福澤桃介

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福澤 桃介
生誕 慶應4年5月6日
1868年6月25日
武蔵国横見郡荒子村
(現埼玉県吉見町
死没 1938年2月15日(69歳)
職業 実業家政治家
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若き日の福澤桃介

福澤 桃介(ふくざわ とうすけ/ももすけ、1868年6月25日慶應4年5月6日) - 1938年昭和13年)2月15日)は、日本の実業家政治家。旧姓は岩崎[1]

日清紡績矢作水力(現・東亞合成)、大同電力(現・関西電力)、東邦電力(現・中部電力)、東邦瓦斯大同特殊鋼などを次々に設立。他にも数々の企業経営(福澤財閥)に携わり、「日本の電力王」と言われる。

概要[編集]

岩崎桃介は、武蔵国横見郡荒子村(現在の埼玉県吉見町)の貧しい農家・岩崎紀一の次男として生まれた。六人兄弟で、妹(三女)にアララギ派歌人杉浦翠子(旧姓・岩崎)がいる。翠子は、「激情の歌人」として知られ、近代日本のグラフィックデザイナーで多摩帝国美術学校(現・多摩美術大学)の初代学長となった杉浦非水の妻ともなった。また、別の妹(二女)・出淵てるは矢作製鉄社長・出淵国保の母である。洋画家岩崎勝平は甥。

桃介6歳のとき、生家は母サダの岩崎の本家のあった川越(現在の川越市)に転居した(妹の翠子は川越で生まれた)。同郷出身の水村精が川越で埼玉県初の民営銀行・川越銀行を興しており、その伝手を頼った。また、サダの出た岩崎家は川越で財を成しておりサダも商才があったが、父の紀一は入り婿で風流人だった。紀一は川越で提灯屋を営むが失敗、生計は貧しさを極め、桃介は裸足で学校に通ったが、神童として有名であった。紀一は、岩崎本家が設立に関与した第八十五国立銀行に勤務、サダも本家から借りた金で金貸しをするなど、子供らの学費の工面を続けた。1882年明治15年)、桃介は旧知の旧川越藩士の娘が嫁いでいた眞野秀雄を頼って慶應義塾に進学した。慶應義塾の運動会で桃介の眉目秀麗ぶりが福澤諭吉の妻・錦の目にとまり、娘(次女)の房(ふさ)に引き合わされ、在学中の1886年(明治19年)、福澤諭吉の婿養子となる。慶應義塾を卒業すると1887年に渡米し、ペンシルバニア鉄道の見習をした後、1889年に帰国。房と結婚し福澤姓に変わった。帰国後は、北海道炭礦汽船王子製紙などに勤務した。

しかし、肺結核にかかり、1894年から療養生活を送らざるを得なくなる。療養の間、株取引で蓄えた財産を元手に株式投資にのめり込んだ。当時は日清戦争の最中で、日本の勝利による株価の高騰もあり、百発百中の株で、当時の金額で10万円(現在の20億円前後)もの巨額の利益を上げたという。療養により病状が好転し、株で得た金を元手に実業界に進出する。いみじくも、その後、相場は暗転した。

桃介橋

1906年、療養後に再就職していた北海道炭礦汽船を退職、瀬戸鉱山を設立して社長に就任。1907年日清紡績を設立、相場から離れる。木曽川水利権を獲得し、1911年岐阜県加茂郡八百津発電所を築いた。同年、日本瓦斯会社を設立。これらを始めとして、1924年には恵那郡に日本初の本格的ダム式発電所である大井発電所を、1926年には中津川市落合発電所などを建築し、また矢作水力(現・東亞合成)、大阪送電などの設立を次々に行う。1912年読書発電所の工事用として架けた橋は後に桃介橋と呼ばれ、1993年近代化遺産として復元、1994年には発電所とともに国の重要文化財に指定された。

