新日本プロレス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
新日本プロレスリング株式会社
New Japan Pro-Wrestling
Sumitomo nakanosakaue building.JPG
本社が所在する住友中野坂上ビル
種類 株式会社
略称 新日本、新日、NJPW
本社所在地 日本の旗 日本
164-0011
東京都中野区中央1-38-1
住友中野坂上ビル6F
設立 1972年1月13日
業種 サービス業
事業内容 プロレスリング興行事業など
代表者 代表取締役社長 菅林直樹
代表取締役会長 木谷高明
資本金 9,250万円
従業員数 35人(2012年2月1日現在)
決算期 1月期
主要株主 ブシロードグループパブリッシング 66.7%
木谷高明 23.3%
株式会社テレビ朝日 10.0%
関係する人物 アントニオ猪木(創業者)
坂口征二
新間寿
山本小鉄
柴田勝久
藤波辰爾
木戸修
魁勝司
豊登
カール・ゴッチ
外部リンク 新日本プロレス公式サイト
テンプレートを表示

新日本プロレスリング株式会社(しんにほんプロレスリングかぶしきがいしゃ)、通称、新日本プロレス(しんにほんプロレス)は、日本プロレス興行団体。略して新日本(しんにほん)、新日(しんにち)とも呼ばれる。「KING OF SPORTS」を標榜している。興行部門は子会社である新日本プロモーション株式会社(しんにほんプロモーションかぶしきがいしゃ)が請け負う。

1972年1月13日、日本プロレス選手会を除名されたアントニオ猪木が新日本プロレスを設立。同年10月22日、日本プロレスを退団したジャイアント馬場全日本プロレスを創立。男子プロレス界の二大老舗団体として君臨。「ストロングスタイル」と呼ばれるファイトスタイルを掲げている。また、1970年代よりリングドクター制を取り入れており、健康管理の面においては他団体と格段の差別化となっている。

2005年11月14日、大証ヘラクレス上場企業であるユークスの子会社(被保有株式51.5%)となり、ユークスから2名の役員を受け入れていた。

2012年1月31日、ユークスがブシロードグループパブリッシングへ全株式を譲渡。ブシロードグループパブリッシングが新日本プロレスの親会社になった。

目次

歴史 [編集]

1970年代 [編集]

1972年
  • 1月13日、新日本プロレスリング株式会社を設立。日本人の参加プロレスラーはアントニオ猪木魁勝司山本小鉄柴田勝久木戸修藤波辰巳の他、豊登が「テレビが付くまで」との条件付きで参戦し、外国人の参加プロレスラーはカール・ゴッチが選手及びブッカーとして参戦。
  • 3月6日、大田区体育館で旗揚げ戦が行われた。メインイベントはアントニオ猪木vsカール・ゴッチの時間無制限1本勝負が行われ、カール・ゴッチが勝利。
1973年
1974年
1975年
  • NWAに加盟。しかし全日本プロレスの圧力で、団体としてではなく坂口征二と新間寿の個人加盟とされたのに加え「NWAのヘビー級王者は新日本プロレスに参加しない」という条件下で加盟。ほぼ同時期にWWWF(その後、WWFと改称、現在のWWE)とも提携を開始。
  • 12月11日、蔵前国技館でアントニオ猪木対ビル・ロビンソンとのNWF世界ヘビー級選手権試合が行われ、アントニオ猪木が勝利。同日には日本武道館で、力道山家(百田家)主催による『力道山13回忌追善試合』が行われていたが、新日本プロレス側は参戦を固辞して興行を開催した。
1976年
  • 2月6日、蔵前国技館でアントニオ猪木対ミュンヘンオリンピック柔道93kg超級と無差別級の金メダリスト、ウィレム・ルスカによる団体初の異種格闘技戦が行われ、アントニオ猪木が勝利。
  • 6月26日、日本武道館でアントニオ猪木対ローマオリンピックボクシングライトヘビー級の金メダリスト、WBAWBC統一世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリによる格闘技世界一決定戦が行われ(詳しくはアントニオ猪木対モハメド・アリ)、試合は後に猪木アリ状態と呼ばれる膠着戦となり、引き分けに終わった。当時のファン、関係者からは「世紀の凡戦」と評されるが、後世の総合格闘技に多大な影響を与える。
1978年
1979年
1980年

1980年代 [編集]

