国鉄485系電車
| 国鉄485系電車 | |
|---|---|
クハ481-38他7両
1998年8月16日 常磐線 石岡 - 高浜 |
|
| 起動加速度 | 1.3km/h/s(MT比1:1)- 1.6km/h/s(同2:1) |
| 営業最高速度 | 120 km/h* |
| 設計最高速度 | 160 km/h |
| 定格速度 | 72.0km/h(全界磁)・116.0km/h(40%界磁) |
| 軌間 | 1,067mm |
| 電気方式 | 直流1,500V 交流20,000V(50Hz・60Hz) |
| 出力 | 120kW |
| 主電動機 | MT54形直流直巻電動機 |
| 歯車比 | 22:77(1:3.50) |
| 制御装置 | CS15系制御器 抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁 |
| 駆動装置 | 中空軸平行カルダン駆動方式 |
| 台車 | DT32・TR69 インダイレクトマウント空気バネ台車 |
| ブレーキ方式 | 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ 勾配抑速ブレーキ |
| 保安装置 | ATS-S(登場時) ATS-P(一部) ATC-L(3000番台の一部) 東武ATS(一部) |
| 製造メーカー | 川崎車両→川崎重工業・日立製作所・日本車輌製造・東急車輛製造・汽車製造・近畿車輛 |
| 備考 | * 基本値。湖西線・津軽海峡線では、それぞれ130km/h・140km/h運行を実施。 |
|
この表について
|
|
485系電車(485けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交流直流両用特急形電車である。
本項では、基本構造の共通する481系・483系・489系の各系列についても記述・解説する。
目次 |
[編集] 概要
1950年代半ば以降、国鉄は地方線区の電化において、地上設備の低廉性などから交流電化を推進した結果、各地に直流電化方式との接続点となるデッドセクションが生じた。また、新幹線とのフィーダー(連絡)サービスのため特急電車の運転が地方線区に拡大された結果、電源方式の異なる区間を直通運転することのできる特急形電車の要求に応えるために製造されたのが本系列である。
1964年(昭和39年)に、関西⇔北陸・九州用に直流/交流60Hz対応の481系電車、翌1965年に関東⇔東北用に直流/交流50Hz対応の483系電車が製造された。1968年からは、直流/交流50・60Hz対応の3電源に対応した485系電車が製造され、485系が本系列の統一形式名となった。
1971年には派生系列として、信越本線横川 - 軽井沢間の碓氷峠でEF63形との協調運転に対応した489系電車が登場している。
製造は1979年まで行われ、四国を除く日本各地で特急列車(山陽や東北新幹線開業前は主に東京や大阪、名古屋などの大都市圏と交流電化の東北、北陸、九州方面を結ぶ特急として、両新幹線開業後は東北や九州内の新幹線連絡特急に転じた)に広く用いられた。
JRへの移行に際しては、東日本旅客鉄道(JR東日本)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・九州旅客鉄道(JR九州)に継承され、1990年代以降では団体専用列車用ジョイフルトレインへの改造も行われているが、同時期から老朽と後継系列の登場により廃車が進められている。
2011年4月時点で、定期運用を持つのはJR東日本所属車のみであり、JR西日本とJR九州所属車は定期運用を終了し、保留車と波動用車両のみとなっている。
[編集] 外観・設備
外観は151・161系→181系の流れを踏襲しており、先頭部は同様のボンネット型となっている。床下機器の寸法に合わせ、床面の高さを近郊形、急行形の車両よりも10mm高い1,235mmとし、屋根高さも151系に比べて125mm高くされた。
1972年以降に製造された後期形車両の先頭部は、従来のボンネット型から、ほぼ同時期に登場した183系電車と同様のデザインの外観に変更されたため定員が8人増えている。
使用される路線のプラットホームの高さに合せるべく、扉にはステップが設置されるとともに、東北や北陸といった寒冷地区への投入を考慮した耐雪耐寒構造で製造された。
当初は、側面行先表示に従来通りサボを使用したが、国鉄車両としては初めて自動巻取式の方向幕への準備工事が施工された。当初は18コマに対応した物が、後期形以降は40コマに対応のものが搭載された。のちに前期形も後期形へ交換されている。
冷房装置は、前期形ではAU12形分散式冷房装置1基ないし2基を、屋根上へキノコ形ケースに収め、先頭車には5基、中間車には6基搭載したが、パンタグラフや交流機器が屋根上に設置されているモハ480形・モハ482形・モハ484形・モハ488形は、艤装スペースの関係から屋根上への搭載はAU12形3基に制約されたため、車内機器室に床置形のAU41形を3基設置したが、後期形以降では変更されている(詳細は後述)。
[編集] 走行性能
|
|
|
| この音声や映像がうまく視聴できない場合は、サウンド再生のヒントをご覧ください。 | |
電動車はMM'ユニット方式が採用されている。定格出力120kWのMT54系主電動機を特急形電車としては初めて採用し、MT比1:1でも20‰程度の勾配を登れるようになり経済性が向上した。最高運転速度も120km/hに引き上げられている。また、山岳区間での使用も考慮して抑速ブレーキを搭載した自動ノッチ戻し機構付きのCS15系制御装置を採用している。
走行部は、交流電化区間では交流を直流に整流して用いるという401系・421系電車からの一貫した手堅い間接式の機器構成が踏襲されており、M'車にはモーターなどに直流電源を供給する主変圧器・主整流器などの機器が搭載されている。
台車は、揺枕吊を廃止しインダイレクトマウント空気バネ台車DT32A形を電動車に、TR69A型を付随車に採用。後期形では同系台車の改良型にマイナーチェンジも行われた。
パンタグラフは直流区間での離線対策から2基搭載をしていたが、国鉄末期以降は架線の損耗を減らすため原則として第2パンタグラフの使用を中止もしくは撤去した。ただし、JR東日本の一部車両では架線霜取のため、130km/h運転を行う湖西線では引き続き離線対策のため2基使用を行っている。
[編集] 車両形式
[編集] 481系
1964年に登場した交流60Hz対応車。北陸本線金沢 - 富山操車場(現・富山貨物)間の交流電化にともない同年10月1日のダイヤ改正において新設された「雷鳥」「しらさぎ」で運用開始予定で向日町運転所(現・京都総合運転所)に41両が新製配置されたが、車両落成の遅れなどにより運転開始は12月25日に延期された。翌年には151系で運転されていた九州特急「つばめ」「はと」の下関以西電気機関車牽引ならびに山陽本線上り広島 - 八本松間での補助機関車連結の解消を目的とした増備が行われ、本形式への置換えが行われた。
- モハ481・480-1 - 26
- 新製後は北陸特急や山陽・九州特急で使用されたが、山陽新幹線博多開業に伴う1975年3月10日のダイヤ改正で全車鹿児島運転所(現・鹿児島総合車両所)に転属し、九州地区のみで使用された。1982年より老朽化に伴う廃車が始まり、1985年に全車廃車となった[注 1]。
主変圧器の対応周波数に関係しない付随車のクハ・サロ・サシ481形は、483系・485系においても引き続き導入された。詳細は485系の節を参照のこと。
[編集] 483系
1965年10月ダイヤ改正で東北本線盛岡電化に伴い、従来はキハ80系で運転されていた盛岡特急「やまびこ[注 2]」仙台特急「ひばり」の電車化用として製造され、仙台運転所(現・仙台車両センター)に配置された。なお、厳密な意味での本系列はモハ483形・482形の2形式のみで481系との差異は搭載する主変圧器が交流50Hz用になっていることである。
- モハ483・482-1 - 15
- 1982年の8から老朽廃車が開始されたが、12 - 15は1985年に仙台運転所から勝田電車区(現・勝田車両センター)に転属、JR東日本に承継され1990年に廃車された。
[編集] 485系
1968年に登場した交流50・60Hz共用のTM14形主変圧器を搭載し、国鉄在来線の電化方式すべてに対応した3電源形である。3電源区間を直通する定期列車は大阪 - 青森の「白鳥」のみだったが、本来の目的は車両運用と全国的な広域転属の自由度にあった。
厳密には電動車のモハ485・484形の新規2形式[注 3]のみで、製造期間は長期に及びその間に大きな設計変更や特殊な派生形式の設定などが行われている。
TM14形主変圧器で冷却と絶縁油に使用していたPCB(ポリ塩化ビフェニル)油の毒性が問題[注 4]となったために新造車では1974年製の1500番台から絶縁油にシリコン油を使用したTM20形に変更され、それ以前の車両にも交換が施工されている。
1981年6月に長崎本線で発生した脱線事故でモハ485-117・モハ484-221・クロ481-53の3両が7月27日付で廃車となったが、国鉄時代に発生した唯一の事故廃車である。
[編集] 基本番台前期形
制御車・付随車(サハ481形を除く)は1964年から、電動車は1968年から1972年までの製造。1972年製造車[注 5]は空気バネをベローズ式からダイヤフラム式に変更したDT32E・TR69E形となっている。
- モハ485・484-1 - 96
- 481・483系では側扉寄りに取り付けられていた車側表示灯を車体中央寄りする設計変更が行われた。2011年までに全車廃車。
- クハ481-1 - 40
ボンネット形先頭部を持つ制御車で、151系電車と同じ150kVA電動発電機(MG)と容量3,000l/minの空気圧縮機(CP)が搭載されている。
1969年製以降のクハ481-30 - 40と後述のクロ481-5は、ボンネット外気取入口のスリットが横型から縦型に設計変更された。
-
- 向日町運転所配置の1 - 8は、登場当初スカートを赤く塗装している以外は151系(181系)に準じた塗装になっていたが、翌1965年増備車の9 - 18より交直両用車であることを示すべく下部ライトケースの上に赤い「ひげ(眉)」と呼ばれる塗装の追加と赤いスカートの付け根にクリーム帯を追加した塗装に変更された。後に1 - 8も同様の塗色に変更され、これが「交流60Hz区間限定編成(481系)」を示すことになった。また仙台運転所配置(483系)の19 - 30は481系と区別がつくようスカートがクリーム色に変更されており、電動車が485系となってから登場した向日町増備車の31 - 40もクリーム色のスカートで増備されている。向日町配置車は1975年に全車九州地区に転属となったが、1977年以降下部ライトケース上の赤い「ひげ(眉)」が省略された[注 6]。60Hz用赤スカート車のうち12・14・17は鹿児島所属時代にスカート部のみ、その他は1985年の勝田電車区への再転属後1986年3月までに郡山工場(現・郡山総合車両センター)で検査の際にスカート部がクリーム色に変更されひげが復活している。
分割民営化時には1 - 32・34・36・38・40がJR東日本に、その他がJR九州に承継された。JR九州では1996年(平成8年)までに、JR東日本では2000年までに訓練車編成に組成された4両とジョイフルトレインの種車となった車両を除き廃車された。また訓練車編成に組み込まれた車両も2007年までに廃車となり、26が鉄道博物館で静態保存されている。
- クロ481-1 - 5
- 1968年の奥羽本線山形・磐越西線喜多方電化の完成により「やまばと」「あいづ 」が本系列化されることになったが、仙台運転所の編成には次の制約が課されることになった。
- 奥羽本線板谷峠急勾配区間で自力走行のためM:T比2:1以上の確保。
- 磐越西線でのホーム有効長問題から食堂車と1等車を同時連結の上で9両化。
- この結果、設計製造されたのが本形式である。定員は36名で、車掌室・トイレ・洗面所・出入口は後位側に設けられた。冷房装置はAU12形を4基搭載する。また既配置のサロ481形→クロ481形50番台改造工事も施工されたが、新造車も改造車に合わせた設計となったため、全長はクハ481形0番台よりも短い21,100mmとなった。
- 1968年に1 - 4が、1969年に5が日本車輌製造で製造され仙台運転所に集中配置されたが、1975年から1982年にかけて南福岡電車区(現・南福岡車両区)に転属。うち3両は1984年にクハ481形に改造されたが、1両はグリーン車に再改造されて原番号に復帰。全車とも分割民営化時にはJR九州に承継。1994年までに廃車となっている。
- クロ・クハ481形100番台
- 1971年から製造されたマイナーチェンジによって区分された番台で以下の設計変更が行われた。
- クロ481-101 - 104
- 全車仙台運転所に新製配置された。クハ481-101 - 104もそれぞれ同日に仙台に配置されている。1982年にはクロ481形は4両とも南福岡電車区に転属、後にJR九州に承継された。1988年には鹿児島運転所に転属した。1995年から1996年にかけて全車廃車となった。
- クハ481-101 - 126
- 前述の101 - 104が仙台に、105 - 108・111・112・119 - 124[注 8]が向日町運転所に、109[注 9]・110・113 - 118・125・126が青森運転所(現・青森車両センター)に新製配置された。しかし青森配属車は、全車1973年1月までに向日町へ転出。また、101 - 104も1985年に向日町に転出したためグループ全車が向日町に配置された[注 10]。しかし、分割民営化直前の1986年11月 - 12月にかけて向日町から以下の10両が転出した。
- この結果102のみがJR東日本に、他はJR西日本に承継されたが、2004年までに全車が廃車となった。
- サロ481-1 - 51
- 1等車(現・グリーン車)で客室定員は48名。前位側から和式トイレ・洗面所、出入台、専務車掌室、洋式トイレ・洗面所の順にレイアウトされており、181系とは配置が異なっている。1979年以降、九州配属車は洋式トイレ・洗面所を廃止してその部分に車販準備室を設置している。
- サハ481-1 - 14
- 1970年、高需要から12両化される「ひばり」「やまびこ」用に全車仙台運転所に新製配置された。
- サシ481-1 - 39
- 食堂車の基本構造はサシ151形に準じているが、回送運転台が調理室側妻面にも設置された。調理に電気レンジを使用するため自車給電用として70kVAのMGを搭載。椅子はサシ151形とは異なり、当初からFRP製である。また、それまでの電車・気動車の食堂車に設置されていた列車位置表示器は本形式より廃止された。
- 1965年までに製造された1 - 15と1968年以降に製造された16 - 39には内装に若干の差異があり、後者はベネシャンブラインドを採用するなどの設計変更が行われている。
AU13形搭載の後期車も含め食堂営業廃止による不連結や他形式への改造により1989年に廃形式となった。
[編集] 基本番台後期形
1972年下半期から1976年まで製造されたグループで大きな変更点を以下に示す。
-
- クハ481形がボンネットを廃止。前面貫通形である200番台区分の製造後、貫通扉が廃止された300番台が製造された。
-
- 冷房装置は、モハ484形では1基で1両全体を冷房できるAU71形集中式冷房装置に、その他の形式ではAU13E形分散式冷房装置5基搭載になり、特徴的なきのこ形カバーを持つAU12形や薄板プレスの車内ルーバーは廃止され機能面が優先された。このためモハ484形は新たに200番台に区分された。
さらに製造途中で以下の設計変更・改良も行われている。
-
- 台車は電動車がDT32E形、付随車はTR69E形。
- クハ481-311・313・315 - 354・サロ481-115 - 133・サハ481形100番台はブレーキシリンダをダイヤフラムシリンダとしたTR69H形に変更。
- 1974年製以降のクハ481形300番台・モハ485-207 - 255・モハ484-309 - 345・603 - 614・サハ481-15 - 19・101 - 118の座席は、従来のT-17系回転クロスシートからR-51系簡易リクライニングシートに変更。また、循環式汚物処理装置の暫定準備工事[注 13]も行われた。
- 台車は電動車がDT32E形、付随車はTR69E形。
以後に登場した各番台は基本的にこのグループの仕様を踏襲している。
- クハ481-201 - 263
将来予想される分割・併合運転を考慮しボンネットを廃止して前面貫通形を採用した。その結果、連結面車体長は21,000mmと短縮されたにも関わらず客室スペースは拡大されており、定員は0・100番台から8名増の64名となった。
-
- 前面構造的にはクハネ581形・583形と同様に外扉を設けて貫通扉などを隠すのは変わらないが、外扉の開閉は空気シリンダーにより自動化。MG・CPは床下搭載とし容量は2,000l/minに変更。前頭の列車名表示器は貫通扉の幅に制約され、小型の正方形で手動式である。この前頭デザインは581・583系や後述の300・1000・1500番台と共に愛好者から俗に「炊飯器」「電気釜」とも呼ばれる。
- 営業運転での正面貫通路の使用開始は1985年3月14日ダイヤ改正による「くろしお」[注 14]からで、それ以前から使用する見込みのない車両は腐食防止や隙間風対策の観点から外扉を溶接したり、あるいは貫通路を完全に埋込んだりしている。なお、分割併合運用については1976年から長崎本線・佐世保線の「かもめ」・「みどり」でも行われていたが、こちらでは正面貫通路は一切使用されなかった。
- このグループは全部で63両が製造されたが、新造時にその2/3に当る201 - 224・227 - 230・235 - 238・254 - 263の42両が青森運転所に、225・226・231 - 234・239 - 253の21両が向日町運転所に集中配置された。
- 青森配置車の203・204[注 17]・207・208には電気連結器と自動解結装置および自動貫通幌引出装置が試験的に装着されていた。これらは分割・併合運用の際に作業の省力化を狙ったものだったが、数回テストされたにとどまり、1976年に撤去[注 18]されている。
- 運転室への昇降は、1972年製造の201 - 220は足場を設ける方式、1973年製造の221 - 263は0・100番台と同様の階段式を採用。
- 2011年4月現在、JR九州所属の230のみが波動輸送対応で運用されるほかは廃車もしくは保留車となっている。
- クハ481-301 - 354
- 1974年以降製造の設計変更による区分。
- スタイリングは200番台ベースだが、隙間風などの運転室居住性改善と分割・併合を伴う運用の必要性を欠いていたことから貫通路を廃止。
- 車体長を250mm延長し0・100番台と同じ連結面車体長が21,250mmとなり、同時に運転室床上スペースが余ったため助士席下部へCPを移設。
- 200番台で廃止された運転室後部の後方確認用小窓を復活。
- 列車名表示器は大型の長方形で側面方向幕連動の電動式となった。
- 342・348・350の3両が後述の3000番台改造を施工された。
- モハ484-201 - 345
- AU71形搭載によるAU41形床置冷房装置収納機器室と業務用室を廃止したため、定員が8名増加し72名となった。
- モハ484-601 - 614
- 200番台に車掌室と業務用室を設けたための番号区分。定員は200番台より8名少ない64名。
- 一般に特急列車の専務車掌室は編成中央部にあるグリーン車のものを使用する傾向があるが、東北特急の場合は仙台運転所の編成がクロ481形を使用、また青森運転所編成もサロ481形は2号車に連結しており、いずれもグリーン車が編成中央からかなり偏っていた。このため、編成中央部付近に専務車掌室を持つ普通車が必要となり、本番台が製造された。この構造は後の1000・1500番台に受継がれることになる。
- 全部で14両製造され、新製時点では青森と仙台に配置された。その後分割民営時までに各地に転配され、603がJR東日本に、601・602はJR九州に、604以降はJR西日本に承継[注 19]された。
- 一般に特急列車の専務車掌室は編成中央部にあるグリーン車のものを使用する傾向があるが、東北特急の場合は仙台運転所の編成がクロ481形を使用、また青森運転所編成もサロ481形は2号車に連結しており、いずれもグリーン車が編成中央からかなり偏っていた。このため、編成中央部付近に専務車掌室を持つ普通車が必要となり、本番台が製造された。この構造は後の1000・1500番台に受継がれることになる。
- モハ485-97 - 255・サロ481-52 - 133・サハ481-15 - 19・サシ481-40 - 76
- 冷房装置以外の車体構造に大きな変更がなく定員も変わらないため、車両番号は在来車の続番である。
- サハ481-101 - 118
- 1976年登場。後位側に車販準備室・業務用室を設けたことにより定員が8名減の64名となり、番台区分された。
- 新製時点では向日町と南福岡に集中配置されたが、床下にMG・CPの設置準備工事が施されていたことから、1978年10月のダイヤ改正において東北地区の特急を3MG化する際に、一部が仙台運転所へと転属している。
- 1985年3月のダイヤ改正で18両全車が再び向日町に集中配置となった。
- 後に大部分がクハ481形や183系・189系の先頭車に改造された。108・109の2両[注 21]が1998年に廃車されて区分消滅した。
[編集] 1500番台
1974年に製造された北海道向け特別耐寒耐雪形。
函館本線の電化区間であり道央都市間連絡の要となる札幌 - 旭川間では、冬期も安定した性能を誇る711系電車による急行「かむい」やノンストップ急行「さちかぜ」が堅調な実績を上げていた。そのため711系をベースとした新型交流専用特急車が計画されたが、TM14形を含む従来形主変圧器の絶縁と冷却に使われていたPCB油の毒性が判明し、油種変更に対応するため計画は一時頓挫した。だが、沿線と北海道総局の期待が強いことと無害なシリコン油を用いたTM20形主変圧器の登場により本区分番台の開発・製造・投入が決定した。
1973年度第1次債務で川崎重工業と日立製作所の2社により新造され、22両全車が札幌運転所へ配置された。初年度は耐寒耐雪装備の試用を兼ねた青森運転所への貸渡名目で大阪 - 青森間の「白鳥」に投入された[注 22]。翌1975年1月から渡道が始まり、7月18日[注 23]から新設L特急「いしかり[注 24]」として運転が開始された。
本区分番台では、以下の設計変更が行われている。
- 「いしかり」が6両モノクラス編成とされたためグリーン車と食堂車は製造されず、モハ484形は専務車掌室や車販準備室を設けた600番台の構造を踏襲している。
- 台車は呼吸式の軸箱を持つ耐寒耐雪強化タイプで、走行中は常に鋳鉄製制輪子を軽く車輪踏面にあて、その摩擦熱で凍結を防ぐ「耐雪ブレーキ」に対応した両抱き式ブレーキのDT32G形を電動車に、踏面清掃装置付のTR69G形をクハ481形に採用した[1]。
