埼玉県

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さいたまけん ウィキデータを編集
埼玉県
さきたま古墳群の丸墓山古墳と桜
長瀞渓谷の係留点権現堂堤の曼珠沙華
さいたま新都心西側のビル群
埼玉スタジアム2002
埼玉県の旗 埼玉県章
埼玉県旗 埼玉県章
日本の旗 日本
地方 関東地方
団体コード 11000-1
ISO 3166-2:JP JP-11
面積 3,797.75km2
(境界未定部分あり)
総人口 7,326,804[編集]
推計人口、2024年4月1日)
人口密度 1,929人/km2
隣接都道府県 東京都千葉県茨城県栃木県群馬県山梨県長野県
県の木 ケヤキ
県の花 サクラソウ
県の鳥 シラコバト
他のシンボル 県の魚:ムサシトミヨ
県の蝶:ミドリシジミ
県のマスコット:コバトンさいたまっち
県の歌:埼玉県歌
埼玉県民の日:11月14日
埼玉県庁
知事 大野元裕
法人番号 1000020110001 ウィキデータを編集
所在地 330-9301
埼玉県さいたま市浦和区高砂三丁目15番1号
北緯35度51分26秒 東経139度38分56.9秒 / 北緯35.85722度 東経139.649139度 / 35.85722; 139.649139
埼玉県庁
外部リンク 公式ウェブサイト
埼玉県の位置

埼玉県行政区画図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村


地図
ウィキポータル 日本の都道府県/埼玉県
ウィキプロジェクト

埼玉県(さいたまけん、: Saitama Prefecture)は、日本関東地方に位置する県庁所在地及び最大の都市はさいたま市

首都圏を構成し、都道府県別の人口は東京都、神奈川県大阪府愛知県に次ぐ全国第5位。人口密度は東京都、大阪府、神奈川県に次ぐ第4位である。県の財政力指数は全国第4位[1]令制国武蔵国の一部に相当する。面積は第39位で[2]可住地面積比率は第3位の規模である。は、東秩父村1村のみである。

概要

県域は旧国名の武蔵国の北部であり、関東地方では神奈川県以外の1都4県に接する。また、中部地方では長野県山梨県にも接する。隣に接する県の数は、長野県に次ぐ2位。日本で8つある内陸県の一つ。貿易港臨海工業地帯を有さないものの、人口は約735万人と全国5位であり、その多くは県南東部に集中している。昼夜間人口比率(2015年調査、総務省)では88.5%と昼間の人口流出が全国1位であり、ベッドタウンとしての性質が強い。農業産出額は第18位(2015年)であるが、北部には近郊農業が盛んな地域もあり、ネギホウレンソウブロッコリーなど産出額が全国3位以内に入る農作物もある。また、面積に占める河川の割合が多く、水の都と呼ばれる大阪府を抜き、全国47都道府県で最大の約3.9%となっている[3]

県西部の秩父地域山地丘陵であるが、それ以外の地域は関東平野の一部を成す平地となっている。東京に隣接する東南部は人口が密集し、東京から放射状に伸びた交通網に沿って首都ベッドタウンが形成されている。北部には豊かな農地が広がる。県庁所在地であるさいたま市は内陸県にある最大の都市であり、内陸県唯一の政令指定都市でもある。東北地方北関東地方信越地方北陸地方に至る高速交通網は本県を通っている。

名称

浦和県岩槻県忍県が統合してできた旧埼玉県(現在の埼玉県の東側約3分の1)の設置当初、県庁埼玉郡岩槻町(現:さいたま市岩槻区)に置かれる予定であったため、その郡名から埼玉県と名付けられた[4]。しかし、岩槻には県庁に適した建物が無く[4]、県庁業務は足立郡浦和宿(現:さいたま市浦和区)の旧浦和県庁舎で行われた。一方、現在の埼玉県の西側約3分の2に当たる地域は入間県となり、その後、群馬県と合併して熊谷県となるも僅か3年で熊谷県は解消され、旧入間県地域は旧埼玉県と合併して現在の埼玉県が誕生した。その際に、埼玉県の名称のまま県庁所在地も浦和宿となったため、岩槻町が実質的な県庁として機能することはなかった。1890年明治23年)9月25日には、勅令により正式に北足立郡浦和町が県庁所在地となった。

「埼玉」の地名の発祥地は「埼玉郡埼玉さきたま」(現:行田市大字埼玉)である。その名称の由来は諸説あるが、埼玉古墳群が由来とする説や、幸福をもたらすの働きを意味する「幸魂」(さきみたま)から名づけられたとする説がある。奈良時代の『万葉集』に「前玉」「佐吉多万」(さきたま)という記述があり、また、平安時代の『和名類聚抄』に「埼玉」「佐伊太末」(さいたま)という郡名がみられる。当時、既に「さいたま」と呼ばれていることが分かる。大観的に「さきたま」「さいたま」どちらの発音も同義として解釈されるが、「さきたま」の方が古い語である。これは日本語発音上でのイ音便と呼ばれる変遷の一例で、大分(碩田:おおきた→おおいた)なども同様の例である。

地理・地域

律令国においては、現在の埼玉県の領域は大部分が武蔵国に含まれており、東端部の江戸川沿いの一部地域が下総国に含まれていた。武蔵国には東京都、および神奈川県の北東部も含まれることから、埼玉県は武蔵国の中部・北部にあたると言える。

埼玉県の形状は東西約103km、南北約52kmと東西方向に長い。日本の都道府県中面積が9番目に狭いが、最も狭い都道府県である香川県の約2倍の面積を有する。また周囲は7都県と隣接し、長野県の8県に次いで多い。

県の東側では江戸川を境に千葉県に接し、北東側には茨城県・栃木県ともわずかに接する。北側および北西側はおおむね利根川、神流川(利根川の支流)といった河川、および荒川・神流川の分水嶺を境として群馬県に接している。南側はほぼ東西に真っ直ぐに東京都・山梨県と接している。この南境は、西部では荒川と多摩川あるいは笛吹川分水嶺にあたるが、東部では一部が荒川となっている他は河川や分水嶺などの地形に見いだすことは難しい。

埼玉県の地形は、児玉小川飯能を走る八王子構造線によって、その東側の平地部と西側の山岳部に分けられる。東側の平地部は古来利根川荒川入間川などの流域であり、低地や台地(北武蔵台地[5]武蔵野台地大宮台地など)が広がるほか、一部に丘陵(比企丘陵など)もみられる。江戸時代徳川家康により現在の古利根川の流路に近かった利根川の流路は、渡良瀬川(現在の江戸川の流路に近い)、ついで鬼怒川(毛野川)に導かれ、また現在の元荒川の流路に近かった荒川の流路は入間川に導かれ、現在の河川形態となった(利根川東遷事業)。西側の山地部は関東山地に含まれ、その中央部に秩父盆地がある。秩父盆地東側の比較的標高の低い山塊は特に外秩父山地とも呼ばれる。西側の長野県境は日本海側との分水嶺を形成しており、その南端に位置する甲武信ヶ岳は千曲川、荒川、笛吹川(富士川の支流)の源流であるとともに、埼玉県・長野県・山梨県の県境となっている。その北には県最高峰である三宝山(2,483m)がある。

中央部・西部・東部の南側の地域は首都である東京に近く、近代以降の大都市圏の拡大に伴い、1970年代を中心に急激な人口流入と都市化をみてきた。このようにして形成された市街地は、その多くがスプロール現象によるものであり、このような地域では現在も道路などの社会基盤の整備に難を抱える。

県内は首都高速東京外環道関越東北常磐圏央道といった高速道路が多数整備されているが、一般道については十分に整備されていない地域が多く、自動車の増加や大規模商業施設の郊外立地化に伴い各地で道路渋滞が慢性・深刻化している。

