ノルウェイの森
| ノルウェイの森 | |
|---|---|
| 著者 | 村上春樹 |
| イラスト | 装幀:村上春樹 |
| 発行日 | 1987年9月4日 |
| 発行元 | 講談社 |
| ジャンル | 長編小説 |
| 国 | |
| 言語 | 日本語 |
| 形態 | 上製本 |
| ページ数 | 268(上巻) 260(下巻) |
| コード | ISBN 4-06-203515-4(上巻) ISBN 4-06-203516-2(下巻) |
『ノルウェイの森』(ノルウェイのもり)は、村上春樹の5作目の長編小説。
概要[編集]
1987年9月4日、講談社から書き下ろし作品として上下二分冊で刊行された[1]。1991年4月15日に講談社文庫として文庫化され、2004年9月9日に文庫改訂版が出された[2]。単行本にはあとがきが付されているが、文庫版には掲載されていない。
第二章と第三章は、短編小説「螢」(『中央公論』1983年1月号掲載)を下敷きにしている。また、短編小説「めくらやなぎと眠る女」(『文學界』1983年12月号掲載)も本作にまとまっていく系統の作品だが、「螢」とは違って本作との間にストーリー上の直接の関連はないという[3]。「多くの祭り(フェト)のために」というエピグラフがある。
村上は本書についてこう述べている。「この話は基本的にカジュアルティーズ(うまい訳語を持たない。戦闘員の減損とでも言うのか)についての話なのだ。それは僕のまわりで死んでいった、あるいは失われていったすくなからざるカジュアルティーズについての話であり、あるいは僕自身の中で死んで失われていったすくなからざるカジュアルティーズについての話である」[4]
主人公が神戸市出身であること、大学に入学した年が村上と同じ1968年であること、東京の私立大学で演劇を専攻していること、主人公が入っていた寮が村上も入寮した和敬塾をモデルにしていることなどから、「自伝的小説」と見られることもあるが、本人はこれを否定している。
執筆の時期・背景[編集]
1986年10月3日、村上は妻の陽子と共に日本を発つ[5]。10月半ば、ギリシャのスペッツェス島に住み[6]、C・D・B・ブライアンの『偉大なるデスリフ』の翻訳に取り組む。11月にミコノス島に移動し、翻訳を最後まで仕上げてから本作品の執筆に取りかかった[7]。大学ノートにボールペンで書き進める。清書前のこのノートは今でも著者の手元に残っているという[8]。12月28日、ミコノス島を出る[9]。
1987年1月から1ヶ月間、シチリア島のパレルモで書き続け、それからローマに移動。3月7日、早朝から17時間休みなしで第一稿を深夜に書き上げる。直後の日記に「すごく良い」とだけ書き記した。3月26日、第二稿完成。4月初め、イタリアのボローニャ国際児童図書展に来た講談社の社員に原稿を手渡す。「ノルウェイの森」というタイトルがついたのはボローニャに行く2日前のことだった[10]。
タイトルの由来[編集]
本書は「雨の中の庭」というタイトルで書き始められた。このタイトルはドビュッシーのピアノ曲集『版画』[注 1]の中の一曲「雨の庭」(Jardins sous la pluie)に由来する。前述のとおりタイトルは原稿を版元に渡す2日前に変更される。題名に迷った村上が妻に作品を読ませて意見を求めると、「ノルウェイの森でいいんじゃない?」という返答があったという。ビートルズの曲の題をそのまま本の題にするということで、本人は当初気が進まなかったというが、周りの「題はもう『ノルウェイの森』しかない」という意見が多勢だったため今のタイトルとなった[12]。
また、村上自身は著書の中で、「ところでビートルズの“ノルウェイの森”というタイトルが誤訳かどうかという論争が以前からあって、これについて書き出すとかなり長くなります」とだけ述べている[13]。
発行部数[編集]
単行本の発行部数は、2008年時点で上巻が238万部、下巻が211万部の計449万部、2009年8月5日時点で上下巻あわせて454万4400部。単行本・文庫本などを含めた日本における発行部数は2008年時点で計878万部[14]、2009年8月5日時点の増刷で1000万3400部[15]となり、1000万部越えを達成した。村上人気が高い中国でも100万部以上が出版されている[16]。