- 床下機器箱には凍結防止用のヒーターが追加されているほか、粉雪の進入を防ぐためのシール類も新設されている。
- クハ481形は300番台と同様の非貫通型であるが、運転台上の前照灯は降雪時の視認・被視認性向上のため2基に増設し、運転台側面ガラスも熱線入りとした。
さらに北海道での運用開始後、以下の改造が苗穂工場で1976年に施工された。
- 自車が巻き上げて付着する雪で尾灯が確認できなくなることが判明し、車体内側から電球を交換する標準タイプから、外側より交換する外はめ式に変更。
- 前頭部連結器を密着自動形に交換[注 25](本州復帰時に通常の密着形に再交換)。
- 暖房装置の強化及び凍結防止ヒーターの増強。
しかし、本来は本州地区での使用が前提とされた車両であるため冬期には以下のトラブルが多発し、脆弱な面を露呈した。
- 無接点制御装置搭載の711系に比べ、本系列は制御装置を始め可動部品や接点が多く、本州での試用期間には問題なかった電装品を中心に侵入した粉雪が融解することによる絶縁不良や再凍結による動作不良。
- 走行中は負圧となる車内に北海道特有の粉雪が出入口から大量に侵入、凍結した客用扉の不作動による遅延[注 26]や運転打切り、運休が相次いだ。
- このため編成をMM'1ユニット減の4両に短縮し、計画運休による間引きで予備車と整備時間の確保をはかった。
しかし各種トラブルの根本的な解決はされず、北海道での使用は困難との結論が下された。その結果、1978年に北海道専用特急電車となる781系の試作車が開発され、量産車が出揃った1980年夏までに1500番台は全車揃って青森運転所に転属。分割民営化時には全車がJR東日本に承継されている。
- モハ485・484- 1501 - 1507
- 本州転属後は1985年2月に青森から向日町運転所に転属。1986年11月1日には上沼垂運転区に再転属。全車指定席車両の床面かさ上げ、側窓の天地方向の拡大、背面テーブル付フリーストップ式リクライニングシートへの交換とシートピッチ拡大などの「グレードアップ改造」が施工されたが、2001年から2002年にかけて老朽化のために廃車となった。
- クハ481- 1501 - 1508
- クハ481形は、本州転属後青森に残った車両と上沼垂運転区・南秋田運転所に転属する車両に別れたが、最終的には全車とも一度は新潟に転属している。JR化後は新潟車を中心にグレードアップ改造が施工された。各車のその後と現状を以下に示す。
-
- 1501
- 1987年にクロハ481-1020へ改造、1999年にクロハ481-3020にリニューアル改造され、2006年に新潟車両センターに転属。R28編成に組み込まれている。
-
- 1502・1503
- 2006年にジョイフルトレイン「彩(いろどり)」に改造され、クロ481-1502・1503に改番。長野総合車両センター所属のN201編成。
-
- 1504・1505
- 勝田車両センター所属のK60編成。波動輸送対応のため定期運用はない。
-
- 1506
- 2000年にクハ481-3506へリニューアル改造され、新潟車両センターR24編成の6号車に組込まれた。JR羽越本線脱線事故で大破したため2007年3月31日付で廃車となった。
-
- 1507
- 新潟車両センターT21編成に組込まれたが、2006年6月1日付で廃車。
-
- 1508
- 1508はJR化以降も主に秋田・青森に所属したが、2000年には新潟車両センターに転属しT18編成の6号車に組込まれた。
[編集] 1000番台
本系列は元々耐寒耐雪構造ではあったが、それでも冬期の東北・北陸方面の特に日本海側ではしばしば寒冷が原因の故障を起こした。これに対して、1500番台および183系1000番台をベースに本州向け耐寒耐雪強化形として1976年から製造された区分番台で以下の設計変更が行われた。
- 床下機器の配置見直しや密閉化、クハ481形では乗務員室の暖房強化を施工した。
- MGにトラブルが発生してもサービス電源を確保する目的から、サロ481形にMG・CPを搭載する3MG化がされた。
- トラブル発生時には、運転席からMGの給電区分を即時変更できるよう制御用引通線が別途増設された。このため在来車との混結も可能だが、その際にはMGの給電区分変更機能などは失われる。
- 上記対応のためクハ481形は片渡りとなり方向転換が不可[注 27]となった。
- モハ484形は600番台の構造を取入れた専務車掌室付きである[注 28]。
- サロ481形は前位車端部のトイレ・洗面所を車販準備室・車販コーナー設置に仕様変更を行った。
- 台車は電動車がDT32E形、付随車がTR69H形を採用。
- 循環式汚物処理装置を本設置(装置を本格的に使用)とした。
1979年6月19日付落成のモハ485・484-1085 - 1088/クハ481-1040 - 1043をもって本系列の新造を終了した。
- モハ485・484- 1001 - 1088
- クハ481- 1001 - 1043
- サロ481- 1001 - 1008
- 1978年以降に製造されたクハ481-1013 - /モハ485・484-1025 - は座席のリクライニングが背もたれを倒した状態でロックすることが可能なR-51BN形簡易リクライニングシートに改良された。
本区分番台では食堂車は製造されず、所要となるサシ481形は基本番台後期形車両の一部とサシ489形から改造の80番台に引通線増設などの対策を施工の上で充当した。番号については改番されず、原番号のままであった。
[編集] 3000番台
1996年から2001年にかけて、JR東日本が1000番台車を中心に行ったリニューアル改造車。全車共通の改造内容を以下で解説する。
- 外板塗装の変更。
- 側窓の下辺を台枠から845mmとし、窓の大型化と窓ガラスの内側取付ユニット化。
- モハ484形の遮断器を空気式(ABB)から真空式(VCB)に換装。
- 化粧板の張替。
- 出入台照明のダウンライト化。
- 貫通引戸と側引戸をハニカム構造で軽量化を図った物に交換。扉ストッパーのキャッチャ式化。電気式となるパルサーチの検知方式を採用し、客室仕切戸を自動化[2]。
- 出入台と運転室の床敷物をノンスリップタイプに交換。
- 各車両の仕切戸と妻引戸上部に電光表示の室内案内情報装置・号車番号案内装置・禁煙表示装置の設置。
- 行先表示器・前面列車名表示器のLED化。
- トイレを真空吸引式洋式に交換。従来の洗面所を撤去し、ユニット式になる男子トイレと小スペース用洗面所を新設した。
- 車内放送のオルゴールにクラシック音楽を採用[注 29]。
室内は、以下の改装が行われた。
- グリーン車
-
- 新幹線200系電車と同様の荷棚、カーテンキセを含めたFRPカバーへの交換。
- クロハ481形は4列のまま新型シートに交換、サロ481形は種車が3列シートのグレードアップ車のためモケット張替を施工。
- 普通車
-
- シートピッチは910mmのままフリーストップリクライニングと座面のスライドが可能な物に交換。
- 荷棚も新タイプへ変更。
- 喫煙車への空気清浄機の取付。
- 一部車両に車椅子対応座席の設置などのバリアフリー化
- モハ485形の一部車両への車販準備室と電話室の設置。
この一連の改造で大きく変わったのは先頭車のクハ・クロハ481形で、以下の改造が施工された。
- 従来の運転台屋根部分をすべて撤去し、新しい屋根構体に載せ換えて前面ガラスを1枚の大型ガラス化。
- 前面にFRP製マスクを取付け、愛称表示機をLED化。
- スカート部へのカバー取付。
- 前灯・尾灯の配置を変更。
- 補助電源はMGからSIVに、CPも静音床下搭載タイプの2,500l/minへ増大した物に換装。
改造施工は、土崎工場(現・秋田総合車両センター)と青森運転所東派出所[注 30]。9両編成2本・6両編成12本と増結用MM'ユニット3組6両の96両が改造され、青森運転所と上沼垂運転区に配置された。2005年12月25日に発生したJR羽越本線脱線事故により大破し、物的証拠として山形県警察に押収されたR24編成は、捜査の終了により全車2007年3月31日付で、本区分番台初の廃車となった。
2011年現在、青森車両センターには「白鳥」用6両のA編成3本・「つがる」用4両のB編成3本・増結用MM'ユニット7組14両[3]の44両が配置されており、クロハ481-3021・クハ481-3005の2両を除く42両が津軽海峡線対応車となっている[注 31]。また2006年には、旧A9編成のクロハ481-3020・クハ481-3350・モハ485・484-3056の4両が、JR羽越本線脱線事故による車両補完のために新潟車両センターに転属した。
新潟車両センターには6両のR編成7本と増結用MM'ユニット1組2両の44両が配置され、「北越」「いなほ」を中心に運用されている。
なお、青森車と新潟車について次のような違いがある。
- 外板塗装は、どちらも白と青を基調にしたものであるが、青森車は若干紫に近い青。新潟車は、側引戸と連結面周辺がアクセント的な要素で緑色に塗装されている。
- クハ・クロハの前面マスク部分の塗装が異なる。青森車は黄色で「North East Express 485」と「EAST JAPAN RAILWAY COMPANY」のロゴが、新潟車は緑色で運転台下付近にJRのロゴマークが入る。
- 乗務員扉前に青森車は先頭部と同じロゴが入る。
- 新潟車は9両編成で「はくたか」運用に充当されていたR26編成(旧R1編成)とR27編成(旧R2編成)は翼をモチーフにした銀色のエンブレムを装着していたが、R26編成は2009年の、R27編成は2011年の、秋田総合車両センター検査入場でそれぞれ撤去された[4]。
- この2編成は北越急行ほくほく線入線のために搭載されていたATS-P形を現在も引き続き装備しており、かつては「ムーンライトえちご」の第2予備、現在は波動輸送などで首都圏に入線することもある。
[編集] 編成
新潟所属のR1・2編成が「はくたか」運用離脱後は、青森・新潟車共に6両編成で車両構成は同じになったが、組成は異なる。
- 2010年12月3日までの編成
| 号車 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 青森車・新潟車共通事項 4号車は車いす対応車 5号車は車販準備室・電話室設置 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 青森車 | |||||||
| クハ 481 |
モハ 484 |
モハ 485 |
モハ 484 |
モハ 485 |
クロハ 481 |
||
|
青森 →
|
|||||||
| 号車 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 | |
| 新潟車 | |||||||
| クハ 481 |
モハ 485 |
モハ 484 |
モハ 485 |
モハ 484 |
クロハ 481 |
||
|
← 新潟
青森・金沢・新宿 →
|
|||||||
青森基準で見た場合、編成的にはクロハが先端で同じ位置になるが、MM'ユニットと号車名が逆向きとなる。
- 2010年12月4日以降の編成
| 号車 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 青森車 3号車は車いす対応車 2号車は車販準備室・電話室設置 新潟車 4号車は車いす対応車 5号車は車販準備室・電話室設置 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 青森車 A編成 |
|||||||
| クロハ 481 |
モハ 485 |
モハ 484 |
モハ 485 |
モハ 484 |
クハ 481 |
||
|
← 函館・新青森
青森 →
|
|||||||
| 号車 | 1 | 2 | 3 | 4 | |||
| 青森車 B編成 |
|||||||
| クロハ 481 |
モハ 485 |
モハ 484 |
クハ 481 |
||||
|
← 秋田
青森 →
|
|||||||
| 号車 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 | |
| 新潟車 | |||||||
| クハ 481 |
モハ 485 |
モハ 484 |
モハ 485 |
モハ 484 |
クロハ 481 |
||
|
← 新潟
金沢・新宿・秋田 →
|
|||||||
東北新幹線新青森延伸開業に伴うダイヤ改正で以下の変更点が発生した。
- 青森車は「白鳥」運用でグリーン車の向きを789系「スーパー白鳥」と統一するため方向転換を行いA編成とした。また秋田以北の「いなほ」と「かもしか」を「つがる」に統一、4両のB編成とした上で秋田まで運用範囲が広がった。
- 新潟車は「いなほ」運用が秋田までとなった。
このため秋田基準で見た場合、編成的にはクロハ481形は逆位置だが号車名は一致、秋田側MM'ユニットは同位置だが号車順が反対となる。
[編集] 形式
羽越本線脱線事故により廃車となった車両には「※」を付した。
- モハ485・484-<3009>・<3014>・(※3018)・<3022>・(3030)・<3031>・(3033)・(3034)・<3035>・(3037)・<3038>・3039・(3040)・※3044・<3046>・<3047>・<3049>・3050・<3051>・3054・3056・<3059>・(3060)・<3062>・(3065)・3066・<3067>・<3068>・3070・3075・<3081>・3086・<3087>
- ( )は新潟車両センター所属モハ484形車いす対応車。
- < >は青森車両センター所属津軽海峡線対応車。
- 車番は原番号+2000。モハ485形の定員は72名。一部の車両ではトイレを車販準備室に、洗面所を電話室と荷物置場に変更している。モハ484形では、一部の車両にバリアフリー対応の車いす対応大型洋式トイレ、多目的室を新設。客室出入台側に車いす対応座席を2脚設置した。通常車が定員64名であるのに対し、車いす対応車は58名となっている。
- クハ481-[3005]・<3006>・<3010>・(3011)・3018・<3020>・<3022>・<3030>・(3034)・3043・3342・3348・3350・※3506
- ( )は新潟車両センター所属ATS-P形搭載車。
- < >は青森車両センター所属津軽海峡線対応車。
- [ ]は青森車両センター所属津軽海峡線非対応車。
- 車番は1000・1500番台からの改造車が原番号+2000、300番台からの改造車が原番号+3000、クロハ481形からの復元改造車はクハ時代の原番号に基づく。
- クロハ481- 3004・3008・※3010・<3012>・<3015>・<3016>・<3017>・<3019>・3020・[3021]・3024・(3026)・3027・(3037)
- ( )は新潟車両センター所属ATS-P形搭載車。
- < >は青森車両センター所属津軽海峡線対応車。
- [ ]は青森車両センター所属津軽海峡線非対応車。
- 車番は原番号+2000。定員はグリーン室16名・普通室36名。3026・3037は2006年に編成替えのため新潟車両センターで施工されたクハ481-3026・3037からの改造車。
- サロ481-3106・3107
- 車番は原番号+3000。グレードアップ改造車のサロ481-106・107に再改造施工。新潟車両センター所属で旧R-1・2編成に組み込まれていた。同編成の6両モノクラス化で定期運用から外れ長らく保留車となっていたが、2008年10月に廃車。これによりサロ481形は廃形式となった。
[編集] 489系
信越本線横川 - 軽井沢間の碓氷峠は最大66.7‰の急勾配区間であるため、電車は最大8両に制限、台枠・連結器の強化などをする通称横軽対策をし、EF63形の推進・牽引による無動力運転を行っていた。しかし、協調運転用機器を搭載することにより12両まで通過可能となるため、上野 - 金沢間の「白山」ならびに間合い運用での「あさま」用として、協調関連装置を装備した派生形式である。485系のデザイン過渡期と同時期の1971年 - 1974年と1978年 - 1979年に製造されたため、それぞれに対応する区分番台が誕生している。
EF63形と連結される上り方のクハ489形500・600・700番台は、連結器カバーが省略されブレーキホース(500番台のみ)と協調制御用KE70形ジャンパ連結器が設置された。これによりクハ489形はクハ481形と異なり、片渡りで方向転換ができない構造となったため、上り方と下り方で番台区分を変えている。また協調運転装備を追加した結果、付随車についてもすべて489形となり485系の付随車とは別形式となった。なお協調機能は失われるが、基本設計が共通の485系と混結することは可能である。
「白山」充当時には6M6Tの12両編成を組成[注 32]しており、全部で14編成が就役したが、1971年 - 1974年にTc14組28両・Ts28両・MM'ユニット42組84両・TdならびにTが14両ずつと編成単位の製造[注 33]が行われた。最終的にはサロ489形1000番台10両の追加新造と分割民営化後にJR東日本が2両を485系から改造編入をしており、総車両数は180両。
分割民営化時にはJR東日本とJR西日本に承継されたが、長野新幹線の開業により信越本線の横川 - 軽井沢間が廃止されたために存在意義を失った[5]ことや老朽化によりJR東日本所属車は全車廃車。JR西日本所属車は2011年4月現在、金沢総合車両所在籍のH01編成9両(車両番号は後述の編成表を確認)が車籍を有する。
[編集] 0・500番台
- モハ489・488- 1 - 15
- クハ489- 1 - 5・501 - 505
- サロ489- 1 - 10
- サハ489- 1 - 4
- サシ489- 1 - 4
1971年 - 1972年上期に製造されたグループ。外観は485系0番台と同じくAU12形クーラーを搭載。ただしクハ489形に関してはクハ481形100番台(210KVA・MGは床下、CPはボンネット搭載)に準じており、下り方は0番台、上り方は+500の500番台に区分される。
- タイフォンは、1971年上半期製造の1・2・501・502はスカート[注 34]に、3 - 5・503 - 505はボンネット部分に備える。
- クハ489形500番台はクハ180形同様に連結器が常時剥き出しの状態にされているが、カバーの装着は可能である[注 35]。
- 台車は1971年製造車DT32A・TR69A形。1972年製がDT32E・TR69E形を装着する。
[編集] 200・600番台
- モハ489- 16 - 30
- モハ488- 201 - 215
- クハ489- 201 - 205・601 - 605
- サロ489- 11 - 20
- サハ489- 5 - 8
- サシ489- 5 - 8
1972年下期に485系200番台と同じく先頭車の貫通化やクーラーの変更などがされたグループである。モハ488形と下り方クハは200番台、上り方クハは0・500番台とは異なり+400の600番台に区分(他の車両は0番台の続番)され、485系とは以下の設計変更がある。
- クハ489形のCP容量がベースとなるクハ481形200番台同様3,000l/min→2,000l/minに減少した。しかし、横軽区間でパンクさせた空気バネ台車への圧縮空気供給時間を0・500番台と同等にさせるため600番台は2基搭載とした。
- サハ489形は基本番台を踏襲しているが、当初からCPを搭載している。
台車はDT32E・TR69E形を履く。新製配置は1972年製が向日町に、1973年製以降の車両は金沢。クハ489形200番台は2003年に、600番台は2011年に廃区分番台となった。
[編集] 300・700番台
- モハ489- 31 - 42
- モハ488- 216 - 227
- クハ489- 301 - 304・701 - 704
- サロ489- 21 - 28
- サハ489- 9 - 12
- サシ489- 9 - 12
1974年製造の485系300番台に対応するグループである。下り方クハは300番台、上り方クハは+400の700番台(他の車両は0・200番台の続番)に区分された。485系との設計変更は以下に示す。
- クハ489形のCPはクハ481形と異なり床下搭載で700番台は600番台と同様の2基搭載した。このため助手席下部のCP用機器搬入口が無いことから外見上からの判別が可能である。クハ489形300番台は2004年に、700番台は2010年に消滅した。
[編集] 1000番台
- サロ489- 1001 - 1010
1978年10月ダイヤ改正より共通運用となった「白山」及び「はくたか」は3MG・8M4T編成化されたが、三相回路配電盤搭載のサシ489形とCP搭載のサハ489形が編成から外されるために1978年と1979年に計10両が新製された。同時期に製造されたサロ481形1000番台に協調運転機能を装備した形で外観と性能などは準じ、210kVA MGとC2000形CPを搭載する。1004がMG・CPを撤去し101に、それ以外の車両も先頭車改造されたため1991年に廃区分番台となった。
[編集] 改造車
485系・489系の改造車は、軽微な引通線改造や電装解除、さらには車体構体を載せ換える大掛りな物まで多種多様であり、車両番号の変更のない改造事例もある。なお、グレードアップ改造やクハ481形200番台の前面非貫通化改造、またJR東日本が行ったリニューアル改造車(3000番台)については割愛する。また特記する場合を除いて改造施工工場等の名称は、当時のもので表記する。
[編集] クロ481形
- 51 - 57
- 1968年10月のダイヤ改正で東北特急は、上野方先頭車をクロ481形とした9両編成に統一されることになり、仙台運転所所属のサロ481形は郡山工場で先頭車化改造[注 36]を施工された。
- 改造方法は種車の車体の一部を分解し、その台枠上に車両新製時と同様の方式でボンネット型の運転台を組上げる工法が採用された。その際に台枠の延長は行われていないため、クハ481形0番台よりも全長が短い。
- しかも、新製車であるクロ481形0番台も改造車の設計に合わせたものになったため、差異はほとんど見られない。
- 改造方法は種車の車体の一部を分解し、その台枠上に車両新製時と同様の方式でボンネット型の運転台を組上げる工法が採用された。その際に台枠の延長は行われていないため、クハ481形0番台よりも全長が短い。
- 改造後も仙台所属で運用されたが、1975年に7両とも南福岡電車区に転属、国鉄時代に52・54が余剰老朽化で、53が事故で廃車となった。残りの4両はJR九州に承継されたが1995年までに全車廃車となった。
- サロ481-19 - 25→クロ481-51 - 57
- 301
- 1990年にJR九州小倉工場でクハ481-243に全室グリーン車化改造を施工。
- 出入台前位に乗務員室を増設したため、乗降扉横の窓は2分割された。
- 窓配置とシートピッチは一致しない。
- 1両のみの区分であったが2000年に廃車。
- クハ481-243→クロ481-301
- 2001 - 2005・2101