県内には全国最多の40のがあり、130万人都市であるさいたま市を筆頭に60万人都市の川口市、30万人都市の川越市・越谷市所沢市が南部に集中するほか、20万人都市が4市、10万人都市が13市と同等の人口を持つ自治体が多数存在することも特徴として挙げられる。政令指定都市のさいたま市は合併前に旧浦和市と旧大宮市業務核都市に指定されており、20世紀末に国などの関東地方出先機関が集まるさいたま新都心が誕生したことも重なり東京のベッドタウンでありながら関東地方において独自の重要性を持つ地域になりつつある。都営大江戸線東所沢方面への延伸や埼玉高速鉄道のさいたま市岩槻区方面への延伸も構想されている。

埼玉県は、場面や分野に応じて北関東に区分される場合もあれば南関東に区分される場合もある。また、埼玉県は千葉県や東京都、神奈川県とともに「東京圏」を構成し、相互の通勤・通学等の流動が多いことなどを重視し、南関東に区分されることが多いが、衆議院議員総選挙における比例ブロックにおいては北関東に区分されている。

地形

県東部は関東平野のほぼ中央に位置しており、全体的に低地で平坦な土地が広がる。利根川の支流である江戸川と利根川水系の中川が流れている他、それらの支流も数多く流れている。河床勾配が緩く、蛇行しているも多数流れることから洪水が起きやすい地域であったが、首都圏外郭放水路権現堂調節池(行幸湖)、大相模調節池などが建設され、現在も利根川中流と江戸川上中流の堤防を拡幅強化する首都圏氾濫区域堤防強化対策などの治水事業が行われており、浸水被害は減ってきている。利根川と荒川に挟まれた地域には本庄台地櫛挽台地からなる北武蔵台地が、荒川と中川に挟まれた地域は大宮台地が南北に広がっている。

県中部は荒川が流れており、荒川から西にかけて武蔵野台地、入間台地高坂台地東松山台地江南台地などの台地が広がっている。ただし、台地に挟まれた地域は、荒川の支流である不老川、入間川などが流れており、周辺と比較すると標高が低い。そのため実際に令和元年東日本台風では荒川水系入間川流域の複数の河川で決壊・洪水被害も発生している。さらに西へ進むと狭山丘陵加治丘陵岩殿丘陵、比企丘陵などの丘陵が点在し、西に進むにつれて標高が高くなっている。

県西部は関東山地が広がっており、秩父山地に囲まれた地域では秩父盆地を形成している。

分類 地名
平地 秩父盆地、関東平野(武蔵野台地、大宮台地、入間台地、江南台地、高坂台地、東松山台地、本庄台地、櫛挽台地)
丘陵 岩殿丘陵、狭山丘陵、比企丘陵、加治丘陵
山地 関東山地、秩父山地、奥秩父山地
主な山

甲武信ヶ岳、三宝山、雲取山宝登山両神山伊豆ヶ岳武甲山三峰山木賊山飛竜山和名倉山大平山奥秩父山塊

河川 荒川、入間川、芝川鴨川鴻沼川綾瀬川、利根川、中川、笹目川新河岸川大落古利根川、元荒川、高麗川霞川、江戸川、黒目川成木川伝右川、渡良瀬川、垳川、神流川、新方川、不老川、都幾川柳瀬川
湖・湖沼・用水路 秩父湖秩父さくら湖奥秩父もみじ湖西秩父桃湖狭山湖円良田湖玉淀湖神流湖彩湖宮沢湖鎌北湖名栗湖別所沼白幡沼伊佐沼武蔵水路見沼代用水野火止用水利根大堰六堰、首都圏外郭放水路

自然公園

分類 公園
国立公園 秩父多摩甲斐国立公園
国営公園 国営武蔵丘陵森林公園
県立自然公園 埼玉県立狭山自然公園、奥武蔵自然公園、黒山自然公園、埼玉県立長瀞玉淀自然公園、比企丘陵自然公園、上武自然公園、武甲自然公園、安行武南自然公園、両神自然公園、西秩父自然公園

隣接都道府県

埼玉県は隣接都県数が7都県と多く、関東地方では神奈川県を除く全ての都県と接している[注釈 1]。長野県は未舗装道路中津川林道(長野県側は舗装済)のみでしか直接的な行き来は出来ず、さらに冬季や夜間は通行止めとなっている(詳しくは中津川林道の項目を参照)。山梨県も雁坂トンネル有料道路でしかアクセス出来ず、また長大トンネルの規制により危険物搭載車両は山梨県と直通できない。

都府県 市区町村
茨城県 古河市猿島郡五霞町
群馬県 伊勢崎市太田市藤岡市高崎市多野郡上野村、多野郡神流町佐波郡玉村町邑楽郡大泉町、邑楽郡千代田町、邑楽郡明和町、邑楽郡板倉町
千葉県 松戸市流山市野田市
東京都 北区板橋区練馬区足立区葛飾区清瀬市西東京市東大和市東久留米市武蔵村山市東村山市青梅市西多摩郡瑞穂町、西多摩郡奥多摩町
栃木県 栃木市
長野県 南佐久郡川上村
山梨県 甲州市山梨市北都留郡丹波山村

気候

秩父地方は中央高地式気候、それ以外の地域は太平洋側気候である。また、内陸県であるため内陸性の気候も見られる。そのため冬季は全体的に冷え込みが厳しく、東京特別区横浜市千葉市などとは異なり毎日のように氷点下を記録する地域が多い。中でも秩父地方は特に冷え込みが厳しく、厳冬期は-10℃近くまで冷え込むこともある。一方、夏季は他県と比較して全体的に暑さが厳しく県内のほぼ全域で猛暑日がみられ、熊谷や越谷などでは日本国内でも屈指の酷暑となり、40℃を超える気温も観測されている。降水量は全般的に少ないが、特に冬季の降水量が非常に少ない。

