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秋元康

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秋元康
別名 高井良斉、やすす
生誕 (1956-05-02) 1956年5月2日
出身地 日本の旗 日本東京都目黒区
学歴 中央大学文学部中退
ジャンル J-POP
職業 作詞家
放送作家
タレント
活動期間 1973年 -
事務所 株式会社秋元康事務所
共同作業者 とんねるず
おニャン子クラブ
崎谷健次郎
AKB48
SKE48
SDN48
NMB48
乃木坂46
HKT48
JKT48
TPE48

秋元 康(あきもと やすし、1956年5月2日 - )は、東京都目黒区出身の放送作家作詞家プロデューサー脚本家映画監督漫画原作者タレント。2005年に結成された女性アイドルグループAKB48』とその姉妹グループ、およびそれらメンバーが所属するユニットの総合プロデューサーとしても知られている。2007年より京都造形芸術大学副学長を務める。血液型O型。 日本映画監督協会会員。2009年4月より日本放送作家協会理事長。

自身が取締役を務め、妻の秋元麻巳子が監査役を務める株式会社秋元康事務所に所属している。

人物

目黒区大橋出身。喘息を患い小学1年生のときに保谷市八王子市へ引越す。小学生のときは官僚になることを夢見ていた。官僚という夢に意味はなく、周囲の大人が官僚が良いと言うので官僚になることを思いつく。官僚になるためには東京大学法学部へ入学することが必要だと考え中学受験をするも失敗。挫折の中、公立中学校へ進学し、世の中は運の力も必要と考えるようになる。

中学を卒業し、中央大学附属高等学校へ進学。当時男子校で私服通学をしていたため秋元少年は遊んでばかりいた。1973年高校2年生の冬、受験勉強に集中できず何気なくニッポン放送せんだみつおの足かけ二日大進撃!』を聴いているうちに「この程度なら自分にも書ける」と思い立ち、せんだみつおを主人公とした平家物語のパロディを受験勉強用に用意したノート20数ページにわたり書き上げた。同級生の薦めを受けそのノートをニッポン放送へ送ったところ、当時ニッポン放送社員だった亀渕昭信と、大橋巨泉事務所の放送作家グループに所属していた奥山侊伸の目に留まった。かくしてニッポン放送へ遊びに来るように言われ、出入りするうち奥山の弟子となり大橋巨泉事務所の放送作家グループに所属。

高校卒業後、中央大学文学部へ進学。放送作家としての活動を継続していたため、大学には殆ど通わなかった。やがて放送作家一本で生きていくことを決意し大学を中退している。中央大学には5~6年間在学した。大学生としては異例なほどの収入があったと当時を回想しているが、サラリーマンの父親が稼いだ100万円と自分が稼いだ100万円は異なる価値を持つとし、自分の稼ぎは「パチンコで偶然大当たりした程度」「放送作家はアルバイト」と考えていた。26歳まで八王子の実家に住んでいた。

その後、放送作家業に物足りなさを感じていたこと、放送作家という職業の将来性に不安を感じていたところ、亀渕からPMP(現・フジパシフィック音楽出版)の朝妻一郎を紹介され、それを機に作詞を手掛けるようになる。その経緯より、作詞家としてはフジパシフィック音楽出版と契約している。1981年Alfeeの楽曲「通り雨」のB面を作詞する機会を得て、坂崎幸之助高見沢俊彦の合作「言葉にしたくない天気」で作詞家デビューを果たした。これを機に作詞家としても活動開始。翌1982年には筒美京平の作曲した稲垣潤一の「ドラマティック・レイン」の作詞をし作詞家としての知名度を得た。1987年おニャン子クラブが解散。1988年に高井麻巳子と結婚。放送作家業を清算し1988年から1989年の約1年半をニューヨークで過ごす。放送作家・作詞家になったきっかけやエピソードについては1988年発刊の自伝小説『さらば、メルセデス』にて記している。2001年3月に第1子(長女)が誕生。

