秩父地方

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埼玉県秩父郡の範囲(薄黄:後に他郡に編入された区域)
長瀞渓谷
羊山公園の芝桜

秩父地方(ちちぶちほう)とは、秩父山地に囲まれた埼玉県地方である。同県の最西部に位置し、概ね秩父市秩父郡の地域である。

地理[編集]

埼玉県を横断する荒川の上流部であり、秩父盆地が広がる。秩父市中心部などには、荒川の浸食作用による河岸段丘がみられる。秩父山地に四方を囲まれており、東京都山梨県長野県群馬県に接している。

地域での主な交通手段としては、道路国道140号彩甲斐街道・国道140号寄居皆野有料道路国道299号など、鉄道は秩父鉄道秩父本線西武鉄道西武秩父線である。

歴史[編集]

古代、良質の馬産地であり、知々夫国造が置かれたり、また坂東八平氏のうちの秩父氏を輩出するなど、昔から開けていた地域である。

なお、秩父地方に関わる日本史上の事件として、以下のものが挙げられる。

武蔵国(現在の秩父市黒谷)から和銅(にきあかがね、純度が高く精錬を必要としない自然銅)が産出した事を記念して、「和銅」に改元するとともに、日本最古の貨幣とされる和同開珎が作られたとされる。
日本史上最大規模の民衆蜂起とされる事件。松方デフレ以来の経済危機に苦しむ悩む秩父地方の農民たちは、自由民権運動の影響を受けて困民党と呼ばれる組織を結成し、田代栄助らの指揮下で10月31日に武装蜂起を決行した。困民党軍は小鹿野や郡都大宮郷(現在の秩父市)を武力占拠したが、政府は警察や憲兵隊、それに陸軍の東京鎮台の鎮台兵を動員し、11月9日までに徹底的な武力鎮圧を行った。事件後の裁判の結果、田代ら死刑7名を含む4000名余が処罰された。
秩父市の小鹿坂遺跡で50万年前の旧石器とともに住居跡が「発見」された。当時は「北京原人よりさらに昔の世界最古の原人で、洞窟で生活していたという定説を覆す人類史上の大発見」と大きく注目されたが、後に発見者の藤村新一による捏造であることが発覚し、考古学上の価値は失われた。

気候[編集]

秩父地方は中央高地式気候の特徴を持つ。盆地及び山地であるため、一日のうちの寒暖の差、冬と夏の気温差が非常に大きく、他の埼玉県の地域とは異なる気候である。冬の寒さは埼玉県の他の地域と比較しても厳しくしばしば雪となり、秩父市にある気象台で10cm以上の積雪を記録することもある。また、夏の気温はかなり高く埼玉県の他地域と同様猛暑日も見られるが、湿度が低く、熱帯夜になることもほとんどないためすごしやすい。天気予報においても「埼玉県南部、埼玉県北部、秩父地方」として独立で紹介されることが多い。

また、秩父市中心部の荒川東岸において、午前中に荒川から武甲山に向かって吹く風を川風(かわかぜ)、午後に武甲山から荒川に向かって吹く風を山風(やまかぜ)という。

行政[編集]

行政的な管轄では「秩父県税事務所」や「秩父県土整備事務所」など、この地方を管轄する県の出先機関は秩父市にある。

ただし、東秩父村においては税務行政(税務署・県税事務所)を除く国や県の機関の所轄は東松山市及び比企郡に所在する機関が管轄している。

市町村[編集]

社会[編集]

言葉(方言)[編集]

食文化[編集]

祭り[編集]

