山本孝史
山本 孝史 やまもと たかし | |
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生年月日 | 1949年7月7日 |
出生地 | 日本 兵庫県芦屋市打出翠ケ丘町 |
没年月日 | 2007年12月22日(58歳没) |
死没地 | 日本 東京都江東区有明 癌研究会有明病院 |
出身校 |
ミシガン州立大学大学院修士課程修了 立命館大学産業社会学部卒業 |
前職 | 交通遺児育英会職員 |
所属政党 |
(日本新党→) (新進党→) (国民の声→) (民政党→) 民主党 |
称号 |
修士(1981年・ミシガン州立大学) 社会学士(1972年・立命館大学) |
配偶者 | 山本ゆき |
公式サイト | 山本孝史ホームページ |
選挙区 |
(旧大阪4区→) 比例近畿ブロック |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1993年7月19日 - 2000年6月2日 |
選挙区 |
(大阪府選挙区→) 比例区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2001年7月29日 - 2007年12月22日 |
山本 孝史(やまもと たかし、1949年〈昭和24年〉7月7日 - 2007年〈平成19年〉12月22日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(2期)、民主党参議院幹事長、参議院財政金融委員長を歴任した。「山本たかし」の表記も多い。兵庫県芦屋市出身。
概要
実兄が交通事故死したのを機に立命館大学在学中から交通遺児救済のボランティア活動に参加し、卒業後に財団法人交通遺児育英会に就職。1990年より同会事務局長を務めた。
1993年7月18日の第40回衆議院議員総選挙で日本新党公認で初当選。8月党役員人事で山田宏立法調整委員長(国会対策委員長)の下で立法調整副委員長に就任した。衆議院議員を2期務めた後に参議院に転出。2001年7月29日の第19回参議院議員通常選挙で大阪府選挙区から立候補し、日本共産党の前職山下芳生議員を8,249票差の僅差で破り、民主党として同選挙区で初めて当選した。
2005年9月26日参議院財政金融委員長に就任するも、12月に検診を受けて胸腺がんに侵されていることがわかり、2006年1月25日同委員長の職を辞した。同年5月22日の参議院本会議でがんに罹患していることを公表、がん対策基本法の早期成立を訴えた。
2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙は病状を理由に選挙区からの出馬は困難として、比例区へ転出。議員の職責を全うする事が困難であるにも関わらず引退しなかった事に一部から批判があったものの、比例区で民主党が圧勝したこともあり再選された(得票数67,612票・党内当選者の中では20位で最下位)。その後も酸素吸入器などを装着しながらも登院し、病床につくまで最後まで活動を続けた。国会議事堂登院中は、与野党を超え、医師免許を持つ国会議員達が、山本の万一の体調の急変に備えていた。
2007年12月22日午後11時50分、胸腺がんのため、癌研究会有明病院緩和ケア科(向山雄人部長)で死去[1]。58歳没。
2008年1月12日、真宗大谷派天満別院(大阪市)で告別式が行われ、小沢一郎代表、菅直人代表代行、鳩山由紀夫幹事長といった民主党幹部、江田五月参議院議長、平松邦夫大阪市長らが参列し、小沢は弔辞で「山本氏は格差を放置拡大してきた昨今の政治に真っ正面から戦い続けて生きた」「がんに侵されながら、不屈の精神で法の成立に心血を注がれた。参議院での代表質問は、憲政の歴史に深く刻まれるだろう。代表として本当に誇りに思う」などと述べた[2]。
同年1月23日に、山本と共にがん対策基本法や自殺対策基本法成立に向け、与野党の垣根を越えて共闘した過程や、国会論戦を通じて親交のあった、元厚生労働大臣の自由民主党参議院議員会長・尾辻秀久が参議院本会議場にて哀悼演説を行った。その中で山本が自らの病を告白し、がん対策基本法の早期成立を訴えた、2006年5月の参議院本会議での代表質問を引用し「すべての人の魂を揺さぶった。今、その光景を思い浮かべ、万感胸に迫るものがある。あなたは社会保障の良心だった」「自民党にとって最も手強い政策論争の相手だった」と称賛し、「先生、今日は外は雪です。寒くありませんか」と落涙しながら演壇から呼びかけ、その功績を讃えた。