上巻は、片山恭一の『世界の中心で、愛をさけぶ』に抜かれるまで、日本における小説単行本の発行部数歴代1位であった。
本書がベストセラーになったことについて、村上はこう述べている。「小説が十万部売れているときには、僕はとても多くの人に愛され、好まれ、支持されているように感じていた。でも『ノルウェイの森』を百何十部も売ったことで、僕は自分がひどく孤独になったように感じた。そして自分がみんなに憎まれ嫌われているように感じた」[17]
あらすじ[編集]
37歳の僕は、ハンブルク空港に到着した飛行機のBGMでビートルズの「ノルウェーの森」を聴き、激しい混乱を覚えた。そして学生時代のことを回想した。
直子とはじめて会ったのは神戸にいた高校2年のときで、直子は僕の友人キズキの恋人だった。3人でよく遊んだが、キズキは高校3年の5月に自殺してしまった。その後、僕はある女の子と付き合ったが、彼女を置いて東京の私立大学に入学し、右翼的な団体が運営する学生寮に入った。
1968年5月、中央線の電車の中で偶然、直子と1年ぶりの再会をした。直子は武蔵野の女子大に通っており、国分寺のアパートでひとり暮らしをしていた。二人は休みの日に会うようになり、デートを重ねた。
10月、同じ寮の永沢さんと友だちになった。永沢さんは外務省入りを目指す2学年上の東大生だった。ハツミという恋人がいたが、女漁りを繰り返していた。
翌年の4月、直子の20歳の誕生日に彼女と寝た。その直後、直子は部屋を引き払い僕の前から姿を消した。7月になって直子からの手紙が届いた。今は京都にある(精神病の)療養所に入っているという。その月の末、同室の学生が僕に、庭でつかまえた螢をくれた。
夏休みの間に、大学に機動隊が入りバリケードが破壊された。僕は大学教育の無意味さを悟るが、退屈さに耐える訓練期間として大学に通い続けた。ある日、小さなレストランで同じ大学の緑から声をかけられる。演劇史のノートを貸したことがきっかけで、それから緑とときどき会うようになった。
直子から手紙が来て、僕は京都の山奥にある療養所まで彼女を訪ねた。そして同室のレイコさんに泊まっていくよう勧められる。レイコさんはギターで「ミシェル」や「ノーホエア・マン」、「ジュリア」などを弾いた。そして直子のリクエストで「ノルウェイの森」を弾いた。(以上、上巻)
ある日曜日、緑に連れられて大学病院に行った。そこには彼女の父親が脳腫瘍で入院していた。父親は数日後に亡くなった。永沢さんは外務省の国家公務員試験に受かり、ハツミとの就職祝いの夕食の席に僕は呼ばれる。
僕の20歳の誕生日の3日後、直子から手編みのセーターが届いた。冬休みになり、再び療養所を訪れ、直子、レイコさんと過ごした。
年が明け(1970年)、学年末の試験が終わると、僕は学生寮を出て、吉祥寺郊外の一軒家を借りた。4月初め、レイコさんから直子の病状が悪化したことを知らせる手紙が届いた。4月10日の課目登録の日、緑から元気がないのねと言われる。緑は僕に「人生はビスケットの缶だと思えばいいのよ」と言った。
6月半ば、緑が2ヶ月ぶりに僕に話しかけてきた。緑は恋人と別れたと言う。僕にできることはレイコさんに全てをうちあけた正直な手紙を書くことだった。
8月26日に直子は自殺し、葬儀の後で僕は行くあてもない旅を続けた。1か月経って東京に戻ると、レイコさんから手紙が届いた。レイコさんは8年過ごした療養所を出ることにしたという。東京に着いたレイコさんを自宅に迎える。彼女は直子の遺品の服を着ていた。風呂屋から戻ると彼女はワインをすすり、煙草を吹かしながら次から次へと知っている曲を弾いていった。そして50曲目に2回目の「ノルウェイの森」を弾いた。
翌日、旭川に向かうレイコさんを上野駅まで送った。僕は緑に電話をかける。世界中に君以外に求めるものは何もない、何もかもを君と二人で最初から始めたい、と言った。
登場人物[編集]
- 「僕」(ワタナベトオル)
- 主人公。神戸の高校を卒業後、東京の私立大学文学部に進学。大学1年-2年は寮で生活。卒業後は文筆業に従事している[注 2]。
- キズキ
- 「僕」の高校時代の同級生で唯一の親友。ヤマハの125ccの赤いバイクに乗っている[19]。直子も交えて3人で遊ぶことが多かったが、17歳の時、自宅のガレージでN360の排気ガスで自殺する。