  • 西部山間部・秩父地方 ・・・秩父盆地は典型的な内陸性の気候で冬寒く、夏暑くなる。一年を通して日較差が大きく、冬は秩父市内でも氷点下5度を下回る気温も珍しくないほどに冷え込み、1954年1月27日には-15.8℃の低温を記録した。しかし、近年は都市化の影響などでの温暖化が著しく、1月平均最低気温は旧平年値の-4.8度から-4.2℃と大幅に上昇した。夏は日中はかなり暑くなり、埼玉県の他地域と同様猛暑日が多いが、熱帯夜は非常に稀で、1926年の観測開始以来7日しかない。冬季は南岸低気圧の接近により、他地域が雨の場合も秩父地方は雪となることがほとんどであり、稀に30cm前後の積雪を記録することもある。2001年と2005年には秩父市の年間降雪量が200cmを超えるなど、関東地方の都市の中では雪の多い地域である。秩父山地ではしばしば大雪となることもある。秋、春においても朝晩の気温はかなり下がるのが特徴である。
  • 北部平野部・上武 ・・・熊谷市深谷市などの群馬県との県境に連なる北部平野部は、夏は暑さの厳しい埼玉県内でも特に暑くなる地域で、しばしば40度近い酷暑となることもあるなど日本一暑い地域の一つとなっている。2018年、熊谷市で、最高気温41.1℃を記録し、日本国内観測史上最高記録となった[6][7]。また、冬は内陸の割には、最低気温が比較的高い。これは、夜になっても季節風がおさまりにくいためで、南部や東部よりも高くなることも多い。実際、熊谷の1月最低平均気温は-0.7℃とさいたま市の-1.5℃よりも高い。降雪についても南岸低気圧が当地域に到達しにくいため、関東地方の中でも少ないほうである。
  • 南部・東部 ・・・北部ほどではないが東部を中心に夏は酷暑となり、特に越谷市周辺は全国有数の酷暑地域となっており2007年には40.4℃を観測している。冬は、朝晩は放射冷却の影響を受けやすいため北部よりも気温が下がることも多く、-5度前後の冷え込みとなることもある。さいたま市は東京23区に近いものの、1月の平均最低気温は-1.5℃と低く、2月半ばまではほぼ連日冬日となる。
  • 西部 ・・比較的標高が高い丘陵地帯・武蔵野台地に位置しているために、北部や東部、南部の平野部と比較し、より内陸性の気候を有している。夏季は暑く、冬季は寒い。特に鳩山町岩殿丘陵に囲まれた盆地状の地形であることから関東平野部でも冷え込みの激しい地点となり、1月の平均最低気温は-3.9℃であり、21世紀に入っても-10度以下を観測している。この地域は南岸低気圧による大雪となることもしばしばで、全体的には県南部や東部と比較し、東京の多摩地域の気候と類似性が見られる。気象庁の統計によると所沢のアメダス地点は気温の日較差や年較差がほかの地点よりもやや小さいが、これは観測露場が狭山湖畔に設置されているという局所的な影響が大きいからである。
熊谷
秩父
鳩山
さいたま
所沢
埼玉県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:気象庁・気象統計情報
平年値
(月単位)
秩父 北部 西部 東部・南部
秩父 寄居 熊谷 鳩山 所沢 久喜 越谷 さいたま
平均
気温
()
最暖月 25.0
(8月)
25.5
(8月)
26.4
(8月)
25.3
(8月)
25.5
(8月)
26.0
(8月)
26.6
(8月)
26.4
(8月)
最寒月 1.3
(1月)
3.2
(1月)
3.7
(1月)
2.5
(2月)
3.6
(1月)
3.2
(1月)
4.0
(1月)
3.5
(1月)
降水量
(mm)
最多月 242.1
(9月)
229.0
(9月)
208.7
(9月)
224.6
(9月)
244.8
(9月)
210.7
(9月)
188.8
(9月)
219.7
(9月)
最少月 19.0
(12月)
16.7
(12月)
20.1
(12月)
23.2
(12月)
27.0
(12月)
26.5
(12月)
32.4
(12月)
26.9
(12月)

地域

埼玉県には、40の市、22の、1つのがある。市の数40は日本の都道府県で最多、市町村数63は北海道、長野県に次いで日本国内第3位である。なお、町はいずれも「まち」、村は「むら」と読む。

郡・旧郡による区分

埼玉県 地域区分図(郡・旧郡による区分)

埼玉県には1896年以来、以下の9つのがおかれている。郡に含まれる地域は、市制施行や市町村合併に伴い次第に縮小しているが、現在属する郡、および過去に属していた郡による地域区分が、「○○地方」「○○地区」「○○郡市」といった名称で、教育行政等の分野で用いられることがある。(例:埼玉県内公共図書館等横断検索 [1]

県東部の埼玉郡(特に南埼玉郡)と北葛飾郡については、埼葛といった名称で、区分され用いられることもある。(例:埼葛広域農道、埼葛人権を考えるつどい、埼葛テスト、埼葛斎場組合など)

10地域区分

埼玉県 地域区分図(10地域区分)

現行の5か年計画「ゆとりとチャンスの埼玉プラン」(計画期間:2007年度-2011年度)で用いられているほか[8]、2010年4月より、この10地域区分に基づく二次保健医療圏の再編が行われ、名称もプランに合わせる形で変更となった[9]。2008年4月、上記の「地域創造センター」と「産業労働センター」とを再編する形で、政令指定都市であるさいたま市1市でなるさいたま地域を除く9地域それぞれに、「地域振興センター」が設置された。埼玉県ホームページ上の地図

市町村一覧

太字は地域振興センター所在市町村である。なお、さいたま市は政令指定都市であるため、太字の行政区が市役所所在地である。

地域 市区町村 説明
さいたま地域 埼玉県の県庁所在地にして、県内・内陸県唯一の政令指定都市でもある。2001年5月1日浦和市大宮市与野市の3市の合併により新設され、2003年4月1日に政令指定都市に移行する。2005年4月1日には岩槻市を編入して現在の市域となった。

もともと県庁所在地であった旧浦和市(現浦和区南区緑区桜区)時代から県政の中枢地として機能している。人口においても旧浦和市、現さいたま市ともに県内1位。また、鉄道の町として栄えた旧大宮市(現大宮区西区北区見沼区)は商業都市として賑わっている。京浜東北線沿いの南区、浦和区、中央区を中心に高い人口密度の市街地が連なり、夜間人口密度は浦和区、南区、中央区の順に、日中人口密度は浦和区、大宮区、中央区の順で高くなっている(2015年国勢調査)。江戸時代以降、浦和以北では、大宮台地(浦和大宮支台)上に中山道が通りここに浦和宿と大宮宿が成立、この宿場がそれぞれ旧浦和市と旧大宮市の中心部分を形成し両者をJR東北本線が南北に貫いている。西には荒川が、東には元荒川が流れる。 またJリーグクラブである浦和レッドダイヤモンズ大宮アルディージャの本拠地があり、特に旧浦和市はサッカーの街としても著名である。

南部地域 北足立郡の南部に属していた地域が該当する。中心となる川口市(中核市)は超高層マンションが林立し、政令指定都市以外では船橋市に次ぐ国内2番目の人口を有している。川口市西部を縦断する京浜東北線を軸とする三市の関わりは深いが、戸田市は埼京線開業後は川口市との関係は少し薄くなっている。それに対し蕨市と戸田市は同じ中山道沿線に位置し、歴史的にも関わりが深い。蕨市は全国の市の中で最も面積が狭いことで知られている。
県央地域 北足立郡北部に属していた地域が該当する。伊奈を除く4市は中山道沿いの宿場町で、現在も高崎線沿線として関係性が強い。伊奈町はさいたま市のベッドタウンとして宅地化が進行している。
南西部地域 北足立郡の西部(旧新座郡域)、入間郡東部に属していた地域が該当する。東京都に近接し、東武東上線川越街道沿いの宅地化が著しい。新座市は都営地下鉄大江戸線の延伸を見込んだ大規模な区画整理事業の計画がある。
東部地域 おおむね南埼玉郡と北葛飾郡の南部および2つの郡の南部に属していた地域と草加市(ほとんどが北足立郡)が該当する。高度経済成長期以降、東京との近接性から東武伊勢崎線沿線を中心に宅地化が進行し、越谷市や草加市で人口が増加した。中心的な位置づけにあり越谷レイクタウンの造成に力を入れた越谷市(中核市)が地域でも最も人口が多く、草加市、春日部市と続く。
西部地域 おおむね入間郡の南部に属していた地域が該当する。三富新田などの広がる武蔵野台地から西に行くにつれ台地―丘陵と遷移し奥武蔵と呼ばれる。関東旧来の生活風俗が色濃く残る地域でもある。県内よりも多摩地域と繋がりが深く、西武池袋線西武新宿線を中心とする都市軸が形成されている。埼玉西武ライオンズの本拠地のある所沢のほか、狭山・入間は狭山茶の産地として知られる。柳瀬川流域には現在も武蔵野の原風景を残している地区があり、宮崎駿監督のアニメーション映画となりのトトロ」ではその舞台となった(所沢市松郷周辺など)。また、2019年には世界初進出のムーミンに関するテーマパークメッツァ」が飯能市に開業した。

2020年には所沢市と株式会社KADOKAWAが共同で東所沢を中心とする開発事業「COOL JAPAN FOREST構想」の拠点施設として複合文化施設兼新オフィス(新本社)の「ところざわサクラタウン」が開業する。