1981年
1982年
  • 10月8日、長州力がメキシコ遠征から帰国。後楽園ホールで行われた6人タッグマッチで藤波辰巳と仲間割れし宣戦布告。ブレイクの発端となった「藤波、俺はお前のかませ犬じゃない」という発言が出た。だが実際に発した言葉は「なんでオレ(長州力)がオマエ(藤波辰巳)の前を歩かなきゃいけないんだ、オレ(長州力)がオマエ(藤波辰巳)の前にコールされなきゃいけないんだ」であった。
1983年
  • 5月、第1回『IWGP決勝リーグ戦』を開催。優勝者はハルク・ホーガン
  • 8月10日、タイガーマスクが新日本プロレスに契約の解除を一方的に告げ、突如引退を宣言(その後、UWFで現役復帰)。
  • 8月25日、アントニオ猪木が代表取締役社長、坂口征二が取締役副社長を退任。新間寿取締役営業本部長は謹慎処分(その後、退社)。山本小鉄ら3名による集団取締役体制が発足。
  • 11月1日、アントニオ猪木が代表取締役社長、坂口征二が取締役副社長へ復帰。山本小鉄ら3名の集団取締役体制は短命に終わる。
1984年
  • 6月14日、蔵前国技館にて、第2回『IWGP王座決定リーグ戦決勝戦』で、アントニオ猪木がハルク・ホーガンに雪辱を果たし優勝。しかし長州力の乱入を経て、リングアウト勝ちという不透明な決着に不満を爆発させた観客が次々と物を投げたり、放火騒ぎや蔵前国技館の二階席のイスを破壊する者もいたなど、試合終了後に暴動寸前状態に発展した。
1985年
1986年
1987年
  • 3月26日、大阪城ホールでアントニオ猪木対マサ斎藤戦で海賊男(正体はブラック・キャット)が乱入、マサ斉藤に手錠をかけて連れ去ったことが原因でファンが暴動を起こす。
  • 6月12日、『IWGPヘビー級王座』を設立。初代王者はアントニオ猪木。
  • 10月4日、アントニオ猪木とマサ斎藤が巌流島で2時間5分14秒にも及ぶ決闘が行われ(詳しくは巌流島の戦い)、アントニオ猪木の勝利。
  • 11月19日、後楽園ホールで行われた6人タッグマッチで前田日明が長州力の顔面を蹴り欠場に追い込む(前田顔面蹴撃事件)。これを受けて新日本プロレスは前田日明を無期限出場停止処分とする。
  • 12月27日、両国国技館にたけしプロレス軍団が登場。当初開催予定だったメインイベントのアントニオ猪木対長州力戦を中止しアントニオ猪木対ビッグバン・ベイダー戦に急遽変更。対戦カード変更に加えて、アントニオ猪木がビッグバン・ベイダーに3分弱で敗れるという試合結果(当初は藤波辰巳&木村健悟対マサ斎藤&ビッグバン・ベイダー、アントニオ猪木対長州力。1回目の対戦カード変更で藤波辰巳&木村健悟対マサ斉藤&長州力、アントニオ猪木対ビッグバン・ベイダー。これで藤波辰巳&木村健悟対マサ斉藤&長州力が行われる。2回目の対戦カード変更でアントニオ猪木対ビッグバン・ベイダーの前に、アントニオ猪木対長州力。従って、アントニオ猪木と長州力は1日に2試合を戦った)に観客席からリングにゴミが投げ込まれ、椅子が破壊されるなどプロレス史上最悪の暴動に発展。新日本プロレスは両国国技館の使用禁止される(その後、翌々年に両国国技館の使用禁止を解除)。
1988年
1989年
  • 4月24日、初の東京ドーム大会を開催。ソビエト連邦のアマチュアレスリング『レッドブル軍団』が参戦。アニメ『獣神ライガー』とのタイアップ企画で獣神ライガー小林邦昭戦でデビュー。獣神ライガーがデビュー戦を勝利。
  • アントニオ猪木が参議院議員選挙にスポーツ平和党から出馬し当選。これに伴い坂口征二が代表取締役社長に就任。

1990年代 [編集]

1990年
  • 2月10日、東京ドーム大会を開催。全日本プロレスとの初の交流戦が実現。
  • 3月15日、坂口征二が現役引退。
  • 4月13日、東京ドームで新日本プロレス、全日本プロレス、WWFによる合同興行『日米レスリングサミット』を開催。全日本プロレスとWWFが対抗戦を行う中、新日本プロレスは所属選手、レギュラー参戦選手同士による対戦カード提供に留める。
  • 9月1日と9月2日、新日本プロレスが初の中国興行『日中友好プロレス大会』を開催。
  • 12月2日と12月3日、新日本プロレスが初のイラク興行『スポーツと平和の祭典』を開催。
  • WCWと提携開始。
1991年
1992年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。この年から1月4日の東京ドーム大会が定着。
  • WARとの対抗戦が始まり、天龍源一郎らが定期的に参戦する。
1993年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 5月5日、初の福岡ドーム大会を開催。
1994年
1995年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 4月28日と4月29日、新日本プロレスが初の北朝鮮興行『平和のための平壌国際体育・文化祝典』を開催。
  • 5月3日、福岡ドーム大会を開催。
  • 10月9日、東京ドーム大会を開催。新日本プロレス対UWFインターナショナルの対抗戦が行われた。
  • 10月29日、大阪ATCホールで藤波辰爾が主催するプロレス興行『無我』を開催。
1996年
1997年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 4月12日、東京ドーム大会を開催。バルセロナオリンピック柔道95kg超級の銀メダリスト、小川直也が橋本真也戦デビュー。小川直也がデビュー戦を勝利。
  • 5月3日、初の大阪ドーム大会を開催。
  • 8月10日、初のナゴヤドーム大会を開催。
  • 11月2日、福岡ドーム大会を開催。
1998年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。長州力が現役引退(その後、現役復帰)。
  • 4月4日、東京ドーム大会を開催。アントニオ猪木が現役引退。
  • 8月8日、大阪ドーム大会を開催。『IWGPジュニアタッグ王座』を設立。初代王者は大谷晋二郎&高岩竜一組。
1999年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。新日本プロレス対UFOの対抗戦が行われ、小川直也対橋本真也戦が無効試合となり、試合後には大乱闘となった。また大仁田厚が参戦し、佐々木健介と対戦し、大仁田厚が火炎攻撃による反則負け。
  • 4月10日、東京ドーム大会を開催。蝶野正洋対大仁田厚戦が団体としては初となるノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ形式で行われる。試合結果は両者KO。(ただし新日本プロレスは公式試合としてこれを認めず第0試合とした)。
  • 6月24日、藤波辰爾が代表取締役社長に就任。前代表取締役社長の坂口征二は代表取締役会長に就任。
  • 8月28日、初の神宮球場大会を開催。
  • 10月11日、東京ドーム大会を開催。
  • 10月、第1回『G1 TAG LEAGUE』を開催。優勝は武藤敬司&スコット・ノートン組。

2000年代 [編集]