- 直子
- キズキの幼なじみで恋人。神戸にあるミッション系の女子高校卒業後、東京の武蔵野のはずれにある女子大学に進学。キズキの死後は「僕」と会わなくなっていたが、中央線の車内で偶然再会し、交流を持つようになる。
- 緑
- 「僕」と同じ大学で同じ授業(「演劇論 II」)を受講。フルネームは「小林緑」。豊島区北大塚の小学校から、四ツ谷駅付近の私立の女子中学・高校に進む。実家は書店を経営。
- レイコさん
- 「阿美寮」における直子の同室人。フルネームは「石田玲子」。かつてピアニストを目指していたが挫折し、3回にわたって精神病院に入院。「阿美寮」には8年間入所しており、患者たちにピアノを教えている。ギターも得意である。横浜に別れた夫と長女がいる。
- 永沢さん
- 「僕」が住む学生寮の上級生。学籍は東京大学法学部。実家は名古屋で病院を経営。のちに外務省に入省。独自の人生哲学を持っている。「僕」の印象を「出会った人の中で最もまともな人間」だと語る。「僕」を誘い二人でガールハントを行う。
- ハツミさん
- 永沢さんの恋人。学籍は「とびきりのお嬢様が通う」東京の女子大。はっと人目を引く美人ではないが、上品な装いに、理知的でユーモアがあり穏やかな人柄で、永沢さんをして「俺にはもったいない女」と言わしめる。ビリヤードが得意。
- 突撃隊
- 「僕」が住む学生寮の同室人。国立大学で地図学を専攻しており、国土地理院への就職を希望。生真面目で潔癖症ゆえの数々のエピソードで「僕」や直子たちの心を和ませるが、予告もなく退寮する。
登場する文化・風俗[編集]
| ホンダ・N360 | 本田技研工業が1967年から1972年まで生産・販売していた軽自動車。キズキの親が所有していた車[20]。 |
| 『グレート・ギャツビー』 | F・スコット・フィッツジェラルドの長編小説。1925年に出版された。村上春樹の翻訳書は2006年に新潮社より刊行された。 「十八歳の歳の僕にとって最高の書物はジョン・アップダイクの『ケンタウロス』だったが何度か読みかえすうちにそれは少しずつ最初の輝きを失って、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビイ』にベスト・ワンの地位をゆずりわたすことになった。そして『グレート・ギャツビイ』はその後ずっと僕にとっては最高の小説でありつづけた」[21]と記されている。「僕」と同じ寮に住む永沢さんは「『グレート・ギャツビイ』を三回読む男なら俺と友だちになれそうだな」[22]と言い、「僕」と友だちになる。 また、阿美寮で「僕」が次のように述べる箇所がある。「僕はジェイ・ギャツビイが対岸の小さな光を毎夜見守っていたのと同じように、その仄かな揺れる灯を長いあいだ見つめていた」[23] |
| 「ディア・ハート」 | ヘンリー・マンシーニの1964年の作品。アンディ・ウィリアムズが歌ったバージョンも、マンシーニが「ヘンリー・マンシーニ・アンド・ヒズ・オーケストラ」名義で発表したバージョンも共にヒットした。直子の大好きな曲として登場する。「僕」は直子へのクリスマス・プレゼントに「ディア・ハート」の入ったレコードを選び、レイコさんは直子の"お葬式"で同曲を最初に弾く[24][25]。 |
| エウリピデス | 古代アテナイの三大悲劇詩人のひとり。「僕」と緑がとる「演劇史II」の授業で、エウリピデスの『エレクトラ』がテキストに使われる[26]。 |
| ハンフリー・ボガート | アメリカの映画俳優。「僕」と緑が初めて出会う場面で緑は言う。「ねえ、あなたってなんだかハンフリー・ボガートみたいなしゃべり方するのね。クールでタフで」[27] |
| 『グリーン・ホーネット』 | アメリカのヒーロー物のテレビ番組・ラジオ番組。映画デビュー前のブルース・リーが助演していたことで知られる。緑は高校時代の同級生の思い出話をする際、同番組をたとえに持ち出す。「車は運転手つきで、その運転手たるや『グリーン・ホーネット』に出てくる運転手みたいに帽子かぶって白い手袋はめてるのよ。なのにその子、自分のこと恥ずかしがってるのよ。信じられないわ。信じられる?」[28] |