川越比企地域 入間郡北部と比企郡、およびこの2郡に属していた地域。小江戸と呼ばれる川越藩城下町として発展した川越市中核市)を中心として東武東上線や関越自動車道が延びる。北側の比企地域の中心となるのは東松山市で、比企丘陵・岩殿丘陵・吉見丘陵・嵐山渓谷など外秩父の自然美が広がり、埼玉県こども動物自然公園や国営武蔵丘陵森林公園がある。古来より秩父地方とともに武蔵国の枢要であり、畠山氏河越氏が活躍した。
川越比企地域(東松山事務所管内)
北部地域 おおむね児玉郡、大里郡およびこの2郡に属していた地域が該当する。北端を利根川、南を荒川が流れており低地や台地を主体とするが、秩父地方に接する南西側に近づくにつれ丘陵へと遷移する。熊谷の商業地を中心に、周辺都市や隣接する群馬県から消費者が流入する。工業は各地の工業団地を中心に発達している。また、渋沢栄一塙保己一の出身地として観光ルートの設定、特産物の深谷ねぎをモチーフにしたふっかちゃんをアピールした地域振興が特色となっている。
北部地域(本庄事務所管内)
利根地域 おおむね南埼玉郡と北葛飾郡の北部、北埼玉郡およびこの3郡に属していた地域が該当する。北部に利根川が流れ、比較的農業が盛んな地域となっている。また、さきたま古墳群忍城などの観光地も存在する。地域内を南北に東北自動車道が、東西に首都圏中央連絡自動車道が交差し、近年物流拠点として沿線での倉庫・工場立地が活発化している。
秩父地域 秩父郡および同郡に属していた地域が該当する。県の一番西側に位置する地域である。関東山地やその周辺の山々とそれらに囲まれた秩父盆地からなり、秩父三十四箇所巡礼や秩父夜祭秩父芝桜などの観光産業が発達。結晶片岩の岩畳を特徴とする景勝地長瀞渓谷は、サメなどの古生物の化石が発掘されることから「日本地質学発祥の地」「地球の窓」とも呼ばれ、古秩父湾堆積層及び海棲哺乳類化石群が国の天然記念物に指定されている。

歴史

先史・古代

県内で旧石器時代の遺跡は、大宮、武蔵野、江南下総の各台地、秩父盆地の各河川流域に約500が確認されている。この時代の遺跡・遺構は3万年前以降の立川ローム層・大黒ローム層から発見されている[10][11]

県域は隆起海退によって形成された。縄文時代において海面は現在よりも高く、東京都東部から県域南東部を中心とした海抜の低い地域は、古東京湾の入り江が大きく入り込んでいたため、海底だったと推定される。その証拠に、川口市の旧鳩ケ谷市域等に貝塚が至る所に発見されており、海岸に近かったことが伺える。縄文時代末期には県域南東部で陸地化が進み、弥生時代には埼玉県全土がほぼ陸地化した(三郷市では弥生時代の土器片が見つかっている)[12]

古代の国撰史書である『日本書紀』の安閑天皇元年(534年?)の記載に、「十二月…(中略)…是の月に武蔵国造笠原直使主と同族小杵と国造を相争いて年経るに定めがたし」云々とあり、現在の鴻巣市笠原地区付近に居を構えていたとされる豪族、笠原直使主と同族の小杵による武蔵国造の勢力争いが起き、朝廷の力を借りた使主が勝利し、国造となった使主は朝廷に横渟多摩郡または横見郡)・橘花(神奈川県橘樹郡)・多氷(多摩)・倉樔(神奈川県久良郡)の四箇所を屯倉として差し出したと記述されていることや、6世紀に突如現れたこの地の巨大古墳群、および後述の鉄剣などから大和朝廷の直接支配まで、長らく武蔵国における中心だったと考えられる。なお現在の埼玉県にあたる地域には、上述の武蔵国造(无邪志国造)のほかに、のちの秩父郡を本拠とする知々夫国造も存在していた。本域は、律令制以前は、毛野国と呼ばれ、筑紫国吉備国に比肩する大国であったとされ、大和朝廷との関係において高い地位にあり、現在の東京地域よりも繁栄していた。

和銅元年(708年)に、現在の埼玉県秩父市黒谷にある和銅遺跡から、和銅(ニギアカガネ、純度が高く精錬を必要としない自然銅)が産出したことを記念して、「和銅」に改元するとともに、日本最初の流通貨幣となる和同開珎が発行される。

1968年(昭和43年)に行田市埼玉にある、さきたま風土記の丘(現:さきたま古墳公園)の稲荷山古墳から出土した鉄剣(金錯銘鉄剣)は、1978年に奈良市にある元興寺文化財研究所で保存処理を行った際、表裏に金象嵌で115文字の銘文があることが分かり注目を浴びた。その文中にある「獲加多支鹵大王(ワカタケル大王)」は『記紀』に登場する雄略天皇であり、『宋書』倭国伝に見える倭王武であって、冒頭の「辛亥の年」は(471年)であるとする学説が主流である。古代史ブームの巻き起こる中で、鉄剣の解釈をめぐりさまざまな議論がある[13][14]

埼玉県域の郡は、足立・新座・入間・高麗・比企・横見・埼玉・大里・男衾幡羅榛沢那珂・児玉・賀美・秩父郡である。また郷の数は県域で75郷である(『和名類聚抄』)。県域内の郡衙所在地は不明なところが多い。神護景雲3年(769年)9月17日に正倉4倉が焼失し、穀類や人に死傷者が出ている。雷火による天災か神火(じんか)[注釈 2] による人災か不明である[15]

中世

中世には武蔵国で人口の特に多かった北武蔵の丘陵地や台地に武蔵武士が出現し、河越氏や畠山氏ら諸氏を分出した秩父氏の一族が活躍した。また同族集団として形成された武蔵七党など中小規模の在地土豪も出た。平治の乱を経て武蔵国が平氏の知行国になると武蔵守には平氏一門が任じられると武蔵武士は被官化し、新恩地を得て西国へも進出した。治承4年(1180年)の源頼朝の挙兵後に服従した豪族には、県域に勢力を持っていた秩父一族が主に頼朝に味方し、治承・寿永の乱における合戦に参戦した。河越氏や畠山氏、比企氏らは鎌倉幕府の創設期に重用されて政務に参画するが、幕府権力の確立課程では河越氏を除き没落し、武蔵武士の地位は低下した。

中世には鎌倉幕府の成立を契機に街道が整備され、西武蔵には南北に鎌倉街道の上道や中道が通じて奥州方面と結ばれ、物資の流通路となったほか軍事的にも重視され、沿道には城館が分布する。幹線道の整備に伴い脇道や水上交通も発達し、多くの市や宿が成立した。

河越氏が武蔵平一揆で没落すると戦国期の武蔵は鎌倉公方足利氏関東管領上杉氏との対立、鎌倉公方・関東管領の分裂などの影響を受けて乱国状態となった。県域は北武蔵(前線拠点は五十戸(今の本庄市))を地盤とし堀越公方方の山内上杉氏、南武蔵(拠点は川越城)に本拠をおいた扇谷上杉氏などが勢力を争った。下総国方面には古河公方が勢力を張った。

戦国後期には相模国後北条氏が台頭する。天文10年(1541年)には最重要拠点の川越城を巡り、川越を後北条氏に奪われた扇谷上杉氏の上杉朝定は関東管領の上杉憲政と古河公方と結び、城の救援に向かった北条氏康との間で川越夜戦が行われた。敗北した扇谷上杉氏は滅亡し、後北条氏の勢力圏となった武蔵には多くの支城が築かれ、氏康は上杉憲政を圧迫する。