2000年
  • WCWの経営悪化に伴い提携解消。
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 4月7日、東京ドーム大会を開催。橋本真也が引退を賭けて小川直也と対決するも敗れ、公約通り現役引退(その後、現役復帰)。
  • 4月14日、気仙沼市総合体育館で福田雅一柴田勝頼戦の試合中に福田雅一が意識不明となり、4月19日に死去。試合中の事故による死亡は、日本の男子プロレスでは史上初。
  • 5月5日、福岡ドーム大会を開催。
  • 7月30日、横浜アリーナ大会で長州力が現役復帰。復帰戦で大仁田厚とノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチで対戦。長州力が復帰戦を勝利。
  • 8月11日、両国国技館で全日本プロレスの渕正信が来場。長らく対立関係にあった新日本プロレスと全日本プロレスの交流が始まる。
  • 10月、スポーツ専門チャンネル『スポーツ・アイ ESPN』(現在のJ SPORTS ESPN)にて『新日本プロレス S.X.W』の中継を開始。
  • 10月9日、東京ドーム大会を開催。テレビ朝日の番組『スポコン!』で折り鶴兄弟に押される形で現役復帰。橋本真也が藤波辰爾と復帰戦を行い、橋本真也が復帰戦勝利。その後『新日本プロレスリングZERO』を設立し、他団体交流などを目的とした団体内の別組織として独立を宣言するが反対した現場責任者の長州力と対立。
  • 11月13日、橋本真也を解雇。
2001年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 4月9日、大阪ドーム大会を開催。
  • 7月20日、初の札幌ドーム大会を開催。
  • 10月18日、東京ドーム大会を開催。プロレスリング・ノア秋山準が初参戦した。『プロレス50周年スペシャルマッチ』で永田裕志と初タッグを結成して武藤敬司と全日本プロレスの馳浩と対戦。結果は永田裕志&秋山準組の勝利。新日本プロレスとプロレスリング・ノアとの交流が始まる。
2002年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 4月、新日本プロレスLA道場を設立。
  • 5月2日、東京ドーム大会を開催。
  • 8月、藤田和之の提案により『NWFヘビー級王座』が復活。
  • 8月29日、日本武道館で藤田和之プロデュース大会『CROSS ROAD』を開催。
  • 9月6日、女子プロレスラー『ジョーニー・ローラー』が参戦。新日本プロレス初となる男女混合試合が行われた。
2003年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。NWFヘビー級王座決定戦で高山善廣が第20代NWFヘビー級王者になった。
  • 4月23日、『IWGP U-30無差別級王座』を設立(その後、王座は封印)。初代王者は棚橋弘至
  • 5月2日、東京ドーム大会を開催。新日本プロレス独自ルールのアルティメット・クラッシュ形式による総合格闘技戦が行われた。
  • 6月、経営コンサルタントの草間政一が代表取締役社長に就任。前代表取締役社長の藤波辰爾は取締役副会長に就任。
  • 10月13日、東京ドーム大会を開催。
2004年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。IWGPヘビー級王座とNWFヘビー級王座の統一戦が行われ、IWGPヘビー級王者中邑真輔がNWFヘビー級王者高山善廣に勝利。その後NWFヘビー級王座は再び封印。
  • 5月3日、東京ドーム大会を開催。
  • 11月3日、大阪ドーム大会を開催。
2005年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 2月20日、両国国技館でIWGPヘビー級王者天山広吉対三冠ヘビー級王者小島聡によるダブルタイトルマッチが行われ、小島聡が勝利。
  • 4月、第1回『NEW JAPAN CUP』を開催。優勝は棚橋弘至。
  • 5月14日、東京ドーム大会を開催。
  • 5月、草間政一が代表取締役社長を解任され、後任としてアントニオ猪木の娘婿であるサイモン・ケリー猪木が代表取締役社長に就任。
  • 6月2日から6月4日、新日本プロレス初のイタリア興行を開催。
  • 10月8日、東京ドーム大会を開催。
  • 11月14日、アントニオ猪木が保有していた新日本プロレス株式(発行済株式総数の51.5%)をユークスが買収(後に発行済み株式を全取得し完全子会社化)。ユークスが新日本プロレスの親会社となる(2006年4月、ユークスから2名の役員が就任)。
2006年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 5月13日、新宿FACEで新日本プロレスとは別ブランドとなる単発興行『WRESTLE LAND』を開催。
  • 5月21日、新木場1stRINGで新日本プロレスとは別ブランドとなる単発興行『LOCK UP』を開催。
  • 7月、ブロック・レスナーが「契約上のトラブル」で来日を拒否。これを受けて新日本プロレスはブロック・レスナーの持つIWGPヘビー級王座を剥奪したが、ブロック・レスナーがIWGPヘビー級王座を返還しなかった為、新日本プロレスでは2代目IWGPヘビー級王座のチャンピオンベルトを使用。
2007年
2008年
  • 1月4日、『レッスルキングダムII in 東京ドーム』を開催。
  • 2月17日、中邑真輔がカート・アングルを破り、3代目IWGPヘビー級王座を獲得して、IWGPヘビー級王座を統一。その後3代目IWGPヘビー級王座は封印。4代目IWGPヘビー級王座のチャンピオンベルトを使用。
  • 5月5日、後楽園ホールで蝶野正洋が発案、ゼネラルマネージャーを務めるプロレス興行『PREMIUM』を開催。
2009年

2010年代 [編集]

2010年
2011年
2012年
2013年
  • 1月4日、『レッスルキングダム7 ~EVOLUTION~ IN 東京ドーム』を開催。
  • 1月12日、ネット対戦型トレーディングカードゲーム『キングオブプロレスリング』第2弾を発売。
  • 4月13日、ネット対戦型トレーディングカードゲーム『キングオブプロレスリング』第3弾を発売。
  • 5月、新日本プロレス選手寮のリフォームが終わり、新しい新日本プロレス選手寮が完成した。[2][3]

興行売上高 [編集]

2007年1月期 2008年1月期 2009年1月期 2010年1月期 2011年1月期 2012年1月期
売上高 1,539,640 1,272,315 1,295,591 1,190,933 1,168,322 1,140,590
営業損益 ▲162,137 ▲70,743 ▲11,162 ▲89,063 427 1,633