| 『性的人間』 | 大江健三郎が1963年に著した中編小説。緑は「僕」に言う。「『戦争と平和』もないし、『性的人間』もないし、『ライ麦畑』もないの。それが小林書店。そんなもののいったいどこがうらやましいっていうのよ? あなたうらやましい?」[29] |
| アップル・レコード | ビートルズが1968年に設立したレコードレーベル。大学2年の秋の日曜日(1969年10月頃)、「僕」は昼食に誘われ緑の家に行く。緑はアップル・レコードのりんごのマークが大きく印刷されたネイビー・ブルーのTシャツを着て一心不乱に料理を作る[30]。 |
| 『卒業』 | 1967年公開のアメリカ映画。日本では1968年6月に公開された。「僕」はその翌年新宿の二番館で『卒業』を見る。「それほど面白い映画とも思えなかったけれど、他にやることもないので、そのままもう一度くりかえしてその映画を観た」と述べている[31]。 その後京都の高原のコーヒー・ハウスで再びこの映画の話題が出る。ラジオからサイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」が流れたとき、次のような会話がレイコさんとの間で交わされる。「この映画観ましたよ」「誰が出てるの?」「ダスティン・ホフマン」「その人知らないわねえ」[32] |
| 『ライ麦畑でつかまえて』 | J・D・サリンジャーの長編小説。1951年に出版された。村上春樹の翻訳書は2003年に白水社より刊行された。 レイコさんは「僕」と初めて会ったとき次のような感想を述べる。「あなたって何かこう不思議なしゃべり方するわねえ」「あの『ライ麦畑』の男の子の真似してるわけじゃないわよね」[33] |
| シェヘラザード[注 3] | 『千夜一夜物語』の語り手。「もし話のつづき聞きたいんなら明日話してあげるわよ。長い話だから一度には話せないのよ」と言うレイコさんに、「僕」は「まるでシエラザードですね」と答える[34]。 |
| ブラームス「ピアノ協奏曲第2番」[注 4] | ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)とカール・ベーム(指揮)が1967年に録音したレコードについて、レイコさんは次のように語る。「昔はこのレコードをすりきれるくらい聴いたわ。本当にすりきれちゃったのよ。隅から隅まで聴いたの。なめつくすようにね」[36] |
| デサフィナード | ニュウトン・メンドンサが作詞し、アントニオ・カルロス・ジョビンが作曲したボサノヴァの曲。主な収録アルバムに、ジョアン・ジルベルトの『想いあふれて』(1959年)、スタン・ゲッツとチャーリー・バードの『ジャズ・サンバ』(1962年)、スタン・ゲッツとジョアン・ジルベルトの『ゲッツ/ジルベルト』(1964年)などがある[注 5]。レイコさんは「デサフィナード」を阿美寮と「僕」の吉祥寺の下宿でそれぞれ弾く[38]。 |
| DUG | 1967年、新宿の紀伊國屋書店裏にオープンしたジャズ喫茶。「僕」と緑が入る店として数回登場する[39]。 |
| 「まぼろしの世界」[注 6] | アメリカのロックバンド、ザ・ドアーズが1967年に発表した曲。原題は "People Are Strange"。緑の「ジム・モリソンの歌にたしかそういうのあったわよね」という言葉を受けて、「僕」は「まぼろしの世界」の歌詞(People are strange when you are a stranger)を引用する[40]。 |
| セロニアス・モンク[注 7] | アメリカのジャズピアニスト。モンクの弾く「ハニサックル・ローズ(Honeysuckle Rose)」が「DUG」でかかる[41]。 |
| ロベール・カサドシュ | フランスのピアニスト(1899年 - 1972年)。「僕」はアルバイト先で知り合った伊東という学生のアパートで、ロベール・カサドシュの弾くモーツァルトのピアノ・コンチェルトを聴く[42]。 なお、カサドシュは『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』にも登場する。「ハードボイルド・ワンダーランド」の章で語り手の「私」は次のように叙述する。「ベッドに寝転んで、ロベール・カサドシュがモーツァルトのコンチェルトを弾いた古いレコードを聴いた。モーツァルトの音楽は古い録音で聴いた方がよく心になじむような気がする。でももちろんそういうのも偏見かもしれない」[43] |
