劉傑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

劉 傑(りゅう けつ、Liu Jie、1962年 - )は、中華人民共和国籍の歴史学者博士(文学)(東京大学)。早稲田大学社会科学部・社会科学総合学術院教授、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授。コロンビア大学客員研究員、朝日新聞アジアネットワーク客員研究員を経て、朝日アジアフェロー。

専門は、近代日本政治外交史、近代日中関係史[1]、現代日中関係論、現代中国論。

特に、日中間に横たわる歴史認識問題とその背景に詳しい[2]

経歴・人物[編集]

北京生まれ。10歳より日本語を学び、流暢な日本語を話す。北京外国語大学を経て、1982年に来日、東京大学に入学。伊藤隆の門下生。1993年東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了、東京大学より博士(文学)の学位を取得。

1996年4月より社会科学部に勤務。語学教員や在日特別永住者・早稲田大学OBを除き、早稲田大学が初めて外部から迎えた外国人の専任教員であり、グローバル化を進める大学の象徴となった[要出典]

研究[編集]

従来は、「反日」・「反中」といった表面的な現象面の対立に目が向けられがちであった「歴史認識」の問題をめぐり、日中間に横たわる「歴史認識」の違いを、学術研究の水準にまで引上げて検証するため、東アジア近代史の中に問題を位置付け直すことで、背景にある歴史をめぐる両国民の理解の相違を「構造的に」捉え、この『誤解の構造』を解明する研究に取組んだ。この一連の過程を通じ、「歴史記述の方法」や「歴史史料の扱い方」をめぐる日本と中国の違いを明確化させることによって、相互理解の必要性と同時に、その「困難さ」をも明らかにした。

また、中国の親日政治家や官僚、日本の「中国通」官僚や民間人を題材に、日中の相互交流・相互理解の歴史とともに、日中対立・「誤解の近代史」という、『対立と交流』の日中近現代史を描いた。

2006年三谷博・東京大学大学院教授などとともに行ってきた、日中両国研究者による近現代史の「共同研究」を、『国境を越える歴史認識 ―― 日中対話の試み』として1冊の本にまとめ、日中両国での出版に漕ぎ着けた。日本語版は東京大学出版会から、中国語版は中国社会科学院社会科学文献出版社から、それぞれ同時出版された。

2012年春には、先の研究が、英語となってハーバード大学出版局より出版されている。『Toward a History Beyond Borders: Contentious Issues in Sino-Japanese Relations』(共編者:三谷博・東京大学教授,Andrew Gordon・ハーバード大学 エドウィン・O・ライシャワー日本研究所(Edwin O. Reischauer Institute of Japanese Studies) 教授,Yang Daqing・ジョージワシントン大学 Elliott School of International Affairs 准教授)。

こうした取組みに対し、「日中どちらかに立場を偏らせることなく、粘り強く日中双方の社会に発信」してきたとして、また、こうした一連の研究活動が「相互理解の促進を通じ、アジア太平洋地域の平和と繁栄の基礎となるべき土台作りへの貢献は、今後、大いに期待されるものである。」との評価を得て、公益財団法人・世界平和研究所より第7回『中曽根康弘賞』が贈られている[3]

また、こうした歴史的側面からの研究成果を踏まえ、21世紀のアジアにおける「知の共同空間」の成立の可能性を探る「現代アジア学」、「アジア学際学」、「アジアコミュニティ学」構築の可能性を探究している。

専門は日中関係史(外交史・歴史学)であるが、現代中国の抱える諸課題についても詳しく、これらについて新聞雑誌等のメディアでたびたび発言を行っている。

評価[編集]