放送作家としては『ザ・ベストテン』『オールナイトフジ』、『夕やけニャンニャン』、『とんねるずのみなさんのおかげでした』など数多くのヒット番組を手掛けている。とんねるずおニャン子クラブの仕掛人ともされるが、おニャン子クラブについては共同作業であるとし、自分は仕掛け人ではないと説明している[1]。 作詞家としても小泉今日子の「なんてったってアイドル」、本田美奈子「1986のマリリン」、美空ひばり「川の流れのように」、ジェロ「海雪」など歌謡曲から演歌まで幅広い楽曲の作詞を手掛けるほか、作家や映画監督、タレントとしても活躍している。

2005年4月、京都造形芸術大学芸術学部教授に就任。2007年4月1日より同大学副学長に就任した。

プロ野球は読売ジャイアンツファンである。

作詞家

プロデュース業

エピソード

  • 作詞家デビュー前に、相談も兼ねて歌詞をやしきたかじんに見せたところ「全然アカン、話にならん。持って帰れ」と、こき下ろされた。たかじんに言わせると「単なる文章であって歌詞とは言えない」という評価であった。しかし、結局その歌詞の中からヒットする作品が出ることとなり、たかじんも「えらいことした。あの中からなんぼかもろといたらよかった」と話の種にしていたが、これに対して秋元自身も「たかじんさんはこだわりが強いから、納得できる歌詞を書くのは至難の業」と語っている。また、たかじんによるとこの時歌詞を見せただけではなく、秋元は「このまま放送作家だけを続けていても、せいぜい一千万や数千万の収入で天井が見えている。自分はこのままで終わりたくない」という趣旨の相談をしていたという。それから30年あまりの時を経た2010年に、やしきたかじんの新曲「その時の空」で歌詞の提供が実現した。
  • タレントショップブームの1987年頃、便乗して青山で「うんこや」という名前の和食パブを開いたことがある。箸置きが「うんこ」の形をしていて「私の箸」をキープできた。「食と排泄は切っても切れない関係ですからね、だからあえて…」という説明をしていたが、僅かな期間で閉店している。他にも飲食店を開店したが、どれも成功せず閉店を余儀なくされた。
  • 長渕剛とは、長渕が初めてのラジオパーソナリティを担当した番組の放送作家として知り合った。当時は、番組構成などで意見がぶつかり、放送中に喧嘩したこともあったが、同世代ということもあって、のちに一緒に食事する間柄となった。長渕は、秋元のことを「戦友」と語っている(ただしAKB48ヒット以後、日本の音楽業界の衰退を危惧した長渕は再びラジオで秋元を批判している)。また、SHOW-YAの作詞を手がけたこともあるものの、寺田恵子と言い争いになったこともある。
  • 作曲家・後藤次利とは「ゴールデンコンビ」と言われている。後藤の現在の妻は、秋元の妻のかつての同僚・河合その子である。
  • 1988年5月23日、元おニャン子メンバーの中でもトップクラスの人気を誇っていた高井麻巳子との結婚が突如発表され、高井はそのまま芸能界から引退する。高井のファンクラブが結成された直後でもあったため非難の声が上がったが、実は、むしろ高井の方が結婚に積極的であったということが、高井の友人である斉藤由貴のエッセイで述べられている。そして、当時の秋元と同じスタンスで活躍しているつんく♂に対しては「最終的にはモーニング娘。の誰かと結婚しろ」というアドバイスを送ったという。なお、つんく♂が実際に結婚したのは、モーニング娘。のメンバーではなかった。
  • サンデー毎日』での連載で「我々の仕事は不安定な上に潰しがきかない。我々のようなレベルの人間でもいつ仕事がなくなるか不安を抱いている」と述べたことがある。
  • 1990年代前半、監修を務めていたバラエティ番組『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』に麻原彰晃が出演、番組内で「麻原彰晃の青春人生相談」というコーナーが放送された。この出演により番組側から麻原に支払われた出演料[4]は、その後オウム真理教が起こした会社員VX殺害事件等に使用されたVXガスの生成費用や、後に松本サリン事件地下鉄サリン事件で使用される事となるサリンの生成を目的としたサリンプラント建設事件のプラント建設費として使われた可能性があるが、秋元は自身が監修を行った番組に麻原が出演していた件についてこれまで一切説明を行なっていない。
  • 2007年9月30日放送分の『情熱大陸』にて「自分は天才でもアーティストでも芸術家でもない。ピカソになりたい広告代理店マン。でもピカソになりたいと思った時点でピカソにはなれない」とコメントしている。
  • 作詞家歴30年、ミリオンセラー6回、多数の賞を受賞している。
  • 2009年12月、自身初の日本レコード大賞特別賞をAKB48と共に初受賞をしている。
  • 田代まさしとは映画について熱く語り合ったり[5]するなど過去に親交があり、田代の芸能界本格復帰支援本として2010年7月31日に発売された『帰ってこいマーシー』にメッセージを寄せた。しかし、その田代は本の出版から一月半後の9月16日に麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で現行犯逮捕、その後起訴され、2011年7月1日に懲役3年6月の実刑判決を受けた。
  • 2011年12月、自身が作詞を手掛けたAKB48の「フライングゲット」が第53回日本レコード大賞を受賞した。
  • AKB48のプロデュース活動の一環として始めた『AKB48 on Google+』で自らもGoogle+のアカウントを取得し、自分自身をやすすと称して頻繁に投稿している。Google+でAKB48メンバーやファンとの交流を図ると共に、思いついた仕事のアイデアなどを関係者へ公開の場での連絡ツールとしても使っている。
  • 血液型性格分類を信じている。