- 1989年の北陸特急「スーパー雷鳥」運転開始に伴いサロ489形1000番台に吹田工場でパノラマ型運転台を新設した制御車化改造。
- 車内は当時流行の2+1配置(乗客用扉から運転席に向かって通路を挟んで向かって左側が2席、右側が1席)のシートが設置[注 37]された。
- 681系「サンダーバード」の投入により「しらさぎ」にコンバートされたが、その「しらさぎ」も683系に置換えられたため、旧国鉄色に塗色変更のうえで2011年3月11日まで「雷鳥」で運用された。
- 2101は、種車がサハ481-118で窓配置や車体長、台車形式が異なる。
- サロ489-1001・1006・1003・1007・1009→クロ481-2001 - 2005
- サハ481-118→クロ481-2101
- 2201・2301 - 2303
- クハ481形の客室を座席配置2+1のグリーン車に改造した区分。
- 2300番台はクハ481形300番台が種車。
- 1990年の「かがやき」「きらめき」へのグリーン車連結に際して吹田工場で改造され、2003年に京都総合運転所へ転属。「雷鳥」で運用された後、2009年に183系のクロ183-2707 - 2709に再改造された。
- 2201はクハ481形200番台が種車。
- 1992年に「かがやき」「きらめき」増発用として松任工場で改造。2003年に廃車。
- クハ481-224→クロ481-2201
- クハ481-307・325・327→クロ481-2301 - 2303
- 2300番台はクハ481形300番台が種車。
- 2351
- 「スーパー雷鳥」編成の「しらさぎ」転用に際し、先頭グリーン車が不足するために金沢総合車両所でクハ489形に改造を施工したための区分。2003年に廃車。
- クハ489-301→クロ481-2351
[編集] クロ480形
- 1 - 15
- 1984 - 1985年に「有明」短編成化に伴いサロ481形を鹿児島車両管理所と小倉工場で制御車化改造した下り向き専用車。
- クロ481形50番台とは異なり、クハ481形300番台車に準じた運転台が台枠ごと接合される形となったため、外観および定員などは大きく異なる。
- 1 - 4はAU12形5基搭載の初期車からの改造車だが、後年冷房容量増強のために後位にAU13E形を1基増設。
- 5 - はAU13E形搭載車で改造時に1基撤去して4基搭載に変更したが、のちにAU13E形を1基運転台側に増設。
- 15両全車がJR九州に承継されたが、11・12は後に半室普通車化再改造によりクロハ480-51・52となった。
- クロ481形50番台とは異なり、クハ481形300番台車に準じた運転台が台枠ごと接合される形となったため、外観および定員などは大きく異なる。
- 後年は「かもめ」・「にちりん」でも運用されたが、2000年までに全車廃車となった。
- サロ481-40・43 - 45・53・56・58・64・67・76・78・83・87・103・130→クロ480-1 - 15
- 1001 - 1004・2301
- 1988年に「北越」短編成化に伴い吹田工場で改造。種車がサロ489形1000番台のため番号区分された。
- 0番台同様に運転台は元のトイレ・洗面所側に設置、車販準備室をトイレ・洗面所に改造の上、全車金沢総合車両所に配置。
- 1991年に1002は「かがやき」用として、吹田工場で車掌室を撤去し座席配置を2+1としたクロ480-2301に再改造。
- 0番台同様に運転台は元のトイレ・洗面所側に設置、車販準備室をトイレ・洗面所に改造の上、全車金沢総合車両所に配置。
- 1000番台は2004年までに、2301も2010年4月30日付で廃車され廃形式となった。
- サロ489-1002・1005・1008・1010→クロ480-1001 - 1004
- クロ480-1002→クロ480-2301
[編集] サロ481形
- 134・135
- 1983年に鹿児島車両管理所でサロ489形から横軽協調装置を撤去してサロ481形に編入したグループ。
- 2両とも分割民営化時にはJR九州に承継されたが、1990年に廃車。
- 基本番台新製車の続番となっているが、種車が489系0・500番台グループのためクーラーはAU12形を搭載。
- サロ489-6・8→サロ481-134・135
- 501 - 509
- 1985年3月ダイヤ改正で登場した「雷鳥」の和式グリーン車「だんらん」用改造車。
- サシ481形が種車で改造施工は吹田・鷹取の両工場。
- 車内は衝立で1卓4名の7室に仕切られた和式仕様となり、調理室部に種車の機器を一部流用したビュフェを設置し、側窓下には金帯が入れられた。なお調理室部分から向かって右側が通路となる。
- 調理室側の回送運転台を撤去。
- 一部列車の「スーパー雷鳥」化により1989年に運用を離脱、502 - 505・508・509はラウンジ付きグリーン車サロ481形2000番台に改造されたが、残りの3両は運用離脱後全く使用されないまま向日町運転所に放置された後、1993年に廃車された。
- サシ481-54・55・69 - 71・73・74・81・82→サロ481-501 - 509
- 1051 - 1056
- 当初から車販準備室やMG・CPを設置し、1000番台車に準じた仕様のサロ481-115・116・122・123・127・128が種車。
- 1978年の東北地区特急列車増発時に1000番台対応引通線追加改造などを土崎工場で施工・改番。
- 1000番台車との差異は行先表示器の位置[注 38]・クーラーの位置・客用扉に違いがある程度である。
- 1978年の東北地区特急列車増発時に1000番台対応引通線追加改造などを土崎工場で施工・改番。
- 1989年に1051がサハ481形300番台に、1990年に1052・1053がサロ489形1050番台へ改造され、残りは1994年に廃車された。
- サロ481-115・116・122・123・127・128→サロ481-1051 - 1056
- 1501 - 1506
- 本系列への編入を予定して製造されたサロ181形1100番台[注 39]を181系引退後の1982 - 1983年に盛岡・土崎・郡山の3工場で改造編入したグループ。
- 改造落成後は青森運転所に配置され、1985年の「ひたち」増発時に勝田電車区に転属した。1989年から老朽車取替のため1両を除きクハ481形1100番台に改造[注 40]され、残った1両も1997年にジョイフルトレインの改造種車となって区分消滅した。
- 1500番台新製車との関連は全くない。
- サロ181-1101 - 1106→サロ481-1501 - 1506
- 2001 - 2006
- JR西日本が「スーパー雷鳥」用として1989年と1991年にサロ481形500番台のうち6両を吹田工場で以下の再改造を施工した為の区分。全体的にサシ481に準じた間取となっている。
- 座敷部[6]を2+1配置のリクライニングシートに変更。座席定員は18名。
- 元調理室側から向かって通路を挟んだ左側が2席、右側が1席。クロ481形2000番台と同様の配置であるが、背摺りは前方眺望を考慮する必要がない為、ヘッドレストの小型化がなされてない一般形状に。
- ビュフェ部をコンビニエンスラウンジに変更。
- 種車を方向転換し、側面に方向幕を新設。
- クロ481形改造種車搭載のCPを移設した為に常時クロ481形の次位に連結されたが、2001年の「しらさぎ」転用時の編成替えで対象から外れて廃車され、CPはモハ485形500番台に再移設。台車はサハ481形600・700番台に転用された。
- ラウンジ部分に関し、バブル期を反映して白(なお座席は薄紫)基調とした明るい雰囲気だった登場時に対し、廃車直前の末期は茶色を基調としてシックで落ち着いた和の雰囲気となっていた。車両全体としては、座席類等の更新を除きレイアウトが登場時より変化する事は無かった。
- 種車の500番台共々、詳細な車内データや残存資料が極端に少ないのが特徴。
- サロ481-502 - 505・508・509→サロ481-2001 - 2006
- 座敷部[6]を2+1配置のリクライニングシートに変更。座席定員は18名。
[編集] クロハ481形
特急列車の短編成化と少なからず要求されるグリーン車需要に対応すべく、クハ481形の客室前位にグリーン室を設置した形式である。
- 1 - 13
- 1987 - 1988年に小倉工場で計13両が改造された。
- 1 - 8は種車がクハ481形200番台。
- 9 - 13は種車がクハ481形300番台
- グリーン席は3列×5席。
- 1993年に1がクハ481-226に復元、2000年に9 - 13が廃車、現存するのは200番台ベースの車両の4両。
- クハ481-226・232・233・234・239・241・251・262・312・328・329・341・353→クロハ481-1 - 13
- 201 - 208
- 1986 - 1987年に熊本発着「有明」3両編成化によりクモハ485形100番台と編成組成することから、小倉工場でクハ481形200番台8両に改造施工。
- 200番台区分だが、施工はは0番台よりも先である。
- グリーン室座席は、当初新幹線0系電車廃車発生品3列×3席を流用したが、分割民営化後の1989年に201を除いて0番台と同数の新型シート3列×5席に交換。
- 全車がJR九州に承継された。201・203・205が現存。
- クハ481-236・242・244・248 - 250・252・259→クロハ481-201 - 208
- 209 - 215
- 1986 - 1987年に「北近畿」用として吹田工場で改造施工された。
- グリーン席座席配置は2+2で、普通席との仕切部窓を縮小。
- 1991年に213はクハ481-201へ復元、それ以外はクロハ183形800番台に改造されて区分消滅。
- クハ481-209 - 212・201・204・205→クロハ481-209 - 215
- 301 - 303
- クハ481形300番台からの改造車。
- 301・302は1986年吹田工場施工の「北近畿」用。
- 301は1989年にクハ481-309へ復元。
- 302は1990年にクロハ183形へ改造。
- 303は1989年土崎工場施工の「たざわ」用。
- 2000年に復元と同時にリニューアル改造されクハ481-3348となり区分消滅。
- クハ481-309・354・348→クロハ481-301 - 303
- 301・302は1986年吹田工場施工の「北近畿」用。
- 1001 - 1030
- 1986 - 1988年・1993年に土崎工場と青森運転所でクハ481形1000・1500番台から改造された。投入列車に仕様を合わせたため施工内容に若干の差異がある。
- 1001 - 1009
- 「たざわ」用グループでグリーン室定員12名、普通室定員は44名の偶数向き片渡り構造。1009は新潟車両センター転属後に定員を「いなほ」用に合わせた変更を施工。
- 1010 - 1021・1028 - 1030
- 「はつかり」用グループでグリーン室定員16名、普通室定員36名の奇数向き片渡り構造。1011・1018・1028 - 1030は「いなほ」用として新潟車両センターへ転属した際に偶数向き方向転換改造を施工。
- 1022 - 1027
- 「いなほ」用グループで客室定員は「はつかり」用と同じだが、偶数向き片渡り構造。
- 1001 - 1009
- 後に3000番台化やクハ481形への復元。さらに3000番台改造と同時にクハ復元など改造経緯が複雑な車両も存在する。
- 2011年2月現在で3両が秋田車両センターに、10両が新潟車両センターに在籍するが、新潟所属車の多くはグリーン室部分冷房装置をAU13E形2基からAU112形への交換が施工された。
- クハ481-1018・1024・1012・1032・1026・1034・1036・1008・1014・1001・1003・1009・1015・1017・1021・1023・1031・1033・1039・1501・1013・1042・1002・1004・1028・1038・1040・1019・1035・1041→クロハ481-1001 - 1030
- 1501
- 元々は485系への編入を予定して製造されたサロ181-1101。181系運用終了後、サロ481-1501に改造。さらに「ひたち」の老朽化先頭車取替用としてクハ481-1104に再改造されるも1993年に「ビバあいづ」用として再々改造された。
- 他のクロハ481形がクハ481形ベースの改造車であるのに対して、この車両のみサロ481形ベースとなっているために種車の小窓が並ぶ窓配置となっている。
- 181系グループの車体を使用した最後の車両でもあり、現在は勝田車両センターK40編成に組み込まれ、団体・臨時列車などの波動輸送で運用中。
- サロ181-1101→サロ481-1501→クハ481-1104→クロハ481-1501
[編集] クロハ480形
- 1987年 - 1988年にクロハ481形0番台と同時に登場した形式であるが、種車がクロ480形によるための別形式。
- 改造施工は小倉工場で前位側のグリーン席5列を残して後位側を普通車化。
- 52は1992年にクロ480-12へ復元。51は2001年に廃車。
- クロ480-11・12→クロハ480-51・52
[編集] クハ481形
- 501・502
- 1984年2月ダイヤ改正で九州地区特急列車増発による先頭車不足解消のため、上越新幹線開業で保留車になったクハ181-109・クハ180-5に鹿児島車両管理所で施工した本系列化改造。
- 車体は181系時代のままで屋根上前灯なし、他の本系列車両との床面高さや屋根の高さも異なる。
- 検電アンテナは改造当初からクハ481形後期形車と同型のものを設置している。
- 502は種車となったクハ180-5同様に自動連結器カバー無し[注 41]。
- 塗色も落成当初は501の連結器カバーを赤一色に変更した以外はボンネットの赤帯やグレーのスカートなど181系時代のままであったが、のちに赤帯抹消・スカートのクリーム色化などを施工。
- 1986年11月改正で設定された「にちりん」の下関発着列車に充当された際、交直切替スイッチがないため小倉で運転打切というトラブルが発生したことから、スイッチ取付の追加改造を施工。
- 落成後1980年代は、1年おきに南福岡と鹿児島を交互転属するような動きをしたが、501は1993年に南福岡で、502が1991年に鹿児島で廃車された。
- クハ181-109・クハ180-5→クハ481-501・502
- 601 - 603
- 1983年に東北新幹線開業で保留車となったクロ481-3 - 5に鹿児島車両管理所で施工した格下げ改造。
- 車掌室部分も客室化。
- 種車の小窓が並ぶ窓配置のまま残されているが、窓割と座席間隔は一致しない。
- 座席は、当時「サロンエクスプレス東京」への改造で不要となった、14系座席車の簡易リクライニングシートを転用。
- 車掌室部分も客室化。
- 3両ともJR九州に承継され、1980年代は1年おきに南福岡と鹿児島を交互転属するような動きをしたが、601は1995年に廃車、602は1988年にクロ481-4に復元後1993年に廃車、603は静態保存されている。
- クロ481-3 - 5→クハ481-601 - 603
- 701・751 - 753
- サハ489形にクハ481形300番台に準じた運転台を取付て制御車化改造を施工したグループ。
-
- 701
- 1985年に松任工場で後期型車を種車にして改造。新製車同様に210KVAMGを床下にCPを運転台下に搭載するが、以下の相違点がある。
- 屋根上のAU13E形分散式冷房装置搭載位置。
- 運転室側面窓の後ろがやや間延び。
- トイレと洗面所の位置が逆。
- 分割民営化時にはJR西日本に承継されたが、2011年に廃車。
- サハ489-11→クハ481-701
-
- 751 - 753
-
- 1986年に幡生車両所(現・下関総合車両所)で改造されたが、701との相違点が発生したための番台区分。
- MG出力が160KVA。CPも床下搭載としたため助手席下側の機器室搬入口もない。
- 種車の関係で751・752は冷房装置がAU12形を搭載する。
- 分割民営化時には、751・752がJR西日本に承継され1991年に183系に再改造。753がJR東日本に承継され2001年にジョイフルトレイン「きらきらうえつ」に再改造された。
- サハ489-202・203・5→クハ481-751 - 753
- 1986年に幡生車両所(現・下関総合車両所)で改造されたが、701との相違点が発生したための番台区分。
- 801・802・851
- 「くろしお」で使用されていたクハ480形のうち「北近畿」転用車にMG・CPの取付改造を施工したグループ。
- 801・802
- 1986年に大宮工場が施工。
- 210KVAMG・CP共床下搭載としたため機器類は全面的に配置を変更。
-
- 851
- MG出力が160kVAによる区分で1987年に吹田工場が施工。
- 801を除いて1990年に183系800番台に再改造。801は2010年8月20日付で廃車され、廃区分番台となった。
- クハ480-8・6・5→クハ481-801・802・851
- 1101 - 1108
- 常磐線で運用されていたクハ481形初期車置き換えのため、1989年 - 1991年にかけてサロ481形1000・1500番台を先頭車化と同時に普通車格下げ改造したグループで施工は郡山工場。
- グリーン車の窓配置がそのまま残されたため小窓が並ぶ。
- E653系電車の投入に伴い、「ビバあいづ」用のクロハ481-1501に改造された1両とジョイフルトレイン「せせらぎ」の種車となった2両以外は1999年 - 2000年に廃車となり廃区分番台となった。
- サロ481-1003・1004・1006・1501 - 1505→クハ481-1101 - 1108
- ロール式ヘッドマーク改造車
- 1970年代初頭に吹田工場で向日町運転所所属のクハ481-2 - 7・9 - 11・15 - 18・37・38に施工した改造。
- ロールマークで確認されている列車名
- 「つばめ」「はと」「しおじ」「うずしお」「みどり」「なは」「日向」「雷鳥」「しらさぎ」「北越」「はくたか」「有明」「白山」「かもめ」「にちりん」
- ビデオカー改造車
- 1980年より鹿児島車両管理所配置のクハ481-33・35・37・39に施工。
- 主に「有明」で運用されたが、JR移行直前に上映中止となりビデオ機器も後に撤去。
- 仙台運転所ボンネット車タイフォン移設工事
- 仙台運転所新製配置クハ481-19 - 30ならびにクロ481-1 - 5・51 - 57に施工された改造。
- クハ481形0番台および同車をベースにしたクロ481形0・50番台の「タイフォンは、スカート部設置で次の3タイプが存在した。
- カバーなし
- 中折れ式カバー装着
- 回転式タイフォンカバー装着
- しかし、東北地区では冬期の積雪ならびに漂着による動作不良防止やタイフォン保護の観点から、1970年代前半にはボンネット部への移設が施工された。
- 屋根上前灯カバーもホイッスル部のスリットから雪が入って中に溜まるのを防ぐため、カバー後方を切欠いている。そのために向日町配置車との区別が可能になった。
- クハ481・クロ481-101も100番台で唯一スカート部にタイフォンを設置して登場したが、1973年に他車と同じ位置に改造された。その名残としてタイフォン上部に手擦が残存する。
- クハ481形0番台および同車をベースにしたクロ481形0・50番台の「タイフォンは、スカート部設置で次の3タイプが存在した。
- 向日町運転所100番台車キハ65形連結改造
- 密着連結器への交換およびジャンパ連結器の設置などを施工[注 44]。
- 勝田電車区0番台車2編成併結運転対応改造
- 1993年以降「ひたち」の2編成併結の14両編成運転に対応すべく勝田電車区所属のクハ481-31・32・34・36・38・40に施工した改造。
[編集] クハ480形
1985年の「くろしお」増発には、経費節減のため新幹線開業などで余剰となった本系列を投入して賄うこととなったが、不足する先頭車両を1984年 - 1985年に長野・広島・幡生の各工場と新津車両所(現・新津車両製作所)でサハ481・489形から改造した。
- クハ481形200番台に準じた貫通型運転台が取付けられたが、分割・併合運転を頻繁に行うため一枚貫通扉の簡単な構造とした。
- 貫通幌があるクハ481形200番台との正面併結が前提であるために貫通幌を考慮しない構造である[9]。
- 貫通扉の特急マークは落成当初、一般的な立体型の物を一部車両が付けていたが、貫通路構成時に通行に支障を来たす為、直ぐに平面型の物に交換された。
- 短編成用のためMG・CPは未搭載で、サハ489形からの改造車についてはCPを撤去している。
- AU12形冷房装置搭載の初期車も種車となったほか、交流区間に一切乗入れない運用などが当時は注目された。
1986年に「くろしお」が381系電車に再度統一されることになり、南福岡電車区や「北近畿」用として福知山運転所(現・福知山電車区)に転属した。
- 南福岡へ転属した車両は車体改修時に貫通扉を埋込まれるなどの改造がされたが、2000年までに全車廃車となった。
- また福知山転属車は1986年と1987年にクハ481形800・850番台に改造された後に1両を除き183系化改造された。
- サハ481-12 - 19・サハ489-201・204・252→クハ480-1 - 11
[編集] クモハ485形
- 1 - 15
- 1984年 - 1985年にモハ485形以下の改造を施工。
- 前位側にクハ481形300番台同様の運転台を設置し制御電動車化。
- 運転台後部を機器室とし110kVA・MGおよびCPを搭載。
- 機器室後部に出入台を設置し、定員は16名減って56名。
- 改造両数はクロ480形0番台と編成組成をすることから同数の15両で、施工は鹿児島車両管理所・小倉工場・幡生工場。
- 分割民営化時には全車JR九州に承継。2009年4月現在、一部車両が在籍。
- モハ485-97・98・100 - 102・104・105・109・111・113・116・118・120・134・145→クモハ485-1 - 15
- 101 - 108
- 1986年に熊本発着「有明」の3両編成用として鹿児島車両管理所・小倉工場でモハ485形以下の改造を施工。
- 前位側にクハ481形300番台同様の運転台を設置し制御電動車化。
- 短編成用のため、0番台と異なり機器室は未設置とし、MG・CPを省略し定員64名
- 出入台および行先表示器は後位側に移設。
- 後に「ハウステンボス」に転用され、現在では「K&H」カラーに変更。2009年4月現在、全車JR九州に在籍。
- モハ485-202・231・240 - 245→クモハ485-101 - 108
- 201 - 207
- 1991年に「スーパー雷鳥」の七尾線乗り入れに伴い付属編成用として、吹田工場・松任工場でモハ485形に以下の改造を施工。
- 前位に切妻貫通型の運転台を設置し制御電動車化。
- 後位車端に電話室を設置。
- 指定席車仕様として座席床面を70mm嵩上、R55系フリーストップリクライニングシートを1,010mmピッチで配置し、定員は60名。