(出典:株式会社ユークス有価証券報告書および決算短信、単位:千円)。

他団体との関係 [編集]

全日本プロレス
1979年、日本武道館で東京スポーツ主催の新日本プロレス、全日本プロレス、国際プロレスによる合同興行『東京スポーツ新聞社創立20周年記念 プロレス夢のオールスター戦』でアントニオ猪木ジャイアント馬場BI砲が再結成。1980年代前半は外国人選手の引き抜き合戦を行い、スタン・ハンセンアブドーラ・ザ・ブッチャータイガー・ジェット・シンブルーザー・ブロディらが両団体を行き来するなど反目関係にあった。 坂口征二体制発足後の1990年、新日本プロレス東京ドーム大会のメインイベンターを飾る予定であった当時のNWA世界ヘビー級王者・リック・フレアーが来日をキャンセル。坂口征二は選手貸し出しをジャイアント馬場に要請し、ジャンボ鶴田天龍源一郎谷津嘉章2代目タイガーマスク、スタン・ハンセンの5選手が参戦。 2000年10月9日、新日本プロレス東京ドーム大会に川田利明渕正信スティーブ・ウイリアムスが参戦。2001年2月18日、武藤敬司が結成したユニット「BATT」に全日本プロレスの太陽ケアと同年3月17日に全日本プロレスの馳浩がメンバーに加わり、新日本プロレスに参戦。同年6月8日、全日本プロレス日本武道館大会で武藤敬司が天龍源一郎を破り、三冠ヘビー級王座を獲得。 同じ日にアジアタッグ王座決定戦で永田裕志&真壁刀義組が長井満也&垣原賢人組と対戦したが敗れた。同年10月22日、全日本プロレス新潟市体育館大会で武藤敬司が全日本プロレスの太陽ケアとタッグを結成して天龍源一郎&安生洋二組を破り、世界タッグ王座を獲得。同年12月、武藤敬司が全日本プロレスの太陽ケアとタッグを結成して世界最強タッグ決定リーグ戦に出場して優勝。全日本プロレス2002年、武藤敬司、小島聡ケンドー・カシンおよび5人のフロントスタッフと共に全日本プロレスに移籍したため、交流が一時期凍結されたが、2003年に小島聡が新日本プロレスに参戦。2004年6月12日、全日本プロレス愛知県体育館で永田裕志が全日本プロレスのケンドー・カシンとタッグを結成して小島聡&カズ・ハヤシの世界タッグ王座を獲得。同年11月3日、全日本プロレス両国国技館大会で長井満也&成瀬昌由組が天龍源一郎&渕正信組を破り、アジアタッグ王座を獲得。2005年に2月20日、新日本プロレス両国国技館大会でIWGPヘビー級王者天山広吉対三冠ヘビー級王者小島聡によるダブルタイトルマッチが行われ、小島聡が勝利。2006年12月、天山広吉が全日本プロレスの小島聡とタッグチーム「天コジ」を再結成して世界最強タッグ決定リーグ戦に出場して優勝。2007年、新日本プロレス東京ドーム大会レッスルキングダムに全日本プロレスが全面協力。2008年、新日本プロレス東京ドーム大会にグレート・ムタが参戦。同年11月と12月、天山広吉が全日本プロレスの小島聡とタッグチーム「天コジ」を結成してG1 TAG LEAGUEと世界最強タッグ決定リーグ戦に出場して優勝。2011年3月6日、金本浩二が全日本プロレスの田中稔とタッグチーム「ジュニア・スターズ」を再結成。同年4月、永田裕志がチャンピオン・カーニバルに出場して優勝。同年4月、金本浩二が全日本プロレスの田中稔とジュニア・スターズを結成してジュニア・タッグリーグ戦に出場したが準優勝に終わった。同年6月19日、全日本プロレス両国国技館大会で永田裕志が諏訪魔の三冠ヘビー級王座に挑戦したが敗れた。2012年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会に船木誠勝河野真幸が参戦。同年4月、永田裕志が2年連続優勝かけてチャンピオン・カーニバルに出場したがベスト4に終わった。同年4月、金本浩二が全日本プロレスの田中稔とジュニア・スターズを結成して2年連続ジュニア・タッグリーグ戦に出場したが予選敗退に終わった。同年7月1日、両国国技館で『カードファイト!!ヴァンガード PRESENTS 新日本プロレスリング&全日本プロ・レスリング創立40周年記念大会サマーナイトフィーバー in 両国 WE ARE PRO-WRESTLING LOVE!』を新日本プロレスと全日本プロレスで共同開催。同年10月21日、全日本プロレス名古屋国際会議場で行われたアジアタッグ王座決定トーナメントに金本浩二が全日本プロレスの田中稔とジュニア・スターズを結成して出場し、アジアタッグ王座を獲得。同年10月27日と10月28日、台湾で『カードファイト!!ヴァンガード PRESENTS 新日本プロレスリング&全日本プロ・レスリング創立40周年記念大会 We are Prowrestling LOVE ! in TAIWAN』を新日本プロレスと全日本プロレスで共同開催。
2012年4月16日、BUSHIが新日本プロレスに1年間のレンタル移籍。その後2013年1月18日、新日本プロレスに完全移籍。
2011年8月27日、日本武道館で『ALL TOGETHER 東日本大震災復興支援チャリティープロレス』と2012年2月19日、仙台サンプラザホール『ALL TOGETHER 〜もう一回、ひとつになろうぜ〜』を新日本プロレスと全日本プロレスとプロレスリング・ノアで共同開催。
プロレスリング・ノア
2001年10月18日、新日本プロレス東京ドーム大会『プロレス50周年スペシャルマッチ』で永田裕志秋山準と初タッグを結成して武藤敬司と全日本プロレス馳浩と対戦。結果は永田裕志&秋山準組の勝利。2002年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会で永田裕志が秋山準のGHCヘビー級王座に挑戦したが敗れた。同年5月2日、新日本プロレス東京ドーム大会に三沢光晴が参戦。同年8月29日、新日本プロレス日本武道館大会で金丸義信&菊池毅組が獣神サンダー・ライガー&田中稔組を破り、IWGPジュニアタッグ王座を獲得。2003年5月2日、新日本プロレス東京ドーム大会で蝶野正洋小橋健太のGHCヘビー級王座に挑戦したが敗れた。同年11月30日、プロレスリング・ノア北海道立総合体育センターで永田裕志&棚橋弘至組が小橋建太&本田多聞組を破り、GHCタッグ王座を獲得。2004年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会で獣神サンダー・ライガーが杉浦貴を破り、GHCジュニアヘビー級王座を獲得。同年7月10日、プロレスリング・ノア東京ドーム大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。2005年5月、新日本プロレス東京ドーム大会に三沢光晴が参戦。同年7月18日、プロレスリング・ノア東京ドーム大会に棚橋弘至が参戦。2006年、当時の新日本プロレス社長のサイモン・ケリー猪木がテレビ朝日と日本テレビとの間で取り決められていたバーター契約を一方的に白紙化(後にプロレスリング・ノアの仲田龍がこの契約の存在を否定)とし、プロレスリング・ノアより絶縁宣言を受ける。また、当時の新日本プロレスの親会社ユークスはプロレスリング・ノアに関する版権を借りられなくなり、プロレスをモチーフにしたテレビゲームの「レッスルキングダム」に登場していたノアの選手は次回作の「レッスルキングダム2 プロレスリング世界大戦」は登場しなくなった。