| テネシー・ウィリアムズ | アメリカ合衆国ミシシッピ州出身の劇作家。1970年4月の水曜日、「僕」と緑は「テネシー・ウィリアムズの戯曲についての総論・そのアメリカ文学における位置」という講義を聴く[注 8][45]。 |
| 「ウェディング・ベル・ブルーズ」 | アメリカのシンガーソングライター、ローラ・ニーロ[注 9]が1966年に発表したデビュー・シングル。1969年、フィフス・ディメンションがカバーし、ビルボードチャートの1位を記録した。本書では「ウェディング・ベル・ブルーズ」はバート・バカラックの作品となっているが、誤りである[47]。 |
装幀[編集]
村上自身が装幀を手がけた。赤と緑のクリスマスカラーでまとめた鮮やかなデザインが、日頃小説を読まない若い女性層の支持を呼び込み、売上に貢献したとされる[48]。最も売れた版には金色の帯が付けられたが、この金色の帯は村上の意図したものではなく、発売後しばらく経ってから出版社の意向で変えられたものである。もともと初版の帯は上下巻ともそれぞれのカバーとまったく同じ色(赤と緑)であり、金色の帯に変わったとき村上は日本にはおらず、もし相談されていたら断っていただろうと書いている。
帯文も注目された。村上自身が書いた「100パーセントの恋愛小説」というキャッチコピーについて本人は、「僕はそのときほんとうは『これは100パーセントのリアリズム小説です』と書きたかったのだけれど(つまり『羊』や『世界の終り』とはラインが違いますということです)、そんなことを書くわけにもいかないので、洒落っけで『恋愛小説』というちょっとレトロっぽい『死語』を引っぱり出してきたわけです」と述懐している[49]。
翻訳[編集]
| 翻訳言語 | タイトル | 翻訳者 | 発行日 | 発行元 |
|---|---|---|---|---|
| 英語 | Norwegian Wood | アルフレッド・バーンバウム | 1989年 | 講談社英語文庫 |
| ジェイ・ルービン | 2000年5月18日 | Harvill Press(英国) | ||
| 2000年9月12日 | Vintage Books(米国) | |||
| フランス語 | La Ballade de l'impossible | Rose-Marie Makino-Fayolle | 2007年 | Belfond |
| ドイツ語 | Naokos Lächeln | Ursula Gräfe | 2001年 | DuMont Buchverlag |
| イタリア語 | Tokyo Blues[注 10] | ジョルジョ・アミトラーノ | 1993年 | Feltrinelli |
| Norwegian Wood | ジョルジョ・アミトラーノ | 2006年5月6日 | Einaudi | |
| スペイン語 | Tokio Blues, Norwegian Wood | Lourdes Porta | 2007年5月 | Tusquest Editores |
| カタルーニャ語 | Tòquio Blues | Albert Nolla Cabellos | 2005年 | Edicions Empúries |
| ポルトガル語 | Norwegian Wood | Alberto Gomes | 2004年 | Civilização Editora (ポルトガル) |
| Norwegian Wood | Lica Hashimoto, Neide Hissae Nagae | 2005年 | Estação Liberdade (ブラジル) | |
| オランダ語 | Norwegian Wood | Elbrich Fennema | 2008年9月 | Atlas |
| スウェーデン語 | Norwegian Wood | Eiko Duke, デューク・雪子 | 2003年 | Norstedts |
| デンマーク語 | Norwegian wood | Mette Holm | 2005年 | Klim |
| ノルウェー語 | Norwegian wood | Ika Kaminka | 1998年 | Pax forlag |