- 後に「しらさぎ」に転用されたが、683系化で全車運用から外れて2003年に205が廃車、他の車両は交流機器使用停止措置の上でクモハ183形200番台に改造された。
- モハ485-219・220・235・236・246・247・239→クモハ485-201 - 207
- 1001 - 1009
- 1986年に「たざわ」短編成化のために土崎工場で改造された区分。
- MG・CPは省略されたが、編成中のMGが1基のみとなることから、非常用の電源装置ならびに充電装置を搭載。
- 廃車が進行し、秋田車両センター所属の1005・1006・1008の3両のみ現存。
- 1001・1009は1997年にジョイフルトレイン「ニューなのはな」の改造種車となった。
- モハ485-1017・1048・1019・1072・1080・1079・1073・1023・1076→クモハ485-1001 - 1009
[編集] モハ485形
- 501 - 506
- 2001年の「スーパー雷鳥」編成「しらさぎ」転用に際し、編成から外れるサロ481形2000番台からCPを移設し改番した区分で、改造施工は金沢総合車両所。
- 種車は「スーパー雷鳥」時代にトイレ・洗面所を撤去し自動販売機を設置した車両で、床下水タンク跡にCPを設置。
- モハ485-234・222・218・232・248・237→モハ485-501 - 506
- 種車は「スーパー雷鳥」時代にトイレ・洗面所を撤去し自動販売機を設置した車両で、床下水タンク跡にCPを設置。
[編集] サハ481形
- モハ485形電装解除車(JR九州)
- 1992 - 1994年に「ハウステンボス」用にモハ485形の電装解除をした車両[注 47]。改造施工は鹿児島車両所・小倉工場。2000年までに全車廃車となった。
- モハ485-93・126・153・159・163・195→サハ481同番号
- 201
- 1983年に小倉工場でサハ489-251から横軽協調装置とCPを取り外しサハ481形に復元した車両。
- 元番号に戻らずに新たな区分が割り当てられた。
- JR九州に承継されたが、1990年に廃車になった。
- サハ481-1→サハ489-51→サハ489-251→サハ481-201
- 301 - 308
- 1989年の651系電車による「スーパーひたち」登場に伴い、通常の「ひたち」は短編成モノクラス化されることになった。そのため車販準備室装備普通車の必要が発生し、サハ481形100番台が転用されたが、不足する車両は保留車のサロ481形1050番台・サロ183形1050番台・サロ189形50番台から郡山工場で改造された。
- 種車の形式は多岐に渡っているが、これらはすべて元々サロ481形0番台車からの改造車であり種車による差異はほとんどない[注 48]。
- E653系の投入による置換えで2000年までに廃車・区分消滅。
- サロ481-126・129・1051・サロ183-1054・1051・サロ189-51 - 53→サハ481-301 - 308
- 501 - 503
- 「しらさぎ」用付属編成の捻出と「スーパー雷鳥」用編成の10両貫通編成化を目的として、1997年にサロ481形より金沢総合車両所[注 49]で改造。外観は種車と大差なく、窓配置と座席間隔が一致しない。
- サロ481-66・121・131→サハ481-501 - 503
- 601 - 604
- 2001年の「スーパー雷鳥」編成の「しらさぎ」への転用時にモハ484形を電装解除した区分。種車のAU71形集中式冷房装置も流用された。
- モハ484-333・335・332・331→サハ481-601 - 604
- 701・702・751
- 2003年の「しらさぎ」「加越」への683系電車投入による「雷鳥」転用では、サハ481形が500・600番台の7両では不足することから、モハ485形の電装解除により充当したための区分。
- 751は種車が1000番台による区分。
- 本グループと600番台はトイレ・洗面所を撤去して、自動販売機を設置。
- モハ485-227・228・1029→サハ481-701・702・751
[編集] サシ481形
- 1000番台対応引通線改造車
- 1000番台は3MG化が行われ、トラブル発生時には運転席から給電区分変更できるなどの設計変更が行われた。1000番台と編成組成するサシ481形では、在来車に対応する引き通し線増設改造で対応することになり、全車土崎工場施工・秋田運転区配置とされた。
- 本来ならサシ481形1000番台ともいえる改造ながら、番号変更は行われていない。本グループでは、1976年施工車と1978年施工車に分類できる。
- 1976年施工車
- 「つばさ」電車化時1000番台落成までの暫定投入された200番台車と同時に秋田運転区に配置された57 - 59・61 - 63の6両が該当する。
- このグループは1973年に向日町運転所へ新製配置、1975年に山陽新幹線博多開業により南福岡電車区へ転属するも長崎本線・佐世保線の電化工事の遅れから休車扱いとなりで秋田運転区に再転属。他の車両が1000番台置換え後に南福岡へ復帰後も秋田に残って改造された。
- 1982年に57 - 59が向日町に、61 - 63が金沢に転属しているが、全車1986年3月までに廃車された。
- このグループは1973年に向日町運転所へ新製配置、1975年に山陽新幹線博多開業により南福岡電車区へ転属するも長崎本線・佐世保線の電化工事の遅れから休車扱いとなりで秋田運転区に再転属。他の車両が1000番台置換え後に南福岡へ復帰後も秋田に残って改造された。
-
- 1978年施工車
- 増発のために1978年に金沢運転所から転入した1973年製の65 - 67/1974年製の75・76/サシ489形改造の80番台3両の計8両が該当する。
- 81 - 83の3両は、種車が「白山」の食堂車廃止で捻出された1974年製のサシ489-10 - 12による区分で引き通し線増設改造と同時に横軽協調運転装置の撤去を施工している。
- このグループは1982年に金沢に再転属後に複雑な経歴を残しており、24系客車化改造を施工され寝台特急「北斗星」運用に投入された車両が4両、そのうち1両は2011年現在も車籍を有する。
- 65・66
- 1986年3月31日 - 廃車
- 67
- 1986年3月31日 - 廃車
- 1987年2月2日 - 車籍復活→松任工場でスシ24 501に改造
- 1987年4月1日 - JR北海道に承継(札幌運転所 配置)
- 2008年4月30日 - 廃車
- 65・66
-
- 75
- 1986年3月31日 - 廃車
- 1987年3月23日 - 車籍復活→吹田工場でスシ24 502に改造
- 1987年4月1日 - JR北海道に承継(札幌運転所 配置)
- 2008年4月30日 - 廃車
- 75
-
- 76
- 1986年3月31日 - 廃車
- 1987年3月20日 - 車籍復活→新津車両所でスシ24 503に改造
- 1987年4月1日 - JR北海道に承継(札幌運転所 配置)
- 2008年4月30日 - 廃車
- 76
-
- 81(元・サシ489-10)
- 1985年3月2日 - 吹田工場でサロ481-508に改造(向日町運転所 配置)
- 1987年4月1日 - JR西日本に承継
- 1991年3月2日 - 吹田工場でサロ481-2006に改造(金沢運転所 配置)
- 2001年12月26日 - 廃車
- 81(元・サシ489-10)
-
- 82(元・サシ489-11)
- 1985年3月5日 - 吹田工場でサロ481-508に改造(向日町運転所 配置)
- 1987年4月1日 - JR西日本に承継
- 1991年1月20日 - 吹田工場でサロ481-2005に改造(金沢運転所 配置)
- 2001年11月6日 - 廃車
- 82(元・サシ489-11)
-
- 83(元・サシ489-12)
- 詳細は#サシ489形参照。
- 83(元・サシ489-12)
[編集] サロ489形
- 101
- 1988年にサロ489-1004のMG・CPを松任工場で撤去・改番。
- サハ481-118→クロ481-2101の改造に供出するための撤去。
- 2003年に廃車。
- サロ489-1004→サロ489-101
- 1051・1052
- 1990年に長野工場でサロ481形1050番台に横軽協調装置を搭載する489系化改造。
- 2008年4月現在は保留車で、新潟車両センターに所属。
- (サロ481-122・116)→サロ481-1053・1052→サロ489-1051・1052
[編集] モハ489形
- 「ラウンジ&コンビニエンスカー」改造車
- 1989年に「白山」用のモハ489-18 - 21に施工された改造。
- 前位側窓4枚分の座席を撤去してショーケースを備えたラウンジに改装。
- 洗面所→冷蔵庫、トイレ→倉庫に変更。
- 座席定員は32名に減少したが、改番は行われてない。
- 2002年に18が廃車となり、残りの3両は金沢総合車両所に所属していたが定期列車運用は既に消滅。また、「白山」以外の昼行特急で運用される時は、コンビニエンスコーナーの営業は行われず、専ら車内販売の基地として使用された。
[編集] サハ489形
- 51・52→251・252
- 1972年、サハ481形に横軽協調装置を搭載を行いサハ489形50番台に改造改番。
- 翌1973年にCPを取付250番台に再改番。
- EF63形との協調運転時にパンクさせる空気バネ台車への空気の再供給を短時間で行う改善による[注 50]。
- 施工はすべて吹田工場。
- サハ481-1・2→サハ489-51・52→サハ489-251・252
- 201 - 204
- サハ489-1 - 4には当初CP未搭載であったが、1973年に吹田工場で取付施工と改番を実施した。
- 取付理由は250番台と同じであり、これによりサハ489-1 - 4は以後欠番となる。
- 1985年と1986年に他形式に改造されて区分消滅した。
- サハ489-1 - 4→サハ489-201 - 204
[編集] サシ489形
- 83
- 元は1974年に製造され金沢運転所に配置されたサシ489-12である。
- 1978年10月19日に「白山」の編成変更(3MG化。食堂車の廃止)により、土崎工場で横軽協調装置を取外されると同時に485系1000番台対応の引通線追加改造が施工され、サシ481-83となり秋田運転区に転属。
- 1982年11月12日に「白山」食堂車復活により横軽協調装置を松任工場で再装着してサシ489-83へ改造。
- 金沢運転所への再配置で1985年の「白山」食堂車全廃後は保留車となる。
- 1987年3月11日、分割民営化直前に北長野運転所に転属。JR東日本に承継。
- 1988年2月23日に新津車両所でスシ24 506に改造され尾久客車区(現・尾久車両センター)に配置。
- 24系化改造の際には調理室の小窓がひとつ埋められている。
- 2010年現在も「北斗星」で運用中。
- サシ489-12→サシ481-83→サシ489-83→スシ24 506
- 101・102
- 1972年に長野工場(現・長野総合車両センター)でサシ181形100番台に施工した489系化転用改造。
- 2両とも1986年に廃車。
- サシ181-102・103→サシ489-101・102
[編集] 津軽海峡線対応車
青森車両センター所属車のうち海峡線(青函トンネル)運用に充当する車両に施工された改造。
- モハ484形は第1パンタグラフを高速走行に優れたPS26B形へ交換。
- クハ・クロハ481形はATC-L形を設置。なお、1000番台車はATC搭載のためCPの床下移設も同時施工された。
[編集] 「あいづ」充当車専用改造
1993年に「あいづ」は郡山発着となり運転区間が64.6kmと短いことから、様々な特色が設けられた。その後「あいづデスティネーションキャンペーン」で復活した際も独自改造が行われた専用編成が投入されている。全編成とも仙台車両センターに所属し郡山総合車両センターが改造施工を担当した。
- 「ビバあいづ」編成
- 1993年に登場した編成。勝田電車区所属の6両編成に以下の改造を行い投入した。
- 銀色をベースとした専用塗装。
- 先頭車運転室屋根上部前灯の撤去。
- クハ481-1104の上前位を定員16名のグリーン室に変更しクロハ481-1501に改造。
- 3号車に組み込まれたモハ485-1008を定員0名のフリースペース「インビテーションカー“赤べこ”」に改造。車内は会津若松市の歴史や観光案内、物産品の展示などが行われていたが、1998年12月には再び座席車に復元された。
- 2002年で運用を終了し、MM'ユニット1組(1008)は廃車され、4両が勝田電車区に再転属。現在では塗装変更されK40編成として運用されている。
|
← 会津若松
郡山・喜多方 →
|
|||||
| クロハ481 | モハ485 | モハ484 | モハ485 | モハ484 | クハ481 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1501 | 1053 | 1053 | 1008 | 1008 | 345 |
- 「あいづデスティネーションキャンペーン」編成
- 「ビバあいづ」運転終了後に元青森運転所のA7編成を2005年に改造した編成、A3編成を2006年に改造した編成の2本があるが、どちらも以下の共通する改造が施工がされた。
- 05年度改造車は、キャンペーン終了後に先頭車正面の列車愛称表示器の撤去・運転台部分を1枚窓の新しい構体へ交換・3号車の業務用室を多目的室へ変更・東武鉄道用ATSと列車無線ならびに自動放送装置搭載などの再改造が施工され小山車両センターに転属。東武鉄道乗り入れ特急「日光・きぬがわ」に投入されているが、253系1000番台の投入に伴い、転属が予定されている。
- 06年度改造車は、現在も仙台に所属し快速「あいづライナー」で使用中だが、2011年6月に国鉄色への塗り替えが行われた。
| 改造 年次 |
← 会津若松・仙台
郡山・喜多方・新宿・上野 →
|
|||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| クハ481 | モハ485 | モハ484 | モハ485 | モハ484 | クハ481 | |
| 2005年 | 1017[注 51] | 1055 | 1055 | 1058 | 1058 | 334 |
| 2006年 | 1015[注 52] | 1032 | 1032 | 1077 | 1077 | 1016 |
[編集] 訓練車
1991年にJR東日本では、乗務員を対象に定期的に行う異常時の取扱いや応急処置等の教育訓練のため保留車を訓練用に整備することになった。そのために本系列でもモハ484形を種車にモヤ484形に改造した訓練車が登場した。
- モヤ484-1・2
- 改造施工は1が青森運転所、2が郡山工場。室内は座席を一部撤去して、テーブルとパイプ椅子を持込みミーティングルームとし、備品収納用ロッカーや視聴覚教育用モニタ、ビデオを搭載するためのラックが装備されている。外観上は白線2本と「訓練車」の表記が追加され、一般車とは区別されている。
- モハ484-60・61→モヤ484-1・2
訓練車編成は青森運転所と勝田電車区に次の2編成[注 53]が配備された。
| 編成番号 |
← 青森
上野 →
|
|||
|---|---|---|---|---|
| クハ481 | モハ485 | モヤ484 | クハ481 | |
| 青森運転所 A13編成 |
24 | 60 | 1 | 16 |
| 勝田電車区 K26編成 |
17 | 61 | 2 | 26 |
この2編成は希少なボンネット形クハを東日本地区で見られる数少ない存在のために人気を得ることになった。
- 2001年には勝田所属のクハ481-17が60Hz仕様赤スカートに復元された。
青森車が2005年、勝田車も2007年にそれぞれ廃車されて形式消滅したが、うち2両が静態保存された。
[編集] 車体改修車
JR九州が783系以降の新型車との格差を解消するために行った改造。改造内容は以下で示す。
- ドーンデザイン研究所(代表取締役水戸岡鋭治)が提案した車体塗装に変更。
- グリーン席を3列シートに統一。
- グリーン車ならびに喫煙普通車へ空気清浄機を取付。
- トイレへ換気扇の取付。
- クロ480形を含む5両編成のモハ485形はトイレ・洗面所を業務員室・車販準備室に変更。
- 普通車座席をリクライニングシートに交換(一部はモケット張替のみ)。
この改修は全車に施され、以下の6種類が登場した。
- RED EXPRESS(Dk10 - 16、Do31編成)
- KIRISHIMA EXPRESS(2000年に一旦消滅したが、2004年に復活、2010年再度消滅し国鉄色へ[11])
- 旧国鉄色(2000年にミレニアム記念で登場:Do2編成)その後Dk9(元KIRISHIMA EXPRESS)が2010年に国鉄色に変更された。
- KAMOME EXPRESS(消滅)
- MIDORI EXPRESS(消滅)
- HUIS TEN BOSCH(消滅)
- 当時は4両編成でMc(緑)+M'(青)+T(黄)+Tc(緑)の配色だったが、「きりしま」「ひゅうが」に転用する際にTが廃車され、Mc(緑)+M'(黄)+Tc(青)の「K&H色」となった。Do1・3 - 7、Dk8編成が該当する。
[編集] ジョイフルトレイン
本系列をベースとしたジョイフルトレインは、以下で解説する車両があり、すべてJR東日本で改造され所有している。
なお、編成全体の詳細はジョイフルトレイン(「リゾートエクスプレスゆう」と「NO.DO.KA/のどか」については183系も)を参照。
[編集] 型式
全車とも改造車で、車体構体を流用したケースや、下回りだけ流用して全く新しい車両構体に載せ換えをした車両まで様々ある。
- モロ485形
- 1 - 9
2以降はすべて構体を新規に製造して載せ換えて、お座敷(和式)電車として誕生している。また、2・4・8・9が公衆電話、3・5・7がトイレを備えるほか、休息室や更衣室も備えている。
- 1:「リゾートエクスプレスゆう」の中間電動車。1998年10月の和式化で定員が33名から28名と変更されている。
- サロ189-6→モロ485-1
- 2・3:「宴」の中間電動車。定員はともに28名。
- モハ485-56・37→モロ485-2・3
- 4・5:「華」の中間電動車。定員はともに28名。
- モハ485-87・149→モロ485-4・5
- 6・7:「ニューなのはな」の中間電動車。6は定員が畳敷44・座席64名。7は畳敷40・座席56名。
- モハ485-1017・1076→クモハ485-1001・1009→モロ485-6・7
- 8:「やまなみ」の中間電動車。定員28名。
- モハ485-58→モロ485-8
- 9:「せせらぎ」の中間電動車。定員32名。
- モハ485-1071→モロ485-9
- 1007・1024
「彩(いろどり)」の中間電動車。構体は種車の物を流用。室内は4人用簡易コンパートメントで構成され、座席をフルフラットにすることも可能である。3号車(1024・定員28名)にはマッサージチェアとパウダールーム、5号車(1007・定員22名)には車いす対応座席とトイレ、添乗員室を装備。
-
- モハ485-1007・1024→モロ485-1007・1024
- モロ484形
- 1 - 11
パンタグラフ付中間電動車で各車ごとで誕生の経緯が異なる。-4以降はすべて構体を新規に製造して載せ換えてお座敷(和式)電車として誕生している。本グループのパンタグラフはオリジナルのモハ484形と異なり、すべて1基搭載に変更されている。また、4 - 8・10・11の低屋根部はミーティングルームを備えている。
- 1:モハ484-701の項目を参照のこと。
- 2・3:「リゾートエクスプレスゆう」。1998年10月の和式化で定員が39名→32名と変更されている。
- サロ189-7・8→モロ484-2・3
- 4・5:「宴」。定員24名。
- モハ484-56・37→モロ484-4・5
- 6・7:「華」。定員24名。
- モハ484-87・251→モロ484-6・7
- 8・9:「ニューなのはな」。定員は畳敷28・座席40名。低屋根部に8は車販準備室・テレホンカード式公衆電話を、9は業務室・多目的室、畳敷への転換機構のない固定クロスシート4組を備える。
- モハ484-1017・1076→モロ484-8・9
- 10:「やまなみ」。定員24名。
- モハ484-58→モロ484-10
- 11:「せせらぎ」。定員32名。
- モハ484-1071→モロ484-11
- 1007・1024
「彩(いろどり)」。構体は種車の物を流用。2号車(1024)は、室内は4人用簡易コンパートメントで構成され、座席をフルフラットにすることも可能。4号車(1007)は、フリースペースでソファとテーブルを備えている。BOSE社製のスピーカーと液晶ディスプレイを設置。車端部に設けられた多目的室は扉で仕切ることが可能。反対側には喫煙室も設置される。種車の第2パンタグラフを撤去し、第1パンタグラフは本系列初となるシングルアーム式PS32形を搭載しており、狭小トンネルである中央本線への乗り入れを可能としている。
- モハ484-1007・1024→モロ484-1007・1024
- クモロ485形
- 1:クモハ485形700番台を参照。
- 2:「リゾートエクスプレスゆう」の下り(常磐線基準)向き制御電動車。1998年10月の和式化で定員が21名→20名と変更されている。トイレ・洗面所を装備。
- サロ189-5→クモロ485-2
- クロ481-1502・1503
「彩(いろどり)」の制御車。室内は1列+2列の回転リクライニングシートとした。運転室背後に談話スペースを設け、32Vの液晶モニタには前面展望映像も映し出される。前面の愛称表示機も市販の40Vワイド液晶モニタに交換されている。中央本線の狭小トンネル対策のために静電アンテナを後位に移動し、屋根上のヘッドライトは撤去している。
- クハ481-1502・1503→クロ481-1502・1503
- クロ485形
すべて構体を新規に製造して載せ換え、お座敷(和式)電車として誕生している。全車MG・CPを搭載。3を除いた先頭部に展望室を持つ。
- 1:「宴」の奇数向き制御車。定員24名。
- クハ481-25→クロ485-1
- 2:「華」の奇数向き制御車。定員24名。
- クハ481-21→クロ484-2
- 3:「ニューなのはな」の奇数向き制御車。定員は畳敷32・座席48名。
- サロ481-1007→クロ485-3
- 4:「やまなみ」の奇数向き制御車。定員24名。
- クハ481-40→クロ485-4
- 5:「せせらぎ」の奇数向き制御車。定員28名。「やまなみ」と併結運転するために高圧用のKE10形ジャンパ栓がなくなり、制御用のKE70形が取り付けられている。外観は「やまなみ」と比べて前灯が四角形になり、上部にプロジェクタランプが追加されている。
- サロ181-1102→サロ481-1502→クハ481-1105→クロ485-5
- クロ484形
