • 2002年4月、「CWS(Creative Writing School)」の通学部創作科「創作演習コース」にて演習「書く技術」の講師を担当。
  • 2004年、『新潮』で「面談文藝時評」連載開始。
  • 2007年5月に刊行された「早稲田文学0」(「wasebun0」とも)にて、川上未映子ショートインタビューの聞き手を務めた。同号には川上の短編作品「わたくし率 イン 歯ー、または世界」が掲載されている。
  • 2008年4月より早稲田大学文化構想学部の文芸学科文芸・ジャーナリズム論系で教鞭を執る。

2010年代

  • 2013年10月より早稲田大学坪内逍遙大賞の選考委員に就任。
  • 2017年3月、第67回芸術選奨文部科学大臣賞(文学部門)および芸術選奨文部科学大臣新人賞(文学部門)の推薦委員を務める。受賞作は恩田侑布子『夢洗ひ』、小島ゆかり『馬上』、新人賞が崔実『ジニのパズル』であった。
  • 2018年6月20日、プレジデントオンラインは「早稲田大学文学学術院の大学院生だった女性」が渡部から「性的なハラスメントを受けたとして、大学に「苦情申立書」を提出していた」と報じた[1]。それを受けて早稲田大学は「事実確認を踏まえ、厳正に対処する」というコメントを発表[2]。6月27日、毎日新聞は渡部が退職願を提出したことを報じ[3]、7月27日、大学側は渡部を同日付で解任した[4]

人物

  • 谷崎潤一郎蓮實重彦中上健次江川卓青木淳悟を愛し、村上春樹アグネス・チャンを嫌う。
  • かつては筒井康隆ファンであり、『筒井康隆全集』にも解説を寄せるほどであったが、1984年の『虚航船団』を批判し(論文は『Hello Good-bye 筒井康隆』に収められた)決別。以降は筒井作品に批判的な立場を取るようになり、筒井本人の作品にも揶揄的に描かれるまでになった。しかし一部メディアにおいて第46回谷崎潤一郎賞授賞式において「和解」したと報じられた。
  • 筒井に熱中し始めた頃(1974年頃)には、山上たつひこの漫画『がきデカ』の大ファンでもあり、「ロブ=グリエと筒井康隆と山上たつひこを、同時に読んでいた」と後に語っている。
  • 彼の批評理論は、ヌーヴォー・ロマンジャン・リカルドゥー『言葉と小説』『小説のテクスト ヌーヴォー・ロマンの理論のために』を援用した『本気で作家になりたければ漱石に学べ!』(1996年)に詳しい。
  • 野球をはじめとするスポーツに多大な関心を払っていて、スポーツエッセイの寄稿、野球を扱った著書があるほか、イチローより先に(偶然にも、とのただし書き付きで)振り子打法をやっていたとも発言している。しかし、その方法論は、1980年代に草野進名義で行った蓮實重彦のプロ野球批評の影響が大きい。しかし、(とりわけ蓮實との対談において顕著になる)「選手やスポーツ関係者を小馬鹿にする言辞」で蓮實への追従を繰り返すことに終始する姿勢は、玉木正之による批判の対象となった(『産経新聞』2004年4月20日)。自らが野球の経験者であることを複数回にわたり主張している。かつて高橋源一郎ねじめ正一柄谷行人らとともに草野球チーム「枯木灘」(蓮實重彦による命名)を作り活動していた[5]
  • 最近では「人生の試験に出る!」という台詞の下、フランス現代思想の解説にも力を入れている。
  • 1997年に近畿大学文芸学部に就職するまで、長らく日本ジャーナリスト専門学校の講師等を勤めており、貧乏だった。自嘲的にルンペン評論家を自称していた。呉智英に彼の著書である『犬儒派だもの』において寿司をたかった経験を暴露されたことがある。ただし実家は裕福だったため、20代の間は毎年のようにパリなどヨーロッパに旅行・滞在していた。
  • 近畿大学文芸学部での教え子に倉数茂がいる。
  • 中上健次が設立した文化組織熊野大学の夏季特別セミナーに講師として参加したことがある。
  • 趣味はアルトサックス演奏で、若い頃は自作の曲を演奏していた。20代の頃は「作曲家になれないか」と思っていた時期もある。
  • 朝日ジャーナル』(1988年9月2日号)にてRCサクセションのアルバム『COVERS』を批判した(「このLPはすべて、六〇年代ポップスの替え歌なのだ。 こんなへたくそな歌手に、これほどつまらん歌詞をつけられてリメイクされていると知ったら、ディランもレノンもアダモも、「ポップの魂」の名にかけてきっと怒り狂うだろうし、実際、彼らの歌声とともに思春期を送ったわたしなどは、怒りを越えてひたすら赤面してしまった」)[6]

評価

  • 小説家の保坂和志は2000年11月29日に早稲田文学にて行った講演で、質疑応答の際に「文芸評論家には明らかに二種類いまして。いい悪いだけを言ってる人というのと、すごく大げさな言い方をすると小説家と一緒に戦ってるっていう気分を持ってる人」と述べ、後者にあたる人物として石川忠司守中高明福田和也すが秀実とともに渡部の名前を挙げた[7]