| フィンランド語 | Norwegian Wood | Aleksi Milonoff | 2012年 | Tammi |
| アイスランド語 | Norwegian Wood | Uggi Jónsson | 2006年 | Bjartur |
| ポーランド語 | Norwegian Wood | Dorota Marczewska, Anna Zielińska-Elliott | 2006年 | Wydawnictwo MUZA SA |
| チェコ語 | Norské dřevo | Tomáš Jurkovič | 2005年 | Odeon |
| ハンガリー語 | Norvég erdő | Nagy Mónika, Erdős György | 2008年 | Geopen Könyvkiadó Kft. |
| ルーマニア語 | Pădurea norvegiană | Angela Hondru | 2002年 | Polirom |
| スロベニア語 | Norveški gozd | Nika Cejan | 2005年 | Založba Sanje |
| クロアチア語 | Norveška šuma | Maja Tančik | 2004年 | Vuković & Runjić, Zagreb |
| ボスニア語 | Norveška šuma | 2009年 | Šahinpašić | |
| セルビア語 | Норвешка шума | Nataša Tomić | 2007年 | Geopoetika |
| ブルガリア語 | Норвежка гора | Людмил Люцканов | 2005年 | Colibri |
| ギリシア語 | Νορβηγικό Δάσος | Μαρία Αγγελίδου | 2005年 | Ωκεανίδα |
| ロシア語 | Норвежский лес | Андрея Замилова | 2003年 | Eksmo |
| エストニア語 | Norra mets | Kati Lindström | 2006年3月 | Varrak |
| リトアニア語 | Norvegų giria | Jūratė Nauronaitė | 2005年 | Baltos lankos |
| トルコ語 | İmkansızın Şarkısı | Nihal Önol | 2004年 | Doğan Kitap |
| ヘブライ語 | יער נורווגי | Doron B. Cohen | 2000年 | Keter Publishing House |
| 中国語 (繁体字) | 挪威的森林 | 劉惠禎、黃琪玟、傅伯寧、黃翠娥、黃鈞浩 | 1989年 | 故郷出版社 |
| 挪威的森林 | 頼明珠 | 1997年6月10日 | 時報文化 | |
| 挪威的森林 | 葉蕙[51] | 1991年 | 博益出版(香港) | |
| 中国語 (簡体字) | 挪威的森林 | 林少華 | 1996年 | |
| 韓国語 | 상실의 시대 | ユ・ユジョン | 1989年 | 文学思想社 |
| 노르웨이의 숲 | 金蘭周(キム・ナンジュ) | 1997年 | 漢陽出版 | |
| 노르웨이의 숲 | 任洪彬(イム・ホンビン) | 2008年4月10日 | 文士メディア | |
| 노르웨이의 숲 | 梁億寬(ヤン・オクグァン) | 2013年9月2日 | 民音社 | |
| ベトナム語 | Rừng Na Uy | Bùi Phụng | 1997年 | |
| Rừng Na Uy | Trịnh Lữ | 2006年 | Nhã Nam | |
| インドネシア語 | Norwegian Wood | Jonjon Johana | 2005年7月 | KPG |
| タイ語 | ด้วยรัก ความตาย และหัวใจสลาย | นพดล เวชสวัสดิ์ | 2008年8月 | สำนักพิมพ์กำมะหยี่ |