3以降は構体を新規に製造して載せ換えてお座敷(和式)電車として誕生している。全車MG・CPを搭載。3・4・6・7は先頭部に展望室を設置。
- 1:クハ484-701の項目を参照のこと。
- 2:「リゾートエクスプレスゆう」の偶数向き制御車。1998年10月の和式化で定員が21名から20名と変更されている。
- サロ183-1008→クロ484-2
- 3:「宴」の偶数向き制御車。定員24名。
- クハ481-22→クロ484-3
- 4:「華」の偶数向き制御車。定員24名。
- クハ481-28→クロ484-4
- 5:「ニューなのはな」の偶数向き制御車。定員は畳敷32・座席48名。
- サロ181-1106→サロ481-1506→クロ484-5
- 6:「やまなみ」の偶数向き制御車。定員24名。
- クハ481-34→クロ484-6
- 7:「せせらぎ」の偶数向き制御車。定員28名。「やまなみ」と併結運転するために高圧用のKE10形ジャンパ栓がなくなり、制御用のKE70形が取付けられている。外観は「やまなみ」と比べて前灯が四角形になり、上部にプロジェクタランプが追加されている。
- サロ181-1104→サロ481-1504→クハ481-1107→クロ484-7
- サロ485形
「リゾートエクスプレスゆう」のラウンジカー。MG・CP搭載。ドーム型の展望席とステージ・サービスカウンター。AVコントロール室が設置されたイベントスペースを持つ。
- サロ481-1002→サロ485-1
- モハ485-701・モハ484-701・702
モハ484は低屋根化してパンタグラフを1基搭載し、狭小トンネル区間走行にも対応させている。
- モハ484-701:元は1990年8月に登場した「シルフィード」の中間電動車。トイレ・洗面所・更衣室を設置。2001年10月にカーペット敷き電車に再改造し、「NO.DO.KA/のどか」と改称、定員が30名→36名に変更された。
-
- サロ189-3→モロ484-1→モハ484-701
- モハ485・484-702:「きらきらうえつ」のMM'ユニット。モハ485-702は3号車で定員40名、リクライニングシート装備の座席車で、業務用室・多目的室を設置している。モハ484-702は4両編成の2号車で和風ラウンジカーとなっており、パンタグラフ低屋根部に茶屋(ミニビュフェ)と18名分のボックス席(フリースペース)、反対側車端部に映像ゾーンを持つ。
-
- モハ485・484-1078→モハ485・484-702
- クモハ485-701
元は1990年8月に登場した「シルフィード」の制御電動車。165系からの改造車である「パノラマエクスプレスアルプス」(現・富士急行2000形電車)と同じ構造で、運転席を2階[注 54]にし前面展望スペースを備える。2001年10月にカーペット車化再改造がされた。
- サロ189-2→クモロ485-1→クモハ485-701
- クハ485-701・クハ484-701・702
- クハ485-701・クハ484-702:「きらきらうえつ」の制御車。種車の下回りを流用し、構体を新規に製造して載せ換えた。定員38名。トイレ・洗面所、パイプいすを備えた簡易展望スペースが設置されている。
- クハ481-349→クハ485-701
- サハ489-5→クハ481-753→クハ484-702
- クハ484-701:元は1990年8月に登場した「シルフィード」の制御車。クモハ485-701と同様の前面構造を持ち、MG・CPのほか非電化区間でサービス用電源を自力で供給するための発電用ディーゼルエンジンを床下に搭載。2001年10月の再改造で定員が24名→32名に変更された。
- サロ189-4→クロ484-1→クハ484-701
[編集] 他系列への改造車
[編集] 181系電車への改造車
- サロ481-26 - 28→サロ181-1051 - 1053
詳細は「国鉄181系電車#1000・1050・1100番台」を参照
[編集] 183系電車への改造車
[編集] JR東日本所属車
- サハ489-7・9、サハ481-107・105・104→クハ183-101 - 105
- サハ489-8・6→クハ183-151・152
- サハ481-110・111→クハ182-1・2
- サハ481-117・103・112・104・102→クハ182-101 - 105
- サロ481-90・98・112・133→サロ183-1051 - 1054
- 1051・1054は、1989年にサハ481形300番台に格下げ改造のうえ勝田電車区へ転出した。その後、E653系の投入に伴い2000年までに全車が廃車されている。
- 1052・1053は、1988年サロ481-98・112に復元改造され、同時にシートの3列化などのグレードアップ改造も行われた。
詳細は「国鉄183系電車#他系列からの改造車」を参照
[編集] JR西日本所属車
- 交流機器の撤去、もしくは使用停止によって183系化された200・700・800番台の改造車。制御回路は485系と共通しており、直流区間内であれば無改造の485系との併結運転も可能であるが、本来の183系であるJR東日本車とはジャンパ連結器が違うことから併結はできない。
詳細は「国鉄183系電車#JR西日本の183系」を参照
[編集] 189系電車への改造車
- モハ485-109・203 - 205→モハ189-501 - 504
- モハ484-301・305 - 307→モハ188-501 - 504
- サハ481-113・106→クハ188-101・102
- サハ481-101・115→クハ188-601・602
- サロ481-110・111・113→サロ189-51 - 53
詳細は「国鉄183系電車#189系」を参照
[編集] 113系電車への改造車
- サロ481-26・27→サロ181-1051・1052→サロ110-302・303
- サロ489-1 - 5・10 - 12・7・9・17・18→サロ110-351 - 362
- サロ489-19 - 22・24・サロ481-93・95・96→サロ110-1351 - 1358
詳細は「国鉄113系電車#サロ110形 特急形改造車」を参照
[編集] 24系客車への改造車
- サロ481-52・101・102→オハ24 301 - 303
- 1990年に「なは」のレガートシート車へ3両が改造された。車体内外の改造のほか、引通回路の変更、ブレーキ装置のCL化が施工された。
- サシ489-3・4・サシ481-52→スシ24 1 - 3
- JR西日本宮原総合運転所所属。1988年イベント用に鷹取工場で改造後、翌年からは「トワイライトエクスプレス」で使用されている。
- サシ481-67・75・76・64・68・サシ489-83・7・サシ481-50→スシ24 501 - 508
- 1987年 - 1989年に「北斗星」用として車体色・引通回路の変更、ブレーキ装置のCL化、耐寒耐雪構造の強化、青函トンネル通過に伴う防火対策、回送運転台の撤去、ダイニング内装のグレードアップと食堂座席定員を40名から28名へ変更[12]などの改造が施工された。
- 501 - 503・508がJR北海道札幌運転所、504 - 507がJR東日本尾久車両センター所属となったが、2008年にJR北海道所属車は廃車となった。
詳細は「国鉄24系客車」を参照
[編集] 保存車・民間転用車両
鉄道車両としての使命を終え、廃車後に静態保存やカットモデルとなる以外に車両を丸ごと他の施設に転用する例もある。485系の場合は圧倒的に食堂車が多いが、閉店し解体される車両も少なくない。
- クハ481-26・モハ484-61
- JR東日本勝田車両センターに所属していた訓練車編成中の2両に対し、屋根の色を灰色から国鉄時代の銀色に、クハ481-26の機首部分の前灯をシールドビームから本来の白熱灯[注 55]に復元し、ボンネット側面上部にステンレス製のJNRロゴマークを復活させるなどの整備とモヤ484-2のモハ484-61への復元を郡山総合車両センターで行い、2007年10月埼玉県さいたま市大宮区に開館した鉄道博物館に保存。
- サシ481-24・26・30 サロ481-16
- 1986年4月、西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)前にサシ481-26を転用したイタリアンレストラン「ヴェズビオ」がオープンした。同店はおりからのバブル景気とイタリア料理ブームに乗り、支店を南宮崎駅前にサシ481-30を、川内駅にサロ481-16を使い開業、小倉駅前にはサシ481-24を使ったフレンチレストラン「トランドール」も開店させた。経営母体は国鉄九州総局で分割民営化後はJR九州に引き継がれた。しかし、景気の後退による利用者の減少や施設の老朽化により閉店、車両もすべて解体された。
- サシ481-27
- モハネ583・582-95・サロ455-31・キハ58 92・キユニ28 20と共に宮城県大崎市の「たかともワンダーファーム」が館内施設として購入し、同車はレストランとして営業を行っていた。しかし、2008年9月に車体腐食のため解体された。
- サロ481-41
- 北海道勇払郡むかわ町字汐見にあるドライブインに転用された。国鉄分割民営化時にJR北海道へ承継された車両で、1990年の廃車後にサハネ581-14・36と共にこの場所に移設された。閉店後は現場に放置され、サハネ581形は横転するなどして状態も非常に悪く、2005年頃に解体された。
[編集] 運用実績
[編集] 国鉄時代
485系は北陸特急「雷鳥」「しらさぎ」用として登場し、さらに東北方面や山陽方面に進出、「つばめ」「はつかり」「つばさ」「白鳥」などに充当された。その後は新幹線の開業により、短距離・短編成の特急を多く生み出し、民営化に至る。
[編集] 北海道地区
1974年4月 - 1980年9月、札幌運転所に配置。詳細はこちらを参照。ただし、分割民営化時にJR北海道へ承継された車両がある。詳細はこちらを参照。
[編集] 東日本地区
「東北本線優等列車沿革」も参照
東北を中心とした東日本地区での使用車両は、以下の車両基地に配置された。
- 仙台運転所→仙台電車区(仙台車両センター)
- 青森運転所(青森車両センター)
- 秋田運転区→南秋田運転所(秋田車両センター)
- 勝田電車区(勝田車両センター)
- 上沼垂運転区(新潟車両センター)
- カッコ内は、現在の名称。
1965年、仙台運転所に44両を配置し「ひばり」2往復「やまびこ」1往復に以下の編成で運用を開始。
|
||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||
1968年のダイヤ改正では奥羽本線山形以南電化により「やまばと「あいづ」も運転を開始するが、板谷峠越えのためにMT比2:1。磐越西線内ホーム有効長の関係から9両に抑えられかつ食堂車を連結する制約のためにダイヤ改正前の6月11日からクロ481形組込6M3T編成に組換えられた[注 56]。しかしその後も増発と長編成化され、1972年から1973年にかけて東北地区の485系は大きな変化を迎えることになる。
- 1972年3月15日ダイヤ改正
- 「やまびこ」2往復、「ひばり」2往復[注 57]、「やまばと」1往復増発。
- 1972年10月2日ダイヤ改正
これらの大増発により仙台運転所に続いて青森運転所にも配置。さらに増備は続き、11月3日からは休日運転の「やまびこ」1往復を運転開始。翌1973年3月1日からは季節列車の「はつかり」1往復の運転がされた。そして1973年1月31日からは、「ひばり」にグリーン車2両組込の13両編成も登場し、以下のようになった。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- 当時、青森運転所の運用は長距離かつ仙台・盛岡・秋田などで停泊が続き、1週間近く帰所できず、不定期列車で丸一日上野口で停泊や折り返し間合の時間を長めに取られた運用も存在した。これは首都圏側に配置車両がなかったため、車両故障や雪による遅延でダイヤが混乱した際、後続の折り返し列車に停泊編成を充当させることで定時性確保や不用意な運休を避けるための措置である。しかし運用変更を多用すると検修周期の問題が発生し、予定外の場所で検査切れになるケースもあるため、青森⇔上野で回送列車を仕立てたり仙台運転所の車両で代走させるなど青森運転所の苦労は絶えなかったという。
- 度重なる増備にも関わらず、車両不足や運用に余裕がないなどの諸事情で本来特急列車として運転されるところを455・457系電車による急行列車として運転された列車に臨時急行「エコーもりおか」と仙台 - 青森の「くりこま」がある。詳細についてはこちらも参照。
1973年10月1日ダイヤ改正では「はつかり」・「ひばり」2往復、「ひたち」も1往復増発。1975年3月10日のダイヤ改正でさらに「ひたち」が2往復増発で8往復体制となるが、仙台運転所の12両編成からはクロ481形とサハ481形をクハ481形とサロ481形に差替えた。
1975年11月、奥羽本線秋田駅電化によりキハ181系で運転されていた「つばさ」を電車化。秋田運転区に当初は200番台、翌年から1000番台が投入されるが、この頃が東北方面本系列特急のピークである。
- 「つばさ」は1日2往復運転のために本来3編成でも運用が可能なところ、有効時間帯の見直しも含め4編成での運用を行った。これは豪雪地帯である奥羽本線内で雪による遅延に備え、当初は在来車による運行であるために用心したからである。そのため秋田運転区には、使用48両・予備車を含めて66両(1976年4月の1000番台置換え後は72両)と大量配置がなされた。
- 他の東北特急のグリーン車が上野寄りの1号車(クロ481形使用列車)、2号車(583系も含む)だったのに対して「つばさ」では6号車に組込まれていた。これは3MG方式を導入する1000番台投入時に再び編成変更して、乗客などに混乱を与えない配慮もあったが、トラブル発生時に運転台から給電区分を簡単に変更できるようにするため、編成中央部付近にMG・CP装備のサロ481形1000番台が組成されている方が都合がいいためでもある。
- また、上野口特急グリーン車の連結位置に関しては、信越・上越方面の列車も含めて連結位置を統一する動きがあり、1978年10月の改正で仙台所のクロ481形組込編成と臨時列車として設定されていた183系1000番台7両編成の「白根」を除き、上野口定期特急電車のグリーン車は6号車(2両組込編成は7号車も)に統一された。
1978年10月2日のダイヤ改正では、「はつかり」1往復、「ひばり」2往復、「ひたち」3往復増発、「やまばと」→「つばさ」1往復区間延長をされたが、東北本線と高崎線で規格ダイヤが導入され、特急列車の所要時間が軒並み増大した。また、仙台の9両編成がサシ481形→サハ481形に置き換えられたほか、食堂車の営業を休止する列車も登場し、1982年に東北新幹線と上越新幹線の開業でこれら多くの特急は廃止・削減され主力は新幹線連絡列車となり、盛岡発着は青森へ「はつかり」、秋田へ「たざわ」、新潟発着は「いなほ」が設定され、それまでの「いなほ」は「鳥海」と改称した。
1985年3月のダイヤ改正では東北・上越新幹線の上野開業により「やまばと」が全廃、「鳥海」も臨時列車に格下げとなり、東北本線で上野に出入する本系列は「つばさ」1往復と共通運用の「あいづ」だけとなる。東北特急は新幹線連絡の性格を強め、短編成化が行われた。また、「ひたち」はこの改正で勝田電車区に移管となり、仙台から485系が消滅。合わせてこれまでの急行「ときわ」をすべて格上げすることにより一気に下り12本、上り11本が大増発され、下り24本、上り23本にまでになった。これに合わせて九州からボンネット形のクハ481形が多数転入している。
1986年11月1日のダイヤ改正では、上沼垂運転区にも配置され「白鳥」を受持つことになる。この体制で国鉄分割民営化を迎えることになった。
[編集] 西日本地区
「山陽本線優等列車沿革」も参照
西日本地区での歴史は、1964年に向日町運転所に新製配置された481系41両が「雷鳥」「しらさぎ」へ投入されたことに始まる。
また東海道新幹線開業により新大阪 - 博多に運転区間を変更した「つばめ」「はと」は、車両数の問題と交流区間の走行距離が短かったことから直流用の151系で運転[注 59]されたが、翌1965年10月には九州特急用増備車が落成。「つばめ」が名古屋 - 熊本間の特急となり、の東海道・山陽方面での運用を開始した。
向日町への増備に伴い151系は181系へ改造されるが、関東地区での増発のために181系は転出を繰り返し、1973年に向日町から181系は姿を消す。一方、山陽本線には1968年10月ダイヤ改正以降583系が優先的に投入された為、山陽-九州間の運用は大阪-大分間の「みどり」だけとなったが、1969年には上野 - 金沢間運転の「はくたか」も「雷鳥」と共通運用を組んで向日町で受持ち、東は上野、西は大分までの広域運用を行うことになる。
- 「はくたか」の交流区間は60Hzのため、金沢で「雷鳥」を介して向日町の481・485系と共通運用を組むことになった。しかし、冬期は豪雪地帯の上越線を経由するため下り「はくたか」は大幅な遅延も多く、その場合には「雷鳥」から上り「はくたか」に入る予定の編成を「雷鳥」で大阪に戻し、遅延した下り「はくたか」を上り「はくたか」で上野に送り返す運用が組まれていた。しかし、こちらも「はくたか」の遅延が慢性化し、折り返し運用が続くと当該編成が向日町に戻ることができず、検修の問題や金沢運転所の489系による代走などの弊害が発生していた。
1972年3月15日、山陽新幹線岡山暫定開業により連絡特急が岡山発着になるも「しおじ」は大阪発着として残存。その時から485系は山陽-九州運用に本格的に投入され、また4月27日には「みどり」の間合運用で日豊本線の「にちりん」(博多-大分間)にも投入され、九州島内運用も受け持つようになる。1973年10月には「なは」への投入により西鹿児島へ進出、さらに、1974年4月25日には南宮崎電化で運用区間が延長、向日町所属車は新潟・上野・宮崎・鹿児島とさらに広域運用が行われるようになった。しかし、1975年3月10日に山陽新幹線博多開業により、山陽本線昼行特急は全廃。向日町所属車は北陸運用使用車を除いて南福岡と鹿児島に転属した。
一方、北陸地区への車両配置は、1972年の「白山」運転開始の翌年に489系を向日町から金沢運転所へ転属させたことが起源で「白山」のみならず「雷鳥」「しらさぎ」「北越」にも投入した。1975年に「雷鳥」が米原経由から湖西線経由に変更となり「加越」が登場すると485系も金沢に配置された。その後489系は「白山」の間合い運用で「あさま」への投入、1978年には3MG化と食堂車が廃止され「白山」と上越線経由の「はくたか」は共通運用化。上越新幹線開業で「はくたか」廃止、食堂車の復活→再廃止などがあったが、分割民営化を前に「あさま」用189系補完のため27両が長野運転所に転属している。
また、1985年3月のダイヤ改正では紀勢本線の「くろしお」を4往復増発する際、他地区で余剰となっていた485系44両を日根野電車区に配置し充当したが、諸事情により翌1986年11月1日のダイヤ改正で福知山運転区と南福岡電車区に全車転出した。詳細はこちらを参照のこと。
[編集] 九州地区
九州地区における運用は1965年に始まるが、配置区所は向日町運転所で本州からの直通運用が主体であった。1975年の山陽新幹線博多開業により本州からの昼行特急がなくなり、余剰車が南福岡電車区と鹿児島運転所に転入。後に青森運転所や仙台運転所からも車両が転入するが、一部は本州に再転出した。九州地区に新製配置された車両は長崎本線・佐世保線電化用名義のMM'ユニット9組18両[注 60]とサハ481形100番台5両のみである。
1976年には長崎本線・佐世保線全線電化より、「有明」「にちりん」に加え「かもめ」「みどり」にも充当されるようになる。当初は大部分の列車が肥前山口で併結・解結を行っていたが、1986年11月の改正ではすべて分離運転となった。以降、民営化後に783系が登場するまでこの体制が続いた。
1985年3月および1986年11月の改正では充当列車は変わらないものの、急行列車からの格上げや増発、また1984年2月改正では九州から583系が撤退し、運用本数は大幅に増加した。同時に増発による短編成化も推進され、先頭車化改造車や半室グリーン車が登場しており、「有明」向けに3両編成も登場している。
1980年代に入ると初期車の置き換えが始まり、鹿児島所属の481系電動車とAU12形搭載のサシ481形は1985年までに淘汰された。なお、九州でのサシ481形の食堂営業は1980年9月30日をもって廃止されている。またこの頃から、モハ484形の第2パンタグラフの撤去も始まった[注 61]。
1987年3月には当時非電化だった豊肥本線の熊本 - 水前寺間で「有明」をDE10形ディーゼル機関車の牽引・推進により、当初はスハフ12形、その後は電源車に改造したヨ8000形28000番台を連結して、毎日運転の臨時普通列車として入線させた。この乗り入れは後に783系投入後も引続き1994年7月まで行われた。
分割民営化時には、JR九州に324両が承継された。
[編集] 広域転配
485系で3電源方式を採用した真の狙いは、電源方式を選ばない特性から全国に渡る広域転配を可能にしたことである。実際に、国鉄時代には以下のような広域転配が何度となく行われた。
[編集] 山陽新幹線博多開業
山陽新幹線博多開業により山陽本線の昼行特急は全廃され、新幹線連絡の「有明」「にちりん」が増発されることになった。そのため北陸方面で運用する車両を除き、向日町運転所の485系が南福岡電車区と鹿児島運転所に転属した。
- 鹿児島には、モハ481・480形を含む初期車中心、南福岡には200番台中心に振分けられている。これは、長崎本線・佐世保線電化時に分割・併合運用を行うことが予定されていたためである。
- 上記のような鹿児島向けと南福岡向け、そして向日町に残る車両の振分けをするため、半年近く前から編成替えや運用に細心の注意を払い準備していた。転属のための回送列車を極力減らし、そのまま改正ダイヤでの新列車運転をスムーズに行うため、前日に九州や下関、広島で運用が終了する編成は軒並み転属車で運転された。
- 少数ではあるが、東北地区の予備車確保のため青森運転所と仙台運転所に転属した車両もある。
[編集] 奥羽本線・長崎本線・佐世保線電化
奥羽本線の山形 - 秋田間電化により、キハ181系で運行されていた「つばさ」に耐寒設備を強化した1000番台の投入が1976年に予定されたが、電化工事は1975年秋に完成していた。
一方、長崎本線・佐世保線電化は1975年に完成予定であったが、工事の遅れで1976年に延期された。そこで、山陽新幹線博多開業によって向日町から南福岡に転属したものの休車扱いとなっていた「かもめ」「みどり」充当用200番台車を一時的に秋田運転区に転属させ、「つばさ」に充当することになる。しかし、この転用は以下の理由が絡み合う複雑なものであった。
- 長崎・佐世保特急は分割併合のためクハ481形200番台の使用を予定していたが、逆に東北地区では隙間風の侵入や居住性で乗務員からの不評も多く300番台の投入が要求されていたため車両交換を伴う必要。
- 「みどり」は4両編成でかつグリーン車連結のために仙台所属のクロ481形を転用させる計画。