憲政は越後国守護代の長尾景虎(のちの上杉謙信)を頼り、関東管領職と上杉家家督を譲り受けた景虎は関東出兵を行い氏康と争った。後北条氏は甲斐国武田氏駿河国今川氏三国同盟を結び景虎と争っていたが、同盟破綻後の永禄12年(1569年)には越後と和睦して越相同盟を結び、武田氏の秩父方面への侵攻を招いており、こうした複雑な外交情勢のなか北関東の国衆は翻弄された。

後北条氏は天正年間には関東の大半を支配し、豊臣羽柴)家に次ぐ全国第二位の勢力となる。

近世

天正18年(1590年)には豊臣秀吉天下統一における小田原征伐において後北条氏は没落する。後北条氏の没落に際して東海五カ国を支配していた徳川家康が関東へ転封され、武蔵を含む関東地域には徳川氏の家臣団が配置された。関ヶ原の合戦を経て江戸幕府による支配が確立すると、埼玉県域には「武蔵三藩」と呼ばれる川越藩や忍藩岩槻藩(それに武蔵国には知行地をほとんど持たなかった岡部藩など)が立藩。江戸に近く親藩譜代の重臣が配されたが、川越藩を除き城下町の形成は小規模であった。川越は江戸北方の防衛拠点として、また武蔵国の商工業の中心地として「小江戸」と呼ばれ繁栄した。

江戸幕府により江戸を起点とした五街道の整備が進められ、埼玉県内には中山道に9つの宿場蕨宿、浦和宿、大宮宿上尾宿桶川宿鴻巣宿熊谷宿深谷宿本庄宿)、日光街道奥州街道)に6つの宿場(草加宿越ヶ谷宿粕壁宿杉戸宿幸手宿栗橋宿)が置かれた。五街道に準ずる脇往還は、県内では川越往還、川越・児玉往還日光脇往還日光御成街道、関宿往還、秩父往還、秩父甲州往還が整備された。

明暦年間には野火止用水が、享保年間から見沼代用水が開鑿され、元禄年間に三富新田の開発が行われ米麦栽培が増大したほか、養蚕織物木綿の栽培や野菜など地域特産物の生産も盛んになり、定期市で販売されたほか、利根川・荒川・新河岸川の舟運を通じて江戸へも移出された。

明和元年(1764年)には大規模な百姓一揆である中山道伝馬騒動が発生している。

近世後期には幕領と旗本領の錯綜する関東一円で無宿人・浪人が増加したため社会不穏が増大し、幕府では文政の改革に伴い文化2年(1805年)に関東取締出役を設置して警察力の強化が行われ、村々では組合村を形成して対応している。

幕末には異国船が日本近海に出没し、嘉永6年6月3日(1853年7月8日)にはアメリカペリー艦隊が来航し幕府に通商を求めるが、江戸湾の海防は川越藩、忍藩が彦根藩会津藩を加えた四藩で担当し、藩士の現地派遣や遠見番所の設置などを行った。ペリー艦隊の来航に際しては海防策が修正され、品川台場の防衛を川越藩・忍藩・会津藩が担当した。海防強化は村々へも負担が生じるが、一方で日本が開国し本格的な貿易を開始すると積極的に対外交易を試みる投機商も出現した。

近世後期の社会変動、開港前後の諸役負担や経済変動は農村社会に影響を与え没落農民層も発生していたが、慶応2年6月13日(1866年7月24日)には入間郡を中心に中山道以西地域に波及した武州一揆が発生し、関東取締出役の出向により鎮圧される。

明治 - 昭和

  • 慶応4年(1868年) - 6月19日、忍藩士の山田政則が武蔵知県事に就任、旧幕府領を管轄する。
  • 明治2年(1869年) - 1月10日、山田政則知県事が宮原忠英に交代。1月13日、宮原知県事の管轄地域に大宮県を設置し、県庁は東京府馬喰町に置かれる。9月29日、県庁が浦和に置かれ浦和県に改称。
  • 明治4年(1871年) - 7月14日廃藩置県を受けて領に川越県忍県岩槻県の3県が誕生。11月14日、忍県・岩槻県・浦和県の3県が合併して埼玉県が誕生(足立郡・埼玉郡・葛飾郡の一部。現在の東部地域に相当)。同日、川越県は品川県の一部を吸収して入間県となる(現在の西部地域・北部地域・秩父地域に相当)。埼玉県の県庁所在地は埼玉郡岩槻町(現さいたま市岩槻区)とされたが、適する建物が無く、旧浦和県庁を流用する形で浦和宿(現さいたま市浦和区)に県庁が置かれた。入間県の県庁は川越城に置かれた。
  • 1873年(明治6年) - 入間県が群馬県と合併し熊谷県となる。熊谷県の県庁は熊谷駅(現熊谷市)に置かれた。
  • 1874年(明治7年) - 埼玉県師範学校埼玉大学の前身)が発足。
  • 1876年(明治9年) - 熊谷県は解消され旧入間県の地域は埼玉県と合併、現在の埼玉県が成立。
  • 地元出身の渋沢栄一、福澤桃介大川平三郎などが活躍、日本の近代化に貢献する。
  • 1883年(明治16年)7月28日 - 日本初の私鉄「日本鉄道」(東北本線・高崎線上野駅 - 熊谷駅間)が開通し、浦和駅上尾駅鴻巣駅・熊谷駅が開業。
  • 1884年(明治17年) - 秩父地方で松方財政の不況の中借金に苦しむ負債農民が秩父事件を起こす。
  • 1885年(明治18年)3月16日 - 大宮駅が開業。
  • 1890年(明治23年) - 浦和を県庁所在地とする勅令が出される。
  • 1894年(明治27年)12月21日 - 川越鉄道川越線(現:西武新宿線)久米川(現:東村山駅) - 川越(現:本川越駅)間が開業。
  • 1895年(明治28年) - 第一尋常中学校(現埼玉県立浦和高等学校)、第二尋常中学校(現埼玉県立熊谷高等学校)が開校。
  • 1899年(明治32年)8月27日 - 東武鉄道(現:東武伊勢崎線北千住駅 - 久喜駅間が開業。
  • 1911年(明治44年) - 日本初の航空機専用飛行場、所沢陸軍飛行場が開港。
  • 1914年(大正3年)5月1日 - 東上鉄道(現:東武東上本線池袋駅 - 田面沢駅間が開業。
  • 1915年(大正4年)4月15日 - 武蔵野鉄道(現:西武池袋線)池袋駅 - 飯能駅間が開業。
  • 1921年(大正10年) - 官立の旧制浦和高校(埼玉大学の前身)が開校。
  • 1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災発生。県内での被害が軽微だったため、以後移住者が増加し、浦和画家などの文化も隆盛。
  • 1929年(昭和4年)11月17日 - 北総鉄道(現:東武野田線)大宮駅 - 春日部駅間が開業。
  • 1940年(昭和15年)7月22日 - 川越線が開通。
  • 1941年(昭和16年)
  • 1943年(昭和18年)7月1日 - 埼玉銀行(現:埼玉りそな銀行)が発足。
  • 1945年(昭和20年)8月15日 - 熊谷空襲が発生。太平洋戦争最後の空襲かつ埼玉県内における最大規模の空襲となった。
  • 1946年(昭和21年) - 進駐軍によって埼玉会館に埼玉軍政部が設置された。
  • 1949年(昭和24年) - 新制大学として埼玉大学が発足。
  • 1965年(昭和40年) - 県人口が300万人を突破。
  • 1971年(昭和46年)
  • 県人口が400万人を突破。
    • 11月14日 - 明治4年の廃藩置県で埼玉県が誕生して100年後にあたるこの年、県が「埼玉県民の日」を制定。毎年この日を中心とした10月 - 12月、様々なイベントが開催される[16]
  • 1973年(昭和48年)
  • 1977年(昭和52年) - 県人口が500万人を突破。
  • 1982年(昭和57年)
  • 1983年(昭和58年)12月22日 - 埼玉新都市交通伊奈線が開通。
  • 1985年(昭和60年)9月30日 - 埼京線が開通。
  • 1987年(昭和62年) - 県人口が600万人を突破。
  • 1988年(昭和63年) - さいたま博覧会が開催。