書籍

著書

映画

作詞を提供したアーティスト一覧及び楽曲

あ行

か行

さ行

た行

な行

は行

ま行

や行

ら行

わ行

チャート1位シングル

週間チャート1位となったシングル作品は以下の通り。

★はおニャン子クラブ、及び関連作品(派生ユニット・ソロ)
☆はAKB48、及び関連作品(姉妹グループ・派生ユニット・ソロ)
リリース日 曲名 アーティスト名  
1 1985年2月27日 卒業-GRADUATION- 菊池桃子  
2 1985年5月15日 BOYのテーマ 菊池桃子
3 1985年11月21日 なんてったってアイドル 小泉今日子  
4 1986年1月1日 冬のオペラグラス 新田恵利
5 1986年1月21日 バナナの涙 うしろゆびさされ組
6 1986年2月21日 じゃあね おニャン子クラブ
7 1986年3月1日 季節はずれの恋 吉沢秋絵
8 1986年3月21日 青いスタスィオン 河合その子
9 1986年4月1日 私は里歌ちゃん ニャンギラス
10 1986年4月10日 恋のロープをほどかないで 新田恵利
11 1986年4月21日 おっとCHIKAN! おニャン子クラブ
12 1986年5月2日 象さんのすきゃんてぃ うしろゆびさされ組
13 1986年5月10日 夏を待てない 国生さゆり
14 1986年5月21日 風のInvitation 福永恵規
15 1986年6月11日 あじさい橋 城之内早苗
16 1986年6月21日 自分でゆーのもなんですけれど ニャンギラス
17 1986年7月2日 再会のラビリンス 河合その子
18 1986年7月16日 瞳に約束 渡辺美奈代
19 1986年7月21日 お先に失礼 おニャン子クラブ
20 1986年8月1日 不思議な手品のように 新田恵利
21 1986年8月14日 ノーブルレッドの瞬間 国生さゆり
22 1986年8月27日 渚の『・・・・・』 うしろゆびさされ組
23 1986年9月10日 鏡の中の私 吉沢秋絵
24 1986年10月8日 深呼吸して 渡辺満里奈
25 1986年10月15日 雪の帰り道 渡辺美奈代
26 1986年10月22日 悲しい夜を止めて 河合その子
27 1986年11月1日 恋はくえすちょん おニャン子クラブ
28 1986年11月23日 技ありっ! うしろゆびさされ組
29 1986年12月3日 あの夏のバイク 国生さゆり
30 1987年1月1日 ホワイトラビットからのメッセージ 渡辺満里奈
31 1987年1月15日 TOO ADULT 渡辺美奈代
32 1987年1月21日 NO MORE 恋愛ごっこ おニャン子クラブ
33 1987年2月21日 かしこ うしろゆびさされ組
34 1987年4月8日 マリーナの夏 渡辺満里奈
35 1987年4月15日 PINKのCHAO 渡辺美奈代
36 1987年5月7日 時の河を越えて うしろ髪ひかれ隊
37 1987年5月21日 かたつむりサンバ おニャン子クラブ
38 1987年8月31日 禁断のテレパシー 工藤静香
39 1987年10月21日 キスを止めないで 小泉今日子  
40 1992年1月24日 ガラガラヘビがやってくる とんねるず  
41 1992年9月3日 一番偉い人へ TUNNELS  
42 1992年10月28日 クリスマスキャロルの頃には 稲垣潤一  
43 1993年1月28日 がじゃいも とんねるず  
44 2005年12月21日 SNOW! SNOW! SNOW! KinKi Kids  
45 2009年10月21日 RIVER AKB48