- 転入前の向日町時代と各列車の編成が大きく異なる。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
このため南福岡の休車は以下に分類された。
- 南福岡残留車
- 秋田転出車
- 仙台転出車(クハ481形200番台・サロ481形のみ)
- 仙台転出車と同所のクロ481形・サハ481形が交換される形で南福岡に転入
- クロ481形は方向転換もされるため郡山工場で事前に両渡り構造への改造を施工[注 62]
- 青森転出車(クハ481形200番台・サロ481形のみ)
- 別途製造されたMM'ユニットと組合せ今後の増発と予備車確保名目
上述の転配とは別にクハ481形300番台20両・サロ481形8両・MM'ユニット9組18両が新製された。
- クハは東北地区取替名義で青森・仙台に配置。
- 青森配置車で捻出された200番台が秋田に転出。
- サロ2両は仙台に配置。6両(サロ481-115・116・122・123・127・128)は「つばさ」用として秋田に配置。
- MM'ユニットは長崎・佐世保電化名義のために書類上南福岡配置を経て秋田転出。
これによって、在来車で組成された「つばさ」は次のような66両で構成されていた。
- クハ481形200番台12両は、青森から10両、南福岡から2両の転入車。
- MM'ユニット21組42両は、南福岡からの転入車。
- サロ481形6両は、新製車。
- サシ481形6両は、南福岡からの転入車。
翌1976年に1000番台が落成。秋田に配置されたことにより、サシ481形を除いた全車が南福岡に再転出した。
- 同時にサロ481形が青森から1両、さらに東北地区へクハ481形300番台の投入による捻出で200番台が青森から6両、仙台から2両が南福岡に転出した。
[編集] 1978年10月改正と特急増発
1978年10月の白紙ダイヤ改正では、急行列車の特急格上げで増収を図り、特急が36本増えた代わりに急行が57本削減された。特に東北地区は利用率が高かったために増発が集中、大量の485系が必要になった。
また、首都圏対北陸を運行する「白山」「はくたか」は増発も行われると同時に信越特急「あさま」、上越特急「とき」とのグリーン車連結位置の共通化と食堂車の不連結、並びに3MG化がされた。そのため次の車両が新造されることになるが、一部列車の増発は車両落成の遅れから1979年7月1日にずれ込んだ。
- 485系1000番台167両(クハ481形 - 31両、サロ481形 - 2両、MM'ユニット64組128両)を青森運転所と秋田運転区に集中配置。
- サロ489形1000番台10両を金沢運転所に配置。
東北地区への1000番台集中投入により、捻出された青森運転所の在来車は、仙台運転所と金沢運転所に転出することになった。
- 青森→金沢転属車(44両)
- クハ481形6両、MM'ユニット19組38両
- 青森→仙台転属車(34両)
- クハ481形7両、MM'ユニット13組26両、サロ481形1両
さらに、仙台運転所の9両編成からサシ481形をサハ481形へ置き換えることになった。同時に3MG化も行われるためにMG・CP搭載準備工事が施行されていた向日町運転所の100番台と車両交換を行っている。
- 仙台→向日町転属のサハ481-12 - 15
- 向日町→仙台転属のサハ481-101 - 107
- 仙台転入車が多いのは、13両編成置き換え分も含まれているため。
- 仙台転入車は1985年3月に向日町へ全車出戻り転属をしている。
- サハ481形補充のために金沢所属の16 - 19も向日町転属となった。
また逼迫する国鉄財政の中で新製費を抑えるため、不足するグリーン車や食堂車は改造で対応することになった。このため次のような改造が行われた。
- サロ481形1000番台化改造(南福岡電車区→秋田運転区)
- 115・116・122・123・127・128→1051 - 1056に改造。
- サシ481形1000番対応引通線追加改造(金沢運転所→秋田運転区)
- 65 - 67・75・76の5両に施行。
- サシ489形→サシ481形1000番対応引通線追加改造(金沢運転所→秋田運転区)
- 10 - 12の3両をサシ481-81 - 83に改造。
- サロ481形→サロ181形改造(鹿児島運転所→新潟運転所上沼垂支所)
- 25 - 27→サロ181-1051 - 1053
- サロ481形→サロ183形改造
- 90・98→サロ183-1051・1052(南福岡電車区→新潟運転所上沼垂支所)
- 112→サロ183-1053(金沢運転所→新潟運転所上沼垂支所)
- 133→サロ183-1054(青森運転所→新潟運転所上沼垂支所)
- サロ481形→サロ189形改造(金沢運転所→長野運転所)
- 110・111・113→サロ189-51 - 53
さらに2年後の1980年には、北海道で使用されていた1500番台22両が札幌運転所から青森運転所に転属してくると玉突きで200番台車が青森から南福岡電車区に転属している。また、仙台運転所からもクハ481形200番台2両とサロ481形1両、MM'ユニット4組8両の計11両が南福岡に転属している。これらの車両は、1980年10月1日国鉄ダイヤ改正で九州地区の増発に充当された。
[編集] 東北・上越新幹線開業
1982年11月15日のダイヤ改正では、6月に開業した東北新幹線の増発と上越新幹線の大宮暫定開業により、本系列を使用した在来線特急は、次に示すような動きがあった。
- 首都圏と直結する「ひばり」「やまびこ」「とき」「はくたか」は全廃。その他の特急は大幅削減。主力は新幹線連絡列車としての役目に移行した。
- 常磐特急「ひたち」は、余剰車を使って増発が行われた。
- 北陸地区、九州地区でも増発が行われた。
- 「白山」の食堂車復活。
このために青森運転所・秋田運転区・仙台運転所を中心に他地区へ次のような広域転配が行われている。
- 青森運転所からの転出車両
- 青森運転所→向日町運転所(8両)
- MM'ユニット4組8両
- 青森運転所→南福岡電車区(43両)
- MM'ユニット15組30両 サロ481形13両
- 青森運転所→鹿児島運転所(22両)
- MM'ユニット10組20両 サロ481形2両
- 青森運転所→向日町運転所(8両)
- 秋田運転区からの転出車両
- 秋田運転区→金沢運転所(11両)
- サシ481形11両(ただし1両はサシ489形に改造して転属)
- 秋田運転区→向日町運転所(3両)
- サシ481形3両
- 秋田運転区→金沢運転所(11両)
- 仙台運転所からの転出車両
- 仙台運転所→向日町運転所(12両)
- MM'ユニット2組4両 クハ481形4両 サロ481形4両
- 仙台運転所→南福岡電車区(16両)
- クハ481形12両 クロ481形4両
- 仙台運転所→鹿児島運転所(14両)
- MM'ユニット7組14両
- 仙台運転所→向日町運転所(12両)
鹿児島への転属は中間車のみで、老朽化していたモハ481形・480形の取替がその目的であったと言われている。これらの転属車の受入れと引換えにモハ481形・480形ユニットは大量廃車が進み、翌年末には3ユニット6両のみが残存、1985年に全廃となった。
また、東北地区内では次のような転属が行われた。
- 青森運転所→仙台運転所(12両)
- MM'ユニット6組12両
- 青森運転所→秋田運転区(12両)
- クハ481形1000番台12両
- 秋田運転区→青森運転所(9両)
- 1000番台MM'ユニット3組6両 サロ481形1050番台3両
また、「ひたち」編成ではサシ→サハ置き換えのために九州から仙台に転属する車両もあった。
- 南福岡電車区→仙台運転所(3両)
- サハ481-112 - 114
さらに運転の終了した181系から、1978年製のサロ181形1100番台の485系化改造が行われるとともに、「あさま」増発用に485系から189系化改造された車両も誕生した。
- サロ181形→サロ481形改造(新潟運転所上沼垂支所→青森運転所、6両)
- サロ181-1101 - 1106→サロ481-1501 - 1506
- モハ485・484形→モハ189・188形改造(青森運転所→長野運転所、8両)
- モハ485-199・203 - 205→モハ189-501 - 504
- モハ484-301・305 - 307→モハ188-501 - 504
この広域転配によって、「白山」の食堂車復活や、向日町運転所でも485系が転属してきたことによって「雷鳥」を増発、および583系運用の一部を置き換え、九州地区の特急増発が行われた。
[編集] 分割民営化前・短編成化
1985年3月14日のダイヤ改正では東北・上越新幹線上野開業後も残存した「つばさ」1往復と「あいづ」、常磐特急「ひたち」、信越特急「あさま」「白山」、近距離運転の新特急を除き上野乗り入れが打ち切られたが、捻出された車両で他地区での増発を行った。また短編成化の推進によって不足する先頭車の確保も要求されたが、本系列はすでに製造が終了しており、これらには食堂車やグリーン車を含めた余剰車の再利用、つまり改造も含めた広域転配が行われることになった。
この改正での485系に関する動きは、次が焦点となる。
- 東北地区の特急列車運用の見直しと短編成化
- 「ひたち」を仙台受持から、勝田電車区へ移管。
- 「雷鳥」をはじめとする北陸特急からの食堂車の廃止と和式グリーン車「だんらん」(サロ481形500番台)の導入。
- 「くろしお」増発分に余剰車投入。
- 九州地区の短編成化と初期車の老朽化による置き換え
東北地区では車両の余剰化が激しく、今回の改正では編成替えのために向日町への転出と南福岡・鹿児島への転出が多数を占めることになる。また、「ひたち」は急行「ときわ」を全廃し格上げが行われる増発が図られることになるが、同時に仙台運転所から勝田電車区への移管となるための転属が行われる。増発用車両は青森と仙台の余剰車が充てられるが、同時にクハ481形を非ボンネット形からボンネット形への置き換えが行われ、九州地区から大量に初期車の転属が行われた。これは短編成化した際の座席確保の点から、改正後11両編成となる「ひたち」にボンネット車を充当させることで短編成車に非ボンネット車を充当させるのが目的で、引き換えに東北地区からはクハ481形200・300番台が軒並み向日町や九州地区に転属している。
- 九州地区から勝田電車区に転属したクハ481形
- 鹿児島所属車
- 1 - 13・15・16・18・20・34・36・38・40
- 南福岡所属車
- 14・17・19・22・24・31・32
- 鹿児島所属車
この移動は改正前の1984年から行われており、改正前に転属した1 - 4・8・9・12・14・15・17 - 19・22・36・40は一旦仙台所属となり、改正に合わせて勝田に再転属[注 63]という形を取っている。なお、この一連の移管により仙台運転所は配置がなくなった。
また、1000番台の東北地区から他地域転出が初めて行われ、青森運転所や秋田運転区からMM'ユニットのみだが、向日町運転所に転属が行われている。同時に1500番台のMM'ユニットも全車青森から向日町に転属したが、翌年全車が上沼垂に再転属している。
向日町ベースでは食堂車の廃止が行われ、サシ481形改造の和式グリーン車サロ481形500番台「だんらん」の連結、並びに編成替えと増発に必要な車両が青森、秋田、仙台から転入している。翌1986年3月に余剰となったサロ・サシ481形が廃車となったが、一部車両は分割民営化直前に車籍を復活している。
また気動車急行「きのくに」を置き換える形で「くろしお」を4往復増発することになったが、本来381系電車を投入すべきところを経費節減のために余剰化していた本系列を日根野電車区に投入し対処することになった[注 64]。
- モハ485・484形ユニット 青森運転所・仙台電車区から11組22両が転入
- モハ484形は車掌室装備の600番台。
- クハ481形200番台 南福岡電車区から11両が転入
- クハ480形11両
- 向日町運転所・金沢運転所所属のサハ481・489形を先頭車化改造し投入
紀勢本線は季節や区間によって乗客数の変動が大きいため、4両編成を2本つなぎ合わせて対応することになった。その際に不足する先頭車は付随車改造のクハ480形を充当、同時に4両と短編成のためMG・CPはクハ481形からの供給で充分と判断され、未搭載となっている。しかし、天王寺 - 新宮の所要時間は振り子式車両の381系と比べ1時間半ほど長く、従来の気動車急行列車と大差がなく苦情も多発したため、運用を見直し翌1986年11月1日のダイヤ改正で日根野から485系は撤退し、一部のクハ481形はクロハ481形に、クハ480形はMG・CPが搭載されクハ481形に改造され、福知山運転区に転属し「北近畿」に転用される車両[注 65]と九州地区に復帰する車両とに分けられた。
九州地区では1984年2月のダイヤ改正で増発を行ったが、短編成化による先頭車不足から、東北・上越新幹線開業による保留車をクハ481形に改造対応した。さらに本改正に向けて、モハ485形をクモハ485形に、サロ481形に運転台を取付けクロ480形にするなど短編成化改造を多数行っている。特にモハ485形→クモハ485形への改造は、定員数の問題からモハ484形200番台のユニットが充当されたために鹿児島運転所の初期車は南福岡車と交換が行われたほか、青森運転所からMM'ユニット9組18両が転入している。また、東北地区にボンネット形クハを大量供出した見返りに非ボンネットクハ16両が南福岡電車区に転入している。
この後、先頭車化改造や半室グリーン車のクロハ481形への改造が頻繁に行われるようになり、短編成化はさらに推進された。そして、国鉄分割民営化時に安定した承継と列車運行を前提とした国鉄最後のダイヤ改正が行われる。この改正では、分社化時のJR各社の車両運用や供給も考慮された車両転配が行われた。本系列に関しては、些細な転配を除くと次の点が目立った点である。
- 日本海縦貫線に関係する特急車両配置基地の見直しを行い、新潟運転所上沼垂支所を上沼垂運転区と独立させ、青森運転所、秋田運転区、向日町運転所から485系が転入。「雷鳥」「白鳥」「北越」の運用を担当することになった。
- 金沢運転所の489系は、200番台車を中心に27両が「あさま」用として長野運転所に転属。
こうして、483系8両、485系1,087両(付随車含む)、489系164両がJRに引継がれることとなった。
[編集] 国鉄分割・民営化後
2011年4月現在、335両がJR北海道・JR東日本・JR西日本の3社で営業運転を行っている。しかし、最も車齢の若い車両でも製造から30年以上を経ていることや後継車両の登場とアスベスト問題から[注 66]廃車が着実に進行中である。
現在、定期運用を持つのはJR東日本所属車のみであり、JR西日本、JR九州所属車は保留車と波動用車両のみとなっている。
[編集] JR北海道
所属車はないが、JR東日本青森車両センター所属車が「白鳥」(1988年3月13日 - 2002年11月30日は「はつかり」)で函館まで乗り入れている。かつては1000番台も投入されたが、現在では3000番台津軽海峡線走行対応編成で運転される。ただし、車両故障時には予備車が少ないために函館運輸所の789系による代走が行われるケースもある。JR北海道と東日本の乗務員交代は原則として蟹田で行われるが、一部列車は青森で行われる。
- 国鉄からの承継車
- 1500番台の北海道撤退後、サシ481-50とサロ481-37・41・47・60・63・94がJR北海道に承継され札幌運転所に配置された。
- サシ481-50は1987年3月27日に青森運転所から転入。当初は車籍抹消後レストランに転用するという計画もあったが、「北斗星」1往復(3号・4号)が季節運転から定期列車へ格上げされ食堂車組込が必要となり、1989年に苗穂工場でスシ24 508に改造された。2008年3月のダイヤ改正まで使用され同年4月30日付で廃車となった。
- サロ481形は、全車向日町運転所の所属車両で1986年3月31日にいったん廃車扱いとされ渡道。分割民営化直前の1987年3月6日に車籍復活したが、営業運転に使われることなく1990年に全車廃車となった。ジョイフルトレインの種車に使われるという計画もあったが、その真偽は不明。
[編集] JR東日本
JR中で最も多い461両が継承されたが、新幹線の開業や後継車両の導入により数を減らしていき、現在は保留車を含む226両が在籍。主に東北・上越新幹線との連絡特急列車や快速列車などのフィーダー輸送に充当されているケースが多い。また一部の車両は同社の客車によるジョイフルトレインを置換える改造がされた。
なお、JR西日本所属車も以前は大阪 - 青森時代の「白鳥」「雷鳥」「北越」などで乗り入れていたが、2010年3月13日のダイヤ改正で「能登」が廃止されて以降は団体専用の臨時列車を除き乗り入れは行われていない。
[編集] 青森車両センター(盛アオ)
2011年4月現在、A編成(6両)3本が特急「白鳥」、B編成(4両)3本が「つがる」・青い森鉄道線青森 - 浅虫温泉間快速列車1往復(5552M・5553M)の定期運用を担当。これらとは別に増結用MM'ユニット7組14両を含む3000番台44両が配置される。
1972年に配置が開始され、東北新幹線開業後は「はつかり」「いなほ」(南秋田運転所と共管)などの新幹線連絡特急に使用されたほか波動対応の編成や運用も多く、1992年には夜行急行「津軽」にも投入された。そのため首都圏乗り入れも考慮したATS-P形搭載車も在籍していた。1996年からはリニューアル改造車の3000番台が登場し、2010年12月3日までは6両編成(A編成)6本と増結用のMM'ユニット4組8両で「白鳥」「つがる」ならびに間合い運用の津軽線普通列車に投入された。
[編集] 秋田車両センター(秋アキ)
1975年の「つばさ」電車化で配置が開始され、東北新幹線盛岡開業後も「つばさ」「やまばと」の奥羽特急で上野乗り入れを続けるほか、「たざわ」「こまくさ」などの新幹線連絡特急も担当し、上野口では共通運用で「あいづ」にも投入された。しかし、東北新幹線上野開業時に「やまばと」が廃止。山形新幹線に伴う改軌工事で「つばさ」は仙山線経由で上野乗り入れを継続するも、山形新幹線開業時に廃止され上野口から撤退、さらに新庄延伸で「こまくさ」は快速格下げ。秋田新幹線開業では「たざわ」廃止、「いなほ」の上沼垂運転区移管など、新幹線によって運用を縮小され続けていた。
1999年12月以降は「かもしか」[注 67]のみの運用となり、3両編成が3本の計9両が在籍していたが、2010年12月4日のダイヤ改正で「かもしか」は「つがる」に吸収される発展的解消と青森車両センターに運用移管となったため定期運用が消滅。本センター所属車両は波動輸送対応で団体列車・臨時列車で運用[13]されていたが、2011年内に全車が長野総合車両センターへ廃車回送され、所属車は消滅した。
[編集] 仙台車両センター(仙セン)
磐越西線郡山 - 会津若松間の快速「あいづライナー」3往復に運用されている。
東北特急撤退後の1993年に特急「ビバあいづ」用編成が配置されたが、その後2回の編成の入れ替えが行われ、現在は2006年夏の臨時特急「あいづ・仙台あいづ」で登場した「あかべぇ」塗装をまとう6両編成1本(A1・A2編成)が所属している。2007年2月 - 3月には、千葉県勝浦市で行われた「かつうらビッグひな祭り」向けの臨時特急「かつうらひなまつり」号[注 68]に充当されたほか、同年夏には「この夏も会津へ2007キャンペーン」の一環として上野 - 喜多方の臨時特急「あいづ」に投入された[注 69]。 2011年春に郡山総合車両センターに入場し国鉄特急色に塗装変更を実施[14]、6月2日の「あいづライナー」より運用に復帰した[15]。
[編集] 新潟車両センター(新ニイ)
特急「いなほ」「北越」、快速「くびき野」のほか、新潟・上野地区のライナー列車、臨時急行「能登」の定期運用を担当。
2010年12月現在、111両が配置。現役車両の1/4強、JR東日本だけ見ても同社所属の半数が集結するJRグループ最大の485系配置基地となっており、同センターの運用の特徴として定期運用では秋田[注 70]・金沢・新井・上野・古河、さらにシーズンによっては大阪まで運転される広域運用を組んでいる[注 71]。
- T編成(T11 - 18編成 6両×8本 48両)
民営化後に自由席車両の全車簡易リクライニングシート化・指定席車両のシート交換とピッチ拡大・窓の大型化・グリーン車の3列シート化などを行ったグレードアップ編成が登場し、塗装も「上沼垂色」と呼ばれるものに変更された。のちに未工事車も同色に変更され、同センターの標準色ともいえる形になった。これらがT編成と呼ばれ、現在に継承されている。
- T11 - 17編成は上沼垂色。T18編成は2008年6月に旧国鉄色へ塗装変更[注 72]。
- R編成(R21 - 23・25 - 28編成 6両×7本 増結用モハ485・484-3086 44両)
1997年に登場したリニューアル改造の3000番台車による編成。
- R26・R27編成は、元々はサロ481形を組込んだ「はくたか」用9両のR1・2編成。2005年3月1日改正で681系・683系化されたため6両編成化を行い現編成となった。
- R28編成は、羽越本線脱線事故当該のR24編成補完として2006年に青森車両センターから転入の4両と増結用のMM'ユニットで組成された。
T・R編成は共通運用で「いなほ」「北越」「くびき野」快速「らくらくトレイン村上」などに充当されている。
- K編成(K1・2編成 6両×2本 12両)
以前は快速「ムーンライトえちご」・「フェアーウェイ」運用に投入されていたが、2010年3月13日のダイヤ改正以後はJR西日本金沢総合車両所より移管された臨時急行「能登」・「ホームライナー鴻巣3号・古河3号」・「北越3号・8号(「能登」運転日のみ)」に投入される[注 73][16]。
- 「能登」が運転されない日には、K1・K2編成のいずれかが尾久車両センターに常駐停泊となる。ただし、K編成が検査・故障などで投入できない場合はATS-P形・車内減光装置搭載のT18編成が第1予備。R26・R27編成が第2予備でいずれかが投入される[注 74]。
- ジョイフルトレイン(3両編成×1本 4両編成×1本 7両)
「NO.DO.KA」「きらきらうえつ」
その他、保留車としてVIP仕様で防弾対策などを備えたサロ489形1050番台2両が配置されていたが、2010年10月に廃車となった。
[編集] 小山車両センター(宮ヤマ)
ジョイフルトレイン「宴」(G4・5編成)「華」(G6・7編成)の6両編成2本と、東武日光線に直通運転する新宿 - 東武日光・鬼怒川温泉間の「日光」「きぬがわ」用6両編成(G55・58編成)1本が配置されている。本系列によって大手私鉄への直通運転が実現した。
G55・58編成は予備車がないため、検査や車両故障などの場合は列車名にも「スペーシア」の愛称を付け東武100系電車で代走、東武車も使用できない場合は大宮総合車両センター所属の189系・OM201編成「彩野」が投入されていた。2011年6月4日より「日光」「きぬがわ」は253系1000番台へ置換えとなり、本系列は定期運用を終了した[17]。