2008年9月27日、プロレスリング・ノア大阪府立体育会館大会で高橋裕二郎&内藤哲也組が金丸義信&鈴木鼓太郎組のGHCジュニアヘビー級タッグ王座に挑戦したが敗れた。2009年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に三沢光晴、秋山準、杉浦貴、佐野巧真が参戦。同年6月13日、三沢光晴が試合中に急死した際は、新日本プロレスの選手が葬儀に参列した。同年10月、ジュニア・ヘビー級リーグ戦に 獣神サンダー・ライガーが出場したが準優勝に終わった。2010年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に丸藤正道潮崎豪、杉浦貴、モハメド・ヨネが参戦し、丸藤正道がタイガーマスク(4代目)を破り、IWGPジュニアヘビー級王座を獲得。同年1月、グローバル・タッグ・リーグ戦真壁刀義&本間朋晃組が出場し、予選落ちに終わった。同年8月22日、プロレスリング・ノア有明コロシアム大会で金本浩二&タイガーマスク(4代目)組が石森太二&リッキー・マルビン組を破り、GHCジュニアヘビー級タッグ王座を獲得。2011年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に杉浦貴、潮崎豪が参戦。2012年11月、グローバル・リーグ戦に永田裕志が出場したが予選敗退に終わった。2013年3月10日、プロレスリング・ノア横浜文化体育館大会矢野通&飯塚高史組が丸藤正道&杉浦貴組を破り、GHCタッグ王座を獲得。同年4月、グローバル・タッグ・リーグ戦に矢野通&飯塚高史組と高橋裕二郎がプロレスリング・ノアのマイバッハ谷口との初タッグを結成して出場したが予選敗退に終わった。
BEST OF THE SUPER Jr.に2003年、杉浦貴、2009年、青木篤志、2010年、石森太二が出場している。
G1 CLIMAXに2003年、秋山準、2009年、杉浦貴、2010年、潮崎豪、2012年、丸藤正道が出場している。
2011年8月27日、日本武道館で『ALL TOGETHER 東日本大震災復興支援チャリティープロレス』と2012年2月19日、仙台サンプラザホールで『ALL TOGETHE 〜もう一回、ひとつになろうぜ〜』を新日本プロレスと全日本プロレスとプロレスリング・ノアで共同開催。
ZERO1(旧・ZERO-ONEZERO1-MAX
2001年3月2日、両国国技館でZERO-ONEの旗揚げ戦に永田裕志橋本真也のタッグパートナーとして参戦。同年に新日本プロレスで橋本真也対長州力の遺恨決着戦が行われ、2002年5月2日、新日本プロレス東京ドーム大会に小川直也と橋本真也のタッグチーム「OH砲」が参戦。以降しばらくは交流はなかったが、2006年から本格的に交流を開始。同年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に大谷晋二郎高岩竜一田中将斗佐藤耕平崔領二佐々木義人が出場。またLOCK UPPREMIUMといった新日本プロレスの別ブランド興行に参戦。同年5月31日、中西学がZERO1の大森隆男とタッグチーム「ワイルドチャイルド」を結成。同年6月24日、ZERO1ディファ有明大会で佐藤耕平&崔領二組からNWAインターコンチネンタルタッグ王座を獲得。同年7月17日、新日本プロレス札幌月寒大会で真壁刀義&越中詩郎組からIWGPタッグ暫定王座を獲得。同年9月20日、蝶野正洋&天山広吉組のIWGPタッグ王座が剥奪され、正式にIWGPタッグ王者となった。[2008年3月2日、ZERO1後楽園ホール大会に参戦した中邑真輔が試合後、解説席にいた橋本真也の長男の橋本大地に、2代目IWGPヘビー級王座のベルトを贈呈。同年7月、火祭りに中西学と真壁刀義が出場したが予選敗退に終わった。同年10月13日、ZERO1両国国技館大会で永田裕志が田中将斗からZERO1 世界ヘビー級王座を獲得。2009年1月1日、ZERO1後楽園ホール大会で金本浩二がZERO1の大谷晋二郎と高岩竜一とユニット「トンガリコーンズ」が一夜限りの復活。同年9月27日、神戸ワールド記念ホール大会で邪道外道がZERO1の田中将斗とユニット「コンプリート・プレイヤーズ」を再結成。同年11月、天下一Jr.プリンス・デヴィットが出場して準優勝に終わった。2011年5月26日、新日本プロレス後楽園ホール大会でZERO1の田中将斗と邪道と外道のユニット「コンプリート・プレイヤーズ」に高橋裕二郎がメンバーーに加わった。同年10月2日、ZERO1靖国神社大会で橋本大地の対戦相手として天山広吉が参戦。
2009年8月から田中将斗が新日本プロレスでヒールユニット「CHAOS」のメンバーとして新日本プロレスに参戦している。
G1 CLIMAXに2008年、大谷晋ニ郎、2009年、田中将斗が出場している。
みちのくプロレス
現存する団体では最も古くから交流が続いている団体で、旗揚げ直後から獣神サンダー・ライガーザ・グレート・サスケが良好な関係を築いている。テリー・ボーイ(現在のリングネームはMEN'Sテイオー)が学生プロレス出身であったために、学生プロレスを嫌う風潮にあった新日本プロレスの選手から疎外され袋叩きにされる事態があったが、後にプロレスに対する姿勢を目の当たりにし大谷晋二郎が報道陣の前で土下座して詫び、わだかまりは解けている。1996年4月29日、新日本プロレス東京ドーム大会でグレート・ムタ白使戦が実現し、グレート・ムタの勝利。同年8月5日、両国国技館でザ・グレート・サスケが8つ王座統一トーナメントを制覇し、初代ジュニア8冠王者に戴冠(詳しくはジュニア8冠王座)。1999年4月10日、新日本プロレス東京ドーム大会で獣神サンダー・ライガーがみちのくプロレスのザ・グレート・サスケとタッグを結成してケンドー・カシン&ドクトル・ワグナーJr.組を破り、IWGPジュニアタッグ王座を獲得。2001年2月18日、武藤敬司が結成したユニット「BATT」に新崎人生がメンバーに加わり、新日本プロレスに参戦。2002年にタイガーマスク(4代目)がみちのく所属ながら1年間新日本プロレスのシリーズに帯同し、同年12月16日、新日本プロレスに円満移籍。その後も互いのビッグマッチには選手の派遣を度々行っている。
BEST OF THE SUPER Jr.に1994年、スペル・デルフィンTAKAみちのく、1997年、愚乱・浪花中島半蔵、2010年、フジタ"Jr"ハヤト、2011年、ザ・グレート・サスケが出場している。
SUPER J TAGJ SPORTS CROWN 〜SUPER J TAG LEAGUE〜にフジタ"Jr"ハヤト&野橋太郎組が出場している。
大阪プロレス
2000年10月9日、新日本プロレス東京ドーム大会にスペル・デルフィンが参戦。2001年4月20日、新日本プロレス後楽園ホール大会で村浜武洋田中稔IWGPジュニアヘビー級王座挑戦して敗れた。2003年2月1日、大阪プロレス大阪城ホール大会で獣神サンダー・ライガーが大阪プロレスの村浜武洋と初タッグを結成してブラックバファロー&ツバサ組を破り、大阪プロレスタッグ王座を獲得。同年6月13日、新日本プロレス日本武道館大会で村浜武洋がタイガーマスク(4代目)のIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦して敗れた。2004年4月2日、大阪プロレス国立代々木競技場第2体育大会に獣神サンダーライガー、金本浩二井上亘ヒートが参戦。同年4月17日、大阪プロレス大阪IMPホール大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。