福澤 桃介(右は川上貞奴

1920年には、大阪送電を改組する形で、五大電力資本の一角たる大同電力(戦時統合で関西配電。現・関西電力)と東邦電力(現・中部電力)を設立、社長に就任した。この事業によって「日本の電力王」と呼ばれることになる。起業家でもあった発明王エジソンは桃介の電力事業を支援した。1922年には東邦瓦斯(現・東邦ガス)を設立、ほかにも愛知電気鉄道(後に名岐鉄道と合併。現・名古屋鉄道)の経営に携わったほか、大同特殊鋼などの一流企業を次々に設立し、「名古屋発展の父」と呼ばれる。その後、政界に進出、衆議院議員になり、政友倶楽部に属した。

1926年(昭和1年)には、帝国劇場会長に就任する。

千種区覚王山の日泰寺舎利殿参道には、桃介の功績を偲んだ「追憶碑」がある。碑文には、「福澤桃介君は天縦の奇才にして、火力のみに依存していた電力供給を尾張信濃の渓谷を四萬年駄々と亜流していた河水を電力に変え、数百万家庭並びに大小幾百数千の工業を供給誘起、名古屋を日本第三の都会となした」と刻まれている。

晩年は「日本初の女優川上貞奴と同居し、夫婦同然の生活であった。貞奴とは慶應義塾の塾生(18歳)のときからの相思相愛であった。

その他[編集]

関東大震災の影響で金融の道が閉ざされた時には、対日感情が悪化しつつあったアメリカに乗り込み、前代未聞の2万5千ドルもの外資導入に成功している。彼は前大統領タフト、モルガン財閥の大番頭ラモンドら政財界の大物らを前に、世界最大の富強を誇るアメリカを称えた後で、「しかし、アメリカは、黄金の毒素によって、今にローマのように衰亡する道を歩いている」と即興の演説を始め、「そのアメリカから、金の毒を、わずかながら取り出してやろうとする私は、実は貴国から感謝されていいはずです」とぶち上げ、大喝采を受ける。

桃介の電力事業の評価は極めて高く、発電所のモニュメントには元老山縣有朋西園寺公望のみならず、発明王エジソン、フランス前首相クレマンソー、無線電信の発明者マルコーニらが賞賛のメッセージを寄せている。

著書[編集]

  • 『富の成功』東亜堂書房 1911 
  • 『桃介式』実業之世界社 1911 
  • 『欧米株式活歴史』池田藤四郎 1912 
  • 『無遠慮に申上候』実業之日本社 1912 
  • 『桃介は斯くの如し』星文館 1913 
  • 『予の致富術』東亜堂書房 1916 
  • 『金持になる工夫』尚栄堂 1917 
  • 『狸の腹つゝみ』昭文堂ほか 1917
  • 『貯蓄と投資』岡本学共著 尚栄堂 1917 
  • 『貧富一新』ダイヤモンド社 1919 
  • 『槍ケ岳を中心として』ダイヤモンド社 1924 
  • 『財界人物我観』ダイヤモンド社 1930 
  • 『桃介夜話』先進社 1931 
  • 『西洋文明の没落 東洋文明の勃興』ダイヤモンド社 1932 
  • 『福沢桃介の人間学』五月書房 1984
  • 『福沢桃介の経営学』五月書房 1985
  • 『財界人物我観』図書出版社 1990
  • 『福澤桃介式 比類なき大実業家のメッセージ』パンローリング 2009

関連文献[編集]

  • 『福沢桃介翁伝』福沢桃介翁伝記編纂所 1939
  • 宮寺敏雄『財界の鬼才 福沢桃介の生涯』四季社 1953
  • 矢田弥八『激流の人 電力王福沢桃介の生涯』光風社書店 1968
  • 宮寺敏雄『経営の鬼才福沢桃介』五月書房 1984
  • 堀和久『電力王福沢桃介』ぱる出版 1984
  • 浅利佳一郎『鬼才福沢桃介の生涯』日本放送出版協会 2000
  • 杉本苑子『冥府回廊』日本放送出版協会、1984 のち文春文庫(福沢房を中心とした小説)「春の波涛」の原作。

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 間違われることが多いが、三菱財閥岩崎家とは無関係。


外部リンク[編集]