秩父地方には神社仏閣が多く、祭礼の回数も多い。年間400以上あると言われている。

秩父市大滝・ごもっともさま(2月3日)
三峯神社で行われる節分行事。「ごもっともさま」の掛け声が絶妙のタイミングで周囲からは思わず笑いが漏れる。五穀豊穰・無病息災などを祈る祭り。「ごもっともさま」自身はすりこぎ状の棒で男性のシンボル。
山田の春祭り(3月第2日曜)
秩父路の春の到来を告げる祭り。朝、昼、夜の三回屋台・笠鉾の牽引がおこなわれ、夜の音楽花火がこの祭りの大きな特徴。(日本初の音楽花火)
秩父神社御田植え祭り(4月4日)
秩父神社の祈念祭。市内の秩父今宮神社の竜神池より水幣を貰い、秩父神社境内にて田植えの真似をする。
春になって山の神を里に迎える祭りとも言われる(その神を山に返すのが秩父夜祭)。鳥居下に藁で作った竜神を祀る。その藁の竜神が秩父夜祭の際の榊神輿の台座となる。
小鹿野春祭り(4月第3土曜日とその前日)
小鹿神社の例大祭。笠鉾2基・屋台2基が奉曳される。歌舞伎の町、小鹿野を代表する祭りで、金曜日の夜には秩父夜祭と同様の屋台歌舞伎が行われる。
羊山公園・芝桜まつり(4月下旬)
羊山公園の芝桜の丘で、秩父のシンボル芝桜が満開になる季節に行われる祭り。
武甲山山開き(5月1日)
山頂の武甲山御嶽神社で祭礼が行われる。
あめ薬師縁日(7月8日)
秩父札所13番の眼の守り本尊の薬師如来を祀った祭り。朝から夜遅くまで参拝する人と出店で賑わう。
秩父川瀬祭(7月19,20日)
秩父神社の夏の大祭。摂社日御碕宮のお祭りで、祇園祭の流れをくむ。7月19、20日におこなわれ、冬の例大祭『秩父夜祭』と一対をなす子供が主体となる夏祭り。夜祭の屋台を一回り小さくした絢爛豪華な屋台4台、笠鉾4台の合計8基の山車が引き回される。
19日は屋台・笠鉾の順行の他夜には花火大会が、そして19時より神社境内に屋台・笠鉾が集合し天王柱立て神事が行われる。また深夜の荒川で水を汲み各町の辻にその水を撒き無病息災を願うお水取り神事が行われる。
20日の午後には荒川にて御輿洗いの儀が行なわれる。その際各町の屋台・笠鉾も荒川手前の広場まで奉曳される。
秩父音頭祭り(8月14日)
皆野町で行われる、関東三大民謡の一つといわれる秩父音頭の祭り。昔から庶民の間で歌い継がれたものが1930年(昭和5年)に金子伊昔紅により歌詞の公募も含め再構成されて「秩父豊年踊り」として公開され、その後「秩父音頭」として改名され現在に至る。
長瀞船玉祭(8月15日)
長瀞岩畳周辺で水難者の供養と船の安全運航を祈願する祭り。花火の美しい夏祭りとして多くの観光客を集める。
龍勢祭り(10月第2日曜)
秩父事件で有名な椋神社で行われる祭り。轟音を響かせて空に上がる様子が龍に似ていることから「龍勢」と呼ばれるようになったと言われている(別名「農民ロケット」)。1570年元亀元年)から始められたと伝わる龍勢は、埼玉県の無形民俗文化財に指定されている。
秩父夜祭
秩父夜祭(宵宮12月2日,大祭3日)
秩父神社の例大祭。京都の祇園祭、飛騨の高山祭と共に日本三大曳山祭・日本三大美祭の1つ。秩父市の中心街で笠鉾2基と屋台4基の山車(国の重要有形民俗文化財)が曳き回される。300年余り前の江戸時代の寛文年間(1661~72)には、例大祭の「付け祭り」として山車が曳かれていたという記録がある。屋台両袖に舞台を特設しての秩父歌舞伎や地元の花柳一門と杵屋一門によるひき踊りは、秩父神社神楽とともに「秩父祭りの屋台行事と神楽」として国の重要無形民俗文化財となっている。2日間で数十万人もの観光客を集める。
年に一度武甲山の男神と秩父神社の女神妙見菩薩が会えるという(武甲山の男神には他に正妻の女神がいるため)。
鉄砲祭り(飯田八幡神社例大祭)(12月第2日曜日とその前日)
秩父郡小鹿野町の八幡神社で行われる秩父を代表する奇祭。初日午後2時、若衆宮参りののち山車・笠鉾が曳行され、屋台上で三番叟が演じられる。夜には歌舞伎の上演がある。大祭当日は50人あまりの射手による空砲の砲列の中大名行列と御神馬が参道をかけあがる勇壮な「お立ち神事」が午後4時からおこなわれ、祭りは最高潮に達する。埼玉県の無形民俗文化財に指定。

秩父美人[編集]

盆地であるため日照時間が少なく色白美人が多い。秩父美人として知られる。

民俗芸能[編集]

  • 秩父屋台囃子
  • 秩父音頭

産業[編集]

セメント
明治時代より武甲山産出の石灰石を利用したセメント生産が盛んであり、地元の産業を支えてきた。秩父セメント(現:太平洋セメント)発祥の地であり、秩父地方の中央部を走る秩父鉄道もセメント輸送を主な目的として建設された。しかし、セメント業界の再編成に伴い旧秩父セメント第一工場は閉鎖、その後解体されている。旧秩父セメント第二工場は現存。
絹織物業
江戸末期から明治にかけて、絹織物の人気ブランドとして「秩父銘仙」が全国的に広まる。洋服が主流になった現在では生産量が減少したが、「ちちぶ銘仙館」などの観光施設では土産・特産物として販売されている。
観光
秩父地方の西部は秩父多摩甲斐国立公園の区域に指定され、特に三峰山の主峰である雲取山頂付近は特別保護区域とされている。また、長瀞渓谷は自然が生み出した岩畳の造形美が有名で天然記念物にも指定されているため、雄大な自然景観を楽しむための観光客が多く訪れる。秩父地方では秩父夜祭をはじめとした祭礼も埼玉県の内外から観光客を集めている。西武鉄道池袋線西武秩父線では池袋駅から特急「ちちぶ」号が運転されている。また、秩父鉄道秩父本線では急行「秩父路」や、蒸気機関車(SL)牽引の観光列車「パレオエクスプレス」が運転されている。

秩父地方出身の有名人[編集]

関連項目[編集]