2010年からブラックバファローが自身の故郷の鳥取県で行われる新日本プロレス鳥取大会に参戦している。
BEST OF THE SUPER Jr.に2003年、えべっさん(初代)、2004年、"ビッグボス"MA-G-MAが出場している。
KAIENTAI-DOJO
2002年に魔界倶楽部のマスクマン「魔界2号」として筑前りょう太が定期参戦。2007年5月2日、新日本プロレス後楽園ホール大会でTAKAみちのく&ディック東郷組が邪道&外道組を破り、IWGPジュニアタッグ王座を獲得。2011年、小島聡率いるユニット「小島軍(仮)」のメンバーとしてタイチとタッグを組んで新日本プロレス対小島軍(仮)の抗争に参加していたが、2011年5月3日の福岡大会「プロレスリングどんたく」にてパンクラスMISSION鈴木みのると結託、ユニットリーダーだった小島聡に半旗を振り返し、鈴木軍としてユニットを乗っ取る形で小島聡を追放した。2012年9月7日、鈴木軍に真霜拳號がメンバーに加わり、新日本プロレスに参戦。
若手主体の単発興行NEVERにTAKAみちのく、真霧拳號、滝澤大志関根龍一旭志織梶トマトヒロ・トウナイマリーンズマスク(2代目)が参戦している。2012年11月のリニューアル第1弾大会はKAIENTAI-DOJOが興行面で協力している。
DRAGON GATE(旧・闘龍門JAPAN
闘龍門JAPAN時代にみちのくプロレス主催のSUPER J CUP決勝でCIMA獣神サンダー・ライガーと対戦。その後、CRAZY-MAXが新日本プロレスに参戦。その後は団体の方針から交流は無かったが、2006年に獣神サンダー・ライガーが参戦。2007年1月7日、DRAGON GATE名古屋大会で邪道&外道組が望月成晃&ドン・フジイ組を破り、インターナショナルジュニアタッグ王座を獲得。同年3月25日、DRAGON GATE津市体育館大会で獣神サンダー・ライガーがドン・フジイからオープン・ザ・ドリームゲート王座を獲得。同年6月5日、DRAGON GATE後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。2008年12月28日、DRAGON GATE福岡国際センター大会で獣神サンダー・ライガーがCIMAと初タッグを結成してYAMATO&サイバー・コング組のオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座に挑戦したが敗れた。2009年3月22日、DRAGON GATE両国国技館大会で金本浩二が土井成樹のオープン・ザ・ドリームゲート王座に挑戦したが敗れた。同年5月3日、新日本プロレス福岡国際センター大会にDRAGON GATEのCIMAが参戦。
BEST OF THE SUPER Jr.に2004年、ウルティモ・ドラゴン、2007年、B×Bハルク、2009年、YAMATO、2012年、PAC、2013年、リコシェが出場している。
2011年11月、G1 TAG LEAGUE石井智宏がDRAGON GATEのドン・フジイと出場している。
2012年11月、WORLD TAG LEAGUE永田裕志がDRAGON GATEの望月成晃と出場している。
J SPORTS CROWN 〜SUPER J TAG LEAGUE〜望月成晃&スペル・シーサー組が出場している。
若手主体の単発興行NEVER苫小牧卓也が参戦している。
DDTプロレスリング
2002年6月、新日本プロレス日本武道館大会にて試合提供を受けて以降、交流は見られなかったが、2009年5月、飯伏幸太が初参戦。2010年10月11日、新日本プロレス両国国技館大会で飯伏幸太&ケニー・オメガ組のゴールデン☆ラヴァーズ田口隆祐&プリンス・デヴィット組のApollo 55IWGPジュニアタッグ王座を獲得。ジュニアタッグとしては史上初となる2010年度のプロレス大賞ベストバウト賞に認定された。2011年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会に飯伏幸太が参戦。同年1月23日、新日本プロレス後楽園ホール大会に男色ディーノが参戦。同年6月18日、新日本プロレス大阪府立体育会館大会で飯伏幸太がプリンス・デヴィットのIWGPジュニアヘビー級王座を獲得。定期的に新日本プロレスに参戦を果たしている。2012年1月21日、新日本プロレス後楽園ホール大会に男色ディーノが参戦。 2013年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に飯伏幸太が参戦。同年2月17日、DDTプロレスリングの後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガー高橋広夢が参戦して坂口征夫&彰人組から勝利を収めた。
BEST OF THE SUPER Jr.に飯伏幸太が2009年から3年連続出場していて、2011年には優勝している。
若手主体の単発興行NEVER石井慧介平田一喜大家健が参戦している。
WNC(旧・SMASH
2010年5月29日、SMASH新宿FACE大会にプリンス・デヴィットが参戦。同年6月に行われたJ SPORTS CROWN〜無差別級6人タッグトーナメント〜棚橋弘至がSMASHのTAJIRIKUSHIDAでユニット「タナスマ」を結成して出場したが準優勝に終わった。同年7月24日、SMASH新宿FACE大会の昼の部に三上恭佑と夜の部に内藤哲也が参戦。同年11月、G1 TAG LEAGUEに棚橋弘至がSMASHのTAJIRIとタッグチーム「ハイフライバズソー」を結成して出場したが予選敗退に終わった。同年11月22日、SMASH、JCBホール大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。2011年4月1日、KUSHIDAが新日本プロレスに移籍。同年6月9日、SMASH後楽園ホール大会に飯塚高史が参戦。2012年3月14日、SMASHは活動終了。同年4月5日、元SMASH所属選手たちは新団体WNCを設立。同年4月26日、新宿FACEでプレ旗揚げ戦が行われた。同年5月24日、後楽園ホールの旗揚げ戦に矢野通邪道外道が参戦。
BEST OF THE SUPER Jr.に2010年、KUSHIDAが出場している。
若手主催の単発興行NEVER児玉ユースケが参戦している。
女子プロレス団体
1980年代から1990年代に活動していたジャパン女子プロレス、同団体を前身とするJWP女子プロレス山本小鉄をコーチとして招いていた関係上、新日本プロレスのマットに試合を提供したことがあった。一方、全日本女子プロレス魔界倶楽部が全日本女子プロレスに勢力を拡大していた時期に全日本女子プロレスのマットで新日本プロレスの選手を交えたミックスファイトを敢行したり、北朝鮮興行での『平和のための平壌国際体育・文化祝典』や新日本プロレス30周年記念東京ドーム大会に試合提供をしたことがあった。ちなみにこの時に佐々木健介北斗晶が知り合った事でも有名。