平成以降

人口

2010年から2015年までの人口増加率は東京都、沖縄県に次ぐ国内3位となっている(都道府県の人口一覧も参照)。


埼玉県の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より
埼玉県市町村人口増減率分布図(2005年度と2010年度国勢調査から算出)

平均年齢

41.6歳(男40.7歳、女42.5歳。2006年(平成18年)1月1日現在)

政治

県政

2019年(令和元年)8月25日初当選、8月31日就任。
現在1期目で、任期満了日は2023年(令和5年)8月30日。

歴代知事(公選制以降のみ)

  • 第42代(公選制初代) 西村実造(1947年4月12日 - 1949年3月28日、1期・官選制で1期在任)
  • 第43代・第44代(公選制第2代) 大沢雄一(1949年5月17日 - 1956年5月29日、2期)
  • 第45代 - 第48代(公選制第3代) 栗原浩(1956年7月16日 - 1972年7月12日、4期)
  • 第49代 - 第53代(公選制第4代) 畑和(1972年7月13日 - 1992年7月12日、5期)
  • 第54代 - 第56代(公選制第5代) 土屋義彦(1992年7月13日 - 2003年7月18日、3期)
  • 第57代 - 第60代(公選制第6代) 上田清司(2003年8月31日 - 2019年8月30日、4期)
  • 第61代(公選制第7代) 大野元裕(2019年8月31日 - 、1期)

県の主要施設

インターネット放送

埼玉県はインターネット放送を通して知事記者会見、県議会中継などを映像配信し県政の広報に務めている[19]

国政

衆議院小選挙区が15。参議院では、全県で1区を構成。

国の機関

※全都道府県に設置されているものを除く。

省庁・裁判所 機関
財務省
国税庁
警察庁
総務省
厚生労働省
農林水産省
環境省
経済産業省
国土交通省
法務省
公安調査庁
  • さいたま公安調査事務所(さいたま市浦和区)
防衛省
文部科学省
  • 理化学研究所(和光市)
人事院
  • 関東事務局(さいたま新都心)
  • 公務員研修所(入間市)
最高裁判所

経済・産業

産業

2012年(平成24年)度の県内総生産は21兆8428億円であり[20]アラブ首長国連邦の国内総生産よりやや多い程度である[21]。世界で40位前後の国に相当する経済規模を有している[22]。2014年(平成26年)時点での県内の事業所数は26万6261事業所で、東京都大阪府愛知県神奈川県に次いで全国第5位である。

産業別の事業所数では卸売・小売業、サービス業、製造業、飲食店・宿泊業、建設業の順に多く、従業者数では卸売・小売業、製造業、サービス業、医療・福祉、飲食店・宿泊業の順に多い。また、市町村別の事業所数ではさいたま市、川口市、熊谷市、川越市、所沢市と続き、従業者数ではさいたま市、川口市、川越市、所沢市、熊谷市と続く。2007年(平成19年)の年間商品販売額は15兆1,109億5,967万円、製造品出荷額等は、14兆7,302億円である。

洋菓子チョコレート類の生産額は、全国トップクラスで日本有数のスイーツ王国でもある[23]

2014年(平成26年)の観光客入込数は約1億628万人と推計されており、近年増加傾向にある。目的別で最も多いのは各種行事まつり見学客で、スポーツ客、遊園地客がこれに続く。寺社参詣・文化財・産業観光客数は増加傾向にある。

県内の主要企業

Category:埼玉県の企業を参照。

金融機関

交通・生活

交通

鉄道

埼玉県に所在する駅数は230駅であり、千葉県(336駅)と比較して100駅以上少なく、京都府(241駅)と同じ程度である。これは京浜東北線埼京線のように駅間で競合する路線が少なく、県の面積も比較的狭いためである。

県内最大の乗降客数を持つさいたま市の大宮駅には東日本旅客鉄道東北新幹線上越新幹線の全列車が停車しており埼玉県南部からの他東京西郊、新宿、池袋方面から東北・上越方面へ乗り換える際の最速経由地としても機能している。一日平均乗降人員は約70万人であり、県内の駅で乗降人員が最も多い。JTBパブリッシング交通新聞社(都道府県代表駅の記号がない「東京時刻表」を除く)の時刻表やJRホームページの公式路線図における県代表駅はさいたま市発足前からの県庁所在地であり県内最大の人口を有する都市でもあった浦和市の中心駅である浦和駅であり、埼玉県庁およびさいたま市役所を含む官庁街に至近でありさいたま市の都市計画における「県都の玄関口」でもある。浦和駅には2020年時点で成田エクスプレスを除く東北本線高崎線の全列車が停車する。

両駅を結ぶのは宇都宮線(・高崎線)と京浜東北線であり、川口市南部で荒川を渡って東京都心へ直結する。2001年12月1日に湘南新宿ラインが、2015年3月14日に上野東京ラインが開業して東京都心への速達性と利便性が大幅に向上し、両駅は首都圏の住みたい街ランキングでもベストテンに浮上するようになった。県内にある京浜東北線の各駅は与野駅を除く全駅で一日平均乗降人員が10万人を越え、最も人口密度が高い地域である。

1970年代に新幹線の建設計画に伴う東北・上越新幹線反対運動が県南部で行われた。その見返りとして新幹線に並行して通勤新線(埼京線)と新交通システム(埼玉新都市交通ニューシャトル)を建設し、騒音対策として都市施設帯を設けることで同意し、1980年代にそれぞれの路線が開業した。大宮駅以北の宇都宮線・高崎線の沿線は、東北・上越新幹線の開業に伴い長距離列車が削減され、中距離電車が増発されたことを契機に住宅開発が進展した。

県の東部は東武伊勢崎線東武日光線埼玉高速鉄道線首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスが、県の西部は東武東上本線西武新宿線西武池袋線西武秩父線がそれぞれ東京都心に直結している。東武伊勢崎線と東武日光線は東京メトロ日比谷線東京メトロ半蔵門線に、埼玉高速鉄道線は東京メトロ南北線に、東武東上本線と西武池袋線は東京メトロ有楽町線東京メトロ副都心線に乗り入れる。県の西部を南北に縦断する八高線高麗川駅を境に電化区間と非電化区間が分けられており、高麗川駅より北側は県内で唯一の非電化区間である。

このように東京都心に直結して県内を南北に縦断する路線が多い反面、県内を東西に横断する路線は少ない。このうち県南部を横断して多数の路線と接続する武蔵野線が最も輸送人員が多く、東日本旅客鉄道の東京メガループに指定されている。大宮駅に接続する東武野田線川越線はどちらも県内を東西に横断するが、野田線は春日部駅以東に、川越線は日進駅以西に単線区間が残されている。また、川越線は川越駅で運行系統が終日分断されている。熊谷駅に接続する秩父鉄道秩父本線は県北部を横断しているが、全線単線で利用者数が少なく、県が設備整備に対して補助金を交付している。

神奈川県や千葉県とは異なり、混雑率が190%を超える路線は存在しない。2019年度現在、県内で朝ラッシュ時の混雑率が最も高い路線は埼京線の185%であり、最混雑区間は板橋駅から池袋駅までの区間である。2010年度まで混雑率が200%を超えていたが、広幅車体の導入により2014年度に190%を下回った。京浜東北線の南行は長い間上野駅から御徒町駅までの区間で200%を超えていたが、2014年度に上野東京ラインが開業したことで同区間の混雑が大幅に緩和され、2015年度から最混雑区間が川口駅から赤羽駅までの区間に変更された。貨物線として計画された武蔵野線はラッシュ時の本数が少なく、2006年度まで混雑率が200%を超えていたが、本数の増加により2015年度に180%を下回った。最混雑区間は東浦和駅から南浦和駅までの区間である。