- 当初、2011年4月16日に253系1000番台への置換えと他センターへ転出が予定されていたが、前月に発生した東北地方太平洋沖地震の影響で列車そのものが運休となり[18]置換えも延期となった。4月29日から定期列車のみ運転再開となり、当初はゴールデンウィーク最終日の5月8日までの予定であったが[19]、その後も6月3日まで運転を継続した。
[編集] その他
- 勝田車両センター(水カツ)
- 1985年に仙台から「ひたち[注 75]」運用の移管で本系列配置基地となった以降、1992年から翌1993年までは「あいづ」の運用も担当。クハ481形初期車・483系MM'ユニット・各種改造車と所属車両のバリエーションにも富んでいたが、1998年のE653系投入で定期運用は消滅。ジョイフルトレイン「リゾートエクスプレスゆう」(K30編成)のみの配置となったが、波動輸送用として2002年に上沼垂から6両のT19編成が、翌2003年には仙台からビバあいづ編成のMM'ユニット1組を抜いた4両が転入[注 76]し、それぞれK60・K40編成となった。この2編成は、K60編成が2004年に、K40編成が2005年に「白イルカ」のニックネームを持つ同センターオリジナル塗装に塗り替えられ、現在でも主に「わくわく舞浜東京号」「ぶらり鎌倉号」などの臨時急行・快速列車や団体列車で運用されている。なお、K60編成は上沼垂時代にグレードアップ改造されたために客室窓拡大が施工されている。
- 長野総合車両センター(長ナノ)
- 1986年11月から「あさま」用の489系9両編成3本が在籍するも長野新幹線開業後の2000年までに全車廃車となった。しかし、2006年にジョイフルトレイン「浪漫」の後継として「彩(いろどり)」が配置された。
- 高崎車両センター(髙タカ)
- ジョイフルトレイン「リゾートやまどり」の6両編成1本、元「やまなみ」の先頭車2両の計8両が所属。
- 幕張車両センター(千マリ)
- ジョイフルトレイン「ニューなのはな」6両編成1本が所属。
全般検査は秋田総合車両センターが秋田・新潟所属車、長野総合車両センターが自センター所属の「彩(いろどり )」を担当。他の車両はすべて郡山総合車両センター[注 77]が担当する。
[編集] JR東海
国鉄時代から一貫して交直流電車の配置がない東海地区では、481系電車登場と共に「しらさぎ」で名古屋への乗り入れが開始され、1965年 - 1972年には「つばめ」も運転されたが、分割民営化以後はエリア内に交流電化区間ならびに承継車両はない。2003年までは、JR西日本所属車両が「しらさぎ」と間合い運用の「ホームライナー大垣・関ヶ原」で使用されていたが、683系電車に置き換えられ定期運用は消滅した。
近年まで日蓮正宗法華講連合会による金沢・糸魚川方面からの団体臨時列車として、JR西日本の485系・489系が東海道本線を経由して身延線富士宮駅まで乗り入れていたが、この列車も683系に置き換えられた。
[編集] JR西日本
435両が継承されたが、108両が183系電車に改造[注 78]。MM'ユニットの組換を頻繁に行ったのが同社の特徴である。1990年代後半からは681・683系の登場により急速に数を減らし、2011年3月のダイヤ改正により同社所属車の定期運用は消滅したが、JR東日本新潟車両センター所属車が「北越」「能登」で乗り入れる。同年10月現在で9両が在籍する[20]。
[編集] 京都総合運転所(近キト)
JR化後は「雷鳥」「北越」などの北陸特急を主に運用。1997年3月 - 2001年3月までは在来線電車特急として最長運転距離となる「白鳥」にも投入され青森まで運用されていたが、それ以降は「雷鳥」のみが定期運用となった。2011年3月12日のダイヤ改正で「雷鳥」は「サンダーバード」に統合されることになり、3月11日の「雷鳥33号」を最後に本系列での定期運用を終了。同年8月までに全車廃車となった[21]。
489系との混結や「シュプール号」などでの夜行運用に対応した客室減光装置を装備する編成も存在した。
同所は国鉄向日町運転所時代から本系列最初の配置車両基地であり、分割民営化後も北陸特急の運用形態の変更に伴う大きな編成変更を度々実施している。
- 1987年:分割民営化時
以下の編成が在籍。
| 京都総合運転所485系(1987年)[22] | ||||||||||
|
← 大阪
富山 →
|
||||||||||
| 10両 9本 |
クハ 481 |
モハ 484 |
モハ 485 |
サロ 481 |
サロ 481 (500) |
モハ 484 |
モハ 485 |
モハ 484 |
モハ 485 |
クハ 481 |
| 9両 13本 |
クハ 481 |
モハ 484 |
モハ 485 |
サロ 481 |
モハ 484 |
モハ 485 |
モハ 484 |
モハ 485 |
クハ 481 |
|
- 1989年:「スーパー雷鳥」運行開始に伴う一部運用の見直し
サロ481形500番台組込10両編成のうち3本を分割し18両が金沢運転所へ転出。残存編成は「だんらん」廃止により、号車にサロ481形組込9両編成に変更・統一。
- 「ゆぅトピア和倉」併結編成は密着連結器・ジャンパ連結器装備の制約からクハ481形200・300番台組込編成の限定運用であったが、運用効率化の観点から同年10月までに100番台にも併結対応改造を施工(詳細は前述)。
- 1991年3月・9月:「スーパー雷鳥」を含む金沢運転所担当列車増発に伴う転出
1990年10月より計19両が金沢運転所へ転出。
- 9両編成×15本
- 1991年度から1992年度にかけて以下の改造工事を施工。
- サロ481形の大阪側洗面所をカード式公衆電話室に改装。
- 各車の洗面所改良。
- A03・A05編成に夜行運用対応の客室減光装置を装備。
以下の編成に組成変更。
- 4号車サロ481形組込9両編成×9本。
- A02・A03・A06編成に客室減光装置を装備。583系との併結運用にも本編成が使用された。
- 多客期には一部編成に増結用MM'ユニット組込の11両編成[注 80]で運用。
その後、各編成の座席定員を統一するため、1999年迄に中間車を以下の様に編成を組み替え。
- 2・3号車及び7・8号車MM'ユニットは基本番台後期型に限定
- 5・6号車MM'ユニットは基本番台前期型・1000番台に限定
- 5号車のモハ484形業務用室は1999年9 - 11月に車販準備室に改造。
- 2001年3月3日のダイヤ改正に伴う増備
「スーパー雷鳥」が681・683系化されて消滅。大阪-青森間の「白鳥」が、「雷鳥」・「北越」・「いなほ」に分割されて廃止。
- 「雷鳥」は新潟発着列車が「雷鳥」・「北越」に分割され、ダイヤ改正前の9往復から10往復に増発。上沼垂運転区担当運用3往復が移管され、すべて当所での運用となった。
- 2001年2月22日に金沢総合車両所より「しらさぎ」「加越」用初代K編成のうちK25編成7両が転入。増結用予備MM'ユニットを組込みA10編成とし、4号車サロ481形組込9両編成×10本となった。
- この後に金沢総合車両所の「スーパー雷鳥」・「しらさぎ」で使用されていた車両が一部転入し、先頭車両をクハ481形100番台と交換する形で「雷鳥」編成に組込み。
- 2003年:「しらさぎ」「加越」への683系電車化による変更
クハ481形100番台・サロ481形は同年9月までに運用離脱 → 廃車も含め大規模な編成組替を実施[注 81]。金沢総合車両所より以下の車両が転入。
- 「しらさぎ」用車両…計25両
- クロ481形2000・2100番台…6両
- モハ485形500番台組込MM'ユニット…6組12両
- サハ481形500・600番台…7両
- 「加越」用車両…計5両
- クロ480形2300番台・クロ481形2300番台…4両
- クハ481形300番台…1両
不足するサハ481形は、モハ485形よりサハ481形700・750番台へ3両改造施工により落成させ、以下の組成変更を実施。
- 1号車=パノラマグリーン車(クロ481形2000・2100番台)組込9両編成×6本(A01 - A06編成[注 82])
- 2号車はCP搭載のモハ485形500番台
- 「雷鳥」4・5・9・12・17・30・31・38・41・48号に充当[注 83]
- 1号車=非パノラマグリーン車(クロ480形2300番台・クロ481形2300番台)組込9両編成×4本(A07 - A10編成[注 84])
- 3号車のトイレ・洗面所撤去を施工
- 「雷鳥」8・13・16・34・37・47号に充当
- 予備編成が無いためパノラマ編成が充当される場合があった。
さらに各編成の座席定員を統一するため中間車は以下の車両で編成組成となった。
- 2 - 4号車は金沢総合車両所より転属のグレードアップ車を充当
- 3号車=モハ484形は車掌室装備600番台・1000番台に限定
- 5・6号車MM'ユニットは基本番台前期型・1000番台に限定
- 6号車のモハ484形は90を除いて1999年9 - 11月に業務用室→車販準備室改造施工。90も転入後に改造施工。
- 7・8号車MM'ユニットは基本番台後期形に限定
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- 2009年10月1日:「雷鳥」5往復減便による変更
パノラマグリーン車を連結していないA07 - A09編成が定期運用から離脱することになり、残存編成間で一部車両交換を実施。
- クハ489-604:A07 → A04編成
- クハ489-704・モハ485・484-1003:A08 → A10編成
- モハ485・484-80:A08 → A06編成
- モハ485・484-76・サハ481-702:A09 → A01編成
離脱編成は4 - 6号車のサハ481形+MM'ユニット1組を廃車とし、残存した6両が2009年9月から12月にかけて183系に改造され福知山電車区に転出[23][24][25]。
- 2010年3月13日:「雷鳥」定期列車1往復化による変更
定期運用が「雷鳥8・33号」のみとなり、編成も9両からサハ481形+MM'ユニット1組をカットした6両に減車。ただし多客期には「雷鳥」もサハ481形+MM'ユニットを増結した9両で運用されるケースも発生したため、各編成の組成両数固定化は未実施[26]。
A02・A10編成は運用離脱しその後廃車。A05編成は同年夏の多客期輸送終了後に、A04編成は2011年に運用離脱となり廃車となった。
- 2011年3月12日:「雷鳥」廃止による定期運用終了
同年3月27日運転の団体臨時列車を最後に運用離脱。順次吹田工場へ廃車回送を実施。同年8月までに全車が廃車となった。
[編集] 金沢総合車両所(金サワ)
2011年10月現在では489系9両のH01編成のみが在籍。北陸本線系統特急列車の異常時代走や波動輸送で運用されている。
| 金沢総合車両所H01編成 | ||||||||
|
← 大阪
新潟・越後湯沢 →
|
||||||||
| クハ489 -501 |
モハ488 -4 |
モハ489 -4 |
サロ489 -23 |
モハ488 -204 |
モハ489 -19 |
モハ488 -6 |
モハ489 -6 |
クハ489 -1 |
同所所属車両の特徴として、2002年までに所属編成が「白山色」から旧国鉄色(雨樋はオリジナルと異なりクリーム4号)に塗替えられ、現在では唯一残るボンネット形クハを両端に連結している。このため山陽本線でリバイバル列車にも投入された実績がある。また後述する定期運用の関係からATS-P形・デジタル列車無線機・夜行運用対応客室減光装置を搭載するため、臨時「はくたか」や京葉線直通団体列車(通称・舞浜臨)の波動運用にも投入される。
2010年3月13日のダイヤ改正で定期運用であった上越線・北陸本線経由急行「能登」と間合い運用となる「ホームライナー鴻巣3号・古河3号」が、「能登」臨時列車化とJR東日本新潟車両センターへの運用移管によりH02・H03編成が以下の経緯で廃車となった。
- H02編成…定期最終上り「能登」充当後に返却回送を兼ねた団体臨時列車「リバイバルとき」に投入。さらに吹田工場へ回送されて同年5月20日付で廃車。
- H03編成…定期最終下り「能登」充当後に松任本所へ回送さて同年9月30日付で廃車。
かつては485系も大量に配置されており様々な形態の編成が在籍していた。
- 「しらさぎ」「加越」用(初代K編成) 7両・3両編成 1988年 - 2001年
4号車のサロ481形、京都総合運転所から転属してきたクハ481形100番台と以前より同所所属のクハ489形を中心に組成された旧国鉄色編成。
1997年からは「スーパー雷鳥」から転用のクモハ485形200番台を組込んだ増結用3両のK11 - 13編成が登場し、以下の編成に区分された。
- 米原方先頭車のクハ481形200番台に電気連結器を装備し、3両付属編成と連結可能としたK0番台
- K0番台+K10番台編成で組成された7+3の10両編成の運用が可能。
- 米原方先頭車が非貫通型で電気連結器未装備のK20番台
- 運用離脱までクハ481形100番台を中心に組成されたが、K27編成はK0番台編成予備のため例外的にクハ489形600番台に電気連結器を装備。
- 「かがやき」「きらめき」用(S編成) ハイグレード車6両編成(登場当初は4両編成) 1988年 - 1996年
「かがやき色」と呼ばれる専用塗装。金沢方にクロ480-2301・クロ481-2201・2300番台を連結。
- 「はくたか」用(V編成) ハイグレード車8両編成 1996年 - 2002年
当初は「かがやき」「きらめき」でも運用された。ATS-P形取付とともに塗装変更が行われた。
- 現行の福知山所183系の塗装と酷似するが、福知山車との相違点は地色が灰色な点。
金沢寄り先頭車両はクロ481形2300番台を連結する。
| 「はくたか」用V編成 | |||||||
|
← 金沢
越後湯沢 →
|
|||||||
| クロ 481 |
モハ 484 |
モハ 485 |
モハ 484 |
モハ 485 |
モハ 484 |
モハ 485 |
クハ 481 |
- 「スーパー雷鳥」用(R編成) ハイグレード車10両(当初は7両)編成 1989年 - 2001年
大阪方先頭車にクロ481形2000・2100番台を連結し、2号車にサロ481形2000番台を組込んたデラックス編成。
- 1989年3月の登場時は7両編成×3本、1990年3月のダイヤ改正にて9両編成に増結。
- 1991年9月ダイヤ改正では3編成を増備。さらに七尾線和倉電化に伴う乗入れを行うことから、分割運用可能な7+3両編成×6本に組替となり、7号車=クハ481形200番台・8号車=クモハ485形200番台を組込。
- 七尾線乗入れ時は付属編成を金沢で分割し、基本編成のみ入線。
- 1997年10月ダイヤ改正時で3編成は7号車=サハ481形500番台・8号車=モハ485形にそれぞれ差替えられ10両固定編成となった。そのため、七尾線乗入れ編成は分割編成限定運用となった。
- 「しらさぎ」用(Y編成) ハイグレード車7・10両編成 2001年 - 2003年
青とオレンジのラインが入る通称「あおさぎ色」[要出典]
- Y01 - Y04編成…付属編成併結可能7両編成
- Y11 - Y13編成…付属3両編成
- Y21 - Y23編成…7両固定編成
- 富山方にY22編成はクロ481-2101、Y23編成はクロ481-2351、他編成はクロ481形2000番台を連結。
| 「しらさぎ」用Y編成 | ||||||||||
| 編成 |
← 米原
富山・名古屋 →
|
|||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| Y01 - Y04 Y21 - Y23 |
クハ 481 |
モハ 484 |
モハ 485 |
サハ 481 |
モハ 484 |
モハ 485 |
クロ 481 |
|||
| Y11 - Y13 | クハ 481 |
モハ 484 |
クモハ 485 |
|||||||
- 「加越」「北越」用(O編成) 6両編成 1988年 - 2001年
米原方にクロ480形1000番台を連結。
- O02編成には、前述のH編成・初代K編成以外で唯一のボンネット車クハ481-112を連結。
- 1991年に京都総合運転所から転入の「ゆぅトピア和倉」併結対応改造施工車。
- 「加越」用(2代目K編成) 4・6両編成 2001年 - 2003年
O編成とV編成の余剰車をベースに組成した旧国鉄色で金沢方にクロ481形2200・2300番台を連結する。
- K1 - K3編成…4両編成
- K4 - K6編成…K1 - K3編成用増結MM'ユニット
- K11 - K13編成…6両編成
- 共通予備編成(Y31 - Y33編成) 7両編成 2001年 - 2005年
サロ481形組込の元K編成。
- Y31 - Y32編成は波動輸送対応編成。
- Y33編成は増結用MM'ユニットでH04編成に組込んで「はくたか」や「能登」運用にも充当された。
- 当編成の廃車により金沢から485系の配置が無くなった。
[編集] JR四国
電化区間が1986年まで存在せず、1988年まで瀬戸大橋が開通していなかったこともあり国鉄時代から四国への入線はなかったが、2001年5月12日・13日に高松駅再開発事業で完成した施設「サンポート高松」の名称をそのまま列車名に使用した大阪 - 高松の臨時急行で初入線している。なお、電化区間であっても予讃線箕浦以西は狭小トンネルのため入線不可となっている。
[編集] JR九州
JR化後は南福岡・鹿児島に続き、大分鉄道事業部大分車両センターにも配属された。また下関発着の「にちりん」が廃止されたため、直流区間専用の機器を撤去して交流専用車となった。
1989年 - 1992年には「有明」がキハ183系1000番台「オランダ村特急」と世界初の気動車との動力協調運転を行ったが、783系以降の新型特急電車の台頭に伴い充当列車も徐々に減少していく。1992年の「つばめ」への787系投入により鹿児島本線熊本以南から、1994年には「有明」の783系統一により同線鳥栖以南から姿を消した。民営化前から初期車を中心に、1995年からは改修車にも廃車が始まり、サロ481形およびボンネット車は全廃となった。
その一方で、1992年に登場した「ハウステンボス」、1995年に「にちりん」を系統分割した「きりしま」へ、1997年には博多 - 大分間の「にちりん」から改称された「ソニック」に大分区への入出庫を兼ねた1往復へ充当された。博多 - 肥前山口間では「かもめ」「みどり」「ハウステンボス」の3列車を併結し[注 85]、旅客列車としては九州最長の13両編成で運転された[注 86]。
2000年3月には885系「白いかもめ」の登場と「みどり」「ハウステンボス」が783系に統一されたことで、「かもめ」「みどり」「ハウステンボス」の全列車から撤退し長崎本線・佐世保線の定期列車から姿を消した。
一方、この改正ではこれらの車両を「にちりん」から系統分割した「ひゅうが」に投入[注 87]。翌2001年3月には885系「白いソニック」の投入と博多乗入れ「にちりん」への783系充当・「にちりんシーガイア」「ドリームにちりん」集約により博多乗入れが終了。この運用の大幅な縮小により2年間で106両が一気に廃車され、消滅した形式・区分番台も発生。また、2004年2月には南福岡への配置もなくなった。
その後は「にちりん」「きりしま」「ひゅうが」などで運用されたが、2011年3月12日のダイヤ改正で転属してきた783系、787系などに置換えられ、定期運用は終了となった [27][注 88]。2011年4月現在、17編成73両が在籍しているが、国鉄色に復元された2編成8両が臨時・団体用列車として運用されている以外はすべて保留車となっている。
[編集] 大分鉄道事業部大分車両センター(分オイ)
Do2 - 7(3両)・Do31・32編成(5両)・増結用MM'ユニット3組6両の計37両を配置。鹿児島からの転入車で多客期にはMM'ユニットを増結する。2011年3月11日をもってK&H色の編成は運用終了。今後は旧国鉄色のDo2・32編成波動運用に対応する。
- Do32編成は、RED EXPRESS保留車をリニューアルした旧Dk9編成がベースで2010年8月にKIRISHIMA EXPRESS色から国鉄色に変更。同年12月に鹿児島から転入し、増結用MM'ユニットのモハ485-196+モハ484-298を組込んだ編成。転入後は『485系さよなら企画』の一環で「にちりん」「きりしま」で運用された[28]。
以下は直前までの運用についての解説。
- 「にちりん」「ひゅうが」「きりしま」(宮崎発着列車のみ)「みどり」(有田陶器市臨時のみ。現在は設定なし)「ホームライナー4号」、宮崎 - 都城の「さわやかライナー/ホームライナー」のほか宮崎・南宮崎 - 宮崎空港間普通列車で運用。
また、h24.1・21・1.22に「国鉄色485系で行く!日豊本線開業100周年の撮り旅号で別府駅~宮崎駅と宮崎駅~牧駅の間で復活運転された。
[編集] 鹿児島総合車両所(本カコ)
Dk8・10編成(3両)・Dk11 - 16編成(5両編成)の計36両が配置されていたが、2011年3月11日をもって運用終了。以下は直前までの運用についての解説。
- Dk8・10編成は、国分・霧島神宮発着の「きりしま81~92号」・鹿児島本線の「さわやかライナー/ホームライナー」を中心に運用される。
- Dk10編成は大分のDo21編成からMM'ユニット2組を外した編成。クハ481-213は現在クハで唯一のRED EXPRESS色。
- Dk11 - 16編成[注 89]は「にちりん」「きりしま」「さわやかライナー3号」「ホームライナー2号」、宮崎・南宮崎 - 宮崎空港間普通列車に充当。
[編集] その他のエピソード
- 国鉄時代に大量に増備され、日本各地で特急列車に広く用いられたが、2010年現在三重県・鳥取県・島根県・愛媛県とJRの電化区間が存在しない徳島県・高知県および普通鉄道のない沖縄県の7県では走行実績がない。また神奈川県・静岡県・奈良県・香川県は定期列車での入線はなく、すべて臨時列車もしくは回送など非営業列車によるもの。山梨県はクハ481-10[注 90]とJR東日本のジョイフルトレインによる入線のみである。
- JR化後には列車別・基地別に様々な塗装が登場したことで、転属直後や貸出・運用変更。故障などで予備車を連結した際など混色編成になることも多くなった。上沼垂運転区のT編成に「ひたち色」のMM'ユニットが組込まれたり、「シュプール号」で京都総合運転所の583系電車との併結運転[注 91]や旧国鉄色のMM'ユニット組込みが好例。また、北陸地区での103系USJ色の車両展示のために電源車として使用されたこともある。これらを撮影するファンも多く、鉄道趣味雑誌などでもその写真が掲載された。本系列の運用が減った現在ではそのような光景が実現することは極めて稀である。
- 富山地方鉄道の所有する16010形と10030形の一部がJR九州の廃車発生品である制御装置・台車・主電動機を再利用している。同社はかつて「スーパー雷鳥」で本系列や急行「立山」などで457・475系の乗り入れ実績があるために扱いに慣れているという理由で廃車発生品を導入した。
[編集] デザインの酷似した日本国外の鉄道車両
- オランダ鉄道のICM型電車の先頭車は、クハ481形200番台に似た貫通型先頭車となっているため「オランダの485系電車」と言われることもある。