政策
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がん対策
がん対策に取り組んでおり、自らががん患者であること公開し、がん対策基本法の必要性を説いた2006年5月22日の参議院本会議における演説に対しては、党派を超えた与野党の議員達から大きな拍手が送られており、その後のがん対策や受動喫煙対策における議論でもその発言が引用されている。
- 2006年5月22日 参議院本会議 議事録抜粋
(発言者:山本孝史参議院議員)
最後に、がん対策法の今国会での成立について、議場の皆さんにお願いをします。 |
その後の国会での発言の引用等
2017年5月30日、参議院厚生労働委員会において、がん対策に取り組む山本が、タバコの政策に関して非常に心残りだと発言していたことを、がん闘病経験者である三原じゅん子参議院議員が言及し、原則屋内禁煙を求めた。
- 2017年5月30日 参議院厚生労働委員会 議事録抜粋
(発言者:三原じゅん子参議院議員)
しかし、政治がこのまま何もしなければ、これから失われる命がどれほどの数になるのか計り知れません。かつてがんを患った私にとって、守れるのに守れなかった命、声なき声を無視することはできません。受動喫煙が原因で年間一万五千人が亡くなっています。この数字、過去たった一年でです。一年で政府がこれだけの数の国民の命を守れなかったということなんです。我々政治家は、日頃から有権者の声を政治に反映しようと努力しています。ですが、それは今生きている人、その人たちだけの声でいいんでしょうか。 |
略歴
- 1968年(昭和43年)3月 - 大阪府立清水谷高等学校卒業
- 1972年(昭和47年)3月 - 立命館大学産業社会学部卒業
- 1981年(昭和56年) - ミシガン州立大学大学院修士課程修了、家族社会学専攻
- 1993年(平成5年)7月18日 - 第40回衆議院議員総選挙(旧大阪4区・日本新党公認)当選
- 1996年(平成8年)10月20日 - 第41回衆議院議員総選挙(比例代表区近畿ブロック、新進党公認)2期目当選
- 2000年(平成12年)6月25日 - 第42回衆議院議員総選挙(大阪14区、民主党公認)落選
- 2001年(平成13年)7月29日 - 第19回参議院議員通常選挙(大阪府選挙区・民主党公認)当選
- 2007年(平成19年)7月29日 - 第21回参議院議員通常選挙(比例区・民主党公認)当選
- 2007年(平成19年)12月22日 - 死去[4]
文献
- 著書
- 山本孝史 編『夢ある日本への道しるべ : 21世紀への提言』山本たかし事務所、1994年11月27日。NDLJP:12761906。(要登録)
- 『議員立法 : 日本政治活性化への道』第一書林、1998年6月、ISBN 4886461409
- 『救える「いのち」のために――日本のがん医療への提言』朝日新聞社、2008年1月、ISBN 978-4-02-250388-6
- 訳書
- リンダ・K.ジョージ 著、西下彰俊 訳『老後 : その時あなたは』思索社、1986年1月28日。ISBN 4783511179。NDLJP:12127341。(要登録)
脚注
- ^ 向山雄人『生きる力がわく「がん緩和医療」』2009年、講談社、p59。議員在籍中にがんで死去した国会議員には、2006年5月12日に膵臓がんで死去した衆議院議員亀井善之、2002年9月1日に胃がんで死去した参議院議員今井澄などがいる。
- ^ “民主党山本議員告別式 小沢代表が弔辞「誇りに思う”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2008年1月12日) 2008年1月13日閲覧。Archived 2008年1月13日, at the Wayback Machine.
- ^ mネット、2004年2月 国会議員への民法改正に関するアンケート
- ^ 12月28日、第21回参議院議員通常選挙時に次点(21番目)だった大石尚子が繰り上げ当選となった。
外部リンク
- 山本孝史ホームページ(公式サイト)
議会 | ||
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先代 浅尾慶一郎 |
参議院財政金融委員長 2005年 - 2006年 |
次代 池口修次 |
党職 | ||
先代 直嶋正行 |
民主党参議院幹事長 2003年 - 2004年 |
次代 輿石東 |