タイトルホルダー [編集]

新日本プロレスが認定するチャンピオンベルトの保持者(2013年4月7日現在)
タイトル 保持者 歴代 防衛回数 次期挑戦者
IWGPヘビー級王座 オカダ・カズチカ 第59代 1 真壁刀義
IWGPタッグ王座 天山広吉
小島聡
第62代 矢野通
飯塚高史
3WAYマッチ
ランス・アーチャー
デイビーボーイ・スミスJr.
IWGPジュニアヘビー級王座 プリンス・デヴィット 第66代 3
IWGPジュニアタッグ王座 ロッキー・ロメロ
アレックス・コズロフ
第35代
IWGPインターコンチネンタル王座 中邑真輔 第4代 8
NEVER無差別級王座 田中将斗 初代 3
新日本プロレスが開催するリーグ戦と覇者(2013年4月現在)
タイトル 覇者 年代
G1 CLIMAX オカダ・カズチカ 2012年度
NEW JAPAN CUP オカダ・カズチカ 2013年度
BEST OF THE SUPER Jr. 田口隆祐 2012年度
WORLD TAG LEAGUE 後藤洋央紀
カール・アンダーソン
2012年度
SUPER Jr. TAG TOURNAMENT KUSHIDA
アレックス・シェリー
2012年度

所属選手、主要参戦選手 [編集]

ヘビー級 [編集]

天コジ

ジュニアヘビー級 [編集]

TIME SPLITTERS

CHAOS [編集]

邪道&外道
フォーエバー・フーリガンズ

BULLET CLUB [編集]

鈴木軍 [編集]

K.E.S.