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 『版画』について、村上はエッセイの中でこう述べている。「僕は高校生のときに スヴィアトスラフ・リヒテルというピアニストのレコードでこの曲をよく聴いていた。何度も何度も何度も、レコードがぼろぼろになるまで繰り返し聴いて、隅々まで記憶した」[11]
- ^ 現在の「僕」が文筆業を営んでいるのは以下の記述から分かる。「僕はある画家をインタヴューするためにニュー・メキシコ州サンタ・フェの町に来ていて、(中略)奇蹟のように美しい夕陽を眺めていた」[18]
- ^ 村上は2014年に「シェエラザード」というタイトルの短編小説を発表した。
- ^ 村上朝日堂ホームページで読者からの手紙に対し村上はこう答えている。「お気の毒ですが、失われた時は二度と戻りません。この世界にある美しいもののほとんどは、記憶の世界の中に存在しています。ブラームスの2番のピアノ協奏曲もためしてみてください。とくにチェロの独奏で始まる3楽章は素敵です。僕はあの部分を聴くと、いつも何十年も前の夏の夜を思い出します」[35]
- ^ 『ゲッツ/ジルベルト』は『海辺のカフカ』でカフカ少年が聴くレコードの一つとして登場する[37]。
- ^ 柴田元幸のエッセイ集『愛の見切り発車』(新潮社、1997年7月)に収められた「特別付録 私のロックンロール・オールタイム・トップテン」において、村上はドアーズの「まぼろしの世界」を10曲のうちの1曲に選んでいる。
- ^ 2014年9月、村上はアンソロジー『セロニアス・モンクのいた風景』(新潮社)を翻訳出版した。
- ^ 早稲田大学の映画演劇科に入学した村上は、最初の講義の一つにテネシー・ウィリアムズの戯曲を英語で読む講座を選んだという。村上はエッセイの中で次のように述べている。「でもこの先生がいささか変わった人で、講義をしながらほとんど初めから終わりまでテネシー・ウィリアムズの悪口を並べ立てていた。」「おかげさまで僕は好きな作家を一人減らすことができた。どうもありがとうさん。」「その遥か昔のテネシー・ウィリアムズの講義のことを思い出すたびに、『やはり人の悪口だけは書くまい』とつくづく思う。」「これは早稲田大学文学部が僕に与えてくれた数少ない生きた教訓のひとつである。」[44]
- ^ 村上朝日堂ホームページで「コードネームをいただけないか」という読者に対し村上は次のように返信をした。「あなたのコードネームは『ストーンド・ソウル・ピクニック』にします。僕がいちばん好きなローラの歌です」[46]
- ^ イタリア語版の『ノルウェイの森』を読んだという読者からのメールに対し、村上は次のような返信をしている(1998年8月)。「当地では『ノルウェイの森』が『トーキョー・ブルース』という脳天気なタイトルで売られているので、この前契約更改の際に原題に戻してくれと申し入れたのですが、『いやだ』という返事が返ってきました。困ったもんです。もうなんでもいいや、という気がしなくもないですが」[50]
出典[編集]
- ^ 『ノルウェイの森(上)』(村上春樹)|講談社BOOK倶楽部
- ^ 『ノルウェイの森(上)』(村上春樹):講談社文庫|講談社BOOK倶楽部
- ^ 『レキシントンの幽霊』「めくらやなぎと、眠る女」〈めくらやなぎのためのイントロダクション〉、文藝春秋、1996年
- ^ 『村上春樹全作品 1979〜1989』第6巻、付録「自作を語る」。
- ^ 『遠い太鼓』講談社、1990年6月、28-30頁。
- ^ 『遠い太鼓』前掲書、67頁。
- ^ 『遠い太鼓』前掲書、141頁。
- ^ 『職業としての小説家』スイッチ・パブリッシング、2015年9月10日、164頁。
- ^ 『遠い太鼓』前掲書、162頁。
- ^ 『遠い太鼓』前掲書、209-210頁。
- ^ 『村上ラヂオ』新潮文庫、102頁。
- ^ 村上朝日堂ホームページ、読者&村上春樹フォーラム9(2006年3月24日〜25日)。
- ^ 村上春樹『「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?』朝日新聞社、2000年8月。
- ^ 「ノルウェイの森」映画化 - ウェイバックマシン(2009年6月2日アーカイブ分) - 読売新聞(2008年7月31日)
- ^ “『ノルウェイの森』の発行部数1000万部突破”. オリコン. (2009年8月5日)