- 韓国鉄道庁(現・韓国鉄道公社)が、ムグンファ号用車両として製造した9900系電車は、本系列をモデルにしたとされている。
[編集] 脚注
- ^ 一部車両の座席はキハ58系ジョイフルトレイン「らくだ号」に転用された。
- ^ 「つばさ」盛岡編成から独立させ別愛称への変更。
- ^ JR東日本のジョイフルトレイン改造車には485形・484形の付随車も登場している。
- ^ 1968年の「カネミ油症事件」をきっかけに1972年の生産・使用の中止等の行政指導を経て、1974年に製造および輸入が原則禁止された。
- ^ MM'ユニット62 - 96、クハ481-105 - 126、サハ481-14、サロ481-36 - 51、サシ481-29 - 39が該当。
- ^ 九州地区配置車両は、後に配属される500・600番台の各1両ずつを除き全て省略されている。
- ^ 後に101もボンネットに移設。
- ^ 123・124は書類上は向日町配置のまま1973年2月まで青森に長期貸し出しという経歴がある。
- ^ スカートはクリーム1色が正式であるが、109は60Hz用赤スカート塗装で落成。1972年5月青森運転所に配置され、同年9月には向日町に転属した。
- ^ 101は仙台から向日町に転属する間に書類上のみではあるが1985年3月14日 - 3月22日の9日間だけ勝田電車区に所属した珍しい経歴を持つ。
- ^ クハ481-227・305・318・321 - 323・343・クハ489-303・703と交換。
- ^ 改造後の車両は、16がクハ183-851として福知山運転所電車センターで現存。
- ^ 車両側には装置及び汚物タンクが設置されたものの、当時は地上側の処理施設の整備が遅れていたため、地上設備が完成するまでは配管をタンクに接続せず、流し管を別に設けてそのまま線路上に汚物を垂れ流す方法がとられた。
- ^ 国鉄時代唯一の正面貫通路使用例。
- ^ 冬期は屈指の豪雪地帯である奥羽本線は列車が遅延することも多く、分割・併合運用では他列車への影響も問題視されたためとも言われている。
- ^ JR東日本承継車は民営化直前に向日町から上沼垂へ転属した258・260・261の3両のみであり、このグループは転属が多く新製から同一基地所属のまま廃車になったのは253のみである。
- ^ クハ481-204は分割民営化直前の1987年2月にクロハ481-214へ改造され、JR西日本に承継。1990年6月にはクロハ183-801へ再改造され、その後も福知山運転所(現・福知山電車区)のB41編成に組み込まれている。本車は踏切事故復旧時に前面貫通扉を埋込んでいるが、スカートには電気連結器装着時代の痕跡が確認できる。
- ^ 分割民営化後に西日本・九州所属車の一部に電気連結器・自動解結装置を装着した車両が登場した。
- ^ 4両が1990年にモハ182形800番台に改造。
- ^ 1975年製で「つばさ」485系化名義で製造。仕様変更は当初から1000番台改造を前提にしたものである。
- ^ この2両は向日町から1986年に青森へ転属。1988年3月に「たざわ」の多客期増結用として南秋田運転所に再転属。1989年3月に勝田電車区に再々転属し「ひたち」で運用と常に動きを共にした。
- ^ 投入理由は、13両編成による限定運用のため。方向幕は札幌配置前提の物が搭載されていたために前面側面共に「白鳥」関係のコマがなく、ステッカーで対応。
- ^ 当初は7月1日からの予定であったが、労使紛争の縺れによるストライキのために18日からの運転と変更になった。
- ^ 当初はノンストップ急行「さちかぜ」の愛称を引き継ぐ予定だったが、増収対策の格上げを避けるため「いしかり」に変更された。
- ^ 車両故障が発生した際にED76形500番台やDD51形による牽引を行うための交換
- ^ 次駅までの短い時間で凍結したため、停車駅では、駅員がドアに大型のやかんで湯をかけ溶かしていた。
- ^ 後年、改造で方向転換を行った車両もある。
- ^ これは将来のモノクラス化を想定したものであった。
- ^ ヨハン・シュトラウス2世「美しく青きドナウ」、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」、アントニオ・ヴィヴァルディ「春」、フェリックス・メンデルスゾーン「春の歌」など。
- ^ 青森での改造は中間車のMM'ユニットのみで最終の塗装行程は土崎工場で行っている。
- ^ このためクロハ481-3021・クハ481-3005が組み込まれたA8編成は、「つがる」運用限定で「白鳥」には投入されない。
- ^ 1971年7月、本来の使用目的である「白山」運転開始の8か月前に11両編成2本が向日町運転所に配置された。夏期臨時列車への充当目的もあったため向日町所の485系と共通の編成で落成し、定期運用にも組込まれ九州地区での運転も確認されている。さらに、EF63形との協調運転テストを行い年末にはスキー臨時列車である「あさま銀嶺」で実戦投入のリハーサルとも言うべき横軽区間での営業運転が行われた。翌1972年に3編成がサハ489形組込の12両編成で落成したが、先行2編成分のサハ追加新製は1両のみで不足分はサハ481形から2両の改造が予定された。しかも、改造は「白山」運転開始から8か月経った1972年11月であり、また同年の10月 - 11月に200番台3編成が落成するもののサハ489形の新造車は翌1973年3月の金沢運転所に初めて新製配置された2編成の追加までなかった。つまり、編成数に対応したサハ489形は常に1 - 2両足りない状態であり、7月にサハを2両製造して辻褄が合うことになった。これには向日町の485系も車両不足気味で、11両編成の489系も共通予備車として運用が組み込まれていたこともあり、金沢への転属が概ね1973年9月までに完了した後も1編成だけ残された。最後の編成が金沢に転属したのは、純増備の485系(クハ481形300番台の初落成車)が向日町に配属されるを受けた後の1974年4月であった。
- ^ うち4両は181系・485系からの改造車
- ^ 1974年から1976年頃にかけてクハ489-503のスカートが本来のクリーム4号ではなく、クハ181形同様グレーに塗られていた時期がある。
- ^ 初期車は解放テコ部分を切り欠いた連結器カバーを装着して落成しており、製造直後や21世紀になってからのリバイバルトレインでも装着されて運用された実績がある。
- ^ 種車は全車汽車製造が製造。
- ^ 展望の為シートのヘッドレスト部分が小型化されるなど、以後のJR西日本における特急電車のパノラマ型展望車の基礎となった。
- ^ 1050番台車は車販準備室、1000番台車は乗務員室の位置にある
- ^ 181系時代はサボ受が存置された以外は、サロ481・489形1000番台と外観上の大きな違いない。
- ^ この時点でまだサボ受が残る車両もあった。
- ^ 横軽区間用KE64形ジャンパ連結器も残存。
- ^ 大きな表示幕の為、巻上げ時に時々引っかかる欠点もあった。
- ^ JR化後「ひたち」で運用されていた勝田配置車両が、イベントで展示された際に表示された事がある。
- ^ 後に「ゴールデンエクスプレスアストル」や「シュプール&リゾート」でもこの機能が発揮された。
- ^ 前面のみが片渡りで、後部側は従来からの両渡りのままのため、併結運転は不可能になるが方向転換は可能である。
- ^ 2009年4月現在での現存車は、新潟車両センターT17編成のクハ481-332のみ。
- ^ ユニットを組成していたモハ484形は廃車。
- ^ 303には種車の車販準備室が残っていた。
- ^ 600番台・700番台・751も金沢総合車両所で改造。
- ^ これは189系のサロ189形でMGとCP双方を装備する100番台の他、0番台についてもCPを装備することにフィードパックされている。
- ^ クロハ481-1014より復元
- ^ クロハ481-1013より復元
- ^ どちらもクハ481形は481系時代に向日町運転所と483系時代に仙台運転所に新製配置された車両で、電動車も1972年製造の青森→勝田と同じ経歴を持つユニットで組成された。
- ^ 名鉄パノラマカーや小田急ロマンスカーのような完全な2階建てではない。
- ^ 2005年に廃車されたクハ481-17から移植。
- ^ ただし夏期繁忙期の7月19日 - 9月24日までは増発用早期落成MM'ユニットを仙台方クハ481形の次位に組込み11両編成での運転を実施。
- ^ ただし1往復は583系を充当
- ^ キハ80系の広域転配の関係から9月27日に実施。
- ^ 下関 - 門司間はEF30形交直流電気機関車、門司 - 博多間はED73形交流電気機関車で牽引、電源車としてサヤ420形を連結して車内電源を確保していた。
- ^ 書類上は南福岡電車区に配置されたものの同所では使用されず秋田運転区に転属している。
- ^ 撤去形態は碍子のみ残す物や完全撤去など様々であった。
- ^ 先頭部同士での連結ができないこともあり回送経路は複雑な動きを要求された。
- ^ 20・22・24も3両は1982年に仙台から九州地区に一旦転属しており、再び東日本エリアに出戻る形となった。
- ^ 自社保有の気動車で「きのくに」に連結して乗り入れを行っていた南海電気鉄道は、置き換え用に本系列の購入を検討していることが1982年に全国紙の関西版で報じられたが、結局実現せずに乗り入れを取りやめた。
- ^ その後全車が他区所へ転出か、交流機器を撤去または使用停止にして183系電車に改造されたために485系としての配置は既にない。
- ^ 本系列はすべてアスベストを使用しており、JR東日本は未撤去車両を全廃した。
- ^ 秋田支社管内(主に奥羽本線)で臨時快速に投入されるケースもあった。また2007年2月12日には青森車両センター所属車が不足したため、秋田から回送し臨時特急「つがる」2往復に充当された。
- ^ 高尾 - 安房鴨川の運転のため充当期間中は幕張車両センターに貸し出し名義となる。なお、2008年以降は幕張所属の183系や松本車両センター所属のE257系0番台が投入されている。
- ^ この際に「あいづライナー」は同センターの583系で運行されている。2008年以降も夏期に臨時特急「あいづ」として投入されている。
- ^ 2010年12月4日の東北新幹線八戸 - 新青森間延伸開業に伴うダイヤ改正以前は「いなほ」運用で青森まで運用されていたが、秋田 - 青森間の昼行特急列車を「つがる」に統一したため秋田までの運用となった。
- ^ 2004年10月27日 - 11月28日には10月23日に発生した新潟県中越地震の影響で上越新幹線越後湯沢 - 新潟間が不通になり、長野新幹線への乗り継ぎを図るため新潟から越後線・信越本線経由の臨時快速列車に充当され特急「みのり」廃止以来久々に長野まで運用された。
- ^ ただし、側面の車両番号はステンレス切抜き文字ではなく、白色のステッカー貼付による。
- ^ 「ムーンライトえちご」は首都圏配置の183系に移管となり主に大宮総合車両センター常駐で幕張車両センター所属のマリ31・32編成が投入される。
- ^ 「ムーンライトえちご」が定期運行されていた時期は首都圏側停泊中に車両故障が発生すると、予備車を新潟から回送させるかあるいは運休させるしかなかった。2007年2月2日下り「ムーンライトえちご」に充当予定のT18編成が大宮総合車両センター車両検査科東大宮センターから回送中に車両故障を起こした際には、急遽同センターのOM102編成(183系1000番台)を投入し代走させた。なお、この編成はモノクラスのため本来グリーン車利用客に対してグリーン料金の払戻しとグレードアップ車である3号車の同番号席に、3号車の指定券を持っていた乗客は1号車の同番号席への振替が行われた。
- ^ 1991年には、非電化の鹿島臨海鉄道大洗までディーゼル機関車牽引で乗り入れる夏季臨時特急「ビーチイン大洗ひたち」の運転が計画されたが、同年5月14日に発生した信楽高原鐵道列車衝突事故により、「不測の事態への対応がしにくい」等の理由により、数度の試運転を実施したのみで、営業運転は実施されなかった。
- ^ ビバあいづ投入前は、勝田所属であったため出戻り転属でもある
- ^ 青森車両センター所属車の回送ルートは青森 - (奥羽本線)- 秋田 - (羽越本線) - 新津 - (信越本線) - 宮内 - (上越線) - 高崎 - (高崎線) - 大宮 - (東北本線) - 田端信号場 - (田端貨物線) - 三河島 - (常磐線) - 馬橋 - (武蔵野貨物支線) - 南流山 - (武蔵野線) - 武蔵浦和 - (武蔵野貨物支線) - 与野 - (東北本線) - 郡山となる経路をとる。これは東北本線青森 - 盛岡間を青い森鉄道・IGRいわて銀河鉄道経由とすると線路使用料が発生するためで倍以上の回り道となっても費用削減が可能なため。また、入出場の際は同センター所属の双頭型両用連結器を装備したEF81 134・136・139・141のいずれかに牽引される無動力回送となっている。これは青森車がATS-P形を搭載していないためで、田端信号場駅を経由するのは方転・機回しの手間を省くためである。
- ^ 183系200・700・800番台への改造車は福知山電車区に配置され、特急網「北近畿ビッグXネットワーク」で運用されている。
- ^ 金沢総合車両所からの転入車もある。
- ^ 3号車 - 4号車に増結したため、グリーン車は4号車→6号車に変更。
- ^ 定期運用は9月20日にA08編成のクハ481-120が、臨時運用では同月20・21日の「懐かしの雷鳥」投入のクハ481-101・103・サロ481形3両を組込んだ11両編成が最終運行。
- ^ 編成組替当初はA02・A05 - A07・A09・A10編成。
- ^ 運転開始時は4・13・17・34・47・48号に充当。
- ^ 編成組替当初はA01・A03・A04・A08編成。
- ^ 「かもめ」5両、「みどり」「ハウステンボス」はそれぞれ4両。
- ^ 2011年3月改正までは783系も同様に13両編成を組んでいた。
- ^ 「きりしま&ひゅうが塗装」が登場する12月までは暫定措置として一切のレタリングなどを隠して運行。
- ^ ただし、787系の転属措置と運用の都合から改正当日の一部列車は鹿児島総合車両所の本系列5両編成で運転された。
- ^ Dk12編成は、2006年9月17日に発生したJR日豊本線脱線転覆事故により被災したが、同年12月に、復旧したクロハ481-4と大分車両センターの波動用MM'ユニットを組込み運用に復帰した。
- ^ ボンネットの一部を欠き取りビデオカメラを設置して「シミュレーター用映像撮影車」としてJR東日本管内各地を走行。中央本線・篠ノ井線入線に際し屋根上前灯の撤去をし189系に連結されての走行となった。- 出展元:『鉄道ファン』交友社 1990年2月号(№346)p108
- ^ 北陸トンネルでの防災対策のため583系としては営業列車で唯一の先頭貫通路使用例。
[編集] 出典
- ^ 本州復帰時に標準品のDT32E・TR69H形に交換
- ^ ドア挟み防止センサー内蔵
- ^ 増結用MM'ユニットの数組は転属または廃車予定である。 - 出展元:『レイルマガジン』2011年2月号より。
- ^ 「485系R27編成の「はくたかエンブレム」が消える」交友社『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース 2011年6月21日
- ^ このため車両検査時に横軽対策車を示す車号表示前に付く「●」マークを省略した車両も存在する。
- ^ 但し食堂車時代の食堂部分
- ^ サシ481形時代の調理室車端部寄りの一角。
- ^ サシ481形時代の業務用扉から車内に向かって左側
- ^ ただしクハ481形200番台と同様に貫通幌を外付けで取付けることは可能だが、この場合は必然的に貫通幌が剥き出しの状態となるもののこのケースでの営業運転実績は無い。
- ^ 後に日光・きぬがわ用へ転用改造することを前提としていたため。
- ^ "485系Dk9編成が国鉄色に”. 交友社 railf.jp (2010年8月8日). 2010年8月9日閲覧。
- ^ 504 - 506の食堂定員は当初40名であったが、後に他車同様の28名に変更。
- ^ “つがる”51号に「かもしか」色の485系 - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp 2010年12月13日
- ^ “485系「あかべぇ」編成が国鉄特急色に”. 交友社『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース (2011年6月3日). 2011年6月6日閲覧。
- ^ “快速“あいづライナー”,485系国鉄色編成で運転開始”. 交友社『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース (2011年6月5日). 2011年6月6日閲覧。
- ^ 「“ムーンライトえちご”,183系で運転」交友社『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース 2010年3月20日
- ^ 新車両が4日運行開始 JR・東武直通特急 記念品プレゼントも - 下野新聞 2011年5月26日
- ^ 253系1000番代 〈日光〉〈きぬがわ〉への導入延期 - ネコ・パブリッシング『鉄道ホビダス』最新鉄道情報、2011年3月24日
- ^ JR・東武直通特急 ゴールデンウィーク期間中は定期列車のみ運転 - ネコ・パブリッシング『鉄道ホビダス』最新鉄道情報 2011年4月13日
- ^ 『JR電車編成表』2012冬 ジェー・アール・アール 交通新聞社 2011年 p.137 ISBN 9784330256115
- ^ 『JR電車編成表』2012冬 ジェー・アール・アール 交通新聞社 2011年 p.358 ISBN 9784330256115
- ^ 『鉄道ピクトリアル 2011年4月号』 電汽車研究会、2011年、p.74。
- ^ “485系もとA07編成,183系となり福知山へ”. 交友社 railf.jp (2009年10月18日). 2010年3月11日閲覧。
- ^ “もと“雷鳥”用485系が“北近畿”用183系に”. 交友社 railf.jp (2009年12月14日). 2010年3月11日閲覧。
- ^ 『JR電車編成表 2010夏』 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2010年、p.182。ISBN 9784330143101。
- ^ 『Rail Magazine』327号(2010年12月号)、ネコ・パブリッシング
- ^ JR九州H23ダイヤ改正プレスリリース 2010年12月17日 (PDF)
- ^ 485系国鉄色5連が“にちりん”で小倉へ - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp 2010年12月30日
[編集] 参考文献
『鉄道ファン』
- 1978年10月号 No.210「交直流特急電車PART.1」
- 1978年11月号 No.211「交直流特急電車PART.2」
- 1983年3月号 No.263「電車の引越し大作戦」
- 1985年4月号 No.288「485系20年」
- 1985年11月号 No.295「がんばれボンネット特急」
- 1987年4月号 No.312「485系とその一族」
- 1989年5月号 No.337「新車ガイド JR西日本"スーパー雷鳥"用485系」
- 1990年12月号 No.354「新車ガイド シルフィード登場」
- 1991年6月号 No.362「新車ガイド RESORT EXPRESS ゆう」
- 1992年3月号 No.371「485系特急形電車」
- 1992年7月号 No.375「惜別485系“つばさ”」
- 1994年8月号 No.400「新車ガイド JR東日本485系お座敷電車『宴』」
- 1996年6月号 No.422「新車ガイド JR東日本485系3000番台」
- 1997年2月号 No.430「ボンネットSTYLE」
- 1997年7月号 No.435「新車ガイド JR東日本485系お座敷電車『華』」
- 1998年4月号 No.444「新車ガイド JR東日本485系『ニューなのはな』」
- 1998年10月号 No.450「今どきの485系」
- 1999年7月号 No.459「新車ガイド JR東日本485系お座敷電車『やまなみ』」
- 2000年8月号 No.472「特集:食堂・オープンスペース」・・・サロ481-2000末期ラウンジの姿が掲載。
- 2001年6月号 No.482「新車ガイド JR東日本485系お座敷電車『せせらぎ』」
- 2002年2月号 No.490「新車ガイド JR東日本485系『きらきらうえつ』」
- 2003年12月号 No.512「月光形 その顔の世界」
- 2007年8月号 No.556「ラストスパート485・583系」
- 2009年5月号 No.577「北陸特急ものがたり」
- 2011年6月号 No.602「485系パーフェクト」
- 「JR車両ファイル」各年度掲載号
鉄道ジャーナル社
『鉄道ジャーナル』
- 1997年8月号 No.370「JR特急のスタンダード485系電車」
- 2001年12月号 No.422「今も活躍を続ける国鉄標準型特急電車485系の現状」
- 2007年3月号 No.485「JR20年を駆け抜けた485系特急電車を語る」
電気車研究会
『鉄道ピクトリアル』
- 1988年7月号 No.498「485・489系特急形電車PART.1」
- 1988年8月号 No.499「485・489系特急形電車PART.2」
- 2001年8月号 No.705「485系電車の現状」
- 2011年4月号 No.846「485・489系電車」
- 「JR電車ライブラリーシリーズ2 特急形交直流・交流電車」
『レイルマガジン』
- 1991年3月号 No.89「I LOVE ボンネット」
- 1991年7月号 No.93「新ジョイフルトレインゆう」
- 1991年8月号 No.94「もっと知りたいボンネット」
- 1994年12月号 No.135「485系総整理」
- 2003年4月号 No.235「さらばボンネット特急」
- 2006年8月号 No.275「485系『雷鳥』最後の戦士」
- 2010年12月号 No.327「485系最前線」
- 「列車名変遷大辞典」 ISBN 9784777051823
『Jトレイン』
- 2003年 Vol.9「北陸路のボンネット特急」
- 2007年 Vol.28「原色特急485・489系」
『名列車列伝シリーズ』
- 「特急雷鳥&485系電車NOW」
- 「特急ひたち&ボンネット特急」
- 「特急はくたか&北陸の485/489系」
『新名列車列伝シリーズ』
- 「東北線の名列車電車篇」
- 「交直両用特急形電車形式485系」
『鉄道画報』
- 2007年 No.10「485系交直流特急電車」
『鉄道ナビ』
- 2001年 Vol.2「特急電車485系分類大百科」
- 石井幸孝「九州特急物語」 ISBN 9784533066870
[編集] 関連項目
|
|||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||