チャイナネット』(2012年4月11日)において、日本人の中国に対する好感度低下について、中国のGDPが日本を超えたことが日本社会にとって巨大な衝撃となり、日本人は中国がこのような発展をするとは想像できず、日本のメディアと国民がこの心理状態を調整するには10年から20年かかると指摘している[4]。これについて勝又壽良(『週刊東洋経済』元編集長、元東洋経済新報社主幹)は、これほどまで自ら「中国大国」を言い張っている国も珍しく、普通なら気恥ずかしく、そんなことは言えないはずであるが、研究者までが「中国大国」を大合唱している姿は奇異であり、研究者であれば、慎重に発言すべきであるが、そうした気配は全く感じられず、「大学教授であるだけに、私は残念である。ご専門は中日関係史といわれるから、日本人の中国嫌いが増えた背景を、単にGDPの多寡で議論して欲しくなかった」として、国と国の関係がGDPの規模で上下関係が決まるのか、疑問視している[5]。劉傑の主張を要約すると、「日本がGDPで中国に抜かれて精神的に混乱し、日中関係を正確に捉えられずにいるが、10年から20年かかれば中国を尊敬するだろう」[6]。この論理は、中国がGDPで日本を抜いたのだから、日本人は中国を尊敬し親しみを感じて当然であるということであり、『十八史略』や『三国志演義』と変わらないレベルの主張であり、政治的・経済的に優位な者を敬うべきだという感覚であり、大学教授すら市井人と変わらない感覚であるから、さらに驚くと批判している。例えるなら、「金持ちの男性は女性からちやほやされて当たり前」という程度であり、GDPで中国が日本を上回ったとして、日本人が中国を尊敬し親しみを感じなければならないのか、その国のもっている文化や歴史が真に尊敬されるに値するかどうかであり、2010年以前、日本がGDPで中国より上であったからといって、中国人は日本を尊敬し親しみを感じていたのかと批判している。それによると、歴史的に中国は日本に対して上位であったが、日清戦争後、日本は中国に対して上位となり、中国の屈辱は分かるが、日本は太平洋戦争でアメリカに敗れたからといってアメリカに屈辱をもっておらず、日本は、アメリカの優れたものに対して敬意を持っており、この点が中国とは異なり、日本は中国への侵略に対して繰り返し謝罪を行い、日本のODAは、中国が最大の被供与国であるにも関わらず、中国は日本を許すべからざる敵と見ており、2008年に胡錦涛の訪日の際に初めて、ODAへの謝意が述べられた程度であり、それは中国の日本への屈折した感情が読み取れるという[7]。従って、その後中国はGDPで日本を追い抜き、それだけに、中国の「得意満面」ぶりと日本への高飛車な態度は限度を超えたものになり、劉傑も同じ心境であり、そうでなければ、このような発言は出てこないはずであると指摘している。そして、日本人が中国を尊敬するとかしないとかいう問題は結果論であり、尊敬に値する国をつくることが先決であり、GDPで中国が日本を抜いたとか、枝葉末節な議論をするから、日中関係がおかしくなるのであり、それは子どもがどちらの背は高いか、体重は重いかを競うようなことであり、人民解放軍の幹部の「仮にアメリカ軍と妥協ができても、日本軍は軍事的脅威である」という日本を敵視する発言は、折に触れ日本に向けられており、日中友好条約を結んでも、なおこうした軍関係者の発言を聞くと、日本も身構えなければならず、こうした日中関係をどのように打開するかを、国際関係論のなかで研究すべきであり、「GDPの多寡」といった低レベルの話ではないと批判している[8]

受賞歴[編集]

著書[編集]

単著[編集]

共著[編集]

共編著[編集]

史料編纂[編集]

  • 『石射猪太郎日記』(伊藤隆共編, 中央公論社, 1993年)
  • 『第百一師団長日誌 ― 伊東政喜中将の日中戦争』(鈴木淳古川隆久共編, 中央公論新社, 2007年)

解説[編集]

  • 益井康一 『漢奸裁判史 1946-1948 新版』(みすず書房, 2009年)

訳書[編集]

分担執筆[編集]

雑誌寄稿[編集]

  • 「太平洋戦争新解釈の座標軸」 『諸君!』1995.9月号
  • 「電文にみる慮溝橋事件 ― 北京日本大使館の10日間」 『中央公論』1999.9月号
  • 「日中の相互不信を信頼へと変える法」 『論座』2002.5月号
  • 「日中関係と日中経済協力」 『月刊監査役』2004.4月 日本監査役協会
  • 「日中反目を解くには『説法』が必要」(巻頭インタビュー) 『選択』2004年10月号
  • 「エリートに置き去りにされた中国民衆の危険なうごめき」 国分良成氏との対談 『中央公論』2004.9月号

脚注[編集]

  1. ^ 「シリーズ・識者20人に聞く― 東アジア近現代史の10大出来事は?」 「歴史は生きている」 朝日新聞
  2. ^ 「対抗と提携」の日中外交史 ― 歴史を超えた相互理解へ 研究者プロファイル
  3. ^ 財団法人・世界平和研究所『中曽根康弘賞』
  4. ^ 勝又壽良 2012
  5. ^ 勝又壽良 2012
  6. ^ 勝又壽良 2012
  7. ^ 勝又壽良 2012
  8. ^ 勝又壽良 2012
  9. ^ 『大平正芳記念賞』歴代受賞者

参考文献[編集]