46 2010年2月17日 桜の栞 AKB48
47 2010年3月17日 アッカンベー橋 渡り廊下走り隊
48 2010年5月26日 ポニーテールとシュシュ AKB48
49 2010年7月21日 心の羽根 チームドラゴン from AKB48
50 2010年8月18日 ヘビーローテーション AKB48
51 2010年10月27日 Beginner AKB48
52 2010年12月8日 チャンスの順番 AKB48
53 2011年2月16日 桜の木になろう AKB48
54 2011年3月9日 バンザイVenus SKE48
55 2011年3月16日 週末Not yet Not yet
56 2011年5月25日 Everyday、カチューシャ AKB48
57 2011年6月22日 Flower 前田敦子
58 2011年7月6日 波乗りかき氷 Not yet
59 2011年7月13日 ふいに 板野友美
60 2011年7月20日 絶滅黒髪少女 NMB48
61 2011年7月27日 パレオはエメラルド SKE48
62 2011年8月24日 フライングゲット AKB48
63 2011年10月19日 オーマイガー! NMB48
64 2011年10月26日 風は吹いている AKB48
65 2011年11月9日 オキドキ SKE48
66 2011年11月22日 最初のメール フレンチ・キス
67 2011年12月7日 上からマリコ AKB48
68 2012年1月11日 変わったかたちの石 KinKi Kids  
69 2012年1月25日 片想いFinally SKE48
70 2012年2月8日 純情U-19 NMB48
71 2012年2月15日 GIVE ME FIVE! AKB48
72 2012年5月2日 おいでシャンプー 乃木坂46
73 2012年5月16日 アイシテラブル! SKE48
74 2012年5月23日 真夏のSounds good ! AKB48

テレビドラマ脚本

舞台

ゲーム

出演番組

テレビ

ラジオ

CM

担当番組

2012年現在放送中

不定期

過去

など

脚注

  1. ^ 秋元康「『夕やけニャンニャン』と放送外収入」『テレビ作家たちの50年』日本放送作家協会編、NHK出版、2009年、p.172。
  2. ^ 2011年8月22日付現在。SPACE SHOWER TV「ザ・プロデューサーズ」2011年9月17日放送。
  3. ^ 派生ユニット『DiVA』の月の裏側Type-Bに収録されている『インフォメーション』はTKが作詞・作曲、3rdシングル『Lost the way』Type-Bに収録されている増田有華のソロ曲『Stargazer -2012 Here I am cuz of U- Yuka Masuda from DiVASolua稲葉エミが作詞を担当。『渡り廊下走り隊(現渡り廊下走り隊7)』の6thシングル『ギュッ』はカシアス島田が作詞を担当し、共同プロデュース作品である。
  4. ^ 弁護士の紀藤正樹は2012年5月6日放送 TBSテレビアッコにおまかせ!』で「テレビ番組に出演すれば出演者には当然出演料が支払われる」とコメントしており、麻原側に出演料が全く支払われなかったとは考えにくい。
  5. ^ 『帰ってこいマーシー』に掲載された秋元からのメッセージより。

関連項目

  • 堀内賢雄 - 秋元が原作を手掛けたアニメ『OH!MYコンブ』の劇中に出て来る秋元の作中キャラクター・秋元おすしの声を担当。

外部リンク