スタッフ [編集]

レフェリー
インターナショナルコーディネーター
リングアナウンサー
リングドクター
メディカルトレーナー

歴代社長 [編集]

氏名 在職期間 備考
1 猪木寛至 1972年 - 1989年 1983年8月 - 10月は社長から降格
2 坂口征二 1989年 - 1999年
3 藤波辰巳 1999年 - 2004年6月
4 草間政一 2004年6月 - 2005年5月
5 サイモン・ケリー猪木 2005年5月 - 2007年3月
6 菅林直樹 2007年4月 - 現在

過去に存在したユニット、タッグチーム [編集]

不定期もしくは断続的に活動しているタッグチーム、ユニット [編集]

現役引退選手、退団選手、退社スタッフ [編集]

括弧内は新日本プロレス在籍時または参戦時に名乗った別名、在籍期間、現在の所属団体および活動状況を表す。

NEW JAPAN FACTORY [編集]

新日本プロレスの総合格闘技部門で現在は消滅している

スタッフ [編集]

  • 上井文彦上井二三彦)(1977年 - 1984年→UWF→1985年 - 2004年→ビッグマウス→フリー)(元新日本プロレスの営業部長、執行役員、マッチメイカー)
  • 大塚直樹(1972年 - 1983年)(元新日本プロレスのリングアナウンサー、営業部長)
  • 新間寿(1972年 - 1984年→UWF猪木事務所)(元新日本プロレスの専務取締役営業本部長)(猪木事務所アドバイザー)
  • 田中秀和田中ケロ)(1981年 - 2006年→フリー)(元新日本プロレスのリングアナウンサー、執行役員)
  • 田中米太郎(1973年 - 1982年現役引退)(元新日本プロレスのレフェリー)
  • 田山正雄(1991年 - 2008年→フリー)(元新日本プロレスのレフェリー)
  • 中村祥之(1989年 - 2001年→ファースト・オン・ステージ)(元新日本プロレスの営業部)(ファースト・オン・ステージ代表取締役)
  • 永島勝司(1988年 - 2002年→ナガシマ企画リキ・ナガシマ企画WJプロレス→フリー)(元新日本プロレスの渉外部、企画宣伝部長、取締役、マッチメイカー)
  • 倍賞鉄夫(1972年 - 2005年→猪木事務所)(元新日本プロレスの営業部、リングアナウンサー、部長、常務、取締役副社長)(猪木事務所代表取締役社長)
  • ミスター高橋(1972年 - 1998年現役引退)(元新日本プロレスのレフェリー、審判部長、マッチメイカー、トレーニングアドバイザー)
  • 山口秀幸(2003年 - 2005年)(元新日本プロレスの営業部、興行部、リングアナウンサー)
  • 山中秀明(1983年 - 2005年)(元新日本プロレスの営業部長、取締役専務)

故人 [編集]

  • 豊登(1972年 - 1973年現役引退→1998年死去)
  • 福田雅一(1999年 - 2000年死去)
  • 橋本真也(1984年 - 2000年→ZERO-ONE→フリー→2005年死去)
  • ブラック・キャット(1981年 - 2006年死去)(元新日本プロレスのレフェリー)
  • 剛竜馬(1979年 - 1984年→UWF全日本プロレスパイオニア戦志オリエンタルプロレス冴夢来プロレス→フリー→2009年死去)
  • 柴田勝久(1972年 - 1977年現役引退→2010年死去)(元新日本プロレスのレフェリー)
  • 山本小鉄(1972年 - 1980年現役引退→2010年死去)(元新日本プロレスの現場責任者、コーチ、レフェリー、審判部長、マッチメイカー、企画宣伝部長、顧問)(元ワールドプロレスリング解説者、元IWGP実行委員、元新日本プロレス学校校長、元新日本プロレスサービス代表取締役社長、元新日本プロレス S.X.W解説者)
  • 星野勘太郎(1974年 - 1995年現役引退→2010年死去)(元新日本プロレスのプロモーター)

フリー参戦選手、他団体参戦選手 [編集]

歴代来日日系人選手 [編集]

歴代来日外国人選手 [編集]

プロレスラー [編集]

女子プロレスラー [編集]

格闘家 [編集]

NJPWグレーテストレスラーズ [編集]

新日本プロレス35周年を記念して2007年に創設された功労者(現役引退選手のみ)を表彰する制度。

2007年
2009年
2010年
2011年

マスコットキャラクター [編集]

団体ロゴである、ライオンマークがモチーフのキャラクター。

テーマ曲 [編集]

試合開始直前と試合終了後に会場に流される。後述のテレビ朝日系「ワールドプロレスリング」のオープニング曲でもある。

試合中継 [編集]

  • G1クライマックス・G1タッグリーグ等で、一部独占放送となる試合がある。またスカチャンにてペイ・パー・ビュー生中継を実施する場合もある。
  • 2012年10月からUstreamで、主に海外向けのインターネットペイ・パー・ビュー配信も開始している。

アーカイブ放送 [編集]

1990年代以降の主なマット広告スポンサー [編集]

同社は日本のプロレス団体として、格闘技団体としても先駆けてスポンサーを多数付け、その収入で賄う方法をとっていた。

パチスロ、パチンコ [編集]

新日本プロレスまでもがパチスロ機(2007年、平和)
CR江戸の始末屋 -最強新日烈伝-(2010年、平和)

注釈 [編集]

  1. ^ “新日本プロレス×ブシロード 新体制の2012年戦略を発表 真の「プロレスリングカンパニー」へと生まれ変わる!”. スポーツナビ. (2012年2月29日). http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/text/201202290007-spnavi.html 2012年2月29日閲覧。 
  2. ^ a b 新日本プロレス、選手寮のリフォームを『ビフォーアフター』に依頼 - ORICON STYLE・2013年5月15日
  3. ^ a b 6月2日(日)18:56~ 新日本プロレス選手寮を『ビフォーアフター』が劇的大改造!! 2時間スペシャルで放送!!, 新日本プロレスリング(2013年5月15日), 最終閲覧日:2013年5月18日

関連項目 [編集]

興行 [編集]

外部リンク [編集]