- ^ 中国的“村上春樹熱”「ノルウェイの森」100万部突破 - ウェイバックマシン(2009年5月18日アーカイブ分) - 読売新聞(2004年11月22日)
- ^ 『遠い太鼓』前掲書、353頁。
- ^ 本書、下巻、講談社文庫、旧版、119頁。
- ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、189頁
- ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、46頁。
- ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、58頁。
- ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、59頁。
- ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、208頁。
- ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、68-69頁。
- ^ 本書、下巻、講談社文庫、旧版、253頁。
- ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、92頁。
- ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、97頁。
- ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、114頁。
- ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、115頁。
- ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、124-125頁。
- ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、151頁。
- ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、254頁。
- ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、184頁。
- ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、228頁。
- ^ 『スメルジャコフ対織田信長家臣団』朝日新聞社、2001年4月、読者&村上春樹フォーラム252。
- ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、269頁。
- ^ 『海辺のカフカ』下巻、新潮文庫、48-49頁。
- ^ 本書、下巻、講談社文庫、旧版、32頁、238頁。
- ^ 本書、下巻、講談社文庫、旧版、42頁、135頁。
- ^ 本書、下巻、講談社文庫、旧版、44頁。
- ^ 本書、下巻、講談社文庫、旧版、47頁。
- ^ 本書、下巻、講談社文庫、旧版、196頁。
- ^ 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』上巻、新潮文庫、旧版、152頁。
- ^ 『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』新潮文庫、83-87頁。
- ^ 本書、下巻、講談社文庫、旧版、194頁。
- ^ 『スメルジャコフ対織田信長家臣団』前掲書、読者&村上春樹フォーラム231(1999年2月1日)。
- ^ 本書、下巻、講談社文庫、旧版、255頁。
- ^ “装丁にみる出版文化 時代を映す「鏡」として高まる役割/「装丁の勝利」と喧伝された『ノルウェイの森』”
- ^ 『夢のサーフシティー』朝日新聞社、1998年7月、読者&村上春樹フォーラム93(1997年10月27日〜10月30日)。
- ^ 『スメルジャコフ対織田信長家臣団』前掲書、読者&村上春樹フォーラム126(1998年8月2日〜8月4日)。
- ^ 藤井省三「村上春樹と東アジア ―都市現代化のメルクマールとしての文学―」