東武伊勢崎線は1974年に関東私鉄で初めて複々線化を行い、2001年に北千住駅から北越谷駅までの、2020年現在もJR以外では最長の18.9kmで複々線化が完了した。朝ラッシュ時は東急田園都市線京王線と匹敵する輸送量を記録しているが、混雑率は160%を下回る。西武池袋線は千鳥停車を採用して速達性を確保しつつ混雑の平準化を図ったが、1993年度まで混雑率が200%を超え、当時の関東私鉄で小田急小田原線と匹敵して最も混雑率が高い路線だった。1994年に西武有楽町線の全線が、1997年に都営地下鉄大江戸線新宿駅まで延伸開業したことで輸送量が減少し、2000年度に混雑率が170%を下回った。

東武東上本線は長い間特急車両が存在しなかったが、2008年に関東私鉄で初めてクロスシートとロングシートに転換できる車両を導入した。ラッシュ時はクロスシートでTJライナー等の優等列車に充当し、日中はロングシートで一般列車の運用に充当する。2017年に西武池袋線でS-TRAINを導入したが、平日は東京メトロ有楽町線に、土休日は東京メトロ副都心線に直通する。東武伊勢崎線でもTJライナーと同様の車両を2020年に導入して、東京メトロ日比谷線に直通するTHライナーの運行を開始した。

バス

川口市周辺は国際興業バスが、秩父市周辺は西武観光バスが路線バスを一手に引き受けているが、それ以外の地域では路線の競合が見られる。県内最大のターミナル駅である大宮駅では、東口に国際興業バスと東武バスが、西口に東武バスと西武バスがそれぞれ乗り入れている。

東武線・東上線沿線は東武バスが、西武線沿線は西武バスが多数の路線を担っている。東武バスは2000年頃に多数の営業所が移管され、越谷市より北側の東部地域で運行されていた路線は朝日自動車茨城急行自動車に、坂戸市より北側の西部地域で運行されていた路線は川越観光自動車に移管された。2002年に分社化された後、伊勢崎線沿線は東武バスセントラル、東上本線沿線は東武バスウエストにより運行されている。JR高崎線沿線においては熊谷地区で国際十王交通が運行している。

2002年に道路運送法の規制緩和を受けて、越谷市から南部の東部地域で多数の新規路線が参入し、つくばエクスプレスの開業に伴い路線網が再編された。メートー観光タローズバスマイスカイ交通グローバル交通京成タウンバス京成バスが武蔵野線沿線とつくばエクスプレス沿線で運行されている。

平日の終電後に運転される深夜急行バスは、大宮駅のほか都内の池袋駅、上野駅東京駅などを発車して県南部の主要駅へ向かう路線が多数運行されている。羽田空港や成田空港に直結する空港連絡バスもターミナル駅を中心に多数運行されている。

道路

県の南部を東京外環自動車道が横断し、東から順に三郷ジャンクション常磐自動車道川口ジャンクション東北自動車道大泉ジャンクション関越自動車道に接続する。常磐自動車道は首都高速6号三郷線、東北自動車道は首都高速川口線と接続する。関越自動車道は首都高速道路に接続せず、美女木ジャンクション首都高速5号池袋線首都高速埼玉大宮線が接続し、首都高速埼玉大宮線は首都高速埼玉新都心線に直通する。利根地域から県の西部にかけて首都圏中央連絡自動車道が横断し、東から順に久喜白岡ジャンクションで東北自動車道、鶴ヶ島ジャンクションで関越自動車道と接続する。

首都高速6号三郷線の八潮パーキングエリアはつくばエクスプレスの八潮駅に近接しており、パーキングエリアを出場して鉄道路線への乗り継ぎができる。首都高速川口線の川口パーキングエリア赤山歴史自然公園と隣接しており、首都高で初めてのハイウェイオアシスとして整備が進められている。

県内の一般国道のうち、東部を縦断する国道4号、県央を横断して首都圏を環状に結ぶ国道16号、県央を縦断する国道17号と東京外環自動車道に並走する国道298号は全区間が指定区間(直轄国道)であり、国土交通省関東地方整備局の大宮国道事務所および北首都国道事務所が道路を管理している。指定区間外の国道(補助国道)と県道は県が管理しているが、政令指定都市のさいたま市にある指定区間外の国道と県道はさいたま市が管理している。埼玉県内で完結する国道は越谷市から入間市までを結ぶ国道463号のみであり、それ以外の国道はすべて県境を跨る。

東北自動車道と並走する区間を有する国道122号岩槻インターチェンジ付近で国道16号と平面交差しており、更に下り線はクランク状態で片側1車線となるため、慢性的に渋滞している。国道125号は利根地域を横断し、国道122号と重複する区間にイオンモール羽生が近接する。山梨県との県境を跨る国道140号雁坂峠を越える秩父往還がそのまま国道になったものであり、指定当初から点線国道だったが、1998年に雁坂トンネル有料道路が開通して自動車での往来が可能となった。全長6,625mの雁坂トンネルは一般国道で最長の山岳トンネルである。

ヘリコプター

埼玉県内に民間空港はないが、桶川市にはヘリポートがある。

警察

医療・福祉

災害拠点病院
保育所

教育

埼玉県の公立中学校では、高校入試のさいに、調査書の偽造が行われている。(刑法60条共同正犯、刑法156条虚偽有印公文書作成、刑法158条1項虚偽有印公文書行使)

分類 学校
専修学校 埼玉県専修学校一覧
特別支援学校 埼玉県特別支援学校一覧
高等学校 埼玉県高等学校一覧
中学校 埼玉県中学校一覧
小学校 埼玉県小学校一覧
幼稚園 埼玉県幼稚園一覧

マスメディア

新聞社

テレビ局

県域放送のテレビ埼玉のほかに、広域放送NHK放送センター総合テレビEテレ)と在京キー局5局(日本テレビテレビ朝日TBSテレビテレビ東京フジテレビ)が県内全域が放送対象地域に、また放送対象地域外のTOKYO MXが県内東部のほとんど[24]チバテレが県南東部[25]群馬テレビが県北部[26] で受信エリアのめやすとなっている。

ラジオ局

※他にInterFM897が、県内の対象地域はさいたま市のみではあるが[27]、南部を中心に放送区域となっている[28]。放送対象地域外のTOKYO FM(概ね児玉地域と秩父地域以外の平野部[29][30][31]FMぐんま(県北部[32])、J-WAVE[33][34]FMヨコハマ[35]bayfm(県東部[36])、エフエム富士[37] がそれぞれ県内の一部が放送エリアのめやすとなる。
  • AMラジオ局
※後述する当県に送信所があるAMラジオの他にニッポン放送が放送対象地域になっている。

ケーブルテレビ局

送信所がある放送局

広域放送

下記の関東地方の広域放送局の送信所が埼玉県内にある。

また県内各所にNHK放送センターと広域民放5社の地上デジタルテレビジョンの中継局(児玉・本庄・小鹿野・小川・鬼石・秩父定峰・秩父・秩父栃谷・飯能上赤工・飯能唐竹・飯能原市場・風布・横瀬根古谷の各中継局)[38] が設置されている。 ※送信チャンネルについては総務省関東総合通信局のウェブサイト(デジタル中継局開局情報)を参照。