作品リスト

単著

  • 『幻影の杼機―泉鏡花論』(1983年4月、国文社
    • のち増補・改題『泉鏡花論―幻影の杼機』(1996年7月、河出書房新社
  • 『Hello good-bye 筒井康隆』(1984年、弥生書房)
  • 『現代口語狂室―発情するポップ・ヒーローたち ロラン・バルト風味』(1984年12月、河出書房新社)
  • 『レトリックス―大衆文芸技術論』(1985年7月、五月書房)
  • 『半解釈―誤読ノススメ』(1985年、白夜書房
  • 『プロ野球観戦学講座』(1987年、論創社
  • 『リアリズムの構造―批評の風景』(1988年、論創社)
  • 『紙オムツ・シンドローム―「平成」元年への罵詈雑言』(1989年6月、河出書房新社)
  • 『読者生成論―汎フロイディスム批評序説』(1989年、思潮社
  • 『谷崎潤一郎―擬態の誘惑』(1992年6月、新潮社
  • 『「電通」文学にまみれて―チャート式小説技術時評』(1992年6月、太田出版
  • 『日本近代文学と〈差別〉 批評空間叢書』(1994年6月、太田出版)
  • 『中上健次論―愛しさについて』(1996年4月、河出書房新社)
  • 『本気で作家になりたければ漱石に学べ!―小説テクニック特訓講座中級者編』(1996年12月、太田出版)
  • 『現代文学の読み方・書かれ方―まともに小説を読みたい/書きたいあなたに』(1998年3月、河出書房新社)
    • 初出 :『文藝』連載、「面談文芸時評」
  • 『不敬文学論序説 批評空間叢書』1999年7月、太田出版
  • 『かくも繊細なる横暴―日本「六八年」小説論』(2003年3月、講談社
  • 『メルトダウンする文学への九通の手紙』(2005年、早美出版社)
  • 『私学的、あまりに私学的な 陽気で利発な若者へおくる 小説・批評・思想ガイド』(2010年7月 ひつじ書房)
  • 『日本小説技術史』新潮社、2012
  • 『言葉と奇蹟 泉鏡花・谷崎潤一郎・中上健次』作品社、2013
  • 『小説技術論』河出書房新社、2015
  • 『日本批評大全』河出書房新社、2017年1月

共編著

  • 『〈批評〉のトリアーデ』(絓秀実・江中直紀・蓮實重彦柄谷行人中上健次共著、1985年、トレヴィル)
  • 『読売巨人軍再建のための建白書』(草野進共著、1989年3月、角川文庫
  • 『66の名言による世界史教程』(植島啓司南伸坊岸田理生四方田犬彦と共著、1990年、朝日新聞社
  • 『それでも作家になりたい人のためのブックガイド』(絓秀実共著、1993年、太田出版)
  • 『中上健次』(浅田彰秋山駿谷川雁四方田犬彦共著、1996年、小学館)
  • 『日本プロ野球革命宣言―読売ジャイアンツ再建のための建白書』(草野進・蓮実重彦共著、1997年12月、メタローグ)
  • 『中上健次と熊野』(柄谷行人共編、2000年、太田出版)
  • 『必読書150』(柄谷行人・岡崎乾二郎島田雅彦・浅田彰・奥泉光・絓秀実共著、2002年、太田出版)
  • 『「知」的放蕩論序説』(蓮實重彦・菅谷憲興・絓秀実・守中高明・城殿智行共著、2002年、河出書房新社)
  • 『綿矢りさのしくみ』(小谷野敦・吉本謙次共著、2004年8月、太田出版)
  • 『新・それでも作家になりたい人のためのブックガイド』(絓秀実共著、2004年10月、太田出版)
  • 『文芸漫談―笑うブンガク入門』(いとうせいこう・奥泉光共著、2005年、集英社) - 渡部は注釈を担当。

参考文献

  • 『Hello good-bye 筒井康隆』弥生書房、1984年12月 - 巻末自筆年譜。

外部リンク

脚注

  1. ^ “早大名物教授「過度な求愛」セクハラ疑惑 別の教授は「口外するな」と要望か | プレジデントオンライン” (日本語). PRESIDENT Online - PRESIDENT. (2018年6月20日). http://president.jp/articles/-/25434 2018年6月22日閲覧。 
  2. ^ 一部報道について” (日本語). 早稲田大学. 2018年6月22日閲覧。
  3. ^ “セクハラ疑惑:渡部・早大大学院教授が退職願提出 - 毎日新聞” (日本語). 毎日新聞. https://mainichi.jp/articles/20180628/k00/00m/040/020000c 2018年6月28日閲覧。 
  4. ^ “教え子セクハラ、早大教授解任 文芸評論家の渡部氏” (日本語). 日本経済新聞. https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33497340X20C18A7CR8000/ 2018年7月27日閲覧。 
  5. ^ nice”. www.geocities.co.jp. 2018年6月27日閲覧。
  6. ^ “こんなへたくそな歌手に、これほどつまらん歌詞をつけられてリメイクされていると知ったら?” (日本語). TAP the POP. http://www.tapthepop.net/song/34738 2018年6月28日閲覧。 
  7. ^ gabun. “早稲田大学講演”. www.k-hosaka.com. 2018年7月8日閲覧。