県域放送
  • NHKさいたま放送局・テレビ埼玉 - 平野原送信所(NHKさいたま放送局は県域FM放送の送信のみ)
  • FM NACK5 - 比企郡ときがわ町の飯盛峠

文化・スポーツ

方言

1908年(明治41年)の国語調査委員会報告以来、関東地方において京阪式アクセントに似たアクセントの使用地域(主として旧葛飾郡域にて。実態は東京式アクセントの一段階変化形特殊アクセントであった)として注目を集めたが、退潮が著しく高年層の発話に聞かれるだけになっている。他はほぼ全域にわたって東京式アクセントによる東部方言西関東方言が用いられる。東京に近い上に県外からの転入者が多いことから共通語の影響が強く、西関東方言も衰退しいわゆる「首都圏方言」が使われているところも多い。

食文化

郷土料理
ご当地グルメ

伝統工芸

経済産業大臣指定伝統的工芸品
伝統工芸品
民芸品

日本一

スポーツ

野球
サッカー
ラグビー
バレーボール
バスケットボール
ハンドボール
卓球
  • Tリーグ(Tプレミアリーグ・男子)
    • T.T彩たま(埼玉県全域をホームタウンとしているが、さいたま市を中心活動地域としている。仮称は「チームさいたま」)
ロードレース
相撲部屋
ボクシングジム
プロレス団体

公営競技

国内で埼玉県と福岡県のみ公営競技4種である競馬競輪ボートレースオートレースの全ての競技場が揃う。

観光

国の重要文化財については関東地方の重要文化財一覧関東地方にある建造物の重要文化財一覧を参照。

国の登録有形文化財についてはCategory:埼玉県の登録有形文化財、県指定文化財については埼玉県指定文化財一覧を参照。

らき☆すた」、「あの花」など多くの人気漫画・アニメの舞台となったことから、観光振興としてアニメ・漫画の活用に力を入れており、2013年に第1回「アニ玉祭」が開催され、2014年には第1回「埼玉県アニメの聖地化プロジェクト会議」を開催[41]、2015年にはさいたま市ニュービジネス大賞の受賞作「浦和の調ちゃん」を放映した。

対外関係

埼玉県は以下の地域と友好関係にある。

国・名称
メキシコの旗 メキシコメヒコ州 1979
中華人民共和国の旗 中華人民共和国山西省 1982
オーストラリアの旗 オーストラリアクイーンズランド州 1984
アメリカ合衆国の旗 アメリカオハイオ州 1990
ドイツの旗 ドイツブランデンブルク州 1998
アメリカ合衆国の旗 アメリカ・カリフォルニア州 (予定)
イタリアの旗 イタリアトリノ (予定)
イタリアの旗 イタリア・ミラノ (予定)

埼玉県を舞台とした作品

埼玉県出身の人物

埼玉県民栄誉章(さきたまグランプリ)

受賞者・団体の一覧。ほか県の表彰に彩の国功労賞渋沢栄一賞本多静六賞さいたま輝き荻野吟子賞塙保己一賞がある。

脚注

注釈

  1. ^ 武蔵国北多摩郡が神奈川県だった1872 - 1893年においては同県にも隣接していた。
  2. ^ 郡司は有力地方豪族の終身制であったので、郡衙で一番重要な正倉に放火し郡司を失脚を狙う手段で、東国では8世紀後半から9世紀に集中して発生している。
  3. ^ 「日本一のけやき並木」と題した解説板が北浦和駅入口交差点付近、下大久保交差点(さいたま市桜区)付近、及び熊野神社東交差点(所沢市)付近に設置されている。

出典

  1. ^ 平成27年度地方公共団体の主要財政指標一覧(都を除く)
  2. ^ 「都道府県別面積」(平成19年度面積)、国土地理院。
  3. ^ (2015年2月15日). “絵地図で見る豊かな河川 県立文書館で企画展”. 東京新聞(中日新聞社)
  4. ^ a b 谷川彰英 2017, pp. 35–37.
  5. ^ 埼玉県. “01土地・気象”. 2020年8月8日閲覧。
  6. ^ 埼玉・熊谷で41.1度、観測史上最高 東京・青梅40.8度”. 日本経済新聞 (2018年7月23日). 2019年2月10日閲覧。
  7. ^ 日本で猛暑 気温41.1度で観測史上最高”. BBC NEWS JAPAN. BBC (2018年7月24日). 2019年2月10日閲覧。
  8. ^ 地域別計画 埼玉県ホームページ、2010年11月閲覧
  9. ^ 地域保健医療計画 埼玉県ホームページ、2010年11月閲覧。
  10. ^ 田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』山川出版社 1999年6月
  11. ^ 塩野博「狩猟・採集の時代と農耕の時代」前掲県史12ページ
  12. ^ 三郷市の概要
  13. ^ 「古墳の時代」行田市教育委員会サイト(2016年12月11日閲覧)
  14. ^ 「沿革」元興寺文化財研究所サイト(2016年12月11日閲覧)
  15. ^ 塩野博「辛亥銘剣と武蔵国の隆盛」前掲県史56ページ
  16. ^ 埼玉県民の日:埼玉県ホームページ
  17. ^ “週刊首都圏 -飛び地、線上のドラマ-”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2010年5月28日) 
  18. ^ "首都圏中央連絡自動車道(圏央道)等の事業許可について" (PDF) (Press release). NEXCO東日本. 30 March 2018. 2018年4月5日閲覧
  19. ^ 埼玉県インターネット放送
  20. ^ 埼玉県県民経済計算
  21. ^ 内閣府による県民経済計算 Archived 2010年2月10日, at the Wayback Machine.
  22. ^ World Economic Outlook Database
  23. ^ 最新版日本の地理5『関東地方』39頁
  24. ^ 受信エリアのめやす(東京メトロポリタンテレビジョン)
  25. ^ チバテレ 受信ガイド
  26. ^ 放送エリアのめやす(前橋局)(A-PAB)
  27. ^ 放送普及基本計画第2の2の(1)のウの規定による一般放送事業者の行う超短波放送のうちの外国語放送を行う放送局の放送対象地域(総務省)
  28. ^ About InterFM(2014年6月4日閲覧)
  29. ^ どこで聞けるの?”. TOKYO FM. 2014年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月7日閲覧。
  30. ^ TOKYO FMが東京西部でもっとクリアに! 埼玉県:南西部
  31. ^ TOKYO FM × 東京タワー頂上新アンテナ送信記念 TOWER OF LOVE(2018年11月19日閲覧)
  32. ^ FMぐんま 営業部 聴取エリア
  33. ^ JーWAVE概要(2014年6月4日閲覧)
  34. ^ 超短波放送の電界強度の目安(総務省 2011年3月1日現在のアーカイブ) (PDF)
  35. ^ 会社情報(横浜エフエム放送)
  36. ^ bayfmカバーエリア (PDF)
  37. ^ ラジオCMのご案内 電波はどこまで届いているの?
  38. ^ 地上デジタル放送開局済一覧 - 一般社団法人デジタル放送推進協会
  39. ^ a b 埼玉県の自慢話 - 埼玉県(2015年7月23日)、2016年5月28日閲覧。
  40. ^ “利根川自転車道:日本一!170キロ 1日に全線開通”. 毎日jp (毎日新聞社). (2011年5月31日). オリジナルの2011年6月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110604045237/http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110601k0000m040152000c.html 2011年6月2日閲覧。 
  41. ^ 第1回埼玉県アニメの聖地化プロジェクト会議を開催!〜埼玉まるごと聖地化大作戦〜 埼玉県産業労働部、2014年4月24日

参考文献

関連項目

外部リンク

先代
忍県・岩槻県・浦和県
千葉県の一部(下総国江戸川以西)
熊谷県の一部(武蔵国)
行政区の変遷
